InstagramInstagram

モレキュラーグルー(分子糊)とは?これまで薬が効かなかったタンパク質を分解する新しい創薬技術

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

これまで「薬が効かない(アンドラッガブル)」とされてきた病気の原因タンパク質を、細胞がもともと持つゴミ処理システムを使って分解して消し去る——そんな発想の薬が「モレキュラーグルー(分子糊)」です。出発点は、かつて薬害を起こしたサリドマイド。いまではその仲間が多発性骨髄腫などのがん治療薬として実用化され、自己免疫疾患へも広がりつつあります。この記事では、分子糊が何をどう壊すのか、PROTACとの違い、そして遺伝子診断との関わりまで、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 標的タンパク質分解・創薬・分子生物学
臨床遺伝専門医監修

Q. モレキュラーグルー(分子糊)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. 2つのタンパク質を「のり」のようにくっつけ、片方(病気の原因タンパク質)に「分解しなさい」という目印を付けさせて、細胞のゴミ処理装置で壊させる小さな薬です。従来の薬が原因タンパク質の働きを「邪魔する(阻害する)」のに対し、分子糊は原因タンパク質そのものを壊して消し去ります。そのため、これまで薬が作れなかった標的にも届く可能性があります。サリドマイドから生まれたレナリドミドなどが、すでに多発性骨髄腫などの治療薬として使われています。

  • 正体 → 分子量500未満の小さな一価分子。E3リガーゼと標的タンパク質を接着して「三者複合体」をつくる
  • 壊し方 → ユビキチン・プロテアソーム系を活用し、原因タンパク質に目印を付けて分解させる
  • PROTACとの違い → リンカーで2つの部品をつなぐPROTACに対し、分子糊はリンカーなしの単一分子で小さく、飲み薬に向く
  • 臨床応用 → 多発性骨髄腫・骨髄異形成症候群(レナリドミド)に加え、神経芽腫・自己免疫疾患などで開発が進行
  • 遺伝医療との接点 → 遺伝子診断で原因タンパク質を突き止め、それを「壊す」治療へつなぐ橋渡し役

\ 遺伝子診断・遺伝カウンセリングについて専門医に相談したい方へ /

📅 遺伝カウンセリングを予約する

遺伝子検査に関するご相談:遺伝子検査について

1. モレキュラーグルー(分子糊)とは:薬の常識を変えた「壊して治す」発想

私たちの体は、約2万種類のタンパク質が働くことで成り立っています。病気の多くは、この中のどれかが「働きすぎる」「数が増えすぎる」「形が異常になる」ことで起こります。これまでの薬の多くは、こうした原因タンパク質の働きを外側から邪魔する(阻害する)ことで効果を出してきました。ところが、人のタンパク質のおよそ8割以上は、薬が結合できる「くぼみ(ポケット)」を持たず、従来の阻害薬では手も足も出ない「アンドラッガブル(創薬困難)」な存在だとされてきました[1]。

この壁を打ち破る発想として登場したのが、「邪魔する」のではなく「壊して消す」という考え方、すなわち標的タンパク質分解(TPD:Targeted Protein Degradation)です。その主役の一つが「モレキュラーグルー(分子糊)」です。分子糊とは、ふだんはくっつかない2つのタンパク質の表面に割り込み、両者を「のり」のように接着する小さな化合物のことです[2]。

💡 用語解説:アンドラッガブル(創薬困難)

「アンドラッガブル(undruggable)」とは、薬の分子が結合できる適切な隙間(ポケット)や酵素の活性部位を持たないため、従来の阻害薬では狙えなかったタンパク質を指します。転写因子や足場タンパク質など、病気の中心にいながら長年「打つ手なし」とされてきた標的が数多く含まれます。分子糊は、こうした標的でも「結合して壊す」というルートで攻略できる点が画期的です。

「分子糊」という言葉自体は、1990年代初頭に登場しました。免疫抑制薬のシクロスポリンAやFK506(タクロリムス)が、本来は結びつかないタンパク質どうしを新たに接着させる現象を説明するために使われたのが始まりです。植物ホルモンのオーキシンのように、自然界にも「分子糊」として働く仕組みは存在します。現在の創薬では、この接着のしくみを利用して、病気の原因タンパク質を分解装置へ送り込む小分子を分子糊と呼んでいます。

