目次
- 1 1. 甲状腺がんとは ─ 「ひとつの病気」ではない
- 2 2. 分化がんと未分化がん ─ 対極にある2つの姿
- 3 3. 疫学と種類 ─ 世界と日本での位置づけ
- 4 4. 遺伝子変異と分子病態 ─ 分化がんから未分化がんへ
- 5 5. 診断とBethesda分類 ─ しこりをどう調べるか
- 6 6. 病期とリスク評価 ─ 「死亡リスク」と「再発リスク」は別
- 7 7. 分化がんの治療 ─ 「過剰治療を避ける」方向へ
- 8 8. 未分化がんの治療 ─ 「治療機会を逃さない」
- 9 9. 遺伝診療との接点 ─ 遺伝するがん・しないがん
- 10 10. よくある誤解
- 11 まとめ ─ 「精密化」と「迅速化」
- 12 よくある質問(FAQ)
- 13 参考文献
- 14 関連記事
📍 クイックナビゲーション
甲状腺がんと一口にいっても、その中身は大きく2つに分かれます。ひとつは、乳頭がん・濾胞(ろほう)がんに代表される分化がん(differentiated thyroid cancer;DTC)で、甲状腺がん全体の90%以上を占め、多くは手術と放射性ヨウ素治療で長期にコントロールできます。もうひとつが、全体の2%未満と稀ながら急速に進行する未分化がん(anaplastic thyroid carcinoma;ATC)です。この2つは同じ甲状腺の細胞から生まれながら、その性質はほぼ正反対です。この記事では、両者のちがいを、疫学・遺伝子変異・診断・最新の治療という切り口から、遺伝医学の観点も含めて解説します。
Q. 甲状腺の分化がんと未分化がんは、何がちがうのですか?
A. 分化がんは、甲状腺の細胞としての性質(分化)を保ったがんで、乳頭がん・濾胞がんなどが含まれ、甲状腺がんの大部分を占めます。多くは進行がゆっくりで、手術と放射性ヨウ素治療によって長期の生存が期待できます。一方、未分化がんは甲状腺の細胞らしさを失った(脱分化した)がんで、稀ですが急速に進行し、治療が難しいがんです。近年は、がんが持つ遺伝子変異(BRAF・RET・NTRKなど)を調べて薬を選ぶ精密医療が進み、両者の治療は大きく変わりつつあります。
- ➤分化がん(DTC) → 乳頭がん・濾胞がん・好酸性細胞がん。90%以上を占め、多くは長期生存が可能
- ➤未分化がん(ATC) → 2%未満と稀。急速に進行し、診断された時点で「時間との勝負」になる
- ➤分子病態のちがい → 分化がんはBRAF・RAS・RET融合などが中心、未分化がんはそこにTP53・TERTなどが加わり脱分化する
- ➤治療の分かれ道 → 分化がんは「過剰治療を避ける」、未分化がんは「治療機会を逃さない」が近年の方向性
- ➤遺伝診療との関係 → これらの変異の多くは体細胞変異(遺伝しない)。遺伝性の髄様がんとは別の病気
🧬 甲状腺がん(分化がん・未分化がん)の基本情報
| 項目 | 分化がん(DTC) | 未分化がん(ATC) |
|---|---|---|
| 主な種類 | 乳頭がん(PTC)、濾胞がん(FTC)、好酸性細胞がん(oncocytic carcinoma) | 紡錘形・巨細胞などの多形性が強い未分化な細胞 |
| 頻度 | 甲状腺がんの90%以上 | 2%未満と稀。高齢者に多い |
| 進行の速さ | 多くはゆっくり | 急速に進行する |
| 代表的な遺伝子変異 | BRAF V600E、RAS、RET/NTRK融合など[1] | 上記に加えTP53、TERT、PIK3CA、CDKN2A/Bなどが蓄積[2] |
| 放射性ヨウ素治療 | ヨウ素を取り込む性質を保つがんでは重要 | 基本的に無効[3] |
| 見通し | 多くは長期生存・治癒が可能 | 依然として厳しいが、分子標的治療で変わりつつある |
※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた疾患解説です。特定の検査や治療を勧めるものではありません。この記事が扱うのは甲状腺の細胞(濾胞上皮細胞)由来のがんで、遺伝性が問題になりやすい髄様がんは別の病気です(後述)。
1. 甲状腺がんとは ─ 「ひとつの病気」ではない
甲状腺は、のどぼとけの下にある小さな臓器で、全身の代謝を調節する甲状腺ホルモンをつくっています。このホルモンをつくる細胞(濾胞上皮細胞、ろほうじょうひさいぼう)から発生するがんが、この記事で扱う甲状腺がんです。ここで大切なのは、甲状腺がんがひとつの病気ではなく、性質の大きく異なるいくつかのがんの集まりだということです。
