目次
- 1 1. 多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE)とは
- 2 2. 歴史と、世界での広がり
- 3 3. 3つの経過 ─ 増殖・安定・退縮というライフサイクル
- 4 4. 顕微鏡で見た特徴と、扁平上皮癌との見分けにくさ
- 5 5. なぜ自然に治るのか ─ 免疫が主導する退縮のメカニズム
- 6 6. 原因遺伝子TGFBR1と、ツーヒットによる発がん
- 7 7. ロイス・ディーツ症候群との違い ─ 同じ遺伝子、対極の病気
- 8 8. 診断と、区別すべき似た病気
- 9 9. 治療と、日常生活での注意
- 10 10. 遺伝との向き合い方 ─ 家族と遺伝カウンセリング
- 11 まとめ ─ 「治るがん」が教えてくれること
- 12 よくある質問(FAQ)
- 13 参考文献
- 14 関連記事
📍 クイックナビゲーション
「皮膚がん」と診断された腫瘍が、治療をしなくても数か月で自然に消えていく——。そんな不思議な経過をたどる、まれな遺伝性の病気があります。それが多発性自然治癒性扁平上皮癌(たはつせいしぜんちゆせいへんぺいじょうひがん/MSSE)です。発見者の名前からファーガソン・スミス病とも呼ばれます。組織を顕微鏡で見ると、進行の速い扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)とそっくりなのに、退縮期には免疫反応の関与が示されており、腫瘍が自発的に縮んでいく。このパラドックス(矛盾)は、がんと免疫の関係を理解するうえで研究されてきたテーマです。この記事では、MSSEとは何か、なぜ自然に治るのか、原因となるTGFBR1(ティージーエフビーアールワン)遺伝子のはたらき、大動脈の病気であるロイス・ディーツ症候群との関係、そして治療と遺伝の考え方までを、臨床遺伝専門医の視点から医学文献に基づいて解説します。
Q. 多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE)とは、まず結論だけ知りたいです
A. MSSE(ファーガソン・スミス病)は、扁平上皮癌によく似た皮膚の腫瘍が顔や手足に多発し、数か月で自然に縮んで陥凹(かんおう)した傷あとを残す、まれな常染色体顕性(優性)遺伝の皮膚疾患です。原因は、細胞の増殖にブレーキをかけるTGFBR1遺伝子のはたらきが失われる変化です。腫瘍は局所では強い破壊力を持ちますが、内臓へ転移することはきわめてまれで、MSSE自体に確立した内臓悪性腫瘍の合併リスクはありません。放射線治療は病変を悪化させるため避け、多発例では飲み薬のレチノイド(アシトレチン)が用いられます。
- ➤どんな病気か → 扁平上皮癌そっくりの腫瘍が多発するが、数か月で自然に消え、へこんだ傷あとを残す
- ➤原因 → TGFBR1遺伝子の機能喪失変化。ツーヒット仮説にあてはまる皮膚の発がん
- ➤なぜ治るか → 免疫細胞(形質細胞様樹状細胞)が集まり、炎症をきっかけに腫瘍が退縮すると考えられている
- ➤似た遺伝子の別の病気 → 同じTGFBR1でも変化の性質が違うと、大動脈瘤を起こすロイス・ディーツ症候群になる
- ➤治療の要点 → 放射線治療は禁忌。多発例はアシトレチン内服が中心。紫外線対策が重要
🧬 MSSE(ファーガソン・スミス病)の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方・別名 | たはつせいしぜんちゆせいへんぺいじょうひがん。ファーガソン・スミス病、Ferguson-Smith disease(FSD)とも呼ばれる[11] |
| 遺伝形式 | 常染色体顕性(優性)遺伝。原因遺伝子はTGFBR1(第9番染色体9q22)[1] |
| 主な症状 | 顔・耳・手足など露光部に、扁平上皮癌/ケラトアカントーマに似た腫瘍が多発。数か月で自然退縮し陥凹性瘢痕を残す |
| 発症年齢 | 多くは20〜30代。ただし小児期から高齢まで幅広い[1] |
| 内臓がんリスク | 確立した増加なし(MSSE自体に内臓悪性腫瘍のリスク増加は確立しておらず、ミュア・トレ症候群との重要な違い) |
| 治療 | 外科的切除・掻爬・凍結療法、多発例はアシトレチン内服。放射線治療は禁忌[6] |
※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた疾患解説です。特定の検査を勧めるものではありません。
