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SECISBP2遺伝子とは|セレノプロテイン合成の司令塔と全身性セレノプロテイン欠損症を遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

臨床遺伝専門医・がん薬物療法専門医・総合内科専門医。30年にわたる臨床のなかで、のべ10万人以上の方々の診療・相談に対応してきました。世界基準の遺伝子診断と遺伝カウンセリングを、終始責任をもって提供します。

📍 クイックナビゲーション

「甲状腺の数値が少し変わっているけれど、はっきりした病名がつかない」「背が伸びにくく、筋力も弱いのに原因がわからない」——こうした複数の科にまたがる不調が、じつはたった1つの遺伝子のはたらきが落ちたことから生じている場合があります。その遺伝子の1つが、これからお話しするSECISBP2(セシスビーピーツー)です。SECISBP2は、体に必要な微量元素セレンを含む一群のタンパク質「セレノプロテイン」を作り出す、翻訳の司令塔ともいえる分子です。

この記事では、SECISBP2という遺伝子がなぜ「21番目のアミノ酸」を体に組み込む鍵になるのか、その設計図が壊れると甲状腺・筋肉・神経・血管・生殖にまで及ぶ全身の症状がどう現れるのか、そして診断や遺伝カウンセリングとどうつながるのかを、一般の方にもわかる言葉で、遺伝専門医の立場から順を追ってお伝えします。

この記事でわかること
📖 読了時間:約16〜18分
🧬 セレノプロテイン・翻訳制御
臨床遺伝専門医監修

  • SECISBP2が「21番目のアミノ酸」セレノシステインを組み込む司令塔であること
  • 本来「止まれ」の合図であるUGAコドンを、どうやって読みかえるのか
  • セレンが足りないとき、体が守るタンパク質と切り捨てるタンパク質があること
  • 両親から受け継ぐ潜性(劣性)遺伝で、甲状腺・筋・神経・血管に及ぶ全身症状が出ること
  • 特徴的な甲状腺ホルモンのパターンが診断の糸口になること
⏱️ 30秒でわかる要約

🧬Q. SECISBP2遺伝子とは何ですか?

セレンを含む一群のタンパク質「セレノプロテイン」を体が作るときに、その翻訳を成立させる中心的な因子の設計図です。ふだんは「止まれ」を意味するUGAという合図を、「セレノシステインを入れよ」という合図に読みかえる司令塔として働きます[1]

🩺Q. 変異があるとどうなりますか?

両親からそれぞれ変異を受け継ぐと、多くのセレノプロテインがまとめて不足し、甲状腺ホルモンの代謝異常を中心に、成長障害・筋力低下・神経発達の遅れ・血管の異常など全身にわたる症状が現れます[1][2]

🌸Q. どうやって見つかりますか?

血液中の甲状腺ホルモンに「遊離T4が高め・遊離T3が低め・リバースT3が高い」という特徴的なパターンが現れることが、診断の重要な入り口になります[1]。確定は遺伝子検査で行います。

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SECISBP2とは——セレノプロテインを作る「翻訳の司令塔」

名前の由来は「SECISに結合するタンパク質」

SECISBP2は、正式にはSECIS-binding protein 2(セシス結合タンパク質2)と呼ばれ、その名のとおり「SECIS(セシス)」という特別なRNAの目印に結合するタンパク質です。研究の文脈ではSBP2(エスビーピーツー)とも表記されます。ヒトのSECISBP2遺伝子は、9番染色体の長腕(9q22.2)に位置しています[1]

このタンパク質が担っているのは、体がセレノプロテイン——セレンという微量元素を含む特別なタンパク質——を作るときの、翻訳の中心的な段取りです。単にRNAにくっつくだけでなく、セレン専用の翻訳部品やリボソーム(タンパク質を組み立てる工場)を、正しい場所へ引き寄せる「足場(あしば)」として働きます[1]。細胞の中でどのセレノプロテインがどれだけ作られるか、その全体像を左右する、いわば司令塔のような存在です。

🔬 用語解説:セレノシステインと「21番目のアミノ酸」

私たちのタンパク質は、基本的に20種類のアミノ酸を材料として作られています。通常のアミノ酸にはそれぞれ対応する遺伝暗号(コドン)があり、リボソームがそのコドンを読みながら、指定されたアミノ酸を順番につないでいきます。セレノシステイン(Sec)は、この通常の20種類とは異なる方法でタンパク質に組み込まれるため、「21番目のアミノ酸」と呼ばれます[1]。構造はシステインによく似ていますが、システインが硫黄(S)を持つのに対し、セレノシステインではその部分がセレン(Se)になっています。この違いによって、セレノシステインは酸化還元反応などを担う酵素の活性中心で重要な働きをします。

