目次
- 1 1. 損傷乗り越え複製(TLS)とは?まず全体像から
- 2 2. なぜ「乗り越える」必要があるのか
- 3 3. ポリメラーゼスイッチ:PCNAのユビキチン化という分子スイッチ
- 4 4. DNAポリメラーゼηの構造の妙:「分子の副木」でまっすぐに
- 5 5. 諸刃の剣:低忠実度がもたらす二面性
- 6 6. ミュータソーム:TLSを統率する巨大な分子マシン
- 7 7. 色素性乾皮症バリアント型(XP-V):Pol ηが欠けるとどうなるか
- 8 8. もう一つの顔:DNA損傷応答と抗がん剤耐性
- 9 9. 遺伝医療・遺伝カウンセリングとのつながり
- 10 10. よくある誤解
- 11 11. 臨床遺伝専門医からのメッセージ
- 12 よくある質問(FAQ)
- 13 参考文献
- 14 関連記事
📍 クイックナビゲーション
私たちのDNAは、紫外線や化学物質によって毎日、数万か所もの傷を受けています。多くは修復されますが、修復が間に合わないまま複製の時期を迎えると細胞は危機に陥ります。このとき細胞は、傷を「修復してから」ではなく、傷をいったん”乗り越えて”複製を続けるという緊急避難の戦略をとります。これが損傷乗り越え複製(TLS:Translesion Synthesis)です。その主役が、紫外線でできる代表的な傷を正確に乗り越えられる特殊な酵素「DNAポリメラーゼη(イータ)」。この酵素が働かないと、皮膚がんを起こしやすい遺伝性の病気になります。本記事では、TLSとPol ηの分子のしくみから、病気・抗がん剤治療・遺伝カウンセリングとのつながりまでを、臨床遺伝専門医がやさしく解説します。
Q. 損傷乗り越え複製(TLS)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. TLSは、傷ついたDNAを修復してから複製するのではなく、傷をいったん”乗り越えて”複製を続ける細胞の緊急避難のしくみです。中心となるDNAポリメラーゼη(POLH遺伝子産物)は、紫外線で生じる代表的な傷を正確に乗り越えられる特殊な酵素です。この酵素が欠けると、色素性乾皮症バリアント型(XP-V)という皮膚がんを起こしやすい病気になります。一方で、TLSは抗がん剤への耐性や、抗体の多様性づくりにも関わる、奥深いしくみです。
- ➤TLSの正体 → 傷を許容して複製を続ける「DNA損傷許容(DDT)」の中核プロセス
- ➤主役の酵素 → DNAポリメラーゼηが紫外線損傷(CPD)を無誤謬(エラーフリー)でバイパス
- ➤構造の妙 → 「分子の副木」で歪んだDNAをまっすぐ矯正し、正しい塩基を挿入する
- ➤二面性 → 正常なDNAでは間違えやすく、その性質が抗体の多様性づくりにも利用される
- ➤病気との接点 → XP-V(皮膚がん)・抗がん剤(シスプラチン)耐性・遺伝カウンセリング
1. 損傷乗り越え複製(TLS)とは?まず全体像から
細胞が分裂するとき、DNAは2本鎖をほどきながら、ものすごい正確さでコピー(複製)されます。この複製を担うのがDNAポリメラーゼという酵素です。通常の複製を担う「古典的ポリメラーゼ(Pol εやPol δ)」は、間違いをほとんど起こさない超高精度の酵素ですが、その厳密さゆえに、大きく形の歪んだ傷(バルキー病変)の上ではピタリと止まってしまいます[10]。
複製が止まったままだと、むき出しになった1本鎖DNAから複製フォークが壊れ、最終的には二重鎖切断・染色体異常・細胞死という致命的な事態を招きます。これを避けるために、真核生物は傷をその場で直すのではなく、傷を「許容(がまん)」して複製を完了させる緊急の生存戦略を進化させてきました。これをDNA損傷許容(DDT:DNA Damage Tolerance)と呼び、その中核を担うのが損傷乗り越え複製(TLS)です。
💡 用語解説:複製フォークとバルキー病変
複製フォークとは、DNAの2本鎖がほどけてコピーが進む、Y字型をした「複製の最前線」のことです。ここを進む酵素が、傷で止まると複製全体が滞ります。バルキー病変とは、紫外線や化学物質によってできる「かさ高く、らせん構造を歪めるタイプの傷」のことで、古典的ポリメラーゼはこの大きな傷を鋳型(型紙)にして合成を進めることができません。