ここで先に、遺伝医療との関わりにも触れておきます。分子糊が壊すべき「原因タンパク質」を正確に突き止めるのは、ほかでもない遺伝子変異の解析(ミスセンス変異の同定など)です。遺伝子診断で「どのタンパク質が悪さをしているか」が分かって初めて、「それを壊す」という治療がねらえるようになります。分子糊は、遺伝子診断と治療をつなぐ橋渡し役でもあるのです。

2. 細胞の「ゴミ処理システム」を借りる:ユビキチン・プロテアソーム系

分子糊のはたらきを理解する鍵は、細胞にもともと備わっている「ゴミ処理システム」にあります。細胞は、いらなくなったタンパク質や壊れたタンパク質に「分解してね」というユビキチンという小さな目印を付け、プロテアソームという「シュレッダー」で分解します。この一連の仕組みをユビキチン・プロテアソーム系(UPS)と呼びます。分子糊は、この自前のシステムを巧みに借りて、病気の原因タンパク質を分解へ導くのです。

💡 用語解説:ユビキチン・プロテアソーム系(UPS)

細胞内で不要・異常になったタンパク質を「目印付け」して分解する品質管理システムです。①ユビキチン活性化酵素(E1)、②ユビキチン結合酵素(E2)、③ユビキチンリガーゼ(E3)という3種類の酵素が連携し、標的にユビキチンの鎖(ポリユビキチン鎖)を付けます。この目印をプロテアソームが認識して分解します。タンパク質のフォールディング(折りたたみ)の異常を片付ける役割も担い、オートファジーと並ぶ細胞の二大分解経路です。

このシステムの「行き先を決める係」がE3ユビキチンリガーゼです。ヒトには600種類以上のE3リガーゼが存在し、それぞれが特定の「基質(分解する相手)」を見分けています。多くのE3リガーゼは、Cullin-RINGリガーゼ(CRL)複合体という大きな足場の一部として働き、「基質受容体」と呼ばれる部品が相手を選びます。

💡 用語解説:E3ユビキチンリガーゼと「ネオ基質」

E3ユビキチンリガーゼは、数あるタンパク質の中から「これを分解する」という相手を選んでユビキチンの目印を付ける、いわば分解の“仕分け担当”です。相手を見分ける目印となる配列を「デグロン」と呼びます。

ネオ基質(neosubstrate)とは、本来そのE3リガーゼが相手にしない(分解しない)はずのタンパク質のこと。分子糊がE3リガーゼの表面の形をわずかに作り替えることで、「いつもは無視するタンパク質」を新たに分解対象として連れてくる——これが分子糊のいちばんの巧みさです。

3. 分子糊はどうやってタンパク質を壊すのか

分子糊のはたらきは、4つのステップで考えると分かりやすいです。①E3リガーゼ・分子糊・標的タンパク質の3つがそろう、②分子糊がのりとなって3つが「三者複合体」をつくる、③標的タンパク質にユビキチンの目印が付く、④プロテアソームで分解される——という流れです。下の図にまとめました。

分子糊によるタンパク質分解のしくみ E3リガーゼ 分解の仕分け担当 分子糊 のり役の小さな薬 標的タンパク質 病気の原因 三者複合体(3つががっちり結合) E3リガーゼ ― 分子糊 ― 標的タンパク質 ユビキチンの目印が付く 「分解してね」というタグ プロテアソームで分解 原因タンパク質が壊れて消える 分子糊は触媒的に働くため、1分子で次々と標的を壊していける

分子糊(赤)がE3リガーゼ(青)と標的タンパク質(紫)を接着して三者複合体をつくり、ユビキチンの目印を付けてプロテアソームで分解へ導く。分子糊自体は消費されないため、1分子が何度も使い回されます。

ここで大切なのは、従来の阻害薬と分子糊の「効き方の違い」です。阻害薬は、標的タンパク質に結合して座り込み、その働きを止める「占有駆動型(occupancy-driven)」でした。常に薬がそこに居続けないと効きません。一方、分子糊は標的を分解という「出来事」へ導く「事象駆動型(event-driven)」です。一度分解してしまえば、その標的はもう存在しません[3]。

