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PIK3CA遺伝子|働き・変異が引き起こすがんと過成長症(PROS)、最新の分子標的治療

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

PIK3CA遺伝子は、細胞の成長や生存をコントロールする「PI3K/AKT/mTOR経路」の起点となる、いわば細胞のアクセルペダルです。この遺伝子に変異が起こると、アクセルが踏みっぱなしになり、乳がん・大腸がん・卵巣明細胞がんなどのがんや、体の一部だけが過剰に大きくなる過成長症(PROS)の原因になります。近年は変異を狙い撃ちにする分子標的薬が次々に登場し、2026年には日本でも新薬リソバリシブが承認されました。本記事では、PIK3CA遺伝子のはたらきから、変異が引き起こす病気、最新の治療と検査までを、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 がん・過成長症・プレシジョン医療
臨床遺伝専門医監修

Q. PIK3CA遺伝子とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. PIK3CA遺伝子は、細胞の成長・生存をつかさどる「PI3K(ピーアイスリーケー)」という酵素の中心部品(p110α)の設計図です。この遺伝子に変異が入ると、細胞増殖のスイッチが入りっぱなしになります。後天的な変異はがんの原因に、胎児期に一部の細胞だけに起こった変異(モザイク)は過成長症(PROS)の原因になります。同じ遺伝子が「がん」と「先天的な過成長」という2つの顔を持つのが大きな特徴です。

  • 遺伝子の正体 → 3番染色体にあり、PI3K酵素の中心部品「p110α」をつくる設計図
  • 2つの顔 → 後天的な変異は「がん」、胎児期のモザイク変異は「過成長症(PROS)」の原因
  • ホットスポット → 変異は545番・1047番など、決まった「急所」に集中して起こる
  • 治療の進歩 → アルペリシブ・イナボリシブ・リソバリシブなどの分子標的薬が登場
  • 検査 → 出生前(NIPT・羊水)と出生後(腫瘍プロファイリング・パネル検査)で目的が異なる

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1. PIK3CA遺伝子とは:細胞のアクセルをつくる設計図

PIK3CA遺伝子は、ヒトの3番染色体の長腕(3q26.32)に位置する遺伝子です。この遺伝子は、「PI3K(ホスファチジルイノシトール3-キナーゼ)」という酵素の中心となる部品、p110α(ピー・ひゃくとお・アルファ)というタンパク質をつくるための設計図を持っています[1]

PI3Kは、細胞のなかで単独で働くのではなく、PIK3CAがつくる「p110α(触媒サブユニット=実際に化学反応を行う部品)」と、別の遺伝子(PIK3R1など)がつくる「p85(調節サブユニット=ブレーキ役)」が組み合わさったペアとして存在します。普段はp85がブレーキをかけて、不要なときにアクセルが踏まれないように守っています[1]

💡 用語解説:触媒サブユニットと調節サブユニット

酵素はしばしば複数の部品が組み合わさってできています。触媒サブユニットは、実際に化学反応(ここでは「リン酸化」というはたらき)を行う中心部品です。一方調節サブユニットは、その触媒部品が暴走しないよう活動を調節する「ブレーキ・見張り役」です。PIK3CAは触媒部品のp110αを、PIK3R1はブレーキ役のp85をつくります。この絶妙なバランスが崩れると、アクセルが踏みっぱなしになってしまいます。

PIK3CAがこれほど注目されるのは、「2つの顔」を持っているからです。生まれた後に体の細胞で起こる変異(体細胞変異)は、乳がんや大腸がんなど多くのがんを引き起こすドライバー遺伝子として働きます。一方、胎児期のごく早い段階で一部の細胞だけに変異が起こると、体の一部が過剰に大きくなる先天的な希少疾患群「PROS」の原因になります。同じ遺伝子が、後天的な「がん」と先天的な「過成長」の両方を引き起こすのです。

2. PI3K/AKT/mTOR経路:細胞の成長スイッチのしくみ

PIK3CAの働きを理解する鍵は、「PI3K/AKT/mTOR経路」と呼ばれる、細胞内のシグナル伝達のリレーにあります。これは細胞が「増えなさい」「生き残りなさい」という命令を受け取り、核へ伝えるための重要な情報の通り道です[2]

