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JNK(c-Jun N末端キナーゼ)とは?がん・アルツハイマー病を左右する「ストレスキナーゼ」の役割と治療薬開発をやさしく解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

私たちの体をつくる細胞は、紫外線や酸化ストレス、炎症といったさまざまな「ストレス」に絶えずさらされています。そのストレスをいち早く感じ取り、細胞に「増えろ」「守れ」あるいは「死ね」という指令を出す司令塔のひとつがJNK(c-Jun N末端キナーゼ)です。JNKは同じ1つの経路でありながら、状況によって細胞を生かす方向にも殺す方向にも働く、いわば両刃の剣のような分子です。この繊細な調節が乱れると、がん・アルツハイマー病・脂肪肝・肺の線維化・免疫の異常など、まったく異なる病気の引き金になります。本記事では、JNKという分子の正体から、病気との関わり、そして開発が進む治療薬までを、遺伝専門医の視点でやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 ストレス応答・細胞死・創薬
臨床遺伝専門医監修

Q. JNKとは何をする分子ですか?まず結論だけ知りたいです

A. JNKは「ストレス活性化タンパク質キナーゼ」と呼ばれる酵素で、細胞が受けたストレスを感じ取り、標的タンパク質にリン酸をつけて(リン酸化して)指令を伝えます。ヒトにはJNK1・JNK2・JNK3の3種類があり、それぞれ別の遺伝子(MAPK8・MAPK9・MAPK10)からつくられます。細胞を増やす・守る・死なせるという正反対の運命を切り替える調節役で、この調節が乱れるとがん・アルツハイマー病・脂肪肝・肺線維症などにつながります。

  • 3つのタイプ → JNK1・JNK2は全身に、JNK3は主に脳・心臓・精巣にある。役割の分担がある
  • 生と死のスイッチ → 一過性の活性化は「生存」、持続的な活性化は「細胞死」に傾く
  • がんでの二面性 → 状況しだいで「がんを抑える」側にも「がんを進める」側にも働く
  • アルツハイマー病 → 脳型のJNK3がアミロイドβを増やす悪循環の中心にいる
  • 治療薬開発 → パンJNK阻害薬では肝機能異常などが問題となり開発中止。現在は選択性を高めた阻害戦略が研究・開発中

🧬 JNK(c-Jun N末端キナーゼ)の基本情報

項目 内容
名称 c-Jun N末端キナーゼ(c-Jun N-terminal kinase)/別名 ストレス活性化タンパク質キナーゼ(SAPK)
分類 マイトジェン活性化タンパク質キナーゼ(MAPK)ファミリーに属するセリン/スレオニンキナーゼ
3つのタイプと遺伝子 JNK1(MAPK8/10q11.22)・JNK2(MAPK9/5q35)・JNK3(MAPK10/4q21付近)[1][2]
主なはたらき ストレスを感知し、転写因子c-Junをはじめ100種類を超えるタンパク質をリン酸化して、細胞の増殖・生存・死・移動を制御する
活性化のきっかけ 紫外線・酸化ストレス・熱・高浸透圧・DNA損傷などの環境ストレス、TNF-αやIL-1などの炎症性サイトカイン
JNK3の特徴 発現が脳・心臓・精巣などにほぼ限られるため、脳をねらう治療薬の標的として注目[3]
創薬の現状 パンJNK阻害薬では肝機能異常などの有害事象が問題となり開発中止。選択性を高めたJNK阻害薬の臨床開発も行われてきたが、現時点で承認されたJNK阻害薬はない[4][5][10]

各項目の根拠と詳しい解説は、本文の該当セクションをご覧ください。

1. JNKとは何か ─ 細胞のストレスを受け取る「司令塔」

JNKは、c-Jun N-terminal kinase(c-Jun N末端キナーゼ)の頭文字をとった呼び名です。この酵素は、転写因子c-Junというタンパク質のN末端という部分(63番目と73番目のセリン)にリン酸をつける働きから、その名がつきました。JNKは1990年代の初めに、ラットの肝臓で環境ストレスによって強く活性化される酵素として見つかり、当初から「ストレス活性化タンパク質キナーゼ(SAPK)」という別名で呼ばれてきました。