その両極端にあるのが、分化がん(DTC)と未分化がん(ATC)です。分化がんは、もとの甲状腺細胞としての性質(分化)をよく保っており、甲状腺がんの90%以上を占めます。多くは進行がゆるやかで、手術を中心とした治療で長期に生きられます。一方の未分化がんは、甲状腺細胞らしさを失って(脱分化して)別物のようになったがんで、急速に周囲へ広がり、遠くの臓器へも早く転移します[3]。
この2つのちがいは、単なる「たちの良し悪し」の差ではありません。細胞の分化の状態と、がんが積み重ねてきた遺伝子変化の差として理解すると、なぜこれほど性質が違うのかが見えてきます。実際、未分化がんの一部は、もともとあった分化がんが長い時間をかけて追加の変異を獲得し、脱分化した「なれの果て」だと考えられています[2]。この記事全体を通して、この「分化の連続性」という視点を軸に見ていきます。
2. 分化がんと未分化がん ─ 対極にある2つの姿
分化がんの中で最も多いのが乳頭がん(papillary thyroid carcinoma;PTC)で、甲状腺がんの大部分を占めます。次に多いのが濾胞がん(follicular thyroid carcinoma;FTC)です。さらに、以前は「ヒュルトレ細胞がん(Hürthle cell carcinoma)」と呼ばれていたタイプが、2022年のWHO分類(世界保健機関による病理の分類)で好酸性細胞がん(oncocytic thyroid carcinoma;OTC)として独立した扱いになりました[4]。これは単なる名前の変更ではなく、後で述べるように、この型が独特の分子的な背景を持つことが分かってきたためです。
病理(顕微鏡での診断)の面でも、両者は明確に異なります。乳頭がんは、核(細胞の中心にある遺伝情報の入れ物)に特徴的な所見があり、それをもとに診断されます。濾胞がんや好酸性細胞がんでは、腫瘍が被膜(がんを包む膜)や血管に食い込んでいるか(浸潤しているか)が、良性か悪性かを分ける決め手になります。一方、未分化がんは、形の不ぞろいな細胞(紡錘形細胞や巨細胞など)が目立ち、甲状腺の細胞であることを示す目印(サイログロブリンなど)を失っていることが多いため、リンパ腫や他のがんの転移との見分けが重要になります[4]。
💡 用語解説:分化と脱分化
「分化(ぶんか)」とは、細胞がそれぞれの臓器の役割に合わせて専門化していくことです。甲状腺の分化がんは、がんになってもなお甲状腺細胞としての性質をある程度残しています。そのため、ヨウ素を取り込む性質が保たれている腫瘍では放射性ヨウ素治療が有効になり得ます。逆に「脱分化(だつぶんか)」は、その専門性を失って未熟な状態へ戻ることを指します。未分化がんはこの脱分化が進んだ状態で、甲状腺細胞らしさもヨウ素を取り込む力も失っています。
臨床の現れ方も対照的です。分化がんの多くは、健診の超音波などで偶然見つかる小さなしこりとして発見されます。これに対して未分化がんは、急速に大きくなる首のしこりとして現れ、声のかすれ、飲み込みにくさ、息苦しさなど、周囲の器官への影響を伴うことがあります。このため未分化がんは、診断・検査・治療方針の決定をゆっくり順番に進めるのではなく、ほぼ同時並行で急いで進める「腫瘍学的な緊急事態」に近いものとして扱われます[3]。
🩺 院長コラム【同じ「甲状腺がん」でも中身はまるで違う】
「甲状腺がん」と診断されたと聞くと、多くの方が同じ一種類の病気を思い浮かべます。けれども実際には、生涯にわたってほとんど悪さをしないものから、数か月で命に関わるものまで、性質が大きく異なるがんが同じ名前でくくられています。この幅の広さこそ、甲状腺がんを理解するうえで最初に知っておいてほしいことです。
現在の医学的知見では、この違いの多くは、がん細胞が抱える遺伝子の変化と関連して説明できるようになってきました。どの遺伝子が、どの段階で変化したかによって、そのがんの分化状態や進展の仕方が異なります。同じ臓器のがんであっても、分子病態と臨床像を一律に扱えないことが重要です。
3. 疫学と種類 ─ 世界と日本での位置づけ
世界的にみると、GLOBOCAN 2022に基づく解析では、2022年の甲状腺がんは約82.1万人の新規発症、約4.7万人の死亡と推定されており、女性の罹患率(りかんりつ、新たに診断される割合)は男性よりかなり高いことが知られています[5]。人間開発指数(HDI)の高い地域ほど罹患率が高い一方で、死亡率の地域差はそれほど大きくありません。この「診断は増えても死亡はさほど増えない」というずれには、超音波などの検査の普及によって、生命に影響しない小さな乳頭がんが数多く見つかるようになった過剰診断が大きく関わっていると考えられています[5]。
