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スフィンゴ脂質(sphingolipid)とは、細胞膜をつくる主要な脂質でありながら、細胞の増殖・分化・移動、そして細胞死(アポトーシス)や免疫のスイッチまでも左右する「情報を運ぶ分子」です。その中心となるセラミドやスフィンゴシン-1-リン酸(S1P)のバランスは、細胞が「生きるか死ぬか」を決める繊細な調整装置として働いています。この記事では、基本構造と命名のしかたから、合成と分解のしくみ、そしてHSAN1や若年性ALSといった遺伝性神経疾患との関わりまでを、遺伝専門医の視点で、一般の方にもわかりやすく解説します。
Q. スフィンゴ脂質とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. スフィンゴ脂質は、「スフィンゴシン」という骨格に脂肪酸が結びついた脂質の総称です。細胞膜の部品であると同時に、セラミド・スフィンゴシン-1-リン酸(S1P)などが細胞の生死や炎症を切り替える「スイッチ」として働きます。この合成をになう酵素SPT(SPTLC1・SPTLC2)の遺伝子変異は、遺伝性感覚性自律神経ニューロパチー(HSAN1)や若年性ALSなどの遺伝性神経疾患を引き起こすことが知られており、基礎の生化学と臨床の遺伝医療が地続きになっている分野です。
- ➤構造の正体 → スフィンゴイド塩基+脂肪酸=セラミド。頭の部分の違いでスフィンゴミエリンや糖脂質へと枝分かれ
- ➤合成の起点 → 小胞体でL-セリン+パルミトイルCoAから新規(de novo)合成。律速酵素はSPT
- ➤恒常性の要 → ORMDLがセラミド量を感知してSPTを抑える負のフィードバック。破綻はミエリン形成不全へ
- ➤シグナルの綱引き → 「死のシグナル」セラミドと「生存シグナル」S1Pのバランス(レオスタット)
- ➤臨床との接点 → SPTLC1/SPTLC2の変異でHSAN1・若年性ALS。個別化医療(脂質メタボロミクス)が鍵
1. スフィンゴ脂質とは──膜の「部品」であり、細胞の「言葉」でもある脂質
スフィンゴ脂質は、私たちの体をつくるすべての細胞の膜に含まれる主要な脂質の一群です。名前の由来はギリシャ神話の怪物「スフィンクス」で、19世紀にその化学的な性質があまりに難解だったことから名づけられました。長らく「膜をかたちづくる素材」としてのみ理解されてきましたが、いまでは細胞の増殖・分化・移動、さらには細胞死や免疫応答まで制御する情報伝達分子であることがわかっています[1]。つまりスフィンゴ脂質は、家でいえば「壁の材料」であると同時に、部屋どうしをつなぐ「配線と信号」でもある、二重の役割を担う分子だと考えると理解しやすいでしょう。
💡 用語解説:スフィンゴイド塩基とセラミド
スフィンゴ脂質の「背骨」にあたる長い鎖状の分子をスフィンゴイド塩基(長鎖アミノアルコール)と呼びます。最も代表的なものが炭素18個からなるスフィンゴシンです。このスフィンゴイド塩基に脂肪酸が結合したものがセラミドで、あらゆるスフィンゴ脂質の共通の中核となります。セラミドの頭の部分に何がつくかによって、後述するスフィンゴミエリンや糖スフィンゴ脂質へと枝分かれしていきます。
スフィンゴイド塩基には、水酸基(-OH)の数を示すアルファベットと、炭素数・二重結合の数を組み合わせた略記法が使われます。二つの水酸基をもつ型は「d」、三つの水酸基をもつ型は「t」で表され、続いて「炭素数:二重結合の数」を書きます。たとえば最も一般的なスフィンゴシンはd18:1と表記されます。実際の体内では、組織や生物種を越えて多彩なスフィンゴイド塩基が使い分けられており[2]、この多様性が膜の性質を細かく調整しています。
