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📍 クイックナビゲーション
セレノプロテインは、微量ミネラルであるセレン(Se)を含む特殊なタンパク質で、ヒトの体では25種類が知られています。多くは体内の「サビ」である酸化ストレスを抑える強力な酵素として働き、そのほかにも甲状腺ホルモンの活性化、細胞の品質管理、そして細胞の生死の判断にまで関わっています。セレンそのものよりも、このセレノプロテインという「タンパク質のかたち」になって初めて、セレンは体のなかで力を発揮します[1]。
近年、このセレノプロテインを作るしくみそのものが壊れる遺伝性疾患や、特定のセレノプロテインの過不足が糖尿病や神経の病気を左右することが次々と明らかになっています。ここでは、セレノプロテインとは何か、どう作られ、どんな病気に関わり、そして「多ければ多いほど体に良い」という長年の思い込みがなぜ覆されたのかまでを、順を追って見ていきます。
- ➤ セレノプロテインとは何か、25種類がどんな役割を担うのか
- ➤ 「21番目のアミノ酸」セレノシステインが、ストップ信号を読み替えて作られるしくみ
- ➤ 合成のしくみが壊れるSECISBP2欠損症・SEPN1関連ミオパチーなどの遺伝性疾患
- ➤ GPX4と「フェロトーシス」、超希少疾患に対する個別化医療の挑戦
- ➤ 「抗酸化物質は多いほど良い」を覆したSELECT試験と、セレンの「両刃の剣」
🧬Q. セレノプロテインとは何ですか?
微量ミネラルのセレンを、セレノシステインというアミノ酸のかたちで含むタンパク質です。ヒトでは25種類あり、多くは酸化ストレスを抑える酵素として働くほか、甲状腺ホルモンの活性化や細胞死の制御など幅広い役割を担います。
🩺Q. どんな病気に関わりますか?
セレノプロテインを作るしくみが壊れると、甲状腺ホルモン異常・筋力低下・神経発達の遅れなどが全身に現れます。特定のセレノプロテインの過不足は、2型糖尿病や神経変性とも深く関わります。
🌸Q. セレンはたくさん摂ればよいのですか?
いいえ。不足は酸化ストレスや神経障害の原因になりえますが、高いセレン状態や過剰な補充にも不利益がありうる「両刃の剣」です。大規模試験(SELECT)でもがん予防効果は示されず、高用量補充の安全性に注意が必要であることが示されました。
セレノプロテインとは——セレンが「タンパク質のかたち」で働く
「毒」から「必須ミネラル」へ
セレンは、1817年にスウェーデンの化学者ベルセリウスによって発見された元素です。当初はもっぱらその毒性が注目されていましたが、現在ではヒトを含む多くの生き物にとって正常な生理機能に欠かせない微量必須ミネラルであることがわかっています[1]。歴史的には、セレン不足が心臓の筋肉を傷める克山病(けしゃんびょう)などの重い病気の原因になることも知られてきました。元素としてのセレンそのものの性質は、別ページでも解説しています。
大切なのは、セレンが健康に果たす働きの大部分は、セレンが単独の小さな物質としてではなく、タンパク質の中にアミノ酸として組み込まれることで実現しているという点です[1]。このセレンを含む特別なタンパク質群が「セレノプロテイン(selenoproteins)」で、ヒトのゲノムには25種類のセレノプロテイン遺伝子が見つかっています[1]。
25種類が担う、驚くほど幅広い役割
セレノプロテインには、よく知られたグルタチオンペルオキシダーゼ(GPX)、チオレドキシン還元酵素(TXNRD)、ヨードチロニン脱ヨード酵素(DIO)などの酵素群に加えて、アルファベットを冠した多彩な仲間(SELENOF、H、I、K、M、N、O、P、S、T、V、W など)がいます[2]。これらは細胞内の酸化還元バランスの維持だけでなく、タンパク質の品質管理、カルシウムシグナルの調節、甲状腺ホルモン代謝、免疫の調整など、実に幅広い生理プロセスに関わっています[2]。