さらに大きく違うのが、タンパク質への組み込まれ方です。セレノシステインには、通常のアミノ酸のような専用コドンがありません。代わりに使われるのがUGAです。UGAは本来なら「ここでタンパク質の合成を終了せよ」という終止コドンですが、セレノプロテインを作るmRNAでは、3′非翻訳領域(3′UTR)にSECISという特殊なRNA構造があります。そこにSECISBP2が結合し、セレノシステイン専用のtRNAと、それをリボソームへ運ぶeEFSecなどが協力することで、UGAを「ここで終われ」ではなく「ここにセレノシステインを入れよ」という指示として読み替えます。つまりセレノシステインは、普通ならタンパク質合成が止まる場所を、専用の翻訳装置を使って例外的に読み替えることで組み込まれるアミノ酸なのです。ヒトには25種類のセレノプロテインがあり、SECISBP2はこの特殊な翻訳を成立させる中心的な因子の1つです。

セレノプロテインには、酸化ストレスから細胞を守る抗酸化酵素(グルタチオンペルオキシダーゼ類)や、甲状腺ホルモンの活性を調節する酵素(脱ヨード酵素)など、生命維持に欠かせない役割を担うものが多く含まれます[2]。SECISBP2はこれらをまとめて成立させる上流の因子なので、そのはたらきが落ちると影響が特定の臓器にとどまらず、全身に広がるのが特徴です。SECISBP2が関わる病気の全体像は、全身性セレノプロテイン欠損症のページでもくわしく解説しています。

セレンとセレノプロテイン——微量元素が担う大きな役割

セレンは、ごく少量ながら生命維持に欠かせない微量元素です。体の中では、そのほとんどがセレノシステインという形で、セレノプロテインの一部として使われます[2]。セレノプロテインは、細胞の中で発生する酸化ストレス(活性酸素による細胞のダメージ)を打ち消したり、甲状腺ホルモンの量を調節したり、タンパク質の品質管理を助けたりと、多彩な仕事をこなしています。

代表的なものをいくつか挙げると、グルタチオンペルオキシダーゼ(GPX)ファミリーは活性酸素を無害化する抗酸化酵素、脱ヨード酵素(DIO)は甲状腺ホルモンを活性化・不活性化するスイッチ、チオレドキシンレダクターゼ(TXNRD)は細胞内の酸化還元バランスを保つ酵素です[2]。SECISBP2はこれらすべての「作られやすさ」に影響を与えるため、その不足は複数の系統に同時に波及します。

✓ ここがポイント

SECISBP2は「1つの酵素を作る遺伝子」ではなく、セレノプロテイン全体を作る土台です。だからこそ、この遺伝子の変異は1つの臓器の病気ではなく、抗酸化・甲状腺・筋肉・神経など複数のシステムにまたがる「全身の病気」として現れます。

SECISBP2タンパク質のかたち

ヒトのSECISBP2タンパク質は854個のアミノ酸からできています[1]。大きく分けて、機能の中心を担うC末端側と、調節的な役割を持つと考えられるN末端側があります。C末端側には、SECISという目印を認識するRNA結合の領域や、リボソームと結びつく領域が集まっており、セレノシステインを組み込むために必要な最小限のはたらきは、この部分だけでほぼ成り立つことが分かっています[1]

このC末端側には、いくつかの役割の異なる領域が並んでいます。SECISの立体構造を認識して結合する領域、リボソームのタンパク質と直接結びついて翻訳装置を安定させる領域、そして酸化還元の状態を感じ取る、システインに富んだ領域などです[1]。とくにSECIS認識に関わるL7Ae型RNA結合モチーフは進化的に保存されたRNA結合モチーフの一種で、SECISの特徴的な立体構造を認識するうえで重要です[1]。変異の位置や性質によって、SECIS結合やセレノシステイン組み込みへの影響の程度が異なることがあります。