セラミドの頭部(C-1位の水酸基)にリン酸コリンが付くとスフィンゴミエリンに、グルコースやガラクトースなどの糖が付くと糖スフィンゴ脂質(ガングリオシドやスルファチドなど)になります[1]。グルコースを付けるグルコシルセラミド合成酵素と、ガラクトースを付けるガラクトシルセラミド合成酵素は、進化的にまったく異なる起源をもつ別々の酵素で、体内で相補的な糖脂質のネットワークをつくり分けています[1]。このように、たった一つのセラミドから、頭部の違いによって膨大な種類の脂質が生まれる点が、スフィンゴ脂質の大きな特徴です。
2. どのように作られるか──新規(de novo)合成のしくみ
🔍 関連記事:パルミトイルCoAの生化学/SPTLC1遺伝子/SPTLC2遺伝子
スフィンゴ脂質は、細胞内の「工場」である小胞体で、ゼロから組み立てられます。この作り方を新規(de novo)合成と呼びます。出発材料は、炭素数16の脂肪酸であるパルミトイルCoAとアミノ酸のL-セリンで、これらが結びつくところから合成が始まります[1]。この最初の一歩を担うのが、律速酵素(反応全体の速度を決める酵素)であるセリンパルミトイルトランスフェラーゼ(SPT)です。SPTのはたらきが強すぎても弱すぎても細胞は困るため、後述するように厳密なブレーキ機構で制御されています。
💡 用語解説:律速酵素とSPT(SPTLC1・SPTLC2)
律速酵素とは、一連の反応の中で最も遅く、全体の生産スピードを決めてしまう「関所」のような酵素です。スフィンゴ脂質合成ではSPTがこれにあたります。SPTは複数のパーツからなる複合体で、その中心となる触媒サブユニットがSPTLC1とSPTLC2という遺伝子でつくられます。哺乳類にはさらに、酵素活性と基質の選び方を最適化する小さな補助タンパク質(ssSPTa/ssSPTb)が備わっています。このSPTLC1・SPTLC2の変異が、記事後半で扱う遺伝性神経疾患の原因になります。
合成の流れは、次のように進みます。SPTがパルミトイルCoAとL-セリンを結合させ、いくつかの中間体を経てジヒドロスフィンゴシン(スフィンガニン)ができます。ここに脂肪酸が結合してジヒドロセラミドとなり、最後にデサチュラーゼ(DES1/DEGS1)という酵素が二重結合を導入してセラミドが完成します[3]。完成したセラミドは、そこからスフィンゴミエリンや糖脂質、あるいはスフィンゴシンを経てS1Pへと、さまざまな方向へと変化していきます。
スフィンゴ脂質の新規(de novo)合成経路
小胞体で始まり、セラミドを中心ハブとして複合脂質へ広がる
出発材料(アミノ酸と炭素数16の脂肪酸)
代謝と情報伝達の中心ハブ
膜・脂質ラフトの主役
ガングリオシド等
生存・遊走シグナル
この合成経路は進化的に非常によく保存されていますが、モデル生物である酵母と哺乳類の間には興味深い違いもあります。酵母ではSPTがパルミトイルCoA以外の脂肪酸も使えるため、できあがるスフィンゴイド塩基の炭素鎖長が多様になり、さらに酵母特有の水酸化を受けてフィトスフィンゴシンへと変換されます。がん研究の文脈では、慢性骨髄性白血病の原因となるBCR-ABLというタンパク質がSPTのサブユニットをリン酸化し、細胞死を促すセラミドの合成を抑えることで薬剤への抵抗性に関わる、といった報告もあります[1]。これは文献上の研究知見であり、スフィンゴ脂質代謝ががんの生存戦略とも接点をもつことを示しています。
3. 「作りすぎ」を防ぐブレーキ──ORMDLと神経のミエリン
スフィンゴ脂質は生命に不可欠ですが、増えすぎると細胞に毒として働きます。そこで細胞は、合成量をつねに監視して調整する精巧なブレーキをもっています。その主役が、小胞体膜を貫く制御サブユニットORMDL1・ORMDL2・ORMDL3です[4]。SPTとORMDLは小胞体で安定な複合体をつくり、細胞内のスフィンゴ脂質量を測るセンサーの役割を果たしています[4]。
💡 用語解説:ネガティブフィードバックとアロステリック結合
