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嗅覚脱失を伴うまたは伴わない低ゴナドトロピン性性腺機能低下症5型(HH5)とは ― CHD7遺伝子変異がもたらす生殖内分泌疾患

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

低ゴナドトロピン性性腺機能低下症5型(HH5)は、CHD7遺伝子のヘテロ接合性変異によって発症する常染色体顕性(優性)遺伝の希少疾患です。脳の中で性ホルモンを動かす指令塔(GnRH)が正しく働かないため、思春期がやってこない、嗅覚が乏しい、生殖機能が育たないといった症状が現れます。CHARGE症候群と地続きのスペクトラム疾患であり、近年の精密な評価で「孤立性」と思われていた多くの症例が軽微なCHARGE所見をあわせ持つことが分かってきました。

この記事でわかること
📖 読了時間:約16分
🧬 CHD7遺伝子・カルマン症候群・臨床遺伝
臨床遺伝専門医監修

Q. HH5とはどのような疾患ですか?まず結論だけ知りたいです

A. CHD7遺伝子の変異により、視床下部から性ホルモンを動かすGnRHの働きが障害される先天性の生殖内分泌疾患です。嗅覚脱失を伴う場合は「カルマン症候群」、嗅覚が保たれている場合は「正常嗅覚性CHH」と呼ばれ、いずれもCHARGE症候群と連続した一つのスペクトラムを形成しています。

  • 疾患の定義 → OMIM 612370、原因はCHD7遺伝子(8q12.2)、常染色体顕性遺伝
  • 分子メカニズム → CHD7がSEMA3Aの発現を制御し、GnRHニューロンの遊走を支える
  • 主な症状 → 思春期欠如、マイクロペニス、停留精巣、無月経、嗅覚脱失
  • 鑑別診断 → CHARGE症候群との境界線と「孤立性CHH」概念の再定義
  • 治療と妊孕性 → hCG・FSH・拍動的GnRHを組み合わせた段階的な生殖能力獲得

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1. HH5とは:疾患の定義と歴史的背景

嗅覚脱失を伴うまたは伴わない低ゴナドトロピン性性腺機能低下症5型(Hypogonadotropic hypogonadism 5 with or without anosmia、略してHH5)は、視床下部から下垂体への性ホルモンの指令系統に異常が生じる先天性の生殖内分泌疾患です。OMIMデータベースにエントリー番号612370として登録されており、Disease OntologyではDOID:0090084、ICD-10ではE23.0(下垂体機能低下症)に分類されます。

💡 用語解説:低ゴナドトロピン性性腺機能低下症(CHH)とは

「ゴナドトロピン」とは、下垂体から分泌される性腺刺激ホルモン(LH・FSH)の総称で、精巣や卵巣に「働きなさい」と命令を出すホルモンです。このゴナドトロピンが低下した状態を「低ゴナドトロピン性」と呼びます。HH5では、その上流である視床下部のGnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン)の働きそのものが障害されているため、下垂体も性腺も正常な指令を受け取れず、結果として思春期が来ない、生殖機能が育たないといった症状が起こります。先天性のCHHを総称して「CHH(Congenital Hypogonadotropic Hypogonadism)」と呼びます。

HH5は嗅覚の状態によって大きく二つのサブタイプに分かれます。嗅球の低形成または無形成によって嗅覚脱失(anosmia)または嗅覚低下(hyposmia)を伴う「カルマン症候群(Kallmann syndrome、KS)」と、嗅覚が正常に保たれている「正常嗅覚性CHH(nCHH)」です。過去の医学文献ではこの第5型のカルマン症候群を「KAL5」と表記してきました。

💡 用語解説:常染色体顕性(優性)遺伝

「常染色体」とは性染色体(X・Y)以外の染色体のこと。「顕性(優性)」とは、2本ある染色体のうちどちらか1本に変異があるだけで症状が現れる遺伝の形式です。HH5はこの形式をとり、親から子へ50%の確率で遺伝する可能性がありますが、実際にはご両親に変異がなくお子さんで新しく生じる「新生突然変異(de novo変異)」のケースも非常に多く報告されています。なお、近年の医学用語改訂で「優性」は「顕性」、「劣性」は「潜性」と表記することが推奨されています。

