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L-セリンとは?ALS・アルツハイマー病から睡眠まで──アミノ酸が拓く治療の最前線を遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

L-セリンは、体の中でブドウ糖からつくり出せる「非必須アミノ酸」です。「非必須」と聞くと重要でないように感じますが、実際には正反対で、脳の神経のはたらき・タンパク質の品質管理・細胞膜の材料づくりが交差する代謝の要石(かなめ)として注目されています。まれな遺伝性の神経疾患から、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やアルツハイマー病、さらには健康な人の睡眠の質まで、L-セリンは驚くほど広い場面で顔を出します。この記事では、L-セリンが体の中で何をしていて、なぜ遺伝の診療とも関わってくるのかを、遺伝専門医がやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約16分
🧬 アミノ酸・神経伝達・代謝と遺伝
臨床遺伝専門医監修

Q. L-セリンとは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. L-セリンは、体内でブドウ糖の代謝からつくられる非必須アミノ酸で、脳では主にアストロサイト(星のかたちをしたグリア細胞)がつくって神経細胞に渡しています。神経を興奮させるNMDA受容体のスイッチ役であるD-セリンやグリシンの材料になり、細胞膜の脂質(スフィンゴ脂質)の出発点にもなります。この「材料としての幅広さ」ゆえに、ALS・アルツハイマー病・統合失調症・遺伝性ニューロパチー・睡眠など、多くの場面で研究が進んでいます。L-セリンは米国でもサプリメント成分として利用されており、比較的高用量を用いた臨床研究も行われています。

  • 脳での役割 → 神経のスイッチ役D-セリン、抑制性のグリシン、細胞膜の脂質の共通の材料になる
  • ALS・アルツハイマー病 → 毒素の誤取り込み防止や、脳のD-セリン不足の補充という切り口で臨床研究が進む
  • HSAN1・MacTel → 酵素の基質競合を利用して、毒性脂質の産生を物理的に抑える治療戦略
  • 睡眠の質 → 就寝前の摂取で入眠や睡眠維持が改善したという小規模なヒト試験がある
  • 遺伝診療との接点 → L-セリンをつくる酵素の遺伝子(PHGDH等)の変化は、遺伝子診断・遺伝カウンセリングの対象になる

1. L-セリンとは ─ 「非必須」でも欠かせないアミノ酸

L-セリンは、体の中で自分でつくり出せるため「非必須アミノ酸」に分類されますが、その役割はタンパク質の部品にとどまりません。近年の研究では、神経のはたらきを支えるシグナル伝達物質代謝のハブ(結節点)として、極めて重要であることがわかってきました[1]。「非必須だから摂らなくてよい」という意味ではなく、「体が足りないぶんをつくって補える」という意味だと理解してください。裏を返せば、つくる仕組みが壊れると深刻な不足に陥ります。

💡 用語解説:アミノ酸のL体とD体

アミノ酸には、右手と左手のように鏡に映すと重なる「L体」と「D体」という2つのかたちがあります。体をつくるタンパク質に使われるのはほとんどがL体です。ところが脳では、L-セリンから変換されたD-セリンが、神経の重要なスイッチ役として特別なはたらきをします。この記事では「L-セリン」と「D-セリン」がたびたび登場しますので、まず「材料がL体、脳のスイッチ役がD体」と覚えておくと読みやすくなります。

L-セリンは、脳のはたらきに関わるアミノ酸のひとつとして、こうしたD体・L体の両面から研究されています。

L-セリンは細胞の中で、大きく分けて4つの重要な仕事をしています。第一に、神経を興奮させるNMDA受容体のスイッチ役であるD-セリンや、抑制性の神経伝達物質グリシンの材料になります[1]。第二に、セリンパルミトイル転移酵素(SPT)という酵素のはたらきで、細胞膜に欠かせないスフィンゴ脂質をつくる出発点になります。第三に、1炭素代謝という経路を通じて、DNAの材料づくりや細胞を守る抗酸化物質の生成に関わります。第四に、免疫の細胞を炎症を抑える方向へ切り替え、神経を守るはたらきも報告されています[1]

これらの役割を「自分や家族にとっての意味」に置き換えると、こうなります。L-セリンをつくる・使う仕組みのどこかがうまく働かなくなると、記憶や末梢神経、視力といった一見バラバラの症状が現れうるということです。だからこそ、この1つのアミノ酸を理解しておくと、複数の疾患を横断的に見通せるようになります。

