目次
- 1 1. 1炭素代謝とは ─ 「炭素1個」を配る、細胞の物流ネットワーク
- 2 2. 3つの回路がつながって働く ─ 葉酸・メチオニン・硫黄
- 3 3. SAMという「メチル基の通貨」と、賢い切り替えスイッチ
- 4 4. 細胞のなかの3部屋 ─ 「ギ酸」を運ぶ宅配便
- 5 5. 1炭素代謝の先天代謝異常症 ─ 1つの遺伝子から全身へ
- 6 6. MTHFR遺伝子多型と葉酸 ─ 検査をめぐる考え方の転換
- 7 7. ホモシステインという「詰まりのサイン」が体に及ぼすこと
- 8 8. 胎児期の栄養と体質の記憶 ─ DOHaDという考え方
- 9 9. がんと1炭素代謝 ─ MTHFD2という新しい標的
- 10 10. よくある誤解
- 11 よくある質問(FAQ)
- 12 参考文献
- 13 関連記事
細胞は、DNAを合成したり、遺伝子のスイッチを切り替えたりするために、たった「炭素1個ぶんの部品」を絶えずやりとりしています。この炭素1個を運び、加工し、必要な場所へ配る仕組みが1炭素代謝(one-carbon metabolism)です。葉酸(ビタミンB9)を運搬役として、アミノ酸の調整、DNAの材料づくり、そして遺伝子の読み方を決めるメチル化までを一手に支えています。まれな先天性の代謝の病気から、ありふれた葉酸のサプリメント選び、さらにはがんの治療標的まで、一見バラバラに見えるテーマが、実はこの1つのネットワークでつながっています。ですから1炭素代謝を理解することは、遺伝医療のさまざまな場面を見通す地図を手に入れることでもあります。本記事では、その全体像を臨床遺伝専門医がやさしく解説します。
Q. 1炭素代謝とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. 1炭素代謝は、葉酸を運搬役として「炭素1個ぶんの部品(メチル基など)」を細胞内で受け渡す、生命維持に欠かせない代謝ネットワークです。DNAの材料づくり、細胞の増殖、遺伝子の読み方を決めるメチル化、そして体内の酸化ストレス対策までを支えています。この仕組みに関わる遺伝子の変化やビタミン不足は、ホモシステイン尿症・重症複合免疫不全症・脳葉酸欠乏症といった病気や、妊娠期の葉酸の重要性、さらにはがんの治療標的にまでつながります。
- ➤仕組み → 葉酸回路・メチオニン回路・トランススルフレーション経路の3つがつながって働く
- ➤メチル基の通貨 → SAMという分子が、遺伝子や物質にメチル基を配る主役
- ➤関連する病気 → ホモシステイン尿症(CBS)、SCID(MTHFD1)、脳葉酸欠乏症(FOLR1)など
- ➤MTHFR多型 → 心血管疾患との因果は否定され、ルーチン検査は推奨されていない
- ➤妊娠と葉酸 → 母体の葉酸・ビタミンB12の状態が、子どもの発達に影響しうる
1. 1炭素代謝とは ─ 「炭素1個」を配る、細胞の物流ネットワーク
1炭素代謝とは、メチル基(-CH₃)やホルミル基といった「炭素1個ぶんの部品」を、細胞のなかで運び・変換し・必要な場所へ届ける代謝の仕組みです。この部品を受け渡すための運搬役をつとめるのが、ビタミンB9すなわち葉酸です。炭素1個という、化学のなかでも最小単位に近い部品ですが、その配達が滞ると、細胞はDNAをつくることも、遺伝子を正しく読むこともできなくなります。
では、この炭素1個は具体的に何に使われるのでしょうか。おおまかに4つあります。1つ目はDNAの材料(チミジル酸やプリン塩基)の合成、2つ目はアミノ酸(メチオニンなど)のバランス調整、3つ目は細胞の酸化ストレスに対抗する仕組みの維持、そして4つ目がDNAやタンパク質のメチル化、つまり遺伝子の読み方を決めるエピジェネティックな調整です[1]。細胞が分裂して増えるにも、体質が世代を超えて記憶されるにも、この炭素1個の物流が土台になっています。
