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「腎臓や耳、手の指が同時にうまくつくられない」——そんな複数の臓器にまたがる生まれつきの特徴の背景に、たった一つの遺伝子の変化がひそんでいることがあります。SALL1(サルワン)遺伝子は、おなかの中で赤ちゃんの体の設計を担う「転写因子」の設計図で、腎臓・脳・耳・手足など、いくつもの臓器づくりの司令塔として働いています。
この記事では、SALL1がどんな遺伝子で、どうやって遺伝子のスイッチを切り替えているのか、変化するとなぜタウンズ・ブロックス症候群(Townes-Brocks syndrome)という多臓器の病気になるのか、そしてがんとの関係や、SALL1欠損動物を用いた腎臓再生研究という研究段階の話題までを、遺伝専門医の立場から順を追って説明します。
- ➤ SALL1がどんな遺伝子で、なぜ複数の臓器づくりに欠かせないのか
- ➤ 「DNAへの結合」と「遺伝子スイッチを切る(NuRD)」という二つの働き
- ➤ タウンズ・ブロックス症候群の病態で、機能喪失とドミナントネガティブ作用がどう検討されているのか
- ➤ がんを抑える働きと、DNAメチル化による発現低下
- ➤ SALL1欠損動物を用いて異種由来の腎臓を作る「胚盤胞補完法」の研究
🧬Q. SALL1遺伝子とは何ですか?
おなかの中で腎臓・脳・耳・手足などの臓器づくりを指揮する転写因子(遺伝子のスイッチ役)の設計図です。とくに腎臓のもとになる細胞を「まだ増やしておく/そろそろ変化させる」のバランス調整に欠かせません[4]。
🩺Q. 変化するとどんな病気になりますか?
SALL1の変化は、肛門・耳・親指の異常を三つの柱とするタウンズ・ブロックス症候群を起こします。常染色体顕性(優性)遺伝で、腎機能障害を合併することもあります[17]。
🌸Q. 医療にどうつながりますか?
乳がんなどでがん抑制的に働く可能性が研究されるほか、SALL1を欠いた動物の体内で異種の多能性幹細胞由来の腎臓を作る再生医療の基礎研究が進んでいます[13]。
SALL1遺伝子とは——体の設計を指揮する「マスター転写因子」
ショウジョウバエから受け継がれた、進化の保存された遺伝子
SALL1(サルワン、Spalt-like transcription factor 1)は、もともとショウジョウバエの体づくりを決める spalt(スポルト)という遺伝子の、ヒトやマウスにおける仲間(ホモログ)として見つかった遺伝子です。ヒトでは16番染色体の16q12.1という場所にあり、たくさんの「転写因子」——すなわち、どの遺伝子をいつ・どこで働かせるかを決めるスイッチ役のタンパク質——の設計図になっています。
生きものが受精卵から体をつくっていく過程で、SALL1は「細胞をまだ未熟なまま増やしておく」役割と、「決まったタイミングで特定の細胞に変化させる」役割の両方を、時間的・空間的に調整しています。とくに関わりが深いのが、胎児期の腎臓(後腎)の形成、脳の免疫細胞であるミクログリアの性質づけ、内耳や嗅覚系などの感覚器の発達、そして手足の形づくりです。まさに、複数の臓器づくりを束ねる「マスターレギュレーター(統括役)」の一つです。
SALL1は「一つの臓器だけの遺伝子」ではありません。腎臓・耳・手足・脳など、まったく別々に見える臓器の設計に共通して関わるからこそ、変化すると複数の臓器に同時に影響が出るのです。これが、タウンズ・ブロックス症候群という「多臓器の症候群」の根っこにあります。
SALLファミリーという「兄弟遺伝子」
ヒトにはSALL1〜SALL4という4つのよく似た兄弟遺伝子(SALLファミリー)があります。なかでもSALL4遺伝子はSALL1と構造がよく似ており、後で述べるように、SALL1の異常なタンパク質がSALL4の働きまで巻き込んでしまうことがあります。この「兄弟同士の関係」は、なぜOkihiro(オキヒロ)症候群(SALL4の異常で起こる病気)とタウンズ・ブロックス症候群の症状が重なるのかを理解する鍵になります。
分子のしくみ——「DNAに結合する手」と「スイッチを切る手」