流れはこうです。まず細胞の表面にある受容体チロシンキナーゼ(RTK)が、外からの成長シグナル(インスリンや成長因子など)を受け取ります。するとブレーキ役のp85がその刺激を感知し、ブレーキが外れて触媒役のp110αが細胞膜の内側に呼び寄せられます。活性化したPI3Kは、細胞膜の成分であるPIP2をPIP3に変換します。このPIP3が「次に進め」という合図(セカンドメッセンジャー)となり、AKT → mTORへとリレーが続き、最終的に核で「増殖・生存」の遺伝子が動き出します[1]

💡 用語解説:受容体チロシンキナーゼ(RTK)

細胞の表面にあるアンテナのようなタンパク質で、外から来た成長因子やホルモンを受け取る「窓口」です。シグナルを受け取ると自分自身にリン(リン酸基)を付ける(自己リン酸化)ことでスイッチが入り、その合図を細胞の中へと伝えます。PI3K経路の出発点であり、RTKが活性化することでPIK3CAのp110αが呼び出されます。

💡 用語解説:リン酸化とセカンドメッセンジャー

リン酸化とは、タンパク質や脂質に「リン酸基」という小さな目印を付ける反応で、細胞内のスイッチをオン・オフする最も基本的な仕組みです。PI3Kはタンパク質ではなく「脂質(細胞膜の成分)」をリン酸化するのが特徴です。その結果生まれるPIP3がセカンドメッセンジャー(二次伝令)、つまり「外からの命令を細胞内に伝える中継メモ」として働き、次のAKTを呼び寄せます。

この経路は、細胞の増殖、アポトーシス(プログラム細胞死)の回避による生存、細胞の移動・浸潤、タンパク質合成、糖の取り込みなどの代謝といった、生命に不可欠な多くの働きを担っています。それだけ重要だからこそ、がんで最も頻繁に異常が起こる経路の一つでもあるのです[2]。下の図は、この経路の流れと、各治療薬がどこに作用するかを示したものです。

PI3K/AKT/mTOR経路と治療薬の作用点 細胞膜から核へ向かう一方向のシグナルの流れ 細胞膜 RTK(受容体) p110α(PIK3CA)+ p85 PI3K酵素本体(ここに変異が起こる) アルペリシブ イナボリシブ PIP2 → PIP3(脂質の合図) AKT カピバセルチブ mTOR 核:増殖・生存の指令 細胞が増え続け、死を回避する 変異 の場所

受容体(RTK)→ p110α(PI3K)→ PIP3 → AKT → mTOR → 核、という一方向の流れ。PIK3CA変異はp110αの段階で起こり、経路全体を踏みっぱなしの状態にする。アルペリシブ・イナボリシブはp110αを、カピバセルチブはAKTを阻害する。

3. ホットスポット変異とシス型多重変異

PIK3CAの変異は、遺伝子のあちこちにバラバラに起こるのではなく、特定の「急所(ホットスポット)」に集中しています。臨床で見つかるPIK3CA変異の約80〜90%は、以下の3つの主要なホットスポット領域に集まっています[3]。これらはミスセンス変異(1文字のDNA変化でアミノ酸が別の種類に置き換わる変異)であり、いずれも酵素を「強める」機能獲得型変異です。

💡 用語解説:機能獲得型変異とホットスポット

機能獲得型変異とは、タンパク質が本来より「強い・新しい働き」を獲得してしまう変異です。多くの病気は機能が「失われる」ことで起こりますが、PIK3CAでは逆に酵素が強くなりすぎることが問題になります。ホットスポットとは、変異が繰り返し起こる「決まった急所」のこと。同じアミノ酸の位置(545番や1047番など)に変異が集中するのは、その場所の変化がとくに効率よく酵素を強めてしまうためです。