2. 脳での作られ方 ─ アストロサイトが神経を支える

L-セリンは血液から脳へ入りにくいため、脳の中で使われるL-セリンの大部分は、脳自身が新たにつくり出しています。そのつくり手の主役が、星のかたちをしたグリア細胞アストロサイトです。神経細胞はL-セリンを自前でほとんどつくれず、アストロサイトから受け取ることに依存しています[1]。この「支える側」と「支えられる側」の関係が、この記事全体を貫く重要な鍵になります。

アストロサイトは、ブドウ糖を分解する解糖系の途中でできる物質から、3つの酵素を順番に使ってL-セリンをつくります。その最初の一歩を担う律速酵素(全体のスピードを決める酵素)がPHGDHです。つくられたL-セリンは神経細胞に渡され、そこでセリンラセマーゼという酵素によってD-セリンへと変換されます[1]。このD-セリンが、記憶や学習の土台となる神経のつながりの強化に不可欠なのです。

図1:ブドウ糖からD-セリンまでの流れ(アストロサイト→神経細胞)

ブドウ糖
(解糖系)
中間体
(3-PG)
L-セリン
(PHGDHが律速)
D-セリン
(神経細胞で)

アストロサイトがブドウ糖からL-セリンをつくり、神経細胞がそれをD-セリンに変えてNMDA受容体を動かします。

この流れが読者やご家族にとって持つ意味は明確です。「アストロサイトがL-セリンをつくれなくなる」こと自体が、記憶や神経のはたらきの低下につながりうるということです。次の章から見ていくように、この仕組みのどこがどう壊れるかによって、現れる病気が変わってきます。

3. ALS(筋萎縮性側索硬化症)への応用

ALSでは、L-セリンが「毒素の誤取り込みを防ぐ盾」と「毒性タンパク質を掃除するスイッチ」という二重のはたらきで、神経を守る可能性が研究されています。ただし現時点では安全性が確認された段階で、治療として確立したものではありません。

ALSは、体を動かす運動神経が少しずつ壊れていく重い病気で、その約9割はご家族に同じ病気の方がいない孤発性です。原因として環境要因と遺伝要因の複雑な組み合わせが疑われており、なかでも注目されてきたのが、湖沼などで増える血液中でも検出される藍藻(シアノバクテリア)がつくる神経毒BMAAです。BMAAはL-セリンと構造がよく似ているため、タンパク質をつくる過程でL-セリンと間違えて取り込まれてしまうことが報告されています[2]

この「材料の取り違え」が起きると、できあがったタンパク質が正しく折りたためず、細胞の中で毒性のかたまりになります。細胞や動物の実験では、L-セリンをたっぷり与えると、リボソーム(タンパク質の製造工場)でBMAAとの競争が起き、BMAAの誤った取り込みを効果的に抑えられることが示されました[2]。これがL-セリンの「盾」としての役割です。

さらに近年、L-セリンの守るはたらきは、毒素との競争だけにとどまらないことがわかってきました。L-セリンは、細胞の中の掃除システムであるオートファジー・リソソーム系の酵素カテプシンBとカテプシンLのはたらきを選んで高め、別の分解装置であるプロテアソームには影響を与えずに、折りたたみに失敗したタンパク質の除去を促すことが報告されています[3]。つまりL-セリンは、毒素を防ぐ「盾」と、たまった毒性タンパク質を掃除する「スイッチ」の両方として働きうるのです。

ヒトでの臨床試験でわかっていること

安全性を確かめるため、FDAのIND(Investigational New Drug:治験薬)制度のもとで二重盲検の第I相臨床試験が行われました。発症から3年以内で呼吸機能が保たれたALS患者20名を対象に、1回0.5g・2.5g・7.5g・15gを1日2回、6か月間投与し、安全性と病気の進み方を追跡しています[4]。結果として、L-セリンは概ねよく耐えられ、重大な有害事象は起きませんでした。試験中に3名が亡くなりましたが、これらはALSの自然経過によるものと判断され、L-セリンとの因果関係は否定されています[4]

