目次
- 1 1. マスタープロトコル試験とは|「1薬1疾患1試験」を超える新しいアーキテクチャ
- 2 2. 3つの設計分類|バスケット・アンブレラ・プラットフォームの違い
- 3 3. バスケット試験の代表的事例|遺伝子変異で薬を選ぶ時代へ
- 4 4. アンブレラ・プラットフォーム試験の代表事例|疾患を内側から再定義する
- 5 5. 統計的・運用上の課題|柔軟性の裏側にあるリスク
- 6 6. 世界の規制動向|FDA・EMA・PMDAの最新ガイダンス
- 7 7. マスタープロトコル試験と遺伝医学の接点|「分子の言葉」で治療を選ぶ
- 8 8. よくある誤解
- 9 9. 専門医からのメッセージ
- 10 よくある質問(FAQ)
- 11 参考文献
- 12 関連記事
📍 クイックナビゲーション
「1つの薬を、1つの病気で、1つの試験で評価する」——長年の医薬品開発を支えてきた古典的なルールが、いま大きく書き換わろうとしています。複数の疾患・複数の治療法・複数の仮説を、たった1つの治験計画書のもとで同時に評価する新しい枠組み「マスタープロトコル試験(Master Protocol Trial)」が、希少がんから感染症パンデミックまで、世界中の臨床現場を変えつつあります。本記事では、バスケット型・アンブレラ型・プラットフォーム型の3分類、統計的課題、FDA・EMA・PMDAの最新ガイダンス、I-SPY 2やMASTER KEY Projectなど象徴的な実例まで、臨床遺伝専門医・がん薬物療法専門医が一般の方にもわかりやすく解説します。
Q. マスタープロトコル試験とは何ですか?まず結論だけ教えてください
A. マスタープロトコル試験とは、1つの治験計画書のもとで複数の疾患・複数の治療法・複数の仮説を同時並行で評価する革新的な臨床試験デザインです。共通のスクリーニング体制とデータ基盤を多数のサブ試験で共有することで、開発期間と費用を圧縮し、患者さんの試験参加機会を最大化します。バスケット型・アンブレラ型・プラットフォーム型の3つに大別され、希少がんやCOVID-19パンデミックなどで強力な実用性を証明しています。
- ➤基本概念 → 共通インフラを多数のサブ試験で共有し、開発の重複を排除する革新的なアーキテクチャ
- ➤3つの設計分類 → バスケット(1薬×多疾患)・アンブレラ(1疾患×多薬剤)・プラットフォーム(時間進化型)
- ➤象徴的事例 → I-SPY 2(乳がん)、Lung-MAP(肺がん)、MASTER KEY Project(日本の希少がん)、RECOVERY(COVID-19)
- ➤統計的課題 → 多重性・第一種過誤・ベイズ的情報借用・非同時対照群の慎重な扱い
- ➤遺伝医学との接点 → 遺伝子バイオマーカーに基づく治療選択を支える精密医療の中核基盤
1. マスタープロトコル試験とは|「1薬1疾患1試験」を超える新しいアーキテクチャ
マスタープロトコル試験は、単一の包括的な治験実施計画書(プロトコル)のもとで、複数の疾患・複数の治療法・複数の仮説を並行して評価するために設計された臨床試験のアーキテクチャです。「1つの病気に1つの薬を比較する」という古典的なランダム化比較試験(RCT)モデルから、疾患を分子的・遺伝学的に再定義する精密医療(プレシジョン・メディシン)のパラダイムへと、臨床試験の構造を根本から書き換える存在として近年注目を集めています。
伝統的な臨床試験では、新しい仮説を検証するたびに、独立したプロトコルを作成し、倫理委員会の承認を得て、治験施設を選定し、データ管理システムをゼロから構築する必要がありました。マスタープロトコル試験は、こうした立ち上げの重複作業を排除し、スクリーニング・適格性評価・データ収集プラットフォーム・ガバナンス体制といった共通インフラを多数のサブ試験で共有する革新的なモデルを採用しています。これにより、研究から得られる情報量を最大化しつつ、新薬が患者さんに届くまでの時間を数年単位で短縮することが期待されています。
💡 用語解説:治験実施計画書(プロトコル)
臨床試験を実施するための「設計図」にあたる文書です。試験の目的・対象患者・投与方法・評価項目・統計解析計画など、試験のすべての要素が事細かに記載されます。通常は1つの試験につき1つのプロトコルを作成しますが、マスタープロトコル試験では1つの上位プロトコルのもとに複数のサブ試験を入れ子状に組み込むことで、運用効率と科学的整合性を両立させる仕組みを採っています。
