目次
- 1 1. SMARCB1とINI1 ─ DNAの「開閉スイッチ」をつくる遺伝子
- 2 2. がんを抑える仕組み ─ なぜ1つの遺伝子の欠損だけでがんが生まれるのか
- 3 3. 遺伝する変化①:ラブドイド腫瘍素因症候群1型(RTPS1)
- 4 4. 遺伝する変化②:コフィン・シリス症候群3型(CSS3)
- 5 5. 遺伝する変化③:SMARCB1関連神経鞘腫症
- 6 6. 生後に起きる変化(体細胞変異)とINI1欠損がん
- 7 7. INI1欠損がんの最新の治療開発 ─ 暴走するEZH2を標的にする
- 8 8. 検査とカウンセリング ─ 何を、どの検体で調べるか
- 9 9. よくある誤解
- 10 よくある質問(FAQ)
- 11 参考文献
- 12 関連記事
📍 クイックナビゲーション
SMARCB1は、DNAの巻き取り方を調節する「クロマチンの開閉スイッチ」=SWI/SNF(BAF)複合体の中核部品をつくる遺伝子で、強力ながん抑制遺伝子です。この1つの遺伝子が壊れるだけで、乳幼児の非常に速く進むがん(ラブドイド腫瘍)から、発達の遅れをともなうコフィン・シリス症候群3型、大人の神経鞘腫症まで、まったく姿の違う病気が生まれます。まれな遺伝子ですが、その仕組みを知ることは「がんがどう始まるのか」「遺伝するとはどういうことか」という、より大きな問いの理解につながります。本記事では、SMARCB1がどんな働きをし、変化のタイプによってなぜこれほど異なる病気になるのかを、遺伝専門医がやさしく解説します。
Q. SMARCB1遺伝子とは何をする遺伝子ですか?まず結論だけ知りたいです
A. SMARCB1は「INI1(別名BAF47)」というタンパク質の設計図で、DNAの巻き取り方を変えるSWI/SNF(BAF)複合体の中核として働く、強力ながん抑制遺伝子です。この部品が両方のコピーとも失われると、細胞は未熟なまま増え続けます。生まれつき片方が変化しているとラブドイド腫瘍素因症候群・コフィン・シリス症候群3型・神経鞘腫症といった遺伝性疾患の背景になり、生後に両方が失われるとラブドイド腫瘍や類上皮肉腫などのがんが生じます。
- ➤基本の働き → SWI/SNF(BAF)複合体の中核部品。DNAを開いて必要な遺伝子を読める状態にし、細胞の分化とがん抑制を支える
- ➤生殖細胞系列変異(遺伝するタイプ) → ラブドイド腫瘍素因症候群1型・コフィン・シリス症候群3型・SMARCB1関連神経鞘腫症。変化のタイプで病気が大きく変わる
- ➤体細胞変異(生後に起きるタイプ) → ラブドイド腫瘍(AT/RT)・類上皮肉腫・腎髄質癌などの「INI1欠損がん」(滑膜肉腫はINI1が低下する関連腫瘍)
- ➤最新の治療開発 → PRC2/EZH2という相方を抑える薬(EZH2阻害薬)の研究。ただし承認状況は近年変化しています
各項目の根拠と詳しい解説は、本文の該当セクションをご覧ください。
1. SMARCB1とINI1 ─ DNAの「開閉スイッチ」をつくる遺伝子
SMARCB1は、細胞の核のなかでDNAの巻き取り方を変える装置「SWI/SNF(BAF)複合体」の中核部品をつくる遺伝子です。この装置は、必要な遺伝子だけを読める状態に開き、いらない遺伝子を閉じる働きをしていて、細胞が正しく育つ(分化する)ための土台になっています。SMARCB1がつくるタンパク質は、免疫染色のマーカーとしてINI1という名で呼ばれ、複合体のなかでの分子量からBAF47とも呼ばれます。
名前がいくつもあるのには歴史的な理由があります。もともとは酵母でスクロース(砂糖)の発酵に必要な遺伝子群のひとつとして見つかり「SNF5(sucrose non-fermenting 5)」と名づけられました。その後ヒトで、HIVウイルスのインテグラーゼと結合するタンパク質として再発見され「INI1(integrase interactor 1)」と命名され、最終的に正式名称SMARCB1に整理されました[1]。文献ごとに表記が違うのはこのためで、SMARCB1・INI1・SNF5・BAF47はすべて同じ遺伝子・同じタンパク質を指しています。
