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ノンカノニカル・インプリンティングは、DNAメチル化に依存しない新しいタイプのゲノム刷り込み機構として、近年のエピゲノム解析技術の飛躍的進歩によって明らかになった現象です。卵母細胞で書き込まれたヒストン修飾「H3K27me3」を起点とし、着床後の胎盤でDNAメチル化へと変換される洗練された情報伝達の仕組みですが、ヒトでは保存されていないという極めて重要な種差が、生殖医療や発生工学の研究に大きなインパクトをもたらしています。
Q. ノンカノニカル・インプリンティングとは何ですか?簡潔に教えてください
A. 卵母細胞のヒストン修飾「H3K27me3」を起点として親特異的な遺伝子発現を制御する、DNAメチル化に依存しない第二のゲノム刷り込み機構です。マウスの胎盤で広範に観察されますが、ヒトの胎盤には保存されていないことが判明しており、マウスの研究成果をそのままヒトに当てはめることの危険性を示す重要なテーマとなっています。
- ➤分子の正体 → 母性アレルに沈着するヒストン修飾H3K27me3(PRC2が触媒)が原動力
- ➤エピジェネティック・リレー → 着床後、ヒストン修飾からDNAメチル化(sDMR)へ記憶が変換される
- ➤X染色体との関わり → 母性Xist遺伝子座の抑制を担い、刷り込み型X染色体不活性化を支える
- ➤種差の壁 → ヒトでは保存されず、代わりに胎盤特異的なカノニカルDMRが約150個に拡張
- ➤臨床的含意 → クローン技術(SCNT)の障壁理解と生殖補助医療の安全性評価への示唆
1. ノンカノニカル・インプリンティングとは:第二の刷り込み機構の発見
哺乳類の正常な発生には、父親由来と母親由来の両方のゲノムが不可欠です。1980年代の単親性ダイソミー(uniparental disomy)のマウスモデル研究により、片方の親由来のゲノムだけでは胚は発生を完遂できないことが示され、両親のゲノムには「メンデルの法則に従わない、エピジェネティックな違い」が存在することが決定的に証明されました。これがゲノムインプリンティング(遺伝子刷り込み)の発見です。
1991年、初めての内在性インプリント遺伝子として Igf2、Igf2r、H19 が報告されました。父親由来から発現して胎児の成長を促す Igf2と、母親由来から発現して成長を抑制する Igf2r。この相反する機能の発見は、「親と子のゲノム対立仮説(Parent-offspring conflict)」という進化的説明と結びつき、刷り込みが胎児と母体のあいだの「資源配分の駆け引き」を調停するために進化したという考えが受け入れられていきました。
💡 用語解説:ゲノムインプリンティング(刷り込み)
通常、私たちは父親と母親から1コピーずつ受け継ぐ2つの遺伝子を「両方」発現させます。しかしインプリント遺伝子と呼ばれる特別な遺伝子群は、父由来か母由来かによって発現が決まり、片方だけが働くという独特の挙動を示します。主に胎児の成長と胎盤機能を精密に調整しており、この目印が乱れるとプラダー・ウィリ症候群やアンジェルマン症候群といった重い先天疾患の原因になります。詳しくはゲノムインプリンティングの解説もご覧ください。
それから長きにわたり、この「親の記憶」を伝えるエピジェネティックな媒体は、生殖細胞系列で確立されるDNAメチル化のみであると信じられてきました。これが古典的な「カノニカル・インプリンティング」と呼ばれる機構です。ところが2017年前後から、微量細胞のエピゲノム解析技術が飛躍的に進歩したことで、まったく新しい第二の機構が見えてきました。DNAメチル化にいっさい依存せず、卵母細胞から伝えられるヒストン修飾「H3K27me3」だけで成立する刷り込みの形——これが「ノンカノニカル・インプリンティング(非古典的ゲノムインプリンティング)」です。
この発見は、初期発生・胎盤形成・体細胞核移植(SCNT)によるクローン技術におけるエピジェネティックな障壁の理解に決定的なパラダイムシフトをもたらしました。本ページでは、その分子機構・進化的多様性・臨床的含意までを、最新の知見にもとづいて整理します。