有効性については、過去のALS臨床試験のプラセボ群430名と比べて、L-セリンを投与された群では機能低下の速度が用量に応じてゆるやかになる傾向がみられ、進行速度の傾きが約34%小さくなったと報告されています[4]。ただしこれは少人数での探索的な結果であり、確定した効果ではありません。以後、より大規模な第IIa相試験(1日30g)も行われましたが、こちらは治験実施体制上の理由(審査委員会の指摘)で早期終了となっており、これはL-セリン自体の安全性への懸念によるものではないことが明記されています。現時点で言えるのは「1日最大30gまでは安全に使えそうだ」という段階までだと理解してください。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「安全そう」と「効く」は別の段階です】

L-セリンのように「安全性が高く、幅広い病気に関わる物質」の情報は、期待とともに一人歩きしやすいものです。けれど医学では、「安全に使える」ことと「病気に効く」ことは、まったく別の段階として扱います。ALSの第I相試験でわかったのは前者であり、進行がゆるやかになる傾向は、あくまで少人数での探索的な観察にすぎません。

私は、こうした「期待できる基礎研究や小規模試験」を患者さんにお伝えするとき、必ずこの段階の違いを添えるようにしています。希望を持っていただくことと、確定した効果があるかのように誤解されることは、別だからです。研究の現在地を正確にお渡しすることが、長い目で見ていちばん誠実だと考えています。

4. アルツハイマー病 ─ 脳の「エネルギー不足」とL-セリン

アルツハイマー病の早い段階では、アストロサイトがL-セリンをつくる力が落ち、その先でD-セリンが不足して神経のつながりが弱まる、という連鎖が動物実験で示されています。L-セリンの補充がこの連鎖を戻せる可能性が注目されていますが、ヒトでの治療として確立したものではありません。

アルツハイマー病というと、アミロイドβやタウというタンパク質のたまり方に注目が集まります。しかし、これらのタンパク質がたまるよりも前の非常に早い段階で、脳のブドウ糖の使われ方(代謝)が低下していることが、画像検査で以前から知られていました。近年の研究は、この代謝の低下が単なるエネルギー不足ではなく、アストロサイトでのL-セリン産生の破綻を意味し、それが認知機能の低下に直接つながっていることを示しました。

フランスの研究チームによる2020年の報告は、この「アストロサイトと神経細胞の代謝の連携」がアルツハイマー病で崩れていることを示しました[5]。彼らは、患者の死後脳や若いアルツハイマー病モデルマウスで、アストロサイトの解糖系が障害され、L-セリン合成の律速酵素PHGDHのはたらきが著しく低下していることを見つけています。その結果、次のような連鎖が起こります。

図2:アルツハイマー病でのL-セリン不足の連鎖

解糖系の低下
PHGDH活性↓
L-セリン産生↓
アストロサイト
D-セリン不足
神経細胞
記憶・学習の低下
シナプス可塑性↓

エネルギー代謝の低下が、材料不足を通じて記憶のしくみの弱まりへとつながります。

この研究で希望が持てるのは、治療の可能性まで示されている点です。空間記憶に障害を持つアルツハイマー病モデルマウスにL-セリンを豊富に含む食事を2か月間与えたところ、脳内のD-セリンが回復し、NMDA受容体のはたらきが正常化して、記憶の欠損が回復したと報告されています[5]。また、海馬のアストロサイトでPHGDHのはたらきを人為的に止めたマウスでも、同じような記憶の低下が起こり、それがL-セリンの経口投与で予防されました[5]。このことは、L-セリン産生の低下が単なる結果ではなく、認知機能低下の「原因」の一つでありうることを示しています。

ご本人やご家族にとっての意味を整理すると、次のようになります。これは動物実験と患者死後脳の解析に基づく知見であり、L-セリンがヒトのアルツハイマー病の治療薬になると確定したわけではありません。PHGDHの発現量が本当に減っているかについては研究者の間でも議論があり、酵素の量だけでなく解糖系の「流れ」の変化が重要だとする反論もあります。あくまで「有望な仮説と前臨床データ」の段階として受け止めてください。

5. 統合失調症 ─ NMDA受容体とD-セリンのバランス

統合失調症では、神経のスイッチであるNMDA受容体のはたらきが弱まっている可能性が指摘されており、その背景としてD-セリンの不足が繰り返し報告されています。L-セリンやD-セリンの補充が症状の改善につながるかが研究されていますが、確立した標準治療ではありません。

