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KAT6B遺伝子とは?ヒストンを調節する“スイッチ”の役割と関連疾患・最新研究をわかりやすく解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

KAT6B遺伝子は、ヒストンというタンパク質に「アセチル基」という小さな目印をつけて、遺伝子のスイッチをオンにする酵素の設計図です。この酵素は骨格や脳が形づくられる過程に欠かせないため、生まれつきこの遺伝子に変化(変異)があると、ゲニトパテラ症候群(GPS)やSBBYSS症候群といった先天性の症候群が起こります。さらに、生まれた後に体の細胞で生じる変化は、白血病や子宮筋腫などとも関わることが分かっています。この記事では、KAT6B遺伝子の働きから関連疾患、最新のがん研究までを、一般の方にもわかりやすく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約15分
🧬 KAT6B遺伝子・エピジェネティクス・臨床遺伝
臨床遺伝専門医監修

Q. KAT6B遺伝子とは、ひとことで言うと何をする遺伝子ですか?

A. DNAに巻きつくヒストンをアセチル化して、特定の遺伝子を「読み取れる状態」に変える酵素をつくる遺伝子です。骨や脳の発生に必要な多数の遺伝子のオン・オフを調整しており、生まれつきの変異ではゲニトパテラ症候群・SBBYSS症候群を、後天的な変異では一部のがんを引き起こします。

  • 遺伝子の基本 → 第10染色体(10q22.2)にあり、別名MORF/MYST4。約2,073アミノ酸の大きな酵素
  • 働き → ヒストンH3をアセチル化するMOZ/MORF複合体の中心。骨・脳の発生を支える
  • 関連疾患 → ゲニトパテラ症候群(重症)とSBBYSS症候群(Ohdo症候群の亜型)の連続スペクトラム
  • なぜ違う病気に? → 変異の「場所」が運命を分ける(NMDとハプロ不全/安定短縮タンパク)
  • がんとの関係 → 白血病・子宮筋腫の体細胞変異、そして最新のKAT6標的薬

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1. KAT6B遺伝子とは:基本情報

KAT6B遺伝子(Lysine acetyltransferase 6B)は、わたしたちの細胞の中で、遺伝子のスイッチを「オン」にする酵素の設計図となる遺伝子です。第10番染色体の長い腕の領域(10q22.2)に位置しています。過去の論文ではMORF(モルフ)、MYST4、MOZ2などさまざまな名前で呼ばれてきましたが、現在の正式名称がKAT6Bです。

この遺伝子からつくられるタンパク質は、約2,073個のアミノ酸からなる非常に大きな酵素で、「ヒストンアセチル基転移酵素(HAT)」という種類に分類されます。全身の細胞で広く働いており、とくに骨格をつくる過程と、脳(中枢神経)が発達する過程で重要な役割を担っています。

💡 用語解説:エピジェネティクスとは

DNAの「文字(塩基配列)」そのものを書き換えずに、遺伝子の「読まれ方(発現)」を制御するしくみの総称です。料理本にたとえると、レシピ(DNA)はそのままに、付箋を貼って「このページを使う・使わない」を決めるイメージです。KAT6Bが行うヒストンのアセチル化は、その付箋の一つにあたります。エピゲノムについて詳しく読む

KAT6B遺伝子が注目される最大の理由は、1つの遺伝子でありながら、変異の起こり方によって全く性質の異なる病気を引き起こすという点にあります。生まれる前から体じゅうの細胞に変異がある場合(生殖細胞系列変異)には先天性の症候群を、生まれた後に一部の細胞で変異が起こる場合(体細胞変異)にはがんを引き起こします。この記事ではその両方を順に見ていきます。

2. KAT6Bの働きと仕組み

わたしたちの細胞の核の中では、長いDNAが「ヒストン」という糸巻きのようなタンパク質に巻きついて、コンパクトに収納されています。この巻きついた構造を「クロマチン」と呼びます。クロマチンがぎゅっと固く凝集していると、その部分の遺伝子は読み取れません。そこで登場するのがKAT6Bです。

