目次
- 1 1. G9a(EHMT2)とは ─ 遺伝子を静かにさせる「書き手」の酵素
- 2 2. G9aタンパク質の構造 ─ 読み手と書き手を1つに束ねる
- 3 3. GLPとの複合体 ─ 相棒とペアを組んで働く
- 4 4. H3K9メチル化のはたらき ─ 遺伝子を静かにさせる印
- 5 5. ヒストン以外の標的 ─ 「メチル化」の対象は幅広い
- 6 6. 発生・分化・神経での役割
- 7 7. がんとの関わり ─ 過剰なはたらきが何を招くか
- 8 8. 治療薬の開発 ─ 阻害剤から分解薬(PROTAC)へ
- 9 9. ウイルス擬態と免疫 ─ 「冷たい腫瘍」を温める発想
- 10 10. 鎌状赤血球症と胎児ヘモグロビン(HbF)
- 11 よくある質問(FAQ)
- 12 参考文献
- 13 関連記事
📍 クイックナビゲーション
細胞の中では、必要な遺伝子だけを読み出し、使わない遺伝子は静かにしまっておく仕組みが働いています。この「しまう」作業の主役のひとつがG9a(EHMT2)という酵素です。G9aは、DNAを巻き取るタンパク質「ヒストン」に小さな目印(メチル基)を付けて、遺伝子のスイッチを「オフ寄り」に切り替える働きをします。本記事では、このG9aというタンパク質の構造やはたらき、よく似た相棒であるGLPとの関係、そしてがん治療の新しい標的として注目される阻害剤やPROTACまでを、遺伝専門医の視点からやさしく解説します。
Q. G9a(EHMT2)とは何をするタンパク質ですか?まず結論だけ知りたいです
A. G9aは、ヒストンH3の9番目のリジン(H3K9)にメチル基を1つまたは2つ付ける「ヒストンメチル化酵素」です。この目印は遺伝子の働きを抑える印になり、細胞が「どの遺伝子を使わないか」を決める土台になります。よく似たGLP(EHMT1)とペア(ヘテロ二量体)を組んで働くのが特徴で、発生・分化に欠かせない一方、多くのがんで過剰に働き、治療の標的として阻害剤やPROTACの研究が進んでいます。
- ➤基本のはたらき → H3K9のモノ・ジメチル化(H3K9me1/me2)を担い、遺伝子発現を抑える主要な酵素
- ➤構造の要点 → 読み手のアンキリンリピートと、書き手のSETドメインを1つのタンパク質に併せ持つ
- ➤GLPとの関係 → GLP(EHMT1)とペアを組んだヘテロ二量体が、生体内での主要な働き手
- ➤がんとの関わり → 多くのがんで過剰にはたらき、代謝やDNA修復、免疫回避に関与すると報告
- ➤治療応用 → 阻害剤・分解薬(PROTAC)のほか、鎌状赤血球症での胎児ヘモグロビン再活性化も研究段階
🧬 G9a(EHMT2)タンパク質の基本情報
各項目の根拠と詳しい解説は、本文の該当セクションをご覧ください。
1. G9a(EHMT2)とは ─ 遺伝子を静かにさせる「書き手」の酵素
G9aは、正式にはEHMT2(Euchromatic Histone-lysine Methyltransferase 2、真正クロマチンヒストンリジンメチル化酵素2)と呼ばれるタンパク質です。KMT1C、BAT8といった別名もあります。もともとはヒトの主要組織適合遺伝子複合体(MHC)クラスIII領域にある遺伝子として見つかり、6番染色体の短腕に位置するEHMT2遺伝子から作られます[1]。名前が複数あるのは発見の経緯が異なるためで、いずれも同じ分子を指しています。
私たちの細胞の中で、長いDNAはヒストンというタンパク質に巻き付いて、ヌクレオソームという構造をつくり、さらに折りたたまれてクロマチンという高次構造になっています。このヒストンには、アセチル化やメチル化といった化学的な「飾り」が付き、その組み合わせが「ここの遺伝子は読んでよい/読まないで」というメモのように働きます。G9aは、このメモのうち「読まないで」という抑制の印を書き込む酵素です[2]。
💡 用語解説:ヒストンメチル化とは
