みなさま,こんばんわ.
今日は,大変驚いた症例を報告します.
患者さんは数年前,夫の転勤で住んでいた札幌の天使病院に通っていて,妊娠20週で中期中絶を受けました.
クアトロテストで引っかかって,羊水検査を受けたら45,X つまり,ターナー症候群(モノソミーX)だったんですよね.
クワトロは15週からしか受けられません.結果が出るのに2週間くらいかかります.
羊水検査しても染色体検査は3週間くらいかかります.
担当医は若い女性だったそうですが,「大変珍しい症例で自分は初めてだ」といって,【調べながら】親身に対応してくれたそうです.
でも.この時点で20週.
なので.3日で決めるように言われて.
頭が真っ白になりながら,ターナー症候群(モノソミーX)の人のブログとかを見て,子供ができないので辛い,という記載に
そんなにつらいんだったら産まない,と決めたそうです.
でも.そのことを話すだけでも辛くて泣いちゃうくらいなのですよね.
でも.この患者さんは最終的にわたしに怒られました.
だって.ターナー症候群(モノソミーX)は,基本的には妊孕性(妊娠する能力)だけが問題になるだけで,あとはそう大きく問題になることはありません.
wikiなんかには知的障害があるくらいに書かれているけど,少々ぽーっとしている程度で可愛いんですよね.
大きくなって,結婚して夫婦で不妊外来に行って染色体検査をして見つかる,って感じ.
なのに.
妊孕性がなければ生まれてくる価値がないってことですか?
自分も子供ができなくて,体外受精だったから辛い思いをさせたくない? じゃあ,辛くない人生があるとでもいうんですか?あなたは自分が生まれてくる価値がなかったとでもいうんですか?
あなたは目の前でググるような素人医師に自分をまかせて赤ちゃんの命を奪ったんですよ?
出生前診断というのは,家族のライフスタイルに大きく影響を与える障害のある疾患に限って行うべきであって
ターナー症候群(モノソミーX)を生命の選択の対象とすべきではない,というのがわれわれ遺伝専門医の確固たる考えです.
一部の産婦人科医が,安易に中絶を勧めるのも我々の悩みの種になっています.
妊娠という状態は,利害の異なる二つの命が共存する状態であり,われわれ遺伝専門医の仕事は双方の利益の最大化を図ることです.
したがって,あなたがまた,ターナー症候群(モノソミーX)を生命の選択の対象とするのならうちでは検査は受けられません.
たとえば思春期になって医療的ケアが必要なら早めに知りたいという理由であればまだわかる.
どうしてその医師のいうことを信用したんですか?
親身になって聞いてくれた?
それじゃ,歌舞伎町のホストと変わらないじゃないか?
お金払ったらいくらでも親身になってくれるよ.親身になってるふりしてお酒売りつけるのと一体何が変わらないの?
医師と言うのはちゃんと専門的知識と技術を売る職業です.コミュニケーションスキルだけで勝負するならホストとどこが違うの?
そんな医師の言うことを聞いて,あなたは我が子の命を奪ったんですよ?
思い出して辛いくらいなら,どうしてちゃんと専門家に相談しなかったんですか?
全然知識も経験もないけど話を聞いてくれるだけの医師になぜ任せたんですか?
おなかの命を守れるのは母親しかいません.
子供ができないのはつらい?
辛いことのない人生なんかないんだから.そんなんだったら子供産みたいって言わなきゃいいじゃないの?
母親になんて覚悟もなくなるもんじゃないのよ.
子供なんて思い通りになんて育たない.
不登校もするし問題も起こす.
こどもなんて可愛いだけじゃないのよ.
でも.あなたが当時,必要な医療を受けられなかったことについては,同じ医療人として謝りたいと思います.その医師のすべきだったことは,大学の遺伝診療部に紹介することだったと思います.だから,非常に申し訳なかったと思います.そういう人が今後出ないようにしていくために何をすべきかを考えるのが,専門医としての今日のわたしにあなたがくれた課題だと思います.
そりゃ.3人産みましたからね.わたしも.
わたしの話を聞いて,彼女はどんなに自分が間違っていたのか,やっとわかったみたいで.
それからしばらく泣いてました.
落ち着くまで,マロンティーをお出しして一人にしました.
ちょうどお昼休みの前の患者さんだったので.
2時間半くらいお付き合いしました.
落ち着いて,呼んでもらって.
検査の説明をする間も,やっぱ泣いてしまってましたが.
帰る前,彼女はしみじみ言っていました.