💡 用語解説:ヒストンのアセチル化

KAT6Bは、ヒストンの特定の部分(とくにヒストンH3の23番目のリジン=H3K23など)に「アセチル基」という小さな分子をくっつけます。すると、ヒストンとDNAの結びつきがゆるみ、固く巻かれていたクロマチンが開きます。その結果、転写因子やRNAポリメラーゼがDNAに近づけるようになり、標的の遺伝子のスイッチが「オン」になるのです。ヒストンと遺伝子発現の基礎を読む

KAT6Bは単独ではなく、BRPF1・ING5・MEAF6といった仲間のタンパク質と組み合わさって「MOZ/MORF複合体」と呼ばれる大きなチームを組んで働きます。このチームによって、細胞分裂や成体幹細胞の維持、そして骨をつくる細胞(骨芽細胞)の分化や大脳皮質の発達に必要な遺伝子群が正しく調整されます。骨形成に欠かせないRUNX2という転写因子の働きを助けることも分かっています。

KAT6Bタンパク質には役割の異なる複数の「パーツ(ドメイン)」があります。一方の端には、すでに修飾を受けたヒストンを認識するPHDフィンガー(情報を読み取るリーダー)、中央にはアセチル基を実際に書き込むMYST型HATドメイン(情報を書き込むライター)、もう一方の端には遺伝子の働きを抑える側に調整するドメインがあります。この「抑える側のパーツ」が変異で失われるかどうかが、のちほど説明する病気の重症度を分ける鍵になります。

3. KAT6B遺伝子の変異が引き起こす病気

KAT6B遺伝子に生まれつきの変異があると、複数の臓器にわたる先天性の発生異常が起こります。代表的なのが、重い症状をともなうゲニトパテラ症候群(GPS)と、独特の顔つきが特徴のSBBYSS症候群(セイ・バーバー・ビースッカー・ヤング・シンプソン症候群/Ohdo症候群の亜型)です。かつては別々の病気と考えられていましたが、現在では同じKAT6B遺伝子による「ひと続きのスペクトラム(連続体)」として理解されており、両者の中間にあたる症状を示す患者さんも報告されています。

💡 用語解説:常染色体顕性(優性)遺伝とde novo(新生突然変異)

常染色体顕性(優性)遺伝とは、性染色体以外の染色体にある遺伝子について、2本のうちどちらか1本に変異があるだけで症状が出る遺伝形式です。

ただしKAT6B関連疾患のほとんどは、両親には変異がなくお子さん本人で初めて生じた変異=de novo(新生突然変異)です。つまり「親から受け継いだ」のではなく「精子や卵子ができる過程、あるいは受精直後に偶然生じた」ケースが大半で、ご両親が原因を負うものではありません。

2つの代表的な病気の特徴

GPSとSBBYSSは、発達の遅れや筋緊張の低下(ふにゃっとした状態=フロッピーインファント)、心疾患、難聴などを共有しますが、それぞれを見分ける「決め手」となる症状が異なります。下の表で主な所見を比較します(横にスクロールできます)。

臨床的特徴(系統) GPS
ゲニトパテラ症候群
SBBYSS
症候群
膝蓋骨(膝の皿)の低形成・無形成 ●主要 ●主要
股・膝関節の重い屈曲拘縮/内反足 ●主要 ○まれ
長い母指(親指)・長い母趾 ●主要
脳梁欠損をともなう小頭症 ●主要 ○まれ
水腎症・多嚢胞性異形成腎 ●主要
眼瞼裂狭小・眼瞼下垂(細い目・たれたまぶた) ●主要
無表情なマスク様顔貌・涙管の異常 ●主要
外性器の形成異常 ●主要 ○副次
発達の遅れ・筋緊張低下・先天性心疾患・難聴 ○共通 ○共通

屈曲拘縮・脳梁欠損・腎の重い形成異常はGPSに特徴的、長い母指や眼瞼裂狭小はSBBYSSに特徴的で、鑑別の手がかりになります。各疾患の詳しい症状・管理は専用ページをご覧ください。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「同じ遺伝子なのに別の病気」という驚き】

