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上皮間葉転換(EMT)とは?がんの転移・臓器の線維化から最新の治療標的まで

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

かたく整列していた上皮細胞が、まるで殻を脱ぐように動ける「間葉系細胞」の性質を獲得する——この現象が上皮間葉転換(EMT)です。発生途中の体づくりから、臓器の線維化、そしてがんの転移や抗がん剤への耐性まで、EMTは健康と病気の両方で中心的な役割を果たします。近年は「白か黒か」ではなく途中の状態を行き来する細胞の可塑性(やわらかさ)として理解が一新され、EMTそのものを止める新しい薬も登場しています。本記事では基礎から最新の治療開発までを、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 細胞可塑性・がん転移・治療標的
臨床遺伝専門医監修

Q. 上皮間葉転換(EMT)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. 動かない「上皮細胞」が、細胞どうしの接着をほどいて、自由に動ける「間葉系細胞」の性質を獲得する現象です。体づくり(発生)では正常な過程として使われますが、臓器では線維化を、がんでは浸潤・転移・抗がん剤への耐性を引き起こします。逆向きの変化(MET)もあり、両者を行き来する「細胞の可塑性」が転移を成立させます。

  • EMTの正体 → 細胞間接着と上皮の極性を失い、運動能・浸潤能・アポトーシス抵抗性を獲得する
  • 3つのタイプ → ①発生・着床(タイプ1)②線維化・組織再生(タイプ2)③がん転移(タイプ3)
  • 転移のカギ → 接着と運動能を併せ持つ「ハイブリッドE/M」が集団で移動し、生存率を高める
  • 薬剤耐性との関係 → がん幹細胞性・ABCトランスポーター・DNA修復強化で多剤耐性の源になる
  • 遺伝医療との接点 → E-カドヘリンの遺伝子CDH1の生殖細胞系列変異は遺伝性びまん性胃がんの原因

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1. 上皮間葉転換(EMT)とは:細胞が「動ける形」に変わるしくみ

私たちの体の表面や臓器の内張りをつくっている「上皮細胞」は、基底膜という土台の上に並び、となりの細胞としっかり手をつなぎ、上下(頂端と基底)の向きをきちんと保っています。この整然とした上皮細胞が、複数の生化学的・構造的な変化を経て、バラバラに動ける「間葉系細胞」の性質を獲得する現象が上皮間葉転換(EMT)です[1]。EMTが進むと、細胞は運動能と浸潤能が大きく高まり、アポトーシス(プログラム細胞死)に抵抗し、細胞外マトリックスを作る能力も増します[2]。

💡 用語解説:上皮細胞と間葉系細胞

上皮細胞は、皮膚や消化管・乳腺・腎臓の尿細管などをつくる「タイル張りのように並んだ細胞」です。となりどうしが強く接着し、その場にとどまります。一方間葉系細胞は、線維芽細胞のように組織のあいだを自由に動き回れる「ばらけた細胞」です。EMTは、この「並んでとどまる細胞」を「ばらけて動く細胞」へと作り変える、いわば細胞のキャラクター転換だとイメージすると分かりやすいです。

具体的には、細胞はタイト結合・アドヘレンス結合・デスモソーム・ギャップ結合といった細胞間接着を解体し、同時にCrumbs・PAR・Scribbleといった「上下の向きを決める極性複合体」が崩れて頂端-基底極性を失います[2]。細胞骨格も組み替えられ、葉状仮足(ラメリポディア)・糸状仮足(フィロポディア)・浸潤突起(インバドポディア)が形成され、細胞外マトリックスを分解する酵素マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)の発現も誘導されます。最終的に基底膜が分解され、上皮の層を離れて動ける細胞が生まれます。細胞骨格の主役であるアクチンの再編についてはアクチンフィラメントの解説もご参照ください。