ネガティブフィードバック(負のフィードバック)とは、製品が増えると生産にブレーキがかかる自動調整のしくみです。エアコンが設定温度に達すると自動で弱まるのと同じ発想です。ここでは、最終産物であるセラミドが増えると、ORMDLを介してSPTにブレーキがかかります。このとき、セラミドがSPT/ORMDL複合体の特定の場所(触媒部位とは別の隙間)に結合して酵素のかたちを変えることで働きを弱める現象をアロステリック結合と呼びます。鍵穴とは別のところに「スイッチ」があるイメージです。
近年のクライオ電子顕微鏡による構造解析で、SPT/ORMDL複合体は、細胞質の成分やエネルギー分子を取り除いた状態でも、セラミドに対して直接応答することが示されました[5]。この制御の窓口となるのは複合体の境界部にできる特異的な疎水性のポケットで、体内に存在する天然の立体異性体であるセラミドだけを厳密に見分けて結合します[5]。スフィンゴシンやスフィンゴミエリンなど、ほかの中間体や複雑な脂質はこのポケットに合わないため、急なブレーキを引き起こしません。セラミドが十分にたまると、SPTの働きが素早く止められる——これが超高速の負のフィードバックです。
3つのORMDL(ORMDL1〜3)はアミノ酸レベルで非常によく似ていますが、セラミド濃度の変化に対する感度は同じではありません。再構成したヒトSPT複合体を用いた研究では、ORMDL3が最も低いセラミド濃度で反応する高感度のセンサーである可能性が報告されています[6]。なお、この感度差の詳細は査読前の研究段階の知見も含むため、今後の検証が待たれる部分です。長期的には、セラミドの枯渇が続くとORMDLはユビキチン・プロテアソーム系や、一部の細胞ではオートファジーを介して分解され、ブレーキの総数そのものが減って合成能力が底上げされる、という二段構えの調整も知られています。
このブレーキが特に重要なのが、電気的な絶縁が求められる神経の髄鞘(ミエリン)形成です。マウスでOrmdl1とOrmdl3を同時に欠損させると、合成のブレーキが完全に失われ、毒性をもつスフィンゴ脂質中間体が細胞内にたまり、重い髄鞘形成不全を引き起こすことが示されています[7]。適切なブレーキ機構は、運動ニューロンを守る恒常性の防壁として働いているのです。
4. セラミド合成酵素(CerS1〜6)と「鎖の長さ」の多様性
同じ「セラミド」といっても、結合している脂肪酸の鎖の長さによって性質が大きく変わります。この鎖の長さを決めるのが、セラミド合成酵素(CerS1〜6)という6種類の酵素です[8]。それぞれ好む脂肪酸の長さと、発現する組織が異なっており、この分業が「どの組織でどんなセラミドが作られるか」を決めています。組織や細胞の状態によって、その発現量は大きく調整されます[8]。
ここで重要なのは、CerS5とCerS6はいずれも主にC16:0-CoAを使い、C16セラミドを作る点です(C14の脂肪酸にも活性はあります)[9]。「同じC16セラミドを作る酵素なのに、生き物にとっての意味は違う」ことが近年わかってきました。たとえば代謝研究では、骨格筋にたまるC18:0セラミドを標的とするCerS1阻害剤(P053)が注目されていますが、遺伝子を完全になくしたマウスと薬で部分的に抑えた場合とで結果が食い違うことも報告されており[9]、酵素を「どこまで」「どの組織で」抑えるかが治療設計の鍵になると考えられています。これらは臨床応用を見据えた研究段階の知見です。
5. 分解と再利用、そして「蓄積症」との接点
作られたスフィンゴ脂質は、役目を終えると細胞の「分解工場」であるリソソームで段階的に分解されます。分解でできたスフィンゴシンは、無駄なく回収されて再びセラミドへと作り直されます。これをサルベージ(再利用)経路と呼びます。ただし、リソソームの内部は酸性で、スフィンゴシンは電気を帯びてしまうため、そのままでは膜を通り抜けて外に出られません。そこで細胞は、NPC1/LIMP-2、SPNS1、STARD3という複数の運び屋を巧みに組み合わせて、スフィンゴシンをリソソームから運び出しています[10]。
