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トリプルネガティブ乳がん(TNBC)とは?分子サブタイプから最新の抗体薬物複合体・免疫療法・BRCA遺伝子まで遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(遺伝専門医)

臨床遺伝専門医・がん薬物療法専門医・総合内科専門医。のべ10万人以上の意思決定に伴走。遺伝性腫瘍を含む遺伝診療の視点から、医学情報を根拠にもとづいてお伝えします。

乳がんと一口に言っても、その中身はさまざまです。なかでもトリプルネガティブ乳がん(TNBC)は、ホルモン受容体(エストロゲン受容体・プロゲステロン受容体)とHER2という3つの目印がそろって「陰性」であるタイプで、これまで使える薬が限られてきました。しかし近年、遺伝子の解析が進んだことで、TNBCが実はいくつもの顔を持つ病気であることがわかり、免疫療法・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)といった新しい治療が次々と登場しています。この記事では、TNBCとは何か、BRCA遺伝子との関わり、そして最新治療の進歩までを、遺伝専門医の視点から医学的根拠にもとづいて解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 TNBC・分子サブタイプ・BRCA・ADC
遺伝専門医監修

Q. トリプルネガティブ乳がん(TNBC)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. トリプルネガティブ乳がんとは、エストロゲン受容体(ER)・プロゲステロン受容体(PR)・HER2という3つの目印がいずれも陰性の乳がんのことです。全乳がんの約15〜20%を占め、ホルモン療法や従来のHER2を狙う薬が効きにくいという特徴があります。以前は抗がん剤が治療の中心でしたが、いまは遺伝子の解析にもとづいて、免疫療法・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)といった新しい治療が使えるようになり、成績が大きく改善しています。TNBCではBRCA1/2の生殖細胞系列病的バリアントの頻度が他の乳がんサブタイプより高く、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)との関係から、遺伝カウンセリングが大切な役割を担います。

  • 正体 → ER・PR・HER2がすべて陰性の乳がん。全乳がんの約15〜20%を占める
  • ひとつの病気ではない → 遺伝子の発現パターンで複数のサブタイプに分かれる不均一な病気
  • 遺伝との関わり → BRCA1/2の生殖細胞系列変異は他の乳がんサブタイプより頻度が高く、HBOCと結びつく
  • 治療の進歩 → 免疫療法・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)が登場し成績が改善
  • 遺伝診療の役割 → BRCA検査の結果が治療選択に直結し、遺伝カウンセリングが重要になる

🧬 トリプルネガティブ乳がんの基本情報

項目 内容
読み方・略称 トリプルネガティブにゅうがん/TNBC(Triple-Negative Breast Cancer)
定義 エストロゲン受容体(ER)・プロゲステロン受容体(PR)・HER2がいずれも陰性の乳がん
頻度 全乳がんの約15〜20%を占める[1]
特徴 若年で診断される割合が高く、内臓転移をきたしやすい。再発リスクは診断後およそ3年でピークを迎える傾向[1][23]
遺伝との関わり BRCA1/2の生殖細胞系列変異は他の乳がんサブタイプより頻度が高く、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)と結びつく
主な治療 抗がん剤に加え、免疫チェックポイント阻害薬・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)

※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた解説です。特定の検査や治療を勧めるものではありません。治療方針は必ず主治医とご相談ください。

1. トリプルネガティブ乳がん(TNBC)とは

乳がんは、がん細胞の表面や内部にある「目印(受容体)」の有無によって、治療方針が大きく変わります。代表的な目印が、女性ホルモンを受け取るエストロゲン受容体(ER)とプロゲステロン受容体(PR)、そして細胞の増殖にかかわるHER2(ヒト上皮成長因子受容体2)です。トリプルネガティブ乳がん(TNBC)とは、この3つの目印がいずれも陰性、つまり「トリプル(3つ)」が「ネガティブ(陰性)」の乳がんを指します。全乳がんのうち、およそ15〜20%がこのタイプにあたります[1]

💡 用語解説:受容体(レセプター)とは

受容体とは、細胞が外からの信号(ホルモンや成長因子など)を受け取るための「アンテナ」のようなものです。乳がんの治療では、ホルモンの受容体(ERやPR)があれば、その働きを抑えるホルモン療法が効きます。HER2という受容体が多ければ、HER2を狙った薬が効きます。トリプルネガティブ乳がんは、これらのアンテナがそろって少ないため、こうした薬が効きにくい、というのが出発点になります。

