目次
「どうしてそこまで出生前診断にこだわるのですか」と聞かれることがあります。答えは、わたし自身の人生の中にあります。わたしは臨床遺伝専門医であり、同時に遺伝性疾患の当事者です。そして、初めての妊娠で授かった双子の一人を、36週6日で死産で亡くした母親でもあります。このページでは、わたしが出生前診断の仕事を続けている理由と、その経験から当院の出生前診断で大切にしていることをお話しします。
- ➤遺伝性疾患(偽性偽性副甲状腺機能低下症)の当事者として、3回の出産が「2分の1の賭け」だったこと
- ➤1992年、双子の一人を死産で亡くし、その子に会えなかった経験
- ➤臨床遺伝専門医をやめようとした日に、師匠がかけてくれた言葉
- ➤わたしが出生前診断にこだわる3つの理由
- ➤その考えを、当院の出生前診断でどのような形にしているか
⏱️ 30秒でわかる要約
🌸 Q. なぜ院長は出生前診断にこだわるのですか?
出産を「賭け」にしてほしくないからです。わたしは遺伝性疾患の当事者で、3回の出産はどれも「子どもに伝わるかどうか2分の1」の賭けでした。双子の一人を死産で亡くし、その子に会えなかった母親でもあります。知ったうえで、自分で選べるようにすること。それがわたしの仕事の原点です。
🧬 Q. 院長自身も遺伝性疾患の当事者なのですか?
はい。偽性偽性副甲状腺機能低下症という、常染色体顕性(優性)遺伝の病気の当事者です。母親であるわたしから子どもに伝わると、より重い状態になる仕組み(ゲノムインプリンティング)があります。
🏥 Q. その想いを、当院ではどんな形にしていますか?
90分の受診枠の中で、常駐する臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行います。陽性のときは確定検査(羊水検査・絨毛検査)まで院内で受けられ、陽性のカウンセリングは何度でも無料です。どの選択をするかを決めるのは、あなたです。
1. わたしの原点——遺伝性疾患の当事者として
わたしは、偽性偽性副甲状腺機能低下症という病気の当事者です。小さいころから背が低く、手や指の形が人と違うと言われてきました。医学部に入る前の年に大学病院で検査を受け、この病名がつきました。この病気は骨格に特徴が出るため、隠すことはできません。くわしい経緯は遺伝性疾患の当事者として、臨床遺伝専門医になった理由に書いています。
💡 用語解説:常染色体顕性(優性)遺伝とゲノムインプリンティング
常染色体顕性(優性)遺伝は、ペアになった遺伝子の片方に変化があるだけで現れる伝わり方です。親から子へは、妊娠のたびに2分の1の確率で伝わります。くわしくは遺伝形式とはをご覧ください。偽性偽性副甲状腺機能低下症は、GNAS遺伝子の変化によって起こります。この遺伝子には、父親から受け継いだか母親から受け継いだかで働き方が変わる仕組み(ゲノムインプリンティング)があります。同じ変化でも、父親から受け継ぐと骨格の特徴が中心の偽性偽性副甲状腺機能低下症に、母親から受け継ぐとホルモンが効きにくくなる偽性副甲状腺機能低下症1A型になり、1A型では発達の遅れを伴うことがあります[1]。
「出生前診断があったら、わたしは生まれていなかったかもしれない」
もしわたしが母の子宮に着床したとき、今のような出生前診断があったら、どうなっていたでしょう。わたしはこの世に生まれてこられなかったかもしれません。一度、「もしわかっていたら、それでもわたしを産んでくれた?」と母に聞いたことがあります。けれど、そのころ母はすでに認知症が進んでいて、答えは返ってきませんでした。父も亡くなり、もう誰にも聞けません。
出生前診断の仕事をする医師であり、その検査の対象になりうる当事者でもある。わたしはいつも、この二つの立場の間で考え続けています。そして、その立場から何度も思い返す出会いがありました。がんの専門医として働いていたころ、遺伝の病気のお子さんを亡くしたあと、誰にも支えられずに生きてきた一人の女性と出会ったことです。その出会いはわたしが出生前検査に取り組む原点に書いています。
だからこそ、わたしは誰にも何も押しつけません
「わたしは生きていて幸せだから、あなたも必ず産んでください」とは言えません。反対に、「検査を受けるべきです」とも言いません。それぞれの家族に、それぞれの事情と人生があるからです。
2. 1992年——わたし自身の死産体験
1991年、夫が医学部を卒業したのと同時に、わたしたちは結婚しました。その年、わたしは双子を妊娠しました。一卵性の双子でした。
中絶を勧められた妊娠
わたしは身長146センチと小柄で、内分泌の病気もありました。双子とわかった時点で、中絶を勧められました。わたしを診るために、産婦人科と内科の合同チームが作られたほどです。それでもわたしは「双子くらい産めます。中絶はしません」と言いました。