💡 用語解説:リソソームとサルベージ経路
リソソームは、細胞内で不要になった物質を酵素で分解する「ごみ処理・リサイクル工場」です。ここでスフィンゴ脂質を分解する酵素がうまく働かないと、分解されない脂質が細胞にたまって蓄積症を引き起こします。一方、サルベージ経路は、分解でできた部品(スフィンゴシンなど)を捨てずに回収して、もう一度セラミドから複雑な脂質を作り直す「再利用ライン」です。合成(新規合成)と再利用の両輪で、細胞はスフィンゴ脂質の量を保っています。
3つの運び屋には役割分担があります。SPNS1は、リソソームの酸性環境を推進力にしてスフィンゴシンなどを細胞質へ汲み出すトランスポーターで、この遺伝子が欠損するとオートファジー不全や進行性の神経変性、肝臓・骨格筋の萎縮などが生じ、ヒトの致死的なリソソーム蓄積症に近い像を示します[10]。STARD3は、リソソームと小胞体を約10〜20ナノメートルの距離で接着させる膜接触部位を作り、スフィンゴシンを小胞体へ直接手渡す「近道」を提供します[11]。本来はコレステロールの運び屋であるNPC1も、スフィンゴシンを結合して運ぶ活性をもつことが最近の研究でわかり、スフィンゴシンが増えすぎるとコレステロールの輸送まで妨げられる複合的な病態につながることが示されています[12]。
この分解系の破綻は、遺伝医療にとって非常に重要です。スフィンゴ脂質を分解する酵素の遺伝子に病的変異があると、分解されない脂質が細胞にたまり続け、スフィンゴ脂質蓄積症(スフィンゴリピドーシス)と総称される一群の遺伝性疾患が起こります。たとえばグルコセレブロシドの分解酵素の低下はゴーシェ病を、ガラクトセレブロシドの分解酵素の低下はクラッベ病を引き起こすことが知られています。これらの多くは常染色体潜性(劣性)遺伝の形式をとります。またセラミドをスフィンゴシンへ分解する酸性セラミダーゼ(ASAH1)の異常は、ファーバー病などの原因となります。分解に関わる酵素群の全体像は、グリコシドヒドロラーゼファミリーのページでも解説しています。合成だけでなく分解・再利用のどこが壊れても病気になりうる点が、この分野の奥深さです。
6. 膜の微小領域──脂質ラフトとセラミド富化プラットフォーム
細胞膜は、脂質が均一に混ざった一枚板ではありません。飽和した鎖をもつスフィンゴミエリンは、コレステロールと非常に相性がよく、互いに強く引き合って膜の中で「かたく秩序だった」領域を作ります。これが脂質ラフトと呼ばれる機能的なナノ領域です[13]。ラフトは、受容体やシグナル分子を一時的に集める「作業台」として働き、細胞の情報伝達に深く関わっています。
💡 用語解説:脂質ラフトと液状秩序相
脂質ラフトとは、スフィンゴ脂質とコレステロールが集まって作る、周囲より少しかたく整った膜の「島」です。この状態を専門的には液状秩序相と呼びます。海(流動的な膜)の中に浮かぶ、少ししっかりした「いかだ(raft)」をイメージするとわかりやすいでしょう。この島の上に特定のタンパク質が集まることで、細胞は情報のやりとりを効率よく行うことができます。
スフィンゴミエリンとコレステロールの結びつきは、細胞のコレステロール量の調整にも関わります。細胞内のコレステロールが増えると、余ったコレステロールがスフィンゴミエリンとの結合から解放されて小胞体へ送られ、コレステロールの合成にブレーキをかけます[13]。逆に、細胞外からスフィンゴミエリン分解酵素(SMase)が作用してスフィンゴミエリンがセラミドに変わると、結合していたコレステロールが一気に解放され、コレステロール合成が強く抑えられます[13]。膜の脂質が、遠く離れた合成系のスイッチまで動かしているのです。