SWI/SNF(BAF)複合体は、10個以上の部品が集まってできる大きな装置です。DNAをほどく力を生み出すエンジン役はSMARCA4(BRG1)またはSMARCA2(BRM)というATPアーゼが担い、その周囲をARID1A・ARID1Bなどの部品が取り囲みます。SMARCB1(INI1)は、このうちどの型の複合体にも共通して含まれる「土台」の部品です。だからこそSMARCB1が失われると装置全体の働きが揺らぎ、複数の臓器・複数の病気に影響が及ぶのだと理解すると、このあとの各章がひとつの絵につながります[1]。
💡 用語解説:クロマチンリモデリングとSWI/SNF複合体
私たちのDNAは、ヒストンというタンパク質に巻き取られてヌクレオソームという数珠状の構造をつくり、コンパクトに収納されています。ただし巻き取られたままでは、遺伝子を読む機械がDNAに近づけません。そこでSWI/SNF(BAF)複合体がATPのエネルギーを使って巻き取りをゆるめ、必要な部分を「開く」働きをします。この開け閉めがクロマチンリモデリングで、SMARCB1(INI1)はその複合体の中心にいる部品です。開閉のバランスが崩れると、本来育つべき方向に細胞が進めなくなります。
SMARCB1が位置するのは22番染色体の長腕(22q11.23)で、9個のエキソンから構成され、約50キロ塩基にわたります[1]。この近くには、神経の腫瘍に関わるNF2遺伝子があり、あとで出てくる神経鞘腫症の仕組みで重要になります。ここで大切なのは、SMARCB1がほぼ全身の細胞の核に存在するという点です。だからこそ、生まれつきの変化は全身に影響し、変化のタイプによって発達の問題にも、がんのなりやすさにもつながっていきます。ご本人やご家族にとっては、「1つの遺伝子の話」が体のいろいろな場所の話に広がりうる、という見取り図をここで持っておくと、後の各章が理解しやすくなります。
2. がんを抑える仕組み ─ なぜ1つの遺伝子の欠損だけでがんが生まれるのか
結論から言うと、SMARCB1は「がんを抑える相方」を抑え込む役割をもっており、SMARCB1が失われると相方が暴走して、細胞が未熟なまま増え続けます。多くのがんが何十個もの遺伝子変化を積み重ねて生じるのに対し、SMARCB1欠損のがんはゲノムがとても単純なまま、たった1つの引き金で発症しうるという際立った特徴をもっています。
その「相方」が、遺伝子を強く抑え込むポリコーム抑制複合体2(PRC2)と、その中心酵素EZH2です。正常な細胞では、開く役のSWI/SNF複合体(SMARCB1)と、閉じる役のPRC2がバランスをとっています。ところがSMARCB1が失われるとこの拮抗が崩れ、EZH2が暴走してヒストンH3の27番目(H3K27)に抑制の印(トリメチル化)を過剰につけ、細胞が育つために必要な遺伝子まで閉じてしまいます[1]。その結果、細胞は未分化な幹細胞のような状態のまま増殖を止められなくなります。この「暴走したEZH2を薬で抑える」という発想が、のちの治療開発の土台になります。
図1:SMARCB1が失われると何が起きるか(因果の流れ)
たくさんの遺伝子変化ではなく、開く役と閉じる役のバランスの崩れが発がんを駆動する点が特徴です。
SMARCB1はこのほかにも、細胞周期のブレーキ役であるp16という遺伝子の働きを保ち、細胞が勝手にDNA合成期へ進まないよう見張っています。SMARCB1が失われるとp16の発現が下がり、CDK4/6という「アクセル」が効きっぱなしになって、増殖のブレーキが外れます[1]。つまりSMARCB1は、遺伝子の開閉と細胞周期の両面から増殖を抑えている、まさにがん抑制遺伝子(腫瘍抑制遺伝子)の教科書的な例なのです。
「ツーヒット」──なぜ生まれつき片方に変化があっても、すぐには発症しないのか
がん抑制遺伝子は、父由来・母由来の2つのコピーがあり、両方が壊れて初めて働きを失います。これをクヌードソンのツーヒット仮説と呼びます。1998年の研究で、ラブドイド腫瘍ではSMARCB1(当時のhSNF5/INI1)の片方に変異、もう片方に欠失(ヘテロ接合性の消失=LOH)が起き、両方が失われて発がんに至ることが示されました[2]。この「2回のヒット」という考え方は、次章以降の遺伝性疾患を理解するうえでの共通の鍵になります。ご家族にとって大切なのは、生まれつき1つ変化を持っていても、それだけで必ず発症するわけではないという点です。
