私がNIPTを行う理由。
遺伝病患者であり専門医である院長の想い
ミネルバクリニック院長 仲田洋美より
私は臨床遺伝専門医であり、同時に希少遺伝性疾患の患者でもあります。「陽性だったらどうしよう」「育てられるだろうか」…NIPTを前にして不安な夜を過ごしているあなたへ。医師として、そして当事者として伝えたい「命と幸せの真実」を綴りました。
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当事者としての告白 → 「もしNIPTがあったら、私は生まれていなかったかもしれない」という複雑な想い。 -
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羽田空港での衝撃 → 専門医への勉強中、自分が患者だと気づいた瞬間。そして夫との修羅場。 -
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あなたへのメッセージ → 出産は「賭け」であってはいけない。そのために私がいます。
1. 私は「医師」であり、「希少遺伝性疾患の患者」です
この記事の著者であり、ミネルバクリニックの院長を務める私、仲田洋美は臨床遺伝専門医でもあるのですが、実は希少常染色体優性遺伝性疾患の患者でもあります。
NIPTなどの出生前診断の技術は日々進歩しています。もう少し技術が進めば、ダウン症候群のような染色体の「数」の異常だけでなく、「質」の異常、つまり何の病気を持って生まれてくる子なのか、より詳細にわかるようになるでしょう。そんな日は遠くありません。
💡 用語解説:常染色体優性遺伝
ヒトの遺伝子のうち、性別に関係ない「常染色体」にある遺伝子の変化によって起こる遺伝形式の一つ。両親のどちらかがその遺伝子を持っている場合、50%の確率で子供に遺伝します。私はこの当事者として生きてきました。
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2. 「もしNIPTがあったら、私は生まれてこなかったかもしれない」
もしも私が母親の子宮に着床したとき、今のような精度の高い出生前診断の時代だったらどうなっていたでしょう。
私は中絶されて、この世に生まれてこれなかったかもしれません。
一度、「もしわかっていたら、それでも私を産んでくれたの?」と母に聞いてみたことがあります。
しかし、その時すでに認知症が進行していた母には質問の意味をろくに理解できず、まともな答えは返ってきませんでした。父も亡くなりましたので、もう誰にも聞けません。
出生前診断の最前線にいる医師として、そしてその診断対象となりうる患者として。私は常にこの複雑な思いと向き合い続けています。
だからこそ、強制はできません
「私は生きていて幸せだから、あなたも絶対に産んでくれ」とは言えません。お母さんにそれを強制することは誰にもできません。それぞれの家庭に、それぞれの事情と人生があるからです。
3. 羽田空港のラウンジで、「私だ」と気づいた日
今でこそ「臨床遺伝専門医」を名乗っていますが、私が自分の疾患について真実を知ったのは、まさにその専門医になるための勉強をしていた時でした。
ある日、羽田空港のラウンジで専門医試験の勉強をしていました。
教科書を読み進めていると、ある希少常染色体遺伝性疾患の記述に目が止まりました。
「あれ?……これ、私のことじゃん?」
血の気が引きました。
そこには、その病気が「常染色体優性」であること、そして「ゲノムインプリンティング」があることが記されていました。
私は母親なので、もし子供たちに遺伝させてしまうと、重たい知的障害が加わった「重症型」を発症してしまうリスクがあったのです。
夫への怒りと、「自己決定権」
家に帰るなり、私は夫(彼も医師です)に詰め寄りました。
自分が医師でありながら知らなかったことは、すっかりくっきり、きれいさっぱり棚に上げて、大激怒しました(笑)。
「ねえ!私の疾患って常染色体優性で、しかもインプリンティングがあるって知ってたの!?」
「私は母親だから、子供に伝達すると知的障害のある重症型になるのよ!?」
「あなた、一体何考えてこどもつくったのよ!!!」