疾患概念の歴史をたどると、原因遺伝子であるCHD7は、もともと1981年に提唱されたCHARGE症候群(OMIM 214800)の主要な原因遺伝子として知られていました。CHARGE症候群は眼コロボーマ、心疾患、後鼻孔閉鎖、成長発達遅滞、生殖器低形成、耳介異常および難聴を特徴とする重症の多臓器奇形症候群です。その後の広範な遺伝学的解析により、CHD7変異は典型的なCHARGE症候群から、他の奇形をほとんど伴わずに孤立性の生殖機能低下のみを呈するHH5まで、極めて幅広い表現型の連続体(スペクトラム)を生み出すことが明らかになっています。

2. 原因遺伝子CHD7と分子病態メカニズム

HH5を引き起こすCHD7遺伝子は、第8番染色体長腕(8q12.2)に位置し、ATP依存性クロマチンリモデリング因子ファミリーに属するタンパク質をコードしています。発生初期に脳・心臓・耳・神経冠など複数の重要組織で発現し、胎児の体作りの司令塔の一つとして働きます。

💡 用語解説:クロマチンリモデリングとは

細胞の核の中で、DNAは「ヒストン」というタンパク質に巻きついて「クロマチン」という構造を作っています。この構造をATPのエネルギーを使ってダイナミックに変化させる仕組みが「クロマチンリモデリング」です。リモデリングによって特定の遺伝子のスイッチが「ON」になったり「OFF」になったりします。CHD7はこのリモデリングを行う酵素であり、胎児発生中の遺伝子発現を時間的・空間的に精緻に制御しています。

GnRHニューロンが「移動」する不思議な発生のプロセス

HH5の中心的な病態は、生殖機能を司るGnRHニューロンの移動(遊走)障害にあります。意外なことに、GnRHニューロンは脳内で生まれるわけではありません。胎児発生のごく初期に、鼻腔上部の「鼻プラコード(嗅プラコード)」と呼ばれる未分化な外胚葉領域で誕生し、その後、嗅神経や末端神経の軸索を「足場」にして篩板を通過し、嗅球を経由して視床下部へと長距離移動するのです。

この移動経路が途中で遮断されると、GnRHニューロンは視床下部にたどり着けず生殖機能不全が起こり、同時に嗅球も発達できないために嗅覚脱失が生じる——これがカルマン症候群で「生殖の異常」と「嗅覚の異常」が一緒に現れる理由です。

💡 用語解説:SEMA3A(セマフォリン3A)とは

細胞外で神経の伸びる方向や移動を導く「ガイダンス分子」の一種です。CHD7はクロマチンリモデリングを介してSEMA3A遺伝子のスイッチをONにし、その発現を活性化します。産生されたSEMA3Aは細胞の外でGnRHニューロンの足場となる末端神経の軸索を正しい場所に配置し、ニューロンが安全に移動できるレールを敷きます。CHD7に変異が起こるとこの分子カスケードが破綻し、GnRHニューロンが迷子になってしまうのです。Sema3a遺伝子をなくしたマウスは、まさにカルマン症候群そのものの症状を示します。

変異の種類によって重症度が変わる:遺伝子型と表現型の関係

CHD7変異の種類は、臨床症状の重さに直結します。ナンセンス変異・フレームシフト変異・大規模欠失といった「タンパク質を完全に壊してしまうタイプの変異」は病原性が非常に高く、典型的な重症のCHARGE症候群を引き起こしやすい傾向があります。これに対し、アミノ酸が1つだけ別のアミノ酸に置き換わる「ミスセンス変異」は、タンパク質の機能が部分的に残るため軽症となりやすく、HH5や軽症型カルマン症候群の患者群で多く検出されます。

💡 用語解説:ミスセンス変異/ナンセンス変異/フレームシフト変異

DNAの塩基配列に起こる変化のタイプの違いです。
ミスセンス変異:1つの塩基が変わり、アミノ酸が別の種類に置き換わる。タンパク質の「形」が少しゆがむ程度。
ナンセンス変異:塩基変化で「ここで翻訳を終わりにせよ」という終止コドンが途中に生まれる。タンパク質が途中で打ち切られ、機能をほぼ失う。
フレームシフト変異:塩基の挿入や欠失で読み枠がズレ、それ以降のアミノ酸配列が全く違うものになる。完全な機能喪失をもたらす。