私が遺伝学を学び始めた頃、「原因遺伝子が同じなら、だいたい似た病気になる」というのが感覚的な前提でした。ところがKAT6Bは、その常識をきれいに裏切ります。重い関節拘縮や腎不全をともなうGPSと、細い目と長い親指が目印のSBBYSSが、まったく同じ遺伝子から生まれるのです。

この違いは「変異が遺伝子のどこで起きたか」で決まります。次の章で説明しますが、これは臨床遺伝の面白さと難しさが詰まったテーマです。診断名を正しく見極めることが、その後の管理や見通しを大きく変えるからこそ、丁寧に向き合いたい領域だと感じています。

4. なぜ同じ遺伝子で違う病気になるのか

GPSとSBBYSSを引き起こす変異は、どちらもタンパク質づくりを途中で止めてしまう「短縮型変異(ナンセンス変異・フレームシフト変異)」です。にもかかわらず病気が異なるのは、その変異がKAT6B遺伝子(全18エクソン)の「どこ」で起きたかによって、細胞の品質管理システムの反応が変わるからです。

💡 用語解説:ミスセンス・ナンセンス・フレームシフト変異

ミスセンス変異はアミノ酸が別の種類に入れ替わる変異、ナンセンス変異は途中に「停止の合図(終止コドン)」ができてタンパク質づくりが止まる変異、フレームシフト変異は塩基の数がずれて読み取り枠が狂う変異です。

ナンセンス変異とフレームシフト変異はどちらも途中で切れた短いタンパク質になりやすく、KAT6B関連疾患の原因となります。変異の種類について詳しく読む

💡 用語解説:NMD(ナンセンス変異依存mRNA分解)とハプロ不全

細胞には、異常な位置で途切れる設計図(mRNA)を見つけて壊す品質管理システム=NMDが備わっています。NMDが働くと、変異した側からは異常タンパク質が作られず、正常な側からの分だけが残り、酵素の総量が半分になります。

この「正常タンパク質の量が半分に減って足りなくなる」状態をハプロ不全と呼びます。NMD・ハプロ不全のしくみを読む

SBBYSS:量が半分に減る「ハプロ不全」

SBBYSSを引き起こす変異は、遺伝子の前半〜中盤(エクソン3やエクソン15など)や、最後のエクソン18のごく末端に分布します。これらの変異はNMDに捕まりやすく、変異側のタンパク質はほとんど作られません。結果として正常タンパク質が半分に減るハプロ不全となり、発達の遅れや心疾患、長い母指・涙管異常などの症状が生じると考えられています。

GPS:壊されずに残る「安定した短縮タンパク質」

一方、GPSの変異はとても特徴的で、最後のエクソン18の「手前側(近位部)」というごく狭い領域に集中しています。最後のエクソン内の変異はNMDに「異常」と認識されにくいというルールがあるため、変異した設計図は壊されずに翻訳されます。その結果、抑える側のパーツ(C末端)を失いながらも、アセチル化を行う中心部分は残った「安定した短縮タンパク質」が細胞内に大量に作られてしまうのです。

💡 用語解説:機能獲得(ゲイン・オブ・ファンクション)

通常の変異は「機能が失われる」方向に働きますが、GPSでは異なります。抑える役割を失った短縮タンパク質が、本来アクセスすべきでない遺伝子まで過剰にアセチル化してしまうなど、新たな悪さ(毒性)を発揮すると考えられています。これを「機能獲得」と呼び、この暴走が、関節の重い拘縮・脳梁の欠損・致死的な腎不全といったGPSに特有の重症な症状の根本原因と推定されています。

つまり、「量が減るSBBYSS」「異常なタンパク質が居座って暴走するGPS」という、分子レベルでの違いが、臨床像の大きな差を生んでいるのです。これは遺伝子型と表現型の関係を学ぶうえで、教科書的にも非常に美しい例といえます。

5. 診断と遺伝子検査の進め方

KAT6B関連疾患は非常に稀で、新生児期にさまざまな症状が同時に現れるため、身体所見だけで確定するのは困難です。そこで、臨床的な疑いと分子遺伝学的検査(遺伝子検査)を組み合わせて診断します。検査は「生まれる前」と「生まれた後」で内容が異なるため、分けて説明します。

