目次
「幹細胞の未分化状態を保つ遺伝子」「がんで異常に再活性化する遺伝子」「サリドマイド催奇形性に関わる遺伝子」——一見つながらないこれらの話が、じつはSALL4(サルフォー)というひとつの遺伝子で結ばれています。SALL4は、受精から間もない時期の細胞が「まだ何にでもなれる状態」を保つための司令塔であり、大人になった体のほとんどの細胞では静かに眠っています。ところが、この遺伝子が生まれつきうまく働かないと手足や目の形成異常が起こり、逆にがん細胞のなかで再び目を覚ますと、腫瘍に強い勢いを与えてしまいます。
この記事では、SALL4がどんな遺伝子で、なぜ「がん胎児性(oncofetal)遺伝子」と呼ばれるのか、サリドマイドの催奇形性がSALL4の分解で説明されたという医学史的な発見、そしてがんの診断マーカーや分子標的治療研究までを、遺伝医学の知見に基づいて順を追って説明します。
- ➤ SALL4が「幹細胞の未分化状態」を守る司令塔であるしくみ
- ➤ AT-richなDNAを読み取り、遺伝子を大きく束ねて制御する分子構造
- ➤ がんでSALL4が再び目覚めると腫瘍が悪性化するメカニズム
- ➤ サリドマイド催奇形性に関わるSALL4と、その種差のしくみ
- ➤ がんの診断マーカー・分子標的治療という新しい応用
🧬Q. SALL4遺伝子とは何ですか?
受精から間もない時期の細胞が「まだ何にでもなれる状態(多能性)」を保つための、転写因子とよばれる司令塔タンパク質の設計図です。大人の体のほとんどの細胞では働きが止まっています。
🩺Q. なぜ医学で注目されるのですか?
生まれつきの変化は手足や目の形成異常(オキヒロ症候群)を起こし、がんでは再活性化して腫瘍を悪性化させます。さらにサリドマイド催奇形性の主要な分子機序の一つに関わります。
🌸Q. 治療に使えるのですか?
大人の正常な体ではほぼ眠っているため、がん細胞だけをねらう治療標的として期待され、結合を邪魔するペプチドや分解をねらう薬の研究が進んでいます。
SALL4遺伝子とは——「まだ何にでもなれる」を守る司令塔
ショウジョウバエの遺伝子から見つかった「幹細胞の番人」
SALL4(サルフォー、Spalt-like transcription factor 4)は、ヒトの20番染色体の長腕(20q13.2)にある遺伝子です。もともとはショウジョウバエの体づくりに欠かせない spalt(sal)という遺伝子の、ヒト・哺乳類版(ホモログ)として見つかりました。つくられるタンパク質は転写因子——つまり、たくさんの遺伝子のスイッチをオン・オフして、細胞がどんな性質になるかを決める「司令塔」の一種です。
遺伝子の設計図(DNA)の特定の場所にくっついて、その遺伝子を「読み取れ」「読むな」と指示するタンパク質のことです。1つの転写因子が数百〜数千の遺伝子をまとめて制御することもあり、細胞の運命(どんな細胞になるか)を大きく左右します。SALL4は、細胞を「まだ分化していない、若い状態」に保つ方向で働く転写因子です。
受精卵が分裂を始めたばかりの時期、そしてそこから作られる胚性幹細胞(ES細胞)では、SALL4が活発に働いています。SALL4は、自分とそっくりな細胞をつくり続ける能力(自己複製)と、体のどんな細胞にもなれる能力(多能性)の両方を維持する、ネットワークの中心的な部品です。ところが、細胞が特定の役割(神経・筋肉・皮膚など)に分化し終えると、SALL4はエピジェネティックなしくみで静かに黙らされ、その働きは消えていきます。
「がん胎児性遺伝子」という顔
大人の体では、SALL4が働いているのは精子や卵子のもとになる細胞、そして骨髄のなかのごく一部の造血幹細胞など、限られた場所だけです。ほとんどの成熟した組織では、完全にオフになっています。ところが、白血病やさまざまな固形がんでは、この眠っていたSALL4が「異常に再活性化(リアクティベーション)」することが知られています。