セレノプロテインの多くが強力な酸化還元酵素(オキシドレダクターゼ)として働くのは、後で述べる「セレノシステイン」というアミノ酸が、非常に反応性の高い性質を持つからです。つまりセレノプロテインは、細胞を酸化ストレスから守る「防御チーム」であると同時に、体のさまざまな調節を担う「多能なプレーヤー」でもあります。
21番目のアミノ酸——「ストップ信号」を読み替える精巧なしくみ
セレノシステインとは何か
セレノプロテインの主役は、セレノシステイン(Sec、記号はU)という特別なアミノ酸です。これは「21番目のアミノ酸」とも呼ばれ、一般的なアミノ酸であるシステインの硫黄原子が、セレン原子に置き換わった構造をしています[1]。このわずかな違いが、体内のpH環境でセレノシステインに極めて高い反応性(求核性)と酸化還元活性を与え、酵素としての強力な働きの源になっています。
ところが、この21番目のアミノ酸を体が作るには、通常のタンパク質合成とはまったく違う、驚くほど手の込んだしくみが必要です。遺伝暗号のうえで、セレノシステインは本来なら「ここでタンパク質を作り終える」というストップコドンである「UGA」によって指定されているからです[1]。つまり細胞は、状況に応じて「止まれ」の信号を「セレノシステインを入れよ」という指示に読み替える(リコーディングする)必要があるのです。コドンと遺伝暗号のしくみを知っておくと、この巧妙さがより実感できます。
読み替えを可能にする5つの立役者
この「読み替え」には、複数の部品が協力します。まず、mRNA(設計図のコピー)の末尾側(3’非翻訳領域)に、SECISエレメントと呼ばれる特殊なステムループ構造という目印があります[2]。この目印に、SECISBP2(SECIS結合タンパク質2)という因子が結合し、足場として働きます。
SECISBP2が足場になると、そこにeEFSec(セレノシステイン専用の伸長因子)と、セレノシステインを運ぶ特別なtRNA(tRNA[Ser]Sec)が呼び込まれます[3]。このtRNAはTRU-TCA1-1という遺伝子にコードされ、通常のtRNAが約75個の部品でできているのに対し、90個という長い構造を持つ、とても風変わりな分子です。さらに、このtRNAの上でセリンをセレノシステインへと変換する最後の仕上げを担うのが、SEPSECSという合成酵素です[2]。これらがそろって初めて、UGAでセレノシステインが正しく組み込まれます。
セレノシステインの組み込み効率が低下すると、一部のセレノプロテインmRNAではUGAが終止コドンとして認識されやすくなり、ナンセンス変異依存mRNA分解(NMD)の影響を受けます。NMDの受けやすさはセレノプロテインごとに異なり、これがセレン不足時の「優先順位」にも関係します。
「優先順位」がある——セレンが足りないときの体の判断
食事からのセレンが不足したとき、すべてのセレノプロテインが一律に減るわけではありません。体はセレノプロテインの合成に厳密な「優先順位(ヒエラルキー)」を設けています[2]。生命維持に直結する脳や生殖腺、そして細胞死を防ぐうえで必須のGPX4などは、セレンが枯渇しても優先的に守られます。一方、ストレス応答型のGPX1などのmRNAは、セレンが足りなくなるとUGAで翻訳が止まり、NMDの標的として速やかに分解されます。この優先順位は、各mRNAが持つSECIS構造とSECISBP2との結合しやすさの違いなどによって、物理的・生化学的に決まっています[2]。つまり体は、限られたセレンを「本当に大事な場所」に回すよう、賢く配分しているのです。
合成のしくみが壊れる遺伝性疾患——全身に及ぶ影響
