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MYC遺伝子|がんのマスターレギュレーターの分子構造・発がんメカニズム・治療標的

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

MYC(c-MYC)は、全ヒトがんの少なくとも約70%で制御異常が関与すると推定される、最も普遍的ながん遺伝子のひとつです[2]。細胞の増殖・代謝・分化・アポトーシスを束ねる「マスター転写因子」でありながら、長らく「創薬不可能(Undruggable)」の代名詞とされてきました。しかし近年、ペプチド医薬や分解誘導薬の進歩により、その壁はついに突破されつつあります。本記事では、MYCの分子構造から発がんのしくみ、最新の治療開発までを、臨床遺伝専門医がわかりやすく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 MYC・がん遺伝子・分子標的治療
臨床遺伝専門医監修

Q. MYC(マイク)遺伝子とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. MYCは細胞の増殖や代謝を全体的に押し上げる「マスター転写因子」をつくる遺伝子で、多くのがんで過剰にはたらいています。その多くは生まれつきの体質(生殖細胞系列)ではなく、がん細胞で後天的に起こる体細胞の異常(増幅・転座・分解の破綻)が原因です。そのためMYCは、出生前診断の検査対象というより、がんゲノム医療や遺伝性腫瘍カウンセリングを理解するうえでの基礎知識として重要な遺伝子です。

  • 分子の正体 → 439個のアミノ酸からなり、パートナーのMAXと組んでDNAの「E-box」に結合する転写因子
  • 発がんのしくみ → バーキットリンパ腫の染色体転座、固形がんの遺伝子増幅(約28%)、分解の破綻
  • なぜ創薬困難だったか → 決まった「くぼみ」を持たない天然変性タンパク質で、薬が結合しにくい
  • 治療の最前線 → OMO-103(Omomyc)が第I相を完了、WBC100・MRT-2359・CX-5461などが臨床試験中
  • 遺伝医療との接点 → がんゲノムプロファイリングの読み解き、遺伝性腫瘍カウンセリングの土台となる知識

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1. MYCとは:がんの「マスターレギュレーター」

MYC(c-MYC)は、細胞の増殖・代謝・分化・細胞周期・アポトーシス(プログラム細胞死)を総合的に制御する「マスター転写因子」をコードする遺伝子です[1]。その発見は1980年代初頭にさかのぼり、鳥類に白血病や肉腫を起こすウイルスのがん遺伝子「v-myc」の細胞内ホモログとして同定されました。のちに、神経芽腫で見つかったMYCN、肺がんで見つかったMYCLを加えた3つの「MYCファミリー」が形成されていることが分かっています。

MYCの重要性は、その関与の「広さ」にあります。33種類のヒトがんを対象としたゲノム解析(TCGA)では、MYCファミリー遺伝子の増幅が全腫瘍の約28%に認められ、これは単一の遺伝子異常としては極めて高い頻度です[2]。さらに転座やタンパク質安定性の異常などを含めると、全ヒトがんの少なくとも約70%で何らかのMYC制御異常が関与すると推定されています。MYCはがんの代謝リプログラミング、血管新生、転移、そして免疫からの逃避までを束ねる「司令塔」としてはたらいています[11]

💡 用語解説:転写因子(てんしゃいんし)

転写因子とは、DNAの特定の場所に結合して、遺伝子の「読み出し(転写)」をオン・オフするタンパク質のことです。いわば遺伝子のスイッチを操作する司令官で、MYCは数百〜数千もの遺伝子の活動を同時に底上げする、非常に影響力の大きい転写因子です。MYCがはたらきすぎると、細胞は増えるためのアクセルを踏みっぱなしの状態になります。

ここで遺伝医療の観点から大切なのは、MYCの異常の多くが「生まれつきの体質(生殖細胞系列変異)」ではなく、がん細胞で後天的に起こる「体細胞の異常」だという点です。つまりMYCは、ご家族に遺伝するかどうかを調べる出生前検査やキャリアスクリーニングの主な対象ではありません。むしろMYCは、がんゲノムプロファイリングの結果を理解したり、遺伝性腫瘍(HBOC・リンチ症候群など)のカウンセリングで「がんがどう動くのか」を説明するための基礎知識として位置づけられます。MYCそのものの正常なはたらきは全身の細胞に不可欠であり、ノックアウトマウスでは胚の段階で致死となることからも、その重要性がうかがえます[1]