このように「胎児期に働き、大人では消え、がんで再び現れる」という特徴的な出方をする遺伝子を、まとめて「がん胎児性遺伝子(oncofetal gene:オンコフィータル遺伝子)」と呼びます。SALL4はその代表的な例です。がんで再び現れたSALL4は、腫瘍に幹細胞のような「しぶとさ」を与え、細胞増殖、アポトーシス(細胞の自死)への抵抗、浸潤・転移、そして抗がん剤への耐性を後押しすると報告されています。この「大人の正常組織にはほとんど無い」という性質こそが、後で述べるように、がん治療の標的として大きな魅力になります。
胎児期や発生期には働くものの、多くの成人組織では発現が低くなり、一部のがんで再び発現する遺伝子を指します。SALL4のほか、がんの種類によっては胎児期に特徴的な遺伝子やタンパク質が診断・病態研究の手がかりになります。
分子のしくみ——AT-richなDNAを読み、遺伝子を束ねる
2種類の「かたち」(アイソフォーム)
SALL4遺伝子からは、読み方の違い(選択的スプライシング)によって、大きく2種類のタンパク質がつくられます。長いほうをSALL4A、短いほうをSALL4Bと呼びます。どちらも、DNAをつかむためのC2H2型ジンクフィンガーという小さな「指」のような構造を、いくつかまとめて持っています。SALL4の結晶構造を調べた研究では、SALL4は複数のジンクフィンガーがかたまり(クラスター)を作って配置されており、短いSALL4BはC末端側のZFC4を保持しており、SALL4Aがない条件でもES細胞の性質を維持できることが報告されています。また、AT-rich DNAの認識にはC末端のZFC4が中心的な役割を果たします[2][13]。
タンパク質がDNAをつかむときによく使う、指のような形をした小さな構造です。C2H2型は、2つのシステインと2つのヒスチジンというアミノ酸が亜鉛イオンを挟み込んで、安定した「指」を作るタイプを指します。SALL4はこの指を複数使い、DNAの決まった場所を認識します。
「AT-richなDNA」をやわらかく読み取る
SALL4のいちばん大きな特徴は、DNAの塩基のうちアデニン(A)とチミン(T)に富む「AT-richな配列」を好んで結合することです。多くのジンクフィンガーは、決まった短い文字列(コンセンサス配列)をかっちり読み取ります。ところがSALL4は、AT-richでありさえすれば、いろいろな並びの配列にやわらかく(フレキシブルに)くっつくことができます。結晶構造の解析では、SALL4が小さなアミノ酸の側鎖を使って、DNAの溝(メジャーグルーブ)にゆるやかにアクセスしていることが示されました[2]。
この「AT-richを広く読む」能力は、SALL4がゲノム全体の塩基のかたよりを一種の目印として感知し、分化に関わる遺伝子群を大きくまとめて抑え込むしくみの土台になっていると考えられています。さらに同じ研究では、患者さんで見つかったジンクフィンガー内のミスセンス変異が、AT-richへの好みは残したままDNAへの結合力全体を弱め、ゲノム上の結合場所を変えてしまうことも示され、これらの変異が実際に病気の原因になりうる根拠とされました[2]。
遺伝子の設計図の一文字が置き換わり、タンパク質を作るアミノ酸が別の種類に変わってしまう変化のことです。タンパク質は作られますが、形や働きが少し(ときに大きく)変わることがあります。SALL4では、DNAをつかむ部分に起きたミスセンス変異が、結合力を落として発生異常につながると考えられています。
「消しゴム役」も「スイッチオン役」もこなす