1. 多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE)とは
多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE)は、扁平上皮癌(皮膚がんの一種)によく似た腫瘍が、顔や手足など日光の当たる部位にくり返しできる、まれな遺伝性の皮膚疾患です[1]。最大の特徴は、その名のとおり「自然に治る(self-healing)」という点にあります。腫瘍は数週間で急速に大きくなりますが、治療をしなくても数か月のうちに縮んでいき、最後は皮膚が深くへこんだ傷あと(陥凹性瘢痕)を残して落ち着きます[1]。
この病気が医学的に注目されてきた理由は、そのパラドックス(矛盾)にあります。顕微鏡で組織を見ると、進行の速い悪性の扁平上皮癌とほとんど区別がつきません。ところが実際の経過では、リンパ節や内臓へ転移することはきわめてまれで、退縮期には炎症細胞や形質細胞様樹状細胞の浸潤を伴って腫瘍が自発的に退縮していきます[1]。「悪性の見た目を持つ腫瘍が、なぜ自発的に免疫の標的となって消えるのか」という問いは、がんと免疫の関係を解き明かすための、生きたモデルとして研究され続けてきました。
💡 用語解説:扁平上皮癌とケラトアカントーマ
扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)は、皮膚や粘膜の表面をつくる「扁平上皮」から生じるがんです。ケラトアカントーマ(KA)は、中央に角質(かくしつ)の栓を持つ火山の噴火口のような形をした皮膚腫瘍で、しばしば自然に退縮します。MSSEの個々の腫瘍は、このどちらにも似た見た目と組織像を示します。
MSSEは、発見者であるスコットランドの皮膚科医の名前からファーガソン・スミス病(Ferguson-Smith disease)とも呼ばれます[11]。ここで大切なのは、MSSEでは内臓悪性腫瘍のリスク増加が確立していないという点です。後で触れるミュア・トレ症候群のように内臓悪性腫瘍のリスクを伴う病気とは異なり、MSSEそのものによる生命予後は一般に良好とされています。一方で、くり返す腫瘍と、それが残す傷あとによる整容面の負担は決して小さくありません。
2. 歴史と、世界での広がり
MSSEが独立した病気として認識されたのは、1934年のことです。スコットランドの皮膚科医J.ファーガソン・スミスが、16歳のころから皮膚の腫瘍ができては消えるをくり返し、組織学的に扁平上皮癌と診断された23歳の炭鉱夫を報告しました[4]。その後、この患者の家族にも同じ病変が見つかり、家族性の病気として理解が深まっていきました。
1971年には、原著者の息子で遺伝学者のマルコム・ファーガソン・スミスらが、スコットランド西部の家系から多数のMSSE症例の詳しい家系図を報告し、本疾患が単一の常染色体顕性遺伝子によって引き起こされることを明らかにしました[3]。スコットランドで多くの症例がみられることは、18世紀ごろにさかのぼる共通の祖先に由来する変化、いわゆる創始者効果(founder effect)によるものと長く考えられてきました。
💡 用語解説:創始者効果(ファウンダー効果)
ある集団の祖先にあたる少数の人が持っていた遺伝子の変化が、その子孫に受け継がれて広がり、特定の地域や民族でその病気が多くみられるようになる現象です。スコットランドにMSSEが集積しているのは、この効果によると考えられてきました。
しかし、その後の調査でMSSEはスコットランド起源の人々に限らないことがわかってきました。デンマークでは、4世代にわたって11人の患者が発生した大きな家系が報告されています。この家系では発症年齢の平均が52.6歳とスコットランドの集団より遅く、1人あたりの腫瘍の数も平均4個と比較的軽い経過を示しました[4]。日本でも、30代で発症し、多発性のケラトアカントーマの悪化と消退をくり返した症例などが報告されています。さらにアメリカ、チュニジア、イランなど、さまざまな地域・民族からも症例が報告されており、この病気の素因が世界中に広く分布していることがわかっています[2]。若い年齢で多発する扁平上皮癌のような病変をみたときに、見逃してはならない鑑別疾患のひとつです。
🩺 院長コラム【「珍しい病気」を、地域の病気で終わらせないために】