EMTを見分ける「目印(バイオマーカー)」

EMTの進行は、細胞が出すタンパク質の変化で追えます。典型的には、上皮の目印であるE-カドヘリン(CDH1)が低下し、間葉系の目印であるN-カドヘリン・ビメンチン・線維芽細胞特異的タンパク質1(FSP1/S100A4)・フィブロネクチン・平滑筋アクチン(α-SMA)が上昇します[4]。ただし、これらの目印は万能ではありません。たとえばビメンチンは成体の上皮細胞もストレスで一時的に発現するため、成体の線維症をEMTと判定するマーカーとしては論争があり、FSP1も間葉系細胞が出現した後から発現するため初期発生の指標には限界があります[4]。目印ひとつでEMTと断定できない、という慎重さが重要です。

2. EMTの3つのタイプ:体づくり・線維化・がん

EMTは一つの固定された現象ではなく、起こる場面によって性質が大きく異なります。生理的・病理的な文脈にもとづいて、大きく3つのタイプに分類されます[5]。同じ「上皮から間葉へ」という分子プログラムでも、体づくりに使われるのか、傷の修復に使われるのか、がんに乗っ取られるのかで、体への意味はまったく変わります。

EMTは「白か黒か」ではなく連続したスペクトラム 上皮細胞(E) 接着が強い・動かない E-カドヘリン 高 ハイブリッドE/M 接着+運動能を両立 最も悪性度が高い状態 間葉系細胞(M) 自由に動く・浸潤 ビメンチン 高 EMT(上皮 → 間葉) MET(間葉 → 上皮):転移先でふたたび上皮に戻り、増殖する 細胞はこのスペクトラムを行き来できる(細胞可塑性)。中間状態ほど治療が効きにくい。

上皮(E)→ ハイブリッドE/M → 間葉(M)へ進むのがEMT、逆向きに戻るのがMET。両者を往復できる「細胞可塑性」が、がんの遠隔転移を可能にする。

タイプ 主な場面 特徴と体への影響
タイプ1 着床・胚発生・器官形成 正常な発生のために高度に制御される。生じた間葉細胞は後にMETで二次上皮を作る。線維化や転移は起こさない。
タイプ2 創傷治癒・組織再生・臓器線維化 損傷や慢性炎症で活性化。一過性なら修復を助けるが、持続するとコラーゲン沈着・臓器不全(腎・肝・肺の線維症)を招く。
タイプ3 がんの進行・転移・がん幹細胞 遺伝子変異を蓄積したがん細胞で発生。浸潤・血管内侵入・遠隔転移を駆動し、がん幹細胞性と深く関連する。

この3分類に加えて、血管の内張りである内皮細胞が同様の変化を起こす内皮間葉転換(EndoMT)も重要なサブカテゴリーです。EndoMTは心臓の発生(タイプ1)、僧帽弁の病変や移植後の血管障害(タイプ2)、腫瘍血管新生(タイプ3)と、3つのカテゴリーすべてで観察される普遍的なしくみです。なお国際的な用語の標準化では、この内皮型は「EndoMT」と表記することが推奨されています[14]。

3. タイプ2 EMTと臓器の線維化:定説をくつがえした系統追跡

タイプ2 EMTは、線維化の研究で最も激しい論争が起きた領域です。かつては、腎臓・肺・肝臓の線維化組織にたまるコラーゲン産生細胞(筋線維芽細胞)のかなりの割合が、上皮細胞の直接的なEMTに由来する、という強い仮説がありました。初期の研究では、線維化した腎臓や肝臓のFSP1陽性線維芽細胞の3分の1以上がEMT由来だと報告されていました[6]。

💡 用語解説:系統追跡(Lineage Tracing)

ある細胞に「消えない目印」を遺伝的につけて、その細胞が将来どんな細胞に変わるかを体内で追いかける実験手法です。たとえば腎臓の上皮細胞だけに目印をつけておけば、線維化したときにコラーゲンを作る細胞がその上皮に由来するのかどうかを、後から確実に判定できます。「見た目が似ている」だけでは出自を取り違えるため、本当の起源を確かめる決定的な証拠になります。