SALL4は、自分ひとりで遺伝子を動かすだけでなく、いろいろな「クロマチン修飾の道具」を必要な場所に呼び寄せる足場(scaffold)としても働きます。とくに重要なのが、NuRD複合体という、遺伝子を静かにさせる(抑制する)装置との結合です。SALL4のN末端にあるごく短いアミノ酸配列が、NuRD複合体の部品をつかまえ、AT-richな場所に呼び込むことで、その周りの遺伝子群をまとめて黙らせます。この「消しゴム役」としての機能が、後で述べるがん抑制遺伝子PTENの抑え込みや、がん治療標的としての切り口につながっていきます[3]。
NuRD(Nucleosome Remodeling and Deacetylase)複合体は、DNAが巻き付くヌクレオソームの配置を変える働きと、ヒストンのアセチル基を外す働きをあわせ持つタンパク質複合体です。多くの場合、遺伝子を読み取りにくい状態にして転写を抑える方向に働きます。
SALL4はまた、DNAメチル化という長期的な「記憶」を書き込む酵素群(DNMT)や、ヒストンというDNAの巻き取り軸の修飾にも関わります。こうしたエピジェネティクスの道具を使い分けることで、SALL4は状況に応じて遺伝子の「抑制役」にも「活性化役」にもなれる、二面性を持った制御役として振る舞います。
🩺 院長コラム【同じ遺伝子でも「異常の起こり方」で意味が変わる】
SALL4のように、1つの遺伝子が幹細胞・発生・がんと、まったく違う舞台で顔を出す例を見ると、遺伝子を「良い・悪い」で単純に語れないことがよく分かります。臨床遺伝専門医として文献を踏まえると、大切なのは「その変化がタンパク質のどこに、どんな性質の異常を起こしたのか」を丁寧に読み解くことです。結合力を落とす変異と、働きを暴走させる状況とでは、体に起きることがまるで違います。
遺伝医学・がん診療の原則として、同じ遺伝子名でもバリアントの種類、発生部位、組織、病態によって意味づけが変わります。遺伝子の名前だけで結論を急がず、変化の性質と全体像をあわせて解釈していく——それが、遺伝情報を安全に扱うための基本だと考えています。
幹細胞とiPS細胞——SALL4は「エンジン」ではなく「ブレーキ」
OCT4・NANOG・SOX2 との協力関係
ES細胞の「多能性ネットワーク」の中心には、OCT4・NANOG・SOX2 といった有名な転写因子があります。SALL4はこれらと物理的に手を組み、自己複製を支える転写ネットワークの土台を作ります。とくにSALL4とOCT4は、互いの働きを高め合いながら、同時にSALL4が自分自身の量を抑える(自己抑制する)ことで、細胞のなかのタンパク質量をちょうどよく保つという、精密なバランス調整をしています。
「多能性のエンジン」ではなく「分化を止めるブレーキ」
長いあいだ、SALL4はES細胞の多能性維持を支える重要因子として研究されてきました。近年のゲノム解析では、SALL4を失ったときの多能性喪失は、OCT4やNANOGなどの中心因子が直ちに失われるためというより、SALL4が抑えていた分化関連遺伝子が早期に活性化することによって起こる、という理解が示されています[13]。
図1:SALL4は「エンジン」ではなく「ブレーキ」
SALL4があるとき
- 分化を促す遺伝子群を抑え込む
- 細胞は未分化な状態にとどまる
- 「早すぎる分化」にブレーキ
SALL4が失われると
- 抑えていた分化遺伝子が動き出す
- 細胞が分化へ押し出される
- 結果として「多能性の喪失」に見える
※SALL4は多能性を生み出すのではなく、分化への逸脱を防ぐ「ブレーキ」として働く。