ある日、研修医だった夫が帰ってきて、「今日の会議で、産んでいいことになったよ」と言いました。わたしは思いました。産むかどうかを決めるのはわたしであって、会議ではない、と。高校生活の一部をベルギーで過ごし、自分のことは自分で決めるという考え方の中で育ったわたしにとって、医師が患者に答えを押しつけるやり方は受け入れられないものでした。
あと1日で正期産という日に
1992年、わたしは医学部の4年生になっていました。お腹がつらく、亡くなる1週間前には「もう産ませてほしい」とお願いしていましたが、当時の方針で、正期産(37週)まで待つことになっていました。そして36週6日、あと1日で正期産という日曜日の健診で、助産師が言いました。「心音が一つしか聞こえない」。
超音波で、一人の心臓が止まっていることがわかりました。医学生だったのに、わたしはまったく理解しようとしませんでした。「もう少ししたら、また動き出すわ」とさえ言いました。呼ばれてきた夫は、泣きながら「もう一人の子を助けるために、今すぐ手術室に行ってくれ。洋美も危ないんだ」と頼みました。わたしが夫の涙を見たのは、その日が初めてでした。黙って診察台を降り、よろよろと手術室に向かったところから先の記憶は、あまりありません。
💡 用語解説:胎盤を共有する双子で、一人が亡くなったとき
胎盤を共有する双子(一絨毛膜双胎)で一人がお腹の中で亡くなると、もう一人の赤ちゃんにも影響が及ぶことがあります。20件の研究をまとめた解析では、もう一人の赤ちゃんが亡くなる割合は一絨毛膜双胎で約15%(胎盤が別々の双子では約3%)、生まれたあとに発達の問題がみられる割合は約26%(同約2%)と報告されています[2]。
子どもに会えなかった母親
手術のあと、わたしは命にかかわる状態になりかけ、集中治療を受けました。亡くなった息子には会わせてもらえないまま、荼毘に付されました。やっと歩けるようになったとき、わたしは幼いころから「パパ」と呼んで育った司祭に電話をかけ、「神様は本当にいるの?」と聞きました。返ってきたのは、「乗り越えられるからこそ、あなたは試されるのです」という言葉でした。
病理解剖と、夫婦のいろんな時間
息子は病理解剖されました。一卵性だったので、生き残ったもう一人の息子に同じ問題がないかを調べる必要があったからです。夫は研修医として、その解剖に立ち会っていたと後で知りました。わたしはそのとき、夫をなじりました。せめて会いたかった、と。解剖の大切さは医学生としてわかっていたはずなのに、何もかもが許せなかったのです。
このことは、わたしたち夫婦の間に少しずつ隙間を作りました。そしてわたしは、生き残った息子を「もう一人いたのに」という気持ちで見てしまい、息子は自分が愛されていないと誤解して育ってしまいました。子どもを失うことは、深い傷を残します。今こうして書けるようになるまでに、長い時間がかかりました。今は、この仕事をやりとげることが、亡くなった息子を忘れずに一緒に生きていくことなのだと、夫婦で思っています。
3. 遺伝医療との出会い——扉を開くものとして
小児科に入れなかった日
死産のあと、産婦人科の臨床実習で、わたしは病理解剖室で泣き崩れてしまいました。「ホルマリン漬けの臓器でいいから、息子に会わせてほしい」と、病理の先生に頼み込んでいたのです。卒業前、わたしは小児科に進むつもりでした。けれど入局は認められませんでした。何をしたいのかと聞かれ、「子どもを亡くす母親に寄り添いたい」と答えたわたしに返ってきたのは、「一緒に泣けばいいと思っているのか」という言葉でした。わたしは「一緒に泣いてあげることには、価値があります」と言い返しました。
あの言葉は長いあいだ、心に刺さったままでした。今は、子どもの死に毎日向き合う職場で、わたしがつらい思いをしないようにという配慮もあったのだと思っています。その後わたしは内科に進み、時を経て、臨床遺伝専門医の道を歩み始めました。
「これ、わたしじゃん」——3回の出産は2分の1の賭けだった
日常生活に支障がなかったこともあり、わたしは自分の病気のことをほとんど忘れて暮らしていました。臨床遺伝専門医の試験勉強をしていたある日、羽田空港のラウンジで教科書を読んでいて、ある病気の記述に目が止まりました。「……これ、わたしじゃん」。
そこには、この病気が常染色体顕性(優性)遺伝であること、そしてゲノムインプリンティングがあることが書かれていました。母親であるわたしから子どもに伝われば、子どもはわたしより重い状態になる。3回の出産は、どれも本当に2分の1の賭けだったのです。気づいたのは、3人を産んだあとでした。血の気が引きました。
「知ってたよ」——夫への怒りと、自己決定権
家に帰るなり、わたしは夫に詰め寄りました。自分が医師なのに知らなかったことはすっかり棚に上げて、「知ってたの? 何を考えて子どもをつくったの!」と。夫は、あっさり「知ってたよ」と答えました。付き合い始めたころ、大学の図書館でわたしの病気を調べていたそうです。子どもが生まれるたびに、こっそり手の骨を確かめていたとも聞きました。「病気の子だったらどうするつもりだったの?」と聞くと、「育てるつもりだった」と言いました。