エクソン(領域) 主な変異 どう酵素を強めるか
エクソン9
(らせんドメイン)
E542K、E545K など ブレーキ役p85との結合をじゃまして「ブレーキを外す」タイプ。細胞の浸潤性を高める。
エクソン20
(キナーゼドメイン)
H1047R、H1047L、H1047Y 酵素の心臓部にあり、細胞膜への結合力と酵素活性そのものを直接「アクセル増強」するタイプ。
エクソン7
(C2ドメイン)
C420R 頻度は低いが臨床的に重要。細胞膜との相互作用に関与し、検査キットの標準対象にも含まれる。

インドネシアの乳がん患者集団を対象とした研究では、エクソン9の変異は50歳以下の若い世代に多く、エクソン20の変異は中高年層に多いという統計的な偏りも報告されています[3]。ただしこれは特定の集団での傾向であり、すべての人に当てはまるわけではありません。

シス型多重変異という新しい発見

長年、PIK3CA変異は「1か所だけの変異」として評価されてきました。しかしDNAの長い断片を一気に読む「ロングリード・シーケンス」という技術の登場で、驚くべき事実が分かりました。同じ1本の遺伝子(同一アレル)の上に、2つ以上の変異が同時に存在する「シス型多重変異」が、予想を超える高い頻度(PIK3CA変異を持つがんの約10〜15%)で存在していたのです[6][7]

💡 用語解説:シス型/トランス型とは

私たちは同じ遺伝子を父由来・母由来で2本持っています。2つの変異が同じ1本の上に並んでいる状態を「シス型」、別々の2本に分かれている状態を「トランス型」と呼びます。従来の短い断片を読む検査では両者を見分けられませんでしたが、ロングリード技術で「シス型」をはっきり判別できるようになりました。シス型の多重変異は、効果が足し算・かけ算的に強まることが分かっています。

この発見の最も興味深い点は、一見「より悪性に見える」シス型多重変異のがんが、PI3Kα阻害薬に対してかえって深く効く(逆説的な弱点)ことです。進行乳がんの第III相試験(SANDPIPER試験)の解析では、単一変異の客観的奏効率(ORR)が18.1%だったのに対し、多重変異では30.2%へと跳ね上がりました[6]

SANDPIPER試験:PI3Kα阻害薬への奏効率(ORR)

変異の数で、薬の効きやすさが変わる

18.1%
30.2%

単一変異

シス型多重変異

多重変異により過剰に活性化したがんは、その経路に強く依存(がん遺伝子依存)しているため、薬で経路を断つと逃げ場を失い、より深く奏効すると考えられています。

4. PIK3CAが関わる主ながん

PIK3CA変異は特定の臓器に限らず、さまざまながんで横断的に見つかります。なかでも頻度が高く、治療標的として重要なものを見ていきます。

乳がん:最も高頻度に変異が見つかるがん

乳がんは、あらゆるがんの中でPIK3CA変異が最も高頻度に見つかる病気です。とくにホルモン受容体陽性(HR+)かつHER2陰性の乳がんでは、約36〜40%にPIK3CA変異が存在します。この型では最も多い単一の遺伝子異常です。問題は、ホルモン療法(内分泌療法)でホルモンの経路を止めても、変異したPI3K経路が「バイパス(迂回路)」として増殖シグナルを送り続けること。これがホルモン療法が効きにくくなる(耐性)大きな原因となります。だからこそ、ホルモン療法とPI3K経路阻害薬を組み合わせる「併用療法」が、新しい標準治療として確立しました。

大腸がん:悪性度を多方向に高める

大腸がんでは約15〜20%にPIK3CA変異が見つかります[4]。単に増殖を速めるだけでなく、アポトーシスを抑えてがん幹細胞を守ることで抗がん剤への耐性をもたらし、上皮間葉転換(EMT)を促して浸潤・転移しやすくし、さらにグルタミンを効率よく使う代謝へと作り変えるなど、悪性度を多方向から高めるドライバーとして働きます[4]。KRAS変異と共存する「二重変異」では、より予後が不良になることも知られています。

