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PPP2R5D遺伝子とは?──PP2Aを調節する「B56δ」の働きと関連する病気をやさしく解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

PPP2R5D(ピーピーピーツーアールファイブディー)は、細胞の働きを細かく調整する大きな酵素「PP2A」の調節役であるB56δ(ビーごじゅうろくデルタ)というタンパク質の設計図となる遺伝子です。とくに脳の発達に重要な役割を担っており、この遺伝子に生まれつきの変化(多くは新生突然変異によるミスセンス変異)が起こると、大頭症や発達の遅れを特徴とするジョーダン症候群(PPP2R5D関連神経発達症/Houge-Janssens症候群1型)の原因になります。本記事では、この遺伝子の構造・本来の働き・病気が起こる分子のしくみ・関連する病気・検査・最新の治療開発までを、臨床遺伝専門医が一般の方にもわかるように解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 PPP2R5D・B56δ・PP2A・脳の発達
臨床遺伝専門医監修

Q. PPP2R5D遺伝子とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. PPP2R5Dは、細胞の働きを調整する酵素PP2Aの「調節役(B56δ)」の設計図となる遺伝子です。本来は脳の細胞が増えすぎないよう、成長シグナルにブレーキをかける役目を持っています。この遺伝子に病的な変化(多くは新生突然変異によるミスセンス変異)が起きると、ブレーキが効かなくなり、ジョーダン症候群(Houge-Janssens症候群1型)の原因になります。

  • 遺伝子の位置 → 6番染色体の6p21.1。16のエクソンから602アミノ酸のB56δが作られる
  • 本来の働き → PP2A酵素の一部として、AKT–mTOR経路を脱リン酸化で「正常に抑える」
  • 病気が起こるしくみ → 多くは電荷が逆転するミスセンス変異で、変異タンパクが正常な働きを邪魔する(ドミナントネガティブ)
  • 関連する病気 → ジョーダン症候群(HJS1)。大頭症・発達遅延・知的障害・てんかんなど
  • 治療の展望 → PDE4D阻害薬ザトルミラストの第2相試験、mTOR阻害薬、アレル特異的核酸医薬(ASO)

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1. PPP2R5D遺伝子の基礎:どこにあり、何を作るのか

遺伝子は、体の中で働くタンパク質を作るための「設計図」です。PPP2R5D遺伝子は、私たちの6番染色体の短い腕(6p21.1という場所)にあり、16個のエクソン(設計図の本文にあたる部分)から、602個のアミノ酸がつながったB56δというタンパク質が作られます[1]。このタンパク質は、後で詳しく説明する「PP2A」という大きな酵素の一部として組み込まれ、細胞の中で重要な調整役を果たします。

PPP2R5Dがとくに注目されるのは、脳での働きが非常に大きいためです。胎児期に神経細胞が生まれ・移動する場所(神経節隆起や脳室帯)や、生まれた後の前頭前皮質・小脳・海馬といった「考える・記憶する」中心部で強く働いていることが知られています[2]。つまりこの遺伝子は、胎児の脳が作られる段階から、生まれた後の高度な脳の働きまで、幅広く関わっているのです。

💡 用語解説:B56δ(ビーごじゅうろくデルタ)とは

B56δは、PP2Aという酵素の「行き先案内係(調節サブユニット)」です。PP2Aの仲間には、似た役目のB56タンパク質が5種類(α・β・γ・δ・ε)あり、PPP2R5Dが作るのはそのうちのδ(デルタ)型です。歴史的に「56 kDa(キロダルトン)調節サブユニット」と呼ばれてきたためB56という名前が付いていますが、実際の602アミノ酸のタンパク質の重さは計算上およそ70 kDaです。名前の由来と実際の重さが少し違うので、専門書を読むときの豆知識として知っておくと混乱しません。

PPP2R5D遺伝子そのものの正式な登録情報としては、OMIM(遺伝子・疾患のデータベース)番号601646、HGNC番号9312などがあります[3]。一方、この遺伝子の変化が引き起こす病気(ジョーダン症候群)はOMIM 616355(Houge-Janssens症候群1型)として別に登録されています。「遺伝子」と「病気」は別の番号で管理されている、という点が理解の入口になります。

