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STXBP1遺伝子とは?シナプスを支える設計図の働きと、変化が引き起こす神経発達症を遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

臨床遺伝専門医・がん薬物療法専門医・総合内科専門医。30年にわたる臨床のなかで、のべ10万人以上のご家族の切実な意思決定に伴走してきました。世界基準の出生前診断と遺伝カウンセリングを、終始責任をもって提供します。

📍 クイックナビゲーション

「言葉がなかなか出ない」「首のすわりや歩き始めがゆっくり」「けいれん発作をくり返す」——そんな心配を抱えて、いくつもの病院を回っても原因がわからないまま時間だけが過ぎていく。SYNGAP1(シナップワン)遺伝子の変化によって起こる発達の遅れやてんかんのお子さんとご家族は、長いあいだ、そんな不安のなかに置かれてきました。私は遺伝の専門医として、「原因がわからないこと」そのものが、どれほどご家族を消耗させるかを何度も見てきました。

でも、この十数年で状況は大きく変わりました。原因が一つの遺伝子にあることが特定され、病気の根っこにアプローチする新しい治療の研究が、いくつも動き始めています。この記事では、SYNGAP1遺伝子がどんな働きをしていて、なぜ変化すると発達の遅れやてんかんが起こるのか、そしてどう診断・ケアしていくのかを、一般の方にもわかる言葉で、遺伝専門医の立場から丁寧にお伝えします。

この記事でわかること
📖 読了時間:約15〜18分
📊 約13,000文字
臨床遺伝専門医監修

  • SYNGAP1遺伝子がどんな働きをしていて、なぜ変化すると病気になるのか
  • 「ハプロ不全」というしくみと、発達の遅れ・てんかん・自閉的特徴のつながり
  • 乳幼児期から現れる症状と、成長とともにたどる経過(自然歴)
  • 遺伝子治療・アンチセンス核酸・新しいてんかん薬など、最新の治療研究
  • 遺伝のしくみ、家族への伝わり方、出生前診断・NIPTとの関係

⏱ 30秒でわかる要約

Q. SYNGAP1遺伝子とは?
A. 脳の神経のつなぎ目(シナプス)で、情報のやりとりの強さを調整するSynGAPというタンパク質の設計図になる遺伝子です。この遺伝子が変化して働きが半分になると、中等度〜重度の発達の遅れ(知的障害)とてんかんを主とする神経発達症(SYNGAP1関連知的障害)が起こります。

Q. どんな症状が出ますか?
A. ほぼ全員に発達の遅れ・知的障害がみられ、約84%にてんかん、約半数に自閉スペクトラム症(ASD)を合併します。まぶたがピクピクする特徴的な発作など、SYNGAP1らしいてんかんのパターンも知られています。

Q. 遺伝しますか?
A. ほとんどは、ご両親に変化がなく、お子さんで初めて偶然に変化が生じる「新生突然変異(デノボ変異)」です。家族に同じ人がいなくても起こりうる病気です。

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SYNGAP1遺伝子とは——脳の「情報量の調整役」

脳の神経のつなぎ目で働く、大切なブレーキ役

SYNGAP1(Synaptic Ras GTPase-Activating Protein 1)遺伝子は、第6番染色体の短い腕の6p21.32という場所にあり、脳の神経細胞がつくるSynGAP(シナップ)タンパク質の設計図になっています[2]。このタンパク質は、大脳皮質や海馬など「考える・覚える」ことにかかわる部分の神経細胞に、とても豊富に存在します。

神経細胞どうしは、シナプスという小さなつなぎ目で情報をやりとりしています。SynGAPは、そのつなぎ目の受け手側(シナプス後部)に集まり、情報が伝わる強さを細かく調整する「ブレーキ役」として働いています。学習や記憶が成り立つためには、必要なときにアクセルを踏み、不要なときにはブレーキをかける——この絶妙なバランスが欠かせません。SynGAPは、まさにそのバランスの要を担っているのです。

🔬 用語解説:シナプスとは

シナプスは、神経細胞と神経細胞のあいだにある「情報の受け渡し場所」です。片方の神経から放出された化学物質を、もう片方の神経が受け取ることで、電気信号がリレーのようにつながっていきます。SynGAPは、この受け渡しの「強さ」を調整して、記憶や学習の土台をつくっています。強くなりすぎても弱くなりすぎても、脳の情報処理はうまくいきません。

