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妊娠と甲状腺疾患の関係|バセドウ病・橋本病と胎児の発育・不妊・流産

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

ミネルバクリニック院長。臨床遺伝専門医として遺伝医療に携わっています。

妊娠と甲状腺疾患の関係をご存知でしょうか。流産の経験がある女性や不妊症の女性は、産婦人科で甲状腺ホルモンを測定したことがあるでしょう。甲状腺ホルモンは、赤ちゃんの脳や神経の発達に欠かせないホルモンで、妊娠中は母体の甲状腺にかかる負担が大きくなります。この記事では、妊娠中の甲状腺ホルモンの役割、妊娠中の甲状腺機能亢進症(バセドウ病など)と甲状腺機能低下症(橋本病など)、不妊・流産との関係、食事とヨウ素について解説します。甲状腺の薬を飲んでいる方は、妊娠がわかっても自己判断で薬をやめず、すぐに主治医に連絡してください。

この記事でわかること
📖 読了時間:約12分
🦋 バセドウ病・橋本病・妊娠
★ 臨床遺伝専門医監修

Q. 甲状腺の病気があっても妊娠・出産はできますか?

A. 甲状腺ホルモンの値を正常に保つ治療を続けることで、多くの方が妊娠・出産しています。治療されていない甲状腺機能の異常は、流産・早産や妊娠高血圧症候群などとの関連が報告されているため、妊娠前から妊娠中を通して血液検査で値を確認し、薬の量や種類を調整します。バセドウ病の薬のチアマゾール(MMI)は、妊娠初期の一定期間は避けることが国内のガイドラインで推奨されています。

  • ➤妊娠と甲状腺 → hCGやエストロゲンの影響で、妊娠中は甲状腺ホルモンの必要量が増える
  • ➤赤ちゃんへの影響 → 妊娠前半は、赤ちゃんの脳の発達に必要な甲状腺ホルモンを母体からの供給に頼っている
  • ➤機能亢進症 → 多くはバセドウ病。妊娠初期は薬の選び方に注意が必要
  • ➤機能低下症 → 多くは橋本病。妊娠がわかったら甲状腺ホルモン薬の増量が必要になることが多い
  • ➤遺伝の視点 → 自己免疫性甲状腺疾患は家族内で起こりやすいが、1つの遺伝子で決まる病気ではない

1. 甲状腺とは?妊娠中に甲状腺はどう変わる?

甲状腺と甲状腺疾患

甲状腺の位置

甲状腺は、首の前側(のどぼとけの下)にある、蝶が羽を広げたような形の小さな臓器です。上の画像の濃いピンク色の部分にあたります。甲状腺は甲状腺ホルモン(T4・T3)を作っており、このホルモンは体のエネルギーの使い方を調節して、心臓の拍動や体温、腸の動きなど、ほぼすべての臓器の働きに影響しています。

甲状腺ホルモンが多すぎる状態を甲状腺機能亢進症、少なすぎる状態を甲状腺機能低下症といいます。どちらであっても、定期的に血液検査を受け、医師から処方された薬で値を整えることで、健康的に妊娠し、赤ちゃんの健康を守ることができます。

妊娠中の甲状腺の3つの変化

正常な妊娠でも、甲状腺のはたらきには大きな変化が起こります。主な変化は次の3つです[1]。

🦋 妊娠中に甲状腺に起こる主な変化

変化 しくみ 甲状腺への影響
TBG(サイロキシン結合グロブリン)の増加 エストロゲンが肝臓でのTBGの産生を促し、血中TBGが妊娠前の約2倍になる 結合型ホルモンが増え、甲状腺はより多くのホルモンを作る必要がある。総T4・総T3は上昇する
hCGによる甲状腺の刺激 hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)はTSH(甲状腺刺激ホルモン)と構造が似ており、TSH受容体を刺激する hCGが最も高い妊娠初期にはTSHが低めになる。一過性の甲状腺機能亢進症が起こることもある
ヨウ素の必要量の増加 腎臓からのヨウ素の排泄が増え、胎児へも移行する 甲状腺ホルモンの材料であるヨウ素が、妊娠中はより多く必要になる

