目次
1つのがん細胞には数千から数万もの遺伝子変異がたまっていますが、そのうちがんを実際に「駆動」する変異はごく少数にすぎません。残りの大多数を占めるのが、がんの増殖に直接は関係しない「パッセンジャー変異(同乗者変異)」です。長らく「ただのノイズ」と見なされてきましたが、近年の研究は、その中に腫瘍の出どころや経歴を読み取れる「情報」が眠っていること、そして一部はがんの性質に弱いながら影響を与えていることを明らかにしてきました。本記事では、パッセンジャー変異の正体・分類・見分け方から最新の連続体モデルまで、一般の方にもわかりやすく臨床遺伝専門医が解説します。
Q. パッセンジャー変異とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. がん細胞にたまった膨大な遺伝子変異のうち、がんの増殖を直接「駆動」しない、巻き込まれただけの大多数の変異がパッセンジャー(同乗者)変異です。がんを引っ張る少数の「ドライバー変異」とは反対の存在です。古典的にはほぼ無害とされてきましたが、近年は細胞の出どころや経歴を高い精度で映し出す「情報」を持ち、一部は発現や予後に弱い影響を与えることが分かってきました。
- ➤ドライバーとの違い → がんを動かす少数の「主犯」と、巻き込まれた大多数の「同乗者」を区別する
- ➤5つのタイプ → ほぼ中立/弱い負の選択/中等度影響/偽ホットスポット/情報を持つ
- ➤「再発=ドライバー」ではない → APOBEC3AやUVの偏りが生む「偽ホットスポット」
- ➤腫瘍の「履歴書」 → パッセンジャーのパターンだけで原発組織を約92%の精度で分類
- ➤連続体モデル → ドライバーとパッセンジャーは白黒ではなく「地続き」とする最新の見方
1. パッセンジャー変異とは:がんゲノムの「同乗者」
がんは、突き詰めれば「遺伝子の異常が積み重なって起こる病気」です。1つのがん細胞のゲノムを調べると、そこには数千から数万にものぼる体細胞変異がたまっています。ところが、その大半は細胞が分裂を繰り返すうちに「たまたま」生じただけで、がんの増殖には直接関係しません。この、巻き込まれただけの大多数の変異がパッセンジャー変異(同乗者変異)です。これに対し、がん細胞に増殖や生存の優位性を与えて腫瘍を引っ張っていく少数の変異がドライバー変異です。
💡 用語解説:体細胞変異(たいさいぼうへんい)
生まれた後に、体の一部の細胞(がん細胞など)で生じた変異のことです。精子・卵子が持っていて全身に共有され子どもに受け継がれる「生殖細胞系列変異」とは異なり、体細胞変異はその細胞とその子孫だけに伝わり、原則として子どもには遺伝しません。パッセンジャー変異の大多数は、この体細胞変異として後天的に生じたものです。
古典的な定義では、パッセンジャー変異は「正の選択を受けず、クローン増殖の優位性を与えず、がんの発生に寄与しない変異」とされてきました。2009年のStrattonらの総説で示されたこの定義は、いまも広く引用されています。その2年前、Greenmanら(2007)は210例のがんで518のキナーゼ遺伝子を読み解き、1,000を超える体細胞変異の「ほとんどはおそらくパッセンジャーである」と整理しつつ、約120個の遺伝子にドライバーの証拠を見いだしました。網羅的なゲノム解析が、背景に大量のパッセンジャーが存在するという現実を初めて鮮明にした研究です。
💡 用語解説:満員の車にたとえると
ドライバー(運転手)はハンドルを握り、車=がんを実際に前へ進めます。一方のパッセンジャー(同乗者)は、ただ乗っているだけで運転には関与しません。がんゲノム解析の最大の難所は、膨大なパッセンジャーという「ノイズ」のなかから、本当の主犯であるドライバーを正確に見分けることにあります。
どのくらいの数の差があるのでしょうか。2013年のVogelsteinらの総説は、多くの腫瘍では高頻度に変異する遺伝子はごく少数の「山(mountains)」にすぎず、稀にしか変異しない「丘(hills)」が大多数を占めるという景観を示しました。典型的な腫瘍では2〜8個程度のドライバー遺伝子変異でがんが成立し、残りはパッセンジャーだと整理されています。さらに2,658例の全ゲノムを解析した国際研究(PCAWG, 2020)では、91%の腫瘍に少なくとも1つのドライバーが見つかった一方、平均ドライバー数は4.6個にとどまり、5.3%の腫瘍では同定可能なドライバーが見つかりませんでした。膨大な変異の海のなかで、主犯はごくわずかなのです。