なぜ3つの目印が陰性だと問題になるのでしょうか。それは、乳がん治療で大きな柱となってきた「ホルモン療法」と「HER2を狙う治療」が、いずれも標的とする目印を欠いているため使えないからです[1]。そのためTNBCでは、長いあいだ殺細胞性抗がん剤(従来の抗がん剤)が治療の主役でした。特定の狙いどころ(分子標的)が見つからない、いわば「標的のないがん」と見なされてきた時期が続いたのです。

TNBCには、臨床的にいくつかの特徴があります。ほかのタイプの乳がんと比べて、若年で診断される割合が高く、脳や肺などの内臓への転移をきたしやすい傾向があります[1]。また、再発のリスクは診断後およそ3年でピークを迎え、その後は低下するという特徴が報告されています[23]。診断から5年以降は、TNBCに特徴的な再発リスクの上乗せが小さくなることも報告されています[23]。この時間経過による再発リスクの変化は、TNBCを理解するうえで大切なポイントです。

この10年ほどで、TNBCをめぐる状況は大きく変わりました。次世代シーケンサー(一度に大量の遺伝情報を読み取る装置)や、複数の分子情報を統合して解析するマルチオミクス解析が進歩したことで、TNBCが単一の病気ではなく、遺伝子レベルで見ると非常に多様な顔を持つ病気の集まりであることが明らかになったのです[2]。この理解は、免疫療法やPARP阻害薬、抗体薬物複合体(ADC)といった新しい治療の開発につながりました。次章では、まずこの「多様な顔」=分子サブタイプから見ていきます。

2. 分子サブタイプ ─ 「ひとつの病気ではない」という発見

TNBCは、遺伝子の使われ方(遺伝子発現プロファイル)にもとづいて、いくつかの明確なサブタイプに分けられます。この分類は、単に病気の見通しを予測するだけでなく、どの治療が効きやすいかを予測する手がかりにもなります。

Lehmann分類とTNBCtype-4への洗練

2011年、Lehmannらは遺伝子発現の解析を用いて、TNBCを6つのサブタイプ(BL1、BL2、IM、M、MSL、LAR)に分類しました[24]。その後の研究で、このうち免疫調節(IM)や間葉系幹細胞様(MSL)というサブタイプの特徴は、がん細胞そのものではなく、がんに入り込んだ免疫細胞や間質細胞に由来することがわかりました[3]。そこで、がん細胞そのものの性質にしぼって、次の4つのサブタイプ(TNBCtype-4)へと整理されました[3]

🧬 TNBCの4つの分子サブタイプ(TNBCtype-4)

サブタイプ(略称) 生物学的な特徴と治療感受性
Basal-like 1
(BL1)
細胞周期やDNA修復にかかわる遺伝子の働きが高い。TNBCtype-4を用いた解析では、術前化学療法に対する病理学的完全奏効率が他のサブタイプより高かったタイプ[3]
Basal-like 2
(BL2)
成長因子シグナルや筋上皮のマーカーが豊富。BL1に比べ抗がん剤への反応は低め[3]
Mesenchymal
(M)
上皮間葉移行(EMT)や成長因子経路の働きが高く、浸潤性・転移能が高い傾向[3]
Luminal Androgen Receptor
(LAR)
男性ホルモンを受け取るアンドロゲン受容体(AR)に駆動される。増殖は遅いが抗がん剤への反応は低め。AR阻害薬の標的になりうる

※EMT(上皮間葉移行)=がん細胞が動きやすい性質へ変化する現象。プラチナ製剤=白金を含む抗がん剤(カルボプラチン等)。

💡 用語解説:DNA修復とプラチナ製剤の関係

私たちの細胞は、傷ついたDNAを直す「修理工」の仕組みを持っています。BL1タイプはこの修理工の働きに関する遺伝子が特徴的で、DNAに傷をつけて攻撃するプラチナ製剤が効きやすいと考えられています。あとで出てくるBRCA遺伝子の変化も、この「DNAの修理工」の一部が働かなくなる状態で、治療の効きやすさと深く関わります。