2. MYCタンパク質の構造:なぜ薬が効きにくかったのか

ヒトのc-MYCは439個のアミノ酸からなるタンパク質で、大きく2つの部分に分けられます。ひとつはN末端側にある転写活性化ドメイン(TAD)で、ここには「MYCホモロジーボックス(MB0・MBI・MBII・MBIIIa・MBIIIb・MBIV)」と呼ばれる、進化的に強く保存されたモチーフが並んでいます。もうひとつはC末端側にある、DNA結合とパートナー結合を担うbHLH-LZドメインです。

MYCタンパク質のドメイン構造(439アミノ酸) N末端の転写活性化ドメイン(TAD)とC末端のbHLH-LZドメイン N末端 C末端 MB0 MBI MBII MBIIIa MBIIIb MBIV bHLH-LZ 転写活性化ドメイン(TAD) 補因子と一過性に結合する「無秩序」な領域 DNA結合 MAXと二量体

MYCのN末端側にはMB0〜MBIVが並ぶTADがあり、多数の補因子と一過性に結合する。C末端のbHLH-LZドメインはMAXと結合し、DNA上のE-boxに結合する。

💡 用語解説:天然変性タンパク質(IDP)

ふつうのタンパク質は、決まった立体構造(折りたたみ)を持っています。ところが天然変性タンパク質(Intrinsically Disordered Protein:IDP)は、決まった形を持たず、ひものようにゆらゆらと動いています。MYCのN末端側はまさにこのIDPで、薬がはまり込む「深いくぼみ(ポケット)」がありません。これがMYCを長く「創薬不可能」にしてきた最大の理由です。MYCはこの柔らかい領域を使い、相手に応じて形を変えながら多数のタンパク質と一瞬ずつ手をつなぐことで機能します。

特に重要なのがMBII領域で、ここは転写を助ける足場タンパク質TRRAP(ヒストンをアセチル化する酵素複合体の中核)と強く結合します。MYCがMBIIを介してTRRAPを呼び込むと、クロマチンがほどけて転写機構がアクセスしやすい状態になります[1]。一方MBI領域には、後で説明するタンパク質の寿命を決めるリン酸化部位が存在します。

3. MAXとの結合と「転写増幅器」としての機能

MYCは、単独ではDNAに結合できません。C末端のbHLH-LZドメインを使って、必須のパートナーであるMAX(マックス)とペア(ヘテロ二量体)を組んで初めて、DNA上の特定の配列「E-box(典型的にはCACGTG)」に強く結合できるようになります[1]

💡 用語解説:E-boxとbHLH-LZ

E-boxとは、遺伝子の調節領域にある「CACGTG」などの短い目印配列です。MYC-MAXのペアはこのE-boxを認識して止まり、近くの遺伝子の読み出しを活性化します。

bHLH-LZは「塩基性ヘリックス・ループ・ヘリックス・ロイシンジッパー」の略で、2本のタンパク質が互いにジッパーのようにかみ合ってペアを作り、DNAをつかむための構造です。MYCとMAXはこの部分でしっかり結合します。

MAXはMYCがなくても、MAX同士やMADファミリーと組むことができます。MAD-MAXのペアは逆に転写を抑える方向にはたらくため、細胞は「MYC-MAX(アクセル)」と「MAD-MAX(ブレーキ)」のバランスを調整することで、増殖と分化を精密にコントロールしています[1]

近年の研究で明らかになった重要な概念が、MYCは特定の遺伝子だけを選ぶのではなく、すでに動いているほぼすべての遺伝子の発現を全体的に底上げする「転写増幅器(Transcription Amplifier)」としてはたらく、というモデルです[2]。さらにMYCは、マクロファージの貪食を逃れる「Don’t eat me」シグナルのCD47や、T細胞の攻撃を無力化する免疫チェックポイント分子PD-L1の発現を高め、免疫の監視から逃れる環境を能動的に作り出します[11]。これは裏を返せば、MYCを抑えればがんの増殖を止めるだけでなく、宿主の免疫応答を呼び戻せる可能性を意味します。

💡 用語解説:免疫チェックポイント(PD-L1・CD47)