2. カノニカルとノンカノニカル:二つの記憶媒体の対比
ノンカノニカル・インプリンティングを理解するには、まず古典的なカノニカル・インプリンティングがどのように成立しているかを押さえる必要があります。両者は「親の情報を子に伝える」という目的は同じでも、媒体・確立場所・依存酵素・標的領域がまったく異なります。
💡 用語解説:DNAメチル化とヒストン修飾
DNAメチル化とは、DNA上のシトシン(C)にメチル基がついて遺伝子のスイッチをオフにする化学修飾です。一方ヒストン修飾とは、DNAが巻きついているヒストンというタンパク質に化学基が加わり、クロマチン(DNA+ヒストン)の硬さや読まれやすさを変える仕組みです。詳しくはDNAメチル化の解説、ヒストン修飾の解説、ヌクレオソームの解説もご参照ください。
カノニカル・インプリンティング:DNAメチル化が記憶媒体
カノニカルな刷り込みでは、配偶子(卵子と精子)が形成される段階で、生殖系列特異的DNAメチル化領域(gDMR)が確立されます。卵母細胞では、卵特異的な代替プロモーターから転写が進む過程でKDM1B(AOF1)がH3K4のメチル化を除去し、SETD2がH3K36me3を沈着させます。この特殊なクロマチン状態が、de novo(新規)DNAメチル化酵素DNMT3Aと補因子DNMT3Lの複合体をリクルートし、母性ICRに精密なDNAメチル化を導きます。精子側ではNSD1由来のH3K36me2が指標となり、DNMT3A・3L・齧歯類特異的なDNMT3Cが父性インプリントを確立します。
受精後の初期胚ではゲノム全体に大規模な脱メチル化の波が押し寄せますが、生殖系列由来のgDMRはこの消去から守られます。守り手となるのが、ICR配列に結合するKRABジンクフィンガータンパク質ZFP57・ZNF445。これらが標的を認識して、TRIM28(KAP1)・SETDB1・UHRF1・維持メチル化酵素DNMT1を呼び込み、DNA複製のあともメチル化を引き継ぎます。DNAメチル化の維持機構(ヘミメチル化)はこの安定性の根幹を担っています。
ノンカノニカル・インプリンティング:H3K27me3が記憶媒体
これに対してノンカノニカルな刷り込みは、卵母細胞でDNAメチル化酵素を遺伝学的に欠損させても、胎盤での父性アレル特異的な発現にいっさい影響しないという、まったく異なる性質をもっています。記憶媒体はDNAではなく、卵母細胞でポリコーム抑制複合体2(PRC2)が母性アレルに沈着させるヒストンH3リジン27のトリメチル化(H3K27me3)。受精後の着床前胚では、この母性H3K27me3がサイレンシングを担う一方、父性アレルの同じ領域は転写活性マーカーであるH3K4me3を獲得します。この「母性抑圧・父性活性」というアレル間の非対称性が、片アレル性の遺伝子発現を生み出すのです。
💡 用語解説:アレル・gDMR・ICR
アレル(対立遺伝子)とは、父由来と母由来の遺伝子コピーそれぞれを指す用語です。gDMR(生殖系列DMR)は、配偶子の段階ですでに父由来と母由来で異なるDNAメチル化パターンを示す領域。ICR(インプリンティング制御領域)は、近傍の複数の遺伝子の刷り込みを統括する司令塔として働く配列で、その本体はgDMRであることが多いです。
3. 分子機構:ポリコーム複合体とERVのハイジャック
ノンカノニカル・インプリンティングの記憶は、卵母細胞で書き込まれます。その担い手が「ポリコーム群タンパク」と総称される一群のクロマチン修飾因子です。
💡 用語解説:PRC1・PRC2(ポリコーム抑制複合体)
ポリコーム群タンパク(PRC1・PRC2)は、発生期に多くの遺伝子を「オフ」にして細胞のアイデンティティを守るクロマチン抑制装置です。PRC2はEZH2/EED/SUZ12などからなる複合体で、H3K27me3を触媒します。PRC1はH2AK119のユビキチン化(H2AK119ub)を担い、PRC2のリクルートを補助します。ノンカノニカル・インプリンティングでは、卵母細胞中で「転写されていない領域」にPRC2が広く広がってH3K27me3を沈着させます。これがカノニカル・インプリンティング(転写依存性)との根本的な違いです。