サブタイプ別治療を臨床で検証したFUTURE試験

サブタイプ分類にもとづく治療が本当に効くのかを、臨床試験で確かめたのが中国の研究グループです。このグループはTNBCを、LAR・IM(免疫調節)・BLIS(免疫抑制型のBasal-like)・MES(間葉系)の4つに再分類し、それぞれに合う治療標的を見つけました[2]

この分類を使った「FUTURE試験」では、何度も治療を受けてきた難治性の転移性TNBC患者141名に対し、免疫染色と遺伝子解析にもとづいて7つの治療グループに振り分けました[4]。全体の奏効率(腫瘍が縮小した割合)は29.8%でしたが、特に免疫療法を用いたグループ(IMサブタイプに対する抗PD-1抗体+抗がん剤)では、52.6%という高い奏効率が示されました[21]。さらに初回治療を対象にした後続のFUTURE-SUPER試験でも、サブタイプにもとづく治療群は対照群より無増悪生存期間(がんが進行せずにいられる期間)を有意に延長しました[22]。TNBCでも、遺伝子の性質に合わせて治療を選ぶ「プレシジョン・メディシン(精密医療)」が有効であることを示した、重要な成果です。

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3. BRCA遺伝子とHBOC ─ TNBCと遺伝の深い関係

TNBCを語るうえで欠かせないのが、BRCA1・BRCA2という遺伝子との関わりです。BRCA1BRCA2は、いずれも傷ついたDNAを正確に修復する「相同組換え修復」という仕組みの中心を担う遺伝子です。この遺伝子に生まれつきの変化(生殖細胞系列変異)があると、乳がんや卵巣がんになりやすくなります。これが遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)です。

💡 用語解説:生殖細胞系列変異とは

体の遺伝子の変化には、大きく2種類あります。生まれつき全身の細胞が持っている変化を「生殖細胞系列変異(germline variant)」といい、これは子どもに受け継がれる可能性があります。一方、生きているあいだにがん細胞などで後から起こる変化を「体細胞変異(somatic variant)」といい、こちらは遺伝しません。BRCA遺伝子の生殖細胞系列変異は、遺伝性のがんに関わるため、ご本人だけでなくご家族にとっても意味を持ちます。

TNBCは、ほかのタイプの乳がんに比べて、このBRCA1/2の生殖細胞系列変異を持つ割合が高いことが知られています。大規模研究では、家族歴・年齢・病期・ホルモン受容体の状態などで選択していない乳がん全体における生殖細胞系列BRCA1/2病的変異の頻度は約3%と報告される一方、無選択のTNBCでは約9〜15%と、より高い割合が報告されています[5]。BRCA1に変化がある方の乳がんは、TNBCの形をとることが特に多い、という特徴もあります。つまり、TNBCという診断そのものが、遺伝性のがんの可能性を考えるきっかけになりうるのです。

なぜこの関係が重要なのでしょうか。理由は2つあります。1つめは、後で述べるPARP阻害薬という治療の効きやすさが、BRCA変異の有無に直結するからです。2つめは、遺伝性であることがわかれば、ご本人の別のがん(卵巣がんなど)への備えや、ご家族の健康管理にもつながるからです。このため、TNBCと診断された方では、BRCA遺伝子を調べる遺伝学的検査が治療選択と密接に結びついています。同じ「DNAの修理工」に関わるBARD1は乳がん感受性遺伝子のひとつです。一方、BRIP1は卵巣がんリスクとの関連が確立していますが、乳がんリスクとの関連は否定的なエビデンスが蓄積しています[19]

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「がんのタイプ」と「遺伝子」は地続きです】

臨床遺伝専門医として文献と遺伝医学の原則を踏まえると、同じ遺伝子の変化でも、その性質によって意味合いが変わります。TNBCという診断は、顕微鏡やホルモン受容体の検査から下されますが、その背景にBRCAのような遺伝子の変化が隠れていることがあります。

大切なのは、「乳がんのタイプ」という臨床の情報と、「遺伝子」という設計図の情報が、切り離せずつながっているという視点です。遺伝子を調べることは、治療を選ぶためであると同時に、ご本人とご家族のこれからの健康を考えるための材料にもなります。どこまで調べるか、結果をどう受け止めるかは、中立の立場で一緒に整理していく領域だと考えています。

