目次
SPTLC2遺伝子は、細胞膜や神経を守る「スフィンゴ脂質」という重要な脂質をつくる、その最初のステップを担う酵素の中心部品です。この記事のいちばんの驚きは、同じ1つの遺伝子に生じた場所ちがいの変異が、感覚神経を侵す病気(HSAN1C)と、運動神経を侵す病気(若年発症型ALS)という、まったく正反対の2つの病気を引き起こすという事実です。しかも、一方には効く「L-セリン」という治療が、もう一方では病気を悪化させかねない——。この二面性を遺伝専門医がやさしく解説します。
Q. SPTLC2遺伝子とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. SPTLC2遺伝子は、体内でスフィンゴ脂質(細胞膜や神経の材料になる脂質)をつくる最初の酵素「セリンパルミトイルトランスフェラーゼ(SPT)」の中心となる部品をつくる設計図です。この遺伝子に変異が起きると、変異の「場所」によって2つの異なる神経の病気が生じます。基質を結合する部分の変異は毒性脂質を生んで感覚神経を侵し(HSAN1C)、制御に関わる部分の変異は正常な脂質を作りすぎて運動神経を侵します(若年発症型ALS)。治療の選び方まで変わるため、変異のタイプを分子レベルで見きわめることが重要です。
- ➤遺伝子の正体 → スフィンゴ脂質合成の律速酵素SPTの触媒コアを構成する主要サブユニット
- ➤二面性の正体 → 変異の位置により「毒性脂質の産生」と「正常脂質の過剰産生」という真逆の病態が生じる
- ➤HSAN1C → 感覚神経を侵す遅発性ニューロパチー。L-セリン補充療法が有望
- ➤若年発症型ALS → 運動神経を侵す進行性疾患。L-セリンはむしろ悪化させる可能性があり禁忌
- ➤精密医療の教訓 → 「変異がある」だけでは不十分、機能タイプの特定が治療方針を左右する
1. SPTLC2遺伝子とは:スフィンゴ脂質合成の「最初の一歩」を握る司令塔
SPTLC2遺伝子は、正式名称を「Serine palmitoyltransferase long chain base subunit 2」といい、日本語では「セリンパルミトイルトランスフェラーゼ 長鎖塩基サブユニット2」と訳されます。名前は長いですが、役割はシンプルです。私たちの細胞がスフィンゴ脂質という重要な脂質を新しくつくり出すとき、そのいちばん最初のステップを担う酵素の「中心部品」をつくる設計図が、このSPTLC2遺伝子です[1]。
ヒトのSPTLC2遺伝子は、14番染色体の長腕(14q24.3という位置)にあり、13個のエクソン(タンパク質の設計情報が書かれた部分)から構成されています。この設計図から、562個のアミノ酸がつながった、分子量およそ62キロダルトンのタンパク質がつくられます[2]。このタンパク質は、脳や脊髄をはじめとする神経系で特に豊富に働いており、そのほかにも血液中の免疫細胞や腸の粘膜など、全身のさまざまな組織で脂質のバランスを保つために活躍しています[2]。
💡 用語解説:スフィンゴ脂質(すふぃんごししつ)
スフィンゴ脂質とは、細胞をつつむ「膜」の主要な材料であり、細胞どうしが情報をやりとりする信号のもとにもなる、生命に欠かせない脂質のグループです。とくに脳や神経では、神経のケーブルを包む「絶縁カバー(ミエリン鞘)」の材料として大量に使われています。この脂質が足りなくなっても、逆に作られすぎても、あるいは「異常な種類」が混ざっても、細胞や神経は正常に働けなくなります。だからこそ、その量は体内で厳密にコントロールされています。
スフィンゴ脂質は「多すぎても少なすぎても困る」デリケートな物質です。細胞はこの脂質を必要な分だけ、必要なタイミングでつくる精密な仕組みを備えています。その入口に立つ「アクセルとブレーキの両方を感じ取るセンサー役」こそが、SPTLC2を含むSPT複合体です。この記事では、この司令塔がどのように働き、そして壊れたときに何が起こるのかを、順を追って見ていきます。
2. スフィンゴ脂質とSPT複合体:精密な脂質工場のしくみ
スフィンゴ脂質をつくる工程の「最初の一歩」を触媒する酵素が、セリンパルミトイルトランスフェラーゼ(SPT)です。この酵素は「新規(de novo)合成経路」と呼ばれる、材料から一から脂質を組み立てるラインの入口にあたり、全体のスピードを決める律速段階(りっそくだんかい)を担っています。工場でいえば、生産ライン全体のペースを決める最初のベルトコンベアのようなものです[3]。