図2:遺伝子1本/2本が失われたときの違い(ツーヒット)
① 1本目だけ変化(1ヒット)
もう1本が正常なら働きは保たれる。生殖細胞系列変異の保因者はこの状態。多くの場合、発症しない。
② 2本目も失われる(2ヒット)
INI1タンパク質が完全に消失。この細胞から腫瘍が始まる。免疫染色でINI1の消失として確認できる。
3. 遺伝する変化①:ラブドイド腫瘍素因症候群1型(RTPS1)
ラブドイド腫瘍素因症候群1型(RTPS1)は、生まれつき片方のSMARCB1に変化があり、乳幼児期にラブドイド腫瘍という進行の速いがんを発症しやすい、常染色体顕性(優性)の体質です。頻度は高くありませんが、乳幼児のラブドイド腫瘍の一部はこの体質を背景に起こります[3][4]。ご家族にとってこの章の意味は、「同じ変化があっても発症の仕方には幅がある」こと、そして「血縁者の検査やフォローの相談先がある」ことを知っておくことにあります。
ラブドイド腫瘍は通常1歳未満(まれに数歳まで)に発症する悪性度の高い腫瘍で、脳(とくに小脳)に生じるものを非定型奇形腫様/ラブドイド腫瘍(AT/RT)、腎臓に生じるものを腎ラブドイド腫瘍、その他の部位に生じるものを腎外性悪性ラブドイド腫瘍と呼びます。米国の15歳以下でのラブドイド腫瘍の頻度はおおよそ100万人に1人程度とされ、その一部がRTPS1に起因すると報告されています[4]。RTPS1では発症が生後数か月と極端に早く、異なる部位に複数の腫瘍が同時に生じることがあるのが特徴です。生殖細胞系列に病的バリアントを受け継いだ場合の浸透率は高いと考えられ、特定のトランケーティング変異では5歳までに90%を超えるとの報告もあります。ただし希少疾患で症例集積に偏りがあるため、正確な浸透率にはなお不確実性があります。この浸透率の高さが、早期発見のためのフォローが重視される理由になっています。
仕組みは第2章のツーヒットそのものです。生まれつき全身の細胞の片方に変異(1ヒット目)があり、ある細胞で残る正常なコピーが失われる(2ヒット目)と、その細胞でSMARCB1が完全に消え、腫瘍が始まります[2]。RTPS1で見つかる生殖細胞系列変異の多くは、遺伝子を途中で切ってしまう欠失・ナンセンス・スプライス部位の変異で、ミスセンス変異はまれです[3]。また、2つの独立した原発腫瘍がみられる患者さんは、ほぼ生殖細胞系列変異をもつと考えられます[1]。多くは家族歴のない新生突然変異(de novo変異)として現れ、親のDNAが正常であることが多い点も、遺伝カウンセリングで押さえておきたいポイントです。
RTPS1と分かった場合、ご家族にとっての現実的な意味は二つあります。ひとつは、ラブドイド腫瘍は進行が速いため、早期発見のためのフォローの考え方を主治医と共有しておくことに価値がある点。もうひとつは、血縁者に同じ変化があるかどうかを確認するという選択肢がある点です。いずれも不安をあおるためではなく、見通しを持って備えるための情報です。どこまで、いつ確認するかはご家族の考え方次第であり、臨床遺伝専門医が中立の立場で選択肢を整理します。
4. 遺伝する変化②:コフィン・シリス症候群3型(CSS3)
コフィン・シリス症候群3型(CSS3)は、SMARCB1の変化によって起こる先天性の多発奇形・発達の症候群です。ここで重要なのは、同じSMARCB1の変化でも、タイプが違えばまったく別の病気になるという点です。RTPS1が「遺伝子を壊してしまう変異」で起こるのに対し、CSS3は主にアミノ酸を1つ置き換えるミスセンス変異や短い欠失で起こります[5]。この違いが、病気の性質を大きく分けます。
コフィン・シリス症候群は、発達の遅れ・知的発達症、粗な顔立ち、そして第5指(小指)の爪や末節骨の低形成・欠如などを特徴とする症候群で、SWI/SNF複合体をつくる複数の遺伝子(ARID1B・ARID1A・SMARCB1・SMARCA4・SMARCE1など)のいずれかの変化で起こります。最も多い原因はARID1Bですが、SMARCB1の変化によるものがCSS3型です[5]。SMARCB1変異をもつCSS患者さんは、重い知的発達症や脳の構造の違い、側弯などを伴うことがあると報告されています。