ところが、その後の厳密な系統追跡によって、この「直接転換仮説」は根本からくつがえりました[6]。腎臓では、後腎間葉由来の上皮を標識するSix2-creと、尿管芽由来の集合管上皮を標識するHoxB7-creで全上皮細胞を標識して運命を追ったところ、腎上皮細胞が直接、間質の筋線維芽細胞に変化する証拠はまったく得られず、代わりに間質のペリサイト(周皮細胞)が主要な前駆体であることが示されました[7]。肝臓でも、初期にβ-ガラクトシダーゼ染色の技術的限界による偽陽性が指摘され、胆管上皮細胞の系統追跡でも、細胞が完全な間葉系細胞へ転換する明確な証拠は得られませんでした[6]。

現在では、線維化におけるタイプ2 EMTの役割は再定義されています。上皮細胞は完全な間葉系細胞へ転換して自らコラーゲンを作るのではなく、「部分的なEMT(pEMT)」の状態にとどまり、サイトカインや成長因子を分泌して、まわりの線維芽細胞やペリサイトを活性化します[8]。つまり、上皮細胞は自らが線維をつくる職人ではなく、異常な「上皮-線維芽細胞クロストーク」を生み出して線維化に有利な環境(プロ線維化微小環境)を組み立てる「指揮者」として働く、という理解に変わってきました。

4. タイプ3 EMTとがんの転移:ハイブリッドE/Mと細胞可塑性

がんにおけるEMT(タイプ3)は、単なる「移動手段」ではなく、浸潤・血管内侵入・血中循環・血管外への脱出・遠隔臓器でのコロニー形成という転移カスケード全体を支配するマスタープログラムです[9]。かつてEMTは、完全な上皮(E)から完全な間葉(M)への「一方通行で白黒つく」過程だと考えられていました。しかし単一細胞解析や生体イメージングの進歩により、がん細胞は「ハイブリッド上皮/間葉(Hybrid E/M)」という中間状態を経由し、極めて高い細胞可塑性を示すことが分かってきました[9]。

💡 用語解説:ハイブリッドE/M(パーシャルEMT)

上皮の「接着力(E-カドヘリンの一部を残す)」と、間葉系の「動く力(ビメンチンやN-カドヘリン)」を同時に持つ中間状態です。完全にバラバラになるのではなく、細胞どうしがくっついたまま「集団的遊走(クラスターでの移動)」ができます。血流に乗るときも、かたまりでいることでアノイキス(足場を失ったときの細胞死)や血流のせん断応力、免疫からの攻撃に対する盾になります。完全な間葉系よりも、この中間状態のほうが腫瘍を作る力(造腫瘍能)が高く、がん幹細胞に近い性質を持ちます。

臨床的な裏づけもあります。乳がんなどの検体では、腫瘍細胞全体のわずか2%がハイブリッドE/M状態にあるだけで、全生存期間(OS)や無病生存期間(DFS)の著しい悪化と強く相関すると報告されています[9]。ホルモン受容体陽性・HER2陽性・トリプルネガティブのいずれのサブタイプでもこの中間状態の細胞が確認され、腫瘍内の不均一性(同じ腫瘍の中に性質の違う細胞が混在すること)の主要な要因になっています。

転移を完成させる「MET(逆向きの変化)」の必要性

EMTのもう一つの重要な性質は「可逆性」です[10]。遠隔臓器にたどり着いたがん細胞は、そこで増殖して目に見える転移巣をつくるために、再び上皮の性質を取り戻す必要があります。この逆向きの変化が間葉上皮転換(MET)です。原発巣でEMTを起こして旅立ち、転移先でMETを起こして根を下ろす——この可塑的な往復こそが、がんの遠隔転移を成立させる絶対条件です[10]。

💡 用語解説:間葉上皮転換(MET)

EMTのちょうど逆で、動ける間葉系の細胞がふたたび上皮の性質(E-カドヘリンやβ-カテニンの回復)を取り戻す変化です。転移してきたがん細胞は、このMETによって元の腫瘍とよく似た組織像を再現し、その場に定着して増えていきます。「旅立つときのEMT」と「定着するときのMET」がセットになって、はじめて遠隔転移が完成します。