ここが、この記事を読むご本人やご家族にとって大切な点です。1炭素代謝は、遠い研究室の話ではありません。妊娠前に葉酸を勧められる理由も、健康診断でときどき測るホモシステインという値の意味も、あるいはご家族が受けた先天性の代謝の病気の説明も、たどっていくとすべてこの1つのネットワークに行き着きます。全体像をつかんでおくと、個々の説明が「バラバラの断片」ではなく「1枚の地図の一部」として見えてくるはずです。
2. 3つの回路がつながって働く ─ 葉酸・メチオニン・硫黄
1炭素代謝は単一の経路ではなく、葉酸回路・メチオニン回路・トランススルフレーション経路という3つの機能ブロックが、代謝産物を介してつながった1つのシステムです。それぞれ役割は違いますが、たすきをつなぐリレーのように連動しています。
葉酸回路は、テトラヒドロ葉酸(THF)という運搬体に炭素1個を載せて運ぶサイクルです。ここでの主な炭素の供給源は、アミノ酸のセリンです。ビタミンB6を必要とする酵素(SHMT)の働きで、セリンからグリシンができると同時に、THFに炭素1個が載って「5,10-メチレンTHF」という活性型になります。この活性型が、DNAの材料であるチミジル酸(dTMP)の合成や、プリン塩基の合成に振り分けられます。DNAをつくるための部品供給ラインが、まさにここです。
葉酸回路から送り出された炭素の一部は、メチオニン回路に渡されます。ここで生まれるのが、次のセクションで詳しく述べるSAM(S-アデノシルメチオニン)という、体内でメチル基を配る主役です。そしてメチオニン回路の途中でできるホモシステインというアミノ酸は、トランススルフレーション経路に流れ込み、最終的に強力な抗酸化物質であるグルタチオンや、情報伝達を担うガス状分子である硫化水素(H₂S)の材料になります。この最後の経路の入り口を担う酵素が、後で登場するCBS(シスタチオニンβ合成酵素)です。
3つの回路の「たすきリレー」
DNAの材料をつくる
SAMをつくる
抗酸化物質をつくる
セリン由来の炭素が葉酸回路に入り、メチオニン回路でSAMになり、余ったホモシステインが硫黄の経路へ流れます。どこか1か所が詰まると、下流にも上流にも影響が及びます。
この「つながっている」という性質は、ご本人やご家族にとって重要な意味を持ちます。1か所の酵素がうまく働かないだけで、DNA合成・メチル化・抗酸化という、一見無関係な複数の機能が同時に乱れうるのです。だからこそ、後で見る先天代謝異常症では、貧血・免疫・神経・血管といった幅広い症状が1つの遺伝子の変化から生じます。
3. SAMという「メチル基の通貨」と、賢い切り替えスイッチ
メチオニン回路の中心にあるのがSAM(S-アデノシルメチオニン)という分子で、体内でメチル基を配るときの「共通通貨」にあたります。DNA・RNA・タンパク質(ヒストンを含む)・脂質など、実に多様な相手にメチル基を手渡す普遍的な供与体です。SAMがメチル基を1つ放出すると、SAH(S-アデノシルホモシステイン)という分子に変わります。
面白いのは、このSAM自身が、代謝の流れの向きを決める「切り替えスイッチ」としても働く点です。SAMは、硫黄の経路の入り口酵素CBSにくっついてこれを活性化する一方で、葉酸回路のMTHFRという酵素にはブレーキをかけます[2]。つまり、細胞のなかにメチオニンとSAMが十分あるときには、これ以上メチル基を作る流れを止め、余ったホモシステインを抗酸化物質グルタチオンの合成へ回します。逆にメチオニンが足りないときは、ホモシステインを再びメチオニンに戻して節約する方向へ切り替わるのです。
💡 用語解説:メチル化とは
メチル化とは、DNAやタンパク質に炭素1個ぶんの目印(メチル基)を付ける化学反応です。DNAの配列そのものは変えずに、遺伝子の「読みやすさ」を調整する付箋のような働きをします。この付箋の付け外しが、細胞ごとにどの遺伝子を使うかを決めています。付箋を貼るためのインクにあたるのがSAMであり、SAMの供給が細れば、遺伝子の読み方の調整もうまくいかなくなります。詳しくはエピジェネティクスの解説もあわせてご覧ください。