💡 用語解説:過剰診断とは
「過剰診断」とは、放置しても生涯にわたって症状を出さず、命にも関わらなかったであろうがんを見つけてしまうことを指します。甲状腺の小さな乳頭がんはその代表例です。見つかること自体が悪いわけではありませんが、すべてを一律に強く治療すると、手術や治療による負担のほうが上回ってしまう可能性があります。近年、小さく危険性の低い分化がんに対して「治療を控えめにする(de-escalation)」という考え方が広がってきた背景には、この過剰診断の問題があります。
分化がんの内訳をみると、乳頭がんが圧倒的多数を占め、次いで濾胞がん、そして好酸性細胞がんと続きます。好酸性細胞がんは、大量の異常なミトコンドリア(細胞のエネルギー工場)を細胞内に抱え込むという特徴があり、ミトコンドリアの遺伝子(mtDNA)の変異や広い範囲の染色体の喪失といった、独特の分子的背景を持ちます[6]。この型は、放射性ヨウ素治療が比較的効きにくいという臨床的な特徴もあり、乳頭がんや通常の濾胞がんと同じ手順を機械的に当てはめることができません。
未分化がんは、甲状腺がん全体の2%未満と稀ですが、その希少さに反して、甲状腺から生じるがんの死亡の多くを占めます[3]。高齢の方に多く、しばしば先行する分化がんの経過の中から、あるいは分化がんが明らかでないまま突然のように発症します。すべての未分化がんが既存の分化がんから進むわけではなく、先行する分化がんがはっきりしない場合もあります[2]。
4. 遺伝子変異と分子病態 ─ 分化がんから未分化がんへ
がんは、細胞の増殖をコントロールする遺伝子に変化が積み重なって発生します。増殖のアクセルを踏みっぱなしにする遺伝子をがん遺伝子(オンコジーン)、ブレーキ役をがん抑制遺伝子と呼びます。甲状腺の分化がんと未分化がんのちがいは、どのドライバー遺伝子(がんを駆動する中心的な遺伝子)が、どういう順番で変化したかで説明できます。
分化がんを駆動する遺伝子 ─ MAPK経路が中心
乳頭がんの分子分類の基本は、BRAF-likeとRAS-likeという2つの軸です。BRAF遺伝子の代表的な変異であるBRAF V600Eは、細胞増殖を強力に進めるMAPK経路というシグナルの流れを活性化し、典型的な乳頭がんによくみられます。一方、RAS遺伝子の変異は濾胞状の増殖パターンと関連し、濾胞がんでも重要です[1]。
若い方や放射線に関連したがんでは、RETやNTRKといった遺伝子の融合(fusion)が相対的に重要になります。融合とは、2つの別々の遺伝子がつながって、本来はないはずの働きを持つ異常な遺伝子ができてしまう現象です。これらは単なる診断の目印ではなく、進行がんにおいて後述の選択的な阻害薬を使えるかどうかを直接左右する、治療に直結する変化です[1]。
💡 用語解説:融合遺伝子(fusion)
ふつう遺伝子は、染色体の決まった場所に決まった向きで並んでいます。ところが、染色体が切れて別の場所とつながると、2つの遺伝子の一部どうしが合体してしまうことがあります。これが融合遺伝子です。RET融合やNTRK融合では、増殖のスイッチが常にオンになった異常なタンパク質がつくられ、がんの原動力になります。頻度は高くありませんが、そこを狙い撃ちする薬がよく効くため、進行がんでは「少ないけれど見つける価値の大きい変化」として重視されます。
好酸性細胞がんはさらに異なります。大規模なゲノム解析では、エネルギーをつくる電子伝達系の複合体Iを中心としたミトコンドリアDNAの変異、広い範囲の染色体の喪失、染色体まるごとの重複などが認められています[6]。これらは、大量の異常なミトコンドリアを抱えるこの型の特徴を説明するとともに、好酸性細胞がんが乳頭がんや通常の濾胞がんとは異なる進化の道筋をたどることを示しています。
未分化がんへの脱分化 ─ 変異の積み重ね
未分化がんは、多くの段階を経て形づくられます。近年の、同じ腫瘍の複数の場所を別々に解析する研究では、ひとりの患者さんの腫瘍の中にある未分化がんの成分と分化がんの成分が、共通の祖先を持つことが示されました[2]。つまり、乳頭がん・濾胞がんの初期の変異に、TP53、TERT promoter、PIK3CA、CDKN2A/Bなどの追加の異常が重なって未分化化する、というモデルが支持されています[2]。