※米国甲状腺学会(ATA)ガイドライン[1]をもとに作成。

甲状腺に余力がある人では、これらの変化にほとんど気づかないまま適応できます。しかし、もともと甲状腺のはたらきが少し弱い人(潜在性甲状腺機能低下症など)では、妊娠による需要の増加をまかないきれず、はっきりした甲状腺機能低下症になることがあります。また、妊娠中は甲状腺ホルモンの基準値そのものが妊娠していないときと変わるため、検査値は妊娠時期に応じて評価します[1]。

2. 甲状腺ホルモンと赤ちゃんの発育

甲状腺ホルモンは、赤ちゃんの脳や神経系の正常な発達に欠かせません。神経細胞の移動、神経細胞どうしをつなぐシナプスの形成、神経線維を包む髄鞘(ミエリン)の形成など、脳ができあがっていく過程に深く関わっています。甲状腺ホルモンの受容体は、赤ちゃんが自分で甲状腺ホルモンを作れるようになる前から胎児の脳に存在しています。

赤ちゃんの甲状腺は妊娠10〜12週ごろからホルモンを作り始めますが、十分な量を作れるようになるのは妊娠後半です。それまでは、胎盤を通して届く母体の甲状腺ホルモン(主にT4)に大きく頼っています[1]。

妊娠初期母体のT4に依存
▶
妊娠10〜12週ごろ胎児の甲状腺が働き始める
▶
妊娠後半胎児自身のホルモンが主体に
▶
出生後新生児マススクリーニングで確認

妊娠中に、治療されていない母体の甲状腺機能低下症があった場合、生まれた子どものIQなどの発達検査の結果がやや低かったとする報告があります[2]。一方で、症状のない軽い異常(潜在性甲状腺機能低下症)を妊娠8〜20週ごろに見つけて治療しても、子どもの知能の結果は変わらなかったとする大規模な臨床試験もあります[3]。はっきりした甲状腺機能の異常は治療が必要で、軽い異常をどこまで治療するかは、値や抗体の有無から主治医が判断するというのが現在の考え方です[1]。

3. 妊娠中の甲状腺機能亢進症(バセドウ病など)

妊娠中の甲状腺機能亢進症の症状

甲状腺機能亢進症の症状のうち、脈が速い、暑がりになる、疲れやすいといった症状は、正常な妊娠でもよく起こるため見分けにくいことがあります。脈が速くて不規則、手がふるえる、体重が減る・妊娠中なのに体重が増えないといった症状は、甲状腺機能亢進症の手がかりになります。気になる症状があれば、かかりつけの産婦人科に相談してください。

原因はバセドウ病と妊娠一過性甲状腺機能亢進症

妊娠中の甲状腺機能亢進症の主な原因は、バセドウ病と「妊娠一過性甲状腺機能亢進症」です。

バセドウ病は自己免疫疾患です。免疫のしくみがTSH受容体に対する抗体(TRAb、甲状腺刺激抗体)を作り、この抗体がTSHの代わりに甲状腺を刺激し続けるため、甲状腺ホルモンが作られすぎます。もともとバセドウ病がある人は、妊娠中期以降は免疫のはたらきの変化によって症状が落ち着くことが多く、出産後数か月で再び悪化しやすいことが知られています[1]。

妊娠一過性甲状腺機能亢進症は、妊娠初期に高くなるhCGが甲状腺を刺激して起こるもので、つわりが重い人(妊娠悪阻)に多くみられます。TRAbは陰性で、hCGが下がる妊娠中期までに自然におさまることがほとんどです。ATAのガイドラインでは、この場合は抗甲状腺薬を使わず、嘔吐や脱水への対応を中心にするとしています[1]。妊娠初期にはこの2つを見分けることが大切です。

このほか、まれに甲状腺のしこり(結節)がホルモンを作りすぎることもあります。

治療しない甲状腺機能亢進症が妊娠に与える影響

甲状腺ホルモンが高いまま妊娠を続けると、流産・早産、低出生体重、妊娠高血圧症候群、母体の心不全や甲状腺クリーゼ(甲状腺ホルモンの急激な作用による危険な状態)などのリスクが高まることが報告されています[1]。そのため、妊娠を希望する場合は、妊娠前から甲状腺機能を正常に保っておくことが勧められます。

TRAbと赤ちゃんの甲状腺

TRAbは胎盤を通って赤ちゃんに移行するため、母体のTRAbが高いと、赤ちゃんの甲状腺が刺激されて胎児・新生児の甲状腺機能亢進症が起こることがあります。これは、手術や放射性ヨウ素(アイソトープ)治療でバセドウ病が治っている人でも起こりえます。治療で甲状腺がなくなっても、TRAbは体内に残っていることがあるためです。