オリゴジェニック遺伝:1つの遺伝子だけでは説明できない複雑さ

かつてHH5は1つの遺伝子変異だけで発症する単純な疾患と考えられていましたが、次世代シーケンサーによる網羅的解析が普及した結果、一人の患者で複数の関連遺伝子に変異が同時に存在する「オリゴジェニック(多遺伝子性)遺伝」が病態に深く関わっていることが分かってきました。代表的なパートナー遺伝子はPROKR2やFGFR1であり、それぞれ単独では軽症あるいは無症状でも、CHD7と組み合わさることで明確なHH5の表現型が出現するケースが多数報告されています。

さらに2024年には、これまで報告のなかったCHD7とSMCHD1のダイジェニック(2遺伝子性)遺伝がHH5の家系で初めて同定されました。軽症の母親から受け継いだCHD7のナンセンス変異と、無症状の父親から受け継いだSMCHD1のミスセンス変異が、姉妹の体内で組み合わさったことで明確なIHHの表現型が引き起こされたという報告です。同じ家族内で症状の重さがまったく違うことの分子レベルでの説明が、徐々に解明されつつあります。

🔍 関連記事:CHD7遺伝子の詳しい解説(遺伝子ページ)では、タンパク質構造、機能ドメイン、関連疾患の総覧をまとめています。

3. 主な症状と表現型スペクトラム

HH5の症状は単なる生殖機能の低下にとどまらず、内分泌・神経・耳鼻咽喉領域の異常が様々な割合で組み合わさった複雑なスペクトラムを形成します。胎児期の性分化から思春期の二次性徴、さらに成人期の生殖能力まで、ライフステージのあらゆる段階に影響が及びます。

👨 男性の表現型

  • マイクロペニス:70〜92.3%
  • 停留精巣:41.7〜60%
  • 思春期欠如・精巣容積4mL未満
  • 陰毛・腋毛・声変わりの欠如
  • 男性不妊症

👩 女性の表現型

  • 思春期の遅延または欠如
  • 乳房発育の不全
  • 原発性無月経
  • 長期的なエストロゲン欠乏による骨粗鬆症リスク

👃 嗅覚・神経系

  • 嗅覚脱失または嗅覚低下(カルマン症候群)
  • 嗅球・嗅溝の無形成または低形成
  • 両手鏡像運動(Bimanual Synkinesis)
  • 知的障害(症例による)

🦻 聴覚・その他

  • 内耳異常:80%
  • 外耳奇形:73.3%
  • 感音性難聴・三半規管低形成
  • 口唇裂・口蓋裂・顔面非対称
  • 腎奇形(不完全浸透)

💡 用語解説:マイクロペニス/停留精巣

マイクロペニスとは、陰茎の伸展長が同年代平均より2.5SD(標準偏差)以上短い状態を指します。胎児期後期にテストステロン分泌が不足することで生じます。
停留精巣(潜在精巣)とは、本来であれば出生時までに陰嚢内に降りているはずの精巣が、腹腔内や鼠径部にとどまっている状態です。HH5では胎児期のホルモン環境の異常により、これら両方が高い頻度で観察されます。

💡 用語解説:両手鏡像運動(Bimanual Synkinesis)

片方の手を動かすと、もう片方の手も無意識のうちに同じ動きを「鏡のように」してしまう神経学的な異常です。脳の左右半球をつなぐ神経線維の交差が正しく形成されないために起こります。楽器の演奏やタイピングなど、両手を独立して使う動作が困難になります。カルマン症候群でしばしば見られる症状で、特にX連鎖型のANOS1変異で有名ですが、CHD7変異でも認められます。

嗅覚異常を伴うHH5を「カルマン症候群」、嗅覚が完全に保たれている場合を「正常嗅覚性CHH」と呼びますが、ある研究ではCHD7変異がKS群(18%)でもnCHH群(14%)でもほぼ同程度の頻度で見つかることが報告されています。つまり、嗅覚があるかないかだけでCHD7変異を除外することはできず、両方の表現型を視野に入れた精密な評価が必要です。