5. EMTを動かす転写因子とシグナル経路

EMTは、多数の標的遺伝子にじかに結合して発現を切り替える「マスター制御因子(EMT転写因子, EMT-TFs)」のネットワークが指揮しています[11]。代表的なのが、E-カドヘリンの遺伝子CDH1のプロモーターに結合して発現を抑え込むSnail(SNAI1)/Slug(SNAI2)です。これらは互いに協調し、共通の上流シグナルを共有します。

転写因子ファミリー 代表メンバー 働き
Snail SNAI1(Snail)/ SNAI2(Slug) CDH1プロモーターに直接結合してE-カドヘリンを抑制。核内蓄積は乳がん・肝細胞がんの転移性と強く関連。
Twist TWIST1 / TWIST2 bHLH型。SNAI2の発現を誘導。翻訳後修飾で結合相手やDNA親和性が変化し、BMI1と協調する。
ZEB ZEB1 / ZEB2(SIP1) miR-200ファミリーと負のフィードバックを形成。ハイブリッドE/MではSnailとよく共発現する。
TCF/LEF LEF-1 核内で安定化したβ-カテニンと複合体を作り、E-カドヘリンの抑制を通じてEMTを誘導する。

これらの転写因子は、単一の受容体ではなく、TGF-β・Wnt/β-カテニン・Notch・Hedgehogといった複数のシグナル経路の高度なクロストーク(相互作用)によって動かされます[3]。なかでもTGF-βシグナルはEMTを誘導する最も強力な経路で、Smad2/3を介してSnail・ZEB・Twistを直接誘導します。一方で同じファミリーのBMP7は逆にEMTを打ち消す働きを持つなど、経路の中にもアクセルとブレーキが共存しています[3]。腫瘍の低酸素状態ではNotchがHIF-1α・LOXを介してSnailを安定化させ、抗アポトーシス遺伝子サバイビンを誘導して細胞の生存も後押しします。

EMTを駆動する4経路の収束機構 TGF-β Wnt/β-カテニン Notch Hedgehog EMT転写因子 Snail / ZEB / Twist 抑制 E-カドヘリン(CDH1)↓ 細胞間接着の喪失 EMT(浸潤・転移能の獲得)

微小環境からの多様な刺激(TGF-β・Wnt・Notch・Hedgehog)は、最終的にSnail・ZEB・Twistへと収束し、E-カドヘリンの抑制を通じてEMTを決定づける。各経路は互いに交差しながら働く。

6. EMTと薬剤耐性・がん幹細胞:再発の根っこ

がんの再発と転移が予後不良の主因である背景には、抗がん剤に強い抵抗性を持つがん幹細胞(CSC)の生き残りがあります。近年、EMTプログラムの活性化が、単に運動能を与えるだけでなく、このCSC性の獲得と多面的な薬剤耐性(多剤耐性, MDR)を直接引き起こすことが示されています[12]。

💡 用語解説:がん幹細胞(CSC)

腫瘍の中にわずかに存在し、自分自身を複製しながら多様ながん細胞を生み出す「種」のような細胞です。ふつうの抗がん剤は、活発に分裂しているがん細胞をよく殺しますが、CSCは休眠したり防御機構を備えたりして治療を生き延びやすい性質があります。EMTを起こした細胞はこのCSCに近い性質を獲得するため、いったん治療で小さくなった腫瘍が、CSCを起点にふたたび大きくなる(再発する)ことがあります。

EMTを起こした細胞やCSCは、治療を生き延びるために複数の防御を展開します[12]。第一に、細胞膜のABCトランスポーターを増やして抗がん剤を物理的に細胞外へ汲み出します。第二に、サバイビンやBcl-2ファミリー、細胞死阻害タンパク質(IAPs)などの抗アポトーシス因子を増やし、ミトコンドリア経由の細胞死を遮断します。第三に、DNA損傷修復を強化し、抗がん剤がつけた傷を素早く直します(チェックポイントキナーゼCHK1の阻害でこの耐性を解除できることが報告されています)。さらに、アルデヒド脱水素酵素(ALDH)の活性亢進もCSCの耐性に直接関与します。CSCはエクソソームを介して周囲の細胞にもEMTを広げ、微小環境ごと耐性化させるため、単一の抗CSC療法だけでは根絶が難しいのが現状です。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「転移」と「薬剤耐性」という、がん診療の二大難敵】