統合失調症の成り立ちについては、ドーパミンの関与に加えて、近年は「NMDA受容体のはたらきが低下している」という仮説が有力視されています。NMDA受容体を邪魔する薬(ケタミンなど)が、健康な人に統合失調症とよく似た症状を起こすことから、受容体のスイッチ役であるD-セリンの不足が原因の一つとして疑われてきました。

脳内のD-セリン量は、L-セリンからD-セリンをつくる酵素セリンラセマーゼ(SR)と、D-セリンを分解する酵素D-アミノ酸オキシダーゼ(DAAO)のバランスで決まります。統合失調症の患者では、脳脊髄液のD-セリン量やD/L-セリン比が約25%低下していることが報告されました[6]。さらに、つくる酵素SRのタンパク質量が前頭皮質や海馬で減っている一方、分解する酵素DAAOのはたらきが過剰に高まっており、DAAOの上昇の程度は罹病期間と相関し、発症から20年以上たった患者では特に高いことも示されています[6]

💡 用語解説:NMDA受容体の「コ・アゴニスト」とは

NMDA受容体は、神経のつながりを強める(記憶をつくる)ために重要な受け皿です。この受容体は、主役であるグルタミン酸だけでは十分に働かず、もう一つのスイッチ役(コ・アゴニスト)であるD-セリンやグリシンが同時に結合して初めてしっかり作動します。ドアを開けるのに2本の鍵が要るようなイメージです。D-セリンが足りないと、受容体がうまく開かず、神経のつながりが弱くなります。この「2本目の鍵」の材料をたどると、L-セリンに行き着きます。

こうした証拠に基づき、D-セリンやその材料のL-セリンを高用量で補う治療が、多くの臨床試験で評価されてきました。抗精神病薬に上乗せしてD-セリンを投与した二重盲検試験では、陰性症状などの評価尺度で有意な改善がみられたと報告されています[6]。一方で、クロザピンという薬を使っている患者では上乗せ効果が示されにくいことも知られており、対象や薬の組み合わせによって結果が変わります。現時点でL-セリン・D-セリンは、統合失調症の確立した標準治療ではなく、あくまで研究段階の補助的アプローチである点にご注意ください。

6. HSAN1とMacTel ─ 「材料の量」で毒性脂質を抑える

遺伝性の神経疾患HSAN1と、網膜の病気MacTelでは、L-セリンの補充が「病的な酵素反応を材料の量で押し切る」という、とても理にかなった治療戦略として研究されています。ここは遺伝の診療と最も深く関わる章です。

HSAN1 ─ 変異酵素の「間違い」を材料の量で打ち消す

HSAN1(遺伝性感覚性自律神経性ニューロパチー1型)は、SPTLC1やSPTLC2という遺伝子の変異で起こる、感覚神経が重く傷んでいく末梢神経の病気です。正常なら、酵素SPTがL-セリンと脂肪酸を結合させて細胞膜の材料となるスフィンゴ脂質をつくります。ところがHSAN1の変異した酵素は、材料の選び方が乱れ、L-セリンの代わりにアラニンやグリシンを間違えて取り込んでしまうのです。その結果、分解できない毒性の脂質「1-デオキシスフィンゴ脂質(1-デオキシSL)」がたまり、神経に強い毒性を及ぼします。

この病気へのL-セリン治療は、変異酵素の弱点を逆手に取った発想です。SPTLC2の変異を持つHSAN1患者を対象に、最大400mg/kg/日という超高用量のL-セリンを52週間にわたって投与した研究では、血中のL-セリン濃度を極端に高めることで、変異酵素にL-セリンを強力に競わせ、アラニンやグリシンの取り込みを物理的に締め出しました[7]。その結果、血中の毒性脂質の濃度が、L-セリン濃度の上昇とほぼ比例して大きく低下し、正常範囲まで抑えられたと報告されています[7]。より大規模なランダム化試験でも、L-セリンの補充が毒性脂質を下げ、一部で神経線維の再生の兆しがみられたと報告されました[8]