TLSを実行するのは、厳密な塩基対合のルールから少し外れて、傷の上にも対向するヌクレオチドを挿入できる「非古典的ポリメラーゼ(Yファミリーポリメラーゼ)」です。Pol η、Pol ι、Pol κ、Rev1がこのグループに属し、傷の種類に応じて使い分けられます。なかでも本記事の主役DNAポリメラーゼηは、紫外線でできる代表的な傷を「正確に」乗り越えられる、特別な存在です。
2. なぜ「乗り越える」必要があるのか
紫外線が皮膚の細胞に当たると、隣り合う2つのチミン(T)どうしが共有結合でくっつき、シクロブタン型ピリミジンダイマー(CPD)という代表的な傷ができます。この傷はDNAのらせんを約30度も折り曲げ、複製の妨げになります。重要なのは、TLS自体は傷を「消す」わけではないという点です。傷はそのまま残し、あくまで細胞分裂までに複製を間に合わせるための”とりあえずの措置”なのです[10]。
💡 用語解説:CPD(シクロブタン型ピリミジンダイマー)
紫外線(UV)によってできる、最も代表的なDNAの傷です。隣り合うチミン(T)どうしが結合してしまう「チミンダイマー」が典型で、DNAのらせんを歪ませて複製や転写を妨げます。日焼けによる肌のダメージや、皮膚がんのリスクと深く関わる傷で、本来はヌクレオチド除去修復(NER)というしくみで取り除かれます。
TLSは「いま死なないこと」を優先するシステムです。傷を乗り越えてでも複製を終え、細胞を生き延びさせる。修復は後回しにできても、複製の停止は待ったなしだからです。なお、傷を残したまま乗り越えるTLSとは別に、すでにコピーが終わった正しい鎖を一時的な型紙として使う「鋳型スイッチ」という、より間違いの少ない別ルートもDNA損傷許容には用意されています。本記事では、紫外線損傷と最も関わりの深いTLSルート、とりわけPol ηに焦点を当てます。
3. ポリメラーゼスイッチ:PCNAのユビキチン化という分子スイッチ
🔍 関連記事:ポリメラーゼの種類と役割/複製フォークとDNAヘリカーゼ
傷で止まった複製フォークで、超高精度の古典的ポリメラーゼから、傷を乗り越えられるTLSポリメラーゼへとバトンタッチが起こります。これをポリメラーゼスイッチと呼びます。このスイッチの実体であり、複数のタンパク質を集める「足場」になるのが、PCNAというドーナツ型のタンパク質と、その目印となるモノユビキチン化という化学的なマークです[1]。
💡 用語解説:PCNAとユビキチン化
PCNA(増殖細胞核抗原)は、DNAをぐるりと取り囲むドーナツ(リング)型のタンパク質です。複製酵素をDNAに固定し、すべりながら効率よくコピーを進めるための”スライディングクランプ(留め具)”として働きます。
ユビキチン化とは、細胞内で「ユビキチン」という小さなタンパク質を目印として別のタンパク質に付ける反応です。本来はタンパク質の分解の合図として有名ですが、ここでは「TLSポリメラーゼをここに呼べ」という合図(タグ)として使われます。1個だけ付ける場合をモノユビキチン化といいます。
具体的には、複製が止まるとRad6-Rad18という複合体が呼び寄せられ、PCNAリングの164番目のリジン(Lys-164)にユビキチンを1個付けます[1]。X線結晶構造の解析によると、このユビキチンはPCNAの形そのものを変えるわけではなく、リングの「背面」に新しい結合面(プラットフォーム)をつくります。Yファミリーポリメラーゼは、PCNAに結合するためのPIPボックスと、ユビキチンに結合するためのUBZ/UBMという2つの手をもっているため、このユビキチン化されたPCNAに強く引き寄せられ、損傷部位へと集まってくるのです。
図1:傷で複製が止まると、PCNAにユビキチンという目印が付き、それを手がかりにPol ηが呼び込まれて損傷を乗り越える。
さらに興味深いのは、Pol η自身もユビキチン化による精緻な制御を受けている点です。Pol ηの核移行シグナル領域にはユビキチンが付く場所があり、DNA損傷が起きるとPol η自身のユビキチン化はむしろ減ることが分かっています[11]。これは、緊急時に「すぐ働けるPol η」を最大限に確保するための、よくできた調整だと考えられます。同じユビキチンという目印が、相手によって「集めろ」にも「邪魔するな」にも切り替わる——TLSの自律的な巧みさがうかがえます。
4. DNAポリメラーゼηの構造の妙:「分子の副木」でまっすぐに
では、なぜPol η(POLH遺伝子産物)だけがCPDを正確に乗り越えられるのでしょうか。結晶構造の解析が、その秘密を見事に解き明かしました[2]。ポイントは大きく3つあります。