ATAのガイドラインでは、バセドウ病の治療歴がある人や治療中の人は、妊娠初期にTRAbを測り、高い場合は妊娠18〜22週ごろに再検査することを推奨しています[1]。過去に手術や放射性ヨウ素治療を受けたことがある方は、必ず妊婦健診を担当する医師に伝えてください。

新生児の甲状腺機能亢進症では、脈が非常に速い、体重が増えにくい、機嫌が悪い、甲状腺が腫れるといった症状がみられ、頭の骨のつなぎ目(頭蓋縫合)が早く閉じてしまうことがあります。腫れた甲状腺が気管を圧迫して、呼吸が苦しくなることもあります。バセドウ病の母体から生まれた赤ちゃんは、出生後もしばらく注意深く観察されます。

診断と治療:妊娠初期はチアマゾール(MMI)を避ける

診断は、症状の確認と血液検査(TSH、FT4、TRAbなど)で行います。妊娠中は放射性ヨウ素を使う検査や治療は行いません。

治療の基本は抗甲状腺薬です。日本で使われる抗甲状腺薬には、チアマゾール(MMI、商品名メルカゾール)とプロピルチオウラシル(PTU)があります。妊娠していないときはMMIが第一選択ですが、MMIは妊娠初期に飲むと、頭皮の欠損、臍帯ヘルニア、食道閉鎖、後鼻孔閉鎖などの特有の先天異常との関連が報告されています[4][5]。

⚠️ 妊娠初期の抗甲状腺薬(日本甲状腺学会ガイドライン)

日本甲状腺学会の「バセドウ病治療ガイドライン2019」では、催奇形性の観点から妊娠5週0日から9週6日まではMMIを避けるべきとし、MMIを飲んでいる間に妊娠がわかった場合は、9週6日までであればすみやかにMMIを中止して、状態に応じて休薬またはPTUや無機ヨウ素薬に変更することを強く推奨しています。妊娠初期に抗甲状腺薬が必要な場合はPTUを使います[6]。
自己判断で薬をやめると甲状腺機能が急に悪化することがあるため、妊娠がわかったらすぐに主治医に連絡してください。

妊娠16週以降は、再びMMIを使えるようになります。妊娠後半になると、抗甲状腺薬がいらなくなる人も少なくありません。抗甲状腺薬は少量が胎盤を通って赤ちゃんにも届くため、赤ちゃんの甲状腺機能が下がりすぎないよう、母体のFT4が基準値の上限付近に保たれる最小限の量を使います[1]。

💊 妊娠中の抗甲状腺薬の使い分け

時期 使う薬 理由・注意点
妊娠を希望している時期 主治医と相談して、PTUや無機ヨウ素薬への切り替え、手術などを検討 妊娠に気づく前にMMIを飲み続けないための準備
妊娠初期(特に5週0日〜9週6日) PTU、または無機ヨウ素薬。MMIは避ける MMIに特有の先天異常との関連が報告されている
妊娠16週以降 MMIが第一選択 PTUは重い肝障害の副作用があるため、長期使用は避ける

※日本甲状腺学会「バセドウ病治療ガイドライン2019」[6]、ATAガイドライン[1]をもとに作成。器官形成期(妊娠4週〜15週)のMMIの扱いの詳細は主治医に確認してください。

抗甲状腺薬には、発疹やかゆみ、肝障害、まれに白血球(顆粒球)が極端に減る無顆粒球症といった副作用があります。発熱やのどの痛み、皮膚や白目が黄色くなる(黄疸)、腹痛などが出たら、薬を飲むのをやめてすぐに処方した医療機関に連絡してください。無顆粒球症では細菌と戦う力が落ちるため、発熱は急いで受診が必要なサインです。

薬にアレルギーがある場合や副作用が強い場合は、甲状腺の手術が検討されることがあり、妊娠中に行う場合は妊娠中期が適しているとされています[1]。

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4. 妊娠中の甲状腺機能低下症(橋本病など)

妊娠中の甲状腺機能低下症の症状

甲状腺機能低下症の症状は、妊娠していない人と大きく変わりません。疲れやすい、寒がりになる、むくむ、筋肉がつる、ひどい便秘、物忘れなどです。ただし、妊娠中の甲状腺機能低下症は軽いことが多く、症状がほとんどなく、血液検査で初めてわかることも少なくありません。