出生前の検査

妊娠中の可能性を調べる選択肢として、母体血を用いるNIPT(新型出生前診断)があります。当院では、単一遺伝子を調べるプランにKAT6Bが含まれています。具体的には、ダイヤモンドプラン(56遺伝子・30以上の疾患に関連)と、より広範なインペリアルプラン(154遺伝子)の対象にKAT6Bが含まれます。ただしNIPTはあくまで「可能性」を調べるスクリーニング検査であり、確定診断ではありません

出生前の確定診断は、絨毛検査(CVS)・羊水検査で採取した胎児の細胞を用いて、KAT6B遺伝子を直接調べることで行います。とくに家系内で原因となる変異がすでに判明している場合は、確実な診断が可能です。なお当院では、互助会(8,000円)により、NIPTで陽性となった際の羊水検査費用が全額補助されます。

なお、KAT6B関連疾患の象徴ともいえる「膝蓋骨(膝の皿)の欠損」は、胎児期〜乳児期には軟骨のため画像に映りにくく、出生前の超音波で確認することはできません。これを理由に胎児期に診断することは難しい点に注意が必要です。

出生後の検査

生まれた後は、主に血液を用いて遺伝子を調べます。第一の選択肢は、KAT6B遺伝子を狙って配列を読むターゲットシーケンス(サンガー法・次世代シーケンサー)で、原因変異の98%以上をこの方法で見つけられます。遺伝子全体や複数のエクソンにまたがる大きな欠失・重複が疑われる場合は、MLPA法などの欠失/重複解析を追加します。

症状が非典型的で、最初の段階でどの症候群か絞りきれない場合(中間表現型など)には、トリオ全エクソームシーケンス(患者さんとご両親の3名を同時解析)が有効です。実際、過去に報告されたKAT6Bの新しい変異の多くは、原因不明の発達の遅れに対する網羅的なゲノム解析の過程で見つかってきました。

💡 用語解説:トリオ全エクソームシーケンス

エクソーム(遺伝子のタンパク質をつくる部分)全体をまとめて解析する手法を、患者さん本人とご両親の3名で同時に行うものです。両親にはなく本人に新しく生じたde novo(新生突然変異)を効率よく見つけられるため、多くがde novoで生じるKAT6B関連疾患の診断に特に向いています。

6. 遺伝カウンセリングと家族計画

KAT6B関連疾患は症状の幅が広く、出生前に見つけることが常にご家族の利益になるとは限りません。だからこそ、遺伝カウンセリングを通じた丁寧な情報提供が重要になります。医師はあくまで中立・非指示的な立場で情報を提供し、最終的な決定はご家族に委ねることを大切にしています。

  • 再発リスクの説明:多くはde novo(新生突然変異)で、ご両親には変異がありません。ただし常染色体顕性(優性)遺伝のため、患者さん本人が子をもつ場合の遺伝確率は理論上50%です。また、親の生殖細胞にモザイク状に変異が潜む可能性もゼロではなく、次のお子さんの検討時に説明が必要です。
  • 出生前診断の選択肢:家系内で変異が判明している場合、絨毛検査・羊水検査による確定的な出生前遺伝子診断や、体外受精と組み合わせた着床前遺伝学的検査(PGT-M)が選択肢となります。
  • 長期的な見通しの共有:予後は心機能・呼吸機能・腎機能の合併症の重さで大きく変わります。診断後は、整形外科・泌尿器科・循環器科・神経内科・臨床遺伝専門医などが連携する集学的な管理が重要です。

7. KAT6Bとがん:体細胞変異と最新の治療薬

KAT6Bの異常は、生まれつきの症候群だけでなく、生まれた後に一部の細胞で起こる体細胞変異を通じて、特定のがんとも関わります。ヒストンのアセチル化という制御が、細胞の増殖をどれほど精密にコントロールしているかを物語っています。

💡 用語解説:体細胞変異と染色体転座

体細胞変異は、生まれた後に体の一部の細胞で起こる変異で、子へは遺伝しません。染色体転座は、2本の染色体の一部が入れ替わってつながる現象で、異常な「融合タンパク質」を生み、がんの引き金になることがあります。