卵巣明細胞がん:予後不良からの転換点

卵巣明細胞がんは、卵巣がんの中でも組織学的に希少でありながら悪性度が高く、プラチナ系抗がん剤などの標準的化学療法が効きにくい、予後不良な病気でした。BRCA変異が少ないためPARP阻害薬の恩恵も受けにくく、治療選択肢が極めて限られていました。しかし、この病気ではPIK3CA変異が高頻度(約30〜40%)で見つかることが分かり、明確な治療標的として浮上しました。2026年に日本で承認された新薬(後述)は、この領域の歴史的なブレイクスルーとして高く評価されています。

その他のがんと遺伝性のケース

子宮内膜がん・子宮頸がんなどの婦人科がん、膀胱がん(とくに表在性の非筋層浸潤性膀胱がんでは約半数)、頭頸部・肺の扁平上皮がんなどでもPIK3CA変異が見つかります。ただし臓器ごとに生物学的背景が異なり、治療への反応もさまざまです。なお、ごくまれに生まれつき(生殖細胞系列)にPIK3CA変異を持つ「Cowden症候群5」という遺伝性のがん体質も知られています。これはCowden症候群5として整理されており、常染色体顕性(優性)遺伝の形をとります。後述の体細胞・モザイク変異とは区別して考える必要があります。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「遺伝子を読んで薬を選ぶ」が現実になった】

私はがん薬物療法専門医として、HR陽性乳がんや卵巣がんなど成人のがん薬物療法に長く携わってきました。かつて「ホルモン療法が効かなくなった」「明細胞がんで使える薬がもう無い」というご相談は、本当に言葉に詰まる場面でした。打つ手が限られていたからです。

それが今、腫瘍の遺伝子を読んでPIK3CA変異が見つかれば、その変異を狙い撃ちにする薬を選べる時代になりました。とくに2026年に卵巣明細胞がんの新薬が日本で承認されたことは、長く停滞していたこの領域にとって大きな一歩です。「検査して、見つかった変異に合わせて治療する」というプレシジョン医療が、成人がん診療の現場で当たり前になりつつあることを、日々実感しています。

5. 過成長症(PIK3CA関連過成長スペクトラム:PROS)

PIK3CAの変異は、成人のがんだけでなく、生まれつきの希少疾患群も引き起こします。それがPROS(PIK3CA関連過成長スペクトラム)です。胎児期のごく早い段階でPIK3CA変異が起こると、体の一部の組織だけが過剰に成長し、左右非対称な肥大や奇形を生じます[5]

なぜ体の一部だけが大きくなるのか:体細胞モザイク

PROSの最大の特徴は、全身が一様に大きくなるのではなく、特定の部位だけが部分的に過成長することです。これはモザイク(体細胞モザイク)という現象によります。受精卵が分裂して胎児に育つ途中で、たった1個の細胞にPIK3CA変異が起こると、そこから増えた一群の細胞だけが過剰な増殖シグナルを受けます。その結果、変異のない正常な細胞と、変異を持つ細胞が体の中でモザイク状に混じり合い、非対称な過成長が生じるのです[5]

💡 用語解説:体細胞モザイクと新生突然変異

体細胞モザイクとは、1個の受精卵に由来しながら、体の中に遺伝的に異なる細胞集団が混在する状態です。PROSは親の精子・卵子に由来する変異ではなく、発生途中で新たに生じた新生突然変異(de novo変異)であるため、親から子へ受け継がれることは原則としてなく、家族歴のない孤発例として起こります。次のお子さんで再発するリスクも通常は一般集団とほぼ変わりません。

PROSに含まれる主な病気

PIK3CAが共通原因と分かる前は、影響を受ける組織ごとに別々の病名で呼ばれていました。現在は「PROS」という包括的な概念のもとに、以下のような多様な症候群が含まれます[5]

主な症候群 特徴的な症状
CLOVES症候群 先天性の脂肪腫性の非対称過成長、血管奇形、表皮母斑、側弯などの骨格異常を伴う複雑な型。
MCAP症候群 脳の異常な肥大(巨脳症)を中心に、てんかん・水頭症・毛細血管奇形などを伴う。
クリッペル・トレノネー症候群 片側(多くは下肢)の肥大、広範な静脈瘤、ポートワイン血管腫を三徴とする。
線維脂肪性過形成(FAVA など) 筋肉内への脂肪の異常浸潤や線維脂肪組織の進行性拡大を伴い、しばしば強い痛みや機能障害を生じる。