では、なぜSALL4が失われると細胞が分化してしまうのでしょうか。答えは、SALL4が「AT-richな塩基組成のセンサー」として働くことにあります。SALL4は、AT-richな場所に広く結合して、神経や中胚葉などへの分化を促す遺伝子群が「早すぎるタイミングで動き出す」のを強力に抑えています。SALL4が失われると、これらの遺伝子が抑えを外れて動き出し、細胞が分化へと押し出されてしまいます[13]。つまりSALL4は、多能性そのものを生み出す「エンジン」というより、分化への逸脱を防ぐ強力な「ブレーキ」として働いている、というのが現在の理解です。
iPS細胞づくりでの活躍
SALL4が持つ強力な「細胞のリセット能力」は、皮膚などの体細胞からiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作るリプログラミングでも注目されています。研究段階の話ではありますが、条件を整えるとSALL4を中心とした因子の組み合わせで、質の高いiPS細胞を効率よく作れることが報告されています。そのしくみの一つが、SALL4がNuRD複合体を呼び寄せて、体細胞としての「記憶」が書かれた領域をすばやく閉じる(クロマチンを閉鎖する)ことです。この「古い記憶を消す」ステップが、細胞を若い状態へ戻す入り口になると考えられています。
がんとの関わり——眠っていた遺伝子が目を覚ますとき
SALL4は、正常な血液づくり(造血)でも大切な役割を担っています。大人の骨髄のなかで、あらゆる血液細胞のもとになる造血幹細胞は、ごくわずかしか存在せず、必要に応じて自分自身を増やしたり(自己複製)、赤血球・白血球・血小板などへ分化したりします。SALL4は、この造血幹細胞が「未分化なまま自分を増やす」能力を保つ方向で働くと報告されています。つまり、幹細胞の若さを保つというSALL4本来の役割が、血液という場でも発揮されているのです。問題は、この「若さを保つ力」が、がん化した細胞のなかで暴走したときに起こります。
白血病:SALL4だけでも血液のがんを起こす
SALL4の異常な再活性化は、急性骨髄性白血病(AML)や、慢性骨髄性白血病が急に悪化する時期、小児のB細胞性急性リンパ性白血病などで、しばしば見られます。動物実験では、SALL4Bを人為的に過剰に働かせたマウスが、まず骨髄異形成症候群(MDS:血液を作る機能が乱れる状態)に似た段階を経て、致死的なAMLを自然に発症することが示されました[8]。これは、SALL4だけでも白血病を引き起こす力を持つことを示す重要な結果です。
そのしくみの中心には、標的となる遺伝子のエピジェネティックな書き換えがあります。SALL4は、白血病細胞の維持に欠かせないHOXA9という遺伝子を活性化する経路(SALL4/MLL/HOXA9経路)を通じて、白血病の発症・維持を後押しすることが報告されています[9]。一方で、がん抑制遺伝子PTENのほうは、SALL4がNuRD複合体を使って抑え込みます。アクセルを踏みながらブレーキを外すように、増殖を促す遺伝子をオンにし、止める遺伝子をオフにすることで、細胞を悪性化の方向へ動かしているのです。
図2:がん細胞でのSALL4の「二刀流」
🟢 オンにする(アクセル)
- HOXA9・BMI-1 など
- 幹細胞のような自己複製能
- 分化の停止・増殖の持続
🔴 オフにする(ブレーキ外し)
- がん抑制遺伝子 PTEN
- NuRD複合体を使って抑制
- 生存シグナルが働き続ける
※増やす遺伝子をオンに、止める遺伝子をオフに——両方向から悪性化を後押しする。
固形がん:肝臓がんでの「進行の悪いタイプ」の目印
SALL4の異常発現は、血液のがんだけでなく、肝細胞がん(HCC)、胃がん、大腸がん、乳がん、肺がん、神経膠腫など、さまざまな固形がんでも報告されています。とくに肝細胞がんでは、胎児期の肝臓に近い性質(幹細胞・前駆細胞のような性質)を持つ悪性度の高いタイプでSALL4が再活性化しており、予後不良や治療標的としての可能性が国際的な研究で示されました[4]。SALL4の発現が高いほど、腫瘍の未分化さ、転移、抗がん剤への耐性、生存期間の短さと関係する傾向が、多くのがん種で指摘されています。