原因の多くは橋本病

妊娠中の甲状腺機能低下症の主な原因は、橋本病(慢性甲状腺炎)です。橋本病も自己免疫疾患で、甲状腺に対する抗体(抗TPO抗体など)が作られ、甲状腺に慢性の炎症が起こって、ホルモンを作る力が少しずつ落ちていきます。妊娠中に見つかる甲状腺機能低下症は、症状のない潜在性のものが数%程度と比較的多く、はっきりした(顕性の)ものは1%に満たない程度と報告されています[1]。

治療しない甲状腺機能低下症が妊娠に与える影響

はっきりした甲状腺機能低下症を治療せずに妊娠を続けると、流産、早産、妊娠高血圧症候群、低出生体重、死産などのリスクが高まることが報告されています[1]。また、前述のとおり、赤ちゃんの脳の発達にも影響する可能性があります[2]。

診断と治療:妊娠がわかったら薬の量を見直す

診断は血液検査(TSH、FT4、抗TPO抗体など)で行います。治療は、自分の甲状腺で足りなくなったホルモンを薬で補う補充療法で、甲状腺が作るホルモンと同じ成分のレボチロキシン(T4製剤、商品名チラーヂンSなど)を使います。レボチロキシンは妊娠中も安全に使える薬で、赤ちゃんが自分でホルモンを作れるようになるまでの時期には特に大切です。

甲状腺はT3というホルモンも作りますが、赤ちゃんの脳が使うT3は、脳の中でT4から作られます。そのため、妊娠中の補充はT4製剤(レボチロキシン)で行うことが推奨されています[1]。

💡 すでにレボチロキシンを飲んでいる人が妊娠したら

妊娠すると甲状腺ホルモンの必要量が増えるため、多くの場合、薬の増量が必要になります。ATAのガイドラインでは、妊娠がわかったら1日分の量はそのままで1週間に2回分を追加する(週7回分を週9回分にする)などの方法で、およそ20〜30%増やすことを示しています。その後は妊娠中期まで約4週ごとに血液検査を行い、妊娠30週ごろにも少なくとも1回確認します[1]。
増やし方は人によって違うため、妊娠がわかったらすぐに主治医に連絡し、指示に従ってください。また、鉄剤やカルシウムを含むサプリメントはレボチロキシンの吸収を妨げるため、飲む時間をずらします。

甲状腺ホルモンが正常範囲でも薬を飲むことがあるのはなぜ?

不妊治療や妊娠中の検査で、「甲状腺ホルモンは正常範囲だけれど、薬を飲みましょう」と言われて戸惑う方は少なくありません。正常なのになぜ薬が必要なのか。理由は大きく3つあります。

理由1:見るべきはFT4ではなくTSHだから
甲状腺ホルモン(FT4)が正常範囲でも、TSHが高い場合は「潜在性甲状腺機能低下症」といいます。TSHは、脳の下垂体が甲状腺に「もっとホルモンを作れ」と送る指令のホルモンです。TSHが高いということは、甲状腺の力が落ちていて、下垂体が強く刺激し続けることで何とか正常値を保っている、つまり甲状腺が余力ぎりぎりで働いている状態を意味します。FT4が下限に近いかどうかよりも、TSHのほうが甲状腺の余力をよく表します。

理由2:妊娠で必要量が一気に増え、余力のない甲状腺は追いつけないから
第1章で説明したとおり、妊娠するとTBGの増加やhCGの影響で、甲状腺ホルモンの必要量が増えます。健康な甲状腺なら生産量を増やして対応できますが、すでにぎりぎりで働いている甲状腺は需要に追いつけず、妊娠をきっかけに、はっきりした甲状腺機能低下症に進むことがあります。

理由3:一番大切な妊娠初期に、増量が間に合わないから
赤ちゃんが母体の甲状腺ホルモンに頼っているのは、まさに妊娠初期です。ATAのガイドラインによると、甲状腺ホルモンの必要量は妊娠4〜6週ごろという早い時期から増え始めます[1]。ところが、妊娠に気づき、受診して血液検査を受け、薬を増やすまでには数週間かかります。不足に気づいてから補っていては、いちばん大切な時期に間に合わないことがあるため、妊娠前や不妊治療の段階から、余裕のある値に整えておくという考え方になります。