2. PP2Aホロ酵素とは:B56δが組み込まれる「3人組の酵素」

PP2A(プロテインホスファターゼ2A)は、細胞の中でタンパク質から「リン酸」という小さな目印を外す働き(脱リン酸化)を担う、もっとも豊富で多機能な酵素のひとつです。細胞の増殖・分裂・生存・シグナル伝達の「ブレーキ役」として広く働いています[2]

💡 用語解説:リン酸化と脱リン酸化(細胞のオン・オフスイッチ)

細胞は、タンパク質に「リン酸」という小さな札を付けたり外したりすることで、機能を「オン」「オフ」と切り替えています。リン酸を付けるのがキナーゼ、外すのがホスファターゼ(脱リン酸化酵素)です。PP2Aは代表的なホスファターゼで、付きすぎたリン酸を外して「やりすぎ」を止める、ブレーキのような役割を果たします。このブレーキが壊れると、細胞内のシグナルが止まらなくなってしまいます。

働くときのPP2Aは、3種類の部品が組み合わさった「3人組(ヘテロ三量体)」として完成します。①全体の土台になるAサブユニット(足場)、②実際に脱リン酸化を行うCサブユニット(触媒)、そして③どのタンパク質を相手にするかを決めるBサブユニット(行き先案内)です[2]。PPP2R5Dが作るB56δは、この③の「行き先案内」を担当します。B56δが正しく組み込まれることで初めて、PP2Aは脳の発達に必要な相手を正確に脱リン酸化できるのです。

B56δが導く相手の中で特に重要なのが、細胞の成長を司るPI3K/AKT経路やGSK3β、そして記憶や神経変性とも関わるタウタンパク質です[2]。B56δを含むPP2Aは、これらにブレーキをかけることで、細胞が無秩序に増えたり成長したりしないように調整しています。クロマチンの調整や遺伝子の発現制御にも関わり、脳の発達における「行き過ぎ防止装置」として機能していると言えます。

3. PPP2R5Dの分子の働き:AKT–mTOR経路への「ブレーキ」

PPP2R5Dの本来の役割をひとことで言うと、細胞の成長スイッチである「AKT–mTOR経路」にブレーキをかけることです。正常な状態では、B56δを含むPP2AがプロテインキナーゼB(AKT)と結合してリン酸を外し、その下流にあるmTORC1という「成長の司令塔」の活動を適切に抑えています[11]。この抑えが効いているおかげで、脳の細胞は必要な分だけ増え、必要な分だけ成長して止まることができます。

研究では、PPP2R5Dの働きが乱れると、最終的にリボソームタンパク質S6(RPS6)が過剰にリン酸化されることが共通の異常として観察されています[5]。RPS6はタンパク質を作る工場(リボソーム)の一部で、ここが過剰にオンになると、細胞内でのタンパク質合成と細胞成長が止まらなくなります。最新のタンパク質解析では、この暴走にmTORC1経路のp70S6Kだけでなく、Ras-MAPK経路のp90S6K/RSKファミリーなど複数の経路が合流して関わっていることが示されました[5]。つまりPPP2R5Dの異常は、1本の道だけでなく、複数の成長シグナルをまとめて暴走させてしまうのです。

4. 病気が起こる分子のしくみ:電荷の逆転とドミナントネガティブ

ここがPPP2R5Dという遺伝子のもっとも重要なポイントです。多くの遺伝性疾患は「タンパク質が足りなくなる(機能喪失)」ことで起こりますが、PPP2R5Dの病気は単なる機能喪失では説明できません。報告されている病的変異の大部分は、進化的に大切に保たれてきた3か所のあたりに集中するミスセンス変異です[4]

💡 用語解説:ミスセンス変異(点突然変異の一種)

DNAのたった1文字が変わることで、設計図が指定するアミノ酸が別のアミノ酸に置き換わってしまう変異です。タンパク質を構成する「部品」が1個だけ別物になるイメージで、その場所が機能の要であれば、たった1か所の変化でもタンパク質の性質が大きく変わってしまいます。PPP2R5Dでは、このミスセンス変異が病気の主な原因になります。

注目すべきは、大頭症を持つ患者さんの約90%(55名中49名)で、本来はマイナスの電気を帯びたグルタミン酸(E)が、プラスの電気を帯びたリジン(K)に入れ替わる変異(E198K・E420K・E200Kなど)を持っていたことです[4]。正常なB56δは、自分のマイナス電荷を使って相手のタンパク質(プラス電荷)を引き寄せ、酵素の触媒部位に正しく導いています。ところが電気がマイナスからプラスへ逆転すると、相手を引き寄せる力が失われ、PP2Aが正しく組み立てられなくなったり、相手にうまく結合できなくなったりして、脱リン酸化の効率が致命的に落ちてしまうのです[4]