SALL4が固形がんで悪さをするとき、いくつかの発がんシグナルを同時に強めることが知られています。たとえば細胞の増殖や移動に関わるWntシグナル伝達経路では、SALL4がその中心分子であるβ-カテニン(CTNNB1がつくるタンパク質)と関わり、上皮間葉移行(EMT:がん細胞が動きやすい性質に変わる過程)や浸潤を後押しすると報告されています。また、SALL4がPTENを抑え込むことでPI3K/AKT/mTORという「生存シグナル」が働き続け、これが一部のがんで抗がん剤(化学療法)への耐性につながることも指摘されています。実験モデルでは、SALL4の働きを抑えると生存シグナルが弱まり、薬への感受性が回復する例も示されています。
一方で、SALL4はアポトーシス(細胞の自死)への抵抗性にも関わります。本来、遺伝子に大きな傷がついた細胞は自死へ向かいますが、SALL4が高く働くがん細胞は、この安全装置をすり抜けて生き延びやすくなります。がん細胞に「幹細胞のようなしぶとさ」——自己複製し続け、分化せず、ストレスに強いという性質——を与える点が、SALL4が多くのがん種で予後不良と結びつく背景にあると考えられています。ただし、これらのしくみはがん種や個々の腫瘍によって濃淡があり、「SALL4が高い=すべて同じ挙動」というわけではありません。
病理診断の強い味方——胚細胞腫瘍の目印
SALL4は、病理診断の現場で胚細胞腫瘍(germ cell tumor:精巣や卵巣などにできる、胎児期の細胞に近い腫瘍)を見分けるための、感度・特異度の高い免疫染色マーカーとして確立しています。卵巣の原始的な胚細胞腫瘍を調べた研究では、卵黄嚢腫瘍・未分化胚細胞腫・胎芽性癌などで、90%を超える腫瘍細胞が強く染まる一方、まぎらわしい淡明細胞癌などではほぼ染まらないことが示されました[6]。転移した胚細胞腫瘍でも、SALL4は感度・特異度ともに高いマーカーであることが確認されています[5]。
従来、胚細胞腫瘍を見分けるにはAFP(アルファフェトプロテイン)やグリピカン3といったマーカーが使われてきましたが、これらは感度や特異度に限界がありました。卵巣の腫瘍を調べた研究では、卵黄嚢腫瘍でAFPが陽性になるのは約8割、グリピカン3は約7割にとどまった一方で、SALL4は9割を超える腫瘍細胞で強く染まり、より鋭敏なマーカーであることが示されました[6]。核(細胞の中心部)がくっきり染まるため判定しやすいことも、実務上の利点とされています。こうした「胎児期の細胞に近い性質を映す目印」という顔は、SALL4ががん胎児性遺伝子であることの、診断現場での表れといえます。
卵黄嚢腫瘍と肝細胞がんは、見た目や検査値が似ていて鑑別が難しいことがあります。肝細胞がんでもSALL4が一部の症例で染まりうるため、SALL4「陽性か陰性か」だけでなく染まる細胞の割合や染まり方(点状・かたまり状か、広くびまん性か)まで見ることが、正確な鑑別のうえで大切だと報告されています[7]。
サリドマイドの悲劇とSALL4——半世紀の謎が解けた
「なぜ手足の形成異常が起きたのか」
1950〜60年代、つわりを和らげる薬として販売されたサリドマイドは、胎児に四肢の欠損(アザラシ肢症)や心臓・目・耳の異常を引き起こし、医学史上でも深刻な薬害となりました。なぜこの薬がそうした形成異常を起こすのか、その分子のしくみは半世紀以上も謎のままでした。この謎に大きな答えを出したのが、SALL4の研究です。2018年、ヒト細胞などを使った研究で、サリドマイド依存的なCRBNによってSALL4が分解されることが、催奇形性を説明する重要な分子機序の一つであることが示されました[1]。