免疫チェックポイントとは、免疫細胞が暴走しないようにブレーキをかけるしくみです。がん細胞はこのブレーキを悪用し、PD-L1でT細胞の攻撃を止めたり、CD47でマクロファージに「食べないで」と合図を送ったりして、免疫から身を隠します。MYCはこれらの分子を増やすことで、がんを免疫の死角に置くのです。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【がん薬物療法の現場から見たMYC】

がん薬物療法専門医として日々のがん診療に向き合っていると、「効く薬がある標的」と「効く薬がなかった標的」の差を痛感します。MYCはまさに後者の代表で、これほど多くのがんを駆動しているのに、長らく直接たたく手段がありませんでした。だからこそ、MYCを抑えると増殖が止まるだけでなく免疫が動き出すという知見は、私にとって治療戦略の発想を変える大きなニュースでした。

免疫チェックポイント阻害薬の時代に育った私たちにとって、「がんを内側から動かす司令塔を止める」という発想は、これからの併用療法を考えるうえでの重要なピースになると感じています。研究はまだ途上ですが、基礎の理解が臨床の選択肢につながっていく過程を、現場で見守りたいと思っています。

4. 発がんのゲノム異常:転座・増幅・染色体外DNA

がんでのMYC異常の多くは、MYCタンパク質そのものの設計図を書き換える変異ではなく、正常なMYCが「異常に多く・止まらず」つくられてしまうゲノム構造の異常です[2]

バーキットリンパ腫の染色体転座

最も古典的なモデルが、バーキットリンパ腫の染色体転座です。患者の約80%で、第8染色体のMYC遺伝子座(8q24)が第14染色体の免疫グロブリン重鎖(IGH)遺伝子座と入れ替わるt(8;14)が起こります[12]。これによりMYCは本来の制御から切り離され、B細胞で非常に強くはたらくIGHエンハンサーの支配下に置かれ、止まらない過剰発現が引き起こされます。残りは第2染色体(κ軽鎖)とのt(2;8)が約15%、第22染色体(λ軽鎖)とのt(8;22)が約5%を占めます。

圧倒的なMYCの過剰発現は、極めて速い増殖と細胞死を同時に引き起こすため、組織を顕微鏡で見ると、死んだ細胞を食べるマクロファージが星のように散らばる「星空像(Starry sky)」という特徴的な像を呈します。なお、バーキットリンパ腫はマラリア流行地域である赤道アフリカでは小児がんの最も一般的な形態であり、EBV(エプスタイン・バール・ウイルス)との関連でも歴史的に重要な腫瘍です。

固形がんの遺伝子増幅と染色体外DNA(ecDNA)

乳がん・肺がん・前立腺がん・肝細胞がんなどの固形がんでは、MYCの「増幅(コピー数が異常に増える)」が最も一般的な原因です[2]。近年の解析では、この増幅が通常の染色体上だけでなく、染色体から切り離された輪っか状のDNA「染色体外DNA(ecDNA)」の上でしばしば起こることが分かってきました。

💡 用語解説:染色体外DNA(ecDNA)

ecDNAは、染色体から飛び出して輪っかになった小さなDNAです。染色体と違って細胞分裂のときに均等に分けられないため、一部の娘細胞にMYCのコピーが爆発的にたまることがあります。その結果、がんの中に遺伝的なばらつき(不均一性)が生まれ、抗がん剤への抵抗性が素早く獲得される一因になると考えられています。

なおMYCファミリーのうちMYCN(N-Myc)の増幅は神経芽腫の予後不良因子として有名で、網膜芽細胞腫では「MYCN増幅型」という、RB1正常でも発症する特殊なサブタイプが知られています。同じMYCファミリーでも、がん種によって主役の遺伝子が異なるのが特徴です。

5. リン酸化と分解:MYCの寿命を決めるスイッチ

正常な細胞では、MYCタンパク質の半減期はわずか20〜30分と極端に短く設定されています[13]。これは、増殖シグナルが来たときだけ素早く反応し、シグナルが消えたら直ちにMYCを壊すことで、無秩序な増殖を防ぐ精巧な安全装置です。この分解のスイッチとなるのが、MBI領域にあるセリン62(Ser62)とスレオニン58(Thr58)という2つのアミノ酸の、順序立った「連続リン酸化」です。