① 広く開いた活性部位 ──「2文字」同時に読める
大半のポリメラーゼは鋳型の塩基を一度に1文字しか活性部位に収められません。ところがPol ηは、ゆったりと広い活性部位をもち、鋳型の2文字を同時に収容できるという、比類のない構造をしています[2]。この性質のおかげで、くっついてしまったチミンダイマーの両方の塩基を同時に活性部位に置き、正しい相手であるアデニン(dATP)を、最適な向きで挿入できるのです。
② モレキュラースプリント(分子の副木)
CPDはDNAを約30度も折り曲げます。Pol ηはこの歪んだDNAをそのまま使うのではなく、物理的に押さえつけて、まっすぐな正常なB型DNAの形へと矯正します。骨折を添え木で固定するように働くため、これを「モレキュラースプリント(分子の副木)」と呼びます[2]。リトルフィンガー領域のβストランドや、アルギニン93・アルギニン111などの側鎖がDNAの背骨(リン酸基)をがっちり挟み込み、両側から固定することでこの副木が完成します。
💡 用語解説:モレキュラースプリント
「スプリント」とは添え木・副木のこと。Pol ηは、傷で曲がったDNAをタンパク質の手で挟み込み、まっすぐな形に矯正してから複製します。傷を直すのではなく、傷ついたDNAの”姿勢”を正してあげると考えると分かりやすいでしょう。この矯正に関わるアミノ酸が変異すると副木が緩み、病気につながります。
③ 正しい塩基対を「強制」するアミノ酸
グルタミン38(Q38)は、傷のせいでうまく重なれない鋳型塩基を物理的に支え、入ってくるヌクレオチドを正しい位置にそろえます。アルギニン61(R61)は、入ってくる塩基が必ず正しい向き(anti配座)をとるよう誘導し、誤った塩基対(フーグスティーン型)の形成を防ぎます[2]。下の表に、Pol ηの主要な構造パーツとその役割をまとめます。
5. 諸刃の剣:低忠実度がもたらす二面性
🔍 関連記事:体細胞超変異(抗体の多様性づくり)/ミスセンス変異とは
CPDに対しては極めて正確なPol ηですが、この酵素は強烈な「二面性」をもっています。傷のない正常なDNAをコピーするときや、CPD以外の一部の傷に対しては、どの古典的ポリメラーゼよりも間違いやすい(エラープローン)のです[4]。
💡 用語解説:校正機能とエラープローン
校正機能(プルーフリーディング)とは、誤って入れてしまった塩基を切り出して直す”自動修正”のしくみです。古典的ポリメラーゼはこれをもっていますが、Pol ηを含むTLSポリメラーゼはこれを欠いています。さらに、大きな傷を受け入れるための”ゆるい”活性部位が、正常DNAでは間違った塩基の侵入を許してしまいます。この「間違いやすさ」をエラープローンと呼びます。
たとえばタバコの煙に含まれる発がん物質ベンゾ[a]ピレンが付いた傷では、Pol ηは正しいシトシン(C)ではなく、誤ってアデニン(A)を高頻度で入れてしまうことが分かっています[4]。この間違い方は、実際にヒト細胞で観察される変異パターンとよく一致しており、Pol ηが特定の化学物質による変異の”犯人”になりうることを示しています。傷を乗り越えられることと、間違いを起こすことは、まさに表裏一体なのです。
「間違いやすさ」が役に立つ場面 ── 抗体の多様性
一見すると危険な「低忠実度」ですが、生体はこれを意図的に活用してもいます。その代表が、免疫の体細胞超変異(SHM)です。B細胞がさまざまな病原体に対応する抗体をつくるには、抗体の遺伝子にわざと高い頻度で変異を入れ、より強く結合する抗体を選び出す必要があります。Pol ηはその「間違いやすさ」を利用して、抗体の多様性づくり(親和性成熟)に積極的に貢献していると考えられています。DNAの傷を乗り越えるための適応が、免疫の多様性を生み出すしくみに”転用”されている——生命の巧みさを感じさせる事実です。
古典的ポリメラーゼとTLSポリメラーゼの違い
6. ミュータソーム:TLSを統率する巨大な分子マシン
TLSは1つの酵素が単独で行う反応ではありません。止まった複製フォークでは、PCNAとRev1を中心に多数のタンパク質が集まった巨大な複合体「ミュータソーム」が組み立てられ、その中で最適なポリメラーゼが瞬時に選び出されます[8]。この組み立て方には、大きく2つのモデルが知られています。
- ➤PCNAツールベルト・モデル:ドーナツ型のPCNAが”工具ベルト”のように働き、その3つの面に複数のTLSポリメラーゼを同時に待機させる。最適な酵素へ素早く切り替えられる[8]
