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USP8遺伝子とは|脱ユビキチン化酵素USP8の働きと関連する病気

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。2025年国際誌『Global Woman Leader』表紙抜擢など、世界基準の出生前診断と遺伝カウンセリングを提供。

USP8遺伝子は、細胞の中で「もう要らない」「壊れた」といったタンパク質に付けられる小さな目印(ユビキチン)を外す消しゴム役の酵素の設計図です。一見地味な役割ですが、この酵素のブレーキが壊れるとクッシング病という重い内分泌の病気が起こり、逆に遺伝で両親から受け継がれて働きが弱まると遺伝性の歩行障害(SPG59)が起こります。同じ遺伝子なのに「強くなりすぎる変異」と「弱くなる変異」で正反対の病気になる——本記事では、この奥深いUSP8遺伝子のしくみと病気との関わりを、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 脱ユビキチン化酵素・内分泌・遺伝
臨床遺伝専門医監修

Q. USP8遺伝子とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. USP8遺伝子は、タンパク質に付いた「分解の目印(ユビキチン)」を外して、そのタンパク質を分解から守る脱ユビキチン化酵素をつくる遺伝子です。細胞内の物流(エンドソーム)やシグナル伝達を調節する司令塔として働きます。下垂体の腫瘍細胞で後から生じる「体細胞の機能獲得型変異」はクッシング病の最も多い原因の一つで、これはお子さんには遺伝しません。一方、生まれつき両親から受け継ぐ「生殖細胞系列の劣性変異」は遺伝性痙性対麻痺59型(SPG59)を起こし、こちらは家系内で遺伝します。同じ遺伝子でも変異のタイプで意味がまったく変わります。

  • USP8の正体 → 第15番染色体にある、ユビキチンを外す「脱ユビキチン化酵素(DUB)」の設計図
  • 自己阻害のしくみ → 自分自身にブレーキをかけて待機。カギを握るのが718番目のセリン(Ser718)と14-3-3タンパク質
  • クッシング病 → 体細胞の機能獲得型変異でブレーキが壊れ、ACTHが過剰に出る。遺伝しないタイプ
  • SPG59 → 生殖細胞系列の劣性変異で働きが弱まり、進行性の歩行障害が起こる。遺伝するタイプ
  • 診断と遺伝カウンセリング → 「体細胞か生殖細胞系列か」でご家族のリスクが大きく変わる

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1. USP8遺伝子とは:タンパク質の「目印」を外す消しゴム役

私たちの細胞の中では、毎秒のように無数のタンパク質が作られ、役目を終えたものは壊されています。この「壊す順番待ち」の目印として付けられるのが、ユビキチンという小さなタンパク質です。ユビキチンが付いたタンパク質は、プロテアソームリソソームという「ゴミ処理場」へ運ばれて分解されます。USP8がつくる酵素は、この目印をあとから外して、タンパク質を分解から救い出す働きをします[1]

💡 用語解説:脱ユビキチン化酵素(DUB)

ユビキチンという「分解の目印」を外す酵素を、脱ユビキチン化酵素(Deubiquitinating enzyme=DUB)と呼びます。ヒトには約100種類のDUBがあり、USP8はその中でも「ユビキチン特異的プロテアーゼ8(Ubiquitin-specific protease 8)」というグループに属します。目印を付ける酵素(E3リガーゼ)と外す酵素(DUB)がせめぎ合うことで、細胞内のタンパク質の量が「ちょうどよく」保たれています。USP8はこのバランスを動かす重要な調整役です。

USP8遺伝子はヒトの第15番染色体(15q21.2)に位置し、よく似た配列の偽遺伝子が第2番・第6番染色体にも存在します[1]。作られるUSP8タンパク質は1,118個のアミノ酸からなる約130 kDaの大きな酵素で、UBPy(ユーピーワイ)という別名でも知られています。標的タンパク質からK48型・K63型という2種類のユビキチン鎖のどちらも効率よく外せるのが特徴です[1]