「分子の糊」として働くサリドマイド
サリドマイドは、細胞のなかのセレブロン(CRBN)というタンパク質にくっつきます。CRBNは、要らなくなったタンパク質に「分解の目印」を付ける装置(E3ユビキチンリガーゼ)の一部です。サリドマイドがCRBNにはまると、CRBNの表面の形が少し変わり、本来は相手にしないはずのタンパク質を引き寄せて分解させるようになります。このように、2つのタンパク質の間を「のり」のようにくっつける小さな分子を分子の糊(molecular glue:モレキュラーグルー)と呼びます[1]。
このとき新たに引き寄せられて分解される相手(ネオサブストレート)の一つがSALL4です。妊娠初期の発生過程でサリドマイドに曝露されると、CRBN依存的にSALL4の分解が促進され、四肢などの発生に必要なSALL4量が低下すると考えられます。SALL4遺伝子の生まれつきの変化で起きるオキヒロ症候群(デュアン橈骨線症候群)の症状が、サリドマイド胎芽病とよく似ていることも、この発見を裏づけています[1]。分解のしくみをたどるユビキチン–プロテアソーム系という細胞の「ゴミ処理装置」も、この物語の重要な登場人物です。
図3:サリドマイドがSALL4を分解させるまで
サリドマイド
CRBNに結合
CRBNの形が変化
分子の糊として働く
SALL4を引き寄せる
目印(ユビキチン)を付与
SALL4が分解
四肢などの発生に影響
※スマートフォンでは各ステップが縦に並んで表示されます。
「マウスでは奇形が出にくい」種差は、CRBNとSALL4双方の配列差が関与する
サリドマイドの催奇形性には明確な「種による違い(種特異性)」があり、ヒトや一部の霊長類、ウサギでは感受性が高い一方、マウスやラットでは典型的な四肢奇形が生じにくいことが知られています。2018年の研究では、この抵抗性にはCRBNとSALL4の双方の配列差が関与する「二重の防御」が示されました。ヒトCRBNのVal388に相当する位置はマウスではIle391であり、この違いはIMiD依存的なネオサブストレート結合を弱めます。しかし、マウスCRBNをヒト型に近づけるだけではマウスSALL4は十分に分解されず、マウスSALL4のZnF2領域にもヒトSALL4との重要な配列差があります。したがって、マウスでSALL4分解と典型的なサリドマイド胎芽病が起こりにくい理由は、CRBNの1残基差だけではなく、SALL4側の配列差も含めて説明する必要があります[1]。
「悲劇の薬」から「新しい創薬技術」へ
サリドマイドの誘導体であるレナリドミドなどは、IKZF1(イカロス)といった別のタンパク質を分解することで、多発性骨髄腫という血液がんの重要な治療薬になっています(ただし妊娠中の使用は厳重に制限されています)。この「狙ったタンパク質を分解させる」という発想は、標的タンパク質分解(TPD)やPROTACという、まったく新しい創薬分野へと発展しました。現在は、抗腫瘍効果を出すタンパク質は分解しつつ、催奇形性の原因となるSALL4には結合しないよう設計する(SALL4を避ける)次世代の薬の開発も進められています。悲劇を生んだ薬の研究が、いまや新しい治療の種になっているのです。
🩺 院長コラム【使ってきた薬の「正体」が後から分かるということ】
サリドマイドの誘導体は、成人の血液がんである多発性骨髄腫の治療を大きく前進させてきた薬です。がん薬物療法専門医の資格を持つ立場として文献を追ってきて印象深いのは、「なぜ効くのか」が分子レベルで解き明かされたのが、薬が使われ始めてからずっと後だったという順番です。最初はしくみが分からないまま使われ、後から「CRBNを介して特定のタンパク質を分解していた」と判明しました。