また、SECISBP2遺伝子はスプライシング(RNAの部品のつなぎ替え)によって複数のバリエーションが作られ、N末端の配列が少しずつ異なる複数のかたちが存在することが知られています[1]。こうした多様性が、組織ごとの発現の違いや、変異が生じたときの症状の幅にも関わっていると考えられています。

N末端側には翻訳を下流から開始できる代替の開始コドンが存在します。そのため、N末端側に早期終止を生じる変異があっても、下流の開始点から機能に必要なC末端領域を含む短いタンパク質が作られ、一定の残存機能が保たれる場合があります[1]。こうした代替翻訳開始は、SECISBP2変異の表現型が完全欠損より軽くなりうる理由の1つと考えられています。

UGAを読みかえるしくみ——「止まれ」を「セレンを入れよ」に

本来は「終わりの合図」であるUGA

タンパク質は、RNAに書かれた3文字ずつの暗号(コドン)を読み取って組み立てられます。そのうちUGAという並びは、ふつうは「ここで翻訳を終わりにしなさい」というストップコドン(終止コドン)として働きます。ところがセレノプロテインの設計図では、このUGAが例外的に「終わり」ではなく「セレノシステインを入れよ」という意味に読みかえられます[1]。この読みかえこそ、セレノプロテイン合成の核心です。

この読みかえには、セレノプロテインのRNAの末端側(3′非翻訳領域(3′UTR))にあるSECISという特別な立体構造が必要です。SECISBP2はこのSECISに結合し、そこを起点にして翻訳装置全体をまとめあげます[1]

図1:SECISBP2がUGAを読みかえるまでの流れ

① SECISに結合

RNA末端の目印にSECISBP2がくっつく

② 部品を動員

リボソームとセレン専用の運び屋を引き寄せる

③ UGAを読みかえ

「止まれ」をセレノシステインとして解読

④ 完成

セレノプロテインが正しく作られる

立体構造で見えてきた「橋渡し」の役割

近年、クライオ電子顕微鏡(極低温で分子を凍らせて観察する技術)による高解像度の解析で、哺乳類のリボソームがUGAをセレノシステインとして読み解く瞬間の様子が明らかになりました[3]。この研究では、SECISBP2がSECISに結合し、その複合体が40Sリボソーム小サブユニットと相互作用することで、SECISを解読の現場に配置していることが示されました。

面白いのは、セレノシステインを運んでくる専用の伸長因子(eEFSec)とSECISBP2が、直接は手を結ばないという点です。両者はSECISの両端にそれぞれ結合し、RNAを介して空間的に近い位置につくことで、間接的に協力します[3]。さらにリボソーム側のタンパク質(eS31)が、セレノシステインを載せたtRNAとSECISBP2の両方に同時に接することで、この複雑な組み立てを安定させます[3]。こうしてUGAでの翻訳終了が回避され、セレノシステインが正しく組み込まれます。この読みかえのしくみは、細菌のものとは根本的に異なる、真核生物に固有のものであることも同時に示されました[3]

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【1つの遺伝子が、いくつもの科をまたぐということ】

遺伝性の病気には、「1つの遺伝子が壊れると、一見バラバラに見える症状が全身に散らばって出る」というタイプがあります。SECISBP2はその典型で、甲状腺・筋肉・神経・血管という、ふだんは別々の科で診られる不調が、じつは同じ根っこから生じています。原因がわからないまま複数の科を回り続ける時間は、ご本人にもご家族にも負担の大きいものです。

私は成人の遺伝性腫瘍の診療でも、「同じ遺伝子でも、変異の性質によって現れ方が変わる」という考え方に日々向き合っています。臨床遺伝専門医として文献を踏まえると、SECISBP2のように上流の因子が関わる病気ほど、症状を1つずつ追うのではなく、共通の原因からまとめて理解することが、その後の見通しを立てるうえで役に立ちます。

翻訳の優先順位——セレンが足りないときの「取捨選択」

体の中のセレンが不足したとき、すべてのセレノプロテインが一律に減るわけではありません。生命維持に不可欠なものを優先して守り、相対的に重要度の低いものの合成を先に落とす——この「セレノプロテインの階層性(優先順位)」と呼ばれるしくみが働きます[2]。限られた資源を、大切な酵素から順に配分するイメージです。

この優先順位を決める要因の1つが、RNAごとのSECISの構造の違いと、それに対するSECISBP2の結合しやすさの差です。SECISBP2が結びつきやすいRNA(たとえばGPX4やTXNRD1)は、セレンが限られた環境でも翻訳が維持されやすく、逆に結合しにくいRNA(たとえばGPX1)は早めに合成が落ちます[2]