USP8は単なる「消しゴム」ではなく、細胞内ネットワークの中核的な結節点(クリティカル・ノード)として働きます。エンドソームでの受容体の仕分け、細胞が増殖サイクルへ入る判断、免疫の調節、幹細胞の性質の維持、さらには精子形成まで、その役割は驚くほど多彩です[1]。だからこそ、この遺伝子の働きが乱れると全身にさまざまな影響が現れます。

2. USP8の分子構造:5つの部品と「自己阻害」のしくみ

USP8が「適切な場所で、適切なタイミングだけ」働けるのは、その長い体に組み込まれた複数の部品(ドメイン)と、巧妙な「自己阻害(オートインヒビション)」のしくみのおかげです。N末端(頭側)からC末端(尻尾側)へ順に、MITドメイン、ロダネーゼ様ドメイン、長い天然変性領域(IDR)、WW様ドメイン、そして酵素の中心であるUSP触媒ドメインが並びます[2]

USP8タンパク質のドメイン構造(全1,118アミノ酸) N末端(頭)から C末端(尻尾)へ並ぶ5つの部品 MIT ロダネーゼ様 天然変性領域(IDR) WW様 USP触媒ドメイン(消しゴム本体) 1 1118 Ser718 14-3-3が結合する場所 =クッシング病のホットスポット ブレーキ役

USP8の5つの部品。尻尾側のWW様ドメインが、消しゴム本体(USP触媒ドメイン)の入口に栓をしてブレーキをかけている。718番目のセリン(Ser718)周辺は、クッシング病の変異が集中する「ホットスポット」。

頭側のMITドメインとロダネーゼ様ドメインは、USP8を細胞内の正しい膜(エンドソーム)へ案内し、最初の標的を見つける役割を担います[2]。間をつなぐ約460アミノ酸もの長い天然変性領域(IDR)は決まった形をもたず、多くの調節タンパク質が結合する「広場(相互作用ハブ)」として働きます。このIDRの中に、後で重要になる718番目のセリン(Ser718)が置かれています[2]

💡 用語解説:14-3-3タンパク質と「自己阻害」

14-3-3(イチヨンサンサン)タンパク質は、細胞内にたくさんある「留め金」のようなアダプタータンパク質です。相手のタンパク質のリン酸化された部分にくっつき、形を固定したり、別の場所へ運んだりします。

USP8では、Ser718がリン酸化されると14-3-3が結合します。すると尻尾のWW様ドメイン(特に655番目のトリプトファン=Trp655が重要)が、消しゴム本体の入口に「栓(プラグ)」のように入り込み、ユビキチンが入る隙間を狭めます。つまりUSP8は、ふだんは自分で自分にブレーキをかけて待機しているのです。この自分で自分を抑える性質を「自己阻害」と呼びます。

完全長USP8の立体構造解析では、酵素は伸びた一本鎖のような形をとり、WW様ドメインが触媒ドメインのユビキチン結合部位(S1ポケット)に物理的に入り込んでいることが確認されています[3]。14-3-3の結合はこのブレーキをさらに固める働きをします。「常にブレーキがかかった状態で待機し、必要なときだけブレーキを外す」——この厳格な制御こそが、USP8の安全装置(フェイルセーフ)です。後で述べるように、この安全装置の故障がクッシング病の引き金になります[2]

3. エンドソームと受容体の運命を決める司令塔

細胞の表面にある受容体は、外からの信号を受け取ると細胞内へ取り込まれ、エンドソームという袋に入ります。ここで「もう一度表面に戻して再利用するか」「リソソームへ送って分解するか」が決まります。USP8はこの運命の分かれ道をユビキチンの操作によって決定する司令塔です。

代表的な標的が上皮成長因子受容体(EGFR)です。EGFRは刺激を受けるとユビキチンで「分解しなさい」と目印を付けられますが、USP8がその目印を外すと、分解が遅れて受容体が安定化し、増殖シグナル(MAPK経路)が長く続きます[4]。USP8はエンドソーム上のESCRT-0という複合体(HrsとSTAM)と結合してリクルートされ、EGFRに近づいてユビキチンを調節します[4]

💡 用語解説:ESCRT複合体と受容体チロシンキナーゼ(RTK)