そのうえ、分子糊は触媒的に働くのが特徴です。標的を分解装置へ送り込んだあと、分子糊自身は壊れずに再び別の標的へ向かいます。そのため、ごく低い濃度でも次々と標的を片付けられるのです。これは「結合して隙間を埋める」ことが目的の阻害薬には真似のできない強みで、薬の量を抑えながら高い効果を出せる理由になっています。

4. サリドマイドの物語:薬害から「分子糊」へ

分子糊の歴史を語るうえで避けて通れないのが、サリドマイドです。1950年代後半から、つわりを抑える鎮静薬として世界中で使われましたが、妊娠初期に服用した母親から、手足の形成不全(アザラシ肢症)をもつ赤ちゃんが多数生まれるという、医薬品史上もっとも痛ましい薬害を引き起こしました。サリドマイドはいったん市場から姿を消します。

ところがその後、サリドマイドと、改良された仲間であるレナリドミド・ポマリドミドが、多発性骨髄腫などの血液がんに著しく効くことが分かり、治療薬として復活します。なぜ効くのか長く謎でしたが、研究が進み、これらの薬がCRBN(セレブロン)というE3リガーゼの部品に結合し、本来は分解されないはずの転写因子(IKZF1/IKZF3など)を「ネオ基質」として分解へ導く——つまり分子糊として働いていることが解明されました[4][5]。薬害の薬が、分子のしくみの理解によって命を救う薬へと姿を変えた——これが分子糊という分野の出発点です。

💡 用語解説:サリドマイド催奇形性とSALL4

なぜサリドマイドは手足の形成不全を起こしたのか。長年の謎でしたが、これも分子糊のしくみで説明できることが分かってきました。サリドマイドはCRBNを介して、胎児の手足の発生に必要なSALL4などのタンパク質まで「ネオ基質」として分解してしまうのです。治療効果も催奇形性も、同じ「分子糊」のメカニズムの裏表でした。だからこそ、妊娠中・妊娠の可能性がある時期のサリドマイド系薬剤の服用は厳格に管理されます。薬と妊娠の関係は、遺伝カウンセリングでも重要なテーマです。

さらに興味深いのは、レナリドミドが病気ごとに「壊す相手」を変えている点です。多発性骨髄腫ではIKZF1/IKZF3を壊して効きますが、5番染色体長腕の一部が欠けた骨髄異形成症候群(del(5q) MDS)では、まったく別のタンパク質を壊すことで効果を発揮します。

💡 用語解説:CK1αとdel(5q)骨髄異形成症候群

骨髄異形成症候群(MDS)は、血液を作る骨髄の働きが乱れる病気です。なかでも5番染色体長腕の一部が欠ける「del(5q)型」では、レナリドミドがCK1α(カゼインキナーゼ1アルファ)というタンパク質をネオ基質として分解することで効果を示します。del(5q)の細胞ではCK1αの遺伝子が片方しかなく、もともと量が少ないため、分解にとても弱い=薬が効きやすいのです。同じ薬でも、遺伝子・染色体の状態によって「壊す相手」と「効きやすさ」が変わる——分子糊と遺伝情報が密接につながっていることを示す好例です。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「分子糊」と知らずに使ってきた薬】

私はがん薬物療法専門医として、成人の多発性骨髄腫の患者さんにレナリドミドを使う場面に長く向き合ってきました。正直に言うと、この薬が「なぜこれほど効くのか」を分子レベルで説明できるようになったのは、ずいぶん後のことです。臨床ではまず「効く」という事実があり、その理由を科学が後から追いかけてきた——分子糊は、そんな順番でメカニズムが解き明かされてきた珍しい薬です。

かつて深刻な薬害を起こしたサリドマイドの子孫が、いまや血液がんの標準治療を支えている。この事実は、「薬を分子の言葉で理解することの大切さ」を私に何度も教えてくれます。効くしくみが分かれば、副作用(催奇形性)の理由も分かり、誰にどう使うべきか、避けるべきかも見えてきます。それは遺伝カウンセリングの現場で大切にしている考え方とも、まっすぐにつながっています。

5. PROTACとの違い:もう一つの「壊す薬」

標的タンパク質分解には、分子糊と並ぶもう一つの主役があります。PROTAC(プロタック)です。どちらも「細胞のゴミ処理システムで標的を壊す」という最終目標は同じですが、形と作り方が大きく異なります。