JNKが反応する「ストレス」は多彩です。紫外線、酸化ストレス(活性酸素)、熱、細胞が縮むほどの高い浸透圧、DNAの傷、さらにTNF-αやIL-1といった炎症のシグナルなど、細胞にとって「ただごとではない」状況を幅広く感知します。そして受け取ったストレスに応じて、細胞に増殖・分化・移動・生存、あるいはアポトーシス(計画的な細胞死)という指令を送ります。JNKが標的とするタンパク質は100種類を超えることが分かっており、核の中の転写因子だけでなく、細胞の骨組みをつくるタンパク質や、エネルギー工場であるミトコンドリアに関わるタンパク質まで、細胞のあらゆる場所に及びます。

🔬 用語解説:キナーゼとリン酸化

キナーゼとは、標的のタンパク質に「リン酸」という小さな目印をつける酵素のことです。この目印をつける作業をリン酸化といいます。リン酸がつくと、そのタンパク質はスイッチが入ったり切れたり、形が変わったり、居場所が変わったりします。つまりリン酸化は、細胞の中で情報を伝えるための「合図」です。JNKはこの合図を出す側の酵素で、逆に合図を消す(脱リン酸化する)酵素も存在し、両者のバランスで細胞は動いています。

JNKが伝えるこうした情報の流れは、ショウジョウバエのような昆虫からヒトまで、進化の中でよく保存されてきました。それだけ生命の基本にかかわる仕組みだということです。JNKはシグナル伝達という細胞内の情報網の中で、ストレス応答・自然免疫・獲得免疫が交わる重要な合流点として機能しています。

2. 3つのタイプと遺伝子 ─ JNK1・JNK2・JNK3の分担

ヒトのJNKには3つのタイプがあり、それぞれ別の遺伝子からつくられます。正式な遺伝子名(HGNCシンボル)でいうと、JNK1はMAPK8(10番染色体の10q11.22)、JNK2はMAPK9(5番染色体の5q35)、JNK3はMAPK10(4番染色体の4q21付近)です[1][2]。「JNK」という通称と「MAPK8/9/10」という正式名は同じ分子を指しており、論文や検索結果によって表記が違うのはこのためです。3つの遺伝子はアミノ酸配列の8割以上が共通しており、進化の過程で1つの遺伝子が重複してできたと考えられています。

🔬 用語解説:選択的スプライシング

1つの遺伝子から、部品の組み合わせを変えて何種類ものタンパク質をつくり分ける仕組みを選択的スプライシングといいます。JNKの3つの遺伝子はこの仕組みによって、合わせて10種類ほどの少しずつ違うタンパク質(スプライスバリアント)をつくり出します。大きく分けると分子量46キロダルトンの短いタイプ(p46)と、54キロダルトンの長いタイプ(p54)があり、この違いが後で述べる免疫の細かな制御に関わってきます。

3つのタイプは、体のどこにあるかがはっきり違います。JNK1とJNK2は全身のほとんどの組織にあり、細胞の恒常性の維持や免疫応答に幅広く関わっています。これに対してJNK3は主に脳(中枢神経系)、心臓、精巣、膵臓のβ細胞にほぼ限られて存在します[3]。この「脳にほぼ限られる」という性質は、後で述べるようにアルツハイマー病などの治療薬を考えるうえで大きな意味を持ちます。脳だけをねらえば、全身への影響を抑えられる可能性があるからです。

遺伝子を1つずつ欠損させたマウスの研究から、3つのJNKは一部で互いに役割を補い合いながらも、それぞれ固有の役割も持つことが分かっています。1つだけ欠損したマウスは生きられますが、JNK1とJNK2を両方とも欠損させると、胎児の段階で命を落とします。このことは、発生の過程でJNKのシグナルが欠かせないことを物語っています。