リン酸化によるMYCの安定化と分解 Ser62で安定化 → Thr58で分解のスイッチが入る MYC 半減期20〜30分 ERK Ser62-P 安定化 GSK3β Thr58-P 分解の合図 FBXW7 ユビキチン化 分解の目印を付与 プロテアソームで分解 がんではThr58の変異などで この分解経路が回避される

ERKなどがSer62をリン酸化するとMYCは一時的に安定化する。続いてGSK3βがThr58をリン酸化すると、二重リン酸化されたMYCがFBXW7に認識され、ユビキチン化を経てプロテアソームで分解される。

流れを整理すると、まず増殖シグナルでERKなどがSer62をリン酸化し、MYCを一時的に安定化させます。続いてGSK3βという酵素がThr58をリン酸化すると、これが分解の合図になります。両方がリン酸化された「二重リン酸化MYC」は、ユビキチンリガーゼ複合体の認識役FBXW7に捕まり、ユビキチンの目印を付けられてプロテアソームで速やかに分解されます[13]

💡 用語解説:ユビキチン・プロテアソーム系

細胞の中で、不要になったタンパク質に「ユビキチン」という小さな目印を付け、「プロテアソーム」という分解装置(細胞のゴミ処理施設)へ送って壊すしくみです。MYCのように寿命を短く保ちたいタンパク質ほど、この経路で素早く処理されています。FBXW7は、分解すべきMYCを正しく選び出す「仕分け係」にあたります。

多くのがんでは、この分解システムが破綻します。バーキットリンパ腫などではThr58そのものに点突然変異(ミスセンス変異)が起こり、GSK3βがリン酸化できなくなるためFBXW7に捕まらず、MYCが壊されずに溜まり続けます[2]。Thr58は変異の「ホットスポット」として知られています。

💡 用語解説:ミスセンス変異(点突然変異)

DNAの1文字だけが置き換わり、その結果タンパク質のアミノ酸が1つ別のものに変わってしまう変異をミスセンス変異といいます。たった1文字の変化でも、今回のThr58のように「分解の目印を付けられる場所」が失われると、タンパク質が壊れなくなり、がん化を後押しすることがあります。なお、がん抑制遺伝子の代表であるTP53(p53)でも、ミスセンス変異が病態の中心になります。

分解の仕分けに関わる酵素という意味では、E3ユビキチンリガーゼとして二面性を持つCBL遺伝子も、がんと深く関わる例として知られています。タンパク質を「いつ・どれだけ壊すか」の制御は、がん化を理解するうえで欠かせない視点です。

6. 「創薬不可能」からの突破:治療開発の最前線

MYCは全ヒトがんの約70%に関わる究極の標的でありながら、前述のとおり決まった結合ポケットを持たない天然変性タンパク質であるため、長く「Undruggable(創薬不可能)」とされてきました[3]。しかし過去10年で、MYCを一時的に全身で抑えても正常組織への影響は可逆的で許容できる一方、がん細胞はMYCに強く依存しているため退縮することが動物実験で示され、開発が一気に加速しました[10]

ヒトがんにおけるMYC制御異常の広がり

増幅のみ(TCGA・約28%)と、転座・安定化異常を含めた全制御異常(約70%)

約28%
約70%

遺伝子増幅

(33がん種・TCGA)

全制御異常

(増幅+転座+安定化)

MYCはヒトがんで最も広く関与する標的のひとつ。だからこそ、これを安全に制御できれば多くのがん種に波及効果が期待されます。

世界初の臨床MYC阻害薬「OMO-103(Omomyc)」

直接阻害で最も進んだのがOMO-103(Omomyc)です。これはMYCのbHLH-LZドメインに変異を加えた治療用ミニタンパク質で、内因性のMYCやMAXと結合し、転写不活性なペアを作ってE-boxを占拠することで、本来のMYCがDNAに近づくのを物理的にブロックします[4]。2024年に発表された第I相試験では、2〜12ラインの治療歴を持つ進行固形がん患者22名を対象に、安全性が確認されました。最も多い有害事象はGrade 1の投与関連反応(10名)にとどまり、9週時点の評価に到達した12名のうち8名で病勢が安定化(SD)。膵管腺癌の患者では半年以上にわたり臨床的恩恵が得られました[4]。現在は膵管腺癌での化学療法併用(第Ib相)や、進行性骨肉腫を対象とした「OSTEOMYC試験」(第II相)へと展開しています。