夫の覚悟と愛情はわかります。それでも当時のわたしは、それ以上に腹が立ちました。知っていたのに教えてくれなかったことで、自分で決める権利を奪われたと感じたのです。
出産は「賭け」であってはいけない
3人の子どもたちは、病気を受け継ぎませんでした。どの子もかわいくてたまりません。けれど、それは結果としてそうだっただけで、わたしが何かを選べたわけではありません。もし子どもの誰かに病気が伝わっていたら、わたしは一生「健康に産んであげられなくてごめんね」と思いながら生きていたでしょう。
今の時代、出産は「賭け」であるべきではない。わたしは強くそう思っています。遺伝医療は、知ることで、選ぶための扉を開くものです。知ったうえで、自分で選べること。それが、わたしが出生前診断の仕事を続ける理由の一つです。
🩺 院長コラム【「知る権利」と「自己決定権」】
わたしは、自分の病気について知らされていなかったことで、自分で決める機会を失いました。だからこそ、出生前診断は「知る権利」を使い、自分たちの人生を自分たちで決めるための手段だと考えています。
同時に、知らないでいる権利もあります。検査を受けないという選択も、結果を受けてどうするかという選択も、どれも尊重されるべきものです。わたしの役目は、その選択に必要な正確な情報をお渡しすることだと考えています。
臨床遺伝専門医をやめようと思った日と、師匠の言葉
自分が当事者だと突きつけられ、わたしは修練の途中で大きく揺らぎました。もっと医学が進んで出生前診断が全ゲノムに広がったら、わたしのような人はもう生まれてこられないかもしれない。そんな世界で、当事者のわたしが気持ちを乱さずに患者さんと向き合えるのか。わたしは泣きながら、指導医の玉置知子先生に「専門医になるのはあきらめます」と伝えました。
💬 師匠がかけてくれた言葉
「あなたにしかできないことが、必ずあります。つらいことは全部わたしにぶつけなさい。わたしも遺伝の専門医だから、大丈夫。」
それからしばらく、研修に行っては泣くわたしと、それを受け止めてくれる師匠、という日々が続きました。たくさんの方に支えられて、わたしは臨床遺伝専門医になりました。今も、つらいときは師匠に話を聞いてもらい、心を軽くしてから仕事に戻ります。事実は変えられなくても、心の負担は軽くできる。それは、わたし自身が受け止めてもらった経験から学んだことです。
4. 2011年——医師たちとの再会と救済
死産から19年後の2011年、わたしは遺伝の専門医になるための研修を受けていました。その年、思いがけない再会が続きました。
空港での再会
あのころ、集中治療室で泣いているわたしに厳しい言葉をかけた先生と、空港で偶然再会しました。その先生は、「あの日は外から戻ったばかりで、事情を知らなかった。悪かった」と、正面から謝ってくれました。
当時の主治医との再会——師匠と3人で
間もなく、当時の主治医の先生から「会いに行きたい」と連絡がありました。一度は断りましたが、師匠が「一緒に会うから大丈夫」と言ってくれ、3人で会いました。先生は、当時の方針に逆らえなかったことを話してくれました。「あなたは、わたしにとって最も後悔している患者です」という言葉を聞いて、わたしは救われました。
医師の行動は患者を傷つけるし、救うこともある
それでも、あんなことはなかったほうがよかった。トラウマは消えません。何年たっていても、医師がちゃんと向き合ってくれることで、患者は救われる。医師の行動は、患者を傷つけることもあれば、救うこともある。わたしはそのことを、身をもって教わりました。
5. 「一緒に泣く」ことの価値——わたしにしかできないこと
「一緒に泣けばいいと思っているのか」と言われたあの日から、わたしはずっと、その問いの答えを探してきました。今のわたしの答えは、一緒に泣くことにも、医師としての意味がある、ということです。涙を拭いたあとに、次に何ができるかを正確な情報で示す。その両方がそろって、はじめて人は自分で決められるのだと考えています。
完璧な遺伝子なんてない。幸せかどうかは心が決める
では、病気の遺伝子を持って生まれてきたわたしは不幸でしょうか。いいえ。わたしはたくさんの人に気にかけてもらい、大事にされて生きています。わたしは、幸せだと思っています。そう思えるようになるまでには時間が必要でしたが、今は胸を張って言えます。幸せかどうかは、病気や障害があるかどうかでは決まりません。決めるのは、いつも本人の心です。
🩺 院長コラム【遺伝子に「完璧」はありません】
完璧な遺伝子を持つ人は、この世に一人もいないと考えています。遺伝子に変化があることと、不幸であることは同じではありません。
だからといって、「産めば幸せになれる」と誰かに言うつもりもありません。どの道を選んでも、その人にとっての正解になりえます。わたしは、「自分で考えて、自分で決めた」と思える選択を支えたいと考えています。
わたしを見て、あなたが決めてください