💡 「TSH 2.5」という数字はどこから来たのか

不妊治療の現場では「TSHが2.5を超えたら補充」と言われることがよくあります。この2.5という数字は、もともと妊娠初期のTSHの上限値として使われていたものです。抗TPO抗体が陰性の妊婦約4,100人を調べたイタリアの研究では、妊娠初期のTSHが2.5〜5.0mIU/Lの人の流産率は6.1%で、2.5mIU/L未満の人の3.6%より高かったと報告され[9]、「妊娠初期のTSHの上限は2.5」という考え方が広まりました。
その後、TSHの基準値は人種や地域、測定法で異なることがわかり、2017年のATAガイドラインでは、一律に2.5で線を引くのではなく、妊娠時期ごとの基準値で評価する方針に変わっています[1]。ただし、妊娠前にすでに薬を飲んでいる人や、体外受精を受ける人などでは、いまも2.5が目標値として使われています。

ATAのガイドラインが示す、補充を考える主な場面は次のとおりです[1]。

📋 甲状腺ホルモンの補充を考える主な場面(ATA 2017)

状況 ATAの位置づけ
妊娠中、抗TPO抗体陽性で、TSHが妊娠時の基準値の上限を超える 補充を推奨
妊娠中、抗TPO抗体陰性でも、TSHが10mIU/Lを超える 補充を推奨
妊娠中、抗TPO抗体陽性で、TSHが2.5mIU/Lを超える(基準値の上限以下) 補充を検討してよい
妊娠中、抗TPO抗体陰性で、TSHが基準値の上限を超え10mIU/L未満 補充を検討してよい
体外受精・顕微授精を受ける、潜在性甲状腺機能低下症の女性 補充を推奨(目標はTSH 2.5mIU/L未満)
すでにレボチロキシンを飲んでいて、妊娠を希望する女性 妊娠前にTSHを2.5mIU/L未満に調整
TSHは正常で、FT4だけが低め(低サイロキシン血症) ルーチンの治療は推奨しない

※Alexander EK, et al. Thyroid 2017[1]をもとに作成。基準値は施設の測定法によって異なるため、実際の判断は主治医が行います。

つまり、判断の決め手は「FT4が下限に近いかどうか」ではなく、TSHの値、抗TPO抗体の有無、そして妊娠を目指している状況です。逆に、TSHが正常でFT4だけが低めの場合は、治療しても子どもの発達の結果が変わらなかったとする臨床試験があり[3]、ルーチンの治療は勧められていません[1]。また、甲状腺機能が正常で抗TPO抗体だけが陽性の場合、補充で生児を得られる割合が上がらなかったことは第5章で説明します[7]。

補充療法で使うレボチロキシンは、体がもともと作っているホルモンと同じ成分で、適切な量であれば妊娠中も安全に使えます。「正常なのに薬」と感じても、妊娠という大きな需要に備えて、甲状腺に余裕を持たせておくための治療だと考えるとわかりやすいでしょう。

5. 甲状腺と不妊・流産の関係

甲状腺機能の異常は、排卵や月経の乱れを通して妊娠しにくさに関わることがあり、はっきりした甲状腺機能の異常は流産のリスクとも関連します。そのため、不妊症の検査や、流産をくり返す不育症の検査では、甲状腺機能(TSH、FT4)が調べられることがあります。妊娠前から値を整えておくことで、妊娠中の調整もしやすくなります。

一方、甲状腺機能は正常で、抗TPO抗体だけが陽性という人も少なくありません。抗TPO抗体が陽性の人は流産が多いという報告がありますが、甲状腺機能が正常で抗TPO抗体陽性の、流産歴や不妊歴がある女性を対象にした英国の大規模な臨床試験では、妊娠前からレボチロキシンを飲んでも、生児を得られる割合は増えませんでした[7]。「甲状腺ホルモンの値が少し低めだから、薬を飲めば必ず妊娠しやすくなる・流産しなくなる」とは言えないため、治療するかどうかは値と経過をみて主治医と相談します。

妊娠初期の流産の多くは、赤ちゃん側の偶然の要因によって起こります。流産の起こりやすさに関わる母体側の要因については、妊娠初期に流産しやすい時期や流産しやすい人の特徴で解説しています。

6. 甲状腺の病気と妊娠中の食事(ヨウ素)