💡 用語解説:なぜ「壊す変異」と「置き換える変異」で病気が変わるのか
RTPS1の変異はタンパク質を完全に失わせるタイプで、ツーヒットで機能がゼロになるとがんが生じます。一方CSS3の変異は、タンパク質は一応つくられるもののはたらき方が異常になるタイプです。SMARCB1タンパク質が完全に失われるRTPS1とは異なり、異常なタンパク質が残った状態でBAF複合体の機能が変化すると考えられ、その結果「異常なクロマチンリモデリング」が脳や神経の発達に影響します。この違いを背景に、CSS3ではがんの発症リスクの明らかな上昇は報告されていません[1]。同じ遺伝子でも「どう壊れたか」で結果が変わる、遺伝子型と表現型の関係の好例です。
なお、SMARCA2の変化で起こるニコライデス・バライツァー症候群(NCBRS)と、CSS3の中間のような特徴を示す患者さんがいることも知られており、これらの症候群が地続きのスペクトラムである可能性が指摘されています[5]。ご家族にとっては、診断名が確定するまでに時間がかかることがある一方で、がんの心配は基本的に別枠だと理解しておくことが、日々の見通しを持つうえで助けになります。SMARCB1を含む複数の遺伝子は、当院のコフィン・シリス症候群NGSパネル検査でまとめて調べることができます。
5. 遺伝する変化③:SMARCB1関連神経鞘腫症
SMARCB1関連神経鞘腫症は、体のあちこちの末梢神経に、良性の腫瘍(神経鞘腫=シュワン細胞の腫瘍)が多発する体質です。かつては「神経線維腫症3型」と呼ばれたこともありますが、2022年の国際的な病名整理により、原因遺伝子ごとにSMARCB1関連神経鞘腫症・LZTR1関連神経鞘腫症などと呼ぶのが現在の標準です。ご本人にとってこの章の意味は、「多くは良性で命に直結しにくい一方、慢性的な痛みの管理が生活の質を左右する」こと、そして「よく似た名前のNF2とは区別して考える」ことにあります。
SMARCB1の生殖細胞系列変異は、家族性の神経鞘腫症のおよそ45%を占めると報告されています[6][1]。この病気で見つかる変化は、RTPS1とは対照的に、遺伝子を完全には壊さないスプライス部位変異やエキソン1のミスセンス変異が中心で、腫瘍細胞ではINI1の免疫染色が「まだらに残る(モザイク状)」パターンを示します[1]。ラブドイド腫瘍でINI1が完全に消えるのとは異なり、機能が部分的に残る変化であることが、良性にとどまる理由と考えられています。
仕組みで興味深いのは、SMARCB1のすぐ近くにあるNF2遺伝子が同じ22番染色体長腕に並んでいる点です。腫瘍のなかでは、生まれつきのSMARCB1変異に加えて、SMARCB1とNF2の両方を含む領域が失われ、さらにNF2にも別の変異が生じるという複数段階の変化(多ヒット)が観察されます。つまり2つの隣り合う遺伝子が一度に巻き込まれることが、この腫瘍の背景にあります。臨床的には、NF2に代表される両側前庭神経鞘腫(聴神経腫瘍)を主徴とするタイプとは異なり、両側の前庭神経鞘腫を通常は伴わないことが鑑別の要点で、髄膜腫がスペクトラムの一部としてみられることがあります。
🔍 関連記事:SMARCB1関連神経鞘腫症/NF2遺伝子/NF2関連シュワノマトーシス
6. 生後に起きる変化(体細胞変異)とINI1欠損がん
ここまでは生まれつきの変化の話でしたが、SMARCB1は生後に体の一部の細胞だけで両方が失われることでも、さまざまながんを引き起こします。これらの多くは免疫染色でINI1の消失を示すため(滑膜肉腫のように発現が著明に低下するものも含め)、まとめて「INI1欠損がん」と総称されます。ご本人・ご家族にとって大切なのは、これらのがんの多くは体細胞変異が原因で、原則として遺伝しないという点です。ただし乳幼児のラブドイド腫瘍だけは、生殖細胞系列変異(RTPS1)が背景にある場合があり、区別が重要です。