タイプ 遺伝子・染色体 主にある場所 関わる主な病気
JNK1 MAPK8/10q11.22 全身のあらゆる組織 肥満・2型糖尿病・脂肪肝炎(NASH)・肺の線維化
JNK2 MAPK9/5q35 全身のあらゆる組織 T細胞の活性化・動脈硬化・免疫の調節
JNK3 MAPK10/4q21付近 脳・心臓・精巣・膵臓β細胞 アルツハイマー病・虚血による神経細胞死・学習と記憶

3. スイッチが入る仕組み ─ 3段リレーで伝わるシグナル

JNKにスイッチが入るまでには、リン酸化のバトンを次々に渡していく3段リレーのような仕組みがあります。上流から順に、MAP3K(マップスリーケー)→ MAP2K(マップツーケー)→ MAPK(=JNK本体)という3層構造で、ストレスの合図がだんだん増幅されながら伝わっていきます。

JNK活性化の3段リレー

きっかけ紫外線・酸化ストレス・DNA損傷・TNF-α・IL-1 など
① MAP3K(最上流)ASK1・TAK1・MLK など(MAP3K
② MAP2K(中間)MKK4(MAP2K4)・MKK7(MAP2K7)
③ JNK(本体)TPYモチーフの二重リン酸化で完全に活性化

最上流のMAP3Kには、酸化ストレスに反応するASK1、炎症に反応するTAK1、神経系で働くMLKなど、刺激の種類に応じて多くの種類があります。なかでもASK1は酸化ストレス応答の中心です。ふだんはチオレドキシンという抗酸化タンパク質と結びついて眠っていますが、活性酸素がたまるとチオレドキシンが離れ、ASK1が目を覚まします。すると巨大な複合体をつくり、下流を活性化する力が数分のうちに一気に跳ね上がって、シグナルが爆発的に増幅されます。

中間のMAP2KにあたるのがMKK4(正式名MAP2K4)とMKK7(正式名MAP2K7)です。MKK4とMKK7はJNKの決まった場所(Thr-Pro-Tyr、通称TPYモチーフ)をリン酸化し、協調してThrとTyrの両方がリン酸化されることでJNKは強く活性化されます。MKK4はチロシン(Tyr185)を、MKK7はスレオニン(Thr183)を優先してリン酸化するという基質選択性があります[12]。入ってくるストレスの種類によって、JNKの入り口が使い分けられているのです。

ROS・炎症性サイトカインによるJNKシグナル伝達経路と細胞内標的
▲ JNKシグナル伝達経路の全体像。細胞外のストレス(ROS・TNF・IL-1)が3段リレー(MAP3K→MAP2K→JNK)を通じて伝わり、核・細胞骨格・ミトコンドリアという3つの舞台の標的タンパク質を動かす様子を示しています。DUSP/MKPはこの流れにブレーキをかけます。
仲田洋美院長

🩺 院長コラム【MKK4とMKK7は「4と7」という別々の分子です】

患者さんから「MKK4とMKK7って、1つの分子の一部ですか」と聞かれることがあります。じつはこの2つは、それぞれ別の遺伝子(MAP2K4とMAP2K7)からつくられる、独立した2つの酵素です。番号は発見された順につけられた通し番号で、あいだの5番や6番は別のMAPキナーゼに割り当てられています。

名前が似ていて紛らわしいのですが、MKK4とMKK7はそれぞれ異なる刺激に応答しながら協調し、JNKのTPYモチーフにあるThrとTyrの両方をリン酸化することでJNKを強く活性化します。片方だけでもJNKを活性化できる場合がありますが、両者の協調によってより十分な活性化が生じる、というイメージです。

4. ブレーキ役の存在 ─ DUSP/MKPによる止める仕組み

アクセル(リン酸化)があれば、ブレーキ(脱リン酸化)も必要です。JNKにリン酸をつけてスイッチを入れる仕組みと並行して、そのリン酸を外してスイッチを切る仕組みが、活性を厳密に調節しています。このブレーキ役を担うのが、ホスファターゼ(脱リン酸化酵素)の一群です。

