目次
私たちのゲノムは、約2メートルのDNAをわずか数マイクロメートルの細胞核へ折りたたんで収めています。この折りたたみはでたらめではなく、「トポロジカル関連ドメイン(TAD)」という区画に整然と分かれています。同じTADの中のDNA配列は頻繁に接触し合う一方で、TADの「境界」を越えた接触は強く制限されます。この境界が壊れると、本来出会うはずのない遺伝子とスイッチが誤って接続し、四肢の奇形・白血病・脳腫瘍などにつながります。この記事では、TADの仕組みから疾患・遺伝診療への意味までを、遺伝専門医の視点でわかりやすく解説します。
Q. トポロジカル関連ドメイン(TAD)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. TADとは、細胞核の中で折りたたまれたDNAが作る「区画」のことです。同じ区画の中のDNAどうしは頻繁に接触しますが、区画の境界を越えた接触は制限されます。この境界はコヒーシンというリング状のタンパク質とCTCFという「仕切り」タンパク質によって作られます。境界が欠失・重複・エピジェネティックな変化で壊れると、本来隔てられていたエンハンサー(遺伝子のスイッチ)が別の遺伝子を誤って活性化し、先天奇形やがんの原因になります。
- ➤TADの正体 → DNAが自己接触する区画。ヒトで平均約1メガベース(100万塩基対)の大きさ
- ➤境界を作る仕組み → コヒーシンによる「ループ押し出し」と、CTCFによる停止で境界が決まる
- ➤高い保存性 → 細胞種を越え、進化を越えて保存されるゲノムの基本設計図
- ➤壊れると起こる病気 → 四肢奇形・T細胞白血病・IDH変異グリオーマなど(エンハンサー採用)
- ➤遺伝診療での意味 → 全ゲノム解析で「非コード領域の変異」を読み解くための重要な地図
1. トポロジカル関連ドメイン(TAD)とは何か
トポロジカル関連ドメイン(Topologically Associating Domain、略してTAD)とは、細胞核の中で折りたたまれたゲノムDNAが作り出す「接触の区画」です。もう少していねいに言うと、あるゲノム領域の内部にあるDNA配列どうしが物理的に接触する頻度が、その区画の外側の配列と接触する頻度よりもはっきりと高くなっている領域のことを指します。イメージとしては、長い糸(DNA)をいくつかの「かたまり」に分けて収納したときの、ひとつひとつの収納ボックスがTADにあたります。同じボックスの中の糸どうしは絡み合いやすい一方で、別のボックスとの間には「仕切り」があるため接触しにくい、という関係です。
TADの物理的な大きさは生き物によっておおよそ決まっています。ヒトのゲノムでは平均約1000キロベース(1メガベース=100万塩基対)、マウスの細胞では約880キロベース、ショウジョウバエでは約140キロベースとされます。さらに驚くべきことに、細菌のような原核生物にも「染色体相互作用ドメイン(CID)」と呼ばれる似た区画が存在します。つまり、ゲノムを立体的に区画へ分ける仕組みは、生命が誕生した非常に早い段階から保存されてきた、きわめて本質的なしくみだと考えられています。
TADの区画を隔てる「仕切り」を、TAD境界(TAD boundary)と呼びます。この境界は細胞の種類が変わっても、生き物の種類が変わっても高度に保たれており、そこにはCTCF(CCCTC結合因子)という仕切りタンパク質の結合部位や、常に働き続けるハウスキーピング遺伝子、tRNA遺伝子などが集中しているという共通の特徴があります。TADは、DNAという一次元の文字列を、意味のある三次元の「近所(ご近所づきあい)」へと編成する、ゲノムの基本的な建築単位なのです。この区画割りは、私たちの体を作る染色体の高次構造の中核に位置づけられます。
TADの基本イメージ:区画の中は密に接触、境界を越えると疎になる
頻繁に接触する
(エンハンサーと遺伝子が出会える)
(CTCF)
Aとの接触は
境界に阻まれる
区画(TAD)の内側は「同じご近所」。境界という仕切りが、隣の区画との不用意な接触を防いでいます。
2. TADはどう発見されたか:Hi-Cが開いた3Dゲノムの扉
TADが世界に知られるようになったのは2012年のことです。DixonらのグループとNoraらのグループが、Hi-Cという当時最先端だった技術を使って、ほぼ同時にこの区画構造を報告しました。Hi-Cは、核の中で近くに来ているDNAどうしを化学的に「のり付け」してから配列を読み取り、ゲノム上のどの場所とどの場所が接触しているかを網羅的に地図化する手法です。Dixonらは40キロベースの解像度で作った接触地図に対して、各領域が上流側と下流側のどちらと接触しやすいかの偏り(方向性指標、Directionality Index)を計算し、統計モデルを当てはめることで、ゲノム全体がメガベース規模の接触ブロックに規則正しく分割されていることを突き止めました[1]。