PROSは見た目の問題にとどまらず、リンパ管奇形による慢性的な腫れや痛み、巨脳症に伴う頭蓋内圧の上昇やてんかん、摂食障害、低血糖などの内分泌障害など、生命にかかわる合併症を起こすことがあります[5]。これまでは過成長した組織の外科的切除や血管奇形への硬化療法など、対症療法を繰り返すしか手段がありませんでした。しかし、原因であるPI3Kαを直接抑える薬の登場で、PROSの治療は歴史的な転換点を迎えています。アルペリシブ(PROS用の製品名はVijoice)の研究では、投与された患者の一部で標的病変が縮小し、痛みや疲労、血管奇形などの症状改善が報告されました[10]

6. 最新の分子標的治療(2026年の最新動向)

PI3K経路の異常を「分子レベル」で直接たたく薬の開発は、高血糖などの副作用という高いハードルを乗り越えて、近年めざましく進んでいます。代表的な薬を見ていきます。

アルペリシブ(先駆けとなったPI3Kα阻害薬)

アルペリシブは、PI3Kのp110αを狙って阻害する世界初の経口アルファ選択的PI3K阻害薬です。乳がんの大規模試験(SOLAR-1)では、ホルモン療法薬フルベストラントとの併用で、無増悪生存期間(PFS)の中央値を5.7か月から11.0か月へとほぼ倍増させました。米国では2019年に乳がんで承認されています。一方、日本では本稿の時点で乳がんに対する正式承認には至っていません(追加試験が必要とされています)。PROSに対しては米国で2022年にVijoiceとして迅速承認されました[10]

イナボリシブ(次世代型のPI3Kα阻害薬)

イナボリシブは、PI3Kαへの選択性と阻害力を高めた次世代型の薬です。第III相試験(INAVO120)では、イナボリシブ+パルボシクリブ(CDK4/6阻害薬)+フルベストラントの3剤併用により、病勢進行・死亡のリスクを57%減少(ハザード比0.43)させ、PFSの中央値を7.3か月から15.0か月へと倍増させました。さらに追跡解析では、全生存期間(OS)も34.0か月対27.0か月(ハザード比0.67)と有意に延長しています。米国では2024年10月に承認され、日本でも今後の承認申請が見込まれています[8]

カピバセルチブ(AKTを止める薬)

カピバセルチブは、PI3Kそのものではなく、すぐ下流のAKTを強力に阻害する薬です。第III相試験(CAPItello-291)では、PIK3CA・AKT1・PTENのいずれかに異常を持つ患者群で、フルベストラントとの併用により病勢進行・死亡のリスクを50%低減(ハザード比0.50)しました。米国では2023年、日本でも2024年に承認されています。副作用の下痢や高血糖を管理するため、「4日間連続投与+3日間休薬」という特徴的な飲み方が採用されています[9]

リソバリシブ(2026年・日本で世界に先駆け承認)

リソバリシブ(製品名ハイツエキシン)は、強力で選択性の高いPI3Kα阻害薬です。2026年3月23日、日本において「がん化学療法後に増悪したPIK3CA遺伝子変異を有する卵巣明細胞癌」を適応として、世界に先駆けて製造販売承認を取得しました[12]。国際共同第II相試験(CYH33-G201)では、有効性評価対象84例で客観的奏効率(ORR)34.5%を達成しています[11]

💡 用語解説:高血糖(オンターゲット毒性)

PI3Kαは、がん細胞だけでなく正常な細胞のインスリンの働きにも欠かせません。そのためPI3Kα阻害薬は、薬が「効いている証拠」として、同時に高血糖を引き起こしやすいという宿命があります(これを標的に由来する毒性=オンターゲット毒性といいます)。リソバリシブでも高血糖が高頻度で報告され、ほかに発疹・口内炎、まれに間質性肺疾患や糖尿病性ケトアシドーシスなどもあるため、糖尿病・呼吸器の専門医と連携した管理が欠かせません。なお本剤は血中濃度が急上昇しないよう「空腹時」の服用が定められています[11]