「原因不明の知的障害」の、最も多い原因遺伝子のひとつ

SYNGAP1がヒトの病気の原因として初めて報告されたのは2009年のことです。Hamdanらのグループが、原因のわからない知的障害の患者さん94人のうち3人に、SYNGAP1遺伝子の新しく生じた機能を失うタイプの変化(デノボ変異)を見つけ、この遺伝子が知的障害の直接の原因になることを世界で初めて示しました[1]

それ以降、研究が急速に進み、今ではSYNGAP1の変化は、はっきりした身体的特徴を伴わない「非症候性」の知的障害の、最も高頻度の単一遺伝子性の原因のひとつと考えられています。てんかんをともなう患者さん500人を調べた研究ではSYNGAP1変異が約1%を占め[4]、知的障害の子ども931人の大規模研究では約0.75%に見つかっています[5]。数だけ見れば「まれ」ですが、原因のわからない発達の遅れの背景に、決して珍しくない頻度で隠れている遺伝子なのです。

✓ ここがポイント

SYNGAP1関連の病気は「新しく認識された病気」だからこそ、遺伝子を調べて初めて正しくたどりつけることが多いのが特徴です。原因のわからない発達の遅れやてんかんが続くときは、遺伝子検査を検討する価値があります。

なぜ起こるのか——遺伝子と「ハプロ不全」のしくみ

タンパク質が「半分」になることが病気の中心

私たちは遺伝子を、父由来・母由来の2本ずつ持っています。SYNGAP1関連の病気の中心にあるのは、「ハプロ不全(haploinsufficiency)」というしくみです。2本のうち1本が働かなくなると、つくられるSynGAPタンパク質の量がおよそ半分に減り、その「不足」そのものが症状を引き起こすのです[2]。多くの遺伝子は1本が壊れても残り1本で足りますが、SYNGAP1では「半分では足りない」——ここがこの病気を理解する最大のカギになります。

🔬 用語解説:ハプロ不全とは

ハプロ不全とは、2本ある遺伝子のうち1本が働かなくなり、タンパク質が「半分の量」しか作られないために、体の機能が保てなくなる状態です。SYNGAP1はこのタイプの代表例で、足りない分をどう補うかが、後半で紹介する新しい治療研究の共通のねらいになっています。ハプロ不全のくわしい解説はこちら

SYNGAP1の変化は、遺伝子の特定の場所に集中しているわけではなく、遺伝子全体に広く分布しています。ナンセンス変異・フレームシフト変異・スプライス変異といった「タンパク質を途中で切ってしまう・作れなくする」タイプの変化が多くを占めます[2]。加えて、全体の約11%では、SYNGAP1を含む6p21.3領域が丸ごと欠けてしまう微小欠失が原因になっています[2]。多くの病的変異では、最終的にSynGAPの機能量が不足するハプロ不全が中心的な病態となります。

🔬 用語解説:ミスセンス変異・微小欠失とは

ミスセンス変異はDNAの1文字が変わってタンパク質の部品(アミノ酸)が別のものに置き換わる変化、微小欠失は染色体のごく一部がまとまって失われる変化です。SYNGAP1ではさまざまなタイプの変化が報告されますが、多くの病的変異では結果としてSynGAPの機能量が不足することが病態の中心になります。遺伝子変異のくわしい解説はこちら

SynGAPは「二重の役割」でシナプスを守っている

SynGAPがどうやってシナプスを調整しているのか、その分子のしくみの解明は、現代の脳科学の大きな成果のひとつです。まず一つ目の役割は「化学反応を止めるブレーキ」です。神経が強く刺激されると、細胞内でRas(ラス)やERK(イーアールケー)という信号がアクセルとして働き、シナプスを強くします。SynGAPはこのアクセルを普段は抑えていて、必要なときだけブレーキが外れるように、学習のオン・オフを精密に管理しています[1]

二つ目の役割は、近年わかってきた「物理的な場所取り」です。シナプスの受け手側には、信号を受け取る部品(AMPA受容体など)が入るための「席(スロット)」が限られた数だけあります。SynGAPは非常にたくさん存在して、普段はこの席の大部分を物理的に占めています。学習のスイッチが入るとSynGAPがそこから一時的に離れ、空いた席に受容体が入り込んでシナプスが強まる——このように、SynGAPは酵素としてだけでなく「席を守るガードマン」としても働いていることが示されています。だからこそ、その量が半分に減ると、二重の意味でシナプスの調整が乱れてしまうのです。