✓ ここがポイント

UGAの読みかえに失敗すると翻訳が途中で終わり、セレノプロテインmRNAの種類によってはNMDなどの品質管理機構によって分解されやすくなります。SECISBP2はmRNAごとに異なる結合性を示し、UGA読みかえ効率やmRNA安定性に差を生じさせることで、セレノプロテインの階層性に関与します[1]

酸化ストレスに応じた「レドックススイッチ」

SECISBP2は、翻訳装置に結合し続けるだけの静的な分子ではありません。細胞の酸化還元(レドックス)の状態に応じて、核と細胞質のあいだを行き来する動的なタンパク質でもあります[4]。細胞が強い酸化ストレスにさらされると、SECISBP2の特定の部位が酸化され、核の中へ引き込まれます。すると翻訳の現場である細胞質からSECISBP2が減り、セレノシステインの組み込み全体が一時的に抑えられます[4]

この酸化還元依存的な局在変化は、酸化ストレスとセレノプロテイン合成を結びつける調節機構と考えられていますが、その生理的意義の全体像はまだ完全には確立していません。しかもこの酸化は不可逆ではなく、細胞内の抗酸化システム(チオレドキシンやグルタレドキシン)によって元に戻せることも示されており、抗酸化システムとセレノプロテイン合成が相互に支え合う関係にあることがうかがえます[4]

よく似た「予備の遺伝子」SECISBP2L

脊椎動物のゲノムには、SECISBP2とよく似たSECISBP2Lという姉妹遺伝子(パラログ)が存在します。SECISBP2Lも同じSECISに結合できますが、単独ではセレノシステインの組み込みをほとんど支えないと考えられてきました[5]

ここで1つの謎が生まれます。マウスでSECISBP2を完全になくすと、発生のごく初期に胚が死んでしまいます[2]。それにもかかわらず、ヒトでSECISBP2のはたらきが大きく落ちる変異を持つ患者さんは生きて生まれ、成長します。ヒトで重いSECISBP2機能低下があっても生存可能である背景には、先ほど述べたN末端側変異での代替翻訳開始による残存機能に加え、SECISBP2Lによる部分的な補償が関与する可能性があります[6]。ゼブラフィッシュを用いた研究では、両方の遺伝子を失うとセレノプロテイン合成がほぼ消失し、幼魚が死亡することが示され、SECISBP2の機能が損なわれた状況でSECISBP2Lが一部の必須セレノプロテイン合成を支えることが示唆されました[6]

変異で起こる病気——全身性セレノプロテイン欠損症

ヒトで、SECISBP2遺伝子の両方のコピーに変異がある場合(両親からそれぞれ受け継ぐ、あるいは異なる2つの変異を1つずつ持つ場合)、セレノプロテイン全体の合成が障害され、複数の臓器に影響が及ぶ「全身性セレノプロテイン欠損症」を発症します(OMIM 609698)[2]。世界的にも報告例がごく限られる、非常にまれな疾患です。この病気の最初の報告は2005年で、甲状腺ホルモンの代謝異常を手がかりに、SECISBP2の変異が原因として突き止められました[7]

🔬 用語解説:常染色体潜性(劣性)遺伝とは

SECISBP2による病気は常染色体潜性(劣性)遺伝という形をとります。遺伝子は父由来・母由来の2つのコピーがあり、両方に変異がそろって初めて発症します。片方だけに変異を持つ人は「保因者(キャリア)」と呼ばれ、通常は症状が出ません。両親がともに同じ遺伝子の保因者の場合、子どもが発症する確率は妊娠ごとに原則25%です。仕組みの詳細は劣性遺伝(潜性遺伝)と保因者の解説遺伝形式のまとめもご覧ください。

甲状腺ホルモンの代謝異常——最も特徴的なサイン

この病気で最も普遍的にみられる手がかりが、甲状腺ホルモンの代謝異常です[1]。甲状腺ホルモンを活性化したり不活性化したりする脱ヨード酵素(DIO1・DIO2・DIO3)は、いずれもセレノプロテインです。SECISBP2のはたらきが落ちてこれらの酵素が減ると、血液検査で特徴的なパターンが現れます。具体的には、遊離T4が高め、遊離T3が低め、リバースT3(rT3)が高く、TSHは正常から軽度上昇という組み合わせです[1]