セレノプロテインを作る経路にある遺伝子に生まれつきの異常があると、たった1つのタンパク質が欠けるのではなく、多くのセレノプロテインがまとめて不足する「全身性セレノプロテイン欠損症」と呼ばれる、複雑な全身の病気が起こります[1]。これらは、セレノプロテインが体にとっていかに欠かせないかを、臨床の現場で教えてくれる重要な病態です。以下の疾患は、いずれも常染色体潜性(劣性)遺伝という遺伝形式をとります。
SECISBP2欠損症——甲状腺ホルモンの「特徴的な指紋」
SECISBP2は、すべてのセレノプロテインの合成に欠かせない足場役でした。この遺伝子の両方のコピーが働かなくなると、特徴的な甲状腺ホルモンのパターンと成長の遅れを伴う、複雑な多臓器障害が起こります[1]。
甲状腺ホルモンは、前段階のチロキシン(T4)が、末梢の組織で脱ヨード酵素(DIO)という酵素によって活性型のトリヨードチロニン(T3)に変換されて初めて力を発揮します。この脱ヨード酵素(DIO1・DIO2・DIO3)は、いずれも活性中心にセレノシステインを持つセレノプロテインです[4]。SECISBP2の働きが落ちてこれらの酵素活性が全般に低下すると、T4からT3への変換が滞ります。その結果、血液検査では「T4が高値、T3が低下、不活性型のリバースT3(rT3)が上昇、甲状腺刺激ホルモン(TSH)は正常〜軽度上昇」という、この病気にきわめて特徴的な所見が現れます[4]。この組み合わせは、いわば病気の「指紋」のようなもので、診断の大きな手がかりになります。
さらにSECISBP2欠損症は、甲状腺の異常にとどまりません。SELENON(SEPN1)の不足による体幹の筋力低下、感音難聴、言語・運動発達の遅れ、けいれんなどの神経発達上の問題に加え、皮膚の光線過敏、免疫機能の低下、男性不妊(無精子症)など、各組織でのセレノプロテイン不足を反映した広い症状が報告されています[1]。甲状腺ホルモン(T3)の補充は血中バランスの是正や運動発達には役立ちますが、細胞の中で局所的にT3を作る力そのものが欠けているため、言語障害や知的障害などの神経発達の問題まで完全に回復させることは難しいと報告されています[4]。
tRNAとSEPSECSの異常——脳に強く出るタイプ
セレノシステイン専用のtRNAをコードするTRU-TCA1-1遺伝子の異常も、SECISBP2欠損症とよく似た全身症状(甲状腺ホルモン異常、筋力低下、血中セレン低値など)を引き起こします[3]。一方で、セレノシステイン合成酵素であるSEPSECS遺伝子の異常は、進行性小脳大脳萎縮症(PCCA、橋小脳低形成2D型とも呼ばれます)という、脳を中心に強い症状が出る重い神経疾患を引き起こします[5]。これは早期に発症し、進行性の小脳と大脳の萎縮を特徴とします。正常なセレノプロテイン合成が、中枢神経系の発達と維持にいかに決定的かを、如実に物語る病態です[3]。同じ経路の遺伝子でも、壊れる部品によって「甲状腺・全身型」と「脳型」に分かれる点は、遺伝性疾患を理解するうえで示唆に富んでいます。
SELENOP——セレンを全身に配る「運び屋」と、脳・代謝への二面性
SELENOP(セレノプロテインP)は、血液中のセレンの大部分を占める糖タンパク質で、おもに肝臓で作られて分泌されます[6]。ほかの多くのセレノプロテインが1分子に1個のセレノシステインを持つのに対し、ヒトのSELENOPは末端側に最大10個のセレノシステインを含む、とても特殊な構造をしています[2]。この構造のおかげで、SELENOPは抗酸化作用と、各組織へセレンを安全に届ける「トランスポーター(運び屋)」という2つの役割を果たします[6]。
臓器ごとに違う「受け取り口」
肝臓から送り出されたSELENOPは、標的の臓器の細胞にある特別な受容体を通じて、エンドサイトーシスという取り込みのしくみで細胞内に運ばれます。その受け取り口は、LDL受容体関連タンパク質(LRP)ファミリーに属する複数の受容体が、臓器ごとに分担しています。