正常な神経細胞のシナプス後肥厚では、SynGAPタンパク質が多数存在し、足場タンパク質PSD-95に結合してAMPAR-TARP受容体の席を占有し、Ras-ERK経路を抑制することでAMPA受容体の過剰な膜挿入を防いでいる。SYNGAP1ハプロ不全では、SynGAPタンパク質が半減し、結合スロットが空いてAMPAR-TARPが過剰に蓄積、Ras-ERK経路が活性化して神経の過興奮を引き起こす様子を、正常(左)とハプロ不全(右)で対比した図。

シナプス後肥厚におけるSynGAPの二重制御機構とハプロ不全の影響。正常(左)では、SynGAPがRas-ERK経路の抑制とPSD-95への物理的結合を通じてAMPARの過剰な膜挿入を防いでいます。SYNGAP1ハプロ不全(右)では、タンパク質の半減によりシグナル抑制の解除と結合スロットの空きが生じ、AMPARの過剰な蓄積と神経の過興奮を引き起こします。

遺伝の形式と「デノボ変異」——誰のせいでもない

SYNGAP1関連の病気は常染色体顕性(優性)遺伝という形をとります。2本のうち1本に変化があれば発症し、変化を持つ人はそれを50%の確率で次の世代に伝えます[2]。ただし臨床でとても大切なのは、これまで報告された患者さんのほとんどが、ご両親には変化がなく、お子さんで初めて偶然に生じた「新生突然変異(デノボ変異)」だということです[2]。精子や卵子が作られる過程や、受精のごく初期に、たまたま新しい変化が起きた結果です。

つまり、「家族に誰もいないから、この病気ではない」とは言えないということです。一方で、ごくまれに、親御さんが体細胞および生殖細胞のモザイクとして病的変異を持ち、お子さんに伝えた家系も報告されています[3]。このため、次のお子さんへの再発リスクは一般より少し高いと考えられており、ご家族への遺伝カウンセリングでは、この点を丁寧に整理することが大切になります。

親から子へ遺伝子が受け継がれる過程と、精子・卵子形成時に新たなデノボ変異が生じるイメージ

(親から子へ遺伝子が伝わるイメージ。新しく生じるデノボ変異は、精子や卵子が作られる過程で一定の確率で自然に起こります)

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「私のせいでしょうか」に、まずお答えしたい】

デノボ変異のお話をすると、多くのお母さんが「妊娠中に何かいけないことをしたのでしょうか」と、ご自分を責められます。私はそのたびに、はっきりお伝えします。デノボ変異は、いのちが受け継がれていくなかで一定の確率で自然に起こるもので、誰のせいでもありません。食生活でも、生活習慣でも、気持ちの持ちようでもないのです。

30年間、遺伝病やがんのご家族と向き合ってきて実感するのは、正しい知識は人を追い詰めるためではなく、不要な自責から解放するためにこそあるということです。「なぜ」の答えが分子のレベルでわかることは、ご自分を責めることをやめ、次の一歩を選ぶための力になります。一人で抱え込まず、まずは事実を一緒に整理しましょう。

どんな症状が、どんな順番で現れるのか(自然歴)

SYNGAP1関連知的障害(SYNGAP1-ID)の症状は多彩ですが、いくつかの中核となる特徴があります。世界の症例をまとめた総説によれば、この病気は発達の遅れ・てんかん・自閉的特徴を三本柱としています[2]。最初の異変に気づくのは、多くの場合、生後数か月から2歳ごろまでの間です。

主な症状の出現頻度

SYNGAP1関連知的障害の主な症状と頻度 発達の遅れ・知的障害 てんかん(全般てんかん) 自閉スペクトラム症(ASD)・行動特性 薬が効きにくいてんかん(てんかんのある人の約半数) 100% 約84% 約50% 約50% 出典:GeneReviews(SYNGAP1-Related Intellectual Disability)に基づく[2]。頻度は報告により幅があります。
領域 主な特徴
発達・知的 中等度〜重度の発達の遅れ・知的障害(ほぼ全員)。歩き始めの平均は約26か月。言葉の遅れが目立ち、5歳以上でも約3分の1は話し言葉を持ちません。乳児期の筋緊張の低さ(体がやわらかい)も特徴です。
てんかん 約84%に全般てんかん。まぶたがピクピクする発作(眼瞼ミオクロニー)を伴う欠神発作や、力が抜けて倒れる発作(脱力発作・ミオクロニー脱力発作)が特徴的。発症は生後6か月〜7歳と幅があります。
行動・精神 約半数に自閉スペクトラム症(ASD)。手をひらひらさせる常同行動、特定の物へのこだわり、多動、衝動性、癇癪、自傷などがみられることがあります。
感覚・全身 痛みを感じにくい(痛覚閾値の上昇)一方で特定の音に敏感(聴覚過敏)、睡眠の問題、医療的介入が必要なほどの便秘、斜視、まれに後天性の小頭症などが報告されています。