がん薬物療法を専門に診療してきた立場から申し上げると、進行がんの診療で最後まで私たちを苦しめるのは、目の前の腫瘍を小さくすることそのものよりも、「離れた臓器へ広がること(転移)」と「効いていた薬が効かなくなること(薬剤耐性)」の二つです。最初はよく効いていた薬が、数か月後には通用しなくなる——その経験を、何度も患者さんと共有してきました。

EMTという考え方が魅力的なのは、この二つの難敵を「細胞のやわらかさ(可塑性)」という一本の糸で説明し、しかもその糸を断ち切る薬の開発につながっている点です。転移と耐性を別々の問題として追いかけるのではなく、その共通の根っこに介入する——成人がん治療の現場にいる者として、この発想の転換には大きな手応えを感じています。

7. EMTを標的とする最新の治療開発

従来の抗がん剤が「急いで分裂している細胞」を無差別に攻撃するのに対し、EMTやCSCを狙う新しいアプローチは、再発・転移・治療抵抗性の根源を断つことを目指します。EMTを駆動する主要経路を遮断する薬剤が、前臨床・臨床試験で有望な結果を示しています。

開発中の薬剤 標的 作用機序と対象
NP137 Netrin-1 / UNC5B受容体 Netrin-1を中和し、腫瘍内のEMT進行を直接停止。化学療法への感受性を回復させる。膵管腺がん等で臨床試験中。
Galunisertib TGF-β受容体I(ALK5) Smad2/3のリン酸化を阻害してEMTを抑制し、系統可塑性を反転。膵・肝・前立腺がん等で試験中。
LGK974(WNT974) Porcupine(PORCN)/ Wnt Wntタンパク質のパルミトイル化を阻害して分泌を停止。RNF43変異膵がん等で試験中。

なかでも注目されるのが、神経誘導因子Netrin-1とその受容体UNC5Bの相互作用を遮断するヒト化モノクローナル抗体NP137です。Netrin-1はハイブリッドE/Mや間葉化したがん細胞(特に膵管腺がんの約60%)で過剰発現し、アポトーシスを抑え、浸潤・転移を促します。2026年にNature誌に発表された第1b相試験(LAPNET-01)では、局所進行膵管腺がんに対しNP137をmFOLFIRINOXと併用した結果、無増悪生存期間(PFS)中央値10.85か月・全生存期間(OS)中央値16.43か月・23%の手術移行率が報告され、化学療法耐性を抑える新しい戦略として期待されています[13]。Galunisertibでは、去勢抵抗性前立腺がんで起こる系統可塑性を反転させ、ホルモン療法への感受性を回復させる前臨床知見も示されています。

⚠️ ここで紹介した薬剤は、いずれも臨床試験・研究段階のものを含みます。日本で標準治療として確立した治療法ではなく、本記事は特定の治療を推奨するものではありません。最新情報は専門医にご確認ください。

8. 遺伝医療・臨床との接点:E-カドヘリンとCDH1

EMTの多くは、生まれた後にがん細胞などで起こる現象(体細胞レベルの変化)で、生殖細胞系列を介して子へ受け継がれるものではありません。ただし、EMTの中心マーカーであるE-カドヘリンをコードする遺伝子CDH1には、はっきりした遺伝医療との接点があります。CDH1の生殖細胞系列の機能喪失型変異は、遺伝性びまん性胃がん(HDGC)や遺伝性小葉乳がんの原因となる、成人の遺伝性腫瘍だからです。E-カドヘリンが失われて細胞間接着がほどけるという「EMTで起きる変化」が、生まれつきの体質として一歩進んだ状態にある、と捉えると理解しやすいでしょう。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【分子の言葉が、遺伝カウンセリングの言葉につながるとき】