ESCRT複合体は、ユビキチンの目印が付いた受容体を捕まえて、エンドソームの内側へ仕分けるベルトコンベアのような装置です。USP8はこの装置と協調し、目印を外したり、装置の部品自体を分解から守ったりします。

受容体チロシンキナーゼ(RTK)は、EGFRに代表される「外の成長シグナルを受け取るアンテナ兼スイッチ」です。RTKがオンになり続けると細胞は増え続けます。USP8はRTKの寿命を延ばす方向に働くため、その活性が強すぎると増殖シグナルが過剰になります。

さらに近年、USP8がエンドソーム自体の「成熟」を直接動かしていることが分かってきました[5]。初期エンドソームはRab5、後期エンドソームはRab7という目印で区別されますが、USP8はRab5を活性化する因子(Rabex5)をエンドソーム膜から引きはがし、同時にRab7を活性化する装置を呼び込むことで、「初期から後期への切り替えスイッチ」を押し下げます[5]。USP8が欠けた細胞では、巨大に膨れた初期エンドソームがたまり、消化を担うリソソームが未発達のままになる重い成熟不全が起こります[5]

4. 多彩なシグナルと生命現象へのかかわり

USP8が「多面的(プロミスカス)なDUB」と呼ばれるのは、EGFR以外にも数多くのタンパク質を標的とし、発生・代謝・免疫・神経・生殖など幅広い場面で働くからです[1]。発生に不可欠なヘッジホッグ経路では、USP8が中心分子SMO(Smoothened)を脱ユビキチン化して安定化させ、転写因子GLI2を介して下流の遺伝子発現を強く促します[1]。骨をつくる前駆細胞では、Wnt受容体FZD5を安定化させて骨形成(骨格発生)を推進します[7]

細胞内の大きな分解システムであるオートファジーも、USP8の監視下にあります。USP8はオートファジーの受容体SQSTM1(p62)の420番目のリジンに付くユビキチンを外し、p62自身の分解を抑えてオートファジーの動きを調節します[6]。下の表に、USP8の主な標的とその意味をまとめました。

標的(基質) 関わる経路・現象 USP8の作用
EGFR 受容体チロシンキナーゼ・増殖シグナル 分解を妨げ、MAPK(増殖)シグナルを延長
SMO ヘッジホッグ経路(発生) 安定化し、GLI2を介した転写を活性化
SQSTM1(p62) 選択的オートファジー K420のユビキチンを外し、p62の分解を抑制
FZD5 Wnt経路・骨形成 受容体を安定化し、骨格発生を推進
BACE1 神経変性(アルツハイマー病) 分解を妨げ、アミロイドβ形成に関与
BIRC6・KIF23 細胞周期(S期・分裂期) 細胞分裂の完了を支援
OGT がんの代謝・薬剤耐性 酵素を安定化し、腫瘍の悪性度を高める

このほか、免疫では過剰な反応を抑える「T細胞アネルギー」の維持、神経ではアルツハイマー病に関わるBACE1の調節、生殖では精子の先体(アクロソーム)の生合成にも関与します[1]。USP8をマウスで完全に欠かせると胎児が育たず、成体で働きを止めると致死的な肝不全が起こることから、生命の維持に欠かせない酵素であることが分かります[1]

5. クッシング病:体細胞の「機能獲得型変異」が起こす病気

クッシング病は、下垂体(脳の下にある内分泌の司令塔)にできた腫瘍が副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を過剰に出し、副腎からコルチゾールが出すぎる病気です。満月様顔貌・中心性肥満・高血圧・糖尿病・骨粗鬆症などを起こし、放置すると命に関わります。長年その遺伝的原因は謎でしたが、次世代シーケンサーによる解析で、ACTH産生下垂体腺腫の約35〜65%にUSP8遺伝子の体細胞変異が見つかることが分かり、疾患概念を覆すブレイクスルーとなりました[8][9]。クッシング病全体の位置づけはクッシング症候群の解説ページもあわせてご覧ください。

