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📍 クイックナビゲーション
健康診断で「CA15-3」や「KL-6」という血液検査の名前を目にしたことがあるかもしれません。じつはこれらはどちらも、MUC1(ムチン1)という一つの遺伝子から作られるタンパク質を測っている検査です。MUC1はもともと、鼻やのど、胃腸、乳腺、子宮などの表面をおおって、粘液のバリアで体を守るための遺伝子です。ところが、この「守る遺伝子」が、多くのがんではがんを進める側にまわってしまうという二面性を持っています。
この記事では、MUC1がふだんどんな働きをしているのか、なぜ乳がんの9割以上をはじめ多くのがんで過剰に働くのか、そのしくみと、いま開発が進むMUC1をねらった新しい治療、そして同じMUC1遺伝子が原因となる遺伝性の腎臓病(ADTKD-MUC1)までを、一般の方にもわかる言葉で、遺伝専門医の立場から順を追ってお伝えします。
- ➤ MUC1が「粘液バリア」として体を守るしくみと、CA15-3・KL-6との関係
- ➤ なぜ「守る遺伝子」が、がんでは「進める遺伝子」に変わるのか
- ➤ MUC1-Cという断片が、増殖・転移・治療抵抗性・免疫逃避をまとめて動かすしくみ
- ➤ MUC1をねらう阻害薬・CAR-T・抗体薬物複合体(ADC)などの開発動向
- ➤ 同じMUC1が原因の遺伝性腎疾患(ADTKD-MUC1)という「もう一つの顔」
🧬Q. MUC1遺伝子とは何ですか?
胃腸や気道、乳腺などの表面をおおう粘液バリアの主役となるタンパク質を作る遺伝子です。第1染色体(1q22)にあり、正常な細胞では体の内側を外界の刺激から守っています。血液検査のCA15-3やKL-6も、このMUC1由来です。
🩺Q. なぜがんと関係するのですか?
乳がんの9割以上をはじめ多くのがんでMUC1が過剰に働き、MUC1-Cという断片が細胞の増殖・転移・治療抵抗性・免疫逃避をまとめて動かす「司令塔」として機能するためです。
🌸Q. 治療にはどう活かされますか?
MUC1-Cをねらう阻害薬・CAR-T細胞・抗体薬物複合体(ADC)などの開発が進んでいます。ただし多くはまだ臨床試験の段階で、一般診療で受けられる承認薬ではありません。
MUC1とは——体の表面を守る「粘液バリア」の主役
体の内側をおおう「見張り役」の遺伝子
MUC1(ムチン1)は、胃腸や気道、乳腺、子宮など、体の内側の管や袋の表面をおおう上皮細胞の、いちばん外側(頂端面:ちょうたんめん)に並ぶ細胞膜のタンパク質です。第1染色体の1q22という場所にある遺伝子から作られ、糖でびっしり装飾された長い突起として細胞の表面から突き出し、外からの物理的・化学的な刺激や、細菌・ウイルスの侵入を防ぐ粘液バリアの主役として働いています[1]。もともとは糖鎖(とうさ)修飾を受けた、体を守るための遺伝子なのです。
MUC1は、単なる粘液のふたではありません。細胞の表面で外界の状態を感じ取り、傷ができたときには修復の反応を立ち上げる「見張り役(センサー)」としての役割も持っています[2]。MUC1はもともと哺乳類が体の表面(バリア上皮)を守るために進化の過程で獲得した遺伝子と考えられており、こうした「守る」働きが基本にあります[3]。この「守り」と「修復」の性質が、あとで述べるように、がんという文脈ではまったく逆に働いてしまうことになります。
血液検査のCA15-3・KL-6もMUC1由来
MUC1は、医療の現場では古くから血液検査の材料として使われてきました。乳がんの経過観察に用いられるCA15-3は、MUC1から切り離されて血液中に出てくる部分を測る検査です。また、間質性肺炎(かんしつせいはいえん)の診断や活動性の評価に使われるKL-6も、MUC1の糖鎖を含む部分を測っています。KL-6は、多くの施設で500 U/mL前後を目安(カットオフ)として用いられますが、この基準値は検査キットや施設によって幅があるため、数値は主治医の説明とあわせて解釈することが大切です[1]。
