院長・スタッフ紹介 更新日05/26/2019

仲田洋美

院長 仲田洋美

初めまして。仲田洋美(なかたひろみ)
と申します。
日本内科学会内科専門医、日本臨床腫瘍学会
がん薬物療法専門医、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医として従事しております。
平成7年、高知医科大学医学部医学科を卒業し、医師国家試験に合格し、
血液・呼吸器内科医として医師人生をスタートしました。
その後、腫瘍性疾患の化学療法医としての経験を活かして
臓器横断型腫瘍内科医に転向しましたが、
臓器を限定せず診療すると「遺伝性腫瘍」に遭遇する機会が増加し、
扱う専門家が殆どいないことに驚き、遺伝専門医となることを決意しました。

国立がん研究センター東病院に,当時まだ保険収載もされていなかった
大腸がんのK-ras遺伝子変異の検出方法について実習に行ったんですよね.
2009年秋の事です.
柏にある東大の大学院に次世代シークエンサーNGSが2台入り,日本のNGS時代が幕を開けたところでした.
わたしの指導に当たった土原先生は言いました.

そのうち細胞1個から全ゲノムが読める時代が来る.
急速に技術が進歩し,時代が流れているのに,その技術革新を臨床に戻せる,
つまり患者に説明できる医師が一人もいない.
大変由々しき問題だ.
君は遺伝専門医になれ.

そうしてわたしは,重い腰を上げるかどうか悩みに悩みました.
そのころ私は,がん薬物療法専門医を受験しようとお勉強していた最中で.
がん薬物療法専門医もがんの分野のありとあらゆる知識と経験を要求されるので
合格率も低く,全然増えない難関専門医です.
専門医になるお勉強をするのに,がんの分子生物学の本を読破する事から始めた私は
吐きそうになるくらいお勉強して,2010年に受験しようとしていました.

そのうえ遺伝専門医にならなければならない,とすると,全然やったことのないお勉強が待っている.
とても迷いました.

誰だって,困難な道をわざわざ選択したくはないですよね?
わたしもそうでした.
当時のわたしの睡眠時間は一日2-3時間.
一日中,お勉強と仕事でした.

わたしは研修医の時から血液内科だったので,がんの分野はなじみがある分野で
臓器横断型腫瘍内科医になったとき,
やったことのなかった分野の研鑽をするのが大変だっただけです.
それでも睡眠時間がないくらいお勉強だったのに
新しい分野を「専門医」として診療できるようになるまでには
また,死ぬほどお勉強しないといけない.

そりゃ,当然しり込みしますって! わたし,普通の人ですから.
頭悪いし.

でも.
誰かがやらないといけない事で
誰もやらなくて
わたしが出来ることならば
わたしがしよう.

どんな状況でもそう思える人でありたい.
わたしはそう思う事をやめられませんでした.

だから.最終的には重い腰を上げる事にしました.

調べてみると
すでにBRCA1/2遺伝子変異による遺伝性乳癌卵巣がんが
受精胚の段階で着床前診断の対象になっている国が4か国ありました.
いずれがんの世界に着床前診断が持ち込まれる時代が来る.
そう直感して震撼しました.

そして,2010年春,学会に入って遺伝専門医の研修届を出しました.
このとき,遺伝の分野と全く関係なかったわたしの推薦人は学会が用意することになり
兵庫医科大学の当時の教授,玉置先生がなりました.
兵庫医大に大学院から国内留学の手続きを取ってもらって研修しました.

兵庫医大は日本で一番ふるい遺伝診療部がある病院です.
幅広い遺伝の問題を抱えた患者さんが来ます.

研修の過程で当然,出生前診断も経験します.

開業して新型出生前診断などを扱うようになったのも
こうした経験と信念から.

何を選択してどのように生きるかということは、大変重要です。
正解も不正解もないからこそ、
きちんと理解した上で自己決定をしていただける環境をつくり,
自己決定権を最大限行使していただけるように支援することが
専門医として一番大切だと思います。

あまり環境がよろしくなかった歌舞伎町から,北青山に移転し,落ち着いて診療できるようになりました.

「遺伝子診療をちまたで」

「今日の先進医療、明日の地域医療」

「地域にこそ専門医」

が当院のコンセプトです.