PPP2R5D変異によるAKT–mTORシグナルの暴走 左:正常なブレーキ / 右:変異でブレーキが壊れる 正常(B56δ) 変異型(E198K・E420K) PP2A(B56δ) マイナス電荷で相手を誘導 AKT を脱リン酸化 リン酸の札を外す mTORC1 を適切に抑制 ブレーキが効く 正常な脳の成長 RPS6 のリン酸化も適切 PP2A(変異B56δ) 電荷が+に逆転し結合不全 AKT が外れない リン酸の札が付いたまま mTORC1 が過剰活性化 ブレーキが壊れる RPS6 が過剰リン酸化 細胞が増えすぎ → 大頭症

正常なB56δを持つPP2AはAKTを脱リン酸化してmTORC1にブレーキをかける。変異型(E198K・E420Kなど)では電荷の逆転で結合が壊れ、AKT–mTORC1が暴走してRPS6が過剰にリン酸化され、細胞の過剰な成長=大頭症などの神経発達障害につながる。

「機能喪失」ではなく「邪魔をする」変異——治療を左右する違い

PPP2R5Dの病気が単なる機能喪失でないことは、複数の証拠で支持されています。たとえば、タンパク質の後ろ側が短く切れてしまう変異(p.H463Mfs*3)では、できるタンパク質が小さくなり量も減るにもかかわらず、大頭症や重い神経発達障害が出ない人がいると報告されています[4]。さらに、患者さん由来の神経細胞で、変異した側の遺伝子だけを狙って働きを抑えても、神経の異常な成長は悪化しませんでした[6]。これらは、「タンパク質が足りない」のではなく「変異したタンパク質が存在すること自体が悪さをする」こと、すなわちドミナントネガティブ(優性阻害)/機能獲得型のしくみを強く示しています。

💡 用語解説:ドミナントネガティブ(優性阻害)

変異したタンパク質が、もう一方の正常なタンパク質の働きまで「邪魔する」現象です。量が半分に減るだけのハプロ不全とは違い、正常な分まで足を引っ張るため、症状がより強く出やすいのが特徴です。PPP2R5Dではこのタイプが中心で、だからこそ「足りない分を補う」のではなく「変異した側だけを黙らせる」治療(後述のASO)が理にかなった戦略になります。

一方で、知っておきたい大切な補足があります。PPP2R5Dを含む6p21.1領域がまるごと欠けたり重複したりする「染色体の量の変化(コピー数異常)」も、発達遅延や筋緊張低下を伴うお子さんで報告されており、こちらは「量の不足(用量効果)」によって症状が出る可能性が指摘されています[1]。つまり、典型的なジョーダン症候群を起こすミスセンス変異は「邪魔をする」しくみ、一方で広い領域の欠失・重複は「量のアンバランス」というしくみで、両者は別の経路で脳に影響しうる、と整理するのが正確です。「ドミナントネガティブだから機能喪失はあり得ない」と単純に決めつけず、変異のタイプごとに考えることが、遺伝カウンセリングの精度を高めます。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「足りない」のか「邪魔する」のかで、考え方が変わります】

臨床遺伝専門医として文献を読み込んでいて、PPP2R5Dは「変異の正体を正しく見分けることが、いかに大切か」を教えてくれる遺伝子だと感じています。同じ遺伝子の変化でも、ミスセンス変異(邪魔をするタイプ)と、領域まるごとの欠失・重複(量のアンバランス)とでは、起こることも、将来の見通しも変わってきます。

ご家族にお伝えする立場として、「ひとつの病名」で片づけず、お子さんが持っている変異が具体的にどのタイプなのかまで一緒に確認することを大切にしています。なぜなら、その違いが、後で出てくる治療開発(変異した側だけを抑える核酸医薬など)の適応にも直結してくるからです。

5. 遺伝型と症状の関係:代表的な病的バリアント

PPP2R5Dでは、どの場所がどう変わったか(遺伝型)によって、症状の種類や重さ(表現型)にある程度の傾向があることがわかってきました[1]。代表的なバリアントの特徴を、分子のしくみとあわせて整理します。