PROTACは、「標的に結合する部品」と「E3リガーゼに結合する部品」を、リンカー(ひも)で物理的につないだ二価の分子です。例えるなら「両端にフックの付いた一本のロープ」で、標的とE3リガーゼを手繰り寄せて近づけます。部品を入れ替えれば幅広い標的に設計を応用しやすい強みがある一方、リンカーを含むため分子量が700〜1100ダルトンと大きくなりがちで、細胞膜を通りにくく、飲み薬にしにくいという弱点があります。

一方、分子糊はリンカーのない単一の小さな分子です。標的とE3リガーゼの「すきま」に割り込んで、両者の表面をぴたりと補い合わせて接着します。分子量は500ダルトン未満が典型で、サリドマイド・レナリドミド・ポマリドミドはいずれも300ダルトン未満。従来の飲み薬と同じように体内へ吸収されやすいのが最大の利点で、これが分子糊が臨床応用で先行している理由です。

特性 PROTAC(プロタック) 分子糊(モレキュラーグルー)
分子の構造 二価(標的リガンド+リンカー+E3リガンド) 一価の小分子(リンカーなし)
分子量の目安 700〜1100ダルトン(大きい) 500ダルトン未満(小さい)
標的に必要なもの 結合できるポケットが必要(低親和性でも可) 明確なポケットは不要(アンドラッガブル標的に強い)
飲み薬への向き 大きく、膜を通りにくい傾向 良好で、飲み薬の条件に合いやすい
フック効果 高濃度で起こりやすく、自己阻害の原因に 原則として起こりにくい
設計のしやすさ 部品を組み替える「モジュール式」で設計しやすい 歴史的には偶然頼み。現在は合理的設計へ移行中

どちらが優れている、という単純な話ではありません。設計の自由度ではPROTACが、飲み薬としての扱いやすさでは分子糊が有利で、標的や疾患に応じて使い分けられていきます。両者はライバルというより、標的タンパク質分解という新しい治療の「両輪」です。

6. 分子糊を支える物理:協同性とフック効果

分子糊の「うまさ」を理解する鍵が協同性(cooperativity)という考え方です。少し専門的ですが、ここを押さえると分子糊の強みがすっきり見えてきます。

💡 用語解説:協同性(cooperativity)

協同性とは、「相手がいると、もっとくっつきやすくなる」効果のことです。優れた分子糊は、E3リガーゼ単独にはほとんど結合しません。ところが、そこに標的タンパク質が居合わせると、3つそろったときだけ結合力が桁違いに強まり、しっかりした三者複合体ができます。理想的な分子糊では、この結合のしやすさが100〜10000倍にも跳ね上がるとされ、この「正の協同性」こそが分子糊の本質だと考えられています。

この高い協同性は、臨床上とても大切な利点を生みます。それが「フック効果(hook effect)」の回避です。PROTACのように標的とE3リガーゼの両方に強く結合する薬は、濃度を上げすぎると、「標的に1個だけ付いた状態」「E3リガーゼに1個だけ付いた状態」がバラバラに増えてしまい、かえって三者複合体ができにくくなる——つまり量を増やすほど効きが悪くなる、という困った現象が起こりがちです。

分子糊は、単独のタンパク質にはあまり結合しないため、こうしたバラバラの結合が起きにくく、「3つそろったときだけ強く働く」。結果として高濃度でも効きが頭打ちになりにくく、体の中での用量設定や安全域の確保で有利になります。これは薬を実際に使ううえで、見逃せない長所です。

7. 主役のE3リガーゼと、広がる応用疾患

600種類以上あるE3リガーゼのうち、現在分子糊が利用しているのはまだごく一部です。代表的なものを見ていきましょう。

CRBN(セレブロン):臨床応用の王道

現在、世界中で承認・使用されている分子糊の圧倒的多数が、CRBN(セレブロン)を利用するサリドマイド系の薬(IMiDs)とその改良版です。サリドマイドの足場をもとに合理的に最適化した第2世代(CELMoDs)も開発が進み、固形がん・血液がんの双方を対象に臨床試験が行われています[5]。CRBNはもともと知的発達に関わる遺伝子としても知られ、そのCRL4複合体を介した分解機能が、薬の効き目の中心にあります。