MSSEは長く「スコットランドの病気」というイメージで語られてきました。けれども実際には、デンマーク、日本、中東など世界各地で報告があります。原因がわからないまま検査を重ねる状況は、多くの希少・遺伝性疾患に共通する経過ですが、その病気を「特定の地域のもの」と思い込んでしまうと、目の前の患者さんで鑑別から抜け落ちてしまうことがあります。
臨床遺伝専門医として文献を踏まえると、若くして多発する扁平上皮癌様の病変や、消えては再びできる皮膚腫瘍の家族歴は、単発の皮膚がんとは別の見立てを必要とするサインになり得ます。まれな病気だからこそ、可能性として引き出しに置いておくことに意味があります。
3. 3つの経過 ─ 増殖・安定・退縮というライフサイクル
MSSEの臨床像で最も特徴的なのは、個々の腫瘍がたどる「増殖 → 安定 → 退縮」という3つの段階(三相性の経過)です[1]。この病気は浸透率が不完全で、変化を受け継いでいても生涯症状の出ない保因者がいる一方、重症例では生涯に100個を超える腫瘍がくり返しできるなど、あらわれ方には大きな幅があります。
腫瘍ができやすいのは、顔(特に鼻・耳・口の周り)や手足など、日光の当たる部位や、けが・摩擦を受けた部位です。体幹にできることはまれで、手のひらや足の裏には決してできません。このことから、腫瘍のもとになる細胞が毛包(もうほう=毛の根元の構造)に由来すると強く考えられています[1]。
増殖期には、病変は暗い赤色の斑(はん)として生じ、2〜4週間という短い間に急速に大きくなって、直径2〜3センチほどの結節(しこり)をつくります。この速さは、通常の悪性腫瘍の増殖スピードを上回ることも少なくありません。続く安定期には、腫瘍はドーム状に盛り上がり、中央に角質の栓を持つ火山の噴火口のような形になり、最大2か月ほどその大きさを保ちます[1]。
その後、治療をしなくても、腫瘍は通常4〜6か月以内に退縮期へと移っていきます。中央の角質栓が自然に取れ、腫瘍の本体が少しずつ縮んで平らになり、最後は皮膚がへこんだ傷あと(陥凹性瘢痕)を残します。手足の病変は顔より大きくなる傾向がありますが、治ったあとの傷あとは比較的なめらかなことが多いとされています。腫瘍は局所では強い組織破壊性を示すものの、リンパ節や遠くの臓器へ転移することはきわめてまれで、この「局所で完結する」性質こそがMSSEの最大の特徴です[1]。
4. 顕微鏡で見た特徴と、扁平上皮癌との見分けにくさ
MSSEの病理組織像は、高分化型の扁平上皮癌ときわめてよく似ています。通常のヘマトキシリン・エオジン染色(H&E染色)だけで両者をはっきり区別することは、経験のある病理医であっても難しいとされています[1]。増殖期には、不規則な扁平上皮細胞のかたまりが真皮(しんぴ=皮膚の深い層)へと深く入り込み、はっきりした細胞の異型(いけい=形の乱れ)や細胞分裂像がみられます。こうした所見が、「進行の速い悪性の扁平上皮癌」と誤って判断される主な原因になります[1]。
一方で、注意深く見ると手がかりもあります。ありふれた孤立性のケラトアカントーマでみられる、病変の縁が正常な表皮に肩のように覆いかぶさる「表皮の肩(ショルダリング)」の構造がMSSEでは乏しいこと、白血球のかたまり(上皮内膿瘍)が欠けていることなどが特徴として挙げられています[1]。ただし、これらは決め手にはならず、最終的な診断は臨床経過や家族歴、遺伝子の情報と合わせて総合的に判断する必要があります。
⚠️ 神経周囲浸潤があっても「悪性」とは限らない
MSSEやケラトアカントーマでは、腫瘍が神経の周りに入り込む神経周囲浸潤(しんけいしゅういしんじゅん)がたまたま観察されることがあります。通常なら悪性度の高いサインですが、MSSEではこの所見があっても腫瘍は最終的に自然退縮します。したがって、この所見ひとつで浸潤性の悪性扁平上皮癌と決めつけることはできず、臨床経過との慎重な照らし合わせが欠かせません。
免疫組織化学という染色を使った検査も、補助的に役立ちます。細胞の増殖の勢いを示すKi-67(ケイアイ67)という指標は、扁平上皮癌では全体に高く出るのに対し、ケラトアカントーマやMSSEでは比較的低い傾向があります。また、がんを抑えるタンパク質p53(ピー53)の異常な蓄積は扁平上皮癌で高頻度にみられますが、ケラトアカントーマでは限られる傾向があります。こうしたマーカーの組み合わせが、鑑別の一助になります。
5. なぜ自然に治るのか ─ 免疫が主導する退縮のメカニズム