このクロマチン修飾の動態は、極めて繊細なバランスの上に成立しています。たとえばヒストン脱ユビキチン化酵素BAP1を卵母細胞で欠損させると、過剰なポリコーム活性によって異所性のH3K27me3ドメインが形成され、正常なエピゲノム状態が破綻することが報告されています。卵母細胞におけるポリコームの活動は、次世代へ伝える設計図を書き込むうえで不可欠なステップなのです。
内在性レトロウイルス(ERV)の進化的ハイジャック
ノンカノニカル・インプリンティングの最大の構造的特徴は、その標的領域の多くが内在性レトロウイルス(ERV、とくにERVK)の長鎖末端反復配列(LTR)と重なっていることです。ゲノムに組み込まれた古代ウイルス由来のこれらの配列は、進化の過程で宿主の遺伝子制御ネットワークに取り込まれ、近傍の発生・胎盤関連遺伝子の代替プロモーターとして機能するようになりました。詳しくはトランスポゾンの解説やLINEの解説もご参照ください。
🧬 代表的な標的遺伝子
- Sfmbt2(胎盤発生)
- Gab1(増殖シグナル)
- Smoc1(胎盤マトリックス)
- Slc38a4(アミノ酸輸送)
- Phf17 / Jade1(クロマチン制御)
- Sall1(腎発生)
- Platr20(lncRNA)
🔑 共通する特徴
- 近傍にERVK由来のLTRを持つ
- LTRが代替プロモーターとして機能
- 母性アレルでH3K27me3が沈着
- 父性アレルでH3K4me3が活性化
- 胎盤などの胚体外組織で発現
- 胚体(胎児本体)ではインプリント消失
4. エピジェネティック・リレー:ヒストンからDNAメチル化へ
ノンカノニカル・インプリンティングには大きな「謎」が一つありました。卵母細胞から受け継いだ母性H3K27me3は、着床前の胚発生が進むにつれてゲノム全体から漸進的に失われていくという事実です。それなのに、胎盤などの胚体外組織では妊娠期間を通じて刷り込みが維持される——いったいどのように記憶が引き継がれているのか?この問いに対する答えこそが、エピジェネティック・リレーと呼ばれる見事なバトンタッチ機構でした。
ヒストンからDNAメチル化へのエピジェネティック・リレー
① 卵母細胞
母性アレル
●●●●●●
H3K27me3(PRC2)
父性アレル
○○○○○○
無修飾
② 着床前胚
母性アレル
●●●○○○
H3K27me3が減衰
父性アレル
▲▲▲▲▲▲
H3K4me3=転写活性
③ 着床後(胎盤)
母性アレル
■■■■■■
DNAメチル化(sDMR)
父性アレル
▶▶▶▶▶▶
転写が活発に進行
母性アレルの抑制シグナルは、H3K27me3(卵母細胞)→ 衰退(着床前胚)→ DNAメチル化(胎盤)へとリレーされ、強固な抑制状態が維持される。
バトンタッチの担い手:EHMT2/G9aによるH3K9メチル化
着床後の発生過程において、栄養外胚葉から分化する胎盤などの胚体外組織では、ノンカノニカル・インプリント対象のLTR上で母性特異的なH3K27me3が消失します。その代わりに、まったく同じ母性アレルに対して新たにDNAメチル化が獲得されるのです。この着床後に獲得されるDNAメチル化領域は「二次的DMR(sDMR)」と呼ばれ、以降の体細胞分裂を通じて安定的に維持されることで胎盤特異的なインプリンティングを永続化させます。
この変換プロセスで中心的な役割を果たすのが、ユークロマチンにおける主要なH3K9ジメチル化酵素であるEHMT2(別名G9a)とGLP複合体。マウス胚でEhmt2をノックアウトすると、母性アレル上のERVKプロモーターからのDNAメチル化が失われ、Gab1やSfmbt2などすべての既知ノンカノニカル・インプリント遺伝子の抑制が解除され、両アレル性に発現することが示されています。すなわち、PRC2(H3K27me3)が初期抑制を確立し、続いてG9a/GLP複合体がH3K9me2を介してDNAメチルトランスフェラーゼを誘導し、最終的にDNAメチル化という強固な鍵をかける——複数のクロマチン修飾系が協調するダイナミックな経路が存在しているのです。