TERTという遺伝子のプロモーター(遺伝子のスイッチにあたる部分)の変異は、「最初にがんを引き起こす引き金」というより、がんを進行・悪性化させる二次的な出来事として重要です。51の研究、1万1千例を超える分化がんをまとめたメタ解析では、分化がん全体の約11%にこの変異が認められ、高齢、腫瘍の大きさ、血管への浸潤、甲状腺の外への広がり、遠隔転移、再発、そして生命予後の悪化と関連していました[7]。ただし、研究ごとに対象や検査法にばらつきがあり、TERT変異だけを取り出して個人の運命を決定論的に判断すべきではありません。

分化した甲状腺がんでは、細胞膜のNIS(ナトリウム・ヨウ化物共輸送体)を介してヨウ素を取り込む性質が保たれているため、放射性ヨウ素治療(RAI)が有効になり得ます。がんの進行と脱分化に伴ってNISの発現や膜への局在が低下するとヨウ素取り込みも低下し、未分化がんではこの性質が著しく失われるため、放射性ヨウ素治療は基本的に有効ではありません。
このように、分化がんでは主にMAPK経路が中心なのに対し、未分化がんではMAPK経路に加えて、PI3K–AKT経路、細胞周期の制御、p53、TERT、クロマチン(遺伝情報の折りたたみ)の制御など、複数の仕組みが同時に壊れています[2]。この複合的な破綻が、未分化がんの治療の難しさの根っこにあります。
5. 診断とBethesda分類 ─ しこりをどう調べるか
分化がんの診断は、ふつう次の順序で進みます。まず首の超音波検査でしこりの性質を調べ、疑わしければ穿刺吸引細胞診(FNA)という細い針で細胞を採る検査を行い、その結果をBethesda分類という国際的な基準で6段階に分けます[8]。2023年に改訂された第3版では、(1)検体不適正、(2)良性、(3)意義不明の異型、(4)濾胞性腫瘍、(5)悪性疑い、(6)悪性、という6つのカテゴリーが維持され、それぞれの悪性の可能性(悪性リスク)が最新のデータで更新されています[8]。
💡 用語解説:Bethesda分類と「意義不明」の領域
Bethesda分類は、細胞診の結果を世界共通のことばで表すための仕組みです。多くは「良性」か「悪性」かに分けられますが、一部は「意義不明の異型」や「濾胞性腫瘍」といった、良性か悪性か細胞診だけでは決めきれない領域(indeterminate、いぎふめい)に入ります[8]。この領域でこそ、次に述べる遺伝子を調べる検査(分子検査)の価値が最も高くなります。
ここで大切なのは、「診断のための分子検査」と「進行がんの治療のためのNGS(次世代シーケンス)」を分けて考えることです。前者は、意義不明のしこりについて手術が必要かどうか、どこまで切るかを見極めるための補助であり、代表的な検査にThyroSeqなどがあります。後者は、放射性ヨウ素が効かなくなった転移がんや未分化がんに対して、RET・NTRK・BRAFなど直接治療できる異常を探す検査であり、治療そのものを変えます[1]。2025年の米国甲状腺学会(ATA)のガイドラインは、後者を進行分化がんの治療前評価にはっきりと位置づけています[1]。
手術後の分化がんでは、サイログロブリン(Tg)という、甲状腺の細胞がつくるタンパク質が重要な指標になります。特に甲状腺を全部とった後は、このTgが検出され続けたり上がってきたりすることが、残ったがんや再発を示すサインになります[3]。ただしTgは、正常な甲状腺組織からも分泌されるため、初めての診断時に「がんかどうか」を決めるスクリーニング検査ではなく、治療後の経過観察でこそ真価を発揮します。
一方、未分化がんでは診断の目的が異なります。急速に大きくなる首のしこりで未分化がんが疑われる場合は、診断を順番待ちにせず、針生検などで組織を速やかに採り、CTなどで広がりを調べ、同時にBRAF V600Eの迅速な検査と、より広い遺伝子検査(NGS)へ組織を回す、という並行処理が基本とされています[3]。次の図は、しこりが見つかってからの流れをおおまかに示したものです。実際には、病理、切除の可能性、併存疾患、地域の薬の承認状況などによって分岐します。
6. 病期とリスク評価 ─ 「死亡リスク」と「再発リスク」は別
がんの進行度を表す病期(ステージ)には、AJCC/UICCのTNM分類(第8版)が使われます。分化がんで特徴的なのは、55歳という年齢を境に病期が大きく変わる点です。55歳未満では、遠隔転移がなければどんな大きさ・リンパ節転移でもStage I、遠隔転移があってもStage IIにとどまります。55歳以上では、腫瘍・リンパ節・転移の組み合わせでStage IからIVBまで分かれます[3]。このTNM病期は、主に「そのがんで亡くなるリスク(死亡リスク)」を予測する枠組みであり、「再発のしやすさ」を直接表すものではありません。