💡 用語解説:Hi-C(ハイシー)とは
Hi-Cは、細胞核の中で「近くにあるDNAどうし」を丸ごと調べる実験手法です。まず核内でDNAを固定し、物理的に接触している部分をつなぎ合わせてから、その組み合わせを大量に読み取ります。すると「ゲノムのどの場所とどの場所が空間的に近いか」が一枚の地図(接触マップ)になります。この地図の上でTADは、四角い「密に接触する三角形の区画」として浮かび上がります。Hi-Cは現在は主に研究目的で用いられ、一般的な臨床検査として受けられるものではありません。
この発見が画期的だったのは、それまで「ただの長い文字列」と考えられがちだったゲノムが、じつは規則正しい立体構造を持ち、その構造が遺伝子の働き方を左右していることを、目に見える形で示したからです。TADを高い精度で切り出すために、その後も方向性指標に加えて、コントラスト指標、ウェーブレット変換を用いる手法、さらにはグラフニューラルネットワークなどの深層学習を使う手法(TADGATEなど)まで、多様な解析ツールが開発されてきました[7]。ノイズの多いデータからでも安定して区画を検出できるようになったことで、多くの細胞や組織でTADの地図が描けるようになっています。
3. TADはどう作られるか:ループ押し出しとCTCFの停止機構
TADとその内部のループを作り出す主役は、コヒーシンというリング状のタンパク質複合体です。コヒーシンはSMC1A・SMC3・RAD21、そしてSA1(STAG1)またはSA2(STAG2)というサブユニットからできています。このリングがDNAをくぐらせながら、糸を両側へ手繰り寄せてどんどんループを大きくしていく——この動きが「ループ押し出し(loop extrusion)」です。
💡 用語解説:ループ押し出し(loop extrusion)
リング状のコヒーシンがDNAの糸を両側から中へ手繰り込み、だんだん大きな輪(ループ)を作っていく動きのことです。ベルトコンベアで布をたぐり寄せて、真ん中にどんどんヒダを作っていく様子を思い浮かべると分かりやすいです。コヒーシンをDNAに載せる「積み込み係」がNIPBL/MAU2という因子で、輪を大きくするエネルギーは、コヒーシン自身のATP分解(ATPアーゼ活性)から生まれます。この押し出しは、WAPLという「取り外し係」がコヒーシンをDNAから外すまで、あるいは物理的な障害物にぶつかるまで続きます。
このループ伸長を「ここで止めなさい」と決めるのが、TAD境界に結合したCTCFタンパク質です。重要なのは、CTCFが境界として働くには結合部位の「向き」がそろっている(収束している)必要があるという点です。近年の一分子計測や構造解析からは、CTCFのごく短いアミノ酸配列がコヒーシンの走行を精妙に止めていることが分かってきました。CTCFの226〜228番目のYDFと呼ばれるモチーフはコヒーシン側の必須表面に直接結合してDNAの受け渡しを妨げ、23〜27番目のKTYQRモチーフはコヒーシンのATPアーゼ活性そのものを抑えて足踏みを完全に止める、という二段構えの仕組みが提唱されています[3]。CTCFがコヒーシンを止める境界因子として多段階に働くことは、独立した研究からも支持されています[4]。
ループ押し出しからTAD境界ができるまで(3ステップ)
この止める・外すのバランスが崩れると、区画はきれいに保てなくなります。取り外し係のWAPLやブレーキ役のPDS5が働かなくなると、コヒーシンがDNAに居座り続けてループがどこまでも大きくなり、染色体全体が「ベルミチェリ(虫のような太い軸状構造)」と呼ばれる異常に凝縮した形へと変わってしまいます。さらに、じつは境界を決めるのはCTCFという「静止した仕切り」だけではありません。遺伝子を読み取るために動くRNAポリメラーゼが「動く障害物」としてコヒーシンを前へ押し流し、活発な遺伝子の両端へコヒーシンを集めることも分かってきました[5]。つまりゲノムの立体構造は、固定した境界と、転写という動的な活動の両方によって、その時々の細胞の状態に合わせて柔軟に組み替えられているのです。
4. ゲノムの階層構造:コンパートメント・TAD・サブTAD