💡 用語解説:基質競合(マスアクション)という考え方

酵素は、まわりにある材料(基質)の量が多いほど、その材料を使いやすくなります。HSAN1の変異酵素は「L-セリンよりアラニンを選びやすくなってしまった」状態ですが、L-セリンを大量に供給して数の力で圧倒すれば、正しい材料が選ばれる確率を上げられる——これが基質競合(マスアクション)の考え方です。壊れた遺伝子そのものは直せなくても、材料のバランスを変えることで毒性物質の産生を抑える、という発想の治療です。

MacTel ─ 網膜のグリア細胞とL-セリン不足

MacTel(黄斑毛細血管拡張症2型)は、網膜の中心部(黄斑)の視力が落ち、ものがゆがんで見える、遅れて発症する変性疾患です。全ゲノム関連解析などにより、多くの患者でL-セリン合成の律速酵素PHGDHなどの遺伝子に変化があり、全身のL-セリンが低下する一方で毒性脂質の1-デオキシSLが血中で上昇していることがわかりました[9]。ただし、PHGDHの変異がMacTel発症に占める割合は約3.2%にとどまり、未知の遺伝的・環境的要因が複雑に絡んでいると考えられています[9]

なぜ全身の病気なのに網膜に局所的な病変ができるのかは、網膜の特殊な代謝構造にあります。脳のアストロサイトと同じように、網膜でL-セリンを自前でつくれるのはミュラーグリア細胞だけです。全身のL-セリンが欠乏すると、網膜の細胞が深刻な不足に陥り、前述のSPTの材料取り違えから毒性の1-デオキシSLが網膜内にたまってしまいます。MacTel患者を対象に、L-セリン補充と脂質改善薬フェノフィブラートの効果を検討する第IIa相臨床試験(SAFE study)が登録・実施されており、全身の代謝を整えることで局所の網膜変性を抑えられるかが検討されています[9]

この2つの病気が読者やご家族にとって持つ意味は、はっきりしています。L-セリンをつくる・使う遺伝子の変化は、末梢神経や網膜という具体的な臓器の症状として現れうるということ。そして、原因が代謝にあるからこそ、材料であるL-セリンの補充という道が研究されているのです。次の章では、こうした遺伝子と診療のつながりを詳しく扱います。

7. 睡眠の質 ─ 就寝前のL-セリンとヒト試験

L-セリンは重い病気だけでなく、健康な人の睡眠の質を整える生理的な調整役としても研究されています。就寝前の摂取で入眠や睡眠維持が改善したという小規模なヒト試験がありますが、医薬品ではなくあくまで食品成分としての報告です。

睡眠に不満を持つ健康な成人を対象に、就寝30分前に3gのL-セリン(またはプラセボ)を摂取してもらう2つの二重盲検クロスオーバー試験が行われました[10]。翌朝の主観的な睡眠評価では、プラセボと比べて「入眠」(p=0.02)と「睡眠維持」(p=0.008)が有意に改善しました[10]。別の質問票を用いた評価でも、「よく眠れたか」「睡眠の満足度」のスコアが有意に向上しています[10]。活動量計を使った客観的な評価では、夜間の中途覚醒の回数がL-セリン群で減る傾向がみられたと報告されています[10]

仕組みとしては、摂取されたL-セリンの一部が脳内でグリシンに変換され、抑制性のシグナルを通じて深部体温を下げ、深い睡眠への移行を促すと考えられています。加えて、体内時計を司る部位に作用し、光による生体リズムの調整を助ける可能性も動物・ヒト研究で示唆されています[10]。ただしこれらは限られた人数での結果であり、不眠症の治療薬に代わるものではありません。睡眠の悩みが続く場合は、自己判断でサプリメントに頼るのではなく、医療機関で原因を確かめることが大切です。

8. 脊髄性筋萎縮症(SMA)と加齢での変化

L-セリンとその関連物質は、ALS以外の運動神経の病気や、正常な加齢のプロセスでも重要な変化を示します。ここでも「D-セリンが足りないと神経のはたらきが落ちる」という共通の筋道が見えてきます。

脊髄性筋萎縮症(SMA)は、SMN1遺伝子の欠失や変異でSMNタンパク質が不足して起こる病気です。重症SMA患者の脳脊髄液のアミノ酸を調べた研究では、SMNの不足が中枢神経のグルタミン酸やセリンの代謝を大きく乱していることがわかりました[11]。とくにL-グルタミン酸の低下が観察され、これはアンチセンス核酸医薬ヌシネルセンの治療で部分的に是正されました[11]。さらに、脳脊髄液のD-セリン濃度が高い患者ほど運動機能が保たれているという正の相関が見つかり、これに符合して、SMAモデルマウスにD-セリンを毎日補充すると神経学的な欠損が改善したと報告されています[11]。ここでも、NMDA受容体のスイッチ役D-セリンを補うという発想が共通しています。