一方、胚体(胎児そのものに分化する細胞群)では、この維持・変換機構は機能せず、該当するLTR領域は両アレル性にDNAメチル化を受けて刷り込みは完全に消失します。これがノンカノニカル・インプリンティングが「胎盤特異的」な現象として観察される本質的な理由です。詳しくは胚盤胞の解説もご参照ください。
5. X染色体不活性化との深い関わり
ノンカノニカル・インプリンティングの発見は、長年の未解明であった「刷り込み型X染色体不活性化(imprinted XCI)」の分子機構をも一気に明らかにしました。詳しくはX染色体不活性化(XCI)の解説もご覧ください。
雌の哺乳類は2本のX染色体(XX)を持つため、雄(XY)との遺伝子量を補償する目的で胚発生の初期段階に一方のX染色体を不活性化します。齧歯類の着床前胚および胎盤などの胚体外組織においては、父性X染色体(Xp)が選択的かつ強制的に不活性化される刷り込み型XCIが起こり、この状態が妊娠期間を通じて維持されます。X染色体の不活性化は、長鎖ノンコーディングRNAであるXistが染色体をシスに覆うことで引き起こされます。詳しくはノンコーディングRNAの解説もご参照ください。
刷り込み型XCIにおいては、父性アレルからのXistのみが発現し、母性アレル上のXistは厳格に抑制されていなければなりません。かつてはこの母性Xistの抑制もDNAメチル化に依存していると考えられていましたが、DNAメチル化欠損モデルでも抑制が維持されたことから、未知の分子マークの存在が示唆されていました。現在では、この母性Xist遺伝子座における抑制記憶こそが、卵母細胞由来のH3K27me3に依存するノンカノニカル・インプリンティングの最も重要な機能の一つであることが証明されています。
⚠️ 雄胚への致命的影響:Eed matKOマウスの教訓
この機構の重要性は、卵母細胞特異的にPRC2の必須コアサブユニットEedを欠損させたマウス(Eed matKO)の解析から如実に示されました。Eedを欠損させた卵子に由来する胚では、Xist遺伝子座の母性H3K27me3ドメインが完全に消失し、母性アレルからも異所性にXistが発現してしまう(バイアレリック発現)のです。RNA蛍光in situハイブリダイゼーションでは、野生型雌胚が1つのXistクラウド・雄胚が0個であるのに対し、Eed matKO胚では雌が2つ・雄が1つのクラウドを形成。追跡可能な372個のX連鎖遺伝子のうち約35%(132遺伝子)がダウンレギュレートされ、X染色体を1本しか持たない雄胚(XY)では母性X染色体の不活性化が致死的な遺伝子発現の欠乏をもたらし、雄胚の選択的な死(male-biased lethality)と産仔の性比の歪みが引き起こされます。
6. ヒトとマウスの種差:マウス知見をそのまま外挿することの危険性
ゲノムインプリンティングは胎盤を持つ哺乳類全般に保存された進化的イノベーションだと長らく考えられてきました。しかし最新の比較エピゲノム解析により、カノニカル・インプリンティングが広く保存されているのに対し、ノンカノニカル・インプリンティングは種間の多様性が極めて大きいことが明らかになっています。とりわけヒトと齧歯類の間には決定的な断絶があります。
| エピジェネティック特性 | マウス・ラット(齧歯類) | ヒト(霊長類) | ウシ・ブタ(有蹄類) |
|---|---|---|---|
| ノンカノニカル・インプリンティングの存在 | 存在する(胎盤で顕著) | 存在しない | 存在しない |
| ZGA後の母性H3K27me3残存 | 残存し、インプリントとして機能 | 消失する | 消失する |
| ERVK-LTRによる代替プロモーター | 広く利用、キメラ転写を駆動 | メチル化され抑制状態 | 不明 |
| 標的遺伝子(SFMBT2等)の発現 | 片アレル性(父性発現) | 両アレル性発現 | — |
| 胎盤特異的gDMRの進化的拡張 | ほとんど存在しない | 約150個の大規模拡張を獲得 | — |
| 卵母細胞での非転写領域DNAメチル化 | 見られない | 見られる | 広範に見られる |
ヒトでの「欠如」と独自の進化戦略