同じ分子のはたらきが、一方では胎児に重い形成異常を、もう一方ではがん治療の効果をもたらす——SALL4をめぐる物語は、薬と遺伝子の関係を、善悪ではなく「どこで・どう働くか」で丁寧に見ることの大切さを教えてくれます。遺伝性疾患の背景を理解するうえでも、この視点はそのまま生きています。
診断と治療——「大人では眠っている」ことが強みになる
オキヒロ症候群と遺伝カウンセリング
SALL4遺伝子の生まれつきの変化は、オキヒロ症候群(デュアン橈骨線症候群)を起こします。目を動かす神経の異常(デュアン症候群)に、親指や橈骨(前腕の骨)の形成異常が組み合わさるのが特徴で、耳・腎臓・心臓の異常を伴うこともあります。遺伝の形は常染色体顕性(優性)で、SALL4の変化を持つ方から次の世代へ、妊娠ごとに原則50%の確率で伝わります。ただし、変化を受け継いでも症状の重さには幅があります。ご家族歴を含めた見通しの整理は、遺伝カウンセリングで臨床遺伝専門医と整理することができます。
人は同じ遺伝子を父由来・母由来で2本ずつ持っています。常染色体顕性(じょうせんしょくたいけんせい/優性)とは、2本のうち片方に変化があるだけで症状が出うる伝わり方のことです。この場合、親から子へは妊娠ごとに原則50%の確率で変化が伝わります。近年は「優性」を「顕性」と呼ぶよう用語が改められています。
「大人では眠っている」から、がんだけを狙える
SALL4は、がんの悪性度を後押しする強力な遺伝子でありながら、大人の正常な組織ではほとんど働いていません。この性質は、正常な細胞をできるだけ傷つけずに、がん細胞だけをねらえるという、治療標的として理想的な条件になります。ただし、SALL4のように核のなかで働く転写因子は、薬がはまりやすい「くぼみ」を持たないため、長らく「薬が作りにくい標的(undruggable)」とされてきました。この壁を越えようと、いくつかの新しいアプローチが研究されています。
結合を邪魔するペプチド、HDAC阻害薬という切り口
一つ目は、SALL4とNuRD複合体の結合を邪魔する治療用ペプチド(FFW)です。SALL4がNuRDと手を組めなくなると、抑え込まれていたPTENなどのがん抑制遺伝子が働きを取り戻し、肝細胞がんなどのモデルでがん細胞にアポトーシスが誘導されることが報告されています[3]。さらに改良型のPEN-FFWは、乳がんのモデルで、PTENを回復させてPI3K/AKT経路を抑え、その結果PD-L1という免疫を逃れる分子を減らし、CD8陽性T細胞による抗腫瘍免疫を高める可能性が示されています[12]。
二つ目は、SALL4が頼っているエピジェネティックの道具を邪魔する方法です。すでに使われている薬のなかから探すスクリーニングで、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害薬のエンチノスタットが、SALL4を多く発現する肺がん細胞に対して選択的に効きやすいことが見いだされました。エンチノスタットは、SALL4が呼び寄せたNuRD複合体のHDAC活性を抑えるだけでなく、マイクロRNA(miR-205)を介してSALL4そのものの発現も抑えるという、二段構えの働きを示すと報告されています[10][11]。なお、これらはいずれも研究・前臨床段階の知見であり、SALL4を標的とした承認薬として一般診療で使えるものではありません。
SALL4は、幹細胞の未分化状態を守るブレーキであり、がんでは悪性化を後押しし、サリドマイド催奇形性の原因分子でもあります。「大人の正常組織にはほとんど無い」という特徴が、診断マーカーとしても治療標的としても大きな意味を持ちます。研究は急速に進んでおり、今後の展開が注目される遺伝子です。
よくある質問(FAQ)
Q1. SALL4遺伝子とは、どんな遺伝子ですか?