MUC1は「一つの遺伝子」ですが、そこから作られるタンパク質は、粘液バリア・血液検査マーカー・がんの司令塔という、まったく異なる複数の顔を持ちます。この記事では、その「顔の使い分け」がどこで起こるのかを順番に見ていきます。
「守る遺伝子」がなぜがんに関わるのか
MUC1が「守る遺伝子」でありながら、がんとも深く関わるのはなぜでしょうか。MUC1は哺乳類が体の表面を守るために進化の過程で獲得した遺伝子で、粘膜のバリアを作るだけでなく、傷ができたときに炎症や修復の反応を立ち上げる働きを持っています[3]。この「傷を治すための反応」は、短期間で終わるぶんには体を守る有益なしくみです。ところが、食生活や環境の変化などによって慢性的な炎症が長く続く状況になると、本来は一時的であるはずの修復のスイッチが入りっぱなしになり、細胞の性質を未熟な方向へ戻したり、遺伝子の読み方を書き換えたりして、がん化を後押ししてしまいます[2]。
つまりMUC1は、生き物を守るために備わった適応のしくみが、慢性炎症という現代的な環境のなかでかえって不利に働く、という一面を持っています。もともとの働きが「悪い」わけではなく、置かれた環境によって同じ性質がプラスにもマイナスにも転じる——この視点は、MUC1をねらう治療を考えるうえでも重要な出発点になります[2]。
MUC1の「2つの顔」——N末端とC末端という2つの部品
MUC1のふるまいを理解するうえで、いちばん大切なのが「1本のタンパク質が、2つの部品に分かれる」という点です。MUC1は最初、1本の長いタンパク質として作られますが、細胞の中でSEAドメインという部分(GSVVVという配列のところ)で自動的に切断され、大きな外側の部品(MUC1-N)と、短い内側の部品(MUC1-C)の2つに分かれます[1]。この2つは切れたあとも水素結合でくっついたまま、細胞膜の上でペアになって働きます。
SEAドメインは、MUC1など一部の膜タンパク質にある構造領域です。MUC1ではこの領域でタンパク質自身が切断され、MUC1-NとMUC1-Cの2つのサブユニットが生じます。切断後も両者は非共有結合で会合し、細胞表面で複合体として存在します[3]。
図1:MUC1が2つの部品(MUC1-NとMUC1-C)に分かれるしくみ
① 1本で誕生
MUC1は1本の長いタンパク質として作られる
② SEAで自動切断
SEAドメインで切れ、N末端とC末端に分かれる
③ ペアで働く
2つは結合したまま細胞膜でセンサーとして働く
外側の部品(MUC1-N)はバリア、内側(MUC1-C)は信号伝達
外側の部品であるMUC1-Nには、タンデムリピート(VNTR)と呼ばれる20個のアミノ酸の繰り返し配列がたくさん含まれています。この繰り返しの回数は人によって20回から125回と幅があり、その一つひとつに糖鎖がびっしり付くことで、細胞の表面から200〜500ナノメートルも突き出す硬い突起になり、細菌やpHの変化から細胞を守る物理的なバリアを作ります[1]。
一方、内側の部品であるMUC1-Cは、細胞膜を貫通して細胞の内部にまで伸びる短い部品です。この細胞内側の部分は、決まったかたちを持たない柔らかい構造をしていて、そのぶんたくさんの信号伝達分子とくっつける「結び目(ハブ)」として働きます[9]。がんでMUC1が悪さをするとき、その中心になるのが、じつはこのMUC1-Cのほうです。

図:正常な上皮細胞(左)とがん細胞(右)におけるMUC1の違い。正常な細胞では、MUC1は細胞膜の外向きの面(頂端面)にきちんと並び、糖鎖でびっしり装飾されたMUC1-N(外側の部品)が粘液バリアを作り、SEAドメインでMUC1-C(内側の部品)と結びついています。一方がん細胞では、向きの秩序(細胞極性)が崩れてMUC1-Nが脱落し、むき出しになったMUC1-CがEGFRなどの受容体チロシンキナーゼ(RTK)と手を組んで増殖信号を出し、核へと移動します。MUC1-Cの細胞内テールにあるCQCモチーフは、MUC1-Cどうしがペアを組んで核へ移動するために必要な部分で、新しい治療薬(GO-203など)の標的となっています。