さらに劇的なのが、細胞が放射線やサイトカイン(TNF-αなど)といった強いストレスを受けたときの反応です。SMaseがラフト内のスフィンゴミエリンを一気にセラミドへ分解すると、頭部を失って疎水性が高くなったセラミドどうしが自発的に集まり、セラミド富化プラットフォーム(CRP)と呼ばれる大きな膜ドメインを作ります[14]。このプラットフォーム上に、FasやTNFR1といった「死の受容体」が物理的に密集させられ、細胞内でアポトーシス(細胞死)のスイッチが一方向的に押されていきます[14]。セラミドが「死のシグナル」と呼ばれるゆえんです。
7. セラミドとS1Pの「綱引き」──細胞死・免疫・炎症
スフィンゴ脂質のシグナルを理解する鍵が、「死」を促すセラミドやスフィンゴシンと、「生存」を促すスフィンゴシン-1-リン酸(S1P)の綱引きです。この関係は長らく、両者の総量比で細胞の運命が決まる「レオスタット(加減抵抗器)」モデルで説明されてきました。近年は、それぞれの分子がどの場所(細胞内小器官)で作られ、どこで働くかという空間的な配置まで含めて理解する、より精緻なモデルへと更新されています。
💡 用語解説:スフィンゴ脂質レオスタットとS1P
S1P(スフィンゴシン-1-リン酸)は、スフィンゴシンにリン酸が付いた分子で、細胞の生存・増殖・移動を促す「生きろ」という信号として働きます。これに対しセラミドは「死ね/止まれ」という逆向きの信号です。この2つのバランスで細胞の運命が傾く様子を、音量つまみにたとえてスフィンゴ脂質レオスタットと呼びます。片方が増えればもう片方が相対的に弱まる、シーソーのような関係です。
S1Pは炎症や免疫でも中心的な役割を果たします[15]。血液やリンパ液の中ではS1P濃度が高く保たれる一方、リンパ組織の内部では分解酵素によって低く抑えられています。この濃度の差(勾配)を、リンパ球(T細胞・B細胞)は受容体S1P1で感知し、リンパ節から血液中へと出ていきます[15]。この性質を巧みに利用したのが、多発性硬化症の治療薬フィンゴリモド(FTY720)です。フィンゴリモドはリンパ球をリンパ節内に閉じ込めることで、自己反応性のT細胞が中枢神経を攻撃するのを抑えます[16]。炎症の場面では、TNF-αの刺激でスフィンゴシンキナーゼ(SphK1)が活性化してS1Pが作られ、生存シグナルや炎症を後押しすることも知られています[15]。基礎の脂質研究が、実際の神経難病の治療薬に結びついている好例です。
8. 臨床への接続──HSAN1と若年性ALS、そして個別化医療
🔍 関連記事:SPTLC1遺伝子/SPTLC2遺伝子/遺伝カウンセリングとは
スフィンゴ脂質は基礎科学の話にとどまりません。合成の律速酵素であるSPTのサブユニット(SPTLC1またはSPTLC2)に変異が生じると、変異の場所と性質によって、臨床的にはむしろ正反対に見える二つの神経疾患が引き起こされます[18][20]。同じ酵素の遺伝子でありながら、まるで鏡に映したような対照的な病態になる——これが遺伝医療にとって非常に示唆的な例です。
💡 用語解説:HSAN1と1-デオキシスフィンゴ脂質
HSAN1(遺伝性感覚性自律神経ニューロパチー1型)は、常染色体顕性(優性)遺伝の進行性の末梢神経障害で、下肢の痛みや温度の感覚が失われ、治りにくい足の潰瘍などを起こします。原因は、SPTが本来の材料(L-セリン)ではなくL-アラニンなどを誤って使ってしまい、1-デオキシスフィンゴ脂質という異常な脂質を作ってしまうことです。この脂質はうまく分解も無毒化もできず神経にたまって毒性を示します。糖尿病性神経障害などでも血中に増えることが知られる末梢神経のバイオマーカーです[18][19]。
一方で、SPTのORMDL結合部位が壊れるタイプの変異では、ブレーキが効かなくなり通常のスフィンゴ脂質が過剰に作られて、小児〜思春期に発症する重い運動ニューロン病(若年性ALS)を引き起こすことが報告されています[20]。「材料を間違えて毒の脂質を作る」HSAN1と、「正常な脂質を作りすぎる」若年性ALS——同じSPTの変異が、正反対のしくみで神経を傷つけるのです。両者の中間的な性質を示す変異(SPTLC1のS331F/Y、SPTLC2のI504Fなど)もあり、これらは感覚と運動の両方の障害が混じる中間型として位置づけられています[20]。なお、この鏡像的な整理や中間型の詳細には査読前の研究段階の知見も含まれるため、確定した臨床像として断定はできません。