SYNGAP1らしい、特徴的なてんかん

SYNGAP1のてんかんは、その「見た目のパターン(発作症候)」に特徴があります。とくにまぶたがリズミカルにピクピクするミオクロニーを伴う欠神発作や、ミオクロニー脱力発作の組み合わせがよく知られています[2]。頭や体の力が突然抜けて倒れてしまう脱力発作(ドロップアタック)は、けがのリスクにつながるため注意が必要です。興味深いことに、食事中(かむ・飲み込む動作)や、目を閉じるという動作で誘発される発作が報告されている点も、この病気ならではの特徴です[2]

てんかんの重さには個人差があり、約半数は1種類の抗てんかん薬でコントロールできますが、残りの約半数は薬が効きにくい(薬剤抵抗性)のが実情です[2]。頻繁な発作が発達にさらに影響することもあり、発作のコントロールは大きな課題です。一部の患者さんでは、ケトジェニック食(ケトン食)で発作が改善したという報告もあります[2]

寿命についてのまとまったデータはまだ多くありませんが、少なくとも31歳まで元気に過ごしている成人例が報告されており、大人になっても生活を続けられることが示されています[6]。むしろ、かつては高度な遺伝子検査が一般的でなかったため、原因不明の知的障害やてんかんとして過ごしている、診断のついていない大人のSYNGAP1患者さんが、まだ多くいる可能性が指摘されています[2]

どうやって診断するのか——検査と鑑別

SYNGAP1関連の病気は、症状を見るだけでは診断できません。確定には遺伝子検査が欠かせません。実際の診断では、染色体マイクロアレイ(CMA)、複数の遺伝子を一度に調べる遺伝子パネル検査エクソーム解析(全エクソーム解析)などが、臨床状況やこれまでの検査結果に応じて用いられます[2]

報告されたデータでは、SYNGAP1の中の1文字レベルの変化(配列解析で見つかるもの)が約89%6p21.3領域の欠失(マイクロアレイで見つかるもの)が約11%を占めます[2]。この二つの検査を組み合わせることで、多くの患者さんで原因を突き止めることができます。

見分けるべき病気と、脆弱X症候群とのつながり

SYNGAP1関連の病気は、知的障害・てんかん・自閉的特徴を示す他の多くの遺伝性疾患と症状が重なります。特徴的なまぶたのミオクロニーを伴う欠神発作ミオクロニー脱力発作のパターンが、鑑別の手がかりになることがあります[2]。逆にいえば、こうした特徴的な発作型に気づかないと、「原因不明のてんかん・知的障害」として長く扱われてしまうこともあります。

また、発達の過程でSYNGAP1は、脆弱X症候群の原因タンパク質であるFMRPと複雑に関わり合うことが知られています。脆弱X症候群も知的障害や自閉的特徴の代表的な遺伝性の原因であり、シナプスのタンパク質づくりの調整という点で、SYNGAP1と共通の土俵にあります。こうした「シナプスの病気」どうしのつながりの理解が、治療研究の共通の基盤になっています。

いまできるケア(対症療法と療育)

現時点では、遺伝子そのものを治す根本治療はまだ臨床で承認されていません。そのため、いまのケアの中心は症状に合わせた対応になります。てんかんに対しては複数の抗てんかん薬による発作管理、難治例にはケトジェニック食が検討されます[2]。同時に、幼少期からの理学療法・作業療法・言語療法、そして応用行動分析(ABA)などの療育が、お子さんの発達と生活の質を最大限に引き出すための標準的な支えになります[2]。便秘・睡眠・斜視・整形外科的な問題など、全身のケアも含めた多職種の連携が大切です。