また、正常な加齢でもアミノ酸代謝は変化します。若いラットと老いたラットの前頭皮質を比べた研究では、セリンなどの基礎的なレベル自体は加齢で変わらないものの、神経が刺激されたときの「放出」の反応が老齢で低下することが示されました[1]加齢に伴う認知機能の低下の背景に、こうした神経修飾アミノ酸の放出のはたらきの衰えがある可能性が示唆されています。歳を重ねることと脳の代謝の関係を考えるうえで、示唆に富む視点です。

9. L-セリンと遺伝診療のつながり

L-セリンは、それをつくる酵素の遺伝子の変化を通じて、遺伝子診断・遺伝形式・遺伝カウンセリングのすべてに関わります。ここが、この用語を遺伝の診療の文脈で理解するうえで最も大切な章です。

L-セリンをつくる経路の中心にある酵素PHGDHの遺伝子は、はたらきの程度によって異なる病気に関わります。この遺伝子が重く障害されると、生まれつきL-セリンをつくれない先天性のセリン合成障害を起こします。これは、けいれんや発達の遅れなどを伴う先天代謝異常症で、早期にL-セリン(とグリシン)を補充する治療が確立している数少ない例の一つです。一方、一部のヘテロ接合性機能低下バリアントは、前章で見たMacTelという網膜の病気の発症リスクに関わります。同じ遺伝子でも、障害の程度によって現れる病気が違うという点は、遺伝子を理解するうえでとても大切です。

💡 用語解説:常染色体潜性(劣性)遺伝とは

L-セリン合成に関わるPHGDH、PSAT1、PSPHによるセリン欠乏症は、通常、常染色体潜性(劣性)遺伝です。一方、SPTLC1やSPTLC2の病的バリアントによるHSAN1は、主に常染色体顕性(優性)遺伝です。L-セリン代謝に関連する疾患でも、原因遺伝子によって遺伝形式は異なります。

常染色体潜性遺伝の疾患では、両親がともに保因者の場合、1回の妊娠あたりお子さんに病気が現れる確率は25%と計算されます。ご家族に該当する病気の方がいる場合や、次のお子さんへの影響が気になる場合は、遺伝形式を正確に把握することが、備えの出発点になります。なお常染色体とは、性別を決める染色体以外の染色体のことです。

こうした病気が疑われる場面では、原因遺伝子の変化を調べる遺伝子検査が役立つことがあります。当院では、検査の前後で臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行い、検査で何がわかり何がわからないのか、結果がご本人やご家族にとってどんな意味を持つのか、そしてどのような選択肢があるのかを、中立の立場で整理します。検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人です。私たちは判断材料をお渡しする役割を担うと考えています。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【1つの物質が、複数の病気の「共通言語」になる】

L-セリンを追いかけていると、ALSも、アルツハイマー病も、まれな網膜の病気も、睡眠も、同じ代謝経路の上で説明できることに驚かされます。これは偶然ではなく、L-セリンが神経伝達・タンパク質の品質管理・細胞膜づくりという、生命の根幹が交わる場所にいるからです。

遺伝の診療では、一見バラバラに見える症状の裏に、こうした共通の分子の仕組みが隠れていることが少なくありません。だからこそ、L-セリンのような「代謝の要石」を理解しておくことは、目の前の一つの症状にとどまらず、ご家族全体の見通しを立てるうえで役に立つと考えています。

10. よくある誤解

誤解①「非必須アミノ酸だから重要ではない」

「非必須」は「体でつくれる」という意味で、「重要でない」という意味ではありません。L-セリンは神経伝達・細胞膜・DNA材料づくりが交わる代謝の要石です。つくる仕組みが壊れると、けいれんや発達の遅れなど深刻な症状が出ることが、先天性のセリン合成障害から分かっています。