SALL1タンパク質の働きは、大きく二つの独立した部品でできています。一つはDNAの特定の場所を見つけて掴む「手」、もう一つはその場所で遺伝子のスイッチを切る「装置を呼び寄せる手」です。この二つが協力することで、SALL1は狙った遺伝子をピンポイントで抑え込みます。
ジンクフィンガーが「AT-richな配列」を掴む
SALL1は「ジンクフィンガー」と呼ばれる、亜鉛を使ってDNAを掴む指のような構造をいくつも持っています。近年のX線結晶構造解析により、SALL1・SALL3・SALL4に共通するC末端側のジンクフィンガーの塊(ZFC4)が、DNAのなかでもAとTに富む「AATA」という4文字の並びを特に好んで、しっかり結合することが示されました[8]。真ん中のAT配列をGCに置き換えると結合が失われることも確認されており、狙いを定める精度の高さがうかがえます[8]。SALL4についても同様の構造が解かれ、患者さんで見つかる変異がこのDNA結合能を損なうことが示されています[9]。
わずか12個のアミノ酸が「NuRD」を呼び寄せる
SALL1のもっとも際立った性質は、遺伝子を強力に「オフ」にする働き(転写抑制)です。その中心を担うのが、SALL1のN末端近くにあるたった12個のアミノ酸でできた短い目印(RRKQXK-PXXF)です[3]。この小さな目印が、NuRD複合体という巨大なタンパク質のかたまりを直接呼び寄せます。
NuRD複合体は、ヒストン(DNAが巻きつく糸巻きのようなタンパク質)から、遺伝子を働きやすくする「アセチル基」という目印を外す酵素(ヒストン脱アセチル化酵素)を持っています。SALL1がDNAの狙った場所に結合し、そこへNuRDを呼び寄せると、その場所のヒストンからアセチル基が外れ、DNAがぎゅっと折りたたまれて、遺伝子が読めなくなります。エピジェネティクス(DNAの配列そのものを変えずに遺伝子の働きを調整するしくみ)の代表的なやり方です。
NuRD(Nucleosome Remodeling and Deacetylase)複合体は、DNAが巻きつくヌクレオソームの配置を調整する働きと、ヒストンからアセチル基を外す働きを併せ持つタンパク質複合体です。SALL1はN末端の短いモチーフを介してNuRDを呼び寄せ、標的遺伝子の転写を抑制します[3]。

SALL1のジンクフィンガー(ZFC4)がAT-rich(AATA)配列を認識してDNAに結合し、N末端のモチーフを介してNuRD複合体を動員します。NuRDに含まれるHDAC1/2によるヒストン脱アセチル化などを通じてクロマチンが転写されにくい状態となり、標的遺伝子の発現が抑制されます。
SALL1はこのほかにも、核内のヘテロクロマチン(強く凝縮された転写活性の低いDNA領域)、とくにセントロメア周辺のヘテロクロマチンに局在することが示されています[18]。この局在にはC末端側のジンクフィンガーによるA/T-rich配列への結合が関与し、SALL1の転写抑制機能と高次クロマチン構造との関係が研究されています。ヘテロクロマチンではヒストンメチル化などの抑制性クロマチン修飾も重要です。
🩺 院長コラム【「一つの遺伝子」を読むときに考えていること】
遺伝子の名前だけを見ると、SALL1は「腎臓の遺伝子」「耳の遺伝子」と一言でくくりたくなります。けれども、実際には一つの遺伝子が、まったく別々の臓器で少しずつ違う仕事をしています。同じ設計図でも、読む場所と読み方が変われば、できあがるものが変わる——これは、成人の遺伝性腫瘍を含む遺伝診療でも重要な考え方です。
臨床遺伝専門医として文献を踏まえると、SALL1のように「DNAを掴む部分」と「スイッチを切る部分」が分かれている遺伝子は、どこがどう壊れたかで結果が大きく変わります。だからこそ、変異の「場所」と「性質」を丁寧に読み解くことが、見通しを立てるうえで大切になります。
器官形成での役割——腎臓・脳・手足でのはたらき
腎臓:ネフロンのもとになる細胞を「使いすぎない」しくみ