細胞の中で活性型のT3が不足すると、骨や軟骨など標的組織での甲状腺ホルモンのはたらきが低下し、骨年齢の遅れ・低身長・小児期の成長障害を引き起こします[7]。この甲状腺のパターンは、通常の甲状腺機能検査だけでは見過ごされやすく、rT3を含めて測定することが診断の鍵になります。

影響を受けるシステム 主な症状 関わるセレノプロテイン
甲状腺・成長 甲状腺ホルモン代謝異常、低身長、骨年齢の遅れ 脱ヨード酵素(DIO)
筋・骨格 筋力低下、易疲労感、脊柱の硬さ SELENON など
神経・感覚 発達の遅れ、てんかん、感音難聴、光線過敏 GPX4、SELENOP など
生殖 男性の不妊(無精子症) GPX4 など
血管 早期発症の上行大動脈瘤 抗酸化セレノプロテイン

※症状の出方や程度には個人差があり、報告された患者さんによって幅があります[2]

筋・生殖・神経・感覚への影響

抗酸化に関わるセレノプロテインや、筋肉・小胞体で働くセレノプロテインが不足すると、筋力低下や生殖機能の障害が現れます[1]。筋肉の症状は、小胞体ストレスに関わるSELENON(セレノプロテインN、旧称SEPN1)の不足に関連し、体幹の筋力低下や脊柱の硬さといった、リジッドスパイン症候群に似た症状につながります[2]。また、精子の成熟や構造の安定に必要なGPX4などが不足すると、男性では無精子症や不妊が報告されています[1]

近年は、従来の甲状腺異常にとどまらず、重い神経発達の障害が新たな症状として報告されるようになりました。一部の患者さんでは、発話の欠如、自閉スペクトラム様の特徴、難治性のてんかんが確認され、甲状腺異常が見つかる前に、てんかんや発達の遺伝子パネル検査を通じて診断された例もあります[8]。さらに、皮膚の光線過敏や、酸化ストレスによる感音難聴を合併することも知られています[1]

血管の異常とフェロトーシス

最近特に注目されているのが、SECISBP2欠損による血管の異常です。血管の平滑筋細胞で抗酸化セレノプロテインが不足すると、早期に発症し進行する上行大動脈瘤(大動脈の根元がふくらむ状態)を引き起こすことが報告されました[9]。SECISBP2欠損により複数の抗酸化セレノプロテインの発現が低下すると、細胞内の活性酸素が増え、酸化DNA損傷や血管平滑筋細胞の細胞死が生じます。

🔬 用語解説:フェロトーシス(鉄依存性の細胞死)

フェロトーシスとは、鉄に依存した脂質の酸化によって起こる、制御された細胞死の一種です[9]。GPX4はこの脂質の酸化を打ち消すことでフェロトーシスを防いでいるため、GPX4が不足すると細胞はフェロトーシスに陥りやすくなります。くわしくはフェロトーシスの解説ページをご覧ください。

患者さん由来の細胞やモデル動物を用いた研究では、酸化ストレスの増加、血管平滑筋細胞の細胞死、フェロトーシスを含む細胞死経路が大動脈壁の変性に関与することが示されました[9]。重要なのは、抗酸化剤や鉄を取り除く薬(鉄キレート剤)によって酸化障害を抑えると、ゼブラフィッシュモデルで大動脈病変が抑制されたという点です[9]。これは、フェロトーシスの経路が血管変性に対する新しい治療標的になりうることを示唆しています。ただし、これらはあくまで研究段階の知見であり、現時点でヒトの標準治療として確立したものではありません。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【基礎研究と臨床が地続きになる瞬間】

SECISBP2をめぐる研究は、「翻訳のしくみ」という分子生物学の基礎から、「大動脈瘤をどう防ぐか」という臨床の課題まで、分子機序のレベルで連続して捉えることができます。抗酸化剤や鉄キレート剤で血管の変性が抑えられたという知見は、フェロトーシスという細胞死の理解が、実際の治療の発想へと橋渡しされつつあることを示しています。

がん領域でも、フェロトーシスをあえて誘導してがん細胞を弱らせる、という研究が進んでいます。臨床遺伝専門医として文献を追っていると、1つの分子のふるまいが、希少疾患・循環器・腫瘍という別々の分野を横断して意味を持つことが分かります。SECISBP2は、そのような分野横断的な理解に適した遺伝子の1つです。