正常な上皮細胞では、MUC1は細胞の「外向きの面」だけにきちんと並んでいます。これを細胞極性(上・下・外・内の向きの秩序)といいます。ところが細胞ががん化すると、この向きの秩序が崩れ(細胞極性の喪失)、MUC1が細胞膜のあちこちに無秩序にあふれ出します。すると、ふだんは離れて置かれているはずの増殖のスイッチとMUC1-Cが出会ってしまい、がんを進める信号が入りっぱなしになるのです[4]。
がんでは糖鎖が「短く未熟」になる
がん細胞では、MUC1の見た目も変わります。糖を付ける酵素の働きが乱れ、正常なら枝分かれした立派な糖鎖が付くはずのところに、Tn抗原・シアリルTn(STn)抗原・T抗原といった、短く未熟な「腫瘍関連糖鎖抗原」ができてしまいます[1]。この糖鎖の短縮によって、ふだんは糖で隠れていたタンパク質の芯が表に出て、新しい「がんの目印」になります。この目印は、あとで述べるがんワクチンやCAR-T細胞療法の標的として利用される一方、免疫から逃げるための道具にもなるという、両面の意味を持っています。
がんを進めるしくみ——MUC1-Cという「司令塔」
MUC1は、乳がんの9割以上をはじめ、肺がん、膵臓(すいぞう)がん、大腸がん、前立腺がんなど、上皮から生じる多くのがん(腺がん)で過剰に働いていることが知られています[1]。そして、その発がんにおける主役が、内側の部品であるMUC1-Cです。MUC1-Cは、増殖・転移・治療への抵抗・免疫からの逃避という、がんの悪化に関わる複数のプログラムをまとめて動かす「司令塔(マスターレギュレーター)」として機能します[4]。この考え方は、癌遺伝子(オンコジーン)の典型例として理解されています。
増殖のスイッチと手を組む(EGFR・HER2)
細胞極性を失ったMUC1-Cは、細胞膜の上で、増殖の指令を受け取る受容体チロシンキナーゼ(RTK)であるEGFRやHER2と手を組み、増殖の信号を出しっぱなしにします[4]。さらにMUC1-Cは、細胞の内側で自分どうしがペアを組む(ホモ二量体化)ことで核の中へ移動できるようになり、そこで遺伝子の読み取りを直接書き換えていきます。このペア形成には、MUC1-Cの内側にある「CQC」という短い配列が必要で、ここをふさげば核への移動を止められることが分かっています[9]。この「核への移動」を止めることが、あとで述べる新しい治療薬の重要な作戦になります。
炎症から転移へ——EMTを引き起こす
MUC1-Cは、慢性的な炎症とがん化をつなぐ役割も担います。核に入ったMUC1-Cは、炎症の中心となるNF-κB(エヌエフ・カッパービー)シグナル経路と直接複合体を作り、炎症性の遺伝子の働きを高めると同時に、MUC1自身の発現をさらに引き上げる「自己増幅ループ」を作ります[4]。
このNF-κBの活性化は、上皮間葉転換(EMT)という現象を引き起こします。EMTとは、動きにくい上皮細胞が、動きやすく散らばりやすい間葉系の性質に変わることで、がんが浸潤・転移を始めるきっかけになります。MUC1-Cは、EMTの司令塔であるZEB1という因子の働きを強め、TWIST1やSNAILといったEMT関連因子とともに、がん細胞に高い運動能力と浸潤能力を与えます[4]。
MUC1-Cが動かす経路は、これだけではありません。細胞の接着に関わるβ-カテニンという分子と直接結びつくことで、細胞どうしの接着を弱めて動きやすくすると同時に、核のなかでMYCやサイクリンD1といった増殖に直結する遺伝子の読み取りを強めます[4]。増殖のアクセル(EGFR・HER2やMYC)を踏みつつ、接着というブレーキを外し、さらに転移のスイッチ(EMT)を入れる——MUC1-Cは、こうした複数のはたらきを同じ結び目から束ねている点に特徴があります。