この変異にはいくつかの特徴があります。第一に、変異は女性に有意に多くみられ、小児のクッシング病でも同様に高い頻度で確認されます[10]。第二に、USP8変異を持つ腫瘍はサイズが小さい(微小腺腫が多い)にもかかわらず、強いACTH産生能を示します[9]。第三に、この変異はクッシング病に極めて特異的で、成長ホルモン産生腺腫など他のタイプの下垂体腫瘍ではほとんど見られません[8]

💡 用語解説:機能獲得型変異とミスセンス変異

機能獲得型変異とは、遺伝子の働きが「オン」のまま強まってしまう変異です。USP8のクッシング病変異はこのタイプで、本来のブレーキが外れて酵素活性が高まりすぎ、ACTH産生のアクセルが踏まれ続けます。

ミスセンス変異とは、DNAの1文字が変わってアミノ酸が別のものに置き換わる変異です。USP8変異の多くは、720番目のプロリンがアルギニンに変わるP720R(c.2159C>G)のようなミスセンス変異で、Ser718の近くに集中しています。なかにはフレームシフト変異(読み枠のずれ)も報告されています。

変異が起こると何が起こるのでしょうか。クッシング病の変異は、エクソン14にある14-3-3結合モチーフ(Ser718の周辺)にきれいに集中(ホットスポット)しています[9]。この部分が変わると14-3-3が結合できなくなり、ブレーキの「蓋」が外れます。蓋を失ったリンカー領域は細胞内のタンパク質分解酵素に切断され、自己阻害を免れた約40 kDaの「過活動型USP8の断片」が生まれます[11]。この暴走した断片がEGFRやSMOを無差別に安定化させ、MAPK・GLI2経路を介してPOMC(ACTHの前駆体)の転写を強烈に促し、ACTHが過剰に分泌され続けるのです[9]

✅ 正常なUSP8(ブレーキON)

  • Ser718に14-3-3が結合
  • WW様ドメインが触媒部位に栓
  • 自己阻害が保たれる
  • EGFR・SMOは適度に分解
  • ACTHは正常範囲

⚠️ 変異したUSP8(ブレーキ故障)

  • 14-3-3が結合できない
  • 蓋が外れて切断される
  • 過活動型の断片が暴走
  • EGFR・SMOが安定化
  • POMC転写が亢進しACTH過剰
仲田洋美院長

🩺 院長コラム【コルチゾールの暴走を、分子の言葉から理解する】

私はがん薬物療法専門医・総合内科専門医として、副腎皮質癌や異所性ACTH症候群のように、コルチゾールが過剰になる状態に向き合うことがあります。文献を踏まえて痛感するのは、極端な高コルチゾール血症は感染症や心血管の事故を一気に引き寄せるため、いかに速く・確実にホルモンを抑えるかが予後を分けるという事実です。

USP8の発見が美しいのは、「なぜ小さな腫瘍が大量のACTHを出すのか」という長年の謎に、分子の言葉で答えを与えた点です。たった一つの安全装置(自己阻害)の故障が、全身のホルモン異常へとつながる——この一本の糸を読み解く視点は、内分泌の診療と分子遺伝学が交わる、私がもっとも心を惹かれる領域の一つです。

なお、USP8変異を持たないクッシング病の腫瘍では、別の脱ユビキチン化酵素であるUSP48や、BRAFという遺伝子の変異が同じくPOMC/ACTH産生を高めることが報告されています[13]「ユビキチン系の2つの酵素(USP8・USP48)が下垂体腫瘍の形成に関わる」という枠組みは、この病気の理解を大きく前進させました。

6. SPG59:生殖細胞系列の変異による遺伝性の歩行障害

同じUSP8遺伝子でも、生まれつき両親から受け継ぐ変異は、クッシング病とはまったく別の病気を起こします。それが常染色体劣性痙性対麻痺59型(SPG59)です。これは進行性に下肢が突っ張り(痙縮)、つま先歩きやはさみ脚歩行、腱反射の亢進、クローヌスなどがみられる遺伝性の歩行障害で、境界域の知的障害を伴うこともあります[12]。詳しい臨床像はSPG59の疾患ページで解説しています。

