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MYBPC3は、心臓の筋肉だけで働く「心臓ミオシン結合タンパク質C(cMyBP-C)」という大きなタンパク質の設計図となる遺伝子です。このタンパク質は心臓の収縮にかかる「ブレーキ」と「アクセル」を細かく調整する役割を担っており、この遺伝子に変化が起こると、若い世代の突然死の原因にもなる肥大型心筋症(HCM)を引き起こします。本記事では、MYBPC3の基礎から、変化が心臓に与える影響、遺伝のしかた、そしてミオシン阻害薬・遺伝子治療・塩基編集といった最新の治療開発までを、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。
Q. MYBPC3遺伝子とはどんな遺伝子ですか?まず結論だけ知りたいです
A. MYBPC3は、心臓の筋肉だけで働くタンパク質「cMyBP-C」の設計図で、肥大型心筋症(HCM)の最も多い原因遺伝子です(全患者の約20〜35%)。この遺伝子の片方がこわれてタンパク質の量が半分に減ると(ハプロ不全)、心臓の収縮を抑える「ブレーキ」が弱まり、心筋が過剰に収縮して分厚くなります。常染色体顕性(優性)遺伝で、子へ2分の1の確率で受け継がれます。近年はミオシン阻害薬・遺伝子治療・塩基編集など、原因そのものに迫る治療開発が一気に進んでいます。
- ➤MYBPC3の正体 → 心臓のサルコメアで収縮の「ブレーキ役」を担うcMyBP-Cタンパク質の設計図
- ➤なぜ病気になるか → 切断型変異でタンパク質量が半減(ハプロ不全)し、ブレーキが外れて心筋が過収縮
- ➤遺伝のしかた → 常染色体顕性(優性)。浸透率は不完全。両アレルに変異があると重症の新生児型に
- ➤検査 → 発症者・血縁者は心臓血管系の遺伝子パネルや全エクソーム検査。家族のカスケード検査が重要
- ➤最新治療 → 心筋ミオシン阻害薬、AAV遺伝子補充療法、塩基編集による根本治療の開発が進行中
1. MYBPC3遺伝子とは:心臓を動かす「設計図」の正体
心臓は、私たちが眠っている間も止まることなく拍動を続け、全身に血液を送り出しています。このポンプ機能を細胞レベルで支えている最小の収縮装置が「サルコメア」です。サルコメアの中では、太いフィラメント(ミオシン)と細いフィラメント(アクチン)が滑り合うことで筋肉が縮みます。この滑り合いを精密にコントロールしている司令塔のひとつが、心臓ミオシン結合タンパク質C(cardiac myosin binding protein C;cMyBP-C)です。MYBPC3は、このcMyBP-Cの設計図となる遺伝子です[1]。
骨格筋にも似たタンパク質(アイソフォーム)が存在しますが、MYBPC3は心臓の筋肉だけで働く「心筋特異的」な遺伝子である点が重要です[2]。場所はヒトの11番染色体の短腕(11p11.2)にあり、全長は21,000塩基対を超え、35個のエクソン(タンパク質の情報を担う部分)から構成される、非常に複雑な構造をもっています[3]。なかには、わずか3塩基という極端に小さいエクソンも含まれており、精巧なスプライシング(情報のつなぎ合わせ)によって心臓専用の機能部品が作り分けられています。
そしてMYBPC3は、臨床的にきわめて大きな意味をもつ遺伝子です。肥大型心筋症(HCM)の最も頻度の高い原因遺伝子であり、全HCM患者のおよそ20〜35%を占めると報告されています[1]。HCMはおよそ500人に1人が罹患する身近な遺伝性疾患で、若年アスリートの突然死の主要な原因であると同時に、進行性の心不全や致死性不整脈を引き起こす重大な病気です。
💡 用語解説:肥大型心筋症(HCM)とは
肥大型心筋症(Hypertrophic Cardiomyopathy)とは、高血圧などの明らかな原因がないのに心臓の壁(とくに左心室)が厚くなる病気です。壁が厚くなると、血液を送り出す部分が狭くなったり、心臓がうまく広がれなくなったりして、息切れ・胸痛・動悸・失神などを起こします。多くは大人になってから症状が出ますが、無症状のまま経過する人も少なくありません。不整脈による突然死のリスクがあるため、家族歴がある場合は定期的な心臓のチェックが大切です。くわしくは肥大型心筋症(HCM)の解説ページをご覧ください。