ヒストンの特定のアミノ酸(多くはリジン)に、メチル基という小さな目印を付ける反応です。同じメチル化でも、付く場所と個数によって意味が変わります。ヒストンH3の9番目リジン(H3K9)へのメチル化は、クロマチンを閉じて遺伝子を黙らせる「抑制」の印として働きます。より詳しくはヒストンメチル化の解説ページをご覧ください。
エピジェネティクスの世界では、こうした印を付ける酵素を「書き手(writer)」、外す酵素を「消し手(eraser)」、印を認識してそこに集まるタンパク質を「読み手(reader)」と呼びます。G9aの面白いところは、書き手であると同時に読み手の性質も併せ持つ点にあります。この二面性が、G9aが単に印を付けるだけでなく、いったん付いた印を目印にしてさらに広げていく仕組みの鍵になっています。エピジェネティクス全体の枠組みはエピジェネティクス入門でも解説しています。
2. G9aタンパク質の構造 ─ 読み手と書き手を1つに束ねる
ヒトのG9aは、長いほうのアイソフォームでおよそ1210個のアミノ酸からできた大きなタンパク質です[4]。N末端(頭側)にはグルタミン酸が多く並ぶ酸性領域があり、続いてシステインに富む領域、そして複数のアンキリンリピート、いちばん後ろ(C末端側)に触媒の中心となるSETドメインが配置されています[2]。このように、機能の異なる部品がひとつながりの分子に並んでいるのがG9aの特徴です。

とりわけ重要なのが、アンキリンリピートとSETドメインという2つの部品です。アンキリンリピートは、すでにメチル化されたH3K9(H3K9me1とH3K9me2)を認識して結合する「読み手」として働きます[3]。一方SETドメインは、メチル基を実際に付ける「書き手」の触媒中心で、これがG9aの酵素活性そのものを担っています[4]。1つのタンパク質が読み手と書き手を兼ねているため、G9aは「印のある場所を見つけて、その近くにさらに印を書き足す」という自己増幅的なはたらきができます。
G9aタンパク質の主な部品(N末端 → C末端)
グルタミン酸に富む頭側の領域
他のタンパク質との結合に関与
読み手:H3K9me1/me2に結合
書き手:メチル基を付ける触媒中心
SETドメインがメチル基を運ぶときには、S-アデノシルメチオニン(SAM)という分子が「メチル基の供給源」として使われます。SETドメインの立体構造は、メチル基をいくつ付けるか(モノ・ジ・トリ)を決める精密なポケットになっており、G9aは主にモノ・ジメチル化までを担当します[5]。この「どこまでメチル化するか」の選択が、遺伝子の抑制の強さを細かく調整する仕組みにつながっています。
また、システインに富む領域には、RINGドメインを含む特徴的な亜鉛結合構造があり、他のタンパク質との相互作用やG9aの機能調節に関わる可能性が報告されています[6]。つまりG9aは、酵素としての働きだけでなく、さまざまなタンパク質との相互作用を通じて機能する多面的な性格も持っているのです。
3. GLPとの複合体 ─ 相棒とペアを組んで働く
G9aを語るうえで欠かせないのが、GLP(G9a-like protein)という、よく似たもう1つの酵素です。GLPはEHMT1遺伝子から作られるタンパク質で、G9aとはSETドメインの配列がおよそ8割一致するほど近い間柄です[7]。両者はそれぞれ単独でも酵素活性を持ちますが、生体内ではSETドメインどうしで結びついてヘテロ二量体(2種類のタンパク質のペア)を作り、この形が真正クロマチンでのH3K9モノ・ジメチル化を担う主要な働き手になっています[3]。
興味深いことに、どちらか一方が欠けても、もう一方だけでは全体のH3K9メチル化を十分に維持できないことが、動物実験から示されています。マウスの卵子でEHMT1(GLP)とEHMT2(G9a)のはたらきを調べた研究では、両者はペアとして機能し、片方の欠損がもう片方では完全には埋め合わせられない場面があることが報告されています[3]。この「持ちつ持たれつ」の関係が、後で述べる治療薬の設計にも影響してきます。多くの阻害剤や分解薬が、G9aとGLPの両方をまとめて標的にする「G9a/GLP」設計になっているのは、この密接なペア関係を踏まえたものです。