ここにきてよかったって.
そう.私のところに来なければ,一生知ることもなかったかもしれませんね.
今日は,はっきりと病院名をお出ししました.
わたしは産科婦人科ではありませんし,うちは日産婦のガイドラインを無視して認定外でNIPTやってますから
学会発表ができないんですよね.演題応募しても却下されてしまいますので.
だけど.
知ってほしいんです.みなさんに.
医師は均質ではありません.それと.患者さんと向き合うには,医師には哲学が必要です.
なのに.
日本の医学教育は学部教育,初期・後期研修含め,リベラルアーツが足らないんですよね.
専門教育だけを受けてきた人というのは,役に立つとは限らない.
幅広い教養を持つ人が求められるのが,複雑化した現代社会なのです.
また,教育課程でずっと正解を求める勉強しかしてきていないのではないでしょうか?
しかし,医師になると教科書通りの症例は少ないです.
なのに,物事に正解があってそれを答えられれば優秀だと思い込んでいる人が多くて,『多様性のある個々人に対して最善とは何か』を丁寧に思考する医師がどれくらいいるのでしょうか?
わたしたちのいきるなかで起こっていることには正解は一つだけではありません.
むしろ,正解を見つけることではなく,ものの考え方・感じ方が違う人たちの中でいかにほかの人たちの立場を理解し他人の主張を聞き,自分の考えも述べてそれらを調整していけるのかが問われてるのが医師の仕事です.
ところが,医師はそういう教育を受けてきません.
それどころか,パターナリズムといって,父親が子供たちに これがいいんだよ と押し付けるという態度をとる医師たちが
後を絶ちません.
そうした態度は患者を失望させる.
物事を多角的にみるということは,他の人の言っていることを鵜呑みにしないということです.
偉い人が言ったことは正しい,と日本では扱われがちですが.そうではないですよね.だけど.医者たちはバカだから,『みんなで話し合ったから正しい』とか平気で言います.
ある時代のある場所では正しいことが,時代の変遷とともに正しくなくなるし,同じ時代であっても場所が変われば正しくなくなるかもしれない.
だから.すぐに信じてしまうのではなく,自分で思考し,判断し行動することが求められます.患者の利益の最大化を図るにはそういう慎重な態度が求められます.(患者さんたちも医師の言うことをうのみにせず,きちんと説明してくれる医師にかかってください.)
もちろんそうやって自分で判断するためには,医師には幅広い知識や経験が求められます.
リベラルアーツは元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源があるといわれています.
その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源だったそうです.
リベラル・アーツはすなわち,人間を自由にする技.
医学は純粋にサイエンスですが.
医療はサイエンスだけではなりたたない.
アートが必要なんですよね.
サイエンスを無視する医師も,アートを無視する医師もバランスが悪すぎる.
患者さんは人間なので.
人間を包括的に診療するにはアートが必要です.
しかし.アートだけではコミュニケーションスキルで乗り切るのと変わらない状態となり(まあ,銀座の凄腕ママが
一流会社の重役クラスの悩み事を聞くのに特化している感じと思っていただければ正解に近いでしょうか?(笑))
やはり医師にはサイエンスが求められます.
全国市長会会長の立谷さん(医師免許をお持ちです)が,厚生労働省の専門医の養成に関するとある委員会で
『地域医療に論文を書く能力は必要ない』ときっぱり言いましたが,それは間違っています.
珍しい症例を経験したら,それをみんなの経験にすべく症例報告は書かないといけません.その能力がなくていいというのは
そうした珍しい症例がいつまでたってもちゃんと診療されないという質のよろしくない医療しか提供できないという環境になってしまうこととなるからです.
まあ,立谷さん(相馬市長でしたっけ?)は,福島では医師不足なんだから質なんてどうでもいいんだと思ってるのかもしれませんね!
というわけで.
ちゃんと専門医に受診するかどうかで全然違う道をたどることになる時があります.
出生前診断は,こうやって普通の産婦人科で知識もない医師がすべきではないとわたしは思います.
この症例のような症例が,全国に埋もれていると思うと,気がめいります.
日産婦はいったい何を考えているのか?
この症例は別に胎児水腫があったわけでも何でもないので,普通に生まれてきたと思いますね.
産んでも問題ない症例をこうやって中絶に駆り立てて,一体どのような責任を果たそうとしているのか?
そもそも日本の中絶医療は戦後の混乱期にできた制度をそのまま70年以上踏襲しています.
こんなめちゃくちゃな体制でいいのか?
見直すべきだと思いますね.