MSSEが最終的に自然に治っていく仕組みは、長い間、腫瘍生物学の大きな謎でした。近年の研究により、この現象には腫瘍の周りの環境(腫瘍微小環境)における免疫細胞の動き、とりわけ形質細胞様樹状細胞(けいしつさいぼうよう じゅじょうさいぼう/pDC)が中心的な役割を果たしていることがわかってきました[5]。
💡 用語解説:形質細胞様樹状細胞(pDC)
ウイルス感染などの際に、大量のI型インターフェロン(免疫を活性化する物質)を出して体を守る、特殊な免疫細胞です。正常な皮膚にはふだんいませんが、感染や自己免疫の場に集まってきます。MSSEの退縮期の病変には、このpDCが多数集まっていることが報告されています。
ふつう、進行した悪性腫瘍の周りでは、免疫にブレーキをかける細胞が集まって免疫抑制のネットワークがつくられ、腫瘍は免疫の監視から逃れます(免疫逃避)。ところがMSSEでは、病変が退縮期に入ると、腫瘍の周りにリンパ球などの炎症細胞が密に集まり、同時に腫瘍細胞のアポトーシス(プログラムされた細胞死)や細胞老化のサインが急に増えることが観察されています[5]。ある研究では、成熟した病変と退縮した病変を比べたところ、退縮した病変でCD123陽性のpDCが著しく増えており、炎症が引き金となって腫瘍が退縮する過程を裏づける所見が得られています[5]。
この二段構えのメカニズムは、次のように整理できます。まず第1段階(発がん期)では、紫外線などのダメージを受けた細胞が、残っていた正常なTGFBR1のはたらきを失い、増殖のブレーキがきかなくなって急速に腫瘍をつくります。ところが第2段階(退縮期)では、TGFBR1のはたらきを完全に失った腫瘍細胞は、自分の身を守るための免疫抑制シグナルをうまく出せません。その結果、腫瘍は免疫から逃れる仕組みを失い、pDCや免疫の実行部隊であるT細胞の大規模な攻撃を受けて、最終的にへこんだ傷あとへと置き換わっていく、と考えられています[2]。ただし、この退縮の仕組みの全体像はまだ完全には解明されておらず、有力な仮説として研究が続いています。
6. 原因遺伝子TGFBR1と、ツーヒットによる発がん
MSSEの遺伝的な原因は、2011年にゴーディーらが主導した国際的な研究によって大きく解明されました。次世代シーケンシングなどの技術を用いた大規模なゲノム解析の結果、第9番染色体(9q22)にあるTGFBR1遺伝子のはたらきが失われる変化(機能喪失変異)が、MSSEの直接の原因であることが特定され、『Nature Genetics』誌に報告されました[1]。この研究では、18の家系から11種類の変化が見つかり、TGFBR1が原因遺伝子であることが確実になりました[1]。
TGFBR1は、細胞の増殖・分化・アポトーシス・免疫の調節にかかわるTGF-β(ティージーエフベータ)シグナル伝達経路の、重要な受け皿(受容体)です。細胞の外にあるTGF-βという物質が結合すると、TGFBR1が信号を受け取り、細胞の中のSMAD(スマッド)というタンパク質を通じて、標的となる遺伝子のはたらきを調節します。この経路は、発がんの初期には細胞の増えすぎを抑える「がん抑制」の役割を果たしますが、進行したがんでは逆に腫瘍を助ける側にまわる、という二面性を持つことが知られています。
💡 用語解説:ミスセンス変異・ナンセンス変異
ミスセンス変異は、遺伝子の設計図の一文字が変わり、タンパク質のアミノ酸が別のものに置き換わる変化です。ナンセンス変異は、タンパク質づくりを途中で止める「終止」の指示が入り、短く欠けたタンパク質しかできなくなる変化です。MSSEではこうした変化が、受容体のはたらきを失わせる方向に働きます。
MSSEで見つかるTGFBR1の変化には、細胞外のリガンド結合ドメインでのミスセンス変異や、細胞内のキナーゼドメインでのナンセンス変異・フレームシフト変異などがありますが、いずれも受容体のはたらきを失わせる(機能喪失型の)変化です[1]。TGF-β経路のはたらきが失われると皮膚で腫瘍ができやすくなることは、別の角度からも裏づけられています。悪性黒色腫や腎細胞癌の治療薬として開発されたTGF-βを打ち消す抗体(フレソリムマブ)の第1相試験では、副作用として多発性のケラトアカントーマや扁平上皮癌が生じたことが報告されており、TGF-βのはたらきを止めると皮膚に腫瘍ができるという考え方の実証になっています[7]。