図:典型的な腫瘍では、がんを駆動する「山」はごく少数で、駆動しない「丘」=パッセンジャー変異が大多数を占める。数の上ではパッセンジャーが圧倒的に多い。
2. ドライバー変異との違い
ドライバーとパッセンジャーを分けるものは、本質的には「自然選択を受けているかどうか」です。ドライバー変異は腫瘍細胞に有利に働くため「正の選択」の痕跡(背景の変異率を超える集積など)を残します。パッセンジャー変異は古典的にはこうした選択を受けないものとして定義されます。実務的な観点で両者を対比すると、次のようになります。
💡 用語解説:ミスセンス変異とは
DNAの1文字が変わった結果、できあがるタンパク質のアミノ酸が1つ別のものに置き換わる変異です。アミノ酸を変えない「サイレント変異」や、途中でタンパク質を打ち切る「ナンセンス変異」と区別されます。同じミスセンス変異でも、強くがんを駆動するドライバーになることもあれば、何の影響も及ぼさないパッセンジャーで終わることもあり、両者を区別すること自体が研究の中心課題です。
💡 用語解説:正の選択・負の選択とdN/dS
「正の選択」とは、その変異を持つ細胞が増えやすくなって集団に広がる現象、「負の選択(純化選択)」とは、有害なため集団から取り除かれる現象です。これを見分ける代表的なものさしがdN/dS比で、アミノ酸を変える変異(非同義)と変えない変異(同義)の比をとります。
- ▸dN/dS > 1 → 正の選択(ドライバーの手がかり)
- ▸dN/dS ≒ 1 → 中立(多くのパッセンジャー)
- ▸dN/dS < 1 → 負の選択(有害なため除去)
3. パッセンジャー変異の5つのタイプ
「パッセンジャー」とひとくくりにされますが、その内部は決して均質ではありません。近年の研究は、少なくとも次の5つの顔を持つことを明らかにしています。
① ほぼ中立な古典的タイプ
細胞分裂のたびに偶発的に生じ、クローン拡大に「便乗」して運ばれる、ほぼ中立な変異。がんゲノムの最大部分を占める基礎カテゴリです。
② 弱い負の選択を受けるタイプ
蓄積すると腫瘍細胞の増殖適応度をわずかに下げ、成長や転移を抑える方向に働きうる変異。集まると「足かせ」になる群です。
③ 中等度影響・文脈依存タイプ
完全な中立でも強力なドライバーでもない「中等度」の群。発現・スプライシング・免疫原性・耐性化など、状況によって弱い影響を持ちます。
④ 再発ホットスポット型
同じ場所に繰り返し現れるため一見ドライバーに見えるが、実は局所の高変異性が生んだ「偽ホットスポット」である群です(次章で詳説)。
⑤ 情報を持つタイプ
機能はなくても「情報」はある群。全ゲノムのパターンが細胞の出どころや経歴を映し出し、腫瘍の「履歴書」として読めます。
②については興味深い議論があります。McFarlandらは理論・実験から、蓄積したパッセンジャーの「負荷(バーデン)」が腫瘍の増殖を抑えうることを示しました。一方でMartincorenaら(2017)の大規模なdN/dS解析では、個々のコード変異のレベルでは負の選択は極めて弱く、平均すると腫瘍あたり1個未満のコード置換しか除去されないと推定されました。つまり、単一の置換では強い害は出にくいが、集積したパッセンジャー全体や一部の構造変化は集合的に有害になりうる、というのが現在もっとも整合的な理解です。
4. 「偽ホットスポット」問題:再発=ドライバーではない
🔍 関連記事:ミスマッチ修復(MMR)/マイクロサテライト不安定性(MSI)
「同じ場所に繰り返し変異が出る(=再発/ホットスポット)なら、それは選択されている重要な変異=ドライバーだろう」——これは長年の常識でした。しかし現在では、明確な例外が知られています。Hessら(2019)は、同一の座位に繰り返し出現するホットスポットの多くが、実際には正の選択を受けていないパッセンジャーであることを体系的に示しました。なぜ、選択されていないのに「再発」するのでしょうか。鍵は、ゲノムの場所ごとに「変異の起こりやすさ」が大きく違うことにあります。
💡 用語解説:変異シグネチャーとAPOBEC・UV
がん細胞の変異には、原因ごとに特有の「指紋(変異シグネチャー)」が残ります。たとえばAPOBECという酵素や紫外線(UV)は、ゲノムの特定の配列・構造を狙い撃ちするクセを持っています。その結果、選択とは無関係に、特定の場所だけに偶然たくさん変異が集まり、あたかもドライバーのように「再発」して見えることがあるのです。