4. 早期TNBCの治療 ─ 免疫療法という転換点

ここからは、実際の治療の進歩を見ていきます。まずは、転移していない「早期」のTNBCです。早期TNBCの治療は、長らくアントラサイクリン系やタキサン系といった抗がん剤による、手術前後の化学療法が標準でした。ここに大きな変化をもたらしたのが、免疫チェックポイント阻害薬です。

💡 用語解説:免疫チェックポイント阻害薬とは

私たちの体には、がん細胞を攻撃する免疫の力があります。ところが、がん細胞は免疫にブレーキをかけて攻撃を逃れることがあります。免疫チェックポイント阻害薬は、このブレーキを外して、免疫が本来の力でがんを攻撃できるようにする薬です。ペムブロリズマブは、その代表的な薬のひとつです。

手術前後のペムブロリズマブ(KEYNOTE-522試験)

ステージIIまたはIIIの再発リスクが高い早期TNBCを対象とした「KEYNOTE-522試験」は、手術前の化学療法(パクリタキセル+カルボプラチンなど)に免疫チェックポイント阻害薬ペムブロリズマブを上乗せし、手術後もペムブロリズマブを続ける治療の効果を調べました[6]。この試験では1174名が、ペムブロリズマブ群とプラセボ(偽薬)群に2対1で振り分けられました[6]

結果は明確でした。手術時にがんが完全に消えていた割合(病理学的完全奏効:pCR)が向上しただけでなく、追跡期間の中央値が約75か月に達した最終解析では、5年時点の全生存率が86.6%対81.7%(ハザード比0.66、P=0.002)と、ペムブロリズマブ群で統計的にも意味のある生存の延長が示されました[6][7]。この結果を受けて、ペムブロリズマブを組み込んだ手術前後の治療は、PD-L1という目印の発現状況にかかわらず、早期TNBCの国際的な標準治療となりました。

💡 用語解説:ハザード比(HR)とは

ハザード比は、追跡期間中に死亡や再発などの出来事が起こる速さを2つの群で比較する指標です。1より小さいほど治療群で出来事が起こる速さが低いことを示します。たとえばハザード比0.66は、追跡期間全体でみた死亡のハザードが対照群より34%低かったことを示しますが、「死亡率が34ポイント下がった」という意味ではありません。

⚠️ 免疫療法には特有の副作用があります

免疫のブレーキを外す治療には、免疫関連有害事象(irAE)と呼ばれる特有の副作用があります。なかでも甲状腺機能低下症などの内分泌(ホルモン)の異常が比較的多く報告されており、これらは元に戻らず、生涯にわたるホルモン補充が必要になる場合もあります。治療中・治療後を通じた継続的な観察が欠かせません。副作用の管理は、必ず主治医のもとで行われます。

手術後に病変が残った場合の治療(CREATE-X試験)

手術前の化学療法を行っても、手術時にがんが残っていた(病理学的完全奏効が得られなかった)TNBCの方は、再発のリスクが高いことが知られています。こうした方への手術後の追加治療として、経口の抗がん剤カペシタビンの有効性を示したのが、日本の研究者が主導した「CREATE-X試験」です。この試験では、TNBCの方へのカペシタビン投与により、TNBCサブグループの5年無病生存率が56.1%から69.8%へと改善し、再発等のリスクが有意に減少しました[8]。免疫療法が主流となった現在でも、病変が残った方への治療をどう組み立てるかは、重要な課題であり続けています。

5. PARP阻害薬 ─ BRCA変異を「弱点」に変える治療

BRCA遺伝子の変化が関わるTNBCで、特に注目されているのがPARP阻害薬という治療です。これは、がん細胞が抱える「DNA修復の弱点」を利用する、遺伝子の性質にもとづいた治療の代表例です。