図1:SELENOPを受け取る臓器ごとの「受容体」
🧠 脳・精巣・骨
受容体:LRP8(ApoER2)。血液脳関門でセレンの取り込みを担い、セレン不足時に脳のセレンを優先的に守り、神経変性を強力に防ぎます。
🫘 腎臓
受容体:LRP2(メガリン)。尿細管でろ過されたSELENOPを再吸収し、尿へのセレン喪失を防いで全身のセレンを守ります。
💪 骨格筋・肝臓
受容体:LRP1。筋肉へのセレン供給を担いますが、SELENOPが過剰だとインスリン抵抗性や運動効果の低下に関わります。
脳を守る「SELENOPサイクル」
脳は、全身の臓器のなかで最も長くセレンをためこみ、極端なセレン不足にも最も強く耐える臓器です。その要になるのが、血液脳関門(BBB)や脈絡叢に豊富にあるLRP8(ApoER2)です[5]。血液中から脳に取り込まれたSELENOPは、アストロサイト(星状膠細胞)などで再合成され、神経細胞へと供給されます。この脳内でのセレンのリサイクルは「SELENOPサイクル」と呼ばれ、神経細胞でのGPX4などの合成を維持し、酸化ストレスや後述するフェロトーシスから神経を守っています[6]。実際、SELENOPやLRP8を欠いたマウスでは、軽いセレン不足でも脳内セレンが正常の半分以下に激減し、重い神経変性や早期の死をもたらすことが示されています[5]。
「ヘパトカイン」としてのSELENOPと2型糖尿病
長らくセレンは「抗酸化物質だから体に良い」と考えられてきました。しかし近年、SELENOPが過剰になると、むしろ病気を作り出す因子になることがわかってきました。肥満やインスリン抵抗性の状態では、肝臓からのSELENOP分泌が異常に増えます。こうした、肝臓から分泌されて全身の代謝を乱すタンパク質は「ヘパトカイン」と総称されます[7]。
過剰なSELENOPは、骨格筋でLRP1を介して取り込まれてインスリンの働きを妨げ、末梢のインスリン抵抗性を引き起こします。さらに、膵臓のβ細胞に働きかけて、血糖に応じたインスリン分泌を抑えてしまう作用も持ちます[7]。こうした知見をもとに、SELENOPの働きを抑える中和抗体(AE2)やアンチセンスオリゴヌクレオチド(ASO)を使うアプローチが動物モデルで検討され、インスリン分泌や耐糖能、インスリン抵抗性を改善しうることが示されています[7]。糖尿病・肥満の遺伝子検査の観点からも、こうした分子の理解は今後ますます重要になると考えられます。ただし、これらは研究段階であり、現時点で一般診療に使える承認薬ではありません。
GPX4と細胞死——「フェロトーシス」の守護者
膜の「サビ」を消せる唯一の酵素
ヒトのGPXファミリーのなかで、GPX4は特別な位置を占めています。ほかのGPXがおもに水に溶けた過酸化水素を処理するのに対し、GPX4は細胞膜やミトコンドリア膜に組み込まれた巨大な「過酸化した脂質」を直接還元して無毒化できる、ほぼ唯一の酵素です[8]。この働きにより、GPX4はフェロトーシス——鉄に依存した過剰な脂質の酸化によって起こる、制御された細胞死——を食い止める重要な守護者として働きます[8]。細胞を守る「消火役」がいなくなると、膜の「延焼」が止まらなくなる、とイメージするとわかりやすいかもしれません。
GPX4の異常が起こす超希少疾患と、個別化医療
ヒトでGPX4遺伝子の両方のコピーが働かなくなると、Sedaghatian型脊椎骨端異形成症(SSMD)という、きわめて稀で致死的な先天性疾患が起こります[9]。SSMDは、骨の形成異常、重い筋緊張低下、致死的な不整脈、中枢神経の発達異常を特徴とし、多くの新生児が生後まもなく重い呼吸不全で亡くなります[9]。原因遺伝子がGPX4であることは、次世代シーケンサーを用いた解析で明らかにされました。