具体例として、Buissonら(2019)は、APOBEC3AがDNAのヘアピン状構造(ステムループ)を選択的に標的にするため、偽のホットスポットが形成されうることを示しました。逆に、ステムループの外で起きるAPOBEC変異のほうがドライバーである可能性が高い、とも報告しています。さらにSelvamら(2023)やMaoらは、悪性黒色腫(メラノーマ)で見られるETS結合部位の再発変異の多くが、UV損傷の起こりやすさという局所バイアスから生じたパッセンジャーであることを実証しました。「繰り返し出る変異」を見たら、まずそれが選択の証拠なのか、それとも変異シグネチャーが生んだ偶然なのかを問う必要があるのです。
5. 腫瘍の「履歴書」:情報を持つパッセンジャー
「機能がない」ことは「情報がない」ことを意味しません。むしろパッセンジャー変異は、腫瘍がどの細胞から生まれ、どんな環境にさらされ、どれだけ分裂してきたかを記録した「履歴書」でもあります。Salvadoresら(2019)は、約227万の全ゲノム腫瘍・18がん種・約1,886万の変異を解析し、パッセンジャー由来の特徴(局所変異密度と3塩基の配列パターン)が、組織起源の分類でドライバー由来の特徴を大きく上回ることを示しました。
腫瘍分類における「情報量」の比較(正解率・分類精度)
異なる研究の代表値。厳密な直接比較ではなく傾向を示すもの
ドライバー特徴のみ
(18がん種)
パッセンジャー特徴
(18がん種)
深層学習・パッセンジャー
(24がん種)
パッセンジャー由来の特徴は、原発組織の分類でドライバー由来の特徴を大きく上回る。Jiaoら(2020)の深層学習では、ドライバー情報を加えるとむしろ精度が下がった点が示唆的。
この「情報量」の源は、パッセンジャー変異の密度がDNAの複製タイミング、遺伝子の発現量、クロマチンの開き具合などと結びつき、結果として細胞の出どころを反映するためです。Jiaoら(2020)の深層学習は、PCAWGの2,606腫瘍・24がん種で、パッセンジャーのパターンだけから原発がんを91%、転移がんでも高い精度で言い当てました。これは原発不明がんの診断補助に直結しうる、実用上きわめて重要な発見です。なお、こうしたパッセンジャーは腫瘍系譜の「分子時計(molecular clock)」としても使え、Bozicら(2010)はクローン/サブクローンのパッセンジャー数から腫瘍が歩んできた過去を推定できることを示しています。
6. どうやって見分ける?検出・識別の方法
🔍 関連記事:遺伝子パネル検査とは/ゲノム検査のカバレッジとデプス
パッセンジャーの識別は、実は「ドライバー探索の裏面」です。基本戦略は、中立な背景変異率を精密にモデル化し、そこから外れる「正の選択」のシグナルをドライバー候補として取り出し、それ以外をパッセンジャーとみなすことです。したがって、パッセンジャー判定の質は背景変異率モデルの質に依存します。変異シグネチャー、3塩基の文脈、複製タイミング、クロマチン状態、局所の配列構造をどこまで取り込めるかが要点です。代表的な計算ツールには次のようなものがあります。
重要なのは、これらの手法が「ドライバーを直接当てる」というより、実際には「中立なパッセンジャーがどう分布するはずか」をどれだけ正確に描けるかで勝負している点です。APOBEC・UV・ミスマッチ修復(MMR)欠損・クロマチン・複製タイミングのモデル化が甘いと、偽ホットスポットをドライバーと誤判定しやすくなります。前章のHess・Buisson・Selvamの仕事は、まさにこの落とし穴を強く警告したものです。
計算予測だけでは境界が曖昧なため、変異の効果を実験で測る枠組みも重要です。Findlayら(2018)の「飽和ゲノム編集」は、がん抑制遺伝子BRCA1の機能上重要な13エクソンで、起こりうる一塩基変異の96.5%を実験的に評価しました。2025年にはTP53でCRISPRを用いた深層変異導入により9,225変異が機能評価され、部分的な機能喪失やスプライシング異常まで含む多彩な効果が描かれています。これらは、ある変異がドライバーかパッセンジャーかを実験で裁定する「基準」に最も近いものですが、依然として遺伝子ごと・条件ごとで、全ゲノムに一気に適用するのは困難です。
7. 二分法を超えて:連続体モデル