🔬 用語解説:DUSPとMKPは同じものの別名です

DUSP(二重特異性ホスファターゼ)は、リン酸を外す酵素の大きなファミリー全体の名前で、DUSP1・DUSP10・DUSP16…と番号がついています。このうち、とくにMAPK(JNKやp38など)を相手にするグループを、機能に注目してMKP(MAPキナーゼホスファターゼ)と呼びます。

つまり「MKPはDUSPの一部」という関係で、同じ酵素が2つの名前を持っています。たとえばDUSP1はMKP-1、DUSP10はMKP-5、DUSP16はMKP-7と呼ばれます。番号のつけ方が2系統あるため数字がずれて見えますが、指しているものは同じです。

これらのブレーキ役は、免疫の暴走を防ぐうえで欠かせません。たとえばDUSP10を欠いたマクロファージ(免疫細胞の一種)は、細菌の成分に対してJNKが過剰に反応し、TNFやIL-6といった炎症物質を大量に出してしまいます。ブレーキが利かないと、必要以上の炎症が起きて組織を傷つけてしまうのです。

さらに巧妙なことに、酸化ストレスがたまると、これらのブレーキ役自身が酸化されて働けなくなります。すると、ブレーキが外れてJNKのシグナルが長く続くようになります。細胞は、強いストレス下ではあえてブレーキを緩めてJNKを働かせ続ける、という仕掛けを備えているわけです。この「持続するかどうか」が、次の章で述べる細胞の生死を分ける鍵になります。

JNKのシグナルの正確さを支えているもう1つの要素が、足場タンパク質(スキャフォールドタンパク質)です。JIP1〜JIP3、WDR62などの足場タンパク質は、3段リレーの部品を物理的に近くに集めて1つの作業台のようにまとめ、他の経路と混線しないようにしながら効率よくリン酸化を進めます。これらの足場は、キネシンなどのモータータンパクの荷物として細胞内を運ばれるため、神経細胞の軸索のような特定の場所へJNKを正確に届ける役割も果たします。なお足場タンパク質のWDR62をつくる遺伝子に生まれつきの変化があると、脳が小さくなる常染色体潜性の小頭症(MCPH2)の原因になることが知られています。JNK経路の部品は、発生の場面でも重要な意味を持っているのです。

5. 何を動かすのか ─ 核・細胞骨格・ミトコンドリア

JNKは、細胞質・核・ミトコンドリア・細胞の骨組みなど、細胞のあらゆる場所にある100種類以上のタンパク質をリン酸化します。ここでは、代表的な3つの舞台を見ていきます。

核の中では、JNKの最も古くから知られた相手であるc-Junを活性化します。c-JunはAP-1という転写因子複合体の一員で、リン酸化されると安定して長持ちし、細胞の増殖や炎症に関わる多くの遺伝子のスイッチを入れます。JNKはまた、がんを抑える見張り役として有名なTP53遺伝子がつくるp53というタンパク質もリン酸化して安定させ、傷ついた細胞を排除する引き金を引きます。

細胞の骨組み(細胞骨格)では、JNKは遺伝子を介さず、直接タンパク質にリン酸をつけて細胞の形や動きをすばやく変えます。細胞のレールである微小管に結びつくタンパク質(MAP1B、Tauなど)をリン酸化して、神経突起の伸び方や安定性を調節します。また、レールの上を荷物を運ぶキネシン(荷物を運ぶダイニンと対になるモーター)を直接リン酸化して、運んでいた細胞死を促す荷物を切り離させ、アポトーシスの引き金にすることもあります。焦点接着というくっつきの調節に関わるFAK(焦点接着キナーゼ)とも連携し、細胞の移動を制御します。