受精から間もない時期の細胞が「まだ何にでもなれる状態(多能性)」を保つための、転写因子とよばれる司令塔タンパク質の設計図です。20番染色体にあり、胚性幹細胞では活発に働きますが、大人の体のほとんどの細胞では働きが止まっています。この特徴的な出方から「がん胎児性遺伝子」と呼ばれます。
Q2. SALL4に変化があると、どんな病気になりますか?
生まれつきの変化は、目を動かす神経の異常と親指・橈骨の形成異常などを特徴とするオキヒロ症候群(デュアン橈骨線症候群)を起こします。遺伝の形は常染色体顕性(優性)で、次の世代へは妊娠ごとに原則50%の確率で伝わります。ただし、症状の重さには幅があります。
Q3. なぜサリドマイドの催奇形性とSALL4が関係するのですか?
サリドマイドは、細胞のなかのセレブロン(CRBN)にくっつき、本来は分解しないはずのSALL4を分解させてしまう「分子の糊」として働きます。四肢の発生などに必要なSALL4の分解が促進されることは、催奇形性を説明する重要な分子機序の一つと考えられています。SALL4の生まれつきの変化で起きるオキヒロ症候群の症状が、サリドマイド胎芽病と似ていることも、その裏づけになっています。
Q4. なぜマウスではサリドマイドの奇形が出にくいのですか?
種差にはCRBNとSALL4の双方の配列差が関与します。ヒトCRBNのVal388に相当する位置はマウスではIle391で、この違いはネオサブストレート結合を弱めます。ただしCRBNだけをヒト型にしてもマウスSALL4は十分に分解されず、マウスSALL4のZnF2領域にもヒトとの重要な配列差があります。この「二重の防御」が、マウスで典型的なサリドマイド胎芽病が起こりにくい理由の一つと考えられています。
Q5. がんの診断にSALL4はどう使われますか?
SALL4は、精巣や卵巣などにできる胚細胞腫瘍を見分ける、感度・特異度の高い免疫染色マーカーとして病理診断で使われています。卵黄嚢腫瘍など多くの胚細胞腫瘍で強く染まる一方、まぎらわしい淡明細胞癌などではほぼ染まりません。ただし肝細胞がんでも一部染まりうるため、染まる割合や染まり方まで見て総合的に判断されます。
Q6. SALL4を狙ったがんの薬はもうありますか?
SALL4は大人の正常組織でほとんど働かないため、有望な治療標的と考えられています。SALL4とNuRD複合体の結合を邪魔するペプチドや、HDAC阻害薬のエンチノスタットなどが研究されていますが、いずれも研究・前臨床段階の知見であり、SALL4を標的とした承認薬として一般診療で使えるものは、現時点ではありません。
Q7. SALL4は「幹細胞に必須」だと聞きましたが、本当ですか?
近年の研究では、SALL4を失ったときの多能性喪失は、OCT4やNANOGなどの中心因子が直ちに失われるためというより、SALL4が抑えていたAT-richな分化関連遺伝子が早期に活性化することによって起こると示されています。SALL4は、分化を促す遺伝子群が早すぎるタイミングで動き出すのを抑える「ブレーキ」として働き、これが失われると細胞が分化へ押し出されます。
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参考文献
- [1] Thalidomide promotes degradation of SALL4, a transcription factor implicated in Duane Radial Ray syndrome. eLife. 2018. [PMC6156078]
- [2] Structure of SALL4 zinc finger domain reveals link between AT-rich DNA binding and Okihiro syndrome. Life Sci Alliance. 2023. [PMC9838217]
- [3] Targeting cancer addiction for SALL4 by shifting its transcriptome with a pharmacologic peptide. Proc Natl Acad Sci U S A. 2018. [PubMed 29976840]
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