VHL:耐性を乗り越える次のフロンティア

CRBNに頼りきりだと、がん細胞がCRBNを減らしたり変異させたりして薬剤耐性を獲得するリスクがあります。そこで注目されるのが、別のE3リガーゼVHLを使う分子糊です。VHLは本来、酸素の状態に応じてHIF-αというタンパク質を分解する「仕分け担当」で、これを利用したCDO1分解薬(NVS-VHL720)などが報告されています[6]。さらに、運動ニューロンの生存に関わるSMN複合体の構成因子GEMIN3を分解する新しい分子糊(dGEM3)も見つかっており、VHLが狙える標的の幅が広がっています[7]。

常識を覆す発見:CR8とDDB1

「分解には専用の基質受容体(CRBNなど)が必須」という常識を覆したのが、CR8という化合物です。CR8はCDK12というタンパク質に結合した際、外に飛び出した部分がアダプタータンパク質DDB1と直接くっつき、専用の受容体を介さずに、CDK12自身を“接着面”としてCyclin Kを分解へ導くことが分かりました[3]。酵素阻害と分解を兼ねるこの発見は、生物学の手がかりから新しい分子糊を探す道を開きました。

がんから自己免疫疾患へ:応用の広がり

血液がんでの成功に続き、応用は大きく広がっています。翻訳に関わるGSPT1を分解する分子糊は、治療が難しい高リスク神経芽腫で前臨床モデルの生存改善が報告されています[9]。さらに、免疫細胞の信号伝達の中心を担うVAV1を分解する分子糊(MRT-6160)が、炎症性・自己免疫性疾患の分野でブレイクスルーをもたらしつつあります。動物モデルでは、T細胞の過剰な活性化や炎症性サイトカインの産生を強く抑え、大腸炎の悪化を防いだと報告されています[8]。「壊して治す」という発想が、がんの枠を越えて広がっているのです。

8. 「偶然」から「合理的設計」へ:AIが変える分子糊探し

分子糊はかつて「偶然の産物(セレンディピティ)」の代名詞でした。ところが近年、その探索は意図的でシステマティックな「合理的設計」の時代へと移りつつあります[10]。膨大な化合物を効率よく試す技術と、コンピューターによる予測が、その原動力です。

具体的には、何十万もの化合物を一度に評価できるDNAコード化ライブラリー(DEL)や、TR-FRET・NanoBRETなどの高感度な実験で、三者複合体のできやすさや協同性をすばやく測ります。さらにAI・機械学習が加わり、化合物の性質から「分子糊として働くか」を予測したり、標的タンパク質側の「接着しやすい表面」を見つけ出したりできるようになりました。こうしたデータを集約するMolGlueDBのようなデータベースも整備され、機械学習による最適化が加速しています[11]。

今後の最大の課題は、利用できるE3リガーゼがCRBNやVHLなどごく一部に偏っている点です。600以上あるE3リガーゼの大半は未開拓のままで、新しいリガーゼを開拓できれば、狙える標的はさらに広がります。組織ごとに発現の異なるリガーゼを使えば、特定の臓器・細胞だけで標的を壊すという、より精密な治療も視野に入ります。プロテオーム全体を見渡した分子糊探索は、これからの数十年でもっとも破壊力のある創薬の流れになると見込まれています[1]。

9. 遺伝医療との接続:診断が治療を導く

分子糊は「がんや創薬の話」と思われがちですが、遺伝医療とも深くつながっています。理由は明快で、「何を壊すか」を決めるのが遺伝子の情報だからです。

第一に、遺伝子診断が治療標的を教えてくれます。どの遺伝子にミスセンス変異などが起き、どのタンパク質が「働きすぎている/増えすぎている」のかが分かって初めて、「それを壊す」分子糊の出番が見えてきます。第二に、del(5q) MDSとCK1αの例のように、同じ薬でも染色体・遺伝子の状態によって効きやすさが変わるため、遺伝情報は治療の選択にも直結します。

第三に、サリドマイドの歴史が示すとおり、薬と妊娠の問題は遺伝医療の重要テーマです。催奇形性のある薬を使う/避ける判断には、ていねいな遺伝カウンセリングが欠かせません。こうした「診断と治療をつなぐ」役割を担うのが臨床遺伝専門医です。