分解誘導薬・分子接着薬という新しい武器

阻害ではなく「壊す」アプローチも登場しています。WBC100は、MYC内に新たに見つかった結合可能なポケットに結合し、E3ユビキチンリガーゼCHIPを呼び込んでMYCを強制的に分解させる経口の分解誘導薬です[6]。中国で進行する第I相試験(NCT05100251)の発表データでは、有効性評価可能な19名のうち1名で部分奏効、6名で病勢安定が得られ、特に膵管腺癌で有望な活性が報告されています[5]

💡 用語解説:分解誘導薬(PROTAC・分子接着薬)

従来の薬は標的の「はたらきを止める」ものでしたが、分解誘導薬は標的を細胞の分解システムに無理やりつなぎ、「丸ごと壊す」薬です。標的と分解装置の橋渡しをする設計で、PROTACや分子接着薬(モレキュラーグルー)と呼ばれます。形のはっきりしないMYCのような難しい標的にも、新しい攻め方を与えてくれる技術として注目されています。

MYCの「弱点」を突く間接的なアプローチもあります。MRT-2359は、翻訳終結因子GSPT1を分解する分子接着薬で、タンパク質合成に過度に依存するMYC駆動型がんを狙い撃ちします[7]。2026年のASCO GU(泌尿生殖器がんシンポジウム)で発表された第I/II相(NCT05546268)では、エンザルタミドとの併用により、アンドロゲン受容体(AR)リガンド結合領域に変異を持つ去勢抵抗性前立腺がんのサブグループ(5名)でPSA50/90が100%、全評価可能例での病勢コントロール率は67%(10/15)と報告されました[7]

さらにDNA構造を狙う戦略として、MYCプロモーターに形成されるG-quadruplex(グアニン四重鎖)を安定化するCX-5461(Pidnarulex)があります。これはトポイソメラーゼIIをトラップしてDNA二重鎖切断を起こす「Top2ポイズン」として作用し、相同組換え修復に欠陥を持つがん(BRCA変異など)に合成致死をもたらす可能性が示されています[9]。低分子では、MYCとMAXの結合を壊しMYCの安定性を下げるMYCi975が、前臨床で抗腫瘍効果に加え、抗PD-1免疫療法との併用で相乗効果を示しています[8]

💡 用語解説:合成致死(synthetic lethality)

2つの機能のどちらか片方が欠けても細胞は生きられるのに、両方が同時に止まると死んでしまう関係を「合成致死」といいます。たとえばBRCA変異でDNA修復の一方の経路がすでに弱っているがん細胞に、もう一方を止める薬を効かせると、正常細胞は無事でもがん細胞だけが死にます。がん細胞の弱点を選んでたたく、賢い治療戦略です。

こうした多角的な進歩により、MYC研究は「薬にできるのか(If)」を問う段階を終え、「どの方法を、いつ、どのがんに使うのか(When/How)」という実践的な段階に入りつつあります[3]

7. 遺伝医療との接続:MYCをどう活かすか

ここで改めて、MYCと遺伝医療の関係を整理します。前述のとおりMYC(c-MYC)は主に体細胞(がん細胞)で後天的に起こる異常であり、ご家族に受け継がれる生殖細胞系列の検査対象ではありません。そのため、出生前診断(NIPT)やキャリアスクリーニングでMYCそのものを調べることはなく、その意味でMYCは「研究・がんゲノム医療の知識」として位置づけるのが正直なところです。

一方で、MYCの理解は次の3つの場面で確実に役立ちます。第一に、がんゲノムプロファイリング検査の結果に「MYC増幅」などの記載が出たとき、それが何を意味し、どんな治療開発につながっているのかを理解する助けになります。第二に、遺伝性腫瘍(HBOC・リンチ症候群など)のカウンセリングで、「がんがどのように動くのか」という全体像を説明する土台になります。第三に、転写・増幅・転座・分解といった概念は、あらゆるがん遺伝子に共通する「文法」であり、MYCはその学習にうってつけの題材です。