腎臓の最小単位であるネフロン(糸球体と尿細管のセット)は、胎児期にある「ネフロン前駆細胞(Nephron Progenitor Cells:NPC)」という、いわば腎臓の種になる細胞から作られます。この種は、発生の期間を通じて「使い切らないように増やし続ける(自己複製)」と「必要な分だけ変化させる(分化)」のバランスを保つ必要があります。片方に偏って早く使い切ってしまうと、腎臓が十分に作られません。
SALL1は、SIX2・WT1・PAX2などとともに、ネフロン前駆細胞の状態を調節しています。とくにSIX2は前駆細胞を未熟なまま維持する鍵となる因子で、SALL1もSIX2陽性の前駆細胞で働き、分化を抑えて前駆細胞プールの維持に寄与します[4]。Sall1欠損マウスでは前駆細胞の分化が早まり、前駆細胞プールが枯渇します[4]。また、Sall1のホモ接合欠損では尿管芽の侵入・伸長が障害され、腎無形成または重度の腎形成異常が生じます[1]。
この抑え込みには、前述のNuRD複合体との協力が重要です。SALL1とNuRDの結合を特異的に壊したマウスでは、前駆細胞の分化が早まり、腎臓が小さくなること(腎低形成)に加えて、ヘンレのループなど特定のネフロン部分の形成が損なわれることが示されています[5]。つまりSALL1は「増やす」と「変化させる」の間で、前駆細胞の分化を抑制する重要な役割を果たしています。
脳:ミクログリアの「らしさ」を決める
脳や脊髄には、免疫の見張り役を担う常在性の細胞「ミクログリア」がいます。SALL1は、このミクログリアだけに特徴的に働く目印遺伝子として同定され、ミクログリアの「そのものらしさ(アイデンティティ)」を決める中心的な転写因子であることがわかっています[6]。マウスでミクログリアのSall1を失わせると、静かに見張りをしていた細胞が炎症性の性質を帯び、脳の環境の恒常性が乱れることが報告されています[6]。神経炎症(ミクログリア)の理解にもつながるテーマです。
さらに、このミクログリア特異的な発現は、SALL1遺伝子のそばにあるスーパーエンハンサー(遺伝子を強く働かせる調節領域)と、TGF-βシグナルの下流にあるSMAD4というタンパク質の連携によって支えられていることが示されています[7]。SALL1は自らがSMAD4の働き先を絞り込むことで、ミクログリアらしい遺伝子だけを的確にオンにしていると考えられます[7]。ミクログリアは脳の発達期にシナプス(神経のつなぎ目)の刈り込みや不要な細胞の片づけを担うため、その「らしさ」を保つことは、脳の回路が正しく組み上がるうえでも重要だと考えられています。
脳づくりへの関わりはミクログリアだけにとどまりません。SALL1は大脳皮質の神経細胞が生まれる過程や、においを感じる嗅覚系の発達にも関わることが動物モデルで示されています。研究の蓄積は分野によって差がありますが、SALL1が「一つの臓器の一つの細胞」だけでなく、神経系の複数の場面で調節に関わりうる転写因子であることは、これまでの知見が一致して示すところです。こうした基礎的な発生の知見は、まだ臨床の検査や治療に直結するものではなく、あくまで研究段階の理解として位置づけられます。
手足:Hedgehogシグナルと一次繊毛を通じて
手足の指の形づくりには、ソニック・ヘッジホッグ(Shh)シグナルと、それを受け取る細胞の「アンテナ」である一次繊毛(primary cilia)が深く関わります。TBSで生じるトランケーションSALL1は細胞質に局在し、繊毛形成の負の調節因子CCP110・CEP97などと異常に相互作用することが報告されています。その結果、TBS由来細胞やモデル細胞では繊毛形成頻度、繊毛長、解体速度に変化がみられ、Shhシグナル伝達も乱れます[10]。多指症など指の異常が、Shhシグナルの担い手であるGLI3遺伝子の異常でも起こることを考えると、TBSの一部の病態を一次繊毛とShhシグナルの異常という観点から理解する研究が進んでいます。関連する疾患として、後軸性多指症や繊毛病(Ciliopathy)も参考になります。
タウンズ・ブロックス症候群——SALL1変異が起こす多臓器の病気