バリアント 臨床的な傾向 分子のしくみ
E198K 全報告例の約40%を占める最多の変異。認知障害がより重く、てんかんを伴う頻度が高い。若年発症パーキンソニズムとの関連も。 AKTを直接活性化せず、ERK経路など別の道を通じてmTORC1を活性化しRPS6を過剰リン酸化する。
E420K E198Kと同様に認知障害が重い。この変異を持つ患者さんの100%に大頭症が出るのが特徴。 ホロ酵素の組み立て自体は妨げないが、ERK経路に加えAKT経路の両方からmTORを強く「二重活性化」する。
E200K 適応機能が比較的高く、認知障害は軽めの傾向。言語や社会性も比較的良好。一方で若年発症パーキンソニズムとは強く関連。 電荷逆転(E→K)型。下流への影響の出方がE198K/E420Kとは異なる傾向。
Asp251群(D251A/Y/H/V) E198KやW207Rと比べ、表出言語・身辺自立・社会性が有意に良好で、全体に軽症の傾向。 下流経路への影響が他の重い変異より限定的と推測される。
W207R 認知障害・発達遅滞が重篤なグループに分類される。 PP2A–PPP2R5Dの形成に極めて重要な、保存された酸性ループ内の変異で、酵素の形成を直接妨げる。

このように、同じPPP2R5D遺伝子でも、変異の位置と性質によって「大頭症が必発か」「言語がどこまで伸びるか」「パーキンソニズムのリスクがあるか」などの傾向が変わります[1]。ただし、これらはあくまで「傾向」であり、同じ変異でも個人差は大きいため、最終的には一人ひとりの状態を見て判断する必要があります。

6. PPP2R5Dと関連する病気:ジョーダン症候群(HJS1)

PPP2R5Dの病的変異が引き起こす病気が、ジョーダン症候群(PPP2R5D関連神経発達症/Houge-Janssens症候群1型/旧称:常染色体顕性精神遅滞35型)です。常染色体顕性遺伝(優性遺伝)の形をとり、2本ある遺伝子のうち一方に変異があるだけで発症します[1]。2015年に初めて遺伝的な原因が記述されて以降、報告される患者さんは増え続けています[7]。なお、世界中に数十万人規模の未診断者がいる可能性が指摘されていますが、これは患者支援団体(Jordan’s Guardian Angels)による推計であり、確定した疫学値ではない点に注意が必要です。

主な症状は、全般的な発達遅延・知的障害・著しい筋緊張低下(フロッピーインファント)・言語発達の遅れ・大頭症などです[8]。患者コホートから報告された主な症状の頻度を、下のグラフにまとめました。なお症状の詳細・診断・療育・ライフステージごとの管理については、疾患ページで詳しく解説しています。

ジョーダン症候群における主な症状の発現頻度

患者コホートから報告された割合(発現頻度)

発達遅延・言語障害
約100%
筋緊張低下
75%
大頭症
75%
睡眠障害
61.5%
てんかん発作
45.8%
自閉症・自閉症様症状
32%
胃食道逆流症(GERD)
27.8%

発達遅延・言語障害はほぼ全例にみられ、大頭症・筋緊張低下が高頻度。てんかんや胃食道逆流症も無視できない頻度で生じる。

この大頭症は、脳脊髄液がたまる水頭症ではなく、脳の実質そのものが過剰に成長する(巨脳症)ことによるものが多いのが特徴で、これは前章で説明したmTOR経路の暴走と一致します[8]。症状・診断・療育の詳細は、相互リンク先の疾患ページをご覧ください。

7. PP2Aの仲間遺伝子:PPP2R1Aとの違い

PP2Aは「3人組の酵素」だと説明しました。その部品を作る遺伝子はPPP2R5Dだけではありません。土台のAサブユニットを作るPPP2R1A、別のB56仲間を作るPPP2R5C・PPP2R5Bなど、複数の遺伝子が同じPP2Aの部品を担っています。これらの遺伝子に変異が起きても、大頭症・知的障害・筋緊張低下といったよく似た神経発達障害が起こることが知られており、まとめて「PP2A関連疾患(Houge-Janssens症候群スペクトラム)」と呼ばれます[12]