MUC1-Cは「増殖」「炎症」「転移」を別々に動かすのではなく、一つの結び目からまとめて動かす点に特徴があります。だからこそ、MUC1-Cを1か所で止められれば、複数のがんの性質を同時に抑えられる可能性があると考えられています。
遺伝子の読み方まで書き換える(エピジェネティクス)
MUC1-Cの働きは、信号を伝えるだけにとどまりません。核に入ったMUC1-Cは、DNAメチル化やヒストン修飾といった、遺伝子の「読み方」を決めるしくみ(エピジェネティクス)にまで踏み込みます。具体的には、EZH2やBMI1といったタンパク質を動員して、本来がんを抑えるはずの腫瘍抑制遺伝子(がん抑制遺伝子)——CDH1(E-カドヘリン)、CDKN2A、PTEN、BRCA1など——を、DNAの配列を変えないまま静かに黙らせてしまいます[4]。この「守りの遺伝子の沈黙」が、がん細胞の性質を固定していきます。
エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列そのものを変えずに、DNAメチル化やヒストン修飾などによって遺伝子の働き方を調節する仕組みです。がんではこの調節が乱れ、腫瘍抑制遺伝子が働きにくくなることがあります。
免疫からの逃避と、治療への抵抗
免疫のブレーキ(PD-L1)を引き上げる
がん細胞が体の免疫の監視から逃れるとき、MUC1-Cは重要な役割を果たします。トリプルネガティブ乳がん(TNBC)の研究では、MUC1-CがNF-κBやZEB1と協力して、免疫にブレーキをかける分子であるPD-L1の発現を直接高めることが示されています[5]。実際、MUC1-Cの働きを止めるとPD-L1が下がり、がんを攻撃するCD8陽性T細胞が腫瘍のなかに戻ってくることが、マウスの実験で確認されています[5]。このことは、MUC1-Cをねらう治療と免疫チェックポイント阻害薬を組み合わせる戦略の可能性を示しています。
糖鎖を使って免疫細胞をだます(Siglec)
がんのMUC1に付く未熟な糖鎖(シアル酸を含む糖鎖)は、免疫細胞の表面にあるSiglec(シグレック)という抑制性の受容体にくっつく「鍵」として働きます[11]。がん細胞は、この結合を利用して免疫細胞にブレーキをかけます。たとえば、がんを最初に攻撃するナチュラルキラー(NK)細胞の表面にあるSiglec-7に結合すると、NK細胞の攻撃力が落ちてしまいます。また、Siglec-9を介してマクロファージや好中球の働きを、がんに都合のよい方向へ変えてしまうことも報告されています[11]。このMUC1—シアル酸—Siglecという軸は、次世代の免疫療法の新しい標的として注目されています。
Siglecは「シアル酸結合免疫グロブリン様レクチン」の総称で、免疫細胞の表面にある受容体群です。多くのSiglecはシアル酸を含む糖鎖を認識すると免疫反応を抑える方向に働き、腫瘍細胞はこの仕組みを利用して免疫から逃れることがあります[11]。
乳がんのタイプのうち、ホルモン受容体(エストロゲン・プロゲステロン)とHER2のいずれも陽性でないものをトリプルネガティブ乳がんと呼びます。ホルモン療法やHER2をねらう薬が効きにくく、治療の選択肢が限られやすいタイプです。この難治性のがんで、がん幹細胞がMUC1-Cに強く依存していることが分かっており、MUC1-Cが治療標的として期待される理由の一つになっています[10]。
がん幹細胞と治療抵抗性のカギ
MUC1-Cは、再発や転移の源とされるがん幹細胞(CSC)の維持にも深く関わります。トリプルネガティブ乳がんでは、MUC1-Cを遺伝的・薬理的に止めると、がん幹細胞の自己複製能や腫瘍を作る能力が大きく失われることが示されており、がん幹細胞はMUC1-Cに「依存(addiction)」していると表現されます[10]。