MSSEの発がんは、がん抑制遺伝子の古典的な「ツーヒット仮説」にあてはまります[2]。患者さんは生殖細胞系列でTGFBR1の病的バリアントを1つ持っています(ファーストヒット)。ただし、これだけでは腫瘍はできません。皮膚の局所の腫瘍細胞で残っていたもう一方の正常なTGFBR1が失われること(ヘテロ接合性の消失=LOH、これがセカンドヒット)で、はじめて細胞内のTGFBR1のはたらきが完全に失われ、腫瘍づくりが始まります[2]。
💡 用語解説:ツーヒット仮説とLOH
ツーヒット仮説は、がん抑制遺伝子の両方のコピーの機能が失われることで腫瘍形成が進むという考え方です。LOH(ヘテロ接合性の消失)は、もともと正常だった側のアレルが腫瘍細胞で失われる現象で、MSSEではTGFBR1の「セカンドヒット」の一つとして示されています。
(ファーストヒット)
(セカンドヒット/LOH)
なお、TGFBR1の変化だけではMSSEの発症条件として十分でない可能性も示されています。スコットランドの家系の詳しい解析では、疾患と強く連鎖する共通のハプロタイプ(染色体の一区画)を共有する家系でも、その中のTGFBR1の変化は一様ではありませんでした[10]。このことから、TGFBR1のすぐ隣にある第二の遺伝子座(未同定)のバリアントが一緒に受け継がれることが、発症に必要ではないか、とする「ダイジェニック(二遺伝子性)/マルチローカス説」が提唱されています[2]。これは現時点では有力な仮説で、研究が続いている段階です。
🩺 院長コラム【同じ遺伝子でも、変化の性質で運命が変わる】
MSSEは、「同じ遺伝子でも、変化の種類や場所によって病気の姿が大きく異なり得る」という遺伝医学の重要な考え方を示す病気です。TGFBR1という一つの遺伝子が、皮膚に限局する自己治癒性の腫瘍を起こすこともあれば、次章で触れるように全身の血管を脅かす病気を起こすこともあります。
だからこそ、遺伝子検査で「変化が見つかった」だけでは話は終わりません。その変化がどのような性質を持ち、どの病気につながるのかを読み解くことが、臨床遺伝の専門的な仕事になります。正確な診断に基づいて、必要な評価や管理を整理していくことが大切です。
7. ロイス・ディーツ症候群との違い ─ 同じ遺伝子、対極の病気
TGFBR1遺伝子の変化は、MSSEとはまったく重ならない、重い結合組織の病気であるロイス・ディーツ症候群(LDS)の原因としても知られています。LDSは、若くしての大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)や動脈の解離、両目の間が広い(眼距開離)、口蓋裂、二分口蓋垂、動脈の蛇行などを特徴とし、がんの発症リスクは伴いません[9]。
同じTGFBR1という遺伝子の変化が、なぜ一方では「局所で自然に治る皮膚がん(MSSE)」を、もう一方では「命にかかわる全身の血管の病気(LDS)」という正反対の病気を起こすのでしょうか。このパラドックスは、変化の分子レベルでの性質の違いによって説明されます[9]。
🧬 MSSEとロイス・ディーツ症候群の遺伝子型-表現型相関
| 項目 | MSSE(ファーガソン・スミス病) | ロイス・ディーツ症候群(LDS) |
|---|---|---|
| 主な変異の場所 | 細胞外リガンド結合ドメイン、または細胞内キナーゼドメイン | 細胞内キナーゼドメイン(高度に保存された領域) |
| 主な変異の種類 | ミスセンス(細胞外)、ナンセンス・フレームシフト(細胞内) | ミスセンス変異 |
| 分子メカニズム | 機能喪失。腫瘍では正常アレルの消失(LOH)を伴い、TGFBR1機能が失われる | 単純なハプロ不全では説明できない。多くはキナーゼドメインのミスセンス変異で、受容体機能低下と組織での逆説的TGF-βシグナル亢進を示す |
| TGF-βシグナルへの影響 | シグナルの喪失 | 大動脈壁などでの逆説的な過剰活性化 |
| 主な症状 | 多発する自己治癒性の皮膚腫瘍 | 大動脈瘤・動脈解離・骨格や顔の特徴 |
※MSSEではTGFBR1機能喪失と腫瘍細胞での第二のヒットが中心です。一方、LDSでは単純なハプロ不全だけでは病態を説明できず、キナーゼドメインのミスセンス変異などに伴う逆説的なTGF-βシグナル亢進が知られています。