代表例として、急性骨髄性白血病(AML)では、第10染色体のKAT6B領域と第16染色体のCREBBP遺伝子がつながる染色体転座 t(10;16)が見つかっています。生まれた融合タンパク質が遺伝子を過剰に活性化し、未熟な白血球の暴走的な増殖を引き起こします。また、成人女性に多い良性腫瘍である子宮筋腫の一部でも、KAT6B領域が関わる転座 t(10;17) が確認されています。

さらに近年、KAT6A/KAT6Bの過剰な働きが乳がんなどの進行性のがんの増殖を促すことが分かり、これらの酵素活性を狙う分子標的薬の開発が世界で急速に進んでいます。第一世代の「KAT6A/B二重阻害薬」は効果を示した一方で、好中球減少(血液毒性)という副作用が課題となりました。そこで2024〜2026年にかけて、副作用を抑えつつ効果を高めた次世代薬が次々と発表されています。

開発コード/企業 作用のしくみ 特徴
PRT13722
(Prelude Therapeutics)
経口KAT6A選択的分解薬 KAT6Aだけを選んで分解。前臨床で腫瘍の完全退縮を確認し、血液毒性の低減が期待される
HLX97
(Shanghai Henlius)
KAT6A/B阻害薬 進行・転移性の固形腫瘍を対象に、単剤および内分泌療法薬との併用で第I相試験が進行中
BAY-184
(Bayer)
KAT6A/B阻害薬 構造解析を駆使して最適化されたリード化合物。生体内で有効性を実証
ATH-002
(Atheron Therapeutics)
KAT6A分解薬 前臨床段階。標準治療との併用で相乗効果を狙う臨床候補

KAT6Bという1つの遺伝子が、生まれつきの変異では多臓器の重い発生異常を、後天的な変異ではがんの増殖を引き起こす——この事実は、「アセチル化」というゲノムの装飾システムが、生命の誕生から病気まで、いかに精緻なバランスの上に成り立っているかを示しています。先天異常の研究から始まったKAT6Bの探究が、いまや最先端のがん治療薬の創出へとつながろうとしているのです。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【希少疾患の研究が、がん治療の扉を開く】

「うちの子の病気は、とても珍しいから研究も進まないのでは」——そう不安を口にされるご家族は少なくありません。けれどKAT6Bの歩みは、その不安に静かに反論してくれます。ごく稀な先天性症候群の分子メカニズムを解き明かす研究が、めぐりめぐって、多くの患者さんを苦しめる乳がんの治療薬開発につながっているのです。

一つの遺伝子を深く理解することは、特定の病気だけでなく、生命全体の仕組みを知ることでもあります。だからこそ私は、たとえ稀な疾患であっても、正確で分かりやすい情報を残し続けたいと思っています。その知識が、いつかどこかのご家族の支えになると信じています。

8. KAT6B遺伝子をめぐるよくある誤解

誤解①「変異があれば必ず同じ病気になる」

KAT6Bは、変異の「場所」によってGPSにもSBBYSSにもなります。変異がどのエクソンにあるかの精密な解釈が、診断の方向性を決めます。

誤解②「両親が健康なら遺伝ではない」

多くはde novo(新生突然変異)です。ご両親に変異がなくても、お子さんに初めて生じることがあります。「遺伝ではない=検査は不要」という思い込みが診断を遅らせることがあります。

誤解③「膝の皿の欠損は出生前にわかる」

膝蓋骨は胎児期には軟骨で、超音波に映りません。「膝の皿が見えない」ことを理由に胎児期に診断することはできません。

誤解④「変異=機能を失うだけ」

GPSでは、ただ機能を失うのではなく、異常タンパク質が居座って暴走する「機能獲得」が起こります。だからこそ症状が重くなると考えられています。

9. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

KAT6B遺伝子は、わずか一つの遺伝子のなかに、エピジェネティクスの本質と、遺伝子型・表現型の奥深さ、そして基礎研究が臨床へとつながるダイナミズムが凝縮された、まさに教科書のような存在です。お子さんの診断名を正確に見極めること、そしてその意味をご家族に分かりやすくお伝えすることが、その後の医療と人生の見通しを大きく左右します。気になる症状やすでに見つかっている変異について不安がある方は、どうか一人で抱え込まず、専門医にご相談ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. KAT6B遺伝子は何をする遺伝子ですか?