2. cMyBP-Cタンパク質の構造:11個の「ビーズ」がつながった分子
🔍 関連記事:タンパク質のドメインとは/モータータンパク(ミオシン)/タンパク質モジュール
MYBPC3が作るcMyBP-Cは、分子量およそ140 kDaの巨大なタンパク質です。形は、複数の小さな部品(ドメイン)が数珠つなぎになった「ビーズのネックレス」のような構造をしています。具体的には、免疫グロブリンI様(Ig様)ドメイン8個と、フィブロネクチンIII様(FnIII様)ドメイン3個の、合計11個のドメインから構成されています。各ドメインはN末端側からC末端側へ「C0」から「C10」まで番号が振られています[7]。
骨格筋型がC1〜C10の10個しかもたないのに対し、心筋型のcMyBP-CだけがN末端に「C0ドメイン」という追加部品をもつのが、構造的・機能的な決定的な違いです。この心臓専用の部品が、心臓の絶え間ない拍動の要求に応じた繊細な調整を可能にしています。
cMyBP-Cのドメイン構造(C0〜C10)と結合相手
C1
M
C2
C3
C4
C5
C6
C7
C8
C9
C10
連結領域 C3〜C6:ミオシンの折り畳みを安定化
固定領域 C7〜C10:ミオシンLMM・タイチンに結合
N末端側(C0〜C2)が収縮を「制御」し、C末端側(C7〜C10)がタンパク質をサルコメアの所定位置に「固定」する。M=心筋特異的な調節領域(リン酸化部位が集中)。
役割を大きく3つに分けると分かりやすくなります。N末端側(C0〜C2と、その間にあるM領域)は収縮を「制御」する司令部で、アクチンやミオシンの根元(S2領域)と直接やり取りします。中央のC3〜C6は「連結・安定化」を担い、ミオシンの頭部が省エネ状態に折り畳まれた配置を保つ係留索(テザー)として働きます[7]。C末端側のC7〜C10は「固定(アンカー)」で、ミオシンフィラメントの本体やタイチン(巨大な弾性タンパク質)に強固に結合し、cMyBP-Cを正しい位置に整列させます。極低温電子顕微鏡を使った高精細な構造解析でも、C末端ドメイン群がミオシンフィラメント上の規則的な配置を認識して精密にドッキングしている様子が示されています[8]。
3. サルコメアでの働き:心臓の「ブレーキ」と「アクセル」
cMyBP-Cは、ただの足場ではありません。心臓の収縮の強さとスピードを微調整する、ダイナミックな調整役(モジュレーター)です。その働きは、相反する2つの作用の絶妙なバランスによって成り立っています。
① ブレーキ機能。ふだん(リン酸化されていない状態)、cMyBP-CのN末端はミオシンの根元(S2領域)に結合し、ミオシンの頭部がアクチンに近づくのを物理的に抑えています。これによりミオシンは、エネルギー消費が極めて少ない「超弛緩状態(SRX)」という省エネの折り畳み姿勢に保たれます。車に例えると、エンジンがアイドリングのときにブレーキがかかっている状態です。実際に、MYBPC3を欠損させたモデルでは、ミオシン頭部が外向きに飛び出しやすくなることがX線回折で物理的に確認されています[6]。
② アクセル機能。一方でcMyBP-Cは、細胞内のカルシウム濃度が比較的低いときにアクチンに直接結合し、ミオシンが結合できる部位を露出させて、収縮を部分的にあと押しする働きももっています。つまり、状況に応じて「抑える」と「促す」を切り替えることで、力の発生と弛緩のバランスを精密に保っているのです。
💡 用語解説:超弛緩状態(SRX)とは
超弛緩状態(Super-Relaxed state;SRX)とは、ミオシンの頭部が折りたたまれてエネルギー(ATP)をほとんど使わずに「待機」している省エネ状態のことです。心臓は休みなく動き続けるため、必要のないときにミオシンを省エネで休ませておくしくみがとても重要です。cMyBP-CはこのSRXを安定させる「省エネ係」でもあり、cMyBP-Cが減るとミオシンが省エネ状態を保てず、不必要に収縮してしまうことが、心筋が分厚くなる一因と考えられています。