エネルギー工場であるミトコンドリアでは、JNKは細胞死の実行に直接関わります。細胞死を抑える側のタンパク質(Bcl-2など)を働けなくし、細胞死を促す側(Bax、Bimなど)を活性化させて、ミトコンドリアから細胞死の合図が漏れ出すのを後押しします。またBcl-2をリン酸化することで、細胞が自分の一部を分解して再利用するオートファジーの開始も促します。さらにJNKは、ミトコンドリアを分裂させる主役タンパク質Drp1をリン酸化(616番目のセリン)して、ミトコンドリアを過剰にちぎれさせます。この過剰な分裂はエネルギー不足と活性酸素の増加を招き、神経の病気や心不全、細胞死へとつながる、病気の観点でとても重要な仕組みです。

6. 生きるか死ぬか ─ 「一過性」か「持続的」かで運命が変わる

JNKの最も不思議な性質は、まったく同じ経路が、細胞に「生きろ」とも「死ね」とも伝えられることです。その分かれ目になるのが、シグナルが短く終わる(一過性)のか、長く続く(持続的)のか、という時間の違いです。

成長因子などによる短時間のJNK活性化は、主に細胞の増殖や生存を後押しします。ひとまず危機を乗り越えるための、前向きな反応です。これに対して、DNAの重い傷や強い酸化ストレスによってJNKの活性化が長く続くと、後戻りできないアポトーシス(細胞死)が誘導されます。この違いは、前の章で述べたブレーキ役(DUSP/MKP)がどれだけ強く働くか、そしてp53などの動きによって生み出されます。1つの経路が、時間のパターンを変えることで正反対の指令を出し分けている──ここにJNKという分子の奥深さがあります。

この「時間で運命が変わる」という性質は、なぜ同じJNKを標的にした薬が、ある病気ではがんを抑え、別の場面ではかえって細胞を守ってしまうのか、という創薬の難しさを説明する鍵でもあります。JNKを一律に止めればよい、という単純な話にはならないのです。

7. がんとの二面性 ─ 抑える側にも進める側にも

がんにおけるJNKの役割は、とても複雑です。組織の状況やがんの進み具合に応じて、がんを抑える側(腫瘍抑制にも、がんを進める側(がん遺伝子的な働きにも回る、相反する二面性を示します。

がんができ始める初期の段階や、強いDNA損傷を受けたときには、JNKはp53やミトコンドリア経路を介してアポトーシスを強く誘導し、異常な細胞を取り除く見張り役として働きます。ところが、いったんがんが成立して、酸素が乏しく炎症のくすぶる過酷な環境(腫瘍微小環境)ができあがると、JNKは一転してがんの味方になります。傷んだ細胞小器官を片づけて生き延びるためのオートファジーを促したり、がん幹細胞を維持したり、周りの組織を溶かして上皮間葉転換(EMT)を起こしたりして、がんの浸潤・転移を後押しするのです。

JNKはまた、細胞の老化(細胞老化)の調節にも関わります。がん細胞では、一方で老化を誘導してがんを抑える働きを示しながら、他方では老化から逃れて生き延びる働きも見せる、という二面性がここでも現れます。この複雑さゆえに、JNKをどう扱えば安全にがん治療へ応用できるかは、今も研究が続いている難しいテーマです。

8. アルツハイマー病 ─ 脳型JNK3が回す悪循環

脳に多くあるJNK3は、アルツハイマー病をはじめとする神経変性疾患の病態の中心にいると考えられています。アルツハイマー病で亡くなった方の脳(前頭葉)や脳脊髄液を調べると、JNK3の量やリン酸化のレベルが健康な人より有意に高く、その高さがアミロイドβのたまり具合や、認知機能が落ちていく速さと関係していることが報告されています[6]

問題は、JNK3が悪循環の輪の中にいることです。アルツハイマー病の原因物質である可溶性のアミロイドβが神経細胞にふれると、細胞の中でストレスが生じてJNK3が強く活性化します。活性化したJNK3は、アミロイドβのもとになるタンパク質(APP、アミロイド前駆体タンパク質)の668番目のスレオニン(Thr668)にリン酸をつけます。このリン酸化が引き金となって、APPがアミロイドβを生み出しやすい場所へ運ばれ、その結果さらにアミロイドβが増える──という悪質なループが回り始めるのです[7]