次世代:変異だけを狙う「変異選択的」阻害薬

これまでの薬は、変異した異常なp110αだけでなく、全身の正常なp110αまで抑えてしまうため、高血糖が避けられませんでした。そこで現在、変異で形が変わったタンパク質だけを狙い、正常なものは温存する「変異選択的PI3Kα阻害薬」の開発が進んでいます。代表的なRLY-2608は、がんからPROSの小児・成人までを対象とした国際的な臨床試験が進行中です[13]。これが実用化すれば、高血糖のリスクを抑えつつ、より強い効果が期待できます。

主なPIK3CA/PI3K経路標的薬の臨床成績

数値は試験ごとに指標が異なります(リスク減少率またはORR)

57%
50%
34.5%

イナボリシブ

乳がん・進行リスク減

カピバセルチブ

乳がん・進行リスク減

リソバリシブ

卵巣明細胞がん・ORR

7. 遺伝子検査と診断:出生前と出生後で分けて考える

分子標的薬を使うには、まずPIK3CA変異の有無を調べる必要があります。「変異の確認なくして、変異を狙う治療なし」。これがプレシジョン医療の前提です。検査は「出生前」と「出生後」で目的も方法も大きく異なるため、分けて理解することが大切です。

🤰 出生前の検査

非侵襲的スクリーニング:NIPTのうち、単一遺伝子をカバーするインペリアルプランではPIK3CAも対象遺伝子に含まれます。

確定検査:羊水検査・絨毛検査+ターゲット遺伝子解析

👶 出生後の検査

病変組織の検査:血管奇形NGSパネル検査(PIK3CAを含む44遺伝子を解析)

がんの遺伝子検査:腫瘍組織や血液を用いた包括的がんゲノムプロファイリング、リキッドバイオプシーなど

⚠️ PROSは体細胞モザイクのため、血液で変異が出なくても病変組織には変異がある場合があります。臨床的に強く疑われるときは、病変組織からの検体採取が検討されます。

💡 用語解説:コンパニオン診断(CDx)

特定の分子標的薬が「その患者さんに効くかどうか」を、治療前に調べる検査をコンパニオン診断(Companion Diagnostics)といいます。薬と検査が「相棒(コンパニオン)」のようにセットになっているのが名前の由来です。PIK3CA変異を狙う薬では、まず腫瘍にPIK3CA変異があるかをコンパニオン診断で確かめ、変異がある人にだけ薬を使います。これにより、効く可能性の高い人に絞って治療でき、無駄な副作用を避けられます。[14]

2026年の日本でのリソバリシブ承認に伴い、卵巣明細胞がんにおけるPIK3CA遺伝子検査が公的医療保険で算定できるようになりました。検査には、特定の変異を迅速に調べるリアルタイムPCR法と、多数の遺伝子を一度に網羅的に解析するがんゲノムプロファイリング(CGP)検査があり、患者さんの状態に応じて使い分けられます。なお、シス型多重変異の立体配置まで正確に評価するには、1か所だけを見るPCRよりも、長い領域を読むNGSが重要になります。

検査の結果をどう受け止めるかは、ご本人・ご家族にとって大きな意味を持ちます。当院では遺伝カウンセリングを通じて、結果の意味、遺伝形式、今後の選択肢を中立的にご説明しています。なお、NIPTを受けられた方には互助会(8,000円)が適用され、陽性時の羊水検査の費用が全額補助されます(詳細は互助会のページをご覧ください)。診断や検査の選択は、臨床遺伝専門医とご相談のうえ、ご家族で話し合ってお決めください。

8. よくある誤解

誤解①「PIK3CA変異は親から遺伝する」

PIK3CA変異の多くは後天的な体細胞変異で、子へ受け継がれません。PROSも発生途中に新たに生じる新生突然変異(de novo変異)で、孤発例が原則です。ごく一部に遺伝性のCowden症候群5がありますが、これは別に区別して考えます。

誤解②「変異が多いほど治療は効かない」

直感に反して、シス型多重変異のがんは、むしろPI3Kα阻害薬がよく効く傾向があります。過剰に活性化した経路に強く依存しているため、その経路を断つと大きな打撃を受けるからです。