さらにMUC1-Cは、抗がん剤や分子標的薬に対する抵抗性にも関わります。薬剤を細胞の外へくみ出すポンプ(多剤耐性遺伝子)の働きを高めたり、アポトーシス(細胞死)を抑えたりすることで、がん細胞が生き延びる助けをします[6]。加えて、白金製剤やPARP阻害薬によるDNA損傷が起きたとき、MUC1-Cは核へ移動してDNA修復を助け、深刻なDNA損傷への抵抗性を高めることも報告されています[6]。こうした複数の抵抗性メカニズムの「共通の通り道」として働く点が、MUC1-Cを治療標的として魅力的にしています。
最新の標的治療——MUC1をねらう新しいアプローチ
MUC1は、細胞の表面に多く出ていて、しかもがんに特徴的な目印を持つことから、以前から治療の標的として注目されてきました。初期のがんワクチンの試行錯誤を経て、いまはMUC1-Cの信号を直接止める阻害薬、CAR-T細胞療法、抗体薬物複合体(ADC)など、さまざまな新しいタイプの治療が開発されています。以下の表に、主な治療アプローチと開発の段階をまとめます。
| 治療アプローチ | 標的 | 作用のしくみ | 開発の段階 |
|---|---|---|---|
| 細胞膜透過ペプチド(GO-203) | MUC1-C(CQCモチーフ) | MUC1-Cのペア形成を止め、核への移動と発がん信号を遮断 | 急性骨髄性白血病で第I/II相試験は完了 |
| がんワクチン(テセモチド/L-BLP25) | MUC1-N(VNTR領域) | MUC1に対する細胞傷害性T細胞を誘導 | 第III相で主要評価項目は未達(下記参照) |
| CAR-T細胞療法 | がん特異的糖鎖のMUC1 | 改変T細胞ががんのMUC1を認識して直接攻撃 | 固形がんで第I相(臨床試験段階) |
| 抗体薬物複合体(ADC) | MUC1-C(細胞外ドメイン) | MUC1-Cに結合し、殺細胞性の薬を細胞内へ届ける | 前臨床〜開発初期段階 |
MUC1-Cを直接止める阻害薬(GO-203)
GO-203は、MUC1-Cの細胞内側にある「CQCモチーフ」という場所にくっつくように設計された、細胞膜を通り抜けられる小さなペプチドです。GO-203がこの場所をふさぐと、MUC1-Cどうしがペアを組めなくなり、核への移動とそれに続く発がん信号がまとめて止まります[2]。急性骨髄性白血病(AML)を対象としたGO-203-2Cの第I/II相臨床試験は完了しています。初期の第I/Ib相報告では、GO-203-2C単独および低メチル化剤デシタビンとの併用が検討されました[8][13]。
がんワクチン(テセモチド)が残した教訓
テセモチド(L-BLP25)は、MUC1のVNTR領域のペプチドを使った、がんに対する免疫療法です。切除できないステージIIIの非小細胞肺がんを対象に、化学放射線療法のあとの維持療法としての効果を検証した大規模な第III相試験(START試験)が行われましたが、主要評価項目である全生存期間の延長では、プラセボ群との有意差を示せませんでした[7]。
ただし、あらかじめ定められたサブグループの解析では、化学療法と放射線を「同時に」受けたあとにテセモチドを使った患者さんでは、生存期間の延長がみられました。この群では、テセモチド群の全生存期間の中央値が30.8か月、プラセボ群が20.6か月で、ハザード比0.78(95%信頼区間 0.64〜0.95、p=0.016)でした[7]。この結果は探索的な位置づけであり、テセモチドはこの用途で承認されたわけではありませんが、化学療法や放射線が作り出す免疫のタイミングによって、免疫療法の効き方が大きく変わりうることを示す重要な教訓となりました。
CAR-T細胞療法と抗体薬物複合体(ADC)
血液がんで成果をあげたCAR-T細胞療法を固形がんに応用するうえで、がんに特徴的な糖鎖を持つMUC1は理想的な目印になります。免疫を抑える環境を乗り越えるために、IL-12を同時に作らせたり、PD-1を欠損させたりといった工夫を組み合わせた次世代型のMUC1 CAR-T細胞療法も研究されています。また、乳がん、卵巣がん、非小細胞肺がん、大腸がん、膵がんなどの進行固形がんを対象に、MUC1-Cを標的とする同種CAR-T細胞療法(P-MUC1C-ALLO1)が第I相試験で評価されています[13]。