この悪循環の中心がJNK3であることは、動物実験で鮮やかに示されました。家族性アルツハイマー病のモデルマウスからJNK3の遺伝子を取り除くと、アミロイドβのたまり(プラーク)が9割以上も減り、神経細胞の数が増え、認知機能が大きく改善したのです[7]。同じ研究では、JNK3の活性が家族性アルツハイマー病モデルで約35%増えていることも示されています[7]。さらにJNK3は、アルツハイマー病のもう1つの特徴である神経原線維変化の主成分、タウタンパク質を強くリン酸化する酵素の1つでもあり、前の章で述べたミトコンドリアの過剰分裂(Drp1のリン酸化)を通じて神経細胞を死なせる方向にも働きます。

脳にほぼ限られて存在するというJNK3の性質は、ここで大きな意味を持ちます。もしJNK3だけを、しかも脳の中でねらって抑えることができれば、全身への影響を最小限にしながら、アミロイドβとタウ、そして神経細胞死というアルツハイマー病の複数の特徴に同時に働きかけられる可能性があるからです。これが、後で述べるJNK3選択的阻害薬への大きな期待につながっています。

9. 代謝・線維化・免疫 ─ JNK1とJNK2の受け持ち

全身にあるJNK1とJNK2は、代謝や線維化、免疫の場面でそれぞれ持ち場を持っています。

代謝の分野では、JNK1が主役です。高脂肪食や肥満によって増える遊離脂肪酸やTNF-αは、JNK1を慢性的に活性化させます。活性化したJNK1は、インスリンの信号を細胞内に伝える中継役であるIRS-1というタンパク質の307番目のセリンにリン酸をつけ、インスリンの信号を強力に妨げます。これがインスリン抵抗性、ひいては2型糖尿病を引き起こす重要な仕組みであることが、JNK1を欠損させたマウスの研究などから明らかにされてきました[8]

肝臓や肺の線維化でも、JNK1が中心的な役割を担います。肝臓では、脂肪肝から進行する脂肪肝炎(NASH/MASH)の進展をJNK1が直接後押しします。肺では、特発性肺線維症(IPF)において、JNK経路の活性化が上皮間葉転換やコラーゲンの分泌を促し、後戻りできない肺機能の低下を招くことが示されています。これらの知見が、次章で述べるJNK1をねらった治療薬開発の科学的な土台になっています。

免疫では、JNK2のきめ細かな使い分けが特筆されます。T細胞が抗原の刺激を受けると、CARMA1・Bcl10・MALT1という3つのタンパク質が集まって大きな複合体(L-CBM複合体)をつくります。おどろくべきことに、この複合体は数あるJNKの中から「JNK2の長いタイプ(p54)」だけを選んで強く活性化し、JNK1の短いタイプ(p46)には手を出しません。この選び分けが、T細胞が役割の異なる細胞へ分かれていく運命を左右します。JNKのシグナルが乱れると、免疫不全や自己免疫疾患、一部のリンパ腫の発症につながることが知られています。免疫の場面では、JNKはNF-κBシグナル経路と並んで働く重要な柱の1つです。

10. 治療薬開発と臨床 ─ 「全部止める」から「選んで止める」へ

JNKが多くの病気に関わることから、過去20年あまりの間に多数のJNK阻害薬が開発され、臨床試験に進んできました。しかしその道のりは、副作用という大きな壁との戦いでもありました。

初期に開発されたのは、JNK1・JNK2・JNK3のすべてをまとめて止める「パンJNK阻害薬」でした。代表格のタンジセルチブ(CC-930)は、特発性肺線維症などを対象に臨床開発が進められましたが、高用量群でALT・ASTなど肝トランスアミナーゼの上昇を含む有害事象が認められ、ベネフィット・リスクの観点から試験継続が支持されず、開発は中止されました[9]。JNKは正常な組織でも多様な生理機能を担うため、複数のJNKアイソフォームを広く長期間抑えることの難しさが浮き彫りになりました。