最新の治療研究——「不足を補う」時代へ

SYNGAP1研究の最大のパラダイムシフトは、「生まれつきの脳の発達障害は取り返しがつかない」という長年の常識が、動物実験のレベルで覆されつつあることです。症状が出てからでも、足りないタンパク質を補えば、脳のはたらきを改善できる可能性が見えてきました。ここでは、性質の異なる複数のアプローチをご紹介します。いずれも研究・開発の段階であり、まだ一般診療で使える治療ではない点にご注意ください。

① 遺伝子を補充する治療(AAV遺伝子治療)

2025年、Allen Instituteの研究チームは、正常なSYNGAP1の遺伝子をアデノ随伴ウイルス(AAV)という運び屋に載せて脳へ届ける、SYNGAP1に対する初めての遺伝子補充療法をマウスで報告しました[7]。SYNGAP1は遺伝子が長くて運び屋に載せにくいという技術的な壁がありましたが、研究チームはこれを工夫で乗り越えました。

この治療を、ヒトでいえば1〜3歳ごろ(診断がつく時期)にあたる生後21日のマウスに1回投与したところ、脳内のSynGAPタンパク質がほぼ正常まで回復し、てんかんと関連する発作間欠期棘波(発作の合間に出る異常な脳の電気活動)が、有効用量で大きく減少しました[7]。学習や記憶に関わる脳波のパターンも正常化し、多動やリスクをとる行動といった行動面の異常も改善しました。ただし、発作そのものを完全には消せなかった点や、まだマウスでの結果である点には注意が必要です[7]。それでも「発達期を過ぎて症状が出た後でも改善が見込める」ことを示した意義はとても大きく、今後の希望となっています。

② 正常な遺伝子の「出力」を底上げする(アンチセンス核酸)

ハプロ不全では、もう一方の正常なコピーはちゃんと働いています。ならば、その正常なコピーからのタンパク質の産生を増やして不足を補えばよい——この発想に立つのがアンチセンスオリゴヌクレオチド(ASO)という核酸医薬です。2023年、Dawicki-McKennaらは、SYNGAP1のmRNA(設計図のコピー)が、PTBP2というタンパク質の働きで一部むだに分解されていることを突き止めました[8]

研究チームは、この「むだな分解」を止めるように設計したASOを使うと、患者さん由来のiPSC(人工多能性幹細胞)から作った神経細胞で、SYNGAP1の発現が部分的に回復することを示しました[8]。分解されるはずだったコピーを「生きた設計図」に振り向けることで、健康なレベルへ底上げしようというアプローチです。同様に、スプライシング(設計図の編集)を書き換えてSYNGAP1を増やす戦略も、マウスと人の神経細胞で報告されています[9]

🔬 用語解説:アンチセンス核酸(ASO)とは

ASO(アンチセンスオリゴヌクレオチド)は、遺伝子の「コピー(mRNA)」にぴたりと結合するよう設計された、短い人工の核酸です。狙った場所に貼りつくことで、mRNAの分解や編集の仕方を変え、必要なタンパク質を増やしたり減らしたりできます。すでに他の神経疾患では実用化されており、ハプロ不全を「底上げ」で補う有力な手段として期待されています。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「治せない」から「治せるかもしれない」へ】

私が医師になった30年前、生まれつきの脳の遺伝子の病気は「変えられないもの」として語られていました。だからこそ、動物実験とはいえ「症状が出た後でもタンパク質を戻せば改善する」という結果が出たことに、私は大きな希望を感じています。SYNGAP1関連の病気は、脳が「壊れている」のではなく、調整のしくみが「歪んでいる」状態——つまり、手を入れる余地がある病気なのだと考えられるようになってきたのです。

もちろん、これらはまだ研究段階で、明日すぐに使える治療ではありません。過度な期待は禁物です。それでも、正確な診断がついていることが、将来の新しい治療につながる入口になる——私はそう信じて、ご家族に「今わかることを、正しく知っておく意味」をお伝えしています。

③ 難治性てんかんへの新しい薬(次世代のてんかん薬)

遺伝子そのものを治す研究と並行して、SYNGAP1を含む難治性てんかんの発作を抑える新薬の開発も進んでいます。その一つが、Praxis社が開発中のリルトリジン(Relutrigine/PRAX-562)です。これは、発作の主要な要因とされる神経の「持続性ナトリウム電流」を選びやすく抑える、新しいタイプのナトリウムチャネル調整薬です[10]