そこで分化がんでは、TNM病期とは別に、ATAの再発リスク分類を併用します。2025年のATAガイドラインでは、従来の低・中・高の3段階を、低リスク、低〜中リスク、中〜高リスク、高リスクの4段階へと細分化し、乳頭がん・濾胞がん・好酸性細胞がんそれぞれの性質をより明確に反映するようになりました[1]。この再発リスクは、放射性ヨウ素治療を行うか、画像やTgでどのくらいの強さで経過を追うかを決めるうえで、病期より直接的な意味を持ちます。
💡 混同しないで:死亡リスクと再発リスク
分化がんでは、「再発しやすさ」と「命に関わるリスク」を混同しないことがとても大切です。たとえば若い方の乳頭がんでリンパ節に転移があると、再発のリスクは上がっても、生命への影響は小さいことがあります。逆に、濾胞がんや好酸性細胞がんの血管への浸潤や遠隔転移は、生命予後に直結しやすい傾向があります。AJCCのTNM病期とATAの再発リスクを別々に使うのは、まさにこの違いを見分けるためです[3]。
さらに近年重視されているのが、動的リスク評価(dynamic risk stratification)です。これは、最初の手術のときの病理だけで数年間の管理を固定してしまうのではなく、Tg、画像、臨床所見による治療への反応をくり返し評価して、再発リスクや甲状腺刺激ホルモン(TSH)を抑える強さを更新していく考え方です。2025年のATAガイドラインでは、最初は高リスクと判定されても、その後の反応が良好であれば、不要に強いTSH抑制を減らす方向へ転換しています[1]。
未分化がんでは、病期評価の意味合いが異なります。すべての未分化がんは診断時点でStage IVに分類され、さらにIVA・IVB・IVCに分けられます[3]。ただし実際の治療判断では、「IVのどこか」以上に、手術で取りきれるか、気道が危険な状態か、遠隔転移があるか、全身状態はどうか、そしてBRAFなどの狙える変異があるか、といった要素が治療を決めます。
7. 分化がんの治療 ─ 「過剰治療を避ける」方向へ
分化がんの手術は、ここ10年で最も大きく変わった領域のひとつです。2025年のATAガイドラインでは、片方の葉に限局し、大きさが2cm以下で、甲状腺の外への明らかな広がりやリンパ節転移がないがんでは、葉切除(片側だけをとる手術)が推奨されます。2cm超4cm以下でも同様に限局していれば、腫瘍の性質や患者さんの価値観に応じて葉切除か全摘(全部とる手術)かを選べます。4cmを超える、明らかに外へ広がっている、あるいはリンパ節・遠隔転移があるがんでは、全摘と適切なリンパ節手術が基本となります[1]。
これは「小さいがんは治療しなくてよい」という意味ではありません。より正確には、危険性の低いがんに対して全摘・放射性ヨウ素・強いTSH抑制を一律に積み重ねる利益が小さいことが明確になり、治療の強さを病理・再発リスク・治療反応に合わせる方向へ変わった、ということです[1]。
放射性ヨウ素治療(RAI)は分化がんに特徴的な治療ですが、現在は「分化がんだから術後は全員に」という発想ではありません。残った甲状腺組織を処理する目的、再発リスクの高い方への補助的な治療、ヨウ素を取り込む転移がんの治療、という目的を区別し、再発リスク・病理・術後のTg・画像を統合して選びます。特に好酸性細胞がんは、乳頭がんや濾胞がんの多くに比べて放射性ヨウ素が効きにくいため、組織の型そのものが期待できる効果を左右します[1]。
放射性ヨウ素が効かなくなったとき ─ 分子標的治療
放射性ヨウ素が効かなくなった分化がん(RAI抵抗性)で、症状を伴って明らかに進行している場合には、分子標的治療が登場します。ただし、ゆっくり大きくなる小さな病変を見つけただけで、すぐに薬を始めるわけではありません。病変の量、進行の速さ、症状、臓器への危険、局所治療の可能性、薬の副作用を考え合わせて、臨床的に意味のある進行があるときに全身治療へ移ります[1]。
2025年のATAの枠組みでは、全身治療の前に包括的な分子検査を行うことが重視されており、RETまたはNTRKの融合が陽性なら、多くの患者さんでそれを狙った薬を優先します。RET融合陽性の甲状腺がんを対象とした試験(LIBRETTO-001)では、既治療の19例でセルペルカチニブによる奏効率79%が報告され、乳頭がんだけでなく好酸性細胞がんや未分化がんも含まれていました[9]。NTRK融合陽性の甲状腺がんでも、ラロトレクチニブが高い奏効率を示しています[10]。
💡 用語解説:なぜ「少ない変異」を検査するのか