ゲノムの立体的な整理整頓は、いくつもの階層に分かれています。もっとも大きなスケールでは、活発な領域が集まる「Aコンパートメント」と、静かな領域が集まる「Bコンパートメント」に大別されます。その下にメガベース規模のTADがあり、さらにTADの内部には「サブTAD(sub-TAD)」と呼ばれる、より小さな入れ子のループ区画が存在します。TADが細胞の種類を越えてほとんど変わらず、進化的にも高度に保存されているのに対して、サブTADは組織ごと・細胞ごとに柔軟に組み替わり、その細胞に必要な特定のエンハンサーと遺伝子の接触を保証しています[6]。
💡 用語解説:サブTAD(sub-TAD)とは
大きな収納ボックス(TAD)の中に置かれた、より小さな仕切りボックスのことです。TAD自体は細胞の種類が変わってもほとんど動かない「建物の柱」のような存在ですが、サブTADは部屋の中の間仕切りのように、細胞の分化や発生の段階に応じて置き換えられます。この柔軟な間仕切りが、その細胞にとって必要なエンハンサー(スイッチ)と遺伝子だけを正しく引き合わせ、不要な組み合わせは避ける、という細やかな制御を可能にしています。
こうした階層構造は、遺伝子の発現を「大まかな地域(コンパートメント)」から「区画(TAD)」、「部屋(サブTAD)」へと段階的に絞り込んでいく住所システムのようなものだと考えると理解しやすいでしょう。TADはその中で、遠くのエンハンサーが標的の遺伝子へアクセスできる範囲を規定する「制御上のサンドボックス(安全に遊べる砂場)」として働きます。この砂場の外にあるスイッチとは、原則として接触しないように設計されているのです。
5. TAD境界と遺伝子制御:仕切りは「一律の壁」ではない
🔍 関連記事:エンハンサーとは/スーパーエンハンサー
TAD境界と聞くと「完全に接触を遮る壁」を想像しがちですが、実際にはもっと繊細です。ゲノム全体を調べると、エンハンサーとプロモーター(遺伝子のスイッチと入口)の相互作用のうち、およそ3分の1は、実はTAD境界を越えて機能していることが示されています[8]。この境界を飛び越える現象は「インスレーター・バイパス(絶縁体の迂回)」と呼ばれ、発生や分化の過程で厳密に制御された、正常な生理反応として起こります。
💡 用語解説:インスレーター(絶縁体)とエンハンサー
エンハンサーは、離れた場所から遺伝子のスイッチを入れる「増幅装置」です。一方インスレーター(絶縁体)は、そのスイッチが「担当外の遺伝子」を誤って動かさないように隔てる「仕切り」で、CTCFが結合するTAD境界がその代表です。ただしこの仕切りは電源スイッチのようにオン・オフ一律ではなく、特定の組み合わせだけを通す「選択的なフィルター」として働くことが分かってきました。
その代表例が、手足の発生に関わる遺伝子Pitx1と、その遠くにあるエンハンサー(Pen)の関係です。両者はふだん強いTAD境界で隔てられていますが、後ろ足(hindlimb)が作られるときには、この境界の絶縁効果が組織特異的に迂回され、PenがPitx1のスイッチにぴたりと近づいて発現を誘導します。反対に前足(forelimb)ではこの近接が起こらず、Pitx1はオフのままです[9]。同じゲノム配列であっても、どの組織で、どの発生段階で仕切りをどう使うかによって、遺伝子のオン・オフが精密に切り替えられているのです。TAD境界とは、すべての接触を機械的に遮断する壁ではなく、「どの組み合わせを通すか」を選ぶ動的なフィルターだと理解するのが正確です。
6. 進化的保存と「壊れてはいけない境界」R-TAD
3Dゲノム構造の重要性は、数千万年という進化の時間を通じて強く守られてきました。約4900万年の進化距離にあたるキイロショウジョウバエと擬暗黒ショウジョウバエを比べると、ゲノム全体の30〜40%でTAD構造が変わらず保存されています[2]。しかも進化の過程で染色体が組み替わった切れ目(切断点)を地図に重ねると、それらはTAD境界に集中し、逆にTADの内部からは厳しく排除されていました。区画の内側で逆位や欠失が起きると、長い時間をかけて築かれたエンハンサーと遺伝子のつながり(調節ランドスケープ)が壊れてしまうため、そうした変異は「浄化選択」によってゲノムから淘汰されてきたと考えられます。
💡 用語解説:浄化選択(purifying selection)
生き物にとって不利な変異が、世代を重ねるうちに集団から取り除かれていく自然選択のことです。「有害な設計変更は残らない」という働きだと考えると分かりやすいです。TADの内部で構造が壊れると重要な遺伝子制御が乱れるため、そうした変異を持った個体は生き残りにくく、結果としてTAD内部は変異が起こりにくい「保守された領域」になっています。