重症のてんかん性脳症(SCN2A・SCN8Aによるもの)を対象とした第2相試験(EMBOLD試験)の第1コホートでは、運動発作の頻度をプラセボと比べて46%減少させ、良好な忍容性が報告されました[10]。長期投与の延長試験ではさらに大きな発作減少もみられています。ただし、この試験はSYNGAP1の患者さんを直接の対象としたものではありません。SYNGAP1を含む幅広い難治性てんかんへの応用が期待される、という段階の情報です。ここは誤解のないよう、はっきりお伝えしておきたい点です。

⚠️ 最新治療について大切なこと

ここで紹介した治療は、いずれも研究・開発の段階です。動物実験や少人数の細胞実験の結果が中心で、「明日から使える治療」ではありません。インターネット上の期待をあおる情報には十分ご注意ください。一方で、こうした研究が同時進行していること自体が、SYNGAP1関連の病気が「治療をめざせる病気」になりつつあることの表れでもあります。

SYNGAP1と出生前診断(NIPT)——何がわかり、何がわからないか

「おなかの赤ちゃんがSYNGAP1の病気かどうか、出生前にわかりますか?」——遺伝カウンセリングでよくいただくご質問です。まず大前提として、従来の一般的なNIPT(染色体の数を調べるもの)では、SYNGAP1のような単一遺伝子の小さな変化はわかりません。ダウン症など「染色体の本数の変化」を調べる検査と、「1つの遺伝子の文字の変化」を調べる検査は、まったく別のものだからです。

当院では、単一遺伝子を対象としたダイヤモンドプラン(56遺伝子)にSYNGAP1が含まれています。SYNGAP1関連の病気は、そのほとんどがご両親に変化のないデノボ変異で起こります。そのため、「家族歴がないから対象にならない」とは限りません。だからこそ、こうした新生突然変異(デノボ変異)を含めて調べられる検査には意味があります。

なお、すでにご家族内でSYNGAP1の病的変異が特定されている場合には、絨毛検査・羊水検査による標的型の出生前診断や、条件に応じて着床前遺伝学的検査(PGT-M)を検討できる場合があります[2]。どの方法が適切かは、ご家族の遺伝学的検査結果や妊娠週数などによって異なるため、個別の遺伝カウンセリングで整理します。

ただし、私が何よりお伝えしたいのは、検査は「受ける前の理解」がすべてだということです。何がわかって、何がわからないのか。陽性だったとき・判断に迷ったとき、どう考えていくのか。当院では、臨床遺伝専門医が運営し、カウンセリングから結果の説明、その後のケアまで、終始責任をもって支援します。数値だけをお渡しして終わりにはしません。

当院は、精度を最優先に、必要なものをターゲット法で正確に検査する体制を大切にしています。生涯にかかわる検査だからこそ、スピードよりも「正確性」を——これが私たちの一貫した考え方です。NIPTの詳細はNIPTトップページを、確定検査については羊水・絨毛検査のページをご覧ください。

長く付き合うために——遺伝カウンセリングの役割

SYNGAP1関連の病気のケアは、一つの科で完結するものではなく、神経(てんかん)、発達・療育、整形外科、消化器、眼科、睡眠など、生涯にわたる多職種の連携が必要です。そして、その土台になるのがご家族への遺伝カウンセリングです。ほとんどがデノボ変異でありながら、まれに生殖細胞モザイクによる再発もありうる——この病気の遺伝の説明には、正確な家系の把握とていねいなリスク評価が求められます[3]

正しい知識の共有と精神的な支えは、ご家族が前を向くための力になります。遺伝カウンセリングについては「遺伝カウンセリングとは」や、臨床遺伝専門医の解説もあわせてご覧ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. SYNGAP1の病気は治りますか?

現時点で、遺伝子そのものを治す根本治療はまだ一般診療にはありません。いまはてんかんの発作管理と療育(理学・作業・言語療法、ABAなど)が中心のケアになります。一方で、動物実験のレベルでは「症状が出た後でもタンパク質を補えば改善しうる」ことが示されており、遺伝子治療やアンチセンス核酸などの研究が進んでいます。過度な期待は禁物ですが、希望のある分野です。

Q2. 親に症状がなくても、子どもが発症することはありますか?

はい、あります。SYNGAP1関連の病気は新生突然変異(デノボ変異)による発症がほとんどです。ご両親に変化がなくても、お子さんで初めて偶然に変化が生じて発症することがあり、家族歴がないことは、この病気を否定する理由にはなりません。ごくまれに、親御さんが体細胞および生殖細胞のモザイクとして病的変異を持ち、お子さんに伝えた例も報告されています。

Q3. どんな症状がありますか?