RET融合やNTRK融合は、分化がん全体では少数派です。しかし「頻度が低いから検査しない」のではなく、「頻度は低いが、見つかれば治療効果が大きい変化だから、進行がんでは探す価値が高い」というのが精密医療の考え方です。少数でも、その人にとっては決定的な意味を持つことがあるためです[9]。
明確に狙える標的がなければ、血管新生などに関わる受容体チロシンキナーゼを幅広く抑えるマルチキナーゼ阻害薬(MKI)が主要な治療です。レンバチニブを評価したSELECT試験では、無増悪生存期間(がんが進行しないでいられる期間)がプラセボの3.6か月に対し18.3か月へ延長し、奏効率は64.8%でした[11]。ソラフェニブを評価したDECISION試験でも、無増悪生存期間が5.8か月から10.8か月へ延長しています[12]。両者を直接比べた試験はありませんが、奏効率と臨床経験から、2025年のATAでは一般にレンバチニブがソラフェニブより優先されます[1]。レンバチニブやソラフェニブの後に進行した場合には、COSMIC-311試験によってカボザンチニブの有効性が確立し、二次治療の重要な選択肢となっています[13]。
これらのマルチキナーゼ阻害薬は、いずれも高血圧、手足症候群、たんぱく尿、疲労、下痢などのために減量や中断が必要になることが多く、「効く薬を選ぶこと」と同じくらい、早い段階からの副作用管理が治療成績を左右します[13]。
💡 期待される研究段階の治療:再分化療法
分化がんに特有の有望な研究領域として、再分化療法(redifferentiation)があります。BRAF/MEK阻害薬でMAPK経路を抑えることで、いったん放射性ヨウ素が効かなくなったがんに、ふたたびヨウ素を取り込む力を回復させる戦略です。BRAF V600E変異を持つRAI抵抗性分化がんの第II相試験では、ダブラフェニブとトラメチニブの後にヨウ素131を投与し、6か月時点で38%に部分奏効が報告されました[14]。ただし、生存期間を延ばすかどうかの無作為化データはまだなく、現時点では専門施設や臨床試験を中心とする選択的な戦略です。
8. 未分化がんの治療 ─ 「治療機会を逃さない」
未分化がんでは、事情が完全に異なります。まず、BRAF V600Eの結果を待つ価値が非常に高いのが特徴です。BRAF陽性で切除できない・転移した未分化がんでは、ダブラフェニブとトラメチニブの併用が、この病気の自然な経過を実質的に変えました。ROAR試験の更新解析では、この併用で奏効率56%が報告され、従来の未分化がんの経過からみれば大きな改善です[15]。さらに、局所進行のBRAF陽性例では、この併用で腫瘍を縮小させてから切除の可能性を再評価する、という運用が専門施設で用いられています。
💡 なぜBRAF検査を「急ぐ」のか
未分化がんは進行が速いため、BRAFの結果を数週間後の外来まで待つのは合理的ではありません。診断直後に迅速にBRAF検査を行うこと自体が、治療介入の一部と考えるべきです。BRAF陽性なら、有効性の高い併用療法をすぐに始められるからです[15]。狙った変異に合わせて薬を選ぶために、BRAFなどを調べるコンパニオン診断や遺伝子パネル検査が重要な役割を果たします。
BRAF陰性、あるいは狙える薬がすぐに使えない局所進行の未分化がんで、全身状態が良好で、重大な機能の犠牲なしにがんを取りきれる見込みがあれば、手術後に強度変調放射線治療(IMRT)と、放射線の効果を高める全身治療を組み合わせるのが、ATAの積極的な治療戦略です。切除できなくても全身状態が良ければ、IMRTにタキサン系・プラチナ系などの抗がん剤を組み合わせることがあります[3]。一方で、大きく取り残しが確実な極端な手術は、その害を慎重に考える必要があります[3]。
免疫療法 ─ 有望だがまだ発展途上
未分化がんに対する免疫チェックポイント阻害薬は有望ですが、まだBRAF陽性例のBRAF/MEK阻害ほどには確立していません。PD-1という免疫のブレーキを外す薬スパルタリズマブの単剤を、42例の未分化がんに用いた第II相試験では、奏効率は19%で、大半は奏効しなかった一方、完全奏効を含む長続きする反応が一部にみられ、PD-L1の発現が高い群で奏効率が高い傾向でした[16]。PD-L1は完全な予測の目印ではなく、BRAFの状態や腫瘍の量などと合わせた総合的な評価が必要です[16]。
また、未分化がんは放射性ヨウ素に反応しないため、分化がんで重要な放射性ヨウ素治療やTg中心の経過観察、TSH抑制をそのまま当てはめることはできません。代わりに、腫瘍の量、CT・PET、症状、気道・飲み込み・神経の障害、遠隔転移の経時的な変化を中心に評価していきます[3]。