🔍 関連記事:GLPを作る遺伝子側の解説はEHMT1(GLP)遺伝子/EHMT1の機能低下で起こる疾患はクリーフストラ症候群1
G9a/GLP複合体には、さらにWIZ(ZNF644を含む多亜鉛フィンガータンパク質)などのパートナーが結びつき、複合体を安定させたり、はたらく場所へ導いたりします[8]。G9aのSETドメインはWIZとの相互作用にも関わっており、こうした足場となるタンパク質を介して、G9a/GLPは狙った遺伝子の近くへ運ばれていきます。
🩺 院長コラム【「遺伝子」と「タンパク質」は分けて考えると理解しやすい】
遺伝相談の場では、「EHMT2」と「G9a」、「EHMT1」と「GLP」が同じものを指していて混乱される方がよくいらっしゃいます。整理すると、EHMT1・EHMT2は「設計図(遺伝子)」の名前、GLP・G9aは「その設計図から作られる部品(タンパク質)」の名前です。この記事はタンパク質であるG9aを主役にしていますが、病気の話になると設計図である遺伝子の変化が問題になります。
臨床遺伝専門医として大切にしているのは、この「設計図」と「部品」を分けてお伝えすることです。どちらの層の話をしているのかがはっきりすると、検査で何を調べているのか、結果が何を意味するのかが、ぐっと理解しやすくなります。
4. H3K9メチル化のはたらき ─ 遺伝子を静かにさせる印
G9aがもっとも得意とするのは、ヒストンH3の9番目リジンにメチル基を1つ、または2つ付ける反応です。これをそれぞれH3K9me1、H3K9me2と表記します[9]。この印は、遺伝子の働きを抑える「抑制マーク」の代表で、真正クロマチン(比較的ゆるく、読まれやすい領域)で遺伝子を静かにさせるのに使われます。胚性幹細胞(ES細胞)では、G9aは多能性を保つための遺伝子を抑える主要なH3K9メチル化酵素として働き、細胞が特定の役割へ分化していくときの土台になります[9]。
H3K9me2という印が付くと、そこにHP1タンパク質などの「読み手」が呼び寄せられ、クロマチンがさらに凝集して転写が抑えられます[8]。ここで先ほどのG9aの二面性が効いてきます。G9a自身もアンキリンリピートでH3K9me1/me2を認識できるため、いったん印が付いた領域に留まり、周囲へ印を広げることができるのです。
💡 用語解説:自己メチル化(オートメチル化)
G9aとGLPは、自分自身の特定のリジン(G9aではLys165付近)にもメチル基を付けることが知られています。この自己メチル化の部位はヒストンH3K9の周辺配列とよく似ており、そこにHP1タンパク質が結合します[8]。つまりG9aは、ヒストンだけでなく自分自身にも「読み手が結合する印」を作り、複合体の集まり方を調整していると考えられています。
H3K9メチル化は、単に遺伝子を抑えるだけでなく、後で述べる内在性レトロウイルスやトランスポゾンといった「動く遺伝要素」を黙らせておく役目も担っています。ゲノムの安定を保つうえで、この抑制は重要な意味を持ちます。なお、G9aは主にモノ・ジメチル化を担いますが、状況によってはH3K27など他の部位を弱く修飾するという報告もあります[5]。
5. ヒストン以外の標的 ─ 「メチル化」の対象は幅広い
G9aの働きは、ヒストンだけにとどまりません。近年の研究では、G9aがヒストン以外のさまざまなタンパク質にもメチル基を付けることが分かってきました[5]。こうした「非ヒストン基質」への修飾は、遺伝子のオン・オフとは別の経路で、細胞のさまざまな働きを調整します。