ほぼ全員に発達の遅れ・知的障害がみられ、約84%にてんかん、約半数に自閉スペクトラム症(ASD)を合併します。まぶたがピクピクする発作を伴う欠神発作や、力が抜けて倒れる脱力発作が特徴的です。ほかに、痛みを感じにくい・特定の音に敏感・睡眠の問題・便秘なども知られています。

Q4. 大人になってから診断されることもありますか?

あります。少なくとも31歳まで元気に過ごしている成人例が報告されており、大人になっても生活を続けられることが示されています。むしろ、高度な遺伝子検査が普及する前は診断がつかなかったため、原因不明の知的障害やてんかんとして過ごしている、診断のついていない大人がまだ多くいると考えられています。

Q5. どうやって診断するのですか?

症状だけでは診断できず、遺伝子検査が必要です。染色体マイクロアレイ(CMA)遺伝子パネル検査エクソーム解析などが、臨床状況やこれまでの検査結果に応じて用いられます。SYNGAP1では、1文字レベルの変化が約89%、6p21.3領域の欠失が約11%を占めるため、この2つの検査の組み合わせが大切です。

Q6. NIPT(出生前診断)でSYNGAP1の変化は調べられますか?

従来の一般的なNIPT(染色体の数を調べるもの)では検出できませんが、当院のダイヤモンドプラン(単一遺伝子56遺伝子)にSYNGAP1は含まれています。ただし検査には限界もあり、何がわかり何がわからないのかを、遺伝カウンセリングで丁寧にご説明したうえで受けていただくことを大切にしています。

Q7. 次の子どもへの遺伝の確率は?

お子さんのSYNGAP1変化がデノボ(ご両親にない)であれば、次のお子さんの再発リスクは一般より少し高い程度と考えられますが、生殖細胞モザイクの可能性がゼロではないため、完全にないとは言えません。変化を持つご本人が子をもうける場合は、50%の確率で伝わります(常染色体顕性遺伝)。ご家族計画については、遺伝カウンセリングで個別に一緒に考えていきます。

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参考文献

  1. [1] Mutations in SYNGAP1 in autosomal nonsyndromic mental retardation. N Engl J Med. 2009. [PubMed: 19196676]
  2. [2] SYNGAP1-Related Intellectual Disability. GeneReviews® [Internet]. 2019 (Updated 2025). [NBK537721 / PMID: 30789692]
  3. [3] Mutations in SYNGAP1 cause intellectual disability, autism, and a specific form of epilepsy by inducing haploinsufficiency. Hum Mutat. 2013. [PubMed: 23161826]
  4. [4] Targeted resequencing in epileptic encephalopathies identifies de novo mutations in CHD2 and SYNGAP1. Nat Genet. 2013. [PubMed: 23708187 / PMC3704157]
  5. [5] Large-scale discovery of novel genetic causes of developmental disorders. Nature. 2015. [PubMed: 25533962 / PMC5955210]
  6. [6] Analysis of 31-year-old patient with SYNGAP1 gene defect points to importance of variants in broader splice regions and reveals developmental trajectory of SYNGAP1-associated phenotype: case report. BMC Med Genet. 2017. [PubMed: 28576131 / PMC5457574]
  7. [7] AAV delivery of full-length SYNGAP1 rescues epileptic and behavioral phenotypes in a mouse model of SYNGAP1-related disorders. Mol Ther. 2025. [PubMed: 40988338]
  8. [8] Mapping PTBP2 binding in human brain identifies SYNGAP1 as a target for therapeutic splice switching. Nat Commun. 2023. [PubMed: 37149717 / PMC10164156]
  9. [9] Upregulation of SYNGAP1 expression in mice and human neurons by redirecting alternative splicing. Neuron. 2023. [Neuron]
  10. [10] Praxis Precision Medicines Announces Positive Topline Results from the EMBOLD Study in SCN2A and SCN8A Developmental and Epileptic Encephalopathies. Praxis Precision Medicines (企業発表). 2024. [Praxis IR]

※本記事は一般の方および遺伝診療に関わる方に向けた情報提供を目的とするもので、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や検査・治療については、必ず主治医・専門医にご相談ください。記載した最新の治療研究の多くは研究・開発段階であり、一般診療で受けられる治療ではありません。

仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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