この巧妙なスイッチは、ご本人・ご家族にとっては「体が状況に応じて資源を配分し直している」という安心材料でもあります。栄養状態が多少変動しても、細胞はメチル基を作る側と節約する側のバランスを自動で取ろうとします。一方で、この仕組みを支える遺伝子(CBSやMTHFR)に生まれつきの変化があると、この自動調整が効きにくくなり、次に見るような病気につながることがあります。
4. 細胞のなかの3部屋 ─ 「ギ酸」を運ぶ宅配便
1炭素代謝の反応は、細胞質・ミトコンドリア・核という3つの部屋(コンパートメント)に分けて行われています。これは単なる仕切りではなく、部屋ごとに酸化還元の環境が違うことを利用して、代謝の向きを制御するための工夫です[1]。
炭素の大部分は、まずミトコンドリアのなかでセリンから取り出されます。ミトコンドリア内では、取り出した炭素が段階的に加工され、最終的に「ギ酸(formate)」という運びやすい形になって部屋の外へ放出されます。この最後の放出ステップを担うのがMTHFD1Lという酵素です[3]。放出されたギ酸は細胞質へ移動し、そこでMTHFD1という酵素によって再び活性型の葉酸に組み立て直され、DNAの材料合成などに使われます。いわばギ酸を荷物にした、部屋から部屋への宅配便です。
ギ酸シャトル(部屋から部屋への宅配便)
セリンから炭素を取り出す
運びやすい荷物の形
DNAの材料に組み直す
部屋ごとに環境が違うため、荷物は基本的に一方向に流れます。この仕組みが、細胞の増殖に必要な部品の安定供給を支えています。
さらに、DNAの複製が活発になる細胞分裂の時期(S期)には、DNAの材料dTMPを作る酵素の一群が、細胞質から核のなかへ移動することが分かっています[4]。DNAを合成しているまさにその現場で材料を作ることで、材料切れによる不具合を防いでいるのです。材料が足りなくなると、DNAに間違った部品(ウラシル)が組み込まれ、ゲノムが不安定になってしまいます。
この「部屋割り」の話は抽象的に見えますが、ご家族にとっての意味は明快です。宅配便の途中の1か所(MTHFD1など)が壊れると、DNAの材料が届かなくなり、細胞分裂が盛んな血液細胞や免疫細胞が真っ先に影響を受けるのです。次のセクションで見るMTHFD1欠損症は、まさにこの仕組みの破綻が全身に及ぶ例です。
5. 1炭素代謝の先天代謝異常症 ─ 1つの遺伝子から全身へ
1炭素代謝に関わる酵素や運搬体の遺伝子に生まれつきの変化があると、さまざまな先天性代謝異常症が起こります。これらの病気は、たった1か所の代謝のつまりが、いかに広い範囲の症状をもたらすかを教えてくれます。ここでは代表的なものを紹介します。
古典的ホモシステイン尿症(CBS欠損症)
硫黄の経路の入り口酵素であるCBS(シスタチオニンβ合成酵素)が欠けると、古典的ホモシステイン尿症が起こります。ホモシステインの行き場がなくなって血液や尿にたまり、水晶体の脱臼、細長い体型などの骨格の変化、発達の遅れ、そして血栓症(血の塊ができる)の高いリスクが生じます。治療は、患者さんがビタミンB6に反応するかどうかで分かれます。欧州のガイドライン(E-HOD)では、血中の総ホモシステインをおおむね100μmol/L未満に保つことが推奨され、B6に反応する方ではさらに50μmol/L未満が目標とされています[5]。B6に反応しにくい方には、メチオニンを控える食事と、別の再メチル化経路を動かす無水ベタインという薬が使われます[6]。
MTHFD1欠損症と重症複合免疫不全症(SCID)
前のセクションで登場した、ギ酸を細胞質で組み立て直す酵素MTHFD1に両方の遺伝子で変化があると、重症複合免疫不全症(SCID)、巨赤芽球性貧血、高ホモシステイン血症などを合併する、非常に重い病気が起こります[7]。患者さんの細胞では、ギ酸からメチオニンやDNAの材料dTMPを作る流れが大きく低下していました。SCIDというと、従来はADA(アデノシンデアミナーゼ)欠損症のようなプリン代謝の異常が知られていましたが、MTHFD1欠損症は「葉酸を使ったDNA材料づくりの障害」からもSCIDが起こりうることを示した重要な発見です。DNA合成が盛んな免疫細胞ほど、材料切れの影響を強く受けるためです。参考までに、ADA欠損症とは原因の経路が異なります。