また、成長パターンとしては小児期の直線的な身長の伸びは概ね正常範囲ですが、性ステロイド欠乏のため思春期の成長スパートが起こらないため、結果的に同年代と比較して相対的な低身長となることが多くあります。さらに一部の患者では成長ホルモン(GH)分泌不全や中枢性甲状腺機能低下症などの複合型下垂体機能低下症(CPHD)を合併することもあり、内分泌系全体の精査が重要です。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「思春期が来ない」その背景にあるもの】

「同級生はみんな声変わりしているのに、うちの子だけまだ」「中学生になっても初経が来ない」——ご家族からこういったご相談を受けることがあります。思春期の発来時期には個人差がありますが、男児で14歳、女児で13歳を過ぎても二次性徴の徴候が見られない場合は「思春期遅発症」として精査の対象になります。

そのなかでも「香水のにおいがよく分からない」「焼き魚の匂いが分からない」といった嗅覚の異常を伴う場合、HH5(カルマン症候群)を含む先天性GnRH欠損症の可能性が浮かび上がります。当院では内分泌学的評価と頭部MRI(嗅球・嗅溝の評価)に加え、CHD7をはじめとする関連遺伝子のパネル検査を組み合わせて原因解明を進めています。「来ない思春期」は、長年放置された場合の骨粗鬆症や生殖能力の喪失につながるため、早期の診断と治療開始がとても大切です。

4. 鑑別診断:CHARGE症候群との境界線

CHD7変異による疾患は、致死的な多臓器奇形を伴う古典的なCHARGE症候群から、生殖機能異常のみを呈する孤立性のHH5まで、明確な境界のない連続的なスペクトラムを形成しています。「どこから先がCHARGEで、どこから先がHH5なのか」を区別することは、臨床現場で長年の課題となってきました。

CHARGE症候群の診断基準:BlakeとVerloesの比較

分子診断が普及する前から、CHARGE症候群の臨床診断には症状の組み合わせに基づく基準が使われてきました。代表的なものが1998年のBlake基準と、それを見直す形で2005年に提唱されたVerloes基準です。

項目 Blake基準(1998) Verloes基準(2005)
主要基準 ①コロボーマ ②後鼻孔閉鎖 ③脳神経機能不全 ④特徴的耳介異常 ①コロボーマ ②後鼻孔閉鎖 ③半規管低形成(新規追加)
小基準 生殖器低形成、発達遅延、心血管奇形、成長障害、口顔裂、気管食道瘻、特徴的顔貌 菱脳機能不全、視床下部-下垂体機能不全(ゴナドトロピン欠損を含む)、中外耳異常、縦隔臓器奇形、精神遅滞
診断要件 主要4項目、または主要3項目+小3項目 主要3項目、または主要2項目+小2項目

CHHの文脈で特に重要なのは、Verloesの小基準に「視床下部-下垂体機能不全(ゴナドトロピン欠損を含む)」が明記された点です。これにより、CHHは単独の疾患ではなくCHARGE症候群の広範な表現型の一部として医学的に位置づけられることになりました。

「純粋な孤立性CHH」は本当に存在するのか

116人のCHH発端者を全エクソームシーケンシング(WES)で解析した画期的な研究があります。ACMGガイドラインに基づき「病的」または「病的の可能性あり」と判定されたCHD7変異を持つCHH患者に対し、改めて詳細な表現型評価(ディープ・フェノタイピング)を実施したところ、なんと80%(4/5)が軽度の難聴・顔面非対称など複数のCHARGE症候群の特徴を併せ持っていたのです。うち3名は後からCHARGE症候群として診断が再分類されました。

この結果は、病原性CHD7変異が完全に純粋な「孤立性CHH」を引き起こすケースは極めて稀であり、HH5と診断された患者の背景には潜在的なCHARGEスペクトラムが隠れていることを意味します。したがって、特発性のCHHと診断された患者に対しても、内分泌機能だけでなく、三半規管・聴力・心機能などを包括的にスクリーニングする多診療科的アプローチが不可欠です。