4. リン酸化による制御:心臓の「可変抵抗器」
🔍 関連記事:翻訳後修飾とは/キナーゼとは/高度に保存された配列
cMyBP-Cの働きは、リン酸化(翻訳後修飾)によって劇的に変化します。運動時や緊張時など、心臓に強い働きが求められる場面で、収縮力と弛緩のスピードを瞬時に、しかも元に戻せる形で高める——この「可変抵抗器(レオスタット)」の役割を担うのがリン酸化です[4]。
リン酸化は、M領域にある特定のセリン残基にリン酸基が付くことで起こり、プロテインキナーゼA(PKA)・カルモジュリン依存性キナーゼII(CaMKII)・プロテインキナーゼC(PKC)という複数の経路の標的になります。これらの部位は生き物の種をこえて高度に保存されており、進化的に重要な機能であることが分かります[4]。リン酸化には明確な順番(階層性)があり、特定の部位が先にリン酸化されることが、その後の他の部位のリン酸化の前提条件になることも示されています。なお、リン酸化部位の番号は採用する番号系によって表記が異なります。
cMyBP-Cがリン酸化されると形が変わり、ミオシンS2との結合がゆるみます。これにより「ブレーキ」が外れ、ミオシンがアクチンと架橋を作りやすくなって、収縮が加速します。逆に、心不全などの病的な状態ではリン酸化のレベルが大きく低下しており、これが収縮・拡張障害の悪循環の一因になると報告されています[1]。また、心筋が傷ついたときに分解されたcMyBP-Cが血中に放出されるため、心筋障害のバイオマーカー候補としても注目されています。
5. 変異と病態:なぜMYBPC3の変化が心臓を分厚くするのか
HCMの原因となるMYBPC3の変化は、大きく2つのタイプに分けて考えると理解しやすくなります。
タイプ①:切断型(トランケーション)変異とハプロ不全
HCMで見つかるMYBPC3の変化の大部分は、ナンセンス変異・フレームシフト変異・スプライシング異常など、途中でタンパク質が打ち切られる「切断型(トランケーション)変異」です[5]。こうした変異で作られた不完全な情報(mRNA)は、細胞の品質管理機構(ナンセンス変異依存的mRNA分解)によって速やかに壊されます。仮に一部が作られても、不良品のタンパク質はユビキチン・プロテアソーム系によってすぐに分解されます。
その結果、変異した側のアレルからは正常なcMyBP-Cが供給されなくなり、正常な側1本分だけでは必要量をまかなえなくなります。この「量が半分になって足りなくなる」状態がハプロ不全です。cMyBP-Cの量が減ると「ブレーキ」が効かなくなり、過収縮(収縮しすぎ)と、それに見合わない弛緩障害(うまく広がれない)が起こります。この力学的な負担が、心筋を厚くするシグナルや線維化を呼び覚まし、病態を進めていきます[6]。実際、切断型変異をもつ人は、もたない人に比べてHCMを発症するオッズ比が118倍に達するという報告もあり、その影響の大きさがうかがえます[5]。
💡 用語解説:ハプロ不全(ハプロふぜん)とは
私たちは1つの遺伝子を父由来・母由来の2本もっています。ハプロ不全とは、片方の遺伝子がこわれて働かなくなり、残った1本だけでは必要なタンパク質の量が足りなくなる状態のことです。MYBPC3関連HCMでは、このタンパク質の「量不足」そのものが病気の引き金になります。だからこそ、不足したタンパク質を外から補う遺伝子治療(後述)が、理にかなったアプローチとして期待されているのです。
タイプ②:ミスセンス変異とドミナントネガティブ効果
もうひとつは、アミノ酸が1つ別のものに置き換わる「ミスセンス変異」です。切断型が遺伝子全体に散らばるのに対し、病原性の高いミスセンス変異は、ミオシン結合部位やリン酸化部位など機能的に重要な領域に集中する傾向があります[1]。たとえばC5ドメインの心筋特異的な挿入配列の両端に位置する変異は構造の安定性を損ない、C3ドメインの変異はドメインの折りたたみ自体を不安定にすることが知られています。