もう1つの大きな利点が「対照群の共有」です。複数の試験薬で1つの対照群(プラセボや標準治療)を共有することで、試験全体としてプラセボに割り付けられる患者数を大幅に減らせます。これは「治療を待つ患者さんを増やさない」という倫理的な観点からも、運用効率の観点からも、極めて重要な仕組みです。希少がん・希少疾患のように患者集積が難しい領域では、マスタープロトコル試験こそが現実的な唯一の道筋となるケースも増えてきました。
COVID-19パンデミック下で実施された英国のRECOVERY試験では、わずか100日でデキサメタゾンの有効性を世界に先駆けて証明し、世界中で数十万人の命を救ったとされます。複数の候補薬を1つのプラットフォームで同時にスクリーニングする能力が、緊急時の医療研究にも極めて強力であることを示した画期的な事例です。
2. 3つの設計分類|バスケット・アンブレラ・プラットフォームの違い
🔍 関連記事:バスケット型臨床試験の詳細/アンブレラ型臨床試験/プラットフォーム型臨床試験
マスタープロトコル試験は、評価対象となる「疾患(患者集団)」と「治療法」のマトリクス、そして時間軸への適応性の有無によって、主に3つの基本設計に大別されます。実際の高度な臨床試験では、これら3つの要素がハイブリッド型として統合されることも珍しくありません。
バスケット型は1つの標的薬を複数の疾患に横断的に評価する設計。アンブレラ型は1つの疾患を不均一な患者群に階層化し複数の標的薬を評価する設計。プラットフォーム型は共通の対照群を持ち、時間経過とともに新しい治療アームの追加と無効なアームの削除を動的に行う永続的な枠組み。
3分類の構造的な違い
💡 用語解説:バイオマーカー
病気の状態や治療効果を客観的に評価するための「目印」となる生物学的指標です。遺伝子変異(BRAF V600・EGFR・ALK融合など)、タンパク質発現(HER2・PD-L1)、特定の代謝物などが含まれます。マスタープロトコル試験では、患者さんを「どのサブ試験に組み入れるか」を決める振り分けの根拠として、バイオマーカーが中心的な役割を果たします。検出は主に次世代シーケンサー(NGS)を用いた包括的ゲノムプロファイリング(CGP)によって行われます。
3. バスケット試験の代表的事例|遺伝子変異で薬を選ぶ時代へ
🔍 関連記事:BRAF遺伝子と分子標的薬/MSI-H/dMMR関連がん/がん種横断的療法
バスケット試験は、特定の遺伝子変異やバイオマーカーを共有する複数の異なる疾患・腫瘍型に対して、単一の治験薬を横断的に評価する設計です。「がんは発生臓器(肺・大腸・甲状腺・胆管…)ではなく、駆動する分子的特徴で再定義される」というプレシジョン・オンコロジーの思想を直接的に体現しています。
VE-BASKET(NCT01524978)|BRAF V600変異への分子標的
バスケット試験の代表的な先駆けが、BRAF V600変異を有する複数の非黒色腫がんに対してベムラフェニブを評価したVE-BASKET試験です。同変異は悪性黒色腫の約50%で見られる一方、肺がん・大腸がん・甲状腺がんなどでは数%未満と頻度が低く、それぞれを単独で第II相試験として実施するのは現実的ではありませんでした。VE-BASKETは1つの計画書のもとで7つの腫瘍コホートを並行評価し、非小細胞肺がんで奏効率42%など、臓器を超えてベムラフェニブが効くケースと効かないケースを明確に分けることに成功しました。
KEYNOTE-158|MSI-H/dMMRのがん種横断的承認の根拠
免疫チェックポイント阻害薬ペムブロリズマブを多種の進行固形がんに対して評価したKEYNOTE-158試験は、MSI-H/ミスマッチ修復欠損(dMMR)という遺伝学的特徴をもつ腫瘍に対して、原発臓器を問わない承認(がん種横断的承認)の根拠となりました。MSI-H/dMMRはリンチ症候群の患者さんで高頻度に見られる特徴でもあり、遺伝性腫瘍領域とのつながりがとくに深いマーカーです。
NCI-MATCH|歴史的マイルストーン
米国国立がん研究所(NCI)が主導するNCI-MATCH試験は、がん種を問わず特異的な遺伝子変化に基づいて標的治療を割り当てる大規模なバスケット試験です。約6,000人の患者を登録し、38もの治療アームで評価を行った歴史的マイルストーンであり、その後のComboMATCH(併用)・MyeloMATCH(血液腫瘍)・Pediatric MATCH(小児)といった次世代マスタープロトコルの礎を築きました。