代表的なのが、これまで触れてきたラブドイド腫瘍(AT/RT・悪性ラブドイド腫瘍)です。約95%でSMARCB1の両アレル不活性化がみられ、INI1免疫染色の消失が診断の決め手になります[1][2]。次に、思春期〜若年成人の四肢や骨盤・鼠径部にできる類上皮肉腫では、80〜90%でSMARCB1の発現が失われ、その多くは遺伝子のホモ接合性欠失によるものです[1]。
少し変わった仕組みで起こるのが滑膜肉腫です。この腫瘍はSMARCB1自体に変異がなくても、SS18-SSXという融合タンパク質がBAF複合体に割り込み、SMARCB1(BAF47)を複合体から追い出して分解させるため、結果としてINI1の発現が低下します[7]。遺伝子が壊れなくてもタンパク質が失われるという、遺伝子とタンパク質の関係を考えさせる例です。また、鎌状赤血球形質を持つ若年者に発生する腎髄質癌では、SMARCB1座位のヘテロ接合性の消失(LOH)を伴ってINI1が失われることが報告されています[8]。このほか、鼻副鼻腔に生じるSMARCB1欠損癌や、低分化型の脊索腫など、INI1欠損がんの仲間は年々広がっています[1]。
これらの多彩ながんを一本につなぐ手がかりが、INI1の免疫染色です。正常な細胞では核が染まりますが、SMARCB1が失われた腫瘍では核の染色が消えます。この「染まらない」という一点が、発生部位も見た目も異なる腫瘍を「INI1欠損がん」という同じ枠組みで捉えることを可能にし、診断の精度を高めてきました。ご本人・ご家族にとっては、病理レポートに「INI1欠損」「SMARCB1欠失」と書かれていたら、それが治療の方針や、場合によっては遺伝の観点での確認につながる重要な情報だと知っておくと、主治医との相談がスムーズになります[1]。
💡 用語解説:体細胞変異と生殖細胞系列変異のちがい
生殖細胞系列変異は卵子や精子の段階から持っている変化で、体じゅうすべての細胞に共有され、子どもに受け継がれる可能性があります。これに対し体細胞変異は、生まれたあとに体の一部の細胞だけで起きる変化で、原則として子どもには遺伝しません。
SMARCB1では、この区別がとくに大切です。類上皮肉腫や腎髄質癌、滑膜肉腫は体細胞変異による「INI1欠損がん」で、原則遺伝しません。一方、乳幼児のラブドイド腫瘍は生殖細胞系列変異(RTPS1)が背景にあることがあり、この場合は血縁者への影響を考える必要があります。だからこそ、同じ「INI1が消えるがん」でも、どの検体を調べ、生殖細胞系列変異があるかを確かめることが、その後の対応を分けます。
7. INI1欠損がんの最新の治療開発 ─ 暴走するEZH2を標的にする
結論からお伝えすると、SMARCB1が失われたがんに対しては、第2章で登場した「暴走する相方EZH2」を抑える薬(EZH2阻害薬)が治療標的として研究されてきました。ただし承認の状況はここ数年で動いており、現時点で確立した標準治療というより、発展途上の領域として理解することが大切です。ご本人・ご家族にとっての意味は、「新しい選択肢の芽はあるが、まだ主役は手術・化学療法・放射線である」という現在地を正確に把握することにあります。
発想はシンプルです。SMARCB1が失われるとEZH2の働きが過剰になるので、分子標的薬でEZH2を抑えれば、閉じられていた分化の遺伝子が再び開くのではないか、という考え方です。実際、EZH2阻害薬はラブドイド腫瘍の進行を抑え、放射線への感受性を高めうることが示され、治療候補として検討されてきました[1]。
この関係は「合成致死性」という考え方で説明されます。SMARCB1という部品を失った細胞は、残ったEZH2の働きに依存して生き延びているため、そのEZH2を止めると選択的に弱る、という理屈です。正常な細胞はEZH2を止められてもSMARCB1が残っているため影響が小さく、がん細胞だけを狙い撃ちできる可能性がある——これが、変異の少ないSMARCB1欠損がんを分子標的で攻めるという発想の核心です[1]。
この考えを最初に形にしたのがタゼメトスタットという初のEZH2阻害薬です。2020年1月、米国FDAはINI1が失われた類上皮肉腫(切除不能な進行例)に対してタゼメトスタットを迅速承認しました。根拠となった第2相試験EZH-202のコホート5(62例)では、奏効率(腫瘍が明らかに縮小した割合)は約15%でした[9]。特定の遺伝的背景(INI1欠損)を狙い撃ちする、当時としては画期的な承認でした。