こうしたミスセンス変異は、異常なタンパク質が正常なタンパク質の働きを直接じゃまする「ドミナントネガティブ効果」をもたらすか、あるいはミスフォールディング(折りたたみ不良)を経て分解が進み、最終的には切断型と同じ「タンパク質不足」の状態に行き着くと考えられています[5]。
💡 用語解説:ミスセンス変異・ナンセンス変異とは
ミスセンス変異は、設計図の1文字が変わってアミノ酸が別のものに置き換わる変化で、「形は作られるけれど異常な」タンパク質ができます。ナンセンス変異は、設計図が途中で「終わり」の合図に変わってしまい、「タンパク質がそもそも完成しない(切断型になる)」変化です。
同じ遺伝子でも、ナンセンス変異などの切断型では量が半減するハプロ不全に、ミスセンス変異では異常タンパク質によるドミナントネガティブになりやすい、という違いが生じることがあります。さらにくわしくは変異の種類と影響の解説ページをご覧ください。
表現型の多様性と、心臓以外の関与
MYBPC3変異による病気は、不完全浸透(変異があっても発症しない人がいる)や、年齢・性別に依存した発症を示すことが多く、遺伝的・環境的な修飾因子の存在が強く示唆されています[1]。典型的なHCMだけでなく、左室心筋緻密化障害(LVNC)や、量が大きく減る経過では拡張型心筋症(DCM)の特徴を示す例も報告されています。
6. 遺伝のしかたと家族:1人見つかったら家族みんなで考える
🔍 関連記事:常染色体顕性遺伝とは/カスケード検査/ACMG二次的所見の遺伝子リスト
MYBPC3関連HCMは、多くが常染色体顕性遺伝(優性遺伝)を示します。これは、片方のアレルに病的変異があるだけで発症しうる遺伝形式で、変異をもつ親から子へは、性別に関係なく2分の1(50%)の確率で受け継がれます。ただし、前述のとおり浸透率は不完全で、変異を受け継いでも生涯発症しない人や、発症が高齢になる人もいます。だからこそ「変異がある=必ず発症する」とは言えず、丁寧な説明が欠かせません。
💡 用語解説:常染色体顕性(優性)遺伝とは
常染色体顕性(けんせい)遺伝は、かつて「常染色体優性遺伝」と呼ばれていた遺伝形式です(新旧の用語を併記します)。2本ある遺伝子の片方に変異があるだけで発症しうるのが特徴で、子へは2分の1の確率で伝わります。HCMのように家族内で受け継がれる病気では、1人が診断されたときに血縁者へどう向き合うかが大切なテーマになります。くわしくは常染色体顕性遺伝の解説ページへ。
両アレルに変異があると:重症の新生児型
ここで重要なのが、「片方か、両方か」で病態が大きく変わるという点です。1本だけの変異(ヘテロ接合)は成人発症のHCMが中心ですが、両方のアレルに切断型変異がそろうと(ホモ接合または複合ヘテロ接合)、新生児期に発症する重症の心筋症となり、しばしば致死的になることが報告されています[15]。これは、cMyBP-Cがほぼ完全に欠乏してしまうためです。両親がともに同じ遺伝子の変異をもつ場合などには、このリスクを念頭に置いた遺伝カウンセリングが必要になります。保因者(キャリア)という観点からの整理が役立つ場面です。
集団に多い「創始者変異」の存在
MYBPC3には、特定の集団に高頻度でみられる「創始者変異」が知られています。代表的なのが、南アジア系の集団に高頻度(数%規模)でみられる25塩基の欠失で、不完全浸透ながら加齢に伴う心筋症のリスクを高めることが報告されています[16]。世界規模では非常に多くの保因者がいると考えられ、集団遺伝学的にも臨床的にも大きな意味をもつ変異です。
💡 用語解説:創始者変異(そうししゃへんい)とは
創始者変異とは、ある集団の祖先となった少数の人々がもっていた特定の変異が、世代を重ねるうちにその集団内で高い頻度になったものです(創始者効果の結果生じます)。同じ祖先をもつ人々の間で同一の変異が繰り返し見つかるのが特徴で、出身集団によって注意すべき変異が異なることを示す好例です。
血縁者の「カスケード検査」という考え方