報告されている標的には、がん抑制で知られる転写因子p53や、DNAメチル化を担うDNMT1、筋肉の分化を進めるMyoDなどがあります[5]。これらのタンパク質はメチル化されることで、活性や安定性、他の分子との結合のしかたが変わります。たとえばp53のメチル化はその働きを調整し、DNMT1のメチル化はDNAメチル化の制御に関わると考えられています。
さらにG9aは、酵素としての活性とは無関係に、他のタンパク質を集める「共役因子(コアクチベーター)」として遺伝子の発現を後押しすることも報告されています。G9aはGRIP1やCARM1、p300といった因子を呼び寄せて核内受容体の遺伝子発現を高めたり、RUNX2に呼び込まれて標的遺伝子を活性化したりする場面が知られています[10]。つまりG9aは「遺伝子を抑える書き手」という一面だけでなく、文脈によっては遺伝子を後押しする顔も持つ、多面的な分子なのです。この「酵素活性によらないはたらき」があることは、治療薬を考えるうえで重要な意味を持ちます。
6. 発生・分化・神経での役割
G9aは、体づくりの初期からなくてはならない酵素です。G9aを完全に失ったマウスの胚は、胎生早期に発生が止まってしまい、生き延びることができません[1]。このとき胚ではH3K9のメチル化が大きく減り、G9aが生体内でH3K9メチル化を担う主要な酵素であることが確かめられています。細胞が多能性の状態から特定の役割へと分化していく過程で、不要になった遺伝子を的確に黙らせることが、正常な発生には欠かせないのです[11]。
神経系においても、G9a/GLP複合体は神経細胞の分化や成熟、そして記憶・学習に関わることが報告されています[11]。相棒であるGLPを作るEHMT1遺伝子の機能が半分に低下すると、クリーフストラ症候群1という神経発達症が起こります。これはG9aそのものではなくGLP側の遺伝子(EHMT1)の変化による疾患ですが、G9a/GLPというペアが脳の発達にいかに重要かを示す例といえます。
🔍 関連記事:クリーフストラ症候群1/染色体の観点からは9q34欠失症候群
一方で、G9aの役割が組織によって異なることも分かってきています。たとえば骨格筋では、細胞株を使った実験でG9aがMyoDをメチル化して分化を抑えると報告されていましたが、生きたマウスの筋肉全体でEHMT2を欠損させても、H3K9me2が大きく減るにもかかわらず筋肉の発生や再生に目立った異常が出なかったという研究もあります[12]。このように、G9aの重要度は細胞や組織の文脈によって変わり、試験管内の結果がそのまま生体にあてはまるとは限らない点は、研究を読むうえで留意すべきところです。
7. がんとの関わり ─ 過剰なはたらきが何を招くか
G9aは、多くのがんで過剰に発現していることが報告されており、一般にがんを後押しする側の分子(がん遺伝子的なはたらき)と考えられています[13]。乳がん・肺がん・白血病・膀胱がん・大腸がん・前立腺がんなど幅広いがん種でG9aの高発現が知られ、予後の悪さと関連するとの報告もあります[14]。ここでは、G9aががんに関わるとされる代表的な3つの経路を整理します。
とりわけ注目されるのが、代謝の書き換えです。G9aは、栄養が不足するような状況で、セリンを作り出すセリン合成経路(SSP)の中心酵素であるPHGDHやPSAT1の遺伝子を、その転写開始点まわりのH3K9me1を調整することで活性化させると報告されています[15]。セリンは、DNAやタンパク質の材料となり、抗酸化にも使われる重要なアミノ酸です。がん細胞はこの経路を使って、厳しい環境でも増殖を続ける材料を確保していると考えられています。「抑制の書き手」であるG9aが、代謝遺伝子については発現を高める向きに働くという点は、この分子の複雑さをよく表しています。
