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「遺伝子検査はやってみないとわからない」これまでの経験でたどり着いた結論
ミネルバクリニックの仲田です。
先日、開院11周年を迎えた記事を書きましたが、今日は少し気分を変えて、私がこの11年間、遺伝子診療の最前線で感じ続けている「医学の謎」と「検査の真実」についてお話ししようと思います。
日々、多くの患者様と向き合う中で、私はある一つの結論に達しました。
それは、「遺伝子検査は、やってみないと本当に何もわからない」ということです。
なぜ私がそう断言するのか。
印象に残っている2つの事例を通して、遺伝の不思議さと怖さをお伝えします。
【事例A】症状がない親、重い症状の子
以前、複数のお子さんで続けて障害を持って生まれたご家族から相談を受けました。
「なぜ、うちの子たちだけが……」
ご両親の苦悩は計り知れません。
原因を突き止めるために、まずお子さんたちのマイクロアレイ染色体検査を行ったところ、驚くべき事実が判明しました。
お子さんたち全員、「染色体の全く同じ場所」が欠けていることが分かったのです。
「これは偶然ではないかもしれない」
そう考え、ご両親の検査も行ったところ……なんと、片方の親御さん(Aさん)も同じ場所の欠失を持っていたことが分かったのです。
🔍 顕微鏡では見えない「微細欠失」の謎
見つかったのは、顕微鏡では見えないレベルの「染色体の微細な欠け(微細欠失)」でした。
遺伝学的に考えれば、親御さんからお子さんへ、その欠失が受け継がれたということです。
しかし、不思議なことがありました。
親であるAさんには、全く何の障害もなかったのです。
- ✅ Aさんは大卒で、高度な知的職業に就いている
- ✅ 知的水準も非常に高い
- ✅ 健康上の問題も指摘されたことがない
同じ遺伝子の異常を持っているのに、なぜこれほど違うのか。
Aさんの場合、奇跡的に「他の遺伝子がその欠損を代償(カバー)」しており、症状が出ていなかったと考えられます。
Aさんの体の中では、他の遺伝子たちが絶妙なバランスで働き、欠けている部分を補っていたのです。
なぜお子さんにだけ症状が出たのか?
ここが遺伝の怖いところです。
子どもができるとき、親から受け継ぐのはゲノム(遺伝情報)の半分ずつです。
この時、遺伝情報はトランプのカードを切るようにシャッフルされて入れ替わります。
するとどうなるか。
「Aさんを無症状たらしめていた、奇跡的な遺伝子の組み合わせ(環境)」が崩れてしまうのです。
その結果、お子さんには代償する機能が受け継がれず、微細欠失の影響がダイレクトに現れ、重い障害として発症してしまいました。
これが、優性遺伝疾患の恐ろしさの一つです。
ℹ️ 遺伝医学用語の変更について(優性・劣性 ➡ 顕性・潜性)
かつては「優性(ゆうせい)・劣性(れっせい)」という言葉が使われていましたが、
「優れている・劣っている」という誤解を招きやすいため、
現在は「顕性(けんせい)・潜性(せんせい)」という言い方に変わってきています。
※本記事では、馴染みのある「優性」という言葉を使用していますが、医学的な意味は「顕性」と同じです。
【事例B】念のための検査で発覚した驚愕の事実
別の患者様(Bさん)のケースです。
Bさんはごきょうだいと従兄弟にそれぞれ重い障害があるという家系の方でした。
「自分もこれから子どもを持ちたいが、大丈夫だろうか」
Bさんご自身には全く症状がなく、健康そのものでした。
家系図を見ると優性遺伝のパターンに見えましたが、Bさん自身が健康であるため、私は当初「念のための確認ですね」と、比較的軽い気持ちで発達障害・知的障害・自閉症を一度に見る遺伝子検査パネルをオーダーしました。
ところが、結果を見て驚愕しました。
Bさんにも、顕微鏡では見つからないサイズの「染色体の微細欠失」が見つかったのです。
おそらく、上の世代の方々も同じ変異を持っていたのでしょう。
しかし、Bさんと同じように症状が軽い、あるいは全く出ていなかったため、気づかれなかったのです。
Bさんは無症状でした。
しかし、もしこのまま知らずにお子さんを持った場合、事例Aのご家族のように、お子さんには重い障害として現れる可能性が十分にあったのです。
なぜ同じ遺伝子変異でも症状が違うのか?【最新の医学的見解】
優性疾患の怖いところは、「何も症状が出ない人」から「重い症状の人」まで、全く同じ遺伝子異常を持っていても、出る症状に激しい幅があるという点です。