一方で、健常な人々のゲノムを大規模に調べると、意外な事実も見えてきます。一般集団ではTAD境界の最大62%で、境界を壊すような欠失が見つかるにもかかわらず、多くの人ははっきりした症状を示していません[10]。これは、一部のTAD境界には機能的な「予備・冗長性」があり、周囲の環境で緩衝されていることを示唆します。ところがその裏返しとして、健常集団では一度も欠失が観察されない、厳密に守られた境界が約38%存在します。この「保存されたTAD(Reserved TAD、R-TAD)」には、OMIMに登録されるような病気の原因遺伝子がとりわけ多く含まれています。つまりゲノムには、「壊れても臨床的に無害な境界」と、「わずかな喪失でも重い症状に直結する必須の境界(R-TAD)」という、非対称な二つの顔があるのです。
健常集団から見たTAD境界の二面性
全TAD境界に占める割合(模式)
欠失が見つかりうる境界
冗長性・緩衝あり(無症状のことも)
R-TAD(保存された境界)
病原性遺伝子が集中する必須領域
さらに、核内でどのDNAどうしが近くにあるかという配置そのものが、新たに起こる構造変異のパターンを決める物理的な制約にもなります。DNAの二本鎖が切れて再びつながる(転座など)とき、その相手は核内で近くにいたパートナーが選ばれやすいためです。Bloom症候群やファンコニ貧血、Werner症候群など、ゲノムが不安定になる病気で見られる特徴的な再編成パターンにも、こうしたTADによる立体的な制約が反映されていると考えられています。
7. TAD境界の破綻が招く病気:先天奇形からがんまで
🔍 関連記事:ゲノム疾患・微小欠失・微小重複とCNV/染色体の構造異常/FOXG1遺伝子
TADやサブTADの構造が遺伝的・エピジェネティックに壊れると、本来は隔てられていたエンハンサーと遺伝子が誤って結び付き、重い病気の直接の原因になります。この「あってはならない出会い」をエンハンサー採用(エンハンサー・ハイジャック)と呼びます。計算科学的な予測では、人の病原性コピー数変異(CNV)のうち最大12%が、このTAD境界の破壊によるエンハンサー採用に起因すると見積もられています[11]。TAD境界が正常なゲノム機能に必要であることは、境界を人為的に操作した研究からも裏付けられています[15]。
先天性の発達異常:四肢の奇形とEPHA4遺伝子座
もっとも明快に実証された例が、WNT6 / IHH / EPHA4 / PAX3 という遺伝子が並ぶ領域の構造異常です。ここで欠失・逆位・重複といった構造変異が起こると、EPHA4を包む大きなTADの境界が失われたり位置がずれたりします。すると、本来はEPHA4の手足の発生を制御していたエンハンサー群が仕切りを越えてしまい、隣のTAD内のPAX3やWNT6、IHHのスイッチを異常に押してしまい、短指症や合指症といった四肢の奇形を引き起こします[13]。同じような境界の喪失は、成人発症の進行性の中枢神経脱髄疾患を招くLMNB1遺伝子座や、先天性のレット様症候群を再現するFOXG1遺伝子座でも確認されています。
ループ押し出し装置そのものの病気:コヒーシノパチー
TADは「境界が壊れる」ことだけでなく、「TADを作る道具そのものが壊れる」ことでも病気になります。これがコヒーシノパチーと呼ばれる疾患群です。ループ押し出しの積み込み係であるNIPBLや、コヒーシンの部品であるRAD21、SMC1A、SMC3、そして関連酵素のHDAC8などに生まれつきの変異があると、コルネリア・デ・ランゲ症候群という、特徴的な顔つき・成長障害・発達の遅れを伴う疾患を生じます。原因遺伝子によってRAD21による4型、HDAC8による5型など複数の型に分類されます。また、境界因子であるCTCFそのものの機能が半分になると、CTCF関連神経発達障害(MRD21)を生じます。これらは、この記事で解説してきた「コヒーシン」「CTCF」「ループ押し出し」という分子のしくみが、実際の患者さんの診断に直結することを示す好例です。こうした遺伝子は、当院でもコルネリア・デ・ランゲ症候群NGS遺伝子パネルで解析対象としています。
がんにおける境界破綻:微小欠失とエピジェネティックな崩壊
がん細胞のゲノムでは、TADが細かく分断されたり融合したりして、大規模な遺伝子発現の再編成が起こります。その仕組みは大きく二つに分けられます。一つ目は、遺伝的な「微小欠失」による境界破壊です。T細胞急性リンパ性白血病(T-ALL)では、がん遺伝子TAL1やLMO2を包むCTCF境界が500キロベース未満の小さな欠失で狙い撃ちのように壊され、その結果、隣接する強力なスーパーエンハンサーがこれらのがん遺伝子を乗っ取り、持続的に活性化させます[11][12]。
💡 用語解説:オンコメタボライト(2-HG)とは