SALL1遺伝子の片方のコピーに変異が起こると、タウンズ・ブロックス症候群(Townes-Brocks syndrome、TBS、OMIM #107480)という常染色体顕性(優性)遺伝の病気になります。1972年に初めて報告された病気で、体づくりの初期段階の乱れを映して、複数の臓器に生まれつきの特徴が現れます[17]。
三つの柱と、加齢で気づかれる合併症
TBSは、次の三つを主要な柱(三徴)とします[17]。
図2:タウンズ・ブロックス症候群の主な特徴
🔴 三徴(主要な特徴)
- 鎖肛(さこう)・肛門狭窄
- 耳介の異形成(前耳介タグ等)
- 親指の異常(母指多指症・三指節母指など)
🟠 加齢で進みうる合併症
- 感音難聴・伝音難聴(進行することがある)
- 腎機能障害(腎低形成・末期腎不全など)
🔵 その他にみられること
- 足の形の異常
- 泌尿生殖器の異常
- まれに心疾患・発達の遅れ
難聴や腎障害は診断時には目立たず、成長とともに現れることがあります。
症状の重さや現れ方は、同じ家系の中でも大きくばらつくことが知られています(表現度の多様性)。腎機能障害は末期腎不全に至る例もあり、構造の異常を伴わないこともあります[17]。難聴が加齢とともに進む可能性があることから、診断がついた場合は聴力と腎機能を長期的に確認していくことが勧められます[17]。こうした見通しの整理には、常染色体顕性遺伝や浸透率の考え方が役立ちます。
「量の不足」だけなのか——TBSの病態機序はなお検討中
TBSの病態では、単純なハプロ不全(片方の遺伝子が失われ、正常タンパク質量が不足すること)だけでは説明しにくいという考えが、マウスモデルから提唱されてきました。Sall1の片方を欠くマウスでは明らかなTBS様表現型が乏しい一方、ヒトのTBS変異をまねた「途中で切れた(トランケーション)タンパク質」を作るマウスは、TBSによく似た多臓器の異常を示しました[2]。ただしヒトではSALL1全体または一部を欠失する病的バリアントでもTBSが生じる例があり、現在は病態を単一の機序だけで断定できません[17]。
トランケーション変異の一部では、異常な短いタンパク質が正常なSALL1や他のSALLタンパク質の働きを妨げるドミナントネガティブ(優性阻害)作用が病態に寄与する可能性が、マウスモデルや患者由来細胞の研究から支持されています[2]。一方で、ヒトの欠失例は機能獲得型だけでは説明できず、SALL1機能喪失そのものの関与も考えられます[17]。多くの病的バリアントはトランケーション型で、とくにエクソン2の5’側に集積する変異は重い表現型と関連する傾向が報告されています[17]。
トランケーションSALL1の一部は、残った領域を介して正常なSALL1や兄弟分子のSALL4などの機能を妨げる可能性が、ドミナントネガティブ機序の一つとして提案されています。ただし、すべてのTBSがこの機序だけで説明できるわけではありません[17]。SALL4の病的バリアントで起こるOkihiro症候群とTBSには、四肢・耳・腎など一部の臨床像が重なるため、鑑別上もSALLファミリーの関係を理解することが重要です。
加えて、細胞質に局在するトランケーションSALL1が、一次繊毛形成の負の調節因子CCP110・CEP97などと相互作用し、TBS由来細胞やモデル細胞で繊毛形成頻度・長さ・解体速度やShhシグナル伝達が変化することも報告されています[10]。腎や指の表現型との関連が検討されていますが、TBSそのものを典型的な繊毛病と同一視することはできません。臨床的な遺伝子型・表現型相関については、多くの病的バリアントで明確な相関は確立していない一方、エクソン2の5’側のホットスポット変異でより重い表現型となる傾向などが報告されています[17]。
よく似た病気:DACT1によるタウンズ・ブロックス症候群2
TBSに似た症状(鎖肛・腎の異常・耳の異常など)がありながら、SALL1に変異が見つからない患者さんもいます。こうした人たちから、DACT1遺伝子という別の原因が同定され、この病気はタウンズ・ブロックス症候群2(TBS2)と名づけられました[11]。DACT1はWntシグナルという別の情報伝達経路を細胞内で調整する役割を持ち、その変異でTBSとよく似た特徴が生じることが後の研究でも支持されています[12]。これは、鎖肛や腎発生の異常の根っこに、SALL1・Wnt・Hedgehogといった複数の経路が交わる「結節点」の乱れがあることを示しています。