💡 用語解説:PARP阻害薬と「合成致死」の仕組み

細胞は、DNAの傷を直すための複数の修理経路を持っています。BRCA遺伝子に変化があると、そのうちの1つ(相同組換え修復)が働きません。ここでPARP阻害薬によってPARP1/2の酵素活性を阻害し、PARPをDNA損傷部位に捕捉(PARP trapping)すると、複製時のDNA損傷が増えます。相同組換え修復が欠損したがん細胞ではこの損傷を適切に修復できず、細胞死に至りやすくなります。このように、一方の異常だけでは生存できても別の弱点を同時に阻害すると細胞が生きられなくなる現象を「合成致死」といいます。正常な細胞はBRCAが働いているので影響を受けにくく、BRCA変異のあるがん細胞だけを狙い撃ちできる、というのがこの治療の基本的な考え方です。

DNA修復の相同組換えがうまく働かない状態を、まとめてHRD(相同組換え修復欠損)と呼びます。BRCA1/2の変異は、このHRDを引き起こす代表的な原因です。

BRCA変異相同組換え修復が働かない
PARP阻害薬PARP阻害・PARP trapping
DNAを直せない傷が蓄積する
がん細胞が死ぬ=合成致死

手術後のオラパリブ(OlympiA試験)

生殖細胞系列のBRCA1またはBRCA2に変異を持つ、再発リスクの高い早期の乳がん(TNBCを含むHER2陰性乳がん)を対象に、PARP阻害薬オラパリブを1年間投与する効果を調べたのが「OlympiA試験」です[9]。この試験には1836名が参加しました[10]

結果は、オラパリブ群がプラセボ群に比べて、再発や死亡のリスクを有意に減らすというものでした。追跡期間の中央値3.5年での解析では、4年の全生存率が90%対86%と、オラパリブ群で有意な改善が示されています[10]。4年の浸潤性疾患無病生存率も83%対75%と、再発を抑える効果が確認されました[10]。長期のフォローでも、急性骨髄性白血病などの重い二次発がんが有意に増えることはなく、安全性の面でも許容できる結果でした[10]。BRCA変異を調べることが、そのまま有効な治療の選択につながる、遺伝子検査の意義がよくわかる例です。

6. 進行・再発TNBCの治療 ─ 選択肢はどう決まるか

がんが転移した進行・再発のTNBC(mTNBC)では、全身に効く薬物療法が中心になります。どの治療を最初に選ぶかは、主に3つの情報で決まります。PD-L1という目印の発現の程度、BRCA遺伝子変異の有無、そして前の治療からどれくらい時間が経っているかです。

1次治療のペムブロリズマブ(KEYNOTE-355試験)

まだ治療を受けていない進行・再発TNBCを対象に、抗がん剤へのペムブロリズマブ上乗せの効果を調べたのが「KEYNOTE-355試験」です[11]。この試験では、PD-L1の発現の程度を示す「CPS」という指標で患者さんを分けて解析しました。その結果、PD-L1陽性(CPS 10以上)のグループで、ペムブロリズマブ群が大きな効果を示しました。無増悪生存期間の中央値は9.7か月(対照群5.6か月)、全生存期間の中央値は23.0か月(対照群16.1か月、ハザード比0.73)となり、死亡リスクの有意な低下が示されています[11]。この結果から、PD-L1 CPS 10以上の進行・再発TNBCでは、ペムブロリズマブ+抗がん剤が標準治療のひとつとなっています。

💡 用語解説:PD-L1とCPSとは

PD-L1は、がん細胞などが免疫にブレーキをかけるために使う目印です。この目印がどれくらい出ているかを数値で表したものが「CPS(Combined Positive Score)」です。CPS 10以上は、進行・再発TNBCでペムブロリズマブ併用療法の適応を判断する重要なバイオマーカーです。同じTNBCでも、この数値によって最適な治療が変わってきます。

7. 抗体薬物複合体(ADC) ─ 治療を塗り替える新しい仕組み

進行・再発TNBCの治療で重要性が高まっているのが抗体薬物複合体(ADC)です。

💡 用語解説:抗体薬物複合体(ADC)とは

抗体薬物複合体(ADC)は、がん細胞の目印にくっつく「抗体」に、強力な抗がん剤(ペイロード)を結びつけた薬です。抗体が誘導ミサイルのように標的へ薬を運び、がん細胞の近くで薬を放出します。放出された薬は、目印を持たない周りのがん細胞にも効く「バイスタンダー効果」を発揮するため、性質がばらばらなTNBCでも力を発揮しやすいのが特徴です。