がんを促進する働きを持つようになった、異常な代謝産物のことです。IDH1/IDH2という遺伝子に機能獲得型の変異が起こると、細胞の中に「2-ヒドロキシグルタル酸(2-HG)」という物質が異常に溜まります。この2-HGが、DNAのメチル化を消す酵素(TET)を邪魔するため、ゲノム全体でメチル化が過剰になります。メチル化はいわば「付箋」で、これが境界のCTCF結合部位に付くと、CTCFがDNAから外れてしまい、TADの仕切りが機能的に失われます。
二つ目が、このDNAメチル化による境界の崩壊です。脳腫瘍(グリオーマ)や一部の白血病で見られるIDH変異では、溜まった2-HGがメチル化を暴走させ、CTCFが本来つくべき境界から外れてしまいます。IDH変異グリオーマでは、重要ながん遺伝子PDGFRAを守っていた境界のCTCF結合部位が過剰にメチル化されて仕切りが消え、隣の領域にあったハウスキーピング遺伝子FIP1L1のエンハンサーがPDGFRAのスイッチに不適切にアクセスして、腫瘍増殖のシグナルが入りっぱなしになります[14]。興味深いことに、これらの細胞にDNAメチル化を抑える薬(5-アザシチジンなど)を作用させると、メチル化が下がってCTCFが戻り、境界が復元されてPDGFRAの異常な高発現が劇的に抑えられます。ゲノムの配列自体を書き換えなくても、エピジェネティックな変化だけでTADの立体構造が「崩壊」し、発がんに至る経路が実験的に完璧に示されたのです。
8. 遺伝医療との接続:非コード領域を読み解く地図として
🔍 関連記事:遺伝カウンセリングとは/臨床遺伝専門医とは
TADは基礎研究の話にとどまりません。遺伝子診断・遺伝形式・遺伝カウンセリングのそれぞれに、具体的につながっています。遺伝子診断の面では、全ゲノムシーケンス(WGS)を解釈するとき、タンパク質をコードしない領域で見つかった欠失や重複が「本当に病気を起こすのか」を判断する必要があります。ここでTADやサブTADの地図を重ね合わせることで、その変異が境界を壊してエンハンサー採用を引き起こすかどうかを予測できるようになります。従来のパネル検査では見逃されがちだった非コード領域の病原性を、立体構造の視点から評価するAIモデルの導入も進みつつあります。
遺伝形式の面では、区別が重要です。コヒーシノパチーのように、TADを作る装置の変異が精子・卵子の段階から全身の細胞に受け継がれる「生殖細胞系列変異」の場合、その多くは両親にはない新生突然変異(de novo変異)として生じます。一方、がんで見られるIDH変異や微小欠失は、生まれた後に特定の細胞だけに起こる「体細胞変異」で、次の世代には受け継がれません。同じ「TADの破綻」でも、遺伝するものと遺伝しないものがあることを正しく理解することが、家族の不安に応えるうえで欠かせません。
💡 用語解説:生殖細胞系列変異と体細胞変異
生殖細胞系列変異は、精子や卵子の段階から持っている変異で、受精後すべての細胞に共有され、次の世代に受け継がれる可能性があります。コヒーシノパチーはこのタイプです。一方体細胞変異は、生まれた後に体の一部の細胞だけに生じる変異で、がんの多くがこれにあたり、原則として遺伝しません。TADの破綻はこの両方で起こり得るため、遺伝カウンセリングでは「どちらのタイプか」を丁寧に見極めます。
遺伝カウンセリングの面では、非コード領域の変異やコヒーシノパチーの診断がついたとき、その意味・再発の可能性・検査の選択肢を、ご本人やご家族と一緒に整理していくことが役割になります。当院では臨床遺伝専門医が、遺伝カウンセリングを通じて、検査結果をどう受け止め、どう次の一歩につなげるかを、中立的な立場でサポートしています。なおHi-Cのような3D構造解析は現時点では研究段階の手法であり、日常診療の検査として提供されるものではありません。TADはあくまで、既存の遺伝子検査の結果を「立体的に読み解く」ための知識の地図として位置づけられます。
9. よくある誤解
誤解①「TADの境界は完全な壁だ」
TAD境界はすべての接触を一律に遮断する壁ではありません。エンハンサーとプロモーターの相互作用のうち約3分の1は境界を越えて機能しており、境界は「どの組み合わせを通すか」を選ぶ動的なフィルターとして働いています。
誤解②「境界の欠失は必ず病気になる」
健常な人でも多くのTAD境界に欠失が見つかりますが、大半は症状を示しません。冗長性で緩衝される境界がある一方、わずかな喪失でも重症化する必須の境界(R-TAD)もあり、境界ごとに重要度が大きく異なります。
誤解③「遺伝子の配列が正常なら安心」