誤解②「サプリで飲めば認知症やALSが治る」

L-セリンはALSやアルツハイマー病で有望な研究が進んでいますが、多くは動物実験や小規模試験の段階です。ヒトでの治療として確立したものではありません。市販のサプリを自己判断で治療目的に使うことは勧められず、疑わしい症状があるときは医療機関にご相談ください。

誤解③「L-セリンとD-セリンは同じもの」

両者は鏡像の関係にある別の分子です。材料になるのがL-セリン、脳で神経のスイッチ役として働くのがD-セリンです。D-セリンは腎臓への負担が指摘され直接の使用に制限があるため、安全性の高いL-セリンを補って脳内でD-セリンを増やす、という戦略が研究されています。

誤解④「遺伝子の病気だから手の打ちようがない」

HSAN1や先天性セリン合成障害のように、代謝の仕組みが分かっている遺伝性疾患では、材料であるL-セリンの補充という道が研究・実用化されつつあります。遺伝子そのものは変えられなくても、代謝のバランスに働きかける治療戦略がある点は、希望の持てる視点です。

よくある質問(FAQ)

Q1. L-セリンとは何をするアミノ酸ですか?

L-セリンは体内でブドウ糖からつくられる非必須アミノ酸で、脳では主にアストロサイトがつくって神経細胞に渡しています。神経のスイッチ役であるD-セリンやグリシンの材料になり、細胞膜のスフィンゴ脂質やDNAの材料づくりにも関わります。神経伝達・タンパク質の品質管理・細胞膜づくりが交わる代謝の要石で、ALS・アルツハイマー病・遺伝性ニューロパチー・睡眠など幅広い場面で研究されています。

Q2. L-セリンのサプリメントを飲めば認知症やALSは予防できますか?

現時点では、L-セリンが認知症やALSを予防・治療できると確立したわけではありません。アルツハイマー病モデルマウスでの記憶回復や、ALS患者での安全性の確認、進行がゆるやかになる傾向などは報告されていますが、多くは動物実験や小規模な臨床試験の段階です。市販のサプリメントを自己判断で治療目的に使うことは勧められません。気になる症状がある場合は、医療機関でご相談ください。

Q3. L-セリンとD-セリンはどう違うのですか?

L-セリンとD-セリンは、鏡に映したような関係にある別の分子です。体のタンパク質の材料になり、サプリメントとして使われるのがL-セリンです。一方、L-セリンから酵素の働きで変換され、脳でNMDA受容体のスイッチ役として働くのがD-セリンです。D-セリンは腎臓への負担が指摘され直接の投与に制限があるため、安全性の高いL-セリンを補って脳内でD-セリンを増やす、という治療戦略が研究されています。

Q4. HSAN1でL-セリンを大量に飲むのはなぜですか?

HSAN1では、変異した酵素SPTがL-セリンの代わりにアラニンなどを間違えて取り込み、毒性脂質の1-デオキシスフィンゴ脂質をつくってしまいます。ここでL-セリンを大量に供給すると、数の力で正しい材料が選ばれる確率を高め、毒性脂質の産生を物理的に抑えられます。これは基質競合(マスアクション)と呼ばれる考え方で、臨床試験では超高用量のL-セリンで毒性脂質が低下したと報告されています。壊れた遺伝子は直せなくても、材料のバランスに働きかける治療戦略です。

Q5. L-セリンは睡眠に効きますか?

睡眠に不満のある健康な成人を対象にした二重盲検試験では、就寝30分前に3gのL-セリンを摂取すると、入眠や睡眠維持の主観的な評価がプラセボより有意に改善したと報告されています。仕組みとしては、L-セリンの一部がグリシンに変わって深部体温を下げ、深い睡眠を促すと考えられています。ただしこれは限られた人数での食品成分としての報告であり、不眠症の治療薬に代わるものではありません。睡眠の悩みが続く場合は、医療機関で原因を確かめることをおすすめします。

Q6. L-セリンをつくる遺伝子の異常は遺伝しますか?

L-セリン合成に関わるPHGDH、PSAT1、PSPHによるセリン欠乏症は通常、常染色体潜性(劣性)遺伝です。一方、SPTLC1やSPTLC2の病的バリアントによるHSAN1は主に常染色体顕性(優性)遺伝で、原因遺伝子によって遺伝形式は異なります。ご家族に該当する病気の方がいる場合や次のお子さんへの影響が気になる場合は、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングで整理することをおすすめします。

Q7. 同じPHGDHの異常なのに、なぜ違う病気になるのですか?