💡 用語解説:律速段階(りっそくだんかい)とは
いくつもの反応が連なった一連のプロセスで、全体のスピードを決めている「いちばん遅い一歩」のことです。高速道路で一箇所だけ車線が狭まっている場所があると、そこが渋滞の原因になり全体の流れを決めてしまうのと同じです。SPTはスフィンゴ脂質合成の律速段階なので、ここが速すぎても遅すぎても、下流でつくられる脂質の量が大きく変わります。だからこそ、この一歩は厳重に制御されているのです。
SPTは1つのタンパク質ではなく、複数の部品が組み合わさった「複合体」として働きます。近年のクライオ電子顕微鏡(凍らせた状態で分子の形を観察する最先端技術)による解析で、ヒトのSPT複合体はSPTLC1、SPTLC2(またはその類似部品SPTLC3)、そして小さなサブユニット(SPTSSAまたはSPTSSB)から構成されることが明らかになりました[3]。これらが組み合わさってペアをつくり、さらにそのペアどうしが二つ重なって、制御役のORMDLタンパク質まで含めた約480キロダルトンの巨大な複合体を形成します[3]。
この複合体の中で、SPTLC1とSPTLC2のペアが「触媒コア」——つまり実際に化学反応を起こすエンジン部分——を形成します。ここで、材料であるL-セリン(アミノ酸の一種)とパルミトイルCoA(脂肪酸の一種)が結合し、スフィンゴ脂質の骨格となる最初の分子がつくられます[3]。つまりSPTLC2は、この反応が正しく進むかどうかを左右する、きわめて重要な部品なのです。
小さな部品が「脂質の種類」を決める精巧なモジュール構造
SPT複合体の巧みさは、組み合わせる部品を変えることで「つくる脂質の種類」を切り替えられる点にあります。SPTLC1・SPTLC2・SPTSSAの組み合わせは、C16という長さの脂肪酸を強く好みます。一方、SPTLC2の代わりに胎盤などに多いSPTLC3が組み込まれると、より短いC14の脂肪酸も使えるようになります。さらに、中枢神経系のニューロンに多いSPTSSBが組み込まれると、より長いC18の脂肪酸に対する特異性が高まります[3]。細胞は、組織ごとの需要に応じてこれらの部品の発現を変え、最適な長さのスフィンゴ脂質を供給しているのです。
💡 用語解説:サブユニットと複合体
大きなタンパク質の「機械」は、しばしば複数のパーツが組み合わさってできています。この個々のパーツをサブユニット、組み上がった機械全体を複合体と呼びます。SPTLC2は、SPT複合体という機械を構成する主要なサブユニット(部品)の一つです。パーツを差し替えると機械の性能(つくる脂質の種類)が変わるという、レゴのようなモジュール構造になっているのが特徴です。
ブレーキ役「ORMDL」による負のフィードバック
スフィンゴ脂質は多すぎると細胞に毒性を及ぼします。そこで、つくりすぎを防ぐための「ブレーキ」が備わっています。それがORMDL(オルムディーエル)というタンパク質、とくにORMDL3による負のフィードバック抑制です。細胞内でスフィンゴ脂質の一種であるセラミドが増えてくると、そのセラミドがSPT-ORMDL複合体に直接くっつき、酵素の働きを抑えます[4]。
構造生物学の研究により、ORMDL3の特定のアミノ酸と、SPTLC2の特定のアミノ酸(Tyr122=122番目のチロシン)が、セラミドと強く結合することが特定されています。これらの部位に変異が入ると、複合体がセラミドを感じ取れなくなり、ブレーキがきかなくなります[4]。この「ブレーキのしくみ」を覚えておいてください。後半で登場する若年発症型ALSは、まさにこのブレーキの破綻から生じるからです。なお、ORMDLによる制御はこの直接結合だけでなく、ORMDLタンパク質自身が小胞体関連分解(ERAD)という仕組みで分解される速度によっても調整される、動的なものであることが分かっています[5]。
3. 1つの遺伝子から生まれる正反対の2つの病気
ここからが、SPTLC2という遺伝子のもっとも興味深く、そして臨床的に重要な部分です。同じSPTLC2遺伝子でも、変異が「どこに」起きるかによって、まったく異なる2つの神経疾患が生じます。一方は感覚神経を、もう一方は運動神経を侵し、しかも生化学的なメカニズムは正反対です。この対比を、まず一枚の図で整理します。
SPTLC2の変異は、その「場所」と「性質」によって正反対の生化学的変化を生む。HSAN1Cは毒性脂質を生み出し、ALSは正常脂質を過剰に生産する。特に注目すべきは、HSAN1Cに有望なL-セリン療法が、ALSでは症状を悪化させる危険(禁忌)がある点。
この「同じ遺伝子から正反対の病気が生じる」という事実は、分子遺伝学と精密医療(プレシジョン・メディシン)にとって、きわめて重要な教訓を含んでいます[6]。次のセクションから、この2つの病気を1つずつ詳しく見ていきましょう。なお、両方の病気に共通する遺伝の特徴として、いずれも常染色体顕性遺伝(優性遺伝)という形式をとります。これは、ペアになっている遺伝子の片方に変異があるだけで症状が現れうる遺伝形式です。
4. 病気①:遺伝性感覚自律神経性ニューロパチー1C型(HSAN1C)
🔍 関連記事:遺伝性感覚性自律神経性ニューロパチー1A/HSAN2C/シュワン細胞
SPTLC2遺伝子に生じるミスセンス変異(アミノ酸が別のものに置き換わるタイプの変異)は、末梢神経を標的とする重い病気「遺伝性感覚自律神経性ニューロパチー1C型(HSAN1C)」の原因となります[6]。この病気のメカニズムは、単に「酵素が働かなくなる」のではなく、「酵素が間違った材料を使うようになる」という特殊なものです。
💡 用語解説:ミスセンス変異とは
遺伝子は、タンパク質を構成するアミノ酸の並び順を指定する「設計図」です。ミスセンス変異とは、この設計図の一文字が変わることで、1つのアミノ酸が別の種類のアミノ酸に置き換わってしまう変異です。たった1個の置き換わりでも、それが酵素の重要な場所で起これば、酵素の性質(どの材料を使うか、どれだけ活発に働くかなど)が大きく変わってしまうことがあります。HSAN1Cは、まさにこのタイプの変異で酵素の「材料の選び方」が変わってしまう病気です。
なぜ神経に毒性が生じるのか:「1-デオキシスフィンゴ脂質」の蓄積
正常なSPT複合体は、材料としてL-セリンというアミノ酸を使います。ところがHSAN1Cを起こすSPTLC2変異では、酵素の材料を選ぶポケットの形が変わり、L-セリンへの親和性が低下する代わりに、L-アラニンやグリシンといった「別のアミノ酸」を誤って使ってしまうようになります[6]。
L-アラニンが材料に使われると、正常なスフィンゴ脂質にはない「1-デオキシスフィンガニン」という異常な分子が生まれます。この1-デオキシスフィンゴ脂質(1-deoxySL)と呼ばれる一群は、通常の分解経路で処理することができず、末梢神経の内部に溜まって強い神経毒性を発揮します[6]。細胞を使った実験では、変異型SPTLC2(たとえばN177Dという変異)が、この毒性脂質の産生を顕著に増やすことが確認されています[7]。つまりHSAN1Cは、「毒性のあるゴミ分子」が神経に溜まっていく病気なのです。
臨床的な特徴:感覚の消失と足の潰瘍
HSAN1Cは常染色体顕性遺伝の形式をとり、比較的遅い年齢で発症する、感覚優位の末梢神経障害として現れます[8]。臨床的には、手足の先から進行する感覚の消失、激しい痛み、足の潰瘍、そして重症例では痛みを感じないために気づかず生じる外傷から、骨の感染症(骨髄炎)や下肢の切断に至ることもあります[2]。
神経の詳しい検査からは、この病気の神経障害が、神経ケーブルそのもの(軸索)よりも先に、ケーブルを包む絶縁カバー(ミエリン鞘)とそれをつくるシュワン細胞にダメージを与える「脱髄」から始まることが示唆されています[9]。なお、病名に「自律神経性」とありますが、実際には発汗異常や立ちくらみといった顕著な自律神経の症状を伴う例は少なく、感覚と運動の神経障害が主体となる傾向があります[9]。
5. HSAN1Cの治療戦略:L-セリン補充療法とSENSE試験
HSAN1Cに対してもっとも期待されている治療は、高用量のL-セリンを口から補充する代謝療法です[6]。考え方はシンプルかつ合理的です。変異した酵素が「本来の材料であるL-セリン」と「間違った材料であるL-アラニン」を取り合っている状態に対し、正しい材料であるL-セリンを大量に供給してあげれば、間違った材料が使われる割合を減らし、毒性脂質の産生を抑えられる、というものです[6]。
💡 用語解説:基質競合(きしつきょうごう)とは
酵素が反応の材料として使う物質を「基質」といいます。基質競合とは、複数の材料が同じ酵素の「席」を奪い合う状態のことです。正しい材料(L-セリン)をたくさん用意すれば、席取り競争で正しい材料が有利になり、間違った材料(L-アラニン)が使われにくくなります。L-セリン療法は、この「席取り競争」を正しい側に傾けることで、毒性脂質の産生を減らそうとする治療です。
過去に行われた14名のHSAN1患者を対象とした1年間の小規模試験では、L-セリン治療群で血液中の毒性脂質(デオキシスフィンガニン)が大きく低下し、神経障害の重症度スコアにも軽度の改善がみられ、重い副作用は報告されませんでした[10]。この結果を決定的に検証するため、現在、英国のユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)を中心とする国際的な第II相ランダム化二重盲検プラセボ対照試験「SENSE試験」(登録番号NCT06113055)が進行中です[11]。
この試験で特筆すべきは、病気の進行度を体に負担をかけずに精密に測るため、MRIによる筋肉の脂肪浸潤率を主要な評価項目に採用している点です[11]。神経が障害されると、その神経が支配していた筋肉がやせて脂肪に置き換わっていくため、この変化を画像で捉えることで治療効果を客観的に評価しようという設計です。なお、後述するように、このL-セリン療法はHSAN1Cには有望である一方で、同じSPTLC2変異でも若年発症型ALSには使ってはならない点が、この遺伝子を理解するうえで決定的に重要です。
6. 病気②:若年発症型ALS——ブレーキの破綻という真逆のメカニズム
驚くべきことに、同じSPTLC2遺伝子の別の領域に生じる変異は、HSAN1Cとはまったく異なるしくみで、小児期・若年期に発症する筋萎縮性側索硬化症(Juvenile ALS)を引き起こすことが近年明らかになりました[12]。
「作りすぎ」が神経を殺す:機能獲得型変異
ALSを引き起こすSPTLC2変異は、HSAN1Cのような「毒性脂質の産生」は起こしません。その代わり、SPT複合体と、ブレーキ役であるORMDL3との連携を壊す「機能獲得型(gain-of-function)変異」として働きます[12]。セクション2で説明した「ブレーキのしくみ」を思い出してください。正常なら、セラミドが増えるとORMDL3がSPTLC2に結合して酵素にブレーキをかけます。ところがALS変異を持つSPTLC2は、このブレーキに応答できず、酵素が常に「オン」の状態になってしまいます[13]。
💡 用語解説:機能獲得型変異とは
遺伝子の変異には大きく2つのタイプがあります。1つは、遺伝子の働きが弱まったり失われたりする「機能喪失型」。もう1つが、遺伝子が本来とは違う働きをするようになったり、働きが過剰になったりする「機能獲得型」です。ALSを起こすSPTLC2変異は後者で、「ブレーキがきかなくなって酵素が働きすぎる」ようになります。同じ遺伝子でも、機能喪失型か機能獲得型かで、病気の性質はまったく変わってきます。
ブレーキを失った酵素は、材料が供給される限りスフィンゴ脂質を作り続けます。その結果、患者さんの体内では、毒性脂質ではなく正常なスフィンゴ脂質(セラミドなど)が制御不能に過剰生産されます。この「正常な代謝産物の作りすぎ」こそが、運動ニューロンを特異的に変性させ、細胞死を引き起こす主な原因と考えられています[12]。HSAN1Cが「異常なゴミの蓄積」だとすれば、こちらは「正常品の過剰在庫」で神経がパンクするイメージです。
臨床的な特徴と主要な変異
SPTLC2関連ALSは、幼少期または若年期に発症し、進行性の筋力低下、飲み込みや発話の障害(球麻痺)、上位・下位運動ニューロンの変性を特徴とし、最終的には呼吸不全や麻痺に至ります[6]。HSAN1Cにみられる感覚神経障害は伴いません[14]。これらの変異の多くは親から受け継いだものではなく、新生突然変異(de novo変異)として生じます[6]。
💡 用語解説:新生突然変異(de novo変異)とは
新生突然変異(de novo変異)とは、両親のどちらも持っていないのに、子どもで初めて新しく生じる遺伝子変異のことです。精子や卵子がつくられる過程、あるいは受精直後に偶然起こります。そのため家族歴(血縁者に同じ病気の人がいること)がなくても、子どもに遺伝性疾患が発症することがあります。若年発症型ALSを起こすSPTLC2変異の多くは、このタイプです。
代表的な病原性バリアントとして、p.Met68Arg(M68R)が知られています。この変異はSPTLC2がORMDL3と相互作用するための「鍵となる残基」に位置しており、クライオ電子顕微鏡による構造解析で、この場所の置換がORMDL3との結合面を物理的に壊してしまうことが示されています[13]。もう一つのp.Glu260Lys(E260K)は、複数の独立した家系で見つかっている反復性のバリアントで、これもORMDL3との接点に位置し、ブレーキ機構を無効化します[2]。
治療のパラドックス:なぜALSにL-セリンは禁忌なのか
ここで、この遺伝子を理解するうえで臨床的にもっとも重要な教訓が浮かび上がります。それは「若年発症型ALSの患者さんに対して、L-セリン補充療法を行ってはならない」ということです[6]。
⚠️ 治療の方向が正反対:HSAN1Cでは、L-セリンは「間違った材料」を追い出して毒性脂質を減らす特効薬として働きます。しかし若年発症型ALSでは、ブレーキが外れてフル稼働している酵素に材料をさらに供給することになり、正常脂質の過剰生産をかえって加速させ、病状を悪化させるおそれがあります。
したがって、SPTLC2関連の疾患が疑われる場合、「遺伝子が変異している」という情報だけでは不十分です。その変異が「材料の取り違えを起こすタイプ(HSAN1C)」なのか、「ブレーキが効かなくなるタイプ(ALS)」なのかを分子レベルで見きわめなければ、治療の方向を真逆に間違えかねません[6]。これこそが、ゲノム情報にもとづく精密医療(プレシジョン・メディシン)の重要性を、これ以上ないほど明確に示す事例なのです。
7. 遺伝学的診断と遺伝カウンセリング
これまで見てきたとおり、SPTLC2関連疾患では「変異の種類を特定すること」が、そのまま治療方針を左右します。だからこそ、正確な遺伝学的診断が出発点となります。感覚神経障害が主体であれば遺伝性ニューロパチーの遺伝子パネル検査が、運動神経障害が前面に出ていればALSの遺伝子パネル検査が、鑑別診断の手がかりとなります。運動神経障害の型によっては遠位型遺伝性運動ニューロパチーの検査も選択肢になります。
遺伝子検査でSPTLC2の変異が見つかった場合、その変異がすでに報告されている「HSAN1C型」なのか「ALS型」なのかを、既知のデータベースや変異の位置・性質から慎重に評価する必要があります。同じSPTLC2遺伝子でありながら治療の方向が正反対になるため、この見きわめは単なる学術的興味ではなく、実際の治療選択に直結する臨床判断そのものです。
遺伝カウンセリングで扱われること
SPTLC2関連疾患の診断後は、ご家族への丁寧な遺伝カウンセリングが重要になります。臨床遺伝専門医が、以下のような点について、患者さんやご家族の状況にあわせて情報提供と対話を行います。
- ➤遺伝形式と再発リスク:両疾患とも常染色体顕性遺伝のため、患者本人の子へは理論上50%の確率で変異が伝わりうること。一方でALS型はde novo変異が多く、家族歴がない例が多いこと
- ➤変異タイプと治療方針の関係:変異が「HSAN1C型」か「ALS型」かによって、L-セリン療法の適否が正反対になること
- ➤臨床試験の情報:HSAN1Cに対するSENSE試験など、進行中の研究に関する最新情報
- ➤心理社会的サポート:診断がご本人・ご家族に与える影響への配慮と、生活面での支援に関する情報提供
ミネルバクリニックは臨床遺伝専門医が原因遺伝子の評価と遺伝カウンセリングを担当します。SPTLC2関連疾患のように「変異タイプが治療を左右する」領域では、検査結果を治療につなげるための専門的な解釈が特に重要になります。
8. よくある誤解
誤解①「同じ遺伝子の病気なら治療も同じはず」
SPTLC2では、これが致命的な誤解になり得ます。同じ遺伝子でも、HSAN1CとALSでは病態が正反対で、HSAN1Cに有望なL-セリン療法はALSでは悪化のおそれがあります。「変異があるか」ではなく「どんなタイプの変異か」が決定的に重要です。
誤解②「L-セリンはただの栄養素だから安全」
L-セリンはアミノ酸の一種ですが、SPTLC2疾患では「酵素の材料」として働くため、病態によっては脂質の過剰生産を促進してしまいます。安全な栄養素という一般的なイメージだけで判断するのは危険で、変異タイプに応じた専門的評価が必要です。
誤解③「家族に患者がいなければ遺伝病ではない」
若年発症型ALSを起こすSPTLC2変異の多くは新生突然変異(de novo変異)で、両親が変異を持っていなくても子どもで初めて生じます。家族歴がないことは、遺伝性疾患を否定する理由にはなりません。
誤解④「スフィンゴ脂質は少ないほど安全」
スフィンゴ脂質は細胞膜や神経に不可欠な物質で、少なすぎても細胞は生きられません。動物実験では、この脂質の合成を完全に止めると細胞死や致死が生じます。「多すぎ」も「少なすぎ」も問題で、適切なバランスの維持こそが重要です。
9. 臨床遺伝専門医からのメッセージ
よくある質問(FAQ)
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参考文献
- [1] SPTLC2 – Serine palmitoyltransferase 2 – Homo sapiens (Human). UniProt. [UniProt O15270]
- [2] SPTLC2 serine palmitoyltransferase long chain base subunit 2 (human). NCBI Gene. [NCBI Gene 9517]
- [3] Structural insights into the assembly and substrate selectivity of human SPT-ORMDL3 complex. PubMed. [PubMed 33558762]
- [4] Ceramide sensing by human SPT-ORMDL complex for establishing sphingolipid homeostasis. PMC. [PMC10261145]
- [5] The ORMDL/Orm-serine palmitoyltransferase (SPT) complex is directly regulated by ceramide: Reconstitution of SPT regulation in isolated membranes. J Biol Chem / PMC. [PMC6442065]
- [6] Serine Palmitoyltransferase (SPT)-related Neurodegenerative and Related Disorders. PMC. [PMC11307022]
- [7] A Novel Variant (Asn177Asp) in SPTLC2 Causing Hereditary Sensory Autonomic Neuropathy Type 1C. CeGaT. [CeGaT]
- [8] The Variant p.(Arg183Trp) in SPTLC2 Causes Late-Onset Hereditary Sensory Neuropathy. PubMed. [PubMed 26573920]
- [9] Demyelination in hereditary sensory neuropathy type-1C. PMC. [PMC7480917]
- [10] Randomized trial of l-serine in patients with hereditary sensory and autonomic neuropathy type 1. Neurology. [Neurology]
- [11] Study Details | NCT06113055 | Hereditary Sensory Neuropathy Serine Trial. ClinicalTrials.gov. [ClinicalTrials.gov NCT06113055]
- [12] Recurrent de novo SPTLC2 variant causes childhood-onset amyotrophic lateral sclerosis (ALS) by excess sphingolipid synthesis. J Neurol Neurosurg Psychiatry. [JNNP]
- [13] Recurrent de-novo gain-of-function mutation in SPTLC2 confirms dysregulated sphingolipid production to cause juvenile amyotrophic lateral sclerosis. PMC. [PMC10922288]
- [14] Childhood Onset Amyotrophic Lateral Sclerosis Associated with SPTLC2 Gain-of-Function Pathogenic Variants: Clinical, Genetic, and Biochemical Insights. Neurology. [Neurology]