ただし重要な続報があります。2026年、タゼメトスタットの類上皮肉腫および再発・難治性の濾胞性リンパ腫に対する適応は、確認試験(SYMPHONY-1試験)の安全性データを受けて自主的に取り下げられました[10]。迅速承認は「後の確認試験で有用性を裏づける」ことが前提であり、その結果によって承認が見直されることがあります。EZH2を標的にする発想そのものが否定されたわけではありませんが、「一度承認された薬でも、状況は変わりうる」という点は、最新情報として押さえておく必要があります。実際の治療にあたっては、必ず主治医から最新の承認・適応状況を確認してください。
EZH2をめぐる開発はほかにも続いています。EZH1とEZH2の両方を抑えるタイプの阻害薬(バレメトスタットなど)が国内では成人のリンパ腫に対して承認され、小児の再発・難治性のラブドイド腫瘍などを対象とした研究も進められていると報告されています。また、ラブドイド腫瘍は遺伝子変異の数が少ない一方で免疫が反応しうる性質も指摘されており、免疫チェックポイント阻害薬を含む新しいアプローチも検討されています。いずれも研究段階を含み、確立した標準治療となったわけではありません。仲田院長はがん薬物療法専門医の資格をもつ立場から、こうした治療開発の動向を注視していますが、実際の適応や効果は文献・研究の進展にもとづいて慎重に評価すべきだと考えています。
8. 検査とカウンセリング ─ 何を、どの検体で調べるか
SMARCB1を調べるときにいちばん大切なのは、「何を知りたいか」で調べる検体が変わることです。生まれつきの変化(遺伝するタイプ)を知りたいなら血液を、腫瘍だけに起きた変化(体細胞変異)を知りたいなら腫瘍組織を調べます。多くのINI1欠損がんの診断は、まず病理のINI1免疫染色(核内の発現が消えているか)から始まり、必要に応じて遺伝子解析へ進みます。ご本人・ご家族にとっては、この検体の使い分けを知っておくことが、無駄のない検査計画につながります。
図3:目的別の検体の選び方
遺伝するタイプを調べたい
RTPS1・CSS3・神経鞘腫症など、生殖細胞系列変異が疑われるとき
→ 検体は「血液」
腫瘍だけの変化を調べたい
類上皮肉腫・滑膜肉腫・腎髄質癌など、体細胞変異のINI1欠損がん
→ 検体は「腫瘍組織」
腫瘍組織に限局した体細胞変異は、通常の血液を用いた生殖細胞系列検査では検出できません。血液が陰性でも腫瘍側のSMARCB1異常は否定できません。
ラブドイド腫瘍のお子さんでは、腫瘍にSMARCB1の変化があった場合、それが生まれつきのもの(RTPS1)かどうかを血液で確認することが、血縁者への影響を考えるうえで重要になります。生殖細胞系列変異が確認された場合は、ご両親やきょうだいの保因者の可能性、次のお子さんへの常染色体顕性(優性)遺伝の再発率などを整理します。当院では、こうした検査の前後に臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行い、検査で何が分かり何が分からないのか、結果がご家族にどのような意味を持つのかを、中立の立場で一緒に整理します。検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人・ご家族です。
出生前の観点では、CSS3のように多くが新生突然変異で生じる常染色体顕性の発達症は、両親に変化がなくても起こりうるため、通常の染色体検査だけでは捉えられないことがあります。当院のNIPTインペリアルプランは、こうした新生突然変異による単一遺伝子疾患を対象に含んでおり、SMARCB1もその対象遺伝子に含まれます。ただしNIPTはあくまでスクリーニング(可能性を評価する検査)であり、陽性の場合は絨毛検査・羊水検査による確定診断が必要です。なお当院でNIPTを受ける方には、互助会(カトレア会)への加入(8,000円)が必要になります。検査の設計は超音波所見やご家族の状況によって変わりますので、臨床遺伝専門医とご相談のうえ計画を立てることをおすすめします。