「ドライバーか、パッセンジャーか」という白黒の二分法は便利ですが、現在では十分ではないと考えられ始めています。Kumarら(2020)はPCAWGの2,500を超える全ゲノム腫瘍から、高影響のドライバーと低影響のパッセンジャーに加えて、「中等度の影響を持つパッセンジャー候補(medium-impact putative passengers)」という第三の群を提案しました。これは、従来の二値の間に連続的なグラデーションが存在することを示すものです。
💡 用語解説:連続体モデル(Continuum Model)
変異の働きを「ドライバー(強)か、パッセンジャー(無)か」の2択ではなく、影響の強さが連続的に変化する一本のグラデーションとして捉える見方です。強いドライバーから、中等度、弱い影響、ほぼ中立まで地続きに並んでいて、その境目はくっきりとは引けない、と考えます。
この流れを大きく後押ししたのが、2026年にNature Communications誌で発表されたNayakらの大規模解析です(2025年には査読前のプレプリントとして公開)。1万1千を超える全ゲノム腫瘍を解析し、古典的なドライバーを欠く腫瘍でも、がん関連遺伝子の上にパッセンジャー変異が濃縮し、予測される病原性・発現異常・スプライシング破綻・転写因子結合の変化・予後不良と結びつくことを示しました。とくにがん抑制遺伝子に積み重なったパッセンジャーが、発現の低下や予後の悪化と関連した点は重要です。つまり、たくさんのパッセンジャーの「累積」が、機能的には1個の強いドライバーに近づいていく可能性があるのです。
⚠️ この連続体モデルは、現時点では発展途上の最新知見です。確立した定説ではなく「有望な仮説」として読み、今後の検証で評価が変わりうる点にご留意ください。
まとめると、現在の理解では、古典的なパッセンジャーは依然として有効な「操作的な」概念である一方、その内部は均質ではない、というのが最も妥当です。「パッセンジャー=ただのノイズ」という単純な見方は、過去のものになりつつあります。
8. 臨床的意義:診断・予後・治療
基礎研究の話に聞こえるかもしれませんが、パッセンジャー変異の理解は臨床にも橋を架けています。大きく3つの可能性があります。
- ➤① 診断補助:パッセンジャーのパターンは組織起源を強く反映するため、原発不明がんやリキッドバイオプシー(採血による検査)で「どこ由来のがんか」を推定する手がかりになりえます。
- ➤② バイオマーカー:パッセンジャーの負荷やパターンは、DNA修復の欠損やマイクロサテライト不安定性、予後、ドライバーを欠く症例の病態理解に役立つ可能性があります。
- ➤③ 治療関連情報:蓄積したパッセンジャーが生む新しい目印(ネオ抗原)は免疫療法の標的になりうる一方、治療抵抗性を担うこともあると指摘されています。
なお、ここまでは主に「がん細胞のなかで後天的に生じた体細胞のパッセンジャー」の話でした。これとは別に、生まれつき持っているドライバー(BRCA1/2やTP53など)が遺伝性がんの原因になることがあり、ここが遺伝医療と直接つながります。生まれ持った体質は、遺伝性がんの遺伝子検査(包括的がん遺伝子パネル)で調べることができます。これは「生まれ持った体質(生殖細胞系列)」を調べる検査で、すでに発症した腫瘍の組織を解析して治療薬を選ぶ「がんゲノムプロファイリング検査」とは目的が異なります。腫瘍組織の検査は、主にがん治療を行う医療機関で実施されます。
9. よくある誤解
誤解①「パッセンジャー=完全に無意味」
多くはほぼ中立ですが、一部は弱い影響を持ち、全体としては腫瘍の出どころや経歴を映す「情報」を担っています。「機能がない」ことは「情報がない」ことではありません。
誤解②「再発する変異はドライバー」
同じ場所に繰り返し出ても、APOBEC3AやUVの偏りが生んだ「偽ホットスポット」のことがあります。再発は選択の証拠とは限りません。
誤解③「変異が多いほど悪いがん」
数千の変異の大半はパッセンジャーです。数だけでは悪性度は決まりません。重要なのは「どのドライバーが関わるか」という質の問題です。
誤解④「ドライバーとパッセンジャーは明確に分かれる」
最新の連続体モデルでは、両者は白黒ではなく地続きのグラデーションと捉えられます。境目は、選択と証拠の強さで引く「操作的」なものです。
よくある質問(FAQ)
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