💡 用語解説:PPP2R1A(足場Aサブユニット)とHJS2

PPP2R1Aは、PP2Aの「土台」となるAサブユニットの設計図です。この遺伝子の変異はHouge-Janssens症候群2型(HJS2)を起こします。興味深いのは、同じPP2Aの部品でも頭の大きさが逆方向になることです。PPP2R5D(B56δ)→HJS1は大頭症になりやすいのに対し、PPP2R1A(足場A)→HJS2は小頭症の傾向があります。同じ酵素の異なる部品が、脳の発達に正反対の影響を与えうるのは、PP2Aという仕組みの繊細さを物語っています。

こうした「似た症状を起こす仲間遺伝子」があることは、診断の現場でとても重要です。大頭症や知的障害を手がかりに検査を行う際、PPP2R5Dだけでなく、PPP2R1AなどPP2Aの他の部品もまとめて調べることで、見落としを防ぐことができます。これが、後述する「多数の遺伝子を一度に調べるパネル検査」が役立つ理由のひとつです。

8. 遺伝子検査と診断:出生前と出生後で分けて理解する

PPP2R5Dの確定診断は、血液や唾液を用いた分子遺伝学的検査で、ヘテロ接合性の病的バリアントを同定することで確立します[1]。検査は「出生前」と「出生後」で目的も技術も異なるため、分けて理解することが大切です。

🤰 出生前の検査

非侵襲的スクリーニング:NIPT。当院のインペリアルプラン(154遺伝子218疾患)にはPPP2R5Dが含まれます。

確定検査:絨毛検査・羊水検査+ターゲット遺伝子解析(家系内で変異が判明している場合)。

👶 出生後の検査

遺伝子パネル検査:発達障害・学習障害・知的障害パネル(689遺伝子)にPPP2R5Dが含まれます。

網羅解析:染色体シーケンス解析(CSA)で、コピー数異常まで含めて包括的に確認できます。

出生後の検査では、大頭症・知的障害・てんかんなどに関連する数十〜数百の遺伝子を一度に調べるマルチ遺伝子パネル検査が第一選択として推奨されます[1]。これは、症状を説明しうる原因を効率よく探しつつ、無関係な遺伝子の「意味不明のバリアント」を過剰に拾わないためです。パネルで原因が見つからない非典型例では、全エクソーム解析(WES)や全ゲノム解析(WGS)が有力な次の手段になります。

💡 用語解説:新生突然変異(de novo変異)

両親のどちらにも無いのに、お子さんで初めて生じる変異のことです(英語ではde novoと書きます)。PPP2R5Dの患者さんの大多数はこのタイプで、家族歴がない孤発例として見つかります[1]。両親が無症状でも、生殖細胞のごく一部に変異がある「生殖細胞系列モザイク」の可能性は完全には否定できないため、次のお子さんの再発リスクは一般集団より少し高い約1%と見積もって遺伝カウンセリングを行うのが国際標準です。

検査結果が出たあとは、家系内ですでに変異が判明していれば、次回妊娠での絨毛検査・羊水検査による胎児の標的解析や、体外受精を伴う着床前遺伝学的検査(PGT-M)も選択肢になります[1]。なお、NIPTで陽性が出た場合の費用面では、当院の互助会(8,000円)により羊水検査費用が全額補助されます。検査の前後を通じて、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングが、ご家族の意思決定を支える中心になります。

9. 治療の展望:分子のしくみを狙う「疾患修飾療法」

これまでPPP2R5D関連疾患には、症状をやわらげる対症療法と、多職種チームによる包括的なケアが中心でした[1]。しかし、分子のしくみが明らかになったことで、根本のメカニズムを直接狙う「疾患修飾療法」の開発が急速に進んでいます。代表的な3つの方向性を紹介します。

① ザトルミラスト(PDE4D阻害薬):世界初の第2相試験

ジョーダン症候群に対する初めてのヒト臨床試験として、PDE4D(記憶・学習に関わる酵素)を選択的に阻害するザトルミラスト(BPN14770)の第2相試験(NCT06717438)が進行中です[9]。日本の塩野義製薬がスポンサーとなり、患者支援団体と協力して実施されています[10]。9〜45歳の確定診断例を対象に、24週間にわたり安全性と認知・行動面への効果を評価する設計で、脳内のcAMPを増やすことで思考・学習・記憶を支える働きの増強を狙います[9]