すると夫は、こともなげにこう言いました。
「知ってたよ」
夫は私と付き合い始めた頃、大学の図書館に毎日こもって私の病気について調べ尽くしていたそうです。
そして、子供が生まれるたび、毎回こっそりと「手の骨」を確認していたそうです。そこに特徴が出るからです。
「病気の子どもだったらどうするつもりだったの?」と聞くと、彼はあっさりと答えました。
「育てられるつもりだった」
彼の愛情の深さはわかります。
でも、当時の私は、それ以上に腹が立ちました。
「知ってたのに教えてくれなかった」ことで、私の『自己決定権』が奪われたと感じたのです。
出産は「賭け」であってはいけない
結果的に、私たちには3人の子供がいて、どの子も可愛くてたまりません。
たまたま、運良く、正常な遺伝子のほうが3人に伝達されただけです。
でも、これは「結果オーライ」だったに過ぎません。
私にとって、出産は1/2の「賭け」でした。
私は強く思います。
今の時代、出産は「賭け」であるべきではありません。
もしもこどもたちの誰かが疾患を発症していたら、わたしは一生、「健康に産んであげられなくてごめんね」「自分のせいでこどもがこうなったんだ」と思いながら生きていくことになったでしょう。
その葛藤を、偶然に任せてはいけないのです。
4. 実は、「臨床遺伝専門医」になるのをやめようと思ったことがあります
その一件もあり、私は修練過程で大混乱に陥りました。
「自分が希少常染色体遺伝性疾患患者である」という現実を突きつけられ、「この先、当事者である私が、専門医として患者さんに向き合う自信がない」と思い詰めました。
そこで、指導医である玉置知子先生に「専門医になるのをやめたい」と申し出ました。
その時、玉置先生はこうおっしゃいました。
「やめてはいけません。
あなたにしかできないことが必ずあります。
大丈夫よ。わたしも専門医なので。
つらいことは全部わたしに吐き出しなさい。あなたを必ず支えます。」
師匠にここまで言われてしまっては、逃げ出すわけにはいきません。
私はその言葉に支えられ、覚悟を決めて専門医への道を歩み続けました。
今、私がみなさんの悩みや不安を全力で受け止められるのは、私自身がそうやって受け止めてもらい、支えてもらった経験があるからです。
女性であり、母親であり、医師であり、臨床遺伝専門医であり、そのうえ希少常染色体遺伝病患者でもある。
これら全ての立場を持つ私だからこそ、悩み、葛藤する女性たちに力強く手を差し伸べたいのです。
5. 完璧な遺伝子なんてない。幸せは「心」が決める
それでは、わたしはこんな病気の遺伝子を持って生まれてきて不幸でしょうか?
いいえ。私はたくさんの人たちに気にしてもらい、大事にされて生きています。
私は、幸せだと思っています。
もちろん、そう割り切れるようになるまでには時間が必要でした。
先ほどお話ししたように、自分の運命を呪い、逃げ出したくなった夜もありました。
それでも今、私は胸を張って言えます。
幸せの条件とは?
幸せになるかどうかは、病気かどうかや、障害があるかどうかでは決まりません。
お金があっても、権力があっても、幸せは買えません。
「幸せかどうか」を決めるのは、いつだって本人の心です。
人生に完璧はない
望んだ通りの人生を歩める人なんて、世の中にはいません。
仮に望んだ通りの人生を歩んだとしても、それが幸せとは限りません。
完璧な遺伝子なんてないのです。
6. わたしを見て、話を聞いて、あなたが決めてください
もしもNIPTで陽性になっても、染色体の数に異常があるとわかっても、「その子の可能性を信じて産む」という選択もあります。
もちろん、「産まない」という選択もあります。
その決定にわたしが口を出す権利はありません。自己決定権はあくまでもあなたのものなのですから。
だからこそ、とにかく「私」を見てほしいのです。
私が希少常染色体優性遺伝性疾患患者であるのは事実です。骨格異常があるので隠せません。
そして、私を見て考えてほしいんです。
命とは何か。
生きるとは何か。
幸せとは何か。
答えは一つではありません。
でも、不安で押しつぶされそうな時は、思い出してください。
ここに一人の、遺伝子異常を持ちながらも、幸せに生きている医師がいることを。
わたしは、あなたを待っています。