DNA修復との関わりも報告されています。高異型度漿液性卵巣がんの研究では、抗がん剤やPARP阻害薬に抵抗性を示す細胞でH3K9me2が全体に増え、G9a/GLPが過剰に発現していたことが示されました[16]。G9a/GLPはDNA修復にも直接関与するとされ、こうした治療抵抗性の背景の一つとして注目されています。ただし、これらの多くは細胞や動物モデルでの知見であり、そのまま患者さんの治療方針に直結するものではない点には注意が必要です。
🩺 院長コラム【「基礎研究の知見」と「いま受けられる治療」は分けて読む】
私はがん薬物療法専門医の資格を持っていますが、現在は抗がん剤治療そのものを行う立場にはなく、ここでの解説はあくまで文献や研究動向にもとづくものです。G9aに関する報告は非常に活発で、「がんの新しい標的」として期待を集めています。ただ、その多くは細胞や動物を使った基礎研究の段階にあります。
論文で「効果があった」と読むと、すぐにでも使えそうに感じてしまいますが、実際に患者さんに届く治療になるには、多くの検証の段階が必要です。基礎研究の面白さと、いま実際に受けられる治療とを、混同せずに分けて受け止めていただくことを大切にしています。
8. 治療薬の開発 ─ 阻害剤から分解薬(PROTAC)へ
G9aががんに関わることが分かってくると、その働きを薬で抑えようという研究が進みました。こうした「エピジェネティックな目印を調整する薬」は、まとめてエピドラッグと呼ばれます。G9aに対しては、大きく分けて2つのタイプの阻害剤が作られてきました[17]。
G9aを標的にする2つの薬のアプローチ
酵素の働きだけをブロックする薬。SAMと競合するタイプや、基質の結合部位に入るタイプがあります。ただしG9aには「酵素活性によらないはたらき」もあるため、抑えきれない機能が残ることがあります。
タンパク質そのものを細胞の分解システムに運んで壊す薬。酵素活性だけでなく、足場としての働きも含めてまとめて取り除ける可能性があります。
従来型の阻害剤には、SAMと競合するBRD9539やBRD4770、基質の結合ポケットに入るUNC0638・UNC0642などがあり、研究用のツールとして広く使われてきました[17]。さらに近年は、G9a/GLPのシステイン残基に共有結合してより強く長く効くように設計された共有結合型阻害剤(MS8511)も報告されています[18]。
しかし、酵素活性を止めるだけの阻害剤では、G9a/GLPの酵素活性によらないはたらき(足場としての機能など)が残るため、抗がん効果が限られることが指摘されてきました[19]。そこで登場したのが、PROTACという新しい発想の薬です。
💡 用語解説:PROTAC(プロタック)とは
PROTACは「標的タンパク質」と「細胞の分解装置(ユビキチン・プロテアソーム系)」を橋渡しする2つの手を持つ分子です。標的をつかまえて分解装置に差し出すことで、そのタンパク質そのものを壊してしまいます。働きを一時的に止める阻害剤と違い、分子ごと取り除ける点が特徴です。
2024年には、G9a/GLPを狙う世界初のPROTAC分解薬としてMS8709が報告されました[19]。MS8709は、既存の阻害剤UNC0642をもとに、VHLという分解の目印を付ける酵素を呼び込むように設計されています。研究では、濃度や時間に応じてG9aとGLPを実際に分解し、前立腺・白血病・肺のがん細胞で、もとの阻害剤UNC0642よりも強く増殖を抑えたと報告されています[19]。酵素活性だけでなく、足場としての働きも含めてまとめて取り除ける点が、この分解薬の狙いです。ただし、これは前臨床段階の研究用分子であり、そのまま患者さんに使える薬になっているわけではありません。
9. ウイルス擬態と免疫 ─ 「冷たい腫瘍」を温める発想
G9aをめぐる研究のなかでも、いま特に関心を集めているのが免疫との関わりです。G9aは、ゲノムに眠る内在性レトロウイルス(ERV)などの「動く遺伝要素」をH3K9メチル化で黙らせています。ところがG9aの働きを抑えると、この抑制が外れてERVが再び読み出され、細胞質にウイルス由来に似た二本鎖RNAがたまります[20]。