近年、比較的軽い症状を示すSSMDの小児から、GPX4の構造を不安定にして酵素活性を大きく下げるミスセンス変異(p.R152H)が見つかりました[10]。この発見をきっかけに、約28億種もの化合物からなる巨大なライブラリーを用いた探索が行われ、変異型GPX4(R152H)にだけ選択的に結合して、その構造を安定化させ、酵素活性を回復させる低分子化合物が見いだされました[11]。このプレシジョン・メディシン(個別化医療)のアプローチは、患者由来の細胞でフェロトーシスを強力に抑え、細胞の生存率を健常なレベルにまで回復させることに成功しています[11]。これまで有効な治療のなかった超希少・致死性の病気に、新しい科学的希望をもたらす成果です。ただし、これは研究段階の知見であり、一般診療で受けられる治療ではありません。
小胞体のセレノプロテイン——筋肉と細胞ストレスの物語
25種類のセレノプロテインのうち、少なくとも7種類(SELENOF・K・M・N・S・T、DIO2)は、細胞内の小胞体(ER)という場所に集まっています。これらは、細胞内のカルシウム調節、タンパク質の正しい折りたたみ、そして小胞体ストレス応答に深く関わっています[2]。
SELENON(SEPN1)と、呼吸に関わる筋疾患
SELENONは、小胞体(筋肉では筋小胞体)の膜にある糖タンパク質で、内部のカルシウム濃度の変化を感じ取るEFハンドという領域と、酸化還元を担うチオレドキシン様領域を持っています[12]。骨格筋では、SELENONがカルシウムを筋小胞体に汲み戻すSERCAポンプの活性を、酸化還元に応じて調整し、適切なカルシウムの動きを保っています[12]。
SELENON遺伝子の機能喪失は、SEPN1関連ミオパチー(SEPN1-RM)という一連の筋疾患(以前はリジッドスパイン症候群やマルチミニコア病など別々に分類されていました)の原因になります[12]。患者さんは乳幼児期から首や体幹の強い筋力低下を示し、四肢の力は比較的保たれるものの、横隔膜の機能低下による呼吸障害が進み、夜間の人工呼吸を必要とすることもあります[12]。これは先天性ミオパチーの一群として理解されています。
SELENONが失われると、SERCAポンプの働きが乱れて小胞体内のカルシウム調節がうまくいかなくなり、深刻な小胞体ストレスが誘発されます。本来なら細胞は、生き延びるための小胞体ストレス応答(UPR)を働かせますが、SELENON欠損下ではこの応答が「適応不良」に陥ります。具体的には、細胞死を促す転写因子CHOP(DDIT3)や、小胞体内を過度に酸化させるERO1が過剰に働き続け、筋機能の障害が固定化してしまいます[13]。動物モデルでは、CHOPを遺伝的に取り除いたり、ERO1の働きを抑えたり、化学シャペロン(TUDCA)で小胞体ストレスをやわらげたりすると、横隔膜の機能を含む筋症状が改善しました[13]。これは、小胞体ストレス経路がSEPN1関連ミオパチーの有望な治療標的でありうることを強く示しています。
SELENOS・SELENOK——不良品タンパク質の「解体」を助ける
SELENOSとSELENOKは、小胞体膜にある小さなタンパク質で、折りたたみに失敗したタンパク質を小胞体から取り除いて分解する小胞体関連分解(ERAD)という品質管理のしくみで、欠かせない役割を担います[2]。不良品タンパク質を細胞質へ引き抜き、そこでプロテアソームという「解体工場」に送り込む——その足場づくりをSELENOSが手伝います。炎症や小胞体ストレスが高まると、これらの遺伝子は防御反応として活発になります。臨床的には、SELENOSの遺伝子多型が炎症性サイトカインの血中濃度や、心血管疾患のリスクと関連することが報告されており、今後の診断・治療のターゲットとして注目されています[2]。
がん予防と「両刃の剣」——SELECT試験の教訓
セレンは免疫の調節にも幅広く関わり、適切なセレン状態はナチュラルキラー(NK)細胞の働きを高め、マクロファージの性質を調整することが知られています[1]。こうした抗酸化・免疫の働きを背景に、かつては「セレンを補えばがんを予防できるのではないか」という大きな期待が寄せられました。