なお、分子糊は現在も発展途上の領域であり、すべての病気にすぐ使えるわけではありません。「研究段階の知見」と「すでに確立した治療」を混同しないこと、そして一人ひとりの状況に合わせて中立的に情報を整理することが、遺伝医療の現場では何より大切だと考えています。

10. よくある誤解

誤解①「分子糊もタンパク質を“接着剤”で固めるだけ」

分子糊の役目は「固定」ではなく「分解への橋渡し」です。2つのタンパク質を一時的に近づけて目印を付けさせ、標的をプロテアソームで壊させるところまでが目的。しかも自身は消費されず、何度も使い回されます。

誤解②「サリドマイドの薬は危険だから使ってはいけない」

サリドマイド系の薬は、妊娠への厳格な管理のもとで、多発性骨髄腫などの標準治療として確立しています。「危険=使えない」ではなく、しくみを理解して正しく管理すれば命を救う薬です。

誤解③「PROTACより分子糊のほうが優れている」

どちらが上、という話ではありません。設計の自由度ではPROTAC、飲み薬としての扱いやすさでは分子糊が有利で、標的に応じた使い分けが進む「両輪」の関係です。

誤解④「分子糊ならどんなタンパク質でも壊せる」

分子糊は標的と対応するE3リガーゼの両方に依存します。現在使えるE3リガーゼはごく一部で、何でも壊せるわけではありません。利用できるリガーゼを増やすことが、今後の大きな課題です。

11. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「壊して治す」が、診断と治療をつなぐ】

分子糊の物語は、私にとって「診断と治療は地続きである」ことを思い出させてくれます。遺伝子を調べて「どのタンパク質が悪さをしているか」を突き止める作業は、これまで「だから何ができるか」につながりにくい場面もありました。しかし分子糊やPROTACの登場で、「悪さをしているタンパク質を壊す」という具体的な出口が見えはじめています。診断が、治療の入り口になりつつあるのです。

もちろん、ここで紹介した多くはまだ研究段階で、明日すぐにどの病気にも使えるわけではありません。だからこそ、確立した治療と発展途上の知見をていねいに区別し、それぞれのご家族の状況に合わせて中立的にお伝えすることを大切にしています。「いま世界で何が起きているのか」を知ることは、これからの選択肢を考える小さな灯になります。この記事がその一助になればうれしく思います。

よくある質問(FAQ)

Q1. モレキュラーグルーと分子糊は同じものですか?

はい、同じものです。「molecular glue」を日本語にしたものが「分子糊(ぶんしのり)」で、「モレキュラーグルー」とカタカナで呼ばれることも多くあります。本記事では両方を併記しています。意味の違いはありません。

Q2. 従来の薬(阻害薬)と何が違うのですか?

従来の阻害薬は、原因タンパク質に結合して働きを「邪魔する」薬で、薬がそこに居続けないと効きません。分子糊は、原因タンパク質を細胞のゴミ処理システムへ送り込み、「壊して消す」薬です。一度分解してしまえば標的は存在しなくなり、また少量でも次々と働ける(触媒的)点が大きな違いです。

Q3. 分子糊の薬はすでに使われているのですか?

はい。サリドマイドから生まれたレナリドミド・ポマリドミドなどは、すでに多発性骨髄腫や一部の骨髄異形成症候群(del(5q)型)の治療薬として広く使われています。これらは後から「分子糊として働いていた」ことが解明された薬です。一方で、新しく合理的に設計された分子糊の多くは、まだ臨床試験などの研究段階にあります。

Q4. 「アンドラッガブル」な標的にも効くのはなぜですか?

従来の阻害薬は、標的に薬がはまり込む「深いくぼみ(ポケット)」を必要としました。分子糊は、標的に深いポケットがなくても、E3リガーゼとの“すきま”に割り込んで接着するだけでよいため、これまで薬を作れなかった転写因子などの標的にも届く可能性があります。

Q5. サリドマイドの薬は、なぜ催奇形性があるのですか?

サリドマイド系の薬は、CRBNを介して、胎児の手足の発生に必要なSALL4などのタンパク質まで「ネオ基質」として分解してしまうためと考えられています。治療効果も催奇形性も、同じ分子糊のしくみの裏表です。そのため、妊娠中・妊娠の可能性がある時期の使用は厳格に管理されます。詳しくは主治医や臨床遺伝専門医にご相談ください。

Q6. PROTACと分子糊はどちらが将来有望ですか?