甲状腺はヨウ素を材料に甲状腺ホルモンを作るため、ヨウ素は妊娠中に大切なミネラルです。赤ちゃんは、母体が食事からとったヨウ素を使って自分の甲状腺ホルモンを作ります。ヨウ素は昆布やわかめ、ひじきなどの海藻、魚介類、卵、乳製品などに含まれています。

海外では、ヨウ素が不足しやすい地域があるため、妊娠中にヨウ素を含むサプリメントをとることが勧められています[1]。一方、日本では海藻を食べる習慣があるため、ふつうの食事でヨウ素が不足することは少なく、むしろとりすぎに注意が必要です。昆布や昆布だし、海藻のサプリメントなどからヨウ素を大量にとると、甲状腺のはたらきが乱れたり、赤ちゃんの甲状腺機能低下の原因になったりすることがあります。ATAのガイドラインでも、ヨウ素を1日500μgを超えて継続的にとることは避けるよう勧めています[1]。

甲状腺の病気がある方は、海藻を特別に増やしたり減らしたりする前に、主治医に相談してください。

7. 遺伝の視点:自己免疫性甲状腺疾患は家族内で起こりやすい?

バセドウ病や橋本病などの自己免疫性甲状腺疾患は、家族の中に同じ病気の人がいると起こりやすいことが知られています。デンマークの双子の研究では、バセドウ病のなりやすさの約8割が遺伝的な要因で説明できると推定されました[8]。

ただし、これは「1つの遺伝子の変化で決まる病気」ではなく、多くの遺伝的な要因と、環境(ヨウ素の摂取、喫煙、ストレス、妊娠・出産など)が重なって起こる多因子の病気だという意味です。親がバセドウ病や橋本病でも、子どもが必ず発症するわけではなく、遺伝子の検査で発症を予測することもできません。家族に甲状腺の病気の人がいる場合は、妊娠前や妊娠初期の検査でそのことを医師に伝えておくと、甲状腺機能を確認するきっかけになります。

なお、生まれた赤ちゃんは全員、新生児マススクリーニング(生まれて数日後のかかとからの採血)で先天性甲状腺機能低下症を調べます。母体のバセドウ病の薬やTRAbの影響で、一時的に赤ちゃんの甲状腺の値が変化することもあるため、母体の病気や治療については出産する施設に伝えておきましょう。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【薬の心配と、赤ちゃんの心配を分けて考える】

甲状腺の薬を飲みながら妊娠すると、「この薬で赤ちゃんに何か起きないか」と心配になるのは自然なことです。けれども、甲状腺ホルモンの値が乱れたままの状態も、妊娠と赤ちゃんにとって大きなリスクになります。薬をやめることが安全とは限らない、という点を知っておいてほしいと考えています。

また、甲状腺の病気の「なりやすさ」が家族の中で受け継がれることと、赤ちゃんの染色体や遺伝子の病気とは、別の話です。不安を一つの塊のまま抱えるのではなく、「薬の影響」「甲状腺の値」「赤ちゃんそのものの検査」と分けて、それぞれの専門家に確かめていくことが大切だと考えています。

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よくある質問(FAQ)

Q1. 甲状腺の病気があっても妊娠・出産できますか?

はい。甲状腺ホルモンの値を正常に保つ治療を続けることで、多くの方が妊娠・出産しています。妊娠を希望する段階から主治医に伝え、妊娠前に値を整えておくことが勧められます。

Q2. バセドウ病の薬(メルカゾール)を飲んでいる間に妊娠がわかったら?

自己判断でやめず、すぐに主治医に連絡してください。日本甲状腺学会のガイドラインでは、妊娠5週0日から9週6日まではチアマゾール(MMI)を避け、妊娠9週6日までに妊娠がわかった場合は、状態に応じて休薬またはプロピルチオウラシル(PTU)や無機ヨウ素薬に変更することが推奨されています。

Q3. 橋本病でチラーヂンを飲んでいます。妊娠したら量は変わりますか?

妊娠すると甲状腺ホルモンの必要量が増えるため、多くの場合は増量が必要です。米国甲状腺学会のガイドラインでは、およそ20〜30%の増量を示しています。妊娠がわかったらすぐに主治医に連絡し、その後は定期的に血液検査で量を調整します。

Q4. 甲状腺の値が少し低いと言われました。薬を飲めば流産を防げますか?