検査で陽性とわかっても、「その子の可能性を信じて産む」という選択があります。「産まない」という選択もあります。その決定に、わたしが口を出す権利はありません。決めるのは、あなたです。
だからこそ、わたしを見てほしいと思います。女性で、母親で、医師で、臨床遺伝専門医で、そして遺伝性疾患の当事者でもあるわたしを見て、命とは何か、生きるとは何か、幸せとは何かを考えてみてください。答えは一つではありません。けれど、不安で押しつぶされそうなときは、遺伝子の変化を持ちながら幸せに生きている医師がここに一人いることを、思い出してください。
6. ミネルバクリニックの想い——正確性と心のケアを最優先に
ここまでの経験を、わたしが出生前診断にこだわる理由として3つにまとめ、それを当院の体制にどう形にしているかを、事実でお伝えします。
わたしが出生前診断にこだわる3つの理由
🩺 出生前診断にこだわる3つの理由
| 理由 | わたしの経験とのつながり |
|---|---|
| ① 出産を「賭け」にしない | 3回の出産は、どれも2分の1の賭けでした。知ったうえで選べる時代に、偶然に任せる必要はないと考えています。 |
| ② 女性を妊娠・出産のトラウマから守る | 子どもを失い、その子に会えなかったことは、わたしと家族に長い影を落としました。同じ思いをする人を一人でも減らしたいと思っています。 |
| ③ 決めるのはご本人 | 「産んでいいことになった」と会議で決められたこと、知らされずに賭けをしていたこと。どちらも、自分で決める権利が守られていませんでした。 |
③については、海外の学会も同じ考え方をとっています。米国産科婦人科学会(ACOG)は、年齢などにかかわらずすべての妊婦さんに出生前の検査について情報を提供し、検査を受けるか受けないかは説明を受けたうえで本人が決める、という考え方を示しています[3]。
3つの備え(トリプルリスクヘッジ)
3つの理由は、当院の出生前診断の体制にそのままつながっています。陽性のときに「お金」「時間」「心」のどれかが理由で、確かめる前に決めなくてすむように備えています。
🏥 当院の出生前診断の体制
| 備え | 当院の体制 |
|---|---|
| 💰 お金:費用を理由に確定検査をあきらめない | NIPTを受ける方は全員、2つの互助会に加入します。カトレア会(8,000円)は陽性時の確定検査の費用を補助し、安心検査結果保障制度(6,000円)は再検査が必要になったのに流産して再検査ができなかった場合に検査代金を返金します。 |
| ⏱️ 時間:陽性のとき、すぐに確かめられる | 2025年6月から、羊水検査・絨毛検査を院内で行っています。主要な検査項目は3日以内に、マイクロアレイ検査は2週間ほどで結果が出ます。 |
| 💗 心:一人で抱えこまない | 常駐する臨床遺伝専門医が、検査の前から結果のあとまで担当します。陽性のカウンセリングは何度でも無料です。 |
NIPTは可能性を調べる検査で、陽性は確定ではありません。陽性のときは、確定検査で本当にそうかを確かめてから考えることが大切です。当院では、その確定検査まで院内で受けられます。陽性後の流れはNIPT陽性後のサポート体制にまとめています。
遺伝カウンセリング料金が含まれている理由
当院のNIPTの料金には、遺伝カウンセリング・4Dエコー・性別判定が含まれています。90分の受診枠の中で、常駐する臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行います。検査の前に「何を調べ、何を調べないのか」を知ることが、あとで自分で決めるための土台になると考えているからです。遺伝カウンセリングとは何かは遺伝カウンセリングとはで、当院の医師については医師紹介をご覧ください。
いつから受けられ、何を調べられるか
当院のNIPTは妊娠9週から受けられます。妊娠6〜8週は臨床研究として受けられます。結果は基本10〜14日です(インペリアルプランの単一遺伝子だけ3〜4週間)。遠方の方はオンラインNIPTで、説明をオンラインで受け、採血は全国110か所の提携施設で行えます。
調べる範囲はプランによって違います。どこまで調べたいかは、ご家族によって答えが変わります。一部の自閉症・発達障害の原因になる染色体や遺伝子の変化も、プランによっては調べられます(自閉症とNIPT)。
🏥 知ったうえで、あなたが選べるように
90分の受診枠の中で、常駐する臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行います。陽性のときは確定検査(羊水検査・絨毛検査)まで院内で受けられ、主要な検査項目は3日以内に結果が出ます。当院のNIPTは妊娠9週から受けられます(妊娠6〜8週は臨床研究)。
まだ決めていない方は NIPTトップ から各プランをご覧ください。NIPT専用ダイヤル:03-3408-3768
よくある質問(FAQ)
Q1. なぜ院長は出生前診断にこだわるのですか?
出産を「賭け」にしてほしくないからです。院長は遺伝性疾患の当事者で、3回の出産はどれも子どもに伝わるかどうか2分の1の賭けでした。双子の一人を死産で亡くし、その子に会えなかった経験もあります。知ったうえで自分で選べるようにすること、妊娠・出産のトラウマから女性を守ること、決めるのはご本人であることを大切にしています。
Q2. 院長自身も遺伝性疾患の当事者なのですか?
はい。偽性偽性副甲状腺機能低下症という常染色体顕性(優性)遺伝の病気の当事者です。この病気にはゲノムインプリンティングという仕組みがあり、母親から子どもに伝わると、ホルモンが効きにくくなる偽性副甲状腺機能低下症1A型という、より重い状態になります。
Q3. 「出産は賭けであってはいけない」とはどういう意味ですか?
院長が出産したころは、子どもに病気が伝わっているかを調べる方法がなく、3人の子どもが病気を受け継がなかったのは結果としてそうだっただけでした。今は、知ったうえで選べる検査があります。偶然に任せるのではなく、知ったうえで自分で選べるようにしたい、という意味です。
Q4. NIPTで陽性だった場合、産むか産まないかは誰が決めるのですか?
ご本人とパートナーが決めます。医師は情報を伝え、選択肢を示しますが、決める立場にはありません。検査を受けないこと、確定検査に進まないことも含めて、どの選択も尊重されます。
Q5. 陽性だったら、ミネルバクリニックではどうなりますか?
陽性のカウンセリングは何度でも無料で受けられ、確定検査(羊水検査・絨毛検査)もそのまま院内で受けられます。主要な検査項目は3日以内に、マイクロアレイ検査は2週間ほどで結果が出ます。確定検査の費用は、全員が加入する互助会(カトレア会)が補助します。
Q6. 遺伝性疾患があっても幸せになれますか?
院長は、幸せかどうかは病気や障害があるかどうかでは決まらず、本人の心が決めると考えています。院長自身、遺伝性疾患の当事者として、たくさんの人に大事にされて幸せに生きていると話しています。ただし、それを誰かに押しつけるつもりはありません。
Q7. 検査を受けるか迷っています。まず何を見ればよいですか?
料金と各プランで調べられる範囲、施設の選び方を先に確認すると、考えを整理しやすくなります。当院の受診はNIPTを受けることを前提にしており、90分の受診枠の中で、常駐する臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行います。
関連記事
参考文献
- [1] Mantovani G, Bastepe M, Monk D, et al. Diagnosis and management of pseudohypoparathyroidism and related disorders: first international Consensus Statement. Nat Rev Endocrinol. 2018;14(8):476-500. [PubMed 29959430]
- [2] Hillman SC, Morris RK, Kilby MD. Co-twin prognosis after single fetal death: a systematic review and meta-analysis. Obstet Gynecol. 2011;118(4):928-940. [PubMed 21934458]
- [3] American College of Obstetricians and Gynecologists. Screening for Fetal Chromosomal Abnormalities: ACOG Practice Bulletin, Number 226. Obstet Gynecol. 2020;136(4):e48-e69. [PubMed 32804883]
※本記事は院長の経験と考え方をお伝えするもので、個別の診断や治療方針を示すものではありません。記事の作り方は編集方針をご覧ください。