がん研究における新しい視点

SECISBP2をめぐる関心は、内分泌や希少疾患の枠を超えて、がん研究にも広がっています。がん細胞は代謝が活発なぶん活性酸素を多く生み出すため、細胞死を避けるために強力な抗酸化ネットワークを必要とします。SECISBP2は下流の抗酸化セレノプロテインの発現を左右するため、その挙動ががん細胞の生死に関わる可能性が検討されています[10]

とくに注目されるのが、翻訳の優先順位が「作り替えられた」がん細胞の存在です。通常はセレンが不足してもGPX4の翻訳は優先的に守られますが、一部のがん細胞ではこの守りが崩れており、セレンを制限するとGPX4のUGAでリボソームが立ち往生(失速・衝突)し、GPX4が急激に枯渇してフェロトーシスに陥りやすくなることが示されました[10]。このしくみは、セレノシステインの読みかえ過程を標的にした、新しいがん治療の可能性を示唆する基礎研究として位置づけられます。いずれも研究段階の知見であり、確立した治療法ではありません。

診断と遺伝子検査——特徴的なホルモンパターンを入り口に

全身性セレノプロテイン欠損症の診断は、多くの場合、甲状腺ホルモンの特徴的なパターンから始まります。遊離T4が高め・遊離T3が低め・リバースT3が高いという組み合わせは、通常の甲状腺疾患ではあまり見られず、この病気を疑う重要な手がかりになります[1]。血中セレン値の低下や、抗酸化酵素の活性低下も参考所見となります。

こうした所見からSECISBP2欠損が疑われた場合、確定診断には遺伝子検査が用いられます。実際の報告では、ミスセンス変異やナンセンス変異、スプライシングに関わる変異など、さまざまなタイプの変異が見つかっています[11]。近年は、症状が神経発達の側に強く出て、甲状腺異常が判明する前に発達・てんかんの遺伝子パネルで診断される例もあり、検査の入り口は多様になっています[8]

🔬 用語解説:ミスセンス変異とナンセンス変異

ミスセンス変異は、アミノ酸が別のアミノ酸に置き換わる変異で、タンパク質の形やはたらきが変わります。ナンセンス変異は、途中に「止まれ」の合図ができてしまい、タンパク質が短く途切れる変異です。ナンセンス変異では、途切れたRNAがNMD(ナンセンス変異依存mRNA分解)というしくみで分解されることがあります。

治療については、この病気の本体がセレンの不足そのものではなく、セレンをタンパク質に組み込むしくみの障害であるため、根本的に治す方法は現時点では確立していません。実際の対応は、T3(トリヨードサイロニン)投与を含む甲状腺ホルモン代謝異常への対応や、各症状に応じた個別の管理が中心になります[8]。報告された例では、甲状腺ホルモンの補充によって運動発達が改善した一方、発話や知的な面の障害は残ったとされ、早期の診断と対応の重要性が指摘されています[8]

ミネルバクリニックでは、SECISBP2を含む甲状腺関連の遺伝子を調べる甲状腺機能低下症・甲状腺ホルモン不応症の遺伝子検査(NGSパネル)を扱っています。遺伝子検査は、症状の背景を照らし、家族の見通しを整理するための手段です。検査を行うかどうかも含めて、結果をどう受け止め、次にどうするかを一緒に考えるのが、遺伝カウンセリングの役割です。

遺伝形式と家族への意味

全身性セレノプロテイン欠損症は常染色体潜性(劣性)遺伝であるため、発症したお子さんのご両親は、通常それぞれが症状のない保因者です。次のお子さんが同じ病気になる確率は、妊娠ごとに原則25%です。こうした確率や、きょうだい・親族への意味は、数字だけを伝えて終わるものではありません。遺伝カウンセリングを通じて、ご家族の状況に沿って整理していくことが大切です。

✓ ここがポイント

SECISBP2欠損症は、甲状腺の数値異常という「生化学的なサイン」を入り口にしながら、実際には神経・筋・生殖・血管を含む多臓器の病気として理解する必要があります。1つの検査値だけで判断せず、全身を見渡した評価が診断の助けになります。

よくある質問(FAQ)

Q1. SECISBP2遺伝子とは、どんな遺伝子ですか?