💡 用語解説:常染色体劣性(潜性)遺伝と機能喪失型変異

常染色体劣性(潜性)遺伝とは、父由来・母由来の2本の遺伝子の両方に変異がそろって初めて発症するタイプです。両親はそれぞれ片方だけに変異を持つ「保因者」で、ふつう症状はありません。両親がともに保因者の場合、お子さんが発症する確率は25%です。

機能喪失型変異とは、遺伝子の働きが弱まる・失われる変異です。SPG59は、USP8本来の働きが不足することで神経が傷む病気と考えられ、クッシング病の「強くなりすぎる」変異とは正反対です。

ここがUSP8遺伝子のもっとも奥深いところです。「強くなりすぎる(機能獲得)」変異は体細胞で起きてクッシング病を「弱くなる(機能喪失)」変異は生殖細胞系列で受け継がれてSPG59を引き起こします。同じ遺伝子でも、変異の向き(強める/弱める)場所(体の細胞だけ/生殖細胞も含めた全身)によって、まったく違う病気・まったく違う遺伝のしかたになるのです。遺伝形式を正しく理解することが、ご家族のリスク評価の出発点になります。

7. がんとUSP8:野生型の「過剰発現」が悪さをする

USP8の遺伝子変異そのものはクッシング病に特異的ですが、変異がなくても野生型USP8が過剰につくられる(過剰発現)ことが、さまざまながんの進行に関わることが分かってきました[9]。胃がん・肝細胞がん・胆管がん・膵臓がん・大腸がん・非小細胞肺がんなど、主に消化器系のがんでUSP8の発現が高まっていると報告されています。

がん細胞は、USP8の強力な脱ユビキチン化活性を「乗っ取って」、自分の増殖や生存に有利なタンパク質を選択的に守ります。たとえば肝細胞がんや胆管がんでは、過剰なUSP8が糖鎖修飾酵素OGTを安定化させて腫瘍の悪性度を高め、FGFR阻害薬(ペミガチニブ)などの分子標的薬への薬剤耐性を生む原動力になることが示されています。また、細胞生存の司令塔であるAKT経路も持続的に活性化させ、がん細胞をアポトーシス(細胞死)から守ります。

つまりUSP8は、下垂体腫瘍では「変異による自己阻害の解除」、その他のがんでは「過剰発現による基質の安定化」という、文脈の違う2つのメカニズムで病態を後押しします。この「悪役としての顔」は、次に述べる治療標的としての価値にも直結しています。

8. USP8を標的とした治療研究の最前線

クッシング病の第一選択は、内視鏡などを用いた経蝶形骨洞手術(下垂体腫瘍の摘出)で、専門施設での寛解率は70〜80%に達します[9]。一方で、腫瘍が小さく場所を特定できない例や再発例も少なくありません。USP8の役割が明らかになったことで、その活性や下流経路を直接ねらう新しい治療の研究が世界中で進んでいます。以下はいずれも研究段階・前臨床段階の知見であり、確立した標準治療ではありません。

戦略 代表例 作用・特徴
USP8直接阻害剤 DUBs-IN-2 USP8への選択性が高く(USP7にはほぼ無効)、前臨床でPOMC・ACTHを低下[14]
ドラッグ・リパーパシング ニクロサミド等 既存の駆虫薬(サリチルアニリド系)にUSP8阻害作用を発見[15]
下流のEGFR遮断 ゲフィチニブ等 初代培養腫瘍細胞でACTH分泌を抑制したとの報告
内分泌標的薬 パシレオチド ソマトスタチン受容体に結合しACTH分泌を抑制(既承認薬)

特に、すでに安全性が確立した既存薬を転用する「ドラッグ・リパーパシング」は、希少疾患や難治がんに対する有望なアプローチです[15]。今後は、USP8阻害剤と作用機序の異なる薬を組み合わせる併用療法が、薬剤耐性を防ぎ患者さんを完全な寛解へ導くための鍵になると期待されています。ただし繰り返しになりますが、これらは研究段階の知見であり、当院が提供する治療ではありません。

9. 遺伝学的診断と遺伝カウンセリング:「体細胞か生殖細胞系列か」

USP8遺伝子をめぐって、患者さんやご家族にとって最も大切なのは、「その変異が体細胞のものか、生殖細胞系列のものか」という区別です。これは家族への遺伝のしかたを根本から左右します。