2024〜2026年の新たな動向:嗅覚機能を主要基準に

既存のBlake基準・Verloes基準には嗅覚機能障害が含まれていなかったのですが、近年の研究ではCHARGE症候群患者の80%以上で嗅球低形成などの嗅覚機能障害が認められることが報告されています。この嗅覚障害が神経発達遅延やQOL低下と強く関連するという新たなエビデンスに基づき、今後の診断基準改訂で嗅覚障害を主要基準(メジャークライテリア)として組み込む動きが議論されています。

🔍 関連記事:CHARGE症候群の詳しい解説では、コロボーマ・心疾患・後鼻孔閉鎖などを含む全身管理の実際を解説しています。

5. 診断基準と遺伝子検査の進め方

HH5の診断には、身体的異常の包括的な臨床評価と、正確な分子診断をもたらす遺伝学的検査の統合が欠かせません。Jongmansらのガイドラインでも、低ゴナドトロピン性性腺機能低下症および嗅覚脱失と診断されたすべての患者は、CHARGE症候群の臨床的特徴がないかを入念にスクリーニングするべきとされています。

臨床的・画像的評価プロトコル

💡 HH5を疑った際の標準評価

  • 内分泌学的プロファイリング:血中テストステロン、エストラジオール、LH、FSHの基礎値とGnRH負荷試験
  • 頭部MRI:下垂体形態、嗅球・嗅溝の構造評価(KSでは無形成または低形成を確認)
  • 超音波検査:精巣(男性)・子宮卵巣(女性)・腎臓の評価
  • 聴力検査・三半規管評価:CHARGEスペクトラムを見逃さないために必須
  • 骨年齢評価:手と手首のX線で骨成熟遅延の程度を評価

遺伝学的検査:NGSパネルと全エクソーム解析

近年では、CHHや下垂体機能低下症に関連する既知の遺伝子群(CHD7、ANOS1、PROKR2、FGFR1、SEMA3Aなど数十種類)を網羅的に解析する「ターゲット次世代シーケンシング(NGS)パネル検査」や、「全エクソームシーケンシング(WES)」が第一選択として利用されています。

💡 用語解説:全エクソームシーケンシング(WES)

遺伝子のタンパク質をコードする領域(エクソン)全体を一気に網羅的に解析する次世代シーケンス手法です。ヒトには約2万個の遺伝子があり、WESではそのほぼすべてのエクソンを同時に読み取れます。原因遺伝子の見当がつかない症例や、複数の遺伝子に変異がある可能性が高い症例で特に有効です。患者本人と両親3名で同時に解析する「トリオWES」は、新生突然変異を効率よく検出できます。

注意点として、CHD7遺伝子検査で陽性となる患者の1〜2%は遺伝子内の微小欠失や全欠失を持っているため、これらを検出するマイクロアレイ染色体検査やMLPA法の併用が推奨されます。

家族評価と遺伝カウンセリング

CHD7変異は常染色体顕性遺伝のため、患者さんに病的バリアントが同定された場合は臨床遺伝専門医によるカウンセリングと両親の遺伝子解析が適切です。両親のいずれかが軽度の表現型(嗅覚低下など)しか持たなくても、不完全浸透と可変表現性により、子どもに重症の多臓器奇形が現れるリスクがあります。

親が変異を有している場合の次子への再発リスクは50%。親の白血球DNAから変異が検出されない新生突然変異のケースであっても、性腺モザイクの可能性を考慮し1〜2%の再発リスクが残存すると見積もられます。

6. 治療と妊孕性のマネジメント

HH5の治療目標は二つあります。第一に性ステロイドの補充による第二次性徴の誘発・維持と骨粗鬆症の予防。第二に妊娠・出産を希望する際の妊孕性(生殖能力)の獲得です。HH5は内分泌異常に起因する不妊症の中では稀な原因ですが、適切なホルモン補充により高い確率で生殖能力を回復できる、治療効果が高く可逆的な疾患でもあります。

第二次性徴の誘発と全身的健康の維持

若年期で当面妊孕性を希望しない患者さんに対しては、性ステロイドの補充療法が標準治療です。男性にはテストステロン補充療法(筋注、ゲル、パッチ等)が用いられ、筋肉量・体毛・声・骨密度の改善が期待できます(ただし精巣の発育促進にはつながりません)。女性にはエストロゲン+プロゲスチンによるホルモン補充療法を段階的に行い、乳腺発育と人工的な月経周期の確立を目指します。