TROP-2を狙うサシツズマブ・ゴビテカン(SG)

TROP-2は、TNBCの約9割で多く出ている細胞表面のタンパク質です。この目印を狙うADCが、サシツズマブ・ゴビテカン(SG)です。SGは、抗TROP-2抗体に、トポイソメラーゼI阻害薬という抗がん剤(SN-38)を結びつけた薬で、強力なバイスタンダー効果を持ちます。

SGは当初、2ライン以上の治療を受けた後のTNBCを対象とした「ASCENT試験」で効果が示され、標準治療のひとつとなりました。この試験では、無増悪生存期間が5.6か月対1.7か月(ハザード比0.41)、全生存期間が12.1か月対6.7か月(ハザード比0.48)と、抗がん剤に対する明確な延長が示されています[12]

さらに近年、その使いどころは初回治療へと広がっています。PD-L1が陽性の未治療の進行・再発TNBCを対象とした「ASCENT-04試験」では、SGとペムブロリズマブの併用が、従来の抗がん剤+ペムブロリズマブと比較されました。その結果、無増悪生存期間の中央値は11.2か月対7.8か月(ハザード比0.65、P<0.001)と、SG+ペムブロリズマブ群で有意な延長が示されました[13]。この結果にもとづき、米国FDAは2026年6月、PD-L1 CPS 10以上の切除不能局所進行または転移性TNBCの1次治療としてSG+ペムブロリズマブを承認しました。国や地域によって承認状況は異なりますが、TROP-2を狙うADCは後方治療だけでなく1次治療にも位置づけを広げています[14]

8. HER2低発現・超低発現 ─ 「陰性」の中に見つかった新標的

TNBCの定義は「HER2陰性」です。ところが、HER2陰性とされてきた乳がんの多くが、実は細胞の表面にごくわずかなHER2タンパク質を持っていることがわかってきました。これがHER2低発現(HER2-low)という新しい考え方です。

この「わずかなHER2」を狙えるのが、トラスツズマブ・デルクステカン(T-DXd)というADCです。T-DXdは強力なバイスタンダー効果を持つため、HER2がわずかでも抗腫瘍効果を発揮します。「DESTINY-Breast04試験」では、HER2低発現の乳がんに対するT-DXdの有効性が示され、ホルモン受容体陰性(TNBCに相当する)コホートでも抗がん剤に対して全生存期間の延長(18.2か月対8.3か月)が確認されました[15]

さらに「DESTINY-Breast06試験」では、ホルモン受容体陽性の転移性乳がんを対象に、HER2低発現だけでなく、ごくわずかにしかHER2が染まらないHER2超低発現(HER2-ultralow)でもT-DXdの有効性が示されました。HER2低発現群の無増悪生存期間中央値は13.2か月対8.1か月(ハザード比0.62)でした[16]。ただし、この試験はホルモン受容体陽性乳がんが対象であり、TNBCにおけるHER2超低発現への有効性を直接示した試験ではありません。長らく「HER2陰性か陽性か」という二分法で見られてきた乳がんの分類を、治療選択の観点からさらに細分化する流れを示す結果です。

💡 用語解説:再生検(さいせいけん)の意義

HER2の発現レベルは、最初にがんが見つかったときと、再発・転移したときとで変化することがあります。そのため、過去に「HER2ゼロ」と判定された方でも、再発時にあらためて組織を調べる(再生検)ことで「HER2低発現」と評価し直され、TNBCでもT-DXdの治療対象になる可能性があります。HER2超低発現に対するT-DXdの確立した臨床試験データ・承認は主にホルモン受容体陽性乳がんで得られているため、TNBCでは同じように扱うことはできません。病理検査の結果は固定されたものではなく、時期によって変わりうる、という点が治療選択で重要になります。

こうしたHER2低発現・超低発現という区分を治療に生かすには、病理検査で正確に見分けることが欠かせません。もともとのHER2検査は、HER2が非常に多い(強陽性の)がんを見つけるために作られてきたため、ごく弱い発現を見分ける精度には課題も指摘されています。それでも、T-DXdの適応を決める手がかりとして、この区分の臨床的な価値は高いと考えられています。どの治療が使えるかを見極めるうえで、病理診断とコンパニオン診断の役割が、ますます大きくなっています。