脳葉酸欠乏症(FOLR1)とロイコボリン
脳へ葉酸を運び込む入り口である葉酸受容体(FOLR1)の機能が失われると、全身の葉酸は足りているのに脳だけが葉酸不足になる「脳葉酸欠乏症」が起こります。無治療では発達の遅れ、難治性のけいれん、認知機能の低下が進みます。ここで有効なのが、別の輸送経路を通って脳に入れるホリナート(ロイコボリン、5-ホルミルTHF)という活性型葉酸で、早期に始めるほど神経症状の改善が期待できます[8]。2026年には、米国FDAがFOLR1変異による脳葉酸輸送障害に対するロイコボリンの使用を正式に承認しました[9]。なお、遺伝子変化がなくても、葉酸受容体に対する自己抗体によって同じような脳の葉酸不足が生じることも報告されています[10]。
💡 用語解説:ビタミンB12と「葉酸の閉じ込め」
葉酸とビタミンB12は、メチオニン回路のバトンの受け渡しでペアを組みます。B12が不足すると、葉酸が「5-メチルTHF」という1つの形のまま出口で渋滞し、他の反応に回せなくなります。これを葉酸トラップ(葉酸の閉じ込め)と呼び、B12不足のときに葉酸まで足りなくなったように見え、貧血が起こる主な理由の1つです。ビタミンB12の代謝そのものの先天異常(ABCD4やMMABなど)でも、同様にホモシステインの上昇が起こります。
これらの病気に共通するのは、「たまってしまうもの」を減らすか、「足りないもの」を別ルートで補うかという治療の考え方です。ご本人やご家族にとっては、原因の1炭素代謝のどこが詰まっているのかが分かれば、なぜその薬や食事療法が選ばれるのかも理解しやすくなります。診断と治療方針は、たまっている物質や反応性を確かめながら個別に決めていくものです。
6. MTHFR遺伝子多型と葉酸 ─ 検査をめぐる考え方の転換
MTHFR遺伝子のC677Tという多型(よく見られる個人差)は、酵素の熱への安定性を下げ、両方の遺伝子に持つ人(TT型)では活性が正常の3割程度まで下がります。日本人を含むアジア人や白人で1割以上にみられる、ごくありふれた多型です。結論から言えば、このMTHFR多型を心血管疾患や血栓症のリスク評価のためにルーチンで検査することは、国際的に推奨されていません。
かつては、TT型による軽度のホモシステイン上昇が、心血管疾患や静脈血栓、再発流産の独立した危険因子だと広く信じられていました。しかし、出版バイアス(都合のよい結果ばかりが発表されやすい偏り)を避けて解析し直した大規模なメタ解析では、ホモシステインの上昇が心血管疾患のリスクを増やすという因果関係は支持されませんでした[11]。これを受けて米国遺伝医学会(ACMG)は、血栓性素因の評価としてMTHFR多型検査を行わないよう勧告し[12]、この文書は2020年に「臨床上の参考資料」へと位置づけが見直されています[13]。臨床の場では、遺伝子型そのものではなく、ホモシステインの実測値に基づいて判断するのが現在の考え方です。
一方で、妊娠を望む方などのあいだでは、合成葉酸(フォリック酸)と活性型葉酸(5-MTHF)のどちらを摂るとよいか、という議論があります。合成葉酸は体内で酵素による変換を受けて活性型になりますが、高用量を摂ると変換が追いつかず、未代謝の葉酸(UMFA)が血中にたまることが知られています。近年の無作為化比較試験では、活性型の5-MTHFを使うと、血中や赤血球の葉酸を十分に保ちながら、この未代謝葉酸の蓄積を抑えられることが示されました[14]。ただし、5-MTHFが妊娠の成功率そのものを高めるかどうかは、現時点で一貫した結論が得られているわけではありません。
このテーマは、ご本人にとって「遺伝子検査の結果に振り回されすぎないでよい」という安心につながります。MTHFRがTT型だと分かっても、それだけで将来の病気が決まるわけではありません。妊娠前後の葉酸については、神経管閉鎖障害の予防という確立した目的があり、これは別の話として大切です。詳しくは神経管閉鎖障害と葉酸の解説もご覧ください。