- ➤Rev1ポリメラーゼブリッジ・モデル:Rev1が”足場タンパク質”となり、自らのC末端ドメインでPol ηなどを捕まえて橋渡しする
この2つは固定された別物ではなく、タンパク質が複合体から外れることなく相互に行き来できる、極めて動的なシステムであることが分かってきました。シミュレーション研究によれば、ポリメラーゼをPCNAにつなぐ”ひも(テザー)”が短いほど、その酵素がDNAに関与しやすくなります[12]。この「ひもの長さ」と構造の動的な変化こそが、傷の種類に最も合った酵素を選び出す速度論的選択(キネティック・セレクション)という、効率と正確さを両立させるしくみの土台になっています。
7. 色素性乾皮症バリアント型(XP-V):Pol ηが欠けるとどうなるか
🔍 関連記事:色素性乾皮症(XP)/XPの相補群と原因遺伝子/POLH遺伝子
Pol ηが私たちにとってどれほど大切かは、色素性乾皮症バリアント型(XP-V)という遺伝性の病気から鮮明に見えてきます。XP-Vは、日光が当たる部位の異常な色素沈着と、若い時期からの多発性の皮膚がんを特徴とする病気で、第6染色体上のPOLH遺伝子の変異によってPol ηの働きが失われることが原因です[3]。
💡 用語解説:常染色体劣性(潜性)遺伝とは
私たちは遺伝子を父・母から1つずつ、2コピー持っています。常染色体劣性(潜性)遺伝の病気は、両方のコピーに変異がそろってはじめて発症します。片方だけ変異を持つ人は発症せず「保因者(キャリア)」と呼ばれます。XP-Vもこのタイプで、両親がともに同じ遺伝子の保因者の場合、子どもが発症する確率は理論上25%です。
面白いのは、XP-Vが他の多くの色素性乾皮症(XP-A〜XP-G)とは根本的に異なる点です。XP-A〜XP-Gは、紫外線でできた傷を切り取って直すヌクレオチド除去修復(NER)そのものに欠陥があります。一方XP-Vは、NERは正常なのに、紫外線を浴びた後にDNAを複製する能力に重い欠陥が出ます[9]。つまり「傷を直す力」ではなく「傷を乗り越えて複製する力」が失われているのです。また、XP-Vは他の多くのXPタイプで見られる発達遅延や難聴といった神経症状を伴わないことも特徴で、Pol ηの主戦場が皮膚の紫外線損傷に特化していることを裏づけます。
「いま死なない」代わりに「将来の変異」を背負う
Pol ηが欠けたXP-V細胞では、紫外線でできたCPDで複製が完全に止まり、長時間の停止が細胞死を招く危機に直面します。これを避けるため、細胞はPol ηの「バックアップ」として、Pol ι・Pol κ・Pol ζといった他のTLSポリメラーゼを動員し、力ずくで傷を乗り越えます。ここに残酷なトレードオフがあります。これらの代替酵素はCPDを正確に乗り越えるようには最適化されていないため、正しいアデニンではなく間違った塩基を高頻度で挿入してしまうのです。
図2:Pol ηがないと、バックアップ酵素が複製を続けて細胞死は避けられるが、間違いを伴うため変異が蓄積し、皮膚がんにつながる。
この間違いだらけのバイパスが繰り返されることで、XP-V患者のゲノムには紫外線特有の変異(CからTへの置換など)が異常な速さで蓄積します。「いまの細胞死を避ける」代わりに「将来の変異を背負う」——この利益とリスクの極端なバランスこそがTLSの本質です。そして蓄積した変異が、がん抑制遺伝子(p53など)に当たったとき、細胞は無秩序な増殖を始め、多発性の皮膚がんへと至るのです。Pol ηは、この諸刃の剣のなかで「変異の発生を最小限に抑え込む守護者」の役割を果たしているといえます。
XP-Vの遺伝子診断(出生後の検査)
出生後にXP-Vが疑われる場合、原因となるPOLH遺伝子を含む色素性乾皮症の関連遺伝子を調べる検査があります。ミネルバクリニックの色素性乾皮症NGS遺伝子検査パネルでは、POLHを含む9遺伝子(DDB2・ERCC1・ERCC2・ERCC3・ERCC4・ERCC5・POLH・XPA・XPC)をまとめて解析できます。多くのXP-Vの変異はナンセンス変異やフレームシフト、あるいはミスセンス変異で、いずれもタンパク質を不安定にしてPol ηを作れなくします。検査を受けるかどうか、結果をどう受け止めるかは、遺伝カウンセリングのなかでご一緒に考えていきます。
8. もう一つの顔:DNA損傷応答と抗がん剤耐性
Pol ηは、ただ傷を乗り越えるだけの酵素ではありません。近年の研究で、ゲノムを見張るDNA損傷応答(DDR)のシグナル、とりわけATM-Chk2-p53という経路において、能動的な調整役として働くことが分かってきました[5]。Pol ηを実験的に減らすと、ATMによるChk2やp53のリン酸化がうまく進まなくなります。つまりPol ηは、損傷の合図を正しく下流へ伝えるための”足場”のような役割も担っているのです。実際、紫外線損傷に対しては、初期にはp53の活性化が抑えられて細胞が生き延びやすくなり、後期には逆に強い細胞死シグナルが立ち上がるという、時間によって相反する二面性も報告されています[5]。
がん細胞に”悪用”される盾 ── シスプラチン耐性
TLSは細胞を守る強固な盾ですが、これががん細胞に悪用されると、抗がん剤が効かなくなる難治性の薬剤耐性の原因になります。代表例が、多くの固形がんに使われるプラチナ製剤シスプラチンとPol ηの関係です[13]。
💡 用語解説:シスプラチンと鎖内架橋
シスプラチンは、がん細胞のDNAに結合し、隣り合う塩基どうしを橋でつなぐ「鎖内架橋」という強固な傷をつくる抗がん剤です。この傷が複製を完全に止めることでがん細胞を死に追いやります。ところが、Pol ηがこの架橋を乗り越えて複製を完了させてしまうと、がん細胞は死なずに生き延びてしまうのです。
最新の解析では、卵巣がんのなかでも再発・転移の原因となるがん幹細胞で、Pol ηが特に強く発現していることが分かりました[6]。がん幹細胞は、このPol ηの過剰発現を利用してシスプラチンの架橋を効率よく乗り越え、致死的な複製崩壊を回避しています。この過剰発現は、マイクロRNA「miR-93」が減ることで引き起こされており、実験的にmiR-93を戻すとPol ηが抑えられ、シスプラチンへの感受性が回復することも示されています[6]。
そこで、この生存戦略を逆手に取り、Pol ηの働きを直接止めて抗がん剤の効果を最大化しようという研究が進んでいます。その先駆けが、Pol ηのリトルフィンガー領域に結合して「分子の副木」の形成を妨げる小分子阻害剤PNR-7-02です[7]。この化合物はPol ηを選択的に阻害し、シスプラチンと併用すると、それぞれ単独では得られない相乗的な細胞死を引き起こすことが報告されています。ただし、これらはまだ研究段階の知見であり、すぐに外来で使える治療ではありません。
9. 遺伝医療・遺伝カウンセリングとのつながり
TLSやPol ηは一見すると基礎科学のテーマですが、遺伝医療と確かに地続きです。第一に、Pol ηの欠損で起こるXP-Vは常染色体劣性(潜性)の遺伝性疾患であり、診断・保因者の考え方・家族計画など、遺伝カウンセリングの対象になります。第二に、Pol ηはがんの抗がん剤耐性に関わり、遺伝性腫瘍やがん薬物療法の文脈とつながります。第三に、TLSの「間違いやすさ」は、ゲノムにどのように変異が生じるかを理解する土台でもあります。
遺伝子検査は「出生前」と「出生後」で目的も方法も異なります。XP-Vのように出生後に皮膚症状で気づかれる病気では、出生後の遺伝子検査(前述の色素性乾皮症NGSパネルなど)が中心となります。検査の前後では、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングで、結果の意味・遺伝形式・ご家族への影響・日常生活での紫外線対策などを、中立な立場から一緒に整理していくことが大切です。検査を勧めることが常に正しいわけではなく、「知ること」と「知らないでいること」のどちらにも価値がある——その選択をご本人・ご家族に委ねることを、私たちは大切にしています。
10. よくある誤解
誤解①「TLSは傷を直すしくみだ」
いいえ。TLSは傷を直すのではなく”乗り越える”しくみです。傷はそのまま残り、あくまで複製を間に合わせるための緊急措置です。傷を切り取って直すのは、NERなど別の修復経路の役割です。
誤解②「Pol ηはいつも正確だ」
Pol ηが正確なのは紫外線損傷(CPD)に対してだけです。傷のない正常なDNAや別の種類の傷では、むしろ間違いやすくなります。この二面性こそがPol ηの本質です。
誤解③「色素性乾皮症はすべて修復異常」
XP-A〜XP-Gは修復(NER)の異常ですが、XP-VはNERは正常で、傷を乗り越える複製の力が失われたタイプです。同じ「色素性乾皮症」でも原因のしくみが根本的に異なります。
誤解④「Pol η阻害剤はもう治療に使える」
Pol ηを狙ってシスプラチンの効果を高める研究は注目されていますが、現時点では基礎・前臨床段階の知見です。臨床で標準的に使える治療ではない点に注意が必要です。
11. 臨床遺伝専門医からのメッセージ
損傷乗り越え複製は、たった一つの酵素(Pol η)の不在が、皮膚がんという大きな結果につながりうることを教えてくれます。同時にそれは、抗がん剤が効くか効かないか、抗体がどう多様化するかにも関わる、ゲノム安定性ネットワークの中心的な調整役でもあります。基礎の分子のしくみと、日々の臨床がこんなに近いところでつながっている——その面白さと大切さを、これからも分かりやすくお届けしていきます。気になる症状やご家族のことでご不安があれば、遺伝カウンセリングでお気軽にご相談ください。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
- [1] Structure of Monoubiquitinated PCNA and Implications for Translesion Synthesis and DNA Polymerase Exchange. PMC. [PMC2920209]
- [2] Structure and Mechanism of Human DNA Polymerase η. PMC. [PMC2899710]
- [3] POLH gene. MedlinePlus Genetics (NIH). [MedlinePlus]
- [4] Error-prone lesion bypass by human DNA polymerase eta. PubMed. [PubMed 11095682]
- [5] DNA polymerase eta, the product of the xeroderma pigmentosum variant gene and a target of p53, modulates the DNA damage checkpoint and p53 activation. PubMed. [PubMed 16449651]
- [6] Enhanced expression of DNA polymerase eta contributes to cisplatin resistance of ovarian cancer stem cells. PMC. [PMC4394248]
- [7] A Small-Molecule Inhibitor of Human DNA Polymerase η Potentiates the Effects of Cisplatin in Tumor Cells. Biochemistry (ACS). [ACS Biochemistry]
- [8] PCNA tool belts and polymerase bridges form during translesion synthesis. Nucleic Acids Research. [Oxford NAR]
- [9] Predominant role of DNA polymerase eta and p53-dependent translesion synthesis in the survival of ultraviolet-irradiated human cells. Nucleic Acids Research. [Oxford NAR]
- [10] Translesion DNA polymerases in eukaryotes: what makes them tick? PMC. [PMC5573590]
- [11] Regulation of translesion synthesis DNA polymerase eta by monoubiquitination. PubMed. [PubMed 20159558]
- [12] Eukaryotic translesion synthesis: choosing the right tool for the job. PMC. [PMC6340752]
- [13] A role for polymerase eta in the cellular tolerance to cisplatin-induced damage. PubMed. [PubMed 16267001]