新しい薬の安全管理 ─ 遺伝子多型による個別化

ADCは高い効果を持つ一方で、従来の抗がん剤とは異なる特有の副作用にも注意が必要です。T-DXdでは間質性肺疾患(ILD)・肺臓炎が重要な副作用として知られ、DESTINY-Breast06試験では約11%に報告され、一部は重篤なものでした[16]。既存の肺疾患、低い酸素飽和度、腎機能低下などがリスク因子候補として報告されていますが、確立した予測因子は限定的であり、すべての患者で早期発見と適切な対応が欠かせません[20]

また、SGの安全管理では、遺伝子多型による個別化が注目されています。SGが放出する薬(SN-38)は、体内で主に「UGT1A1」という酵素によって無毒化されます。ところがこの遺伝子には個人差(多型)があり、UGT1A1活性が低下する型、特にUGT1A1*28/*28では、重い好中球減少や貧血などの副作用リスクが高くなることが示されています[17]。実際のメタ解析では、UGT1A1*28/*28の方で重篤な有害事象のリスクが高いことが示されました[17]

💡 用語解説:遺伝子多型(たけい)とは

遺伝子多型とは、遺伝子の設計図に見られる、比較的よくある個人差のことです。病気そのものではなく「体質の違い」にあたるもので、薬の効き方や副作用の出やすさに影響することがあります。UGT1A1の多型は、SN-38を不活化する能力の個人差に関わります。SGについてはUGT1A1遺伝子型にもとづく標準的な開始用量調整はまだ確立していませんが、事前検査や強化モニタリングの有用性が研究されています[18]。これは、遺伝情報を治療に生かす「ファーマコゲノミクス(ゲノム薬理学)」の一例です。

9. 遺伝診療との接点 ─ 検査・遺伝形式・遺伝カウンセリング

ここまで見てきたように、TNBCの治療は「がんのタイプ」と「遺伝子」が密接に結びついています。この結びつきは、遺伝診療の3つの場面——遺伝学的検査・遺伝形式・遺伝カウンセリング——にそのまま関わってきます。

まず遺伝学的検査です。TNBCと診断された方では、生殖細胞系列のBRCA1/2変異を調べる検査が、PARP阻害薬などの治療選択に直結します。がん組織を調べる検査(体細胞変異の検査)とは別に、生まれ持った遺伝子を調べる検査があり、後者は遺伝性のがんの診断につながります。

次に遺伝形式です。HBOCは常染色体顕性遺伝(常染色体優性遺伝)という形式をとり、親から子へ2分の1の確率で受け継がれる可能性があります。つまりBRCA変異が見つかった場合、その情報はご本人だけでなく、血縁のご家族にとっても意味を持ちます。

そして遺伝カウンセリングです。遺伝学的検査は、結果がご本人とご家族に与える影響が大きいため、検査の前後で十分な話し合いが欠かせません。検査で何がわかり何がわからないのか、見つかった変化がどういう意味を持つのか、どのような選択肢があるのか——こうした点を、中立の立場で一緒に整理していきます。当院では、こうした遺伝カウンセリングを臨床遺伝専門医が担当しています。

TNBCという診断は、正確な病理診断と遺伝子の情報を組み合わせて、はじめて最適な治療にたどり着けるがんです。診断にもとづいて治療や検査の選択肢を検討するうえで、遺伝子の情報をどう読み解くかは、これからますます重要になっていきます。

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10. よくある誤解

誤解①「TNBCは治療法がない」

かつては抗がん剤が中心でしたが、いまは免疫療法・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)など複数の新しい治療が使えます。分子サブタイプや遺伝子の情報にもとづいて、治療は着実に進歩しています。

誤解②「TNBCはひとつの病気」

TNBCは、遺伝子の使われ方で複数のサブタイプに分かれる、多様な病気の集まりです。どのサブタイプかによって、効きやすい治療も異なります。

誤解③「HER2陰性ならHER2の薬は無関係」

HER2陰性とされてきた中にも、HER2低発現があり、TNBCでもT-DXdというHER2を狙う薬が効く場合があります。HER2超低発現については、確立したデータ・承認の中心はホルモン受容体陽性乳がんです。再生検でHER2低発現が確認され、対象が見つかることもあります。