この違いを裏づける重要な証拠が、マウスを使った実験から得られています。TGFBR1のナンセンス変異を導入して、はたらきが半分になったマウス(ハプロ不全モデル)を調べたところ、変化を2つ持つマウスは血管の形成不全で胎児のうちに亡くなった一方、変化を1つだけ持つマウスは正常なマウスと見分けがつかず、LDSに特徴的な大動脈瘤などの心血管の異常をまったく発症しませんでした[8]。この結果は、少なくともTGFBR1の単純なハプロ不全だけではLDS様の心血管病変が再現されないことを示しており、MSSE型のTGFBR1機能喪失と典型的LDSの分子機序が異なることを支持します[8]。
原則として、MSSEとLDSはお互いに重ならない病気ですが、近年、両方の特徴をあわせ持つきわめてまれな症例も報告されています。たとえば、TGFBR1のエクソン8にある短縮型の変化は、本来なら分解されるはずの異常なメッセンジャーRNAが分解を逃れ(NMDエスケープ)、細胞膜の上に切れたタンパク質として現れることで、LDS特有の逆説的なシグナル活性化を引き起こすことが確かめられています[9]。こうした併発例は、前の章で触れた「第二の遺伝子座」の許容的なバリアントの有無が、TGFBR1の変化を背景とした皮膚腫瘍(MSSE)の発症を最終的に決めている、とするマルチローカス説を支持する臨床的な手がかりとなっています。
💡 用語解説:NMD(ナンセンス依存mRNA分解機構)とNMDエスケープ
NMDは、途中で終わってしまう異常な設計図(mRNA)を細胞が見つけて分解し、不完全なタンパク質がつくられないようにする品質管理の仕組みです。ところが変化の位置によっては、この分解をすり抜けて(NMDエスケープ)、短いタンパク質がつくられてしまうことがあります。これがLDS型の病気につながる場合があります。
8. 診断と、区別すべき似た病気
MSSEの診断では、ありふれた単発の皮膚腫瘍だけでなく、多発性のケラトアカントーマ様の病変を示す他の遺伝性症候群との厳格な区別が欠かせません[2]。診断は、臨床経過(自然退縮をくり返す)、家族歴、病理所見、そして必要に応じたTGFBR1遺伝子の解析を組み合わせて行います。血液や口腔粘膜からDNAを採取して、9q22のTGFBR1の変化を調べることが可能です。
🔬 多発性ケラトアカントーマを示す主な症候群の鑑別
| 症候群名 | 遺伝形式・原因 | 臨床的特徴 | 内臓がんリスク |
|---|---|---|---|
| MSSE(ファーガソン・スミス病) | 常染色体顕性(TGFBR1+修飾遺伝子) | 20〜30代発症。露光部に2〜3cmの結節が多発し、数か月で自然退縮 | 確立した増加なし |
| ミュア・トレ症候群 | 常染色体顕性(MSH2・MLH1等のミスマッチ修復遺伝子) | 成人発症。皮脂腺腫瘍や多発性KA。マイクロサテライト不安定性を伴う | 高い(リンチ症候群関連癌:大腸癌・子宮内膜癌・尿路系癌など) |
| グジボフスキー症候群 | 散発性(原因不明) | 中高年発症。数ミリ大の極小KAが全身・粘膜に多数。強いかゆみ | 明確なリスクは未確定 |
| 色素性乾皮症(XP) | 常染色体潜性(DNA修復遺伝子群) | 小児期発症。極度の紫外線過敏。皮膚がんが多発 | 皮膚がんリスクが極めて高い |
※特にミュア・トレ症候群は致死的な内臓がんを合併するため、多発性KAをみたら家族歴の聴取とスクリーニングが重要です。
この中で特に注意が必要なのがミュア・トレ症候群です。この症候群は大腸癌や尿路系の癌など、致死的な内臓の悪性腫瘍を合併するリスクを伴うため、多発性のケラトアカントーマをみたときには、詳しい家族歴の聴取と、皮脂腺腫瘍など病変の種類や臨床状況に応じて、ミスマッチ修復タンパク質の免疫染色や遺伝学的評価を検討します[2]。MSSE自体には内臓悪性腫瘍のリスク増加が確立していないため、この区別は患者さんのその後の管理を大きく左右します。なお、紫外線に極端に弱く皮膚がんが多発する色素性乾皮症(XP)も、鑑別として念頭に置く病気のひとつです。
9. 治療と、日常生活での注意
MSSEの個々の病変は最終的に自然に治りますが、放置すると組織を破壊する重い陥凹性の傷あとを残し、大きな整容面の負担を引き起こします。そのため、経過を待つだけでなく、積極的な治療が行われます[2]。
外科的な治療と保存的な治療
単発または少数の病変には、通常の扁平上皮癌と同じように外科的切除や、侵襲を抑えた掻爬・焼灼術(そうは・しょうしゃくじゅつ)が第一に選ばれます。発症のごく初期の小さな病変であれば、液体窒素を用いた凍結療法も有効です[2]。
放射線治療は絶対に避ける
⚠️ 最重要:放射線治療は禁忌