マウスで詳細にマッピングされたH3K27me3依存性のノンカノニカル・インプリンティング機構は、ヒトの胎盤には保存されていません。ヒト胎盤の絨毛組織サンプルや着床前胚を用いてマウスでの標的遺伝子のオーソログ(SMOC1、SFMBT2、JADE1/PHF17、GAB1、SLC38A4)を解析した結果、これらの遺伝子にはsDMRが形成されておらず、ヒト着床前胚でも両アレル性に発現していることが確認されました。マウスのSfmbt2にあるERVK-LTRも、ヒトSFMBT2では存在しないか、両親のアレル両方が完全にメチル化されており機能していません。
一方で、ヒトの胎盤における親由来ゲノム間の進化的対立や発現制御の需要が消失したわけではありません。ヒトは過去9000万年の間に、DNAメチル化に基づくカノニカルなgDMRを独自に劇的に拡張させてこの課題を解決してきました。マウスのゲノム上で普遍的なgDMRが21個特定されているのに対し、ヒトは36個の普遍的gDMRに加え、胎盤組織でのみ特異的に維持される「胎盤特異的カノニカル・インプリンティング領域」を約150個も独自に獲得しています。さらに、カノニカル・インプリントの確立に不可欠なDNMT3Lが、マウスとは異なりヒトの卵母細胞(GV-MII期)では発現していないことも示されており、ヒト固有の確立経路の存在が示唆されています。
💡 用語解説:エピジェネティック砂時計モデル
ヒト・ウシ・ブタ・ラット・マウスの5種を用いた初期胚エピゲノム比較から提案された進化モデルです。卵母細胞や配偶子の段階では各生物種が独自の多様なエピジェネティック状態を持つが、着床前後の初期胚発生期にかけて種間で類似したプロファイルに収束する——形が砂時計に似ていることからこう呼ばれます。この事実は、モデル生物マウスで得られたノンカノニカル・インプリンティングの知見を、ヒトの発生機構や疾患モデルに直接外挿することの危険性を強く警告するものです。
7. 体細胞核移植(SCNT)とクローン技術への決定的影響
ノンカノニカル・インプリンティングの発見が最も即時的かつ実践的なインパクトを与えた分野が、体細胞核移植(SCNT)——いわゆるクローン技術の領域です。詳しくはクローニングの解説もご参照ください。
1996年のクローン羊ドリーの誕生以来、SCNTは全能性獲得とリプログラミングを研究する強力なツールでしたが、その成功率は哺乳類全体で一貫して極めて低く、多くのクローン胚が着床後、特に妊娠中後期に重篤な胎盤の異常を伴って致死となることが知られていました。長年、この主原因はドナー細胞核のDNAメチル化の不完全なリプログラミングだと考えられていましたが、ノンカノニカル・インプリンティングの概念はまったく新しい視座を提供しました。
SCNTでは、ドナー体細胞は正常なカノニカル・インプリンティングを保持しているものの、卵母細胞特有のH3K27me3マークを完全に欠如しています。細胞核を未受精卵に移植するため、ドナーゲノムのDNAメチル化記憶は持ち込めるものの、卵母細胞クロマチンに物理的に沈着していたはずのH3K27me3ベースの刷り込み記憶は構造的に欠落したまま発生がスタートしてしまうのです。
Slc38a4の刷り込み喪失と胎盤過形成
このH3K27me3依存的インプリンティングの欠落により、マウスのクローン胚の胎盤ではXist、Slc38a4、Sfmbt2、Gab1、Smoc1などの本来父性アレルからのみ発現すべき遺伝子の抑制が解除され、両アレルから過剰に発現してしまいます。中でも、妊娠後期のクローン胎盤において観察される最も重篤な形態異常である「胎盤過形成(placental hyperplasia)」の主要原因は、アミノ酸トランスポーター遺伝子Slc38a4の刷り込み喪失と過剰発現であることが特定されました。両アレル性発現により胎盤でのアミノ酸輸送が過剰に促進されると、細胞増殖を統合制御するマスターキナーゼmTORC1シグナルが異常に活性化され、胎盤組織の無秩序な増殖と肥大化を引き起こします。
SCNT胎盤の過形成:IVFとの比較