妊孕性獲得のためのゴナドトロピン治療プロトコル

将来子どもを望む男性患者さんでは、性ステロイド単独では精子形成は誘導できません。外因性のゴナドトロピン補充療法、あるいはGnRHの拍動的投与に切り替える必要があります。以下は現在広く用いられている治療レジメンの比較です。

治療レジメン 投与方法・用量 臨床的意義・転帰
拍動的GnRH療法 輸液ポンプで2時間ごとに25 ng/kgを拍動的に皮下投与(生理的な分泌パターンを模倣) 約80%が精子形成を達成。ポンプ常時装着の煩雑さが制限要因
hCG単独療法 週3,000〜5,000 IUを2〜3回に分けて自己皮下注射 3〜9ヶ月で生殖能力獲得。精巣容積4mL未満や停留精巣既往例では失敗率が高い。副作用:多血症・女性化乳房
hCG+FSH併用療法 hCG治療にFSH 75 IU/隔日を追加。最大週3回150 IUまで漸増 妊孕性希望患者の主幹的治療。3〜6ヶ月で精子数を評価しFSHを調整
順次ゴナドトロピン療法 先にFSH単独で約4ヶ月前治療(プライミング)→hCG+FSHへ移行 最重症GnRH欠損や停留精巣既往例で有益。セルトリ細胞機能をインヒビンBで確認しながら段階的に進める

男性CHH患者に対する精子形成誘導の代表的レジメン比較。精巣容積が小さい場合や停留精巣の既往がある重症例では、FSH前治療を含む順次療法が高い有効性を示します。

💡 用語解説:hCG/FSH/LH

hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)は本来妊娠中に胎盤から分泌されるホルモンですが、LHと構造がよく似ているため、男性ではテストステロン産生を担うライディッヒ細胞を刺激するために使われます。FSH(卵胞刺激ホルモン)は精細管のセルトリ細胞を直接刺激して精子形成を促します。LH(黄体形成ホルモン)はライディッヒ細胞からのテストステロン分泌を促す下垂体ホルモンです。HH5ではこれらの自然な分泌が障害されているため、外から補充する必要があります。

どの治療プロトコルでも反応は遅効性で、精子形成と妊孕性の獲得には通常3〜9ヶ月、場合によってはそれ以上を要します。治療中はテストステロン過剰上昇による多血症や、エストラジオールへの過剰芳香化による女性化乳房が起こりうるため、4〜6週ごとに血中テストステロン・ヘマトクリット・エストラジオールをモニタリングしながら用量を細かく調整します。

7. 遺伝カウンセリングと家族の意思決定

HH5の確定診断後、ご家族への丁寧な遺伝カウンセリングが必要です。遺伝カウンセリングでは以下のような内容が扱われます。

  • 遺伝形式と再発リスクの説明:多くは新生突然変異ですが、家族性発症のケースもあります。患者さんが子どもを持つ場合の遺伝確率は理論上50%。同じ変異であっても症状の重さは家族内でも大きく異なる(不完全浸透・可変表現性)ことを正確に伝えます。
  • 予後情報の提供:適切なホルモン治療により思春期の確立と妊孕性獲得が可能であること。一方で潜在的CHARGE所見の有無により全身管理の方針が変わることも丁寧に説明します。
  • 出生前診断の選択肢:家族内に既知のCHD7変異がある場合、次子について羊水検査・絨毛検査による遺伝子診断が選択肢として存在します。CHD7は当院のNIPTダイヤモンドプランインペリアルプランの対象遺伝子にも含まれています。ただし不完全浸透と表現型の広い幅を持つHH5では、出生前に変異を見つけることが常に利益になるとは限りません。検査を受けるかどうかは、専門医との十分な対話のうえでご家族が決定するものです。
  • 心理的サポートと長期フォロー:思春期遅発症や不妊の悩みは患者さんの自己イメージに大きく影響します。内分泌科・心理士・臨床遺伝専門医の連携による長期的な支援体制が大切です。