ある人(発端者)で病的変異が見つかった場合、その家族歴をたどって、血縁者に同じ変異があるかどうかを順番に調べていく方法をカスケード検査と呼びます。変異が確認された血縁者は、症状が出る前から心臓の定期チェックを始めることで、突然死を含むリスクに早めに備えられます。MYBPC3はアメリカ臨床遺伝・ゲノム学会(ACMG)が示す「二次的所見」(検査で偶然見つかったときに本人へ伝えることが推奨される、対策可能な遺伝子)のリストにも含まれており[ACMG SF解説]、まさに「知ることで対策できる」遺伝子の代表例です。
7. 検査:出生後と出生前で分けて理解する
遺伝学的検査は「出生後」と「出生前」で目的も方法も異なります。混同しないよう、分けて整理します。MYBPC3関連HCMは多くが成人発症であるため、検査の中心は発症者・血縁者を対象とした出生後の検査です。
🤰 出生前の検査(限定的)
前提:家族内で病的変異がすでに判明している場合に限り検討
確定検査:絨毛検査・羊水検査で採取した検体に対するターゲット遺伝子解析(既知の変異の有無を確認)
大切な前提として、MYBPC3関連HCMは多くが成人発症で浸透率も不完全なため、「出生前に見つけること」が常に利益になるとは限りません。出生前の検査は、家族内で病的変異が判明しているなどの状況で、ご家族が十分な情報のもとに希望された場合に限って検討される選択肢です。私たち医師は中立・非指示的な立場で情報をお伝えし、検査を受けるかどうかの判断はご家族に委ねます。なお、MYBPC3はde novo(新生突然変異)よりも、親から受け継がれる例が多い遺伝子です。確定診断後の対応は、必ず遺伝カウンセリングとセットで考えることをおすすめします。
8. 最新治療:症状を抑える薬から、原因を治す治療へ
MYBPC3研究の進歩は、治療を大きく3つの段階へと押し上げています。「症状を抑える薬」から、「不足を補う治療」、そして「設計図そのものを直す治療」へ——という流れです。
① 心筋ミオシン阻害薬:過収縮を直接抑える
HCMの本質が「ミオシンの過収縮」にあるという理解にもとづき、過収縮を直接抑える新しいクラスの薬が登場しました。心筋ミオシン阻害薬です。先行するマバカムテンが2022年に承認された後、第2の薬としてアフィカムテン(商品名 MYQORZO)が2025年12月に米国FDAから承認されました[9]。いずれも「症候性閉塞性肥大型心筋症(oHCM)」の運動耐容能と症状の改善を適応とし、アフィカムテンは第3相SEQUOIA-HCM試験などの結果にもとづいて承認されています。
作用のしくみは、ミオシンのモーター活性をアロステリックかつ可逆的に抑え、ミオシンを省エネの超弛緩状態(SRX)へ戻して安定化させることです。これにより過剰な収縮性を安全なレベルに抑え、左室流出路の閉塞を和らげ、息切れや疲労といった症状を改善します。ただし心機能の低下(心不全)に関する枠組み警告(Boxed Warning)があり、投与前後で心エコーによるモニタリングが必要で、米国では安全使用のための管理プログラム(REMS)のもとで使われます[9]。これらは症状と血行動態を改善する標的治療ですが、MYBPC3の量不足という根本を直すものではありません。
② AAV遺伝子補充療法:足りないタンパク質を補う
ハプロ不全=「量が足りない」が原因なら、正常なMYBPC3を外から補えばよい——この発想にもとづくのが遺伝子補充療法です。最も先行するプログラムのひとつがTN-201で[10]、心筋への届きやすさにすぐれたアデノ随伴ウイルス9型(AAV9)に正常なMYBPC3を載せ、1回の点滴で心筋細胞へ届けて、不足したcMyBP-Cを持続的に作らせるという戦略です。
第1b/2相試験(MyPEAK-1)の中間データでは、ウイルスベクターが心筋に届いて治療用タンパク質が作られていること(標的への到達)、心筋障害の指標であるトロポニンIの明らかな低下、左室心筋重量や壁厚などの構造指標の改善傾向、そして心不全症状(NYHA分類)の改善が報告されています[11]。安全性についても、用量制限毒性は観察されず、最も多い有害事象はステロイドで管理可能な一過性の肝酵素上昇でした[11]。TN-201はFDAからファストトラック・希少疾病用医薬品・希少小児疾患の各指定を受けています[10]。なお現時点ではいずれも臨床試験段階であり、長期の安全性・有効性は今後の検証が必要です。