当院では、こうしたがんの分子の知識を一方的に押し付けるのではなく、ご本人・ご家族が納得して選択できるよう、遺伝カウンセリングの枠の中で丁寧にお話しすることを大切にしています。臨床遺伝専門医は、検査の数値そのものだけでなく、「その結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任として伴走する立場です。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【検査結果の「MYC」をどう受け止めるか】

遺伝性腫瘍のカウンセリングをしていると、患者さんやご家族が、がんゲノム検査のレポートに並ぶ遺伝子名を前に不安そうにされることがよくあります。「MYC増幅」と書かれていても、それは「あなたの体質が悪い」という意味ではなく、多くの場合がん細胞の中で起きた後天的な変化です。まずこの違いをお伝えするだけで、肩の力が抜ける方は少なくありません。

臨床遺伝専門医として大切にしているのは、分子の言葉を「正確に、そして決めつけずに」翻訳することです。MYCの治療はまだ研究段階のものが多く、すぐに使える薬として保証できる段階ではありません。だからこそ、過度な期待も不安もあおらず、いま分かっていることを誠実にお伝えし、判断はご家族に委ねる——その姿勢を貫きたいと思っています。

8. よくある誤解

誤解①「MYCの異常は遺伝するの?」

c-MYCの異常の多くは、がん細胞の中で後天的に起こる体細胞の変化です。ご家族に受け継がれる生まれつきの体質とは異なり、出生前診断やキャリア検査の対象ではありません。

誤解②「MYCを止める薬はもう普通に使える」

OMO-103などが臨床試験で有望な結果を示していますが、いずれもまだ試験段階です。標準治療として確立した薬ではなく、今後の検証が必要な領域です。

誤解③「MYCはがんだけの悪い遺伝子」

MYCは正常な細胞の増殖・再生にも必要不可欠な遺伝子です。完全に失うと胚は生存できません。「使いすぎ」が問題なのであって、遺伝子そのものが悪なのではありません。

誤解④「MYCとMYCN・MYCLは同じもの」

3つは似たファミリーですが、主役となるがん種が異なります。MYCNは神経芽腫、MYCLは肺がんと関連が深く、それぞれ別の遺伝子として扱われます。

9. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「創薬の墓場」が動き出した時代に】

MYCは長く「創薬の墓場」と呼ばれてきました。これほど多くのがんを動かす中心人物なのに、決まった形を持たないために、誰も直接たたけなかったのです。その壁が、ペプチド医薬や分解誘導薬といった新しい技術で、いま静かに崩れ始めています。基礎研究の積み重ねが臨床に届いていく様子は、医療に携わる者として深く心を動かされます。

同時に、誠実でありたいとも思います。MYCの治療はまだ研究段階のものが大半で、日本で誰もが使える薬になったわけではありません。だからこそ、患者さんやご家族には、希望と現実の両方をきちんとお伝えすることが大切です。この記事が、いま世界でMYCをめぐって何が起きているのかを知る一助となれば幸いです。

よくある質問(FAQ)

Q1. MYCの異常は子どもに遺伝しますか?

c-MYCの異常の多くは、がん細胞の中で後天的に生じる体細胞の変化であり、生まれつきの体質として受け継がれるものではありません。そのため、ご家族に遺伝するかを心配して出生前診断を受ける必要がある遺伝子ではありません。気になる点があれば、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングでご相談いただけます。

Q2. なぜMYCは「創薬不可能」と言われてきたのですか?

MYCは決まった立体構造を持たない「天然変性タンパク質」で、薬がはまり込む深いくぼみ(ポケット)がありません。また、相手のタンパク質と広く平らな面で一瞬ずつ結合して機能するため、低分子の薬で邪魔しにくいのです。この2つの理由から、長く創薬が困難とされてきました。

Q3. OMO-103(Omomyc)はもう使える薬ですか?

OMO-103は進行固形がんの第I相試験を完了し、安全性と一定の抗腫瘍活性が示されましたが、まだ承認された薬ではありません。現在は膵管腺癌での併用試験や、骨肉腫を対象とした第II相試験(OSTEOMYC)が進行中の段階です。標準治療として使えるようになるには、さらなる検証が必要です。

Q4. MYCとMYCN、MYCLは何が違うのですか?