🧬 体細胞変異(クッシング病)

生まれた後に下垂体腫瘍の細胞だけに生じる変異で、お子さんには遺伝しません

変異は採血ではなく、手術で取り出した腫瘍組織を調べて確認します。

🧬 生殖細胞系列変異(SPG59)

精子・卵子の段階からあり全身の細胞が持つため、家系内で遺伝します

血液や唾液を用いた遺伝学的検査(遺伝子パネル・エクソーム解析など)で調べます。

この区別を踏まえて、検査の位置づけも変わります。クッシング病のUSP8変異は体細胞変異なので、出生前診断の対象にはなりません。一方、SPG59は生殖細胞系列の劣性疾患であり、ご家族に同じ症状の方がいる場合などには、出生後の遺伝学的検査や保因者のリスク評価が検討されます。なお現時点で、USP8は当院の検査メニューには収載されていません。臨床的な接点は遺伝カウンセリングを通じた情報提供とリスク評価が中心になります。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【同じ遺伝子でも、家族への意味はまったく違う】

臨床遺伝専門医として遺伝カウンセリングを行う立場から、USP8はとても示唆に富む遺伝子です。クッシング病の体細胞変異は「ご本人の腫瘍にだけ起きた変化」であり、お子さんやご兄弟に受け継がれるものではありません。ここを正確にお伝えするだけで、ご家族の不安が大きく和らぐことがあります。

一方、SPG59のように生殖細胞系列で受け継がれる劣性の病気では、ご両親が保因者であること、次のお子さんのリスクが25%であることなど、家系全体を見渡した説明が必要になります。「体細胞か、生殖細胞系列か」「強める変異か、弱める変異か」——この2つの軸を一緒に整理することが、遺伝医療の出発点だと考えています。

10. よくある誤解

誤解①「USP8変異のクッシング病は遺伝する」

クッシング病のUSP8変異は体細胞変異で、腫瘍細胞だけに生じます。お子さんには受け継がれません。遺伝するのは生殖細胞系列の変異(SPG59)です。

誤解②「変異が多い=重症で大きな腫瘍」

USP8変異を持つ腫瘍はむしろ小さい(微小腺腫が多い)のに、強くACTHを出すのが特徴です。サイズと産生能は一致しません。

誤解③「USP8阻害剤がもう治療に使える」

DUBs-IN-2などのUSP8阻害剤は前臨床・研究段階です。確立した標準治療ではなく、当院で提供しているものでもありません。

誤解④「1つの遺伝子の病気は1つだけ」

USP8は、機能獲得(クッシング病)と機能喪失(SPG59)という正反対の変異で、別々の病気を起こします。1遺伝子=1疾患とは限りません。

よくある質問(FAQ)

Q1. USP8遺伝子はどんな働きをしていますか?

USP8は、タンパク質に付いた分解の目印(ユビキチン)を外す脱ユビキチン化酵素をつくる遺伝子です。エンドソームでの受容体(EGFRなど)の運命を決めたり、エンドソームの成熟、細胞増殖、免疫、発生など幅広い場面でタンパク質の量を調整する司令塔として働きます。

Q2. USP8変異のクッシング病は子どもに遺伝しますか?

いいえ。クッシング病のUSP8変異は、生まれた後に下垂体腫瘍の細胞だけに生じる「体細胞変異」です。全身の細胞や精子・卵子には存在しないため、お子さんに受け継がれることはありません。遺伝するのは、生殖細胞系列で受け継がれる別タイプの変異(SPG59)です。

Q3. 同じUSP8でクッシング病とSPG59が起こるのはなぜですか?

変異の「向き」と「場所」が違うからです。クッシング病は、体細胞で起こる機能獲得型変異(働きが強くなりすぎる)で、自己阻害のブレーキが壊れてACTHが過剰になります。一方SPG59は、生殖細胞系列で受け継がれる劣性の機能喪失型変異(働きが弱まる)で、神経が傷みます。同じ遺伝子でも正反対の変化が、別々の病気を生みます。

Q4. USP8変異はどこに多いのですか?