がんとの関わり——「ブレーキ役」としてのSALL1
がん抑制遺伝子としての一面
SALL1は胎児期の器官形成だけでなく、成人組織やがんとの関わりでも研究されています。一部の固形がんでは、SALL1ががん抑制遺伝子(ブレーキ役)として働く可能性が報告されています。乳がんの研究では、基底細胞様乳がんやトリプルネガティブ乳がんでSALL1の発現が低下していること、SALL1がNuRD複合体を呼び寄せてがん細胞に老化(セネッセンス)を促し、増殖や転移を抑えることが示されました[15]。この抑制効果は、p38 MAPK・ERK1/2・mTORといった細胞増殖の経路と関係しています[15]。
DNAメチル化による発現低下とバイオマーカーの可能性
がんでSALL1の発現が低下する機序の一つとして、遺伝子調節領域のDNAメチル化による転写抑制が研究されています。頭頸部扁平上皮がんの組織を用いた研究では、SALL1の調節領域が正常な粘膜に比べて高メチル化されており、その状態が再発や予後と関連することが報告されています[16]。こうしたメチル化の状態は、がんの予後を見積もる手がかり(バイオマーカー)としての可能性が検討されています[16]。
同じSALL1でも、生まれつき全身の細胞に存在するSALL1の病的バリアントはTBSの原因となり、一方で一部のがんでは後天的な発現低下やDNAメチル化が研究対象になっています。両者は医学的な意味が異なります。ここで挙げたがんに関する知見は主に研究段階のもので、日常診療の検査として確立したものではありません。
腎臓再生医療——SALL1が拓く「臓器を育てる」研究
腎臓オルガノイドの「成熟の目印」として
ヒトのiPS細胞から、糸球体や尿細管の構造を備えた小さな腎臓組織「オルガノイド」を試験管内で作る技術が進歩しています。この難しい分化の道のりで、iPS細胞が本物のネフロン前駆細胞にたどり着いたことを確かめる重要な目印として、SIX2・WT1・PAX2とともにSALL1の発現が使われます。SALL1は、自己複製できる本物の前駆細胞を定義づける中核の遺伝子であり、作ったオルガノイドがどれだけ本物の腎臓の発生をまねているかを評価する「錨(アンカー)」のような役割を担います。腎臓の発生におけるSALL1の重要性は、細胞分化と再生医療の理解とも直結しています。
胚盤胞補完法:動物の体内に「空きスペース」をつくる
試験管内のオルガノイドは、血管網や尿の排泄路まで備えた本物の腎臓には至っていません。この壁を越える究極の技術として研究されているのが、胚盤胞補完法(Blastocyst Complementation)です。これは、「特定の臓器ができないよう遺伝子操作した宿主動物の初期胚に、正常な多能性幹細胞を注入すると、宿主の体内で欠けた臓器の“空きスペース(発生ニッチ)”を注入した細胞が埋め、その細胞由来の臓器ができあがる」という考え方です。
腎臓再生で、この「空きスペース」を作るための標的として選ばれたのが、まさにSall1遺伝子です。研究グループは、Sall1を壊して腎臓ができない「無腎ラット」の胚に正常なマウスの多能性幹細胞を注入し、生まれたラットの体内に、注入したマウス細胞のみからなる腎臓を作り出すことに成功しました[13]。糸球体や尿細管がマウス由来の細胞で構成され、尿管と膀胱のつなぎ目も正常に形成されていたと報告されています[13]。
図3:胚盤胞補完法による腎臓再生の考え方
① 空きニッチを作る
Sall1を壊し、腎臓ができない宿主胚を用意
② 細胞を注入
正常な多能性幹細胞を胚盤胞に入れる
③ 空きを埋める
注入細胞が腎臓のスペースを占める
④ 臓器ができる
注入細胞由来の腎臓が体内で育つ
※動物を用いた基礎研究の段階であり、ヒトへの応用は研究途上です。