PHGDHはL-セリンをつくる律速酵素で、そのはたらきがどの程度落ちるかによって現れる病気が変わります。酵素が重く障害されると、生まれつきL-セリンをつくれない先天性のセリン合成障害となり、けいれんや発達の遅れを伴います。一方、一部のヘテロ接合性機能低下バリアントは、遅れて発症する網膜の病気MacTelの発症リスクに関わります。同じ遺伝子でも障害の程度で表現型が異なる、というのは遺伝子を理解するうえで大切な視点です。正確な評価には臨床遺伝専門医による診療が役立ちます。

Q8. L-セリンは脳に届きにくいと聞きました。なぜ大量に飲む必要があるのですか?

L-セリンは血液脳関門を通るときに他の必須アミノ酸と輸送の枠を奪い合うため、脳への移行効率が相対的に低いという性質があります。そのため、ALSでの毒素の置き換えやHSAN1での基質競合を狙うときには、1日数十グラムという大量の経口投与が必要になります。臨床試験ではこうした高用量でも比較的よく耐えられ、重大な肝機能・腎機能への悪影響は確認されていませんが、長期の大量摂取は服薬の続けやすさの面で課題があり、脳に届きやすくする製剤などが今後の研究課題とされています。

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この記事にたどり着いた方は、たとえば「サプリメントとしてのL-セリンを調べている」「ご自身やご家族が神経・網膜の病気と診断され、その仕組みを知りたい」「遺伝子検査の結果にPHGDHなどの名前が出てきた」といった状況かもしれません。次に確認しておくとよい観点を挙げておきます。

・その病気がどの遺伝形式で受け継がれるのか(原因遺伝子によって常染色体潜性遺伝・常染色体顕性遺伝などがあり、次のお子さんへの確率に関わります)

・原因となりうる酵素・遺伝子(SPTや関連する代謝経路)と、症状とのつながり

・血縁者への影響や確定診断の選択肢を、遺伝カウンセリングでどのように整理できるか。判断に迷うときは、臨床遺伝専門医にご相談ください

🏥 神経・代謝の遺伝子診断のご相談

遺伝性ニューロパチー・網膜疾患・先天代謝異常などに関する
遺伝子検査と遺伝カウンセリングは
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにご相談ください。

参考文献

  • [1] L-serine: Neurological Implications and Therapeutic Potential. Biomedicines. 2023. [PMC10452085]
  • [2] The Non-Protein Amino Acid BMAA Is Misincorporated into Human Proteins in Place of L-Serine Causing Protein Misfolding and Aggregation. PLoS One. 2013. [PubMed 24086518]
  • [3] Mechanisms of L-Serine-Mediated Neuroprotection Include Selective Activation of Lysosomal Cathepsins B and L. Neurotox Res. 2021. [PubMed 32242285]
  • [4] Studies of Environmental Risk Factors in Amyotrophic Lateral Sclerosis (ALS) and a Phase I Clinical Trial of L-Serine. Neurotox Res. 2018. [PubMed 28527102]
  • [5] Impairment of Glycolysis-Derived L-Serine Production in Astrocytes Contributes to Cognitive Deficits in Alzheimer’s Disease. Cell Metab. 2020. [PubMed 32130882]
  • [6] A CSF and postmortem brain study of D-serine metabolic parameters in schizophrenia. Schizophr Res. 2007. [PubMed 17156977]
  • [7] Clinical and metabolic consequences of L-serine supplementation in hereditary sensory and autonomic neuropathy type 1C. Cold Spring Harb Mol Case Stud. 2017. [PMC5701299]
  • [8] Randomized trial of L-serine in patients with hereditary sensory and autonomic neuropathy type 1. Neurology. 2019. [Neurology 2019]
  • [9] Serine biosynthesis defect due to haploinsufficiency of PHGDH causes retinal disease. Nat Metab. 2021. [Nat Metab 2021]
  • [10] Effects of L-serine ingestion on human sleep. SpringerPlus. 2014. [PubMed 25197619]
  • [11] Dysregulated balance of D- and L-amino acids modulating glutamatergic neurotransmission in severe spinal muscular atrophy. Neurobiol Dis. 2025. [PubMed 39484528]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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