この違いは、治療の考え方にも直結します。HSAN1に対しては、高用量のL-セリン補充が有効と報告されています[18]。体内のセリン濃度を高めることで、変異したSPTがL-アラニンを使うのを競争的に抑え、毒性のある1-デオキシスフィンゴ脂質の産生を減らせるためです。一方で、通常のスフィンゴ脂質を作りすぎているタイプ(若年性ALS型)にL-セリンを与えると、かえって合成のアクセルを踏み込むことになりかねないと考えられており、同じアミノ酸補充でも病型によって意味が逆になりうる点が、研究段階ながら重要な論点です[20]。SPTLC2のS384F変異が、基質選択の厳密さを調整するリン酸化部位にあたるという報告もあり[21]、変異の位置がいかに病態を左右するかを物語っています。
こうした「同じ遺伝子でも変異の場所で病気も治療方針も変わる」状況では、画一的な対応ではなく、原因遺伝子の詳細な解析と、血中の脂質プロファイルを丁寧に読み解く個別化医療(脂質メタボロミクス)が欠かせません。末梢神経障害や運動ニューロンの症状がある場合に、どの遺伝子のどの変異かを調べ、たまっている脂質の種類を確認したうえで方針を立てる——ここに、遺伝子診断と遺伝カウンセリングの役割があります。なおHSAN1やこれらの疾患の多くは、家族歴がなくても本人で初めて生じる新生突然変異(de novo変異)として現れることもあり、遺伝形式の説明には専門的な理解が求められます。当院では臨床遺伝専門医が、こうした遺伝性疾患に関する情報提供と遺伝カウンセリングを担当しています。
スフィンゴ脂質は、呼吸器のバリアや感染症とも関わります。肺胞から分泌される粘液には多くのスフィンゴ脂質が含まれ、物理的な透過障壁を強めています[17]。嚢胞性線維症(CFTR遺伝子変異による疾患)などでは、細胞表面の糖脂質プロファイルが変わり、緑膿菌やマイコプラズマが付着しやすい受容体が増えてしまうことも報告されています[17]。またカビ毒の一種フモニシンはセラミド合成酵素を阻害して家畜や作物に被害をもたらすなど、スフィンゴ脂質代謝は生態系全体にまたがるテーマでもあります。
9. よくある誤解
誤解①「セラミド=化粧品の保湿成分でしょう」
確かにセラミドは皮膚バリアの重要成分ですが、体内では細胞死や炎症のスイッチにもなる情報伝達分子です。保湿の役割はその一面にすぎず、神経や免疫にまで関わる幅広い分子です。
誤解②「多く作れるほど体に良い」
スフィンゴ脂質は増えすぎると神経に毒になります。だからこそ細胞はORMDLという厳密なブレーキをもっています。若年性ALS型の変異はこのブレーキが壊れ、正常な脂質を作りすぎて発症すると考えられています。
誤解③「同じ遺伝子の病気なら治療も同じ」
同じSPT(SPTLC1/2)の変異でも、HSAN1と若年性ALSでは病態が正反対です。L-セリン補充が片方には有効でも、もう片方では慎重な評価が必要とされます。変異の場所ごとの見極めが重要です。
誤解④「作る酵素さえ正常なら病気にならない」
合成が正常でも、分解や再利用が壊れるとスフィンゴ脂質蓄積症になります。ゴーシェ病やファーバー病などが代表例で、多くは常染色体潜性(劣性)遺伝の形式をとります。
よくある質問(FAQ)
🏥 遺伝性疾患・遺伝子検査のご相談
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臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにご相談いただけます。
参考文献
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