② mTOR阻害薬(ラパマイシン等):既存薬の転用

前章までで見たとおり、E198KやE420Kなどの変異は共通してmTORC1経路を過剰に活性化し、RPS6を過剰リン酸化します。そこで、強力なmTORC1阻害薬であるラパマイシンや、RPS6キナーゼ阻害薬LY2584702を変異細胞モデルに投与する前臨床研究が行われ、いずれもRPS6の異常リン酸化を強く抑え、暴走したシグナルを正常方向へ戻せることが示されました[5]。変異の種類による違いがあっても、経路の下流をまとめて抑えるアプローチが普遍的に有望でありうることを示す結果です。

③ アレル特異的アンチセンスオリゴヌクレオチド(ASO)

もっとも「PPP2R5Dらしい」治療戦略がこれです。前述のとおりこの病気は変異タンパクが「邪魔をする」しくみなので、変異した側の遺伝子のmRNAだけを狙って黙らせ、正常な側は残すという核酸医薬(アレル特異的ASO)が理にかなっています。患者由来のiPS細胞から作った神経前駆細胞やニューロンは、異常な増殖と神経突起の過剰な伸長という大頭症の細胞レベルの特徴を再現しましたが、アレル特異的ASOを投与すると、これらの異常が見事に正常化(逆転)したことが報告されています[6]。これは、中枢神経を標的とする核酸医薬開発に向けた決定的なマイルストーンです。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「分子の言葉」を読み解き、出生前から伴走するということ】

PPP2R5Dは、ほんの数年で「対症療法しかない病気」から「分子を狙う治療が見え始めた病気」へと景色が変わりつつある遺伝子です。臨床遺伝専門医として文献を追っていると、変異の正体を正確に読み解くことが、そのまま治療の選択肢につながっていく時代の入口に立っている実感があります。

私自身は出生前診断と遺伝カウンセリングを専門にしています。NIPTのインペリアルプランにこの遺伝子が含まれているのも、「生まれる前から、ご家族が必要な情報と選択肢にアクセスできるように」という思いからです。検査の数値だけでなく、その結果をどう受け止め、どう生きていくかまで一緒に考える——それが、希少疾患のご家族に伴走する私たちの役割だと考えています。

10. よくある誤解

誤解①「遺伝子の働きが足りなくなる病気だ」

PPP2R5Dの典型例は「足りない(機能喪失)」ではなく、変異タンパクが正常な働きを邪魔する(ドミナントネガティブ/機能獲得)しくみです。だからこそ「変異した側だけを抑える」治療が研究されています。

誤解②「親から受け継ぐ病気だ」

大多数は新生突然変異(de novo)で、ご両親には変異がありません。家族歴がなくても起こりうる病気です。一方、患者さん本人から子へは理論上50%の確率で受け継がれます。

誤解③「大頭症は水頭症のことだ」

PPP2R5Dの大頭症は、水がたまる水頭症ではなく、脳そのものが過剰に成長する巨脳症が中心です。これは細胞の成長スイッチ(mTOR)が止まらなくなる分子のしくみと一致します。

誤解④「治療法は何もない」

現時点で根本治療は確立していませんが、PDE4D阻害薬の第2相試験・mTOR阻害薬・アレル特異的ASOなど、分子を狙う治療開発が複数進行中です。研究は始まったばかりですが、希望のある領域です。

11. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

PPP2R5Dは、たった1個のアミノ酸の電荷が変わるだけで、脳の成長というもっとも繊細なプロセスが大きく変わってしまう——遺伝子と分子のつながりの精妙さを、改めて教えてくれる遺伝子です。同時に、その精妙さを逆手に取り、変異した分子だけを狙う治療が現実に近づいている、希望の見える分野でもあります。

大切なのは、「ひとつの病名」で立ち止まらず、お子さんやご家族が持っている変異の具体的なタイプまで一緒に確認していくことです。それが、今後の治療開発の適応や、次のお子さんへの見通しを考えるうえで、確かな足場になります。検査を受けるかどうか、結果をどう受け止めるかは、最終的にはご家族が決めることです。私たちは中立な立場で、必要な情報と選択肢を、わかりやすくお届けすることを大切にしています。

よくある質問(FAQ)

Q1. PPP2R5D遺伝子は誰でも持っているのですか?

はい、PPP2R5Dは誰もが2本ずつ持っている、健康に必要な遺伝子です。問題になるのは「遺伝子があること」ではなく、「その遺伝子に病的な変化(変異)が起きること」です。多くは新生突然変異によるミスセンス変異で、この変異がジョーダン症候群の原因になります。

Q2. PPP2R5DとB56δ、PP2Aは何が違うのですか?