誤解④「TNBCは遺伝と関係ない」

TNBCではBRCA1/2の生殖細胞系列変異の頻度が他の乳がんサブタイプより高く、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)と深く結びつきます。遺伝子検査の結果が治療選択に直結します。

まとめ ─ 「標的のないがん」から精密医療へ

トリプルネガティブ乳がん(TNBC)は、かつて「標的のないがん」「抗がん剤しか使えないがん」と見なされてきました。しかし、遺伝子解析の進歩によって、TNBCが多様な顔を持つ病気の集まりであることがわかり、その一つひとつの性質に合わせた治療が次々と実用化されています。

早期TNBCでは、手術前後のペムブロリズマブ(KEYNOTE-522)が再発と死亡のリスクを下げ、BRCA変異を持つ方にはオラパリブ(OlympiA)が有効です。進行・再発TNBCでは、TROP-2やHER2(低発現・超低発現を含む)を狙う抗体薬物複合体(ADC)が、従来の限界を超える成績をもたらしています。そして、これらの治療を最適に選ぶには、BRCA遺伝子をはじめとする遺伝情報を正しく読み解くことが欠かせません。TNBCは、いまや「ゲノム情報にもとづく精密医療」の最前線にある病気のひとつです。正確な診断と遺伝子の情報を土台に、一人ひとりに合った治療を選んでいくことが、これからの鍵になります。

よくある質問(FAQ)

Q1. トリプルネガティブ乳がん(TNBC)とは何ですか?

エストロゲン受容体(ER)・プロゲステロン受容体(PR)・HER2という3つの目印がいずれも陰性の乳がんのことです。全乳がんの約15〜20%を占めます。ホルモン療法や従来のHER2を狙う治療が効きにくいという特徴がありますが、近年は免疫療法・PARP阻害薬・抗体薬物複合体(ADC)といった新しい治療が使えるようになっています。

Q2. TNBCは遺伝と関係がありますか?

関係する場合があります。TNBCは、ほかのタイプの乳がんに比べて、生まれつきのBRCA1/2遺伝子の変化(生殖細胞系列変異)を持つ割合が高いことが知られています。これは遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)と結びつき、ご本人の治療選択だけでなく、血縁のご家族の健康管理にも関わります。BRCA1/2の病的バリアントの有無は、PARP阻害薬の適応判断にも関わります。

Q3. TNBCの治療にはどのようなものがありますか?

従来の抗がん剤に加えて、近年は複数の新しい治療が登場しています。早期では手術前後の免疫チェックポイント阻害薬ペムブロリズマブ、BRCA変異のある方にはPARP阻害薬オラパリブが使われます。進行・再発では、PD-L1陽性の方へのペムブロリズマブ併用、TROP-2やHER2を狙う抗体薬物複合体(ADC)などがあります。どの治療を選ぶかは、PD-L1やBRCA変異など、患者さんごとの情報にもとづいて決まります。

Q4. BRCA遺伝子検査は受けたほうがよいのですか?

TNBCと診断された方では、BRCA1/2の遺伝学的検査の結果が治療選択(PARP阻害薬など)に直結するため、検査が意味を持つ場面が多くあります。ただし、検査を受けるかどうかは、結果がご本人やご家族に与える影響も含めて考える必要があります。検査の前後には遺伝カウンセリングで十分に話し合い、中立の立場で判断材料を整理していくことが大切です。検査の適応や必要性は、主治医や臨床遺伝専門医にご相談ください。

Q5. 「HER2陰性」と言われましたが、HER2を狙う薬は使えないのですか?

必ずしもそうとは限りません。HER2陰性とされてきた乳がんの中にも、ごくわずかにHER2を持つ「HER2低発現」「HER2超低発現」があり、トラスツズマブ・デルクステカン(T-DXd)というHER2を狙う抗体薬物複合体が効く場合があります。過去に「HER2ゼロ」と判定された方でも、再発時にあらためて組織を調べる(再生検)ことでHER2低発現と評価され、対象になる可能性があります。一方、HER2超低発現に対するT-DXdの確立した適応は主にホルモン受容体陽性乳がんであり、TNBCとは分けて考える必要があります。詳しくは主治医にご確認ください。

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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