妊娠中期(E14.5)から後期(E19.5)にかけての胎盤重量。IVF由来の正常胎盤が成長を止めるのに対し、ノンカノニカル・インプリンティング(Slc38a4抑制)が欠落したSCNT胎盤は妊娠後期にかけてmTORC1経路の過剰活性化により約2.8倍の肥大を引き起こす。
妊娠中期(E14.5)
0.112 g
0.207 g
妊娠後期(E19.5)
0.120 g
0.337 g
データソース:Inoue et al., Cell Reports (2022) / Andergassen et al., eLife (2022)
単一遺伝子のレスキューでは産仔率は回復しない
この分子基盤にもとづき、SCNT胚におけるSlc38a4の両アレル性発現を遺伝子工学的に是正するレスキュー実験が行われました。結果、クローン胚の妊娠後期の胎盤過形成は部分的あるいは完全に救済されました。ところが——形態学的な胎盤異常がレスキューされたにもかかわらず、それが直ちに産仔獲得率(生還率)の大幅な向上には結びつかなかったのです。この結果は、クローン胚の発生停止や致死性が単一遺伝子の異常だけに起因するのではなく、ゲノムワイドに広がるトランスクリプトームのディスレギュレーションと、それに伴う広範なDNAメチル化異常の連鎖的なネットワーク破綻に起因していることを物語っています。ノンカノニカル・インプリンティングの喪失は、発生プログラム全体に連鎖的なエラーを波及させる「トリガー」として機能していたのです。
🔍 関連記事:クローニング技術の基礎/体外受精(IVF)について/配偶子形成
8. 臨床との接点・よくある誤解
ノンカノニカル・インプリンティングは、現時点では主にマウスをモデル動物とした基礎研究の段階にあるテーマです。前述のとおりヒトの胎盤には保存されていないため、ヒトの臨床診断や治療への直接的応用は限定的です。しかし、その理解は以下のような複数の臨床接点を持っています。
誤解①「マウスで見つかった刷り込みはヒトにもある」
マウスのSlc38a4やSfmbt2はノンカノニカル・インプリント遺伝子ですが、ヒトの相同遺伝子は両アレル性に発現します。種差の理解なしにマウス知見を外挿することは危険です。
誤解②「PWS・AS・SRSはノンカノニカルの病気」
プラダー・ウィリー症候群・アンジェルマン症候群・シルバー・ラッセル症候群などのインプリンティング異常症はカノニカル(DNAメチル化依存)の異常によるものです。
誤解③「クローン技術はもうすぐ実用化できる」
SCNTの障壁は単一遺伝子の異常ではなく、ゲノムワイドなエピジェネティック・ネットワークの連鎖破綻です。Slc38a4レスキューだけでは産仔率は回復せず、ヒトへの応用には大きな科学的・倫理的課題が残っています。
誤解④「ARTを受けると刷り込み異常が必ず起こる」
生殖補助医療(ART)後にインプリンティング異常症のリスクがわずかに上昇する可能性が議論されていますが、絶対的なリスクは依然として低く、過度な不安は不要です。詳しくは遺伝カウンセリングでご相談ください。
臨床的に押さえておきたい3つのポイント
- ➤インプリンティング異常症の第一選択検査は「DNAメチル化解析」:インプリンティング異常症が疑われる場合、まずメチル化解析を行います。PWS/AS メチル化解析NGS遺伝子検査では複数の発症機序を一度に検出できます。
- ➤片親性ダイソミー(UPD)の検出も重要:同じ親由来の染色体ペアを受け継ぐUPDは、インプリンティング異常症の主要原因の一つ。SNP解析やトリオ解析で診断します。
- ➤家族計画におけるカウンセリングの重要性:インプリンティング異常症は同じ原因でも親の由来によって全く異なる疾患を引き起こします(PWSとASなど)。臨床遺伝専門医による正確な再発リスク評価が必要です。
9. 専門医からのメッセージ
よくある質問(FAQ)
🏥 出生前診断・遺伝カウンセリングについて
ゲノムインプリンティング・インプリンティング異常症・出生前診断についてのご相談は、
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにお気軽にご相談ください。
関連記事
参考文献
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