誤解③「日本には使える薬がない」

2026年に卵巣明細胞がんに対するリソバリシブが日本で承認され、カピバセルチブも乳がんで使えるようになっています。選択肢は着実に増えています(ただし対象や条件は薬ごとに異なります)。

誤解④「PROSは手術しか手がない」

かつては外科的切除などの対症療法しかありませんでしたが、原因のPI3Kαを抑えるアルペリシブなどの薬物療法が登場し、治療の考え方が大きく変わりつつあります。

9. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【ひとつの遺伝子が、がんと過成長をつなぐ】

PIK3CAは、私にとって特別な遺伝子です。がん薬物療法専門医としては、HR陽性乳がんや卵巣がんの治療標的として日々向き合う相手であり、臨床遺伝専門医としては、PROSのお子さんを持つご家族の遺伝カウンセリングで説明する相手でもあるからです。たった1つの遺伝子が、後天的な「がん」と、生まれつきの「過成長症」という、まったく違う2つの病気をつないでいる——その事実に、いつも自然の奥深さを感じます。

PROSのお子さんのご家族とお話しする際、私はいつも「これは親御さんのせいでも、遺伝でもなく、発生のごく初期に偶然起きた変化です」とお伝えします。文献を踏まえれば、再発のリスクも通常は高くありません。そして今、その変異を狙う薬の研究が、成人のがんから小児の希少疾患へと広がりつつあります。検査でわかった分子の言葉に、治療で応える。その時代の入り口に私たちは立っているのだと思います。気になることがあれば、どうぞ遺伝カウンセリングでお聞かせください。

よくある質問(FAQ)

Q1. PIK3CA変異は子どもに遺伝しますか?

多くのPIK3CA変異は、生まれた後に体の細胞で起こる体細胞変異で、子へは遺伝しません。PROSも発生途中に新たに生じる新生突然変異(de novo変異)であり、親から子へ受け継がれることは原則としてなく、家族歴のない孤発例として起こります。ただし、ごくまれに生まれつきPIK3CA変異を持つCowden症候群5という遺伝性のケースがあり、こちらは常染色体顕性(優性)遺伝の形をとります。詳しくは遺伝カウンセリングでご相談ください。

Q2. PIK3CA変異が見つかったら必ずがんになりますか?

いいえ。PIK3CA変異はがんで高頻度に見つかるドライバー変異ですが、変異があれば必ずがんになるわけではありません。実際の発がんには、ほかの遺伝子の変異の有無や組織の種類など、複数の要因が関わります。検査で変異が見つかった場合の意味づけは、状況によって大きく異なるため、専門医による解釈が重要です。

Q3. PROSはどうやって診断するのですか?

PROSは体細胞モザイクのため、血液検査で変異が出ないこともあります。臨床的に強く疑われる場合は、過成長している病変組織からDNAを採取して調べることが検討されます。当院では血管奇形NGSパネル検査などでPIK3CAを含む関連遺伝子を一度に解析できます。検査前後の説明や結果の解釈は、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングで行います。

Q4. なぜPI3Kα阻害薬は高血糖を起こすのですか?

PI3Kαはがん細胞だけでなく、正常な細胞のインスリンの働きにも不可欠だからです。薬がPI3Kαを抑えると、その分インスリンの作用も弱まり、血糖が上がりやすくなります。これは薬が標的にしっかり効いている裏返しでもあり、「オンターゲット毒性」と呼ばれます。最近は変異したタンパク質だけを狙い、正常なものを温存する変異選択的阻害薬の開発が進んでおり、高血糖を減らせることが期待されています。

Q5. 変異が複数あると治療は効きにくいのですか?

むしろ逆のことが報告されています。同じ1本の遺伝子の上に複数の変異が並ぶ「シス型多重変異」のがんは、PI3Kα阻害薬に対してかえって深く奏効する傾向があります。これは、過剰に活性化した経路にがん細胞が強く依存しているため、その経路を薬で断つと大きな打撃を受けるためと考えられています。こうした立体配置を見分けるには、長い領域を読むNGS検査が役立ちます。

Q6. 日本でPIK3CA変異に使える薬はありますか?