期待から一転——SELECT試験の結果
1990年代の小規模試験(NPC試験)では、セレン補充が前立腺がんなどの発生率を下げる可能性が示唆されました。この有望な結果を受けて、米国で過去最大規模のランダム化比較試験であるSELECT試験が立ち上げられ、約35,000人の男性を対象に、セレンとビタミンEの前立腺がん予防効果が厳密に検証されました[14]。ところが、追跡の途中でセレンにもビタミンEにも前立腺がんの予防効果はまったく認められず、試験は早期に中止されました[14]。
さらにその後、予防どころか気がかりな傾向が浮かびました。ビタミンE単独群では前立腺がんの発症リスクが統計的に有意に(17%)増加し、セレン単独群では、統計的有意には至らないものの、2型糖尿病の発症リスクが上昇する傾向がみられたのです[14]。
重要な説明の一つは、参加者の「もともとのセレン状態」です。効果が示唆されたNPC試験の対象は比較的セレン状態の低い集団でしたが、SELECT試験の参加者は全体としてセレン状態が高く、後の解析では開始時のセレン状態によって補充の影響が異なる可能性も示されました[15]。つまり、すでに充足している人に高用量を追加しても予防上の恩恵は期待しにくく、不利益が生じる可能性がある——これがSELECTから得られた重要な教訓の一つです。
前の章で見たように、2型糖尿病やインスリン抵抗性の状態では肝臓由来SELENOPの過剰がみられ、実験系ではSELENOPがインスリン抵抗性を促すことが示されています[7]。一方、SELECT試験でみられた糖尿病リスクの上昇傾向について、SELENOPが直接の原因だったと試験自体が証明したわけではありません。両者は機序として整合的ではありますが、ここは「関連」と「直接的な因果」を分けて理解する必要があります。この結果は、「抗酸化物質は多ければ多いほど良い」という単純な発想を見直し、栄養介入では開始時の栄養状態を考える必要があることを示しました[15]。
まとめ——「抗酸化酵素」を超えた制御ネットワーク
セレノプロテインの意義は、単なる「抗酸化酵素」という古典的なイメージをはるかに超えています。細胞内の品質管理、カルシウムシグナル、甲状腺ホルモン代謝、フェロトーシスの制御、そして全身のエネルギー・糖代謝まで——きわめて広く、そして動的な生体制御ネットワークの中核をなしています[2]。SECISBP2欠損症やSEPN1関連ミオパチーの病態からは、セレノプロテインが組織ごとの発達と機能維持にいかに不可欠かが見えてきます。
一方でSELECT試験の失敗と、その後に明らかになったSELENOPによる代謝への影響は、セレンが「両刃の剣」であることを浮き彫りにしました。不足はセレノプロテイン機能を損ないうる一方、高いセレン状態や高用量補充にも不利益が生じる可能性がある——。いまセレノプロテインの研究は、観察から治療的な介入へと大きく舵を切りつつあります。異常なGPX4を化合物で正すアプローチ、SEPN1欠損における小胞体ストレスをやわらげる治療、2型糖尿病に対するSELENOPを狙った創薬など、次世代の可能性が次々と生まれています[11]。今後の臨床応用では、その人のセレン状態や遺伝的背景に基づく精密な見立てが、成功のカギになっていくでしょう。
本記事は情報提供を目的とした一般的な解説です。個別の診断・治療については、医療機関にご相談ください。ここで触れた研究段階の治療法は、一般診療で受けられる承認された治療ではありません。
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参考文献
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