この失敗を受けて、創薬の方向性は「タイプを絞って選んで止める(アイソフォーム選択性)」へと大きく舵を切りました。線維化ではJNK1が主役だという生物学的な知見にもとづき、JNK2よりもJNK1を強く抑えるように設計されたのがCC-90001です。この薬は細胞モデルでJNK2に対して約12.9倍JNK1を強く抑える性質を持ち[4]、体の中では主にグルクロン酸抱合という穏やかな経路で代謝されるため、肝機能が低下した人を対象にした第I相試験でも良好な安全性を示しました[5]。特発性肺線維症を対象とした第II相試験では、肺活量の低下がプラセボ(偽薬)に比べて数値のうえで抑えられる傾向が示され、おおむね良好な忍容性が確認されています[10]。ただしこの試験は、企業の戦略的判断により予定より早く終了しており、有効性の最終的な結論を出すには規模が十分ではなかった点には注意が必要です[10]

アルツハイマー病などの神経変性疾患には、脳に限って存在するJNK3だけをねらうアプローチが有望視されています。近年合成された新しいタイプのJNK3選択的阻害薬は、脳への移行性が高く、アルツハイマー病のモデルマウスでタウのリン酸化を減らし、認知機能を回復させたと報告されています[11]。まだ前臨床(動物実験など)の段階ですが、脳だけをねらうことで全身への影響を避けられる可能性が期待されています。

次世代のアプローチ

酵素の働きを一時的に抑える従来の薬に加え、JNKのタンパク質そのものを分解してしまう新技術(PROTAC)や、JNKの基質がくっつく場所だけをふさぐペプチド、特定のタイプの発現を抑えるマイクロRNAなど、新しい発想の治療戦略の研究も進んでいます。共通する考え方は、JNKを「完全に遮断する」のではなく、病気にかかわる異常なシグナルだけを精密に「つくり直す」方向です。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「効かなかった」ことが教えてくれること】

JNKを広く止める薬の開発で肝機能異常などの有害事象が問題になった、と聞くと「失敗の歴史」に思えるかもしれません。けれど私は、この挫折こそがJNKという分子の大切さを逆説的に証明したのだと考えています。広く阻害したときに正常な組織への影響が問題になることは、JNKが病的なシグナルだけでなく正常な生理機能にも関わっていることを示しています。

医学の進歩は、うまくいったことだけでなく、うまくいかなかったことからも生まれます。JNKの創薬が「全部止める」から「選んで止める」へと進んできた道のりは、体の仕組みへの理解が深まるほど、薬はより繊細に、より安全になっていける、という希望の物語でもあります。ここに挙げた薬はいずれも研究・開発の段階のもので、確立した治療法ではありませんが、こうした地道な積み重ねが、いつか難しい病気の突破口を開くと信じています。

JNKと遺伝診療のつながり

JNKそのものは、日々の遺伝子検査で直接調べる項目ではなく、細胞のふるまいを支える基礎的な分子です。ただし、遺伝診療との接点がないわけではありません。JNK3が深く関わるアルツハイマー病については、当院ではアルツハイマー・認知症のNGS遺伝子パネル検査や、若くして発症する早発性家族性アルツハイマー病のNGS遺伝子検査をご用意しています。これらの検査で調べるのはJNK3そのものではなく、APPやプレセニリンといった発症に直接かかわる原因遺伝子ですが、JNK3はその下流で病態を進める分子として位置づけられます。

また、JNK経路の足場タンパク質WDR62に生まれつきの変化があると、小頭症という発生の病気につながることが知られており、この場合は常染色体潜性(劣性)遺伝という遺伝の仕方をとります。こうした遺伝性疾患が気になる場合、どの検査が向いているか、結果をどう受け止めればよいかについては、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングで、中立の立場から整理するお手伝いができます。検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人です。

🏥 遺伝性疾患の遺伝子検査・遺伝カウンセリングのご相談

神経変性疾患・発生の病気などに関する
遺伝子検査と遺伝カウンセリングは
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにご相談ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. JNKとは何をする分子ですか?