4. アンブレラ・プラットフォーム試験の代表事例|疾患を内側から再定義する
ALCHEMIST|非小細胞肺がんを分子で階層化する
米国NCIのALCHEMISTプログラム(スクリーニング本体:NCT02194738)は、術後の非小細胞肺がん患者さんを対象に、まず広範な分子スクリーニングを行い、EGFR変異・ALK融合遺伝子・PD-L1発現などのバイオマーカーに基づいて複数のサブ試験へと振り分ける典型的なアンブレラ型プログラムです。標的となる遺伝子異常を持つ患者さんはオシメルチニブやクリゾチニブのサブ試験に、そうでない患者さんはペムブロリズマブ+化学療法のサブ試験(ACCIO/A081801)に登録され、誰一人として「適合する試験がなくて参加できない」状況をできるだけ減らす設計です。
I-SPY 2|ベイズ的適応的ランダム化が拓く乳がん治療
2010年に開始され、現在も進行中である乳がん領域の代表的なプラットフォーム試験がI-SPY 2試験(NCT01042379)です。高再発リスクの早期乳がん患者さんを対象に、術前化学療法に新規の標的治療薬を追加した際の効果を評価しています。最大の革新点は「ベイズ流の適応的ランダム化」を試験内に実装している点です。
患者さんは腫瘍の分子サブタイプ(HER2発現、ホルモン受容体状態、MammaPrint等の10種類のバイオマーカー・シグネチャ)に基づき、蓄積データから「最も効果が高いと予測される治療アーム」へと、より高い確率で割り付けられます。さらに、「将来の第III相試験で85%以上の成功確率」というベイズ予測確率に達した時点で「卒業(Graduation)」として小規模な確証的試験へ移行し、逆に成功確率が10%未満になれば無益として除外されます。これまでにPARP阻害剤ベリパリブとカルボプラチン併用、デュルバルマブ+オラパリブ+パクリタキセル3剤併用などが続々と卒業基準を満たしています。
Lung-MAP(S1400)|公民連携で動く肺がんプラットフォーム
Lung-MAP試験は、進行・再発の非小細胞肺がんを対象とし、NCI・SWOG・Friends of Cancer Research・FDA・複数の製薬企業による大規模な官民パートナーシップで運営されているマスタープロトコル試験です。FoundationOne CDxを用いた包括的ゲノムプロファイリングにより、各患者のゲノムに合致した標的治療サブ試験へと割り当てます。標的となる遺伝子異常が見つからなかった患者さんも「非適合(Non-Match)アーム」で免疫チェックポイント阻害薬の評価に組み入れられ、参加機会の最大化が徹底されています。
MASTER KEY Project|日本発の希少がんプラットフォーム
国立がん研究センターが主導するMASTER KEY Projectは、年間発生数が10万人あたり6例未満の希少がんや原発不明がんを対象とした、日本発の革新的なプラットフォームです。前向きレジストリ研究と複数のバスケット型・アンブレラ型サブ試験を1つの上位プロトコルに統合し、レジストリで蓄積されたデータが将来の単群試験における「外部対照」として活用される設計になっています。
初期中間解析では、解析対象528人の患者さんのうち約69%(364/528)がNGS検査を受け、そのうち48%(176/364)で治療標的となり得る「アクショナブル」な遺伝子異常が発見されました。さらに登録患者全体の13%(71人)が実際にプロジェクト内の臨床試験に登録され、新薬の投与を受けています。希少がん領域でありながら月間約3.94人の患者集積率を達成しており、この成功モデルはアジア全域へとMASTER KEY ASIAとして拡張中です。
RECOVERY試験|パンデミックを変えた100日の物語
RECOVERY試験は2020年3月、英国のCOVID-19入院患者を対象に開始された大規模なプラットフォーム試験です。ヒドロキシクロロキン・ロピナビル/リトナビル・アジスロマイシン・トシリズマブ・回復期血漿など複数の候補薬を1つの計画書で同時に評価し、わずか開始から100日で「デキサメタゾンが酸素投与・人工呼吸を要する重症例の死亡を有意に低下させる」ことを世界に先駆けて証明しました。各国のICUガイドラインが直ちに書き換えられ、世界中で数十万人規模の命が救われたと推計されています。プラットフォーム試験の「動的・継続的・無駄のない」設計が、緊急時の医療研究にとってどれほど強力かを示した象徴的事例です。