🔍 関連記事:遺伝カウンセリングとはでは、検査前後の意思決定の進め方、家族との情報共有の仕方、検査の限界について詳しく解説しています。

8. よくある誤解

誤解①「思春期が遅いだけで、放っておけば来る」

体質的な思春期遅発症と区別が必要ですが、HH5の本態はGnRH分泌そのものの障害であり、自然に思春期がやってくることはありません。放置すると骨粗鬆症や心血管リスクが高まるため、早期の診断と治療開始が大切です。

誤解②「嗅覚が正常ならカルマン症候群ではないので安心」

CHD7変異は嗅覚異常を伴う場合(KS)と伴わない場合(nCHH)でほぼ同じ頻度で見つかります。嗅覚の有無だけで遺伝学的精査を省略することはできません。

誤解③「孤立性CHHはCHARGE症候群とは別物」

病原性CHD7変異を持つHH5患者の80%が、詳細な評価で軽度の難聴や顔面非対称などCHARGEの部分的特徴を併せ持つことが分かっています。両者は連続した一つのスペクトラムであり、全身的な評価が必要です。

誤解④「両親が健康だから遺伝ではない」

HH5の多くは新生突然変異であり、ご両親には変異がないケースが珍しくありません。「家族に同じ病気の人がいないから遺伝病ではない」という思い込みが、診断を遅らせる原因になります。

9. 臨床遺伝専門医からのメッセージ

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「来ない思春期」を診ることは、人生を診ること】

HH5は「思春期が来ない」という極めて個人的でデリケートな悩みを抱えた患者さんと向き合う疾患です。同年代の友人たちが声変わりし、月経が始まり、恋愛や結婚を経験していくなかで、自分だけがどこか取り残されているような感覚——その心情に寄り添うことなしに、この疾患の治療はうまくいきません。

幸いにもHH5は、適切なホルモン治療によって思春期の確立も妊孕性の獲得も可能な疾患です。私が遺伝カウンセリングで何より大切にしているのは、「この治療を受ければ、こんな未来が開ける」という希望のシナリオを、医学的根拠とともにお伝えすること。そして、ご家族の決断を急かさず、十分な時間をかけて一緒に考えることです。CHD7変異という言葉の重さの先に、明るい人生の地平が広がっていることを、診察室でお伝えできればと願っています。

よくある質問(FAQ)

Q1. HH5は遺伝しますか?

常染色体顕性(優性)遺伝の形式をとり、患者さんが子どもを持つ場合の遺伝確率は理論上50%です。ただしHH5は新生突然変異(de novo変異)のケースが多く、ご両親には変異がない散発例が珍しくありません。家族計画について不安がある方は、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングをご利用ください。

Q2. 嗅覚の異常はHH5の患者さんすべてにあるのですか?

いいえ、HH5には嗅覚異常を伴うタイプ(カルマン症候群、KS)と、嗅覚が正常なタイプ(正常嗅覚性CHH、nCHH)の両方が存在します。CHD7変異は両群でほぼ同じ頻度で見つかるため、嗅覚があるかないかだけで疾患を除外することはできません。嗅球・嗅溝のMRI評価と遺伝子検査の両方が診断に有用です。

Q3. どのように診断されますか?

思春期欠如、マイクロペニス、停留精巣、原発性無月経、嗅覚異常などの臨床所見から疑い、ホルモン基礎値(LH、FSH、性ステロイド)、GnRH負荷試験、頭部MRI(嗅球・下垂体)、聴力検査、三半規管評価などを行います。最終的にはNGSパネル検査または全エクソームシーケンシング(WES)でCHD7をはじめとするCHH関連遺伝子の解析を行い、確定します。遺伝子内微小欠失の検出にはマイクロアレイやMLPA法も併用されます。

Q4. CHARGE症候群と同じ疾患ですか?

原因遺伝子(CHD7)は同じですが、症状の重さと範囲が大きく異なります。CHARGE症候群は眼コロボーマ・心疾患・後鼻孔閉鎖などを含む重症の多臓器奇形を呈するのに対し、HH5は主に生殖機能と嗅覚に症状が限定された軽症型と考えられてきました。ただし最新の研究では、HH5と診断された患者さんの多くが軽度のCHARGE特徴を併せ持つことが分かっており、両者は連続的なスペクトラムとして理解されつつあります。

Q5. 子どもを持つことは可能ですか?