JNK(c-Jun N末端キナーゼ)は、細胞が受けた紫外線・酸化ストレス・炎症などの「ストレス」を感じ取り、標的タンパク質にリン酸をつけて指令を伝える酵素です。ストレス活性化タンパク質キナーゼ(SAPK)とも呼ばれます。細胞を増やす・守る・死なせるという正反対の運命を切り替える調節役で、この調節が乱れるとがん・アルツハイマー病・脂肪肝・肺線維症など多くの病気につながります。

Q2. JNK1・JNK2・JNK3はどう違うのですか?

3つはそれぞれ別の遺伝子(MAPK8・MAPK9・MAPK10)からつくられます。JNK1とJNK2は全身のほとんどの組織にあり、代謝や免疫に幅広く関わります。JNK3は主に脳・心臓・精巣などにほぼ限られて存在し、神経の病気に深く関わります。役割に分担があり、たとえば代謝や線維化ではJNK1が、脳の病気ではJNK3が中心的な役割を果たします。

Q3. なぜ同じJNKが「生かす」ことも「殺す」こともできるのですか?

シグナルが「短く終わるか(一過性)」「長く続くか(持続的)」という時間のパターンが鍵です。短時間の活性化は主に細胞の増殖や生存を後押しし、DNA損傷や強い酸化ストレスによる持続的な活性化は後戻りできない細胞死(アポトーシス)を誘導します。この違いは、リン酸を外すブレーキ役(DUSP/MKP)の強さやp53の動きによって生み出されます。

Q4. JNKはアルツハイマー病とどう関わりますか?

脳に多いJNK3が、アミロイドβを増やす悪循環の中心にいます。アミロイドβが神経細胞にふれるとJNK3が活性化し、アミロイドβのもとになるタンパク質(APP)をリン酸化して、さらにアミロイドβを増やします。動物実験では、家族性アルツハイマー病モデルマウスからJNK3を取り除くと、アミロイドβのたまりが9割以上減り、認知機能が改善したと報告されています。ただしこれは動物実験の結果で、ヒトの治療法として確立したものではありません。

Q5. JNKを止める薬はもうあるのですか?

現時点で、ヒトの治療として確立したJNK阻害薬はありません。3つのタイプをすべて止める「パンJNK阻害薬」は、肝障害のため開発が中止されました。現在は、タイプを絞って止める選択的阻害薬(線維化に対するJNK1選択薬など)が臨床試験の段階にあり、アルツハイマー病に対するJNK3選択薬は動物実験の段階です。いずれも研究・開発中のもので、確立した治療法ではありません。

Q6. なぜ全部のJNKを止める薬は副作用が出たのですか?

JNKは全身の細胞の生存や正常な免疫に欠かせない分子だからです。複数のJNKアイソフォームを広く長期間阻害すると正常な組織にも影響が及ぶ可能性があります。代表的なタンジセルチブでは、高用量群で肝トランスアミナーゼ上昇などの有害事象が認められ、ベネフィット・リスクの観点から開発が中止されました。この経験も踏まえ、必要なアイソフォームや病的シグナルをより選択的に抑える方向で研究が進められています。

Q7. MKK4とMKK7は同じ分子の一部ですか?

いいえ、別々の分子です。MKK4(正式名MAP2K4)とMKK7(正式名MAP2K7)は、それぞれ独立した遺伝子からつくられる2つの酵素で、どちらもJNKにリン酸をつけてスイッチを入れます。「4」と「7」は発見順の通し番号で、間の番号は別のMAPキナーゼに割り当てられています。両方そろって初めてJNKが完全に活性化するという、二重の安全装置の関係にあります。

Q8. JNKは遺伝子検査で調べられますか?

JNKそのものは、通常の遺伝子検査で直接調べる項目ではありません。JNKは細胞のふるまいを支える基礎的な分子で、病気の原因を調べる検査では、その上流や下流にある原因遺伝子(アルツハイマー病ならAPPやプレセニリン、小頭症ならWDR62など)を調べるのが一般的です。どの検査が向いているかは、症状やご家族歴によって変わりますので、臨床遺伝専門医にご相談ください。

参考文献

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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