DNAに巻きつくヒストンというタンパク質をアセチル化し、固く巻かれたクロマチンをゆるめて、特定の遺伝子のスイッチを「オン」にする酵素の設計図です。とくに骨格や脳の発生に必要な多数の遺伝子の働きを調整しています。

Q2. KAT6Bの変異でどんな病気が起こりますか?

生まれつきの変異では、重い症状をともなうゲニトパテラ症候群(GPS)や、細い目・長い母指が特徴のSBBYSS症候群が起こります。生まれた後の体細胞変異は、白血病や子宮筋腫などと関わります。

Q3. なぜ同じ遺伝子なのに違う病気になるのですか?

変異が起きた「場所」によって細胞の反応が変わるためです。前半〜中盤の変異は異常な設計図が分解され、量が半分に減る「ハプロ不全」となりSBBYSSに、最後のエクソン手前の変異は分解を逃れて安定した短縮タンパク質が居座り、暴走する「機能獲得」を起こしてGPSになると考えられています。

Q4. KAT6B関連疾患は遺伝しますか?

常染色体顕性(優性)遺伝の形式ですが、報告されている多くはde novo(新生突然変異)で、ご両親には変異がありません。患者さん本人が子をもつ場合の遺伝確率は理論上50%です。詳しくは臨床遺伝専門医にご相談ください。

Q5. KAT6Bはどうやって調べるのですか?

出生後は血液を用いたKAT6Bのターゲットシーケンスで原因変異の98%以上を検出でき、大きな欠失・重複が疑われればMLPA法などを追加します。非典型例ではトリオ全エクソームシーケンスが有効です。出生前は、家系内に既知変異がある場合に絨毛検査・羊水検査で確定診断が可能です。

Q6. NIPTでKAT6Bを調べられますか?

当院のダイヤモンドプランインペリアルプランの対象遺伝子にKAT6Bが含まれます。ただしNIPTは可能性を調べるスクリーニングであり、確定診断には絨毛検査・羊水検査が必要です。どの検査を選ぶかはご家族で話し合ってお決めください。

Q7. KAT6Bとがんはどう関係しますか?

生まれた後の体細胞変異として、急性骨髄性白血病で染色体転座 t(10;16)、子宮筋腫で t(10;17) が見つかっています。またKAT6A/Bの過剰な働きが乳がんなどの増殖を促すことから、これを標的とする分解薬・阻害薬(PRT13722、HLX97、BAY-184など)の開発が世界的に進んでいます。

🏥 遺伝子・遺伝性疾患の検査・カウンセリングについて

KAT6Bをはじめとする遺伝子・希少疾患に関するご相談は、
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにお気軽にどうぞ。

参考文献

  • [1] KAT6B Disorders. GeneReviews®, NCBI Bookshelf (NBK114806). [NCBI Bookshelf]
  • [2] KAT6B gene. MedlinePlus Genetics. [MedlinePlus]
  • [3] The KAT6B-related disorders: Genitopatellar syndrome and Ohdo/SBBYS syndrome have distinct clinical features reflecting distinct molecular mechanisms. PMC3696352. [PMC3696352]
  • [4] Regulation of KAT6 Acetyltransferases and Their Roles in Cell Cycle Progression, Stem Cell Maintenance, and Human Disease. PMC4936061. [PMC4936061]
  • [5] The key roles of the lysine acetyltransferases KAT6A and KAT6B in physiology and pathology. ScienceDirect. [ScienceDirect]
  • [6] Genitopatellar syndrome. Orphanet (ORPHA:85201). [Orphanet]
  • [7] Discovery and Characterization of BAY-184: A New Potent and Selective Acylsulfonamide-Benzofuran In Vivo-Active KAT6A/B Inhibitor. J Med Chem. 2024. [PubMed]
  • [8] Prelude Therapeutics Presents Preclinical Data for PRT13722, a First-in-Class Oral KAT6A Selective Degrader (AACR 2026). [GlobeNewswire]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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