タンパク質をコードする配列が正常でも、TADの配線が乱れる(エンハンサー採用)ことで病気は起こります。病原性CNVの最大12%が境界破壊に起因すると見積もられており、非コード領域の評価が重要です。
誤解④「TADの異常はすべて遺伝する」
TADの破綻には、次世代に受け継がれ得る生殖細胞系列変異(コヒーシノパチーなど)と、遺伝しない体細胞変異(がんのIDH変異など)の両方があります。どちらかは診断ごとに見極めが必要です。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
- [1] Dixon JR, et al. Topological domains in mammalian genomes identified by analysis of chromatin interactions. Nature. 2012. [PMC3356448]
- [2] Topologically associating domains and their role in the evolution of genome structure and function in Drosophila. Genome Research. [PMC7919452]
- [3] Two CTCF motifs impede cohesin-mediated DNA loop extrusion. bioRxiv(プレプリント). 2025. [bioRxiv]
- [4] CTCF as a boundary factor for cohesin-mediated loop extrusion: evidence for a multi-step mechanism. PMC. [PMC7566886]
- [5] Transcription shapes 3D chromatin organization by interacting with loop extrusion. PNAS. [PNAS]
- [6] TAD-dependent sub-TAD is required for enhancer–promoter interaction enabling the β-globin transcription. PMC. [PMC11698014]
- [7] Uncovering topologically associating domains from three-dimensional genome maps with TADGATE. Nucleic Acids Research. 2025. [NAR]
- [8] Enhancer–promoter interactions can form independently of genomic distance and be functional across TAD boundaries. PMC. [PMC10899756]
- [9] Boundary stacking interactions enable cross-TAD enhancer-promoter communication during limb development. bioRxiv(プレプリント). [bioRxiv]
- [10] Lessons from the analysis of TAD boundary deletions in normal population. bioRxiv(プレプリント). [bioRxiv]
- [11] When TADs go bad: chromatin structure and nuclear organisation in human disease. F1000Research. [F1000Research]
- [12] TAD disruption as oncogenic driver. PMC. [PMC4880504]
- [13] Disruptions of topological chromatin domains cause pathogenic rewiring of gene-enhancer interactions. PMC. [PMC4791538]
- [14] Insulator dysfunction and oncogene activation in IDH mutant gliomas. PMC. [PMC4831574]
- [15] Topologically associating domain boundaries are required for normal genome function. PMC. [PMC10119121]