7. ホモシステインという「詰まりのサイン」が体に及ぼすこと
1炭素代謝がうまく流れないとたまってくるのがホモシステインです。これは単なる目印にとどまらず、血管の内側を傷つけ、神経にも作用する物質として働きます。高ホモシステイン血症が組織を傷める仕組みは複数あります。
1つは酸化ストレスです。ホモシステインが酸化される過程で活性酸素が生じ、血管を広げる一酸化窒素(NO)の働きを低下させ、血管の柔軟性が損なわれます。もう1つは、ホモシステインが反応性の高い形(チオラクトン)に変わり、タンパク質にくっついて構造を変えてしまう反応です。これによりフィブリノゲンなどが変性し、血栓ができやすい状態が作られます[15]。さらに脳では、神経の受容体を刺激して細胞を傷つけ、認知機能の低下を早める方向に働くことも報告されています。
💡 血栓性微小血管症(aHUS)とのつながり
1炭素代謝の乱れ、とくに高ホモシステイン血症などに伴う血管内皮の傷は、非定型溶血性尿毒症症候群(aHUS)における補体活性化と相互作用し、病態を増悪させる引き金の1つになりうると考えられています。ただし、aHUSそのものは補体制御異常を中心とする血栓性微小血管症です。aHUSは、細い血管で血の塊ができ、貧血・血小板減少・急性の腎障害を起こす補体が関わる病態です。治療は補体を止める抗体薬(エクリズマブなど)で大きく変わりました。ある中国のコホート研究では、発症から7日以内に治療を始めた早期群のほうが、腎機能などの回復が良好だったと報告されています[16]。血管の傷が元に戻らなくなる前に手を打つことの大切さを示す結果です。
ご本人やご家族にとって、ホモシステインは「1炭素代謝がスムーズに流れているかを映す鏡」のような値です。極端に高い場合には、その背景にある葉酸・ビタミンB12・B6の状態や、まれには遺伝的な要因を確かめることが、次の対応の出発点になります。値の解釈は個人差が大きいため、実測値をもとに医師と相談するのが安心です。
8. 胎児期の栄養と体質の記憶 ─ DOHaDという考え方
1炭素代謝は、生命のごく初期にも大きな意味を持ちます。妊娠初期は、DNAのメチル化パターンが大きく書き換えられる「クリティカル・ウィンドウ(重要な時期)」です。この時期のメチル化は、1炭素代謝が供給するSAMに全面的に依存しています[1]。つまり母体の葉酸・ビタミンB12・コリンといったメチル基のもとになる栄養素の状態が、子どものエピジェネティックな設定に影響しうるのです。
この考え方を最も分かりやすく示したのが、アグーチマウスという実験動物です。妊娠中の母マウスに葉酸・ビタミンB12・ベタイン・コリンといったメチル基供与体を与えると、子どもの毛色が黄色から褐色へ変わり、肥満のリスクも下がることが示されました[17]。遺伝子の配列は同じままで、メチル化という「付箋」だけが変わって体質が変化した、直接的な証拠です。インプリンティングのように、親由来の目印が維持される仕組みも、この時期の豊富な1炭素栄養素を前提にしています。
ヒトでも、母体のビタミンB12不足や葉酸のアンバランス、それに伴うホモシステインの上昇が、子どもの発育や、学童期以降の代謝リスクと関連することが疫学研究で示唆されています。こうした「生まれる前の環境が、生涯の健康の軌道を形づくる」という考え方がDOHaD(健康と病気の発生起源説)です。1炭素代謝は、その分子的な裏付けの中心にあります。
ここで大切なのは、ご本人・ご家族が過度に不安になる必要はないという点です。これらは集団としての傾向であって、個人の運命が母体の栄養だけで決まるわけではありません。妊娠前後にバランスのよい栄養を心がけることには意味がありますが、細かい数値管理を1人で抱え込むより、必要に応じて医師に相談しながら整えていくのが現実的です。
9. がんと1炭素代謝 ─ MTHFD2という新しい標的