PPP2R5Dは「遺伝子(設計図)」の名前、B56δはその設計図から作られる「タンパク質」の名前です。そしてPP2Aは、B56δを含む3つの部品が組み合わさってできる「酵素(働く本体)」です。設計図→部品→完成品、という関係で理解すると整理しやすくなります。

Q3. なぜ「機能喪失ではない」ことが重要なのですか?

治療の考え方が変わるからです。もし機能喪失(足りない)なら「補う」治療を考えますが、PPP2R5Dは変異タンパクが「邪魔する」タイプなので、「変異した側だけを黙らせる」治療(アレル特異的ASO)が理にかなっています。実際、患者さん由来の神経細胞で変異側だけを抑えると、異常が正常化したことが報告されています。

Q4. PPP2R5Dは出生前の検査で調べられますか?

はい。当院のNIPT「インペリアルプラン」(154遺伝子218疾患)にPPP2R5Dが含まれています。スクリーニングで気になる結果が出た場合は、羊水検査・絨毛検査による確定診断が選択肢になります。検査を受けるかどうかは、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングを通じて、ご家族で判断していただきます。

Q5. 出生後にPPP2R5Dを調べるにはどの検査ですか?

大頭症・知的障害・発達遅延などがある場合、PPP2R5Dを含む多数の遺伝子を一度に調べる発達障害・学習障害・知的障害遺伝子パネル検査(689遺伝子)が第一選択になります。この689遺伝子にはPPP2R5Dと、同じPP2A仲間のPPP2R1Aも含まれています。コピー数異常まで含めて調べたい場合は染色体シーケンス解析も選択肢です。

Q6. 親が無症状なら、次の子も大丈夫ですか?

大多数は新生突然変異で、ご両親は無症状の孤発例です。ただし、両親の血液検査で同じ変異が見つからなくても、生殖細胞のごく一部に変異がある「生殖細胞系列モザイク」の可能性は完全には否定できないため、次のお子さんの再発リスクは一般集団より少し高い約1%と見積もって遺伝カウンセリングを行うのが国際標準です。

Q7. PPP2R5DとPPP2R1Aはどう違うのですか?

どちらもPP2Aという酵素の部品の遺伝子ですが、担当が違います。PPP2R5Dは「行き先案内(B56δ)」、PPP2R1Aは「土台(足場A)」です。病気としては、PPP2R5DはHouge-Janssens症候群1型(大頭症の傾向)、PPP2R1AはHouge-Janssens症候群2型(小頭症の傾向)を起こします。

Q8. PPP2R5D関連疾患に治療薬はありますか?

現時点で確立した根本治療はありませんが、PDE4D阻害薬ザトルミラストの第2相臨床試験が進行中で、mTOR阻害薬の転用や、変異した側だけを抑えるアレル特異的ASOの前臨床研究も成果を出しています。研究段階ではありますが、分子のしくみを直接狙う「疾患修飾療法」へと大きく動いている領域です。

🏥 PPP2R5D・遺伝子診断のご相談

大頭症・発達の遅れ・PPP2R5D関連疾患に関する
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参考文献

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  • [7] De Novo Missense Variants in PPP2R5D Are Associated with Intellectual Disability, Macrocephaly, Hypotonia, and Autism. PMC. [PMC4765493]
  • [8] Clinical features of PPP2 syndrome type R5D (Jordan’s syndrome). PMC. [PMC10393186]
  • [9] Study of Zatolmilast (BPN14770) in Participants With PPP2R5D Neurodevelopmental Disorder (Jordan’s Syndrome). ClinicalTrials.gov NCT06717438. [ClinicalTrials.gov]
  • [10] Shionogi and Jordan’s Guardian Angels Announce First-Ever Human Drug Study for Jordan’s Syndrome. Shionogi News. [Shionogi]
  • [11] A disorder-related variant (E420K) of a PP2A-regulatory subunit (PPP2R5D) causes constitutively active AKT-mTOR signaling and uncoordinated cell growth. PMC. [PMC7952134]
  • [12] Loveday C, et al. Mutations in the PP2A regulatory subunit B family genes PPP2R5B, PPP2R5C and PPP2R5D cause human overgrowth. Hum Mol Genet. 2015. [PubMed 25972378]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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