MYBPC3を標的とした治療開発の「3つの段階」
下にいくほど「原因そのもの」に近づく
バーの長さは「原因への近さ」のイメージを表す概念図で、有効性の大小を示すものではありません。
③ ゲノム編集(塩基編集):設計図そのものを書き換える
さらに踏み込んだアプローチが、患者さん自身のゲノム上の変異を直接修復するゲノム編集です。2025年に報告された研究では、MYBPC3の特定のスプライス部位変異(c.772G>A)を導入したヒト化マウスに対し、生体内でのアデニン塩基編集による治療が成功したことが実証されました[12]。二重鎖を切らずに標的のアデニンをグアニンへ書き換える塩基エディターを、心筋特異的プロモーターと組み合わせた二重AAV9で届けた結果、心筋細胞レベルでは推定で約半数の細胞で変異が修復され、線維化の抑制や心機能の回復が確認されました[12]。ただしこれは動物モデルでの前臨床段階の成果であり、ヒトでの安全性・有効性はこれからの検証課題です。
💡 用語解説:塩基編集(ベースエディティング)とは
塩基編集は、DNAの二重らせんを切断せずに、設計図のたった1文字(塩基)をピンポイントで書き換える技術です。従来のゲノム編集(DNAを切る方式)より細胞への負担が少ないと期待されています。1文字の置き換えで病気が起こるタイプの変異(点変異)は、この方法と相性がよく、MYBPC3のスプライス部位変異の修復はその好例です。
なお、ヒト胚を用いたゲノム編集の研究も2017年に報告されていますが(高い確率で変異が修復されたとされる一方、その修復メカニズムには科学的な議論があります)[13]、胚の編集は技術的・倫理的な課題が大きく、臨床応用されているものではありません。また基礎研究では、ネコのHCMで多くみられるMYBPC3変異をヒトiPS細胞に導入した疾患モデルが作られ、新しい治療薬や編集ツールを大規模に試すための強力な土台となっています[14]。
9. よくある誤解
誤解①「変異があれば必ず発症する」
MYBPC3関連HCMは浸透率が不完全で、変異をもっていても生涯発症しない人や、発症が高齢になる人もいます。「変異がある=必ず発症」ではなく、定期的な心臓のチェックで備える、というのが正しい向き合い方です。
誤解②「片方の変異も両方の変異も同じ」
片方だけ(ヘテロ)は成人発症のHCMが中心ですが、両方のアレルに変異がそろうと新生児期の重症型になり得ます。「片方か両方か」で病態が大きく変わる点は、家族計画の文脈でとても重要です。
誤解③「遺伝子治療がもう普通に受けられる」
AAV遺伝子補充療法や塩基編集は非常に有望ですが、いずれも臨床試験または前臨床(動物)の段階です。一般診療で受けられる治療ではなく、長期の安全性・有効性は今後の検証が必要です。
誤解④「MYBPC3はNIPTで調べられる」
MYBPC3関連HCMは成人発症が中心の心臓の遺伝子で、出生前のスクリーニング対象とは性質が異なります。発症者・血縁者の検査は、出生後に心臓血管系の遺伝子パネルや全エクソーム検査で行うのが基本です。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
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- [2] MYBPC3 gene. MedlinePlus Genetics. [MedlinePlus]
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- [6] Haploinsufficiency of MYBPC3 Exacerbates the Development of Hypertrophic Cardiomyopathy in Heterozygous Mice. PMC. [PMC4642280]
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