2026年3月に、がん化学療法後に増悪したPIK3CA変異陽性の卵巣明細胞がんに対して、リソバリシブ(ハイツエキシン)が日本で世界に先駆けて承認されました。また、AKTを標的とするカピバセルチブも、PIK3CAなどの異常を持つHR陽性HER2陰性乳がんで使用できます。イナボリシブは今後の承認申請が見込まれています。対象となる条件は薬ごとに細かく決まっているため、主治医にご確認ください。

Q7. NIPTでPIK3CAは調べられますか?

当院のNIPTのうち、単一遺伝子をカバーするインペリアルプランでは、PIK3CAが対象遺伝子に含まれています。ただしNIPTはスクリーニング(非確定)検査であり、陽性の場合は羊水検査・絨毛検査による確定診断が選択肢となります。また、PROSは組織ごとのモザイクであるため、出生前の血液ベースの検査には限界がある点も理解しておく必要があります。詳しくは臨床遺伝専門医にご相談ください。

Q8. PIK3CAとPTENはどう違うのですか?

PIK3CAはPI3K経路の「アクセル」、PTENはその「ブレーキ」にあたります。PIK3CAは機能獲得型変異でアクセルが踏みっぱなしになり、PTENは機能喪失型変異でブレーキが効かなくなることで、どちらも結果的に同じ経路が過剰に活性化します。PTENの生まれつきの異常はCowden症候群1の原因となり、PIK3CAの生まれつきの異常はCowden症候群5に対応します。経路としては表裏一体の関係にあります。

🏥 PIK3CA・遺伝子検査のご相談

がん・過成長症(PROS)に関わるPIK3CA遺伝子の検査や
遺伝カウンセリングは、臨床遺伝専門医が在籍する
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参考文献

  • [1] PIK3CA gene. MedlinePlus Genetics(NIH). [MedlinePlus]
  • [2] Role of PI3K/AKT/mTOR in Cancer Signaling. Scholars @ UT Health San Antonio. [UT Health]
  • [3] High frequency of the PIK3CA H1047L mutation in Indonesian breast cancer across molecular subtypes. PLOS ONE. [PLOS ONE]
  • [4] The role of PIK3CA gene mutations in colorectal cancer and the therapeutic effect of its inhibitors. Frontiers in Pharmacology. [Frontiers]
  • [5] PIK3CA-Related Overgrowth Spectrum. GeneReviews(NCBI Bookshelf NBK153722). [GeneReviews]
  • [6] Double PIK3CA Mutations and Response Benefit in Breast Cancer. The ASCO Post. [ASCO Post]
  • [7] Characterizing multi-PIK3CA mutations across cancer types: Toward precision oncology. PMC. [PMC11272953]
  • [8] FDA approves inavolisib with palbociclib and fulvestrant for endocrine-resistant, PIK3CA-mutated, HR-positive, HER2-negative, advanced breast cancer. U.S. FDA. [FDA]
  • [9] FDA approves capivasertib with fulvestrant for breast cancer. U.S. FDA. [FDA]
  • [10] FDA approves Novartis Vijoice (alpelisib) as first and only treatment for select patients with PIK3CA-Related Overgrowth Spectrum (PROS). Novartis. [Novartis]
  • [11] ハイツエキシン(リソバリシブ)の作用機序【卵巣がん】. 新薬情報オンライン(パスメド). [passmed]
  • [12] PI3Kα阻害剤「ハイツエキシン®錠10 mg」がん化学療法後に増悪したPIK3CA遺伝子変異を有する卵巣明細胞癌に対する製造販売承認を取得. 海和製薬株式会社(PR TIMES). [PR TIMES]
  • [13] A Phase 2 Study of Mutant-selective PI3Kα Inhibitor, RLY-2608, in Adults and Children With PIK3CA-Related Overgrowth Spectrum. ClinicalTrials. [ClinicalTrials]
  • [14] FDA Cleared or Approved Companion Diagnostic Devices. OncoKB. [OncoKB]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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