9. よくある誤解
SMARCB1は1つの遺伝子でありながら多彩な病気に関わるため、誤解が生まれやすい遺伝子です。ここでは、ご本人・ご家族が不必要に不安を抱えないために、とくに整理しておきたい4つの誤解を挙げます。
❌ 誤解1:変化があれば必ずがんになる
がん抑制遺伝子は2つのコピーの両方が失われて初めて働きを失います(ツーヒット)。生まれつき片方に変化があっても、それだけで必ず発症するわけではありません。さらに、変化のタイプによっては発達の症候群や良性腫瘍になり、がんとは別の経過をたどります。
❌ 誤解2:コフィン・シリス症候群もがんに注意
CSS3の変化はタンパク質を完全には失わせない「置き換える」タイプで、がん抑制の働きは保たれると考えられています。実際、コフィン・シリス症候群でがんの発症リスクが明らかに高いという報告はありません。発達の支援と、がんの心配は分けて考えて差し支えありません。
❌ 誤解3:神経鞘腫症=聴神経腫瘍(NF2)
SMARCB1関連神経鞘腫症は、両側の前庭神経鞘腫(聴神経腫瘍)を通常は伴わない点で、NF2を主徴とするタイプとは区別されます。名前や部位が重なるため混同されがちですが、原因遺伝子も経過も異なる別の病気です。
❌ 誤解4:INI1欠損がんはすべて遺伝する
類上皮肉腫・滑膜肉腫・腎髄質癌などの多くは、生後に腫瘍だけで起きた体細胞変異が原因で、原則として遺伝しません。ただし乳幼児のラブドイド腫瘍は生殖細胞系列変異(RTPS1)が背景にあることがあり、この場合だけは血縁者への影響を確認します。
📎 このページを読んだあなたへ
SMARCB1にたどり着く方には、いくつかの状況があります。お子さんがラブドイド腫瘍と診断された方、コフィン・シリス症候群の可能性を指摘された方、あるいはご自身や血縁者に神経鞘腫症が見つかった方。それぞれ次に確認するとよい観点が異なります。
共通して役立つのは、①ツーヒットと再発率の考え方、②生殖細胞系列変異か体細胞変異かの見きわめ、③関連する疾患ページ(CSS3/RTPS1/SMARCB1関連神経鞘腫症)での各論の確認です。血縁者への影響が気になる場合は、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングが出発点になります。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
- [1] Kalimuthu SN, Chetty R. Gene of the month: SMARCB1. J Clin Pathol. 2016. [PubMed 26941181]
- [2] Versteege I, Sévenet N, Lange J, et al. Truncating mutations of hSNF5/INI1 in aggressive paediatric cancer. Nature. 1998. [PubMed 9671307]
- [3] Eaton KW, Tooke LS, Wainwright LM, et al. Spectrum of SMARCB1/INI1 mutations in familial and sporadic rhabdoid tumors. Pediatr Blood Cancer. 2011. [PubMed 21108436]
- [4] SMARCB1 gene. MedlinePlus Genetics. U.S. National Library of Medicine. [MedlinePlus]
- [5] Tsurusaki Y, Okamoto N, Ohashi H, et al. Mutations affecting components of the SWI/SNF complex cause Coffin-Siris syndrome. Nat Genet. 2012. [PubMed 22426308]
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