3つはよく似た「MYCファミリー」ですが、主に関わるがん種が異なります。c-MYCは多くの固形がんや血液がんに、MYCN(N-Myc)は神経芽腫に、MYCL(L-Myc)は肺がんに関連が深いことで知られます。構造や機能の基本は共通していますが、別々の遺伝子として扱われます。

Q5. がんゲノム検査で「MYC増幅」と出ました。どう受け止めればよいですか?

「MYC増幅」は、がん細胞の中でMYC遺伝子のコピー数が増えていることを示す所見で、多くの場合は後天的な変化です。これ自体がすぐに特定の治療に直結するわけではありませんが、がんの性質を理解する手がかりになります。結果の意味づけや今後の方針については、臨床遺伝専門医や担当医とよくご相談ください。

Q6. バーキットリンパ腫はMYCとどう関係していますか?

バーキットリンパ腫は、MYC遺伝子と免疫グロブリン遺伝子が入れ替わる染色体転座(多くはt(8;14))によって、MYCが止まらずに過剰発現する代表的な腫瘍です。MYCの発がんメカニズムを理解するうえで、歴史的にも最も重要なモデルのひとつとされています。

Q7. MYCを抑えると免疫が回復するというのは本当ですか?

MYCはPD-L1やCD47といった「免疫から隠れるための分子」の発現を高めることが知られています。そのため、MYCを薬で抑えると、がん細胞の増殖を止めるだけでなく、宿主の免疫応答を呼び戻せる可能性が研究で示唆されています。免疫療法との併用は、今後の重要な研究テーマのひとつです。

Q8. ミネルバクリニックでMYCの検査や治療は受けられますか?

c-MYCは体細胞のがん遺伝子であり、当院が提供する生殖細胞系列の検査(出生前診断・キャリアスクリーニング等)の対象ではありません。当院では、がんゲノム医療や遺伝性腫瘍に関する知識の整理や、検査結果の受け止め方について、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングの形でご相談を承っています。

🏥 がん遺伝子・遺伝性腫瘍のご相談

MYCをはじめとするがん遺伝子や
遺伝性腫瘍(HBOC・リンチ症候群など)に関するご相談は
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにお気軽にどうぞ。

参考文献

  • [1] MYC function and regulation in physiological perspective. Front Cell Dev Biol / PMC. [PMC10627926]
  • [2] The MYC oncogene — the grand orchestrator of cancer growth and immune evasion. Nat Rev Clin Oncol / PMC. [PMC9083341]
  • [3] Therapeutic targeting of “undruggable” MYC. EBioMedicine / PMC. [PMC8713111]
  • [4] Garralda E, et al. MYC targeting by OMO-103 in solid tumors: a phase 1 trial. Nat Med. 2024. [PubMed 38321218] / [PMC10957469]
  • [5] Fu Q, et al. Safety and efficacy of a small-molecule c-Myc degrader WBC100 in solid tumors: A first-in-human, phase I trial. J Clin Oncol. 2025 (abstract 3120). [ASCO/JCO]
  • [6] A Selective Small-Molecule c-Myc Degrader Potently Regresses Lethal c-Myc Overexpressing Tumors (WBC100). Adv Sci / PMC. [PMC8922104]
  • [7] A phase 1/2 study of MRT-2359, a GSPT1 molecular glue degrader, plus enzalutamide in mCRPC harboring AR LBD mutations. ASCO GU 2026 / J Clin Oncol. [ASCO/JCO]
  • [8] Han H, et al. Small-Molecule MYC Inhibitors Suppress Tumor Growth and Enhance Immunotherapy (MYCi975). Cancer Cell. 2019. [Cancer Cell]
  • [9] A first-in-class clinical G-quadruplex-targeting drug: bench-to-bedside translation of CX-5461 (Pidnarulex). PubMed. [PubMed 36195286]
  • [10] Rethinking MYC inhibition: a multi-dimensional approach to overcome cancer’s master regulator. Front Cell Dev Biol. 2025. [Frontiers]
  • [11] The MYC oncogene is a global regulator of the immune response. Blood. [Blood / ASH]
  • [12] MYC Deregulation in Burkitt Lymphoma. Encyclopedia (MDPI). [Encyclopedia MDPI]
  • [13] Phosphorylation-dependent degradation of c-Myc is mediated by the F-box protein Fbw7. EMBO J / PMC. [PMC424394]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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