AさんやBさんのように、遺伝子変異を持っているのに発症しない、あるいは軽症で済む現象を、医学用語で「表現度の差異 (Variable Expressivity)」や「不完全浸透 (Incomplete Penetrance)」と呼びます。
なぜこのようなことが起こるのか。最新の遺伝学研究では、主に3つの要因が提唱されています。
1. 修飾遺伝子(Modifier Genes)の影響
これがAさんのケースを説明する最も有力な説です。
原因となる遺伝子変異(主役)は同じでも、その背景にある他の数万個の遺伝子(脇役たち)の組み合わせは人それぞれ異なります。
ある研究では、これらの「脇役(修飾遺伝子)」が、主役のミスをカバーしたり、逆に悪化させたりすることが示されています。
Aさんの体内では、たまたま「変異の悪影響を打ち消すような良い脇役」が揃っていたため、発症しなかったと考えられます。
2. 生物ならではの「確率的なゆらぎ」
ここが非常に興味深く、かつ恐ろしい点です。
私たちの体は、工場で作られる精密機器とは違います。
細胞の中で遺伝子が読み取られる過程には、「純粋な偶然(確率的なブレ)」が必ず生じます。
💡 分かりやすく例えると…
「コップ表面張力いっぱいの水」を想像してください。
この水は、ほんの一滴の振動でこぼれるかもしれないし、こぼれないかもしれません。
遺伝子変異がある状態というのは、「水がこぼれるギリギリの状態」に似ています。
細胞の中では、常に分子が動き回る「ゆらぎ(ノイズ)」があります。
- 運良く「ゆらぎ」が小さかった場合 ➡ 水はこぼれず、病気にならない(発症しない)
- 運悪く「ゆらぎ」が大きかった場合 ➡ 水があふれ出し、病気として発症する
つまり、遺伝子も環境も全く同じクローン人間がいたとしても、「細胞レベルのサイコロの出目(確率)」によって、一方は病気になり、一方は健康なままということが起こり得るのです。
3. 「片肺飛行」ゆえの環境負荷への弱さ
Bさんのように「微細欠失(染色体の一部が足りない)」の場合、本来2つあるはずの遺伝子の片方が機能していません。
これは飛行機で例えるなら「片方のエンジンだけで飛んでいる状態」です。
若い頃や環境が良い時は、片肺飛行でもなんとか持ちこたえられます。
しかし、年齢を重ねて体の機能が落ちたり、環境のストレスがかかったりした時、ギリギリ保たれていたバランスが崩れ、症状として現れることがあります。
Bさんの家系で症状の重さが違うのは、それぞれの年齢や環境負荷の違いが複雑に絡み合っているからなのです。
臨床遺伝専門医としての葛藤と信念
こうした経験を重ねる中で、患者様からよく頂くご質問があります。
「検査は受けたくないけれど、私のリスクがどれくらいか説明してほしい」
お気持ちは痛いほどよく分かります。
検査には費用もかかりますし、何より「知りたくないことを知ってしまう」という怖さもあるでしょう。
しかし、AさんやBさんのように「一見健康に見えるけれど、実はハイリスクだった」という事例を数多く目の当たりにしてきた私には、適当なことは言えません。
無責任に「ご家族にいないなら大丈夫ですよ」と言って、その後にお子さんに障害が見つかったら……それは専門医として絶対に許されないことだからです。
そのため、心を鬼にして
「個々の遺伝リスクは、検査をしてみないと分からないとしか言えません」
とお伝えしています。
時には患者様から、
「ここは検査をさせるためのクリニックなんですね」
とお叱りを受けたり、怒られたりすることもあります。
そう言われてしまうと、私も人間ですので悲しくなります。
決して無理に検査を勧めたいわけではありません。
ただ、「医学的に正しい事実(真実)」をお伝えし、後悔のない選択をしていただきたい。
その一心で、今日も診療にあたっています。
「遺伝子検査は、
やってみないと何もわからない」
これが、臨床遺伝専門医として私がたどり着いた、偽らざる本音です。
「大丈夫だろう」という予測だけで安心せず、科学的な検査を行うことの重要性を、これからも伝えていきたいと思います。
本日のまとめ
- ✅ 無症状の保因者:
親が全く健康で高スペックであっても、同じ遺伝子変異を持つ子供に重い障害が出ることがある。 - ✅ 細胞レベルの運:
細胞内の「確率的なゆらぎ」により、コップの水があふれるように発症するかどうかが決まることがある。 - ✅ 専門医の誠意:
「検査しないと分からない」と言うのは、利益のためではなく、患者様に嘘をつきたくないという責任感からです。 - ✅ 結論:
症状の幅は医学の謎。「やってみないとわからない」からこそ、専門医による検査が重要。
また、「親族に症状がないから大丈夫」とは限らない。目に見えない微細欠失や不完全浸透が隠れていることがある。