はっきりした甲状腺機能低下症は治療が必要ですが、甲状腺機能が正常で抗TPO抗体だけが陽性の女性を対象にした大規模な臨床試験では、妊娠前からレボチロキシンを飲んでも、生児を得られる割合は増えませんでした。治療するかどうかは、値や抗体の有無、経過をみて主治医と相談します。

Q5. 親がバセドウ病です。私や子どもにも遺伝しますか?

バセドウ病や橋本病は家族の中で起こりやすいことが知られていますが、多くの遺伝的な要因と環境が重なって起こる多因子の病気で、必ず遺伝するわけではありません。遺伝子の検査で発症を予測することもできないため、家族歴がある場合は妊娠前や妊娠初期の検査で医師に伝え、甲状腺機能を確認しておくとよいでしょう。

Q6. 甲状腺ホルモンは正常範囲なのに、なぜ薬をすすめられたのですか?

甲状腺ホルモン(FT4)が正常範囲でも、TSHが高い場合は、甲状腺が無理をして値を保っている「潜在性甲状腺機能低下症」と考えられます。妊娠すると甲状腺ホルモンの必要量が増えるため、TSHの値や抗TPO抗体の有無、体外受精を予定しているかどうかなどによっては、先回りして補充することが勧められています。TSHが正常でFT4だけが低めの場合は、ルーチンの治療は勧められていません。

まとめ

甲状腺ホルモンは、妊娠の維持と赤ちゃんの脳や神経の発達に欠かせないホルモンです。妊娠中はhCGやエストロゲンの影響で甲状腺ホルモンの必要量が増え、もともと甲状腺の病気がある人では、薬の量や種類の調整が必要になります[1]。

バセドウ病では妊娠初期の薬の選び方に注意が必要で、国内のガイドラインでは妊娠5週0日から9週6日までチアマゾールを避けることが推奨されています[6]。橋本病などの甲状腺機能低下症では、妊娠がわかったらレボチロキシンの増量が必要になることが多くあります[1]。どちらの場合も、妊娠がわかったら自己判断で薬をやめず、すぐに主治医に連絡することが大切です。妊娠中の症状や経過については、かかりつけの産婦人科・甲状腺の主治医にご相談ください。

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参考文献

  • [1] Alexander EK, et al. 2017 Guidelines of the American Thyroid Association for the Diagnosis and Management of Thyroid Disease During Pregnancy and the Postpartum. Thyroid. 2017;27(3):315-389. [PubMed 28056690]
  • [2] Haddow JE, et al. Maternal thyroid deficiency during pregnancy and subsequent neuropsychological development of the child. N Engl J Med. 1999;341(8):549-555. [PubMed 10451459]
  • [3] Casey BM, et al. Treatment of Subclinical Hypothyroidism or Hypothyroxinemia in Pregnancy. N Engl J Med. 2017;376(9):815-825. [PubMed 28249134]
  • [4] Yoshihara A, et al. Treatment of Graves’ disease with antithyroid drugs in the first trimester of pregnancy and the prevalence of congenital malformation. J Clin Endocrinol Metab. 2012;97(7):2396-2403. [PubMed 22547422]
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  • [6] 日本甲状腺学会編. バセドウ病治療ガイドライン2019. 南江堂; 2019.(FCQ1 妊娠初期における薬物治療) [Mindsガイドラインライブラリ]
  • [7] Dhillon-Smith RK, et al. Levothyroxine in Women with Thyroid Peroxidase Antibodies before Conception. N Engl J Med. 2019;380(14):1316-1325. [PubMed 30907987]
  • [8] Brix TH, et al. Evidence for a major role of heredity in Graves’ disease: a population-based study of two Danish twin cohorts. J Clin Endocrinol Metab. 2001;86(2):930-934. [PubMed 11158069]
  • [9] Negro R, et al. Increased pregnancy loss rate in thyroid antibody negative women with TSH levels between 2.5 and 5.0 in the first trimester of pregnancy. J Clin Endocrinol Metab. 2010;95(9):E44-48. [PubMed 20534758]

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プロフィール
仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、
臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。
のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、
検査結果の数値そのものだけでなく、
「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、
一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、
日本人として異文化の中で生活した経験があります。
価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。
この経験は現在の診療においても、
「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、
36週6日で一人を死産した経験があります。
その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、
そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。
現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、
出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、
家族の未来に関わる重要な意思決定です。
年齢や統計だけで判断するのではなく、
医学的根拠と心理的支援の両面から、
ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/
日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。

2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、
複数の海外メディア・専門誌で特集掲載
されました。

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