5. 統計的・運用上の課題|柔軟性の裏側にあるリスク
マスタープロトコル試験は強力なメリットを持つ一方で、伝統的な1薬1疾患の試験にはなかった特有かつ高度な統計的・運用上の課題を抱えます。これらを適切に制御しなければ、誤った有効性の結論を導くリスクがあり、規制当局はこの点を極めて慎重に審査しています。
多重性と第一種過誤の制御
1つの試験内で複数の仮説検定(複数の薬剤・複数のサブグループの比較)を同時に行うと、個々の検定を通常の有意水準(α=0.05)で評価しても、試験全体として「少なくとも1つ誤って有効と判定する確率」は仮説の数に比例して膨らみます。これを「ファミリーワイズ・エラー率(FWER)のインフレーション」と呼びます。さらにプラットフォーム試験では「共通対照群」のデータが複数の比較で再利用されるため、検定統計量に正の相関が生じ、単純なボンフェローニ補正では検出力を不必要に下げてしまうおそれもあります。
💡 用語解説:第一種過誤(偽陽性)
「本当は効果がないのに、偶然のばらつきで効果があるように見えてしまう誤り」のことです。臨床試験では通常5%以下(α=0.05)に抑えるよう設計されますが、複数の仮説を同時に検定すると、この誤りが積み重なって膨らみます。例えば10個の独立した仮説をα=0.05で同時検定すると、全体として誤って1つ以上有効と判定する確率は約40%にも達してしまいます。マスタープロトコル試験では、こうした多重性を統計学的に厳密にコントロールすることが、規制当局からの承認を得る前提条件となります。
ベイズ的情報借用と不均一性のジレンマ
バスケット試験では、同じ遺伝子変異を共有していれば異なる臓器でも「治療効果が類似している(交換可能性)」という強い仮定が前提となっています。しかし希少サブタイプ(バスケット)の症例数は少なく、独立した検定では検出力が不足します。この問題を克服するため、他のバスケットのデータを統計学的に融通し合う「ベイズ的情報借用(Bayesian Borrowing)」のフレームワークが頻繁に採用されます。
しかし臨床現実はしばしば理論より複雑で、同じBRAF変異であっても黒色腫と大腸がんでは薬剤への反応性が大きく異なる「不均一性(heterogeneity)」が知られています。情報を一律に強く借用すると、本来は効果のないサブグループに対し他の奏効率の高いバスケットに引っ張られて「有効」と誤認するリスクがあります。この問題に対応するため、ベイズ階層モデル(BHM)・EXNEX(交換可能・非交換可能の混合モデル)・キャリブレートされたBHM(CBHM)・rMAP/rBMAなど、より精緻なベイズモデルが提案されてきました。
💡 用語解説:ベイズ階層モデル(BHM)
バスケット試験の各サブグループの治療効果が「互いにある程度似ている」と仮定したうえで、データの少ないサブグループに対しては他のサブグループの情報を「借りて」推定精度を上げる統計手法です。完全に独立して解析するよりも検出力が高まる一方、サブグループ間の真の効果が大きく異なる場合は誤った結論を導くため、事前分布の設定とシミュレーションによるキャリブレーションが極めて重要になります。バスケット試験の統計設計の中核技術であり、規制当局も解析計画段階で詳細な検討を求めます。
非同時対照群(Non-Concurrent Controls)の慎重な扱い
プラットフォーム試験で新たな治療アームが後から追加された場合、その治療アームの患者が登録される「前に」登録された対照群のデータ(非同時対照)を比較に組み込むかどうかが、方法論上の大きな論点です。理論上はサンプルサイズが増えて検出力が向上しますが、現実には標準治療の進化、診断技術の進歩、患者集団の変化など「時間的ドリフト」によりシステム的なバイアスが入りやすく、確証的試験での利用にはFDA・EMA・PMDAいずれも極めて慎重な姿勢を示しています。
運用上の障壁|分子スクリーニング・TMF・安全性帰属
統計設計だけでなく、運用面でも特有の難しさがあります。NGSによる包括的ゲノムプロファイリングのスループット、治験マスターファイル(TMF)の電子的管理、有害事象が発