🩺 院長コラム【「同じ薬でもがんによって意味が違う」ということ】
BRAF V600Eという同じ変異でも、分化がんと未分化がんでは、その薬の位置づけが違います。未分化がんではBRAF/MEK阻害が病気の経過を大きく変えた一方、放射性ヨウ素が効かなくなった分化がんでは、BRAF単剤とBRAF/MEK併用を比べた試験で併用の明確な優越性が示されず、必ずしも「BRAFがあればまずBRAF/MEK」とは単純に位置づけられていません。
同じ遺伝子変異でも、どの病気の、どの治療場面で用いるかによって臨床的な意味は変わります。この「文脈依存性」は、がんゲノム医療を理解するうえで重要です。遺伝子名だけを見て一律に治療効果や遺伝性を判断することはできません。
9. 遺伝診療との接点 ─ 遺伝するがん・しないがん
「BRAFやRETの変異があるなら、家族に遺伝するのですか」──これは、遺伝診療の場でよく生じる疑問です。ここで重要なのが、体細胞変異と生殖細胞系列変異のちがいです。この記事で扱ってきた分化がん・未分化がんのBRAF V600EやRET/NTRK融合の多くは、体細胞変異、つまり生まれた後に腫瘍の中だけで起きた変化であり、原則として子どもに受け継がれるものではありません。
💡 用語解説:体細胞変異と生殖細胞系列変異
「生殖細胞系列変異」は、生まれつき体のすべての細胞が持っている変化で、子どもに受け継がれる可能性があります。一方「体細胞変異」は、生まれた後に特定の細胞(ここでは甲状腺のがん細胞)だけで生じた変化で、原則として遺伝しません。甲状腺の分化がん・未分化がんで見つかるBRAFやRET融合の多くは、この体細胞変異です。遺伝子の名前が同じでも、それが生殖細胞系列にあるのか体細胞にあるのかで、家族への意味はまったく異なります。
ここで整理しておきたいのが、この記事の対象は甲状腺の濾胞上皮細胞から生じるがんであり、遺伝性が問題になりやすい髄様がん(ずいようがん)は別の病気だという点です。髄様がんは、甲状腺の傍濾胞細胞(C細胞)から生じるがんで、RET遺伝子の生殖細胞系列変異による多発性内分泌腫瘍症2型(MEN2)など、遺伝性の症候群の一部として起こることがあります。分化がん・未分化がんとは細胞の由来も遺伝的な背景も異なるため、混同しないことが大切です。
ただし、分化がんの中にも、まれに家族内で集積するもの(家族性非髄様甲状腺がん)が知られており、DICER1症候群、PTEN過誤腫症候群(カウデン症候群)、APC関連(家族性大腸腺腫症)などの遺伝性症候群に伴って甲状腺がんのリスクが上がることがあります。家族歴が濃い場合や、若くして複数のがんがある場合などには、こうした遺伝性の背景を考える意義があります。
当院では、遺伝子や染色体に関わる検査の前後で、臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行っています。話し合う内容は、検査で何が分かり何が分からないのか、見つかった変化がご本人やご家族にとってどういう意味を持つのか、そしてどのような選択肢があるのか、といった点です。甲状腺がんそのものの外科・薬物治療は専門の医療機関で行われますが、その背景に遺伝性の要因が疑われる場合に、遺伝的な観点から情報を整理することが、遺伝診療の役割です。
10. よくある誤解
誤解①「甲状腺がんは全部おとなしい」
大部分を占める分化がんは進行がゆるやかですが、未分化がんは急速に進行する別の病気です。同じ「甲状腺がん」でも性質は大きく異なり、一律には語れません。
誤解②「がんの遺伝子変異は必ず遺伝する」
分化がん・未分化がんで見つかるBRAFやRET融合の多くは体細胞変異で、原則として子どもには遺伝しません。遺伝性が問題になりやすいのは、別の病気である髄様がんです。
誤解③「小さいがんも全部強く治療すべき」
危険性の低い小さな分化がんでは、全摘・放射性ヨウ素・強いTSH抑制を一律に積み重ねる利益は小さいことが分かってきました。近年は治療を病理・リスクに合わせる方向です。
誤解④「未分化がんに打つ手はない」
依然として厳しい病気ですが、BRAF陽性ならBRAF/MEK阻害薬が経過を変えつつあり、RET/NTRK融合を狙う薬や免疫療法など、選択肢は広がってきています。
まとめ ─ 「精密化」と「迅速化」