さらに、MUC1-Cの細胞外側をねらった抗体薬物複合体(ADC)の開発も進んでいます。CDK4/6阻害薬や内分泌療法に抵抗性を獲得した乳がん、あるいはKRAS阻害薬に抵抗性となった膵がんに対して、MUC1-CをねらうADCが実験モデルで有効性を示したことが報告されています[14][15]。これは、MUC1-Cがさまざまな薬剤抵抗性の「共通の通り道」として働くためであり、この一点をねらうことの意義を示しています。ただし、ここで挙げた治療の多くはまだ研究・臨床試験の段階であり、一般診療で受けられる承認薬ではない点にご注意ください。
MUC1の「もう一つの顔」——遺伝性の腎臓病(ADTKD-MUC1)
ここまではがんを中心にお話ししてきましたが、じつは同じMUC1遺伝子は、まったく別の病気——遺伝性の腎臓病の原因にもなります。それが常染色体顕性尿細管間質性腎疾患(じょうせんしょくたいけんせいにょうさいかんかんしつせいじんしっかん)のMUC1型、略してADTKD-MUC1です。MUC1で検索して情報をお探しの方のなかには、こちらの腎臓病の文脈でたどり着かれる方もいらっしゃるため、この項で整理してお伝えします。くわしくはADTKD-MUC1(常染色体顕性尿細管間質性腎疾患)の解説ページもご覧ください。
がんとは別の「異常の起こり方」
ADTKD-MUC1は、MUC1の繰り返し配列(VNTR)のなかに小さな挿入や欠失が起こり、タンパク質の設計図の読み枠が1つずれる「フレームシフト」によって生じます。このずれによって、本来とは違う異常なタンパク質(MUC1fs)が作られ、これが腎臓の尿細管の細胞にたまって細胞を傷つけることで、ゆっくり進む慢性腎臓病を引き起こします[12]。がんのようにMUC1が「過剰に働く」のではなく、「異常なかたちのタンパク質ができて悪さをする」という、まったく違う異常の起こり方である点が特徴です。
遺伝子の設計図は、3文字ずつのまとまりで読まれます。ここに文字が1〜2個だけ挿入されたり抜けたりすると、それ以降の「読み枠」が全部ずれてしまい、まったく違うタンパク質ができます。これをフレームシフト変異といいます。ADTKD-MUC1では、この読み枠のずれで生まれる異常タンパク質(MUC1fs)が腎臓の細胞にたまることが、病気の本体だと考えられています[12]。
症状と遺伝、そして検査の難しさ
ADTKD-MUC1は、尿にタンパクや血液がほとんど混じらないまま、腎臓の働きがゆっくり低下していくのが特徴です。腎不全に至る年齢には家族内・家族間でばらつきがあり、末期腎不全に至る年齢の中央値はおよそ46歳(およそ20〜70歳の範囲)と報告されています[12]。同じADTKDでもUMOD遺伝子によるタイプと異なり、痛風や貧血などの腎臓以外の症状を伴いにくく、症状が腎臓に限られる点も特徴です[12]。
遺伝の形は常染色体顕性(優性)遺伝で、原因となる変異がお子さんに伝わる確率は妊娠ごとに原則50%です[12]。ただし、この病気の遺伝子検査には特別な難しさがあります。原因となる変異が、繰り返し配列(VNTR)という読み取りにくい領域にあるため、通常の次世代シーケンサーでは見つけにくいのです。そのため、専用の検査手法や長鎖シーケンスなど、特別な解析が必要になります[12]。原因不明の家族性の慢性腎臓病があり、尿所見が乏しい場合には、この病気の可能性を念頭に置くことが診断の手がかりになります。
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参考文献
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