がん細胞は、無制限に増えるために代謝を大きく作り替えます。そのなかで近年注目されているのが、ミトコンドリアの1炭素代謝酵素MTHFD2です。この酵素は、胎児期には多く作られるものの、健康な成人の多くの分化組織では発現が低い一方、免疫系など増殖性の高い一部の正常組織では発現しています。ところが、乳がん・大腸がん・肝がん・白血病など多くのがんで再び強く作られ、予後の悪さと関連することが分かってきました[18]。
「正常な大人の体の多くではあまり使われず、多くのがんで特に活発になる」という性質は、創薬にとって理想的です。正常細胞を傷つけずに、がん細胞だけを狙える可能性があるからです。実際、MTHFD2を阻害する薬は、がん細胞のDNA材料供給を断って死滅させることが期待されています。
ただし、開発には難しさもあります。MTHFD2は、正常な組織でも働く親戚の酵素(MTHFD1やMTHFD2L)と構造がよく似ているためです。MTHFD2LはMTHFD2とアミノ酸配列が72%も一致しており、初期に開発された強力な阻害剤TH7299は、狙ったMTHFD2よりむしろMTHFD1やMTHFD2Lを強く阻害してしまうという課題が報告されました[19]。現在は、この似た者どうしを見分けて、MTHFD2だけを選択的に止める次世代の化合物の開発が進められています。
がんの話は、一見すると先天代謝異常症とは正反対に見えます。しかしご本人・ご家族の視点で見ると、「1炭素代謝という同じ地図の上で、足りなくて困る病気も、活発すぎて困る病気もある」という共通の構図が見えてきます。この記事で扱っている胎児期のプログラミングと、成人のがんでのMTHFD2の再活性化は、まさにその両端にあたります。がん薬物療法に関する記述は、文献・研究動向に基づく専門的な解説であり、当院での直接の薬物療法を意味するものではありません。
10. よくある誤解
1炭素代謝は情報があふれている分野で、誤解も生まれやすいところです。ご本人やご家族が不安に振り回されないために、代表的な誤解を整理しておきます。
誤解①「MTHFRがTT型だと病気になる」
MTHFRのC677T多型はごくありふれた個人差で、TT型であること自体は病気ではありません。心血管疾患との因果関係は大規模解析で支持されていません。リスク評価のためのルーチン検査も国際的に推奨されていません。
誤解②「活性型葉酸なら妊娠しやすくなる」
5-MTHFは未代謝葉酸の蓄積を抑える利点が示されていますが、妊娠の成功率を高めると確立したわけではありません。葉酸補充の第一の目的は、あくまで神経管閉鎖障害の予防です。
誤解③「葉酸さえ摂れば大丈夫」
1炭素代謝は葉酸だけでなく、ビタミンB12・B6・コリンなどが連携して回ります。とくにB12が不足すると葉酸トラップが起こり、葉酸を補っても効果が出にくくなります。バランスが大切です。
誤解④「先天代謝異常症は治療法がない」
病気によっては、ビタミン補充・食事療法・活性型葉酸(ロイコボリン)・ベタインなど、代謝の詰まりを迂回する治療が確立しています。早期に始めるほど症状の改善が期待できるものもあります。
よくある質問(FAQ)
📌 このページを読んだあなたへ
この記事にたどり着いた方は、健康診断でホモシステインの値を指摘された方、妊娠前後の葉酸について調べている方、あるいはご家族が1炭素代謝に関わる先天代謝異常症と診断され、その仕組みを知りたい方など、さまざまだと思います。次に確認しておくとよい観点を、いくつか挙げておきます。
・遺伝形式と再発率:ご家族に該当疾患がある場合、多くは常染色体潜性(劣性)遺伝の形をとります。
・関連する回路:メチオニン回路やトランススルフレーション経路の解説で、どこが詰まっているかを整理できます。
・検査の選択肢:目的に応じた検査があります(テトラヒドロ葉酸代謝関連遺伝子パネル、コバラミン・ホモシステイン・メチオニン代謝異常症検査など)。どれが適切かは状況によって異なります。
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