遺伝性腫瘍の遺伝カウンセリングを行っていると、CDH1という遺伝子は避けて通れません。E-カドヘリンは「細胞どうしの手のつなぎ手」で、これが生まれつき弱いと、びまん性胃がんや小葉乳がんのリスクが高まります。EMTという基礎科学の概念が、目の前のご相談者の人生設計やサーベイランス(定期的な検査)の話に、地続きでつながっていく瞬間です。

CDH1関連の遺伝性びまん性胃がんは常染色体顕性遺伝(優性遺伝)で、お子さんへ受け継がれる可能性があります。とはいえ、変異が見つかること=運命が決まることではありません。私は、検査を受けるかどうかも、結果をどう使うかも、ご本人とご家族が決めることだと考えています。医師の役割は、正確な情報を中立にお伝えし、その意思決定に伴走することだと思っています。

こうした生まれ持った体質(生殖細胞系列)は、血液や唾液を用いた包括的がん遺伝子パネル検査(154遺伝子)でCDH1を含めて調べることができます。この検査は「生まれ持った体質」を調べるもので、すでに発症した腫瘍組織を解析して治療薬を選ぶ「がんゲノムプロファイリング検査」とは目的が異なります。ご不安のある方は、遺伝カウンセリングで整理することをおすすめします。

💡 用語解説:上皮間葉可塑性(EMP)

近年、EMTとMETを別々の現象として扱うのではなく、上皮と間葉のあいだの中間状態を自在に行き来できる「やわらかさ」全体を指す言葉として「上皮間葉可塑性(EMP)」という用語が国際的に推奨されています[14]。EMTという用語が研究によってバラバラに使われてきた反省から、研究者の国際組織が用語の統一を呼びかけたもので、「白か黒か」ではなく「連続したグラデーション」として細胞を捉える、いまの理解を象徴する言葉です。

9. よくある誤解

誤解①「EMTは完全に間葉系になること」

最も悪性度が高いのは、完全に間葉化した細胞ではなく、接着と運動能を併せ持つ中間状態(ハイブリッドE/M)です。EMTは「白か黒か」ではなく連続したスペクトラムとして起こります。

誤解②「線維化はEMTで上皮が線維をつくる」

系統追跡により、上皮細胞が直接コラーゲン産生細胞に化けるという説は否定されました。上皮は部分的EMTでまわりを活性化する「指揮者」として線維化に関わると考えられています。

誤解③「EMTは一方通行で元に戻らない」

EMTは可逆的で、逆向きのMETも起こります。転移先で上皮に戻って増殖するMETがあって、はじめて遠隔転移が完成します。

誤解④「EMTは子どもに遺伝する」

EMTそのものは多くが体細胞レベルの現象で遺伝しません。ただしE-カドヘリンの遺伝子CDH1の生殖細胞系列変異は遺伝性のがん体質として受け継がれることがあります。

よくある質問(FAQ)

Q1. 上皮間葉転換(EMT)とは一言でいうと何ですか?

並んでとどまる「上皮細胞」が、細胞どうしの接着をほどいて、自由に動ける「間葉系細胞」の性質を獲得する現象です。発生では正常な体づくりに、病気では線維化やがんの転移・薬剤耐性に関わります。逆向きの変化(MET)もあり、両者を行き来する細胞のやわらかさ(可塑性)が特徴です。

Q2. EMTはがんとどう関係しますか?

がんでは、EMT(タイプ3)が浸潤・血管内侵入・遠隔転移という転移カスケード全体を駆動します。特に、接着と運動能を併せ持つハイブリッドE/M状態の細胞が集団で移動し、血流中での生存率を高めます。さらにがん幹細胞性や多剤耐性の獲得にも関わるため、再発・転移の根っこと考えられています。

Q3. 線維化はEMTで起こるのですか?