💡 用語解説:ウイルス擬態(viral mimicry)
がん細胞の中で、眠っていた内在性レトロウイルスなどが再活性化し、あたかもウイルスに感染したかのような状態を作り出す現象です。細胞質にたまった二本鎖RNAをMDA5やRIG-Iといったセンサーが「ウイルスだ」と感知し、インターフェロン応答が起こります。この「ウイルスのふり」によって、免疫から逃れていたがん細胞が見つかりやすくなると考えられています。
こうしてインターフェロン応答が起こると、がん細胞の表面に自分を提示する目印(MHCクラスI)が増え、免疫細胞を呼び寄せるCXCL10などのシグナルが働き、T細胞ががんに集まりやすくなります[21]。肝細胞がんのモデルを使った研究では、G9a阻害がこうした「ウイルス擬態」を引き起こし、免疫チェックポイント阻害薬(抗PD-1抗体)の効果を高めたと報告されています[21]。免疫が働きにくい「冷たい腫瘍」を、免疫が働きやすい「温かい腫瘍」へ変える発想として注目されています[14]。
🔍 関連記事:免疫チェックポイント阻害薬/cGAS-STING経路/エピジェネティクス治療
同じ発想は、DNAメチル化を抑える薬との併用や、EZH2阻害薬との組み合わせなど、さまざまな形で研究されています[14]。いずれも「抑制の印を外して、眠っていた免疫の引き金を引く」という共通の考え方に立っています。もっとも、これらは前臨床から早期の研究段階にあるものが中心で、実際の診療で広く使われる段階には至っていません。
10. 鎌状赤血球症と胎児ヘモグロビン(HbF)
G9aの応用研究は、がんの外にも広がっています。その代表が鎌状赤血球症です。この病気は、成人型のβグロビン遺伝子の変異によって起こる遺伝性の血液疾患で、赤血球が鎌のような形に変形してさまざまな症状を引き起こします。治療戦略の一つとして、胎児期には作られていて生後に止まってしまう胎児ヘモグロビン(HbF)を、もう一度作らせる方法が長く研究されてきました[22]。
ここでG9aが関わってきます。HbFの元になるγグロビン遺伝子は、BCL11AやZBTB7Aといった「抑制役」のタンパク質と、それに呼び込まれたG9aによってH3K9メチル化され、黙らされています[22]。そこで、G9aの働きを選択的に抑える化合物RK-701が開発されました。研究では、RK-701がBGLT3という長鎖ノンコーディングRNAを目印にしてγグロビンの再活性化を促し、ヒトの赤血球系細胞やマウスで胎児型グロビンの発現を誘導したと報告されています[22]。しかもこのBGLT3を介したしくみは、RK-701だけでなく、既存の治療薬ヒドロキシ尿素など他の誘導剤にも共通して働く「普遍的な仲介役」であることが示されました[22]。
この例は、G9aを「抑える」ことが、必ずしもがん治療だけを意味しないことを示しています。眠っている胎児型の遺伝子をもう一度呼び覚ますという、まったく別の目的にも応用できるのです。ただし、これも研究段階の化合物にもとづく知見であり、鎌状赤血球症の標準治療として確立したものではありません。エピジェネティクス治療という大きな流れのなかで、G9aがさまざまな病気の接点になりうることを示す一例といえます。
💡 研究段階の情報を読むときの注意
この記事で紹介したG9aの治療応用(阻害剤・PROTAC・ウイルス擬態・HbF再活性化)は、いずれも細胞や動物を使った基礎研究、あるいは開発段階の化合物にもとづく知見が中心です。有望な方向性であっても、実際に患者さんが受けられる治療として確立するには、多くの検証の段階が必要です。特定の治療をお約束したり、おすすめしたりするものではない点を、あわせてご理解ください。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
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