セレンを含む一群のタンパク質「セレノプロテイン」を体が作るときに、その翻訳を成立させる中心的な因子の設計図です。ふだんは「止まれ」を意味するUGAという合図を、「セレノシステイン(21番目のアミノ酸)を入れよ」という合図に読みかえる司令塔として働きます。9番染色体(9q22.2)にあります。

Q2. 変異があると、どんな症状が出ますか?

両方の遺伝子コピーに変異があると、多くのセレノプロテインがまとめて不足し、全身性セレノプロテイン欠損症を発症します。甲状腺ホルモンの代謝異常を中心に、低身長・成長障害、筋力低下、神経発達の遅れやてんかん、感音難聴、男性の不妊、早期発症の大動脈瘤など、複数のシステムにわたる症状が現れます。出方や程度には個人差があります。

Q3. 遺伝しますか?子どもに伝わる確率は?

この病気は常染色体潜性(劣性)遺伝です。父由来・母由来の2つの遺伝子コピーの両方に変異がそろって初めて発症します。ご両親がともに同じ遺伝子の保因者の場合、お子さんが発症する確率は妊娠ごとに原則25%です。片方だけに変異を持つ保因者は、通常は症状が出ません。

Q4. どうやって診断しますか?

血液中の甲状腺ホルモンに「遊離T4が高め・遊離T3が低め・リバースT3が高い」という特徴的なパターンが現れることが、重要な手がかりになります。血中セレン値の低下も参考になります。確定診断は遺伝子検査で行います。近年は神経発達の症状から、てんかん・発達の遺伝子パネル検査を通じて見つかる例もあります。

Q5. セレンを飲めば治りますか?

この病気の本体はセレンそのものの不足ではなく、セレンをタンパク質に組み込むしくみ(SECISBP2)の障害です。そのため、セレンの補充だけで解決するわけではありません。抗酸化剤などによる対応は研究が進められている段階で、治療方針は症状や年齢に応じて個別に検討されます。自己判断でのサプリメント使用ではなく、専門医への相談をおすすめします。

Q6. SELENONやGPX4とは、どういう関係ですか?

SELENONやGPX4は、いずれもSECISBP2のはたらきによって作られる個々のセレノプロテインです。SECISBP2が「工場全体の司令塔」だとすれば、SELENONやGPX4は「その工場で作られる個別の製品」にあたります。SECISBP2の障害でこれらがまとめて不足すると、SELENONの不足は筋症状、GPX4の不足は生殖や血管の症状として現れます。

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関連記事

参考文献

  1. [1] Human Disorders Affecting the Selenocysteine Incorporation Pathway Cause Systemic Selenoprotein Deficiency. Antioxid Redox Signal. 2020. [PMC7409586]
  2. [2] Human Genetic Disorders Resulting in Systemic Selenoprotein Deficiency. Int J Mol Sci. 2021. [PMC8658020]
  3. [3] Structure of the mammalian ribosome as it decodes the selenocysteine UGA codon. Science. 2022. [PubMed 35709277]
  4. [4] The redox state of SECIS binding protein 2 controls its localization and selenocysteine incorporation function. Mol Cell Biol. 2006. [PubMed 16782878]
  5. [5] Selenocysteine Insertion Sequence Binding Protein 2L Is Implicated as a Novel Post-Transcriptional Regulator of Selenoprotein Expression. PLoS One. 2012. [PMC3328465]
  6. [6] The expression of essential selenoproteins during development requires SECIS-binding protein 2–like. Life Sci Alliance. 2022. [PMC8881744]
  7. [7] Mutations in SECISBP2 result in abnormal thyroid hormone metabolism. Nat Genet. 2005. [PubMed 16228000]
  8. [8] Severe neurodevelopmental phenotype, diagnostic, and treatment challenges in patients with SECISBP2 deficiency. Genet Med. 2024. [PubMed 39315526]
  9. [9] Selenoprotein deficiency disorder predisposes to aortic aneurysm formation. Nat Commun. 2023. [PMC10693596]
  10. [10] Ribosome stalling during selenoprotein translation exposes a ferroptosis vulnerability. Nat Chem Biol. 2022. [PubMed 35637349]
  11. [11] A Novel Homozygous Selenocysteine Insertion Sequence Binding Protein 2 (SECISBP2, SBP2) Gene Mutation in a Turkish Boy. Thyroid. 2018. [PMC6154453]

仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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