クッシング病の変異は、エクソン14にある14-3-3結合モチーフ(718番目のセリン=Ser718の周辺)に集中しています。これを「ホットスポット」と呼びます。代表例は720番目のプロリンがアルギニンに変わるP720R(c.2159C>G)です。この部分が変わると14-3-3が結合できず、酵素のブレーキが外れて暴走します。

Q5. ミネルバクリニックでUSP8の検査は受けられますか?

現時点で、USP8は当院の遺伝子検査メニューには収載されていません。当院での臨床的な接点は、遺伝カウンセリングを通じた情報提供やご家族のリスク評価が中心になります。ご不安な点があれば、まずは臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングでご相談ください。

Q6. USP8阻害剤はもう治療に使えるのですか?

いいえ。DUBs-IN-2やRA-9などのUSP8阻害剤、駆虫薬を転用するドラッグ・リパーパシングは、いずれも前臨床・研究段階の知見です。確立した標準治療ではありません。クッシング病の現在の第一選択は、下垂体腫瘍を取り除く経蝶形骨洞手術です。

Q7. USP8はがんとも関係がありますか?

はい。遺伝子変異とは別に、野生型USP8が過剰につくられることが、胃がん・肝細胞がん・胆管がんなどの進行や薬剤耐性に関わると報告されています。がん細胞はUSP8の働きを乗っ取り、自分に都合のよいタンパク質を分解から守ります。ただしこれは腫瘍の生物学的な話であり、ご家族に遺伝するという意味ではありません。

Q8. USP8変異がないクッシング病もありますか?

あります。USP8変異を持たない腫瘍では、別の脱ユビキチン化酵素であるUSP48や、BRAF遺伝子の変異が同じくACTH産生を高めることが報告されています。ユビキチン系の複数の酵素が下垂体腫瘍の形成に関わることが分かってきており、原因の解明が進んでいます。

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参考文献

  • [1] Ubiquitin-specific protease 8 (USP8/UBPy): a prototypic multidomain deubiquitinating enzyme with pleiotropic functions. Biochem Soc Trans / PMC. [PMC6925526]
  • [2] Molecular basis of ubiquitin-specific protease 8 autoinhibition by the WW-like domain. PMC. [PMC8576004]
  • [3] Autoinhibition of ubiquitin-specific protease 8: Insights into domain interactions and mechanisms of regulation. PMC. [PMC11467669]
  • [4] Regulation of Epidermal Growth Factor Receptor Ubiquitination and Trafficking by the USP8·STAM Complex. PMC. [PMC2966105]
  • [5] Spatiotemporal recruitment of the ubiquitin-specific protease USP8 directs endosome maturation. eLife. [eLife 96353]
  • [6] The ubiquitin-specific protease USP8 directly deubiquitinates SQSTM1/p62 to suppress its autophagic activity. PMC. [PMC7138243]
  • [7] Deubiquitinating Enzyme USP8 Is Essential for Skeletogenesis by Regulating Wnt Signaling. Int J Mol Sci (MDPI). [MDPI]
  • [8] USP8 mutation in Cushing’s disease. PMC. [PMC4621883]
  • [9] Recurrent gain-of-function USP8 mutations in Cushing’s disease. Cell Research / PubMed. [PubMed 25675982]
  • [10] USP8 Mutations in Pituitary Cushing Adenomas—Targeted Analysis by Next-Generation Sequencing. PMC. [PMC5838826]
  • [11] USP8 Mutations Associated with Cushing’s Disease Alter Protein Structure Dynamics. PMC. [PMC11641493]
  • [12] Autosomal recessive spastic paraplegia type 59 (SPG59). Orphanet. [Orphanet 401795]
  • [13] Identification of recurrent USP48 and BRAF mutations in Cushing’s disease. Nature Communications. [Nat Commun]
  • [14] DUBs-IN-2 (Deubiquitinase / USP8 inhibitor). MedChemExpress. [MedChemExpress]
  • [15] Drug Repurposing in Cancer and Cushing’s Disease: Halogenated Salicylanilides Inhibit USP8 Catalytic Activity and ACTH Release by Pituitary Cells. DrugRepo Central. [ScienceOpen]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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