MSSEの管理でとりわけ大切なのが、放射線治療を絶対に行わないことです。通常の扁平上皮癌と違い、MSSEの病変に放射線を当てると、照射した範囲に新しい腫瘍が爆発的に多発し、より破壊的な病変が誘発されることが複数の文献で確認されています。放射線照射後に多数の新規・再発病変が生じた報告があり、MSSEでは放射線治療は避けるべきです[6]。
飲み薬による全身療法(レチノイド)
重症例や、顔などに病変が極めて多発する場合には、外科的切除だけでは広い組織の欠損につながって対応が難しいため、全身療法が選ばれます。ビタミンA誘導体である経口レチノイド(アシトレチンやエトレチナート)は、皮膚の細胞の異常な増殖を抑え、正常な分化を促すはたらきを持ちます。これらの内服は、新しい病変の発生を減らし、既存病変の改善に有用とする症例報告・レビューがあり、多発例で用いられます[6]。低用量のアシトレチンで新たな腫瘍の発生を抑制できた症例も報告されています[6]。
局所への注射など、その他の選択肢
外科的切除が難しい部位や、傷あとを最小限にしたい病変には、病変内への注射も有用な選択肢です。増殖期にステロイド(トリアムシノロンアセトニド)を注射する方法や、5-フルオロウラシル(5-FU)・ブレオマイシン・メトトレキサートなどの病変内注射が、腫瘍の縮小と治癒の促進に役立つと報告されています[2]。
最後に、すべてのMSSEの患者さんにとって、最大の環境要因である紫外線を避けることが重要です。病変が露光部に多いことから、日焼け止めや衣類による遮光などの一般的な紫外線対策が勧められます[2]。
10. 遺伝との向き合い方 ─ 家族と遺伝カウンセリング
MSSEは常染色体顕性(優性)遺伝の病気です。原因となる変化を持つ人からは、性別に関わらず、原則として2分の1の確率で子どもに受け継がれる可能性があります。ただし、この病気は浸透率が不完全で、変化を受け継いでいても生涯にわたって症状の出ない非浸透の保因者が存在します[2]。つまり「変化を持っている=必ず発症する」ではない点が、家族の中での見え方を複雑にします。
こうした特徴があるため、家族歴の解釈や、血縁者がどう考えていくかについては、遺伝カウンセリングの場で、正確な情報にもとづいて整理していくことが役立ちます。同じTGFBR1の変化でも、その性質によってMSSEになるのか、ロイス・ディーツ症候群のリスクを考えるべきなのかが変わるため、見つかった変化の意味づけは専門的な判断を必要とします。診断名や遺伝子の情報は、その後に必要な評価や管理を検討するための基礎になります。
💡 用語解説:不完全浸透
不完全浸透とは、病的バリアントを持っていても、その遺伝性疾患の症状が必ずしも現れないことです。MSSEでは、家系上は病的バリアントを受け継いでいると考えられても無症状の人が報告されています。
💡 ポイント:診断がつくことの意味
MSSE自体には内臓悪性腫瘍のリスク増加が確立していないため、正しく診断することは、ミュア・トレ症候群など内臓悪性腫瘍リスクを伴う疾患との管理方針の違いを明確にし、MSSEで避けるべき放射線治療を回避するうえで重要です。臨床遺伝専門医が、診断とその後に必要な評価・管理を整理します。
まとめ ─ 「治るがん」が教えてくれること
多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE/ファーガソン・スミス病)は、TGFBR1遺伝子の機能喪失変異と、第9番染色体に連鎖する未同定の修飾遺伝子との相互作用によって起こると考えられている、まれな皮膚の発がん症候群です。制御を失った急速な腫瘍の増殖と、それに続く免疫細胞の浸潤による劇的な自然退縮という二面的な振る舞いは、がんにおけるTGF-βシグナルのパラドックスを解き明かすための、他にない生きたモデルを提供しています。
大動脈の病気を起こすロイス・ディーツ症候群との精緻な遺伝子型-表現型相関や、腫瘍の周りの免疫の動きの解析は、まれな病気の理解にとどまらず、TGF-β経路を標的とした次世代のがん免疫療法や分子標的薬を安全に開発するための大切な手がかりをもたらします。臨床の現場では、若くして多発するケラトアカントーマ様の病変に出会ったとき、この病気を鑑別に挙げ、内臓悪性腫瘍リスクを伴う他疾患との鑑別とともに、病変数や部位に応じて外科的治療やアシトレチンなどを検討し、放射線治療を避けることが求められます。
よくある質問(FAQ)
Q1. 多発性自然治癒性扁平上皮癌(MSSE)とは何ですか?