甲状腺がんは、性質の大きく異なるがんの集まりです。大部分を占める分化がんは、もとの甲状腺細胞らしさを保ち、多くは長期の生存が可能です。米国のSEERデータでは、甲状腺がん全体の5年相対生存率は約98%と報告されています[17]。ただしこれは分化がんが大多数を占める集団の値であり、遠隔転移例や放射性ヨウ素が効かない例では生存率は明らかに下がります[17]。一方、稀な未分化がんは急速に進行する厳しいがんですが、分子標的治療の登場によって、その姿は少しずつ変わりつつあります[15]。
臨床的に最も重要なメッセージは、分化がんでは「過剰治療を避ける精密化」、未分化がんでは「治療機会を逃さない迅速化」です。分化がんの小さく危険性の低い病変では「何を追加しないか」が重要になり、進行してヨウ素が効かないがんでは「どの分子ドライバーを狙うか」が鍵になります。未分化がんでは、病理の確定、病期の評価、BRAF/NGS、気道の管理、放射線・手術の評価を、順番にではなく並行して走らせることが、分子標的時代の診療の核心です[3]。どの型のがんであっても、正確な診断に基づいて治療方針を選択することが重要です。
よくある質問(FAQ)
Q1. 甲状腺の分化がんと未分化がんは、何がちがうのですか?
分化がんは、甲状腺の細胞としての性質(分化)を保ったがんで、乳頭がん・濾胞がん・好酸性細胞がんが含まれ、甲状腺がんの90%以上を占めます。多くは進行がゆっくりで、手術と放射性ヨウ素治療で長期の生存が期待できます。一方、未分化がんは甲状腺細胞らしさを失った(脱分化した)がんで、全体の2%未満と稀ですが、急速に進行し治療が難しいがんです。両者は同じ甲状腺の細胞から生まれながら、性質はほぼ正反対です。
Q2. 甲状腺がんの遺伝子変異は、家族に遺伝しますか?
分化がん・未分化がんで見つかるBRAF V600EやRET/NTRK融合の多くは、生まれた後に腫瘍の中だけで起きた体細胞変異であり、原則として子どもに受け継がれるものではありません。遺伝性が問題になりやすいのは、別の病気である髄様がん(RET遺伝子の生殖細胞系列変異による多発性内分泌腫瘍症2型など)です。ただし分化がんの中にも、まれに家族内で集積するものがあり、DICER1症候群やカウデン症候群などの遺伝性症候群に伴うことがあります。
Q3. 甲状腺のしこりは、どうやって調べるのですか?
まず首の超音波検査でしこりの性質を調べ、疑わしければ細い針で細胞を採る穿刺吸引細胞診(FNA)を行い、その結果をBethesda分類という国際基準で6段階に分けます。良性か悪性か細胞診だけでは決めきれない「意義不明」の領域では、遺伝子を調べる分子検査(ThyroSeqなど)が診断の補助として役立ちます。一方、進行がんや未分化がんでは、治療につながる遺伝子異常(BRAF・RET・NTRKなど)を探すための遺伝子パネル検査(NGS)が重要になります。
Q4. 放射性ヨウ素治療は、すべての甲状腺がんに効きますか?
いいえ。放射性ヨウ素治療は、甲状腺の細胞らしさを保ち、ヨウ素を取り込む性質のある分化がんで効果を発揮します。近年は「分化がんだから術後は全員に」ではなく、再発リスクや病理に応じて必要な方に行う考え方に変わっています。好酸性細胞がんは比較的効きにくく、また甲状腺細胞らしさを失った未分化がんには基本的に効きません。放射性ヨウ素が効かなくなった進行分化がんでは、分子標的治療が選択肢になります。
Q5. 未分化がんと診断されたら、まず何をするのですか?
未分化がんは進行が速いため、診断・病期評価・治療を順番にではなく並行して進めることが重要とされています。針生検などで組織を速やかに採り、CTなどで広がりを調べ、同時にBRAF V600Eの迅速な検査と、より広い遺伝子検査(NGS)へ組織を回します。BRAF V600Eが陽性なら、ダブラフェニブとトラメチニブの併用が経過を変えることが報告されており、診断直後に迅速にBRAFを調べること自体が治療の一部と考えられています。治療方針は専門の医療機関で、全身状態や切除の可能性を含めて総合的に決められます。
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参考文献
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- [3] 2021 American Thyroid Association Guidelines for Management of Patients with Anaplastic Thyroid Cancer. Thyroid. 2021. [PubMed 33728999]
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