どちらか一方が勝つ、という関係ではありません。設計の自由度ではPROTACが、飲み薬としての扱いやすさでは分子糊が有利で、標的や疾患に応じて使い分けられる「両輪」です。両者を組み合わせて新しい治療を生み出す研究も進んでいます。

Q7. 分子糊は遺伝性疾患の治療にも使えますか?

原理的には、「特定のタンパク質が増えすぎる・働きすぎる」タイプの病気であれば、分子糊で標的を壊すアプローチが考えられます。実際、研究段階では多くの標的が検討されています。ただし、利用できるE3リガーゼが限られていることもあり、すべての遺伝性疾患にすぐ使えるわけではありません。まずは遺伝子診断で原因タンパク質を正確に突き止めることが出発点になります。

Q8. ミネルバクリニックで分子糊の薬は処方できますか?

分子糊そのものは、がん専門施設などで疾患に応じて使用される薬です。当院は臨床遺伝専門医として、原因遺伝子の同定や遺伝カウンセリングを通じて「どのタンパク質が関わっているか」を整理する役割を担います。治療が必要な場合は、適切な専門施設と連携してご案内します。まずは遺伝子診断・遺伝カウンセリングについてお気軽にご相談ください。

🏥 遺伝子診断・遺伝カウンセリングのご相談

「どの遺伝子・どのタンパク質が関わっているのか」を知ることは
これからの治療や選択肢を考える第一歩です。
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにお気軽にご相談ください。

参考文献

  • [1] From serendipity to strategy: molecular glue degraders in cancer therapeutics. Critical Reviews in Biochemistry and Molecular Biology. 2025. [Taylor & Francis]
  • [2] Molecular Glues: The Adhesive Connecting Targeted Protein Degradation to the Clinic. Biochemistry / PMC. [PMC9910052]
  • [3] Novel Mechanisms of Molecular Glue-Induced Protein Degradation. Biochemistry (ACS Publications). [ACS]
  • [4] From Thalidomide to Rational Molecular Glue Design for Targeted Protein Degradation. Annual Review of Pharmacology and Toxicology. [Annual Reviews]
  • [5] Molecular glue degrader for tumor treatment. PMC / NIH. [PMC11697593]
  • [6] A small-molecule VHL molecular glue degrader for cysteine dioxygenase 1. PubMed. [PubMed 40555806]
  • [7] Discovery of a VHL molecular glue degrader of GEMIN3 by Picowell RNA-seq. bioRxiv. [bioRxiv]
  • [8] MRT-6160, a VAV1-Directed Molecular Glue Degrader, Inhibits Disease Progression. Monte Rosa Therapeutics. [Monte Rosa]
  • [9] GSPT1-specific protein degradation is effective in preclinical models of chemoresistant MYCN-amplified neuroblastoma. PMC. [PMC12918055]
  • [10] Clues for glues: from serendipity to nature’s blueprints in degrader discovery. Essays in Biochemistry (Portland Press). [Portland Press]
  • [11] MolGlueDB: an online database of molecular glues. Nucleic Acids Research. [Oxford Academic]

関連記事

用語解説PROTAC(プロタック)とは分子糊と並ぶもう一つの「壊して治す」薬。仕組みと違いを解説します。用語解説Cullin-RINGリガーゼ複合体分子糊が利用するE3リガーゼの土台。基質受容体やデグロンを解説。遺伝子CRBN(セレブロン)遺伝子サリドマイド系分子糊が利用するE3リガーゼ部品の遺伝子を解説。用語解説ユビキチン化タンパク質に「分解の目印」を付ける仕組みをわかりやすく解説。用語解説プロテアソーム不要なタンパク質を分解する細胞内「シュレッダー」を解説します。疾患フォン・ヒッペル・リンドウ症候群(VHL)分子糊が利用するE3リガーゼVHLの本来の働きと疾患を解説。

仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

お電話での受付可能
診療時間
午前 10:00~14:00
(最終受付13:30)
午後 16:00~20:00
(最終受付19:30)
休診 火曜・水曜

休診日・不定休について

クレジットカードのご利用について

publicブログバナー
 
medicalブログバナー
 
NIPTトップページへ遷移