かつては上皮細胞が直接コラーゲン産生細胞に変わると考えられていましたが、厳密な系統追跡によって否定されました。現在は、上皮細胞が部分的なEMTにとどまり、サイトカインを分泌してまわりの線維芽細胞やペリサイトを活性化する「指揮者」として線維化に関わる、という理解が主流です。

Q4. EMTを止める薬はもうあるのですか?

EMTを駆動する経路を狙う薬が臨床試験段階で開発されています。Netrin-1を中和するNP137、TGF-β受容体を阻害するGalunisertib、Wnt分泌を止めるLGK974などです。NP137は2026年に膵がんの第1b相試験結果がNature誌に発表されました。ただし、いずれも日本で標準治療として確立したものではなく、研究段階を含みます。

Q5. EMTは子どもに遺伝しますか?

EMTそのものは、多くが生まれた後にがん細胞などで起こる体細胞レベルの現象で、遺伝しません。ただし、EMTの中心マーカーであるE-カドヘリンの遺伝子CDH1に生まれつき(生殖細胞系列)の機能喪失型変異がある場合は、遺伝性びまん性胃がんなどの遺伝性腫瘍の体質として受け継がれることがあります。

Q6. ハイブリッドE/Mと完全な間葉系では、どちらが危険ですか?

一般に、完全な間葉系よりも、接着と運動能を併せ持つハイブリッドE/M(中間状態)のほうが造腫瘍能が高く、がん幹細胞に近い性質を持つと報告されています。乳がんなどでは、腫瘍細胞のわずか2%がこの中間状態にあるだけでも予後の悪化と相関するという報告があり、治療標的として重要視されています。

Q7. EMTの遺伝子検査はミネルバクリニックで受けられますか?

EMTそのものを測る検査は一般診療にはありませんが、EMTの中心マーカーであるE-カドヘリンの遺伝子CDH1を含む生まれ持った体質の検査は可能です。当院では臨床遺伝専門医が、CDH1などを含む包括的がん遺伝子パネル検査や遺伝カウンセリングを担当しています。気になる家族歴がある方は、まずは遺伝カウンセリングでご相談ください。

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臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにお気軽にご相談ください。

参考文献

  • [1] The basics of epithelial-mesenchymal transition. Journal of Clinical Investigation. [JCI]
  • [2] Molecular mechanisms of epithelial–mesenchymal transition. PMC. [PMC4240281]
  • [3] Signaling mechanisms of the epithelial-mesenchymal transition. PMC. [PMC4372086]
  • [4] Biomarkers for epithelial-mesenchymal transitions. Journal of Clinical Investigation. [JCI]
  • [5] Epithelial-mesenchymal transition in tissue repair and degeneration. PubMed. [PubMed 38684869]
  • [6] Controversies over the Epithelial-to-Mesenchymal Transition in Liver Fibrosis. PMC. [PMC4730134]
  • [7] Fate Tracing Reveals the Pericyte and Not Epithelial Origin of Myofibroblasts in Kidney Fibrosis. PMC. [PMC2797872]
  • [8] Interplay between tumor microenvironment and partial EMT as the driver of tumor progression. PMC. [PMC7892926]
  • [9] Hybrid Epithelial/Mesenchymal State in Cancer Metastasis: Clinical Significance and Regulatory Mechanisms. PMC. [PMC7140395]
  • [10] EMT, MET, plasticity and tumor metastasis. PMC. [PMC7647095]
  • [11] Epithelial-mesenchymal transition-activating transcription factors – multifunctional regulators in cancer. PMC. [PMC3812522]
  • [12] Cancer drug resistance induced by EMT: novel therapeutic strategies. PMC. [PMC8241801]
  • [13] Netrin1 blockade alleviates resistance to chemotherapy in pancreatic cancer (LAPNET-01). Nature. 2026. [Nature]
  • [14] Yang J, et al. Guidelines and definitions for research on epithelial–mesenchymal transition. Nature Reviews Molecular Cell Biology. 2020. [Nat Rev Mol Cell Biol]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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