MSSE(ファーガソン・スミス病)は、扁平上皮癌によく似た皮膚の腫瘍が顔や手足に多発し、治療をしなくても数か月で自然に縮んで、へこんだ傷あとを残す、まれな常染色体顕性(優性)遺伝の皮膚疾患です。原因はTGFBR1遺伝子のはたらきが失われる変化で、腫瘍は局所では強い破壊力を持ちますが、内臓へ転移することはきわめてまれで、MSSE自体に確立した内臓悪性腫瘍の合併リスクはありません。
Q2. 悪性の見た目なのに、なぜ自然に治るのですか?
退縮期の病変には、形質細胞様樹状細胞(pDC)という免疫細胞が多数集まり、炎症をきっかけに腫瘍が縮んでいくと考えられています。TGFBR1のはたらきを完全に失った腫瘍細胞は、免疫から逃れるためのシグナルをうまく出せず、免疫の攻撃を受けやすくなるためと説明されています。ただし、この仕組みの全体像はまだ完全には解明されておらず、有力な仮説として研究が続いています。
Q3. MSSEは内臓のがんになりやすいのですか?
いいえ。MSSE自体には内臓悪性腫瘍のリスク増加が確立しておらず、MSSEそのものによる生命予後は一般に良好です。この点が、大腸癌などの内臓がんリスクを伴うミュア・トレ症候群との大きな違いです。ただし、多発性のケラトアカントーマをみたときは、内臓がんを合併する他の症候群との区別が重要になるため、家族歴の聴取などが行われます。
Q4. なぜ放射線治療をしてはいけないのですか?
MSSEの病変に放射線を当てると、照射した範囲に新しい腫瘍が爆発的に多発し、より破壊的な病変が誘発されることが報告されているためです。放射線照射後に多数の新規・再発病変が生じた報告があり、通常の扁平上皮癌とは対応が異なります。多発例ではアシトレチンなどの飲み薬が用いられます。
Q5. 同じTGFBR1遺伝子でも、ロイス・ディーツ症候群とは何が違うのですか?
変化の性質が異なります。MSSEではTGFBR1の機能喪失型バリアントと腫瘍細胞での第二のヒットが中心です。一方、ロイス・ディーツ症候群では多くがキナーゼドメインのミスセンス変異で、単純なハプロ不全では説明できず、組織では逆説的なTGF-βシグナル亢進がみられます。MSSE型のTGFBR1機能喪失だけからLDSと同じ大動脈瘤リスクを推定することはできません。見つかった変化の意味づけには専門的な判断が必要です。
誤解①「自然に治るなら放っておいてよい」
個々の病変は自然に治りますが、放置すると深い陥凹性の傷あとを残します。整容面の負担を減らすため、切除やアシトレチン内服などの管理が行われます。
誤解②「扁平上皮癌だから放射線が効く」
MSSEでは放射線が逆効果で、新たな腫瘍を多発させます。通常の扁平上皮癌と同じ発想で放射線治療を選ぶことは避けなければなりません。
誤解③「TGFBR1の変化があれば大動脈瘤も心配」
MSSE型の機能喪失変異と、典型的なロイス・ディーツ症候群のTGFBR1変異では分子機序が異なります。単純なTgfbr1ハプロ不全マウスではLDS様心血管病変が再現されませんでした。変化の性質を読み解くことが大切です。
誤解④「遺伝子を持っていれば必ず発症する」
MSSEは浸透率が不完全で、変化を受け継いでも生涯無症状の保因者がいます。「持っている=必ず発症」ではない点が、家族での考え方を複雑にします。
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