遺伝専門医は大学病院にしかいなくて,
しかも本当に横断型(小児科,産婦人科といった診療科にとらわれて診療することがなく,
遺伝に関係する状態を総合的に診療する)専門医はほとんどいません.
ですので,そうした大学病院に劣らない専門性の高い医療を,利便性との均衡を図りながら皆様に提供したい.

今日の先進医療は,時代の流れとともに一般医療になっていきます.

地域にこそ専門医はいて,診療を求める患者さんたちに
ウイークデーじゃないと診療しない,という態度ではなく
フロントラインで診療すべき,というのがわたしの考えです.

今まで以上に皆様のお役にたてる医療機関に成長していきたいと存じます。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

院長経歴 2019年現在医師歴25年

  • 1995年 高知医科大学医学部医学科卒業
  • 1995年 高知医科大学医学部第三内科学教室(血液・呼吸器・感染症内科学教室)入局
  • 2005年 高知医科大学第二外科学教室(心臓血管外科・消化器外科・呼吸器外科・乳腺外科)入局
  • 2005年 高知医科大学第二外科学教室助教
  • 2011年 兵庫医科大学医学部付属病院臨床遺伝部

 

  • 2014年12月 新宿ミネルバクリニック開院
  • 2018年3月 移転の為、新宿ミネルバクリニック閉院
  • 2018年3月 神宮外苑ミネルバクリニック開院

所属学会

専門医・認定医・その他

  • 日本内科学会認定内科専門医
  • 日本臨床腫瘍学会認定がん薬物療法専門医
  • 臨床遺伝専門医制度委員会認定臨床遺伝専門医
  • 日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア指導医
  • 麻酔科標榜医
  • ICD制度協議会認定インフェクションコントロールドクター
  • 日本化学療法学会認定抗菌化学療法認定医
  • 日本癌治療学会認定がん治療認定医

活動報告

2013年8月 日本臨床腫瘍学会学術集会において会長シンポジウムの講師を務める。
同年、日経BP社より出版された「がん診療 UP TO DATE」の分担執筆者を務める
2014年5月 日経メディカルオンラインに、執筆者リレーエッセイを寄稿。

 

ヒポクラテスの木

院長・スタッフ紹介

高知医科大学医学部医学科6年生のころ。

臨床実習中に、友人が撮影したものです。
後ろには、ヒポクラテスの木。
医学の祖、ヒポクラテス(紀元前460-375)は、
エーゲ海のコス島で生まれました。
コス市には樹齢3000年と言われる大きなプラタナスの樹があるのですが、
ヒポクラテスがこの樹木の下で医学セミナーを開いたことから人々が
この大樹を医学のシンボルとみなして、「ヒポクラテスの木」と呼ぶようになりました。
その若木が広く世界中に植樹されています。
この木はプラタナスという名前の木で、
私たちを教育してくれた先生たちの思いがプラタナスに込められています。
卒業して20年が経過しやっと理解できるようになりました。
プラタナスの木にふざけて聴診器をあてたりした学生時代には戻れませんが、
大学時代、無邪気に幸せに育んでいただいたからこそ、
医師になってからいろんな壁に衝突し、
数えきれないほどの挫折を経験してもなんとか起き上って、
「まだ頑張れる」と自分を信じることが出来たのだと思います。
さまざまな経験をしてきて気が付けば、
内科専門医、
がん薬物療法専門医、
臨床遺伝専門医
という3枚の専門医資格を持つ国内唯一の医師となっていました。

しかし、ここがスタートラインです。
がんと遺伝の専門医として、遺伝性腫瘍の診療体制の整備に
微力ながら尽力していきたいと思います。
ハイヒールでエベレストに登ろうとしている、
わたしはそう表現されるくらい難しい道を選択してきました。
しかし、困難な課題だからこそ、取り組まねばならない。
私はそう思います。
そして.
言い続けたら第三次がん対策基本計画に遺伝性腫瘍に対する取り組みを入れてもらえました.

頑張ろう.
素直にそう思えるのも、
支援してくださるたくさんの方々がいらっしゃるからなのだと本当に感謝しています。
皆様、プラタナスの木のように、これからもどうぞ、
このお転婆で天然な専門医を見守ってくださいますようお願い申し上げます。
なお、ミネルバという名前に込めた思いがあるのですが、
医業広告規制に抵触する可能性があるためお伝えできることに限りはあるのですが
常に患者さんのために課題解決をしていきたいと思います。


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