適切なホルモン治療により、多くのHH5患者さんで妊孕性の獲得が期待できます。男性の場合はhCG単独療法、hCG+FSH併用療法、順次ゴナドトロピン療法、拍動的GnRH療法などのなかから、精巣容積や停留精巣の既往などを考慮して最適なプロトコルが選ばれます。精子形成には通常3〜9ヶ月を要し、重症例では1年以上かかることもあります。生殖補助医療を組み合わせるケースもあります。

Q6. 出生前にHH5を診断することはできますか?

家族内に既知のCHD7変異がある場合、絨毛検査や羊水検査による出生前遺伝子診断が選択肢として存在します。CHD7は当院のNIPTダイヤモンドプランやインペリアルプランの対象遺伝子にも含まれています。ただしHH5は不完全浸透と可変表現性の幅が広く、同じ変異でも症状の重さが大きく異なるため、出生前に変異を見つけることが常に利益になるとは限りません。検査を受けるかどうかは、専門医との十分な対話のうえでご家族が決定するものです。

Q7. 知的障害はありますか?

孤立性HH5として発症する症例では認知機能は正常に保たれていることが多く、知的障害を伴わないのが一般的です。一方、CHARGEスペクトラム寄りの重症例では発達遅滞や知的障害を伴うことがあります。CHD7変異の種類(ナンセンス変異やフレームシフト変異か、ミスセンス変異か)が表現型の重さに大きく影響します。

Q8. 治療はずっと続ける必要がありますか?

HH5は先天性のGnRH分泌障害ですから、生涯にわたる性ステロイド補充が原則として必要です。妊孕性獲得のためのゴナドトロピン療法は子どもを希望する期間に集中して行い、それ以外の時期はテストステロン補充療法または女性ホルモン補充療法に切り替えることが一般的です。骨粗鬆症や心血管リスクを抑え、心身の健康を維持するうえで継続的な治療が大切です。

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遺伝子CHD7遺伝子についてHH5・CHARGE症候群の原因遺伝子CHD7のタンパク構造、発現組織、関連疾患を詳しく解説します。関連疾患CHARGE症候群HH5と連続するスペクトラム疾患。コロボーマ・心疾患・後鼻孔閉鎖を含む重症型を解説します。確定検査羊水検査・絨毛検査院内一貫体制で実施する確定診断の流れと、CHD7を含む単一遺伝子解析のオプションをご案内します。遺伝カウンセリング遺伝カウンセリングとは検査前後の意思決定プロセス、家族との情報共有、検査の限界について丁寧に解説しています。NIPTNIPTダイヤモンドプランCHD7を含む56遺伝子・30以上の単一遺伝子疾患をスクリーニング可能なNIPTプランです。NIPTインペリアルプラン154遺伝子・218疾患をカバーする当院最広範のNIPTプラン。CHD7も対象遺伝子に含まれています。

参考文献

  • [1] OMIM #612370. Hypogonadotropic Hypogonadism 5 with or without Anosmia. Johns Hopkins University. [OMIM]
  • [2] NCBI MedGen. Hypogonadotropic hypogonadism 5 with or without anosmia (C3552553). [MedGen]
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  • [6] Phenotypic spectrum of patients with mutations in CHD7: clinical implications of endocrinological findings. Endocrine Connections. 2022. [Endocrine Connections]
  • [7] Schulz Y, et al. Sema3a plays a role in the pathogenesis of CHARGE syndrome. Hum Mol Genet. 2018;27(8):1343-1352. [Oxford Academic]
  • [8] Digenic CHD7 and SMCHD1 inheritance unveils phenotypic variability in a family mainly presenting with hypogonadotropic hypogonadism. Mol Genet Genomic Med. 2024. [PMC10750161]
  • [9] Boehm U, et al. Expert consensus document: European Consensus Statement on congenital hypogonadotropic hypogonadism – pathogenesis, diagnosis and treatment. Nat Rev Endocrinol. 2015;11(9):547-564. [PMC4722398]
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  • [12] Treatment of congenital hypogonadotropic hypogonadism in male patients. Front Endocrinol. 2022. [PMC9537667]

仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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