ヒトへの将来的な応用を念頭に置いた大型動物での研究も行われています。ブタでSALL1を両方のコピーとも壊すと、重い腎形成障害を生じ、腎臓再生のための「空きニッチ」を作れる可能性が示されました[14]。ただし、この研究自体はヒト細胞由来腎臓の作製を示したものではありません。異種間での細胞の適合性、血管・集合管系への寄与、免疫、倫理面など多くの課題が残されており、現時点では基礎・前臨床研究の段階です[14]。
🩺 院長コラム【「基礎研究」と「今できる医療」を混同しないために】
SALL1を利用した腎臓再生研究では、マウス細胞由来の腎臓をSall1欠損ラット内で形成した研究や、SALL1欠損ブタで腎形成ニッチを作る研究が報告されています。しかし、これらは現時点でヒトに提供できる治療ではありません。臨床遺伝専門医として文献を踏まえると、基礎研究・前臨床研究と、診療として利用できる医療を区別して説明することが重要です。
SALL1は、遺伝性疾患の病態、がんにおける発現制御、臓器再生研究など複数の分野で検討されています。それぞれの知見について、ヒトで確立した臨床情報なのか、動物・細胞を用いた研究なのかを区別して評価する必要があります。
よくある質問(FAQ)
Q1. SALL1(サルワン)遺伝子とは、どんな遺伝子ですか?
おなかの中で腎臓・脳・耳・手足などの臓器づくりを指揮する「転写因子」の設計図です。16番染色体(16q12.1)にあり、細胞を未熟なまま増やすか、決まった細胞に変化させるかのバランスを調整します。とくに腎臓のもとになるネフロン前駆細胞の維持に欠かせません。
Q2. SALL1が変化するとどんな病気になりますか?
鎖肛(肛門の異常)・耳の異形成・親指の異常を三つの柱とするタウンズ・ブロックス症候群になります。難聴や腎機能障害を合併することもあり、これらは成長とともに現れることがあります。常染色体顕性(優性)遺伝の形をとります。
Q3. なぜ「遺伝子が半分になった」だけでは説明できないのですか?
マウスモデルでは、Sall1の片方を欠く場合より、途中で切れた異常なタンパク質を作る場合にTBS様の異常が強く現れ、ドミナントネガティブ作用が提案されてきました。一方、ヒトではSALL1の欠失でもTBSが生じる例があるため、現在は単純なハプロ不全だけ、あるいはドミナントネガティブだけと断定せず、複数の機序が関与しうると考えられています。
Q4. SALL4など、ほかのSALL遺伝子とはどう違うのですか?
ヒトにはSALL1〜SALL4という似た兄弟遺伝子があります。SALL4の異常はOkihiro症候群を起こし、TBSと症状が重なります。これは、TBSの異常なSALL1タンパク質がSALL4の働きまで巻き込むことが一因と考えられています。似た構造ゆえに、互いに影響し合うのです。
Q5. SALL1はがんとも関係があるのですか?
はい。一部のがんでSALL1のがん抑制的な働きが研究されています。乳がんではSALL1による増殖・転移抑制が、頭頸部がんではSALL1調節領域のDNAメチル化と予後との関連が報告されています。ただし、これらは主に研究段階の知見で、SALL1を用いた検査や治療が日常診療として確立しているわけではありません。
Q6. 動物の体内でヒトの腎臓を育てる話は、もう治療になっているのですか?
いいえ、まだ研究段階です。Sall1を欠損させたラット内でマウス多能性幹細胞由来の腎臓を形成した研究があり、ブタではSALL1欠損によって腎形成ニッチを作れることが示されています。ただし、ブタ内でヒト細胞由来の腎臓を完成させたことを示す研究ではなく、異種間の適合性、免疫、血管系への寄与など多くの課題が残っています。ヒトへの応用は研究途上です。
Q7. TBSと診断されたら、どんなことに気をつければよいですか?
症状の重さは同じ家系でも幅があります。難聴は加齢とともに進むことがあるため聴力の確認を、腎機能障害は末期腎不全に至る例もあるため長期的なフォローが勧められます。見通しやご家族への伝わり方については、臨床遺伝専門医との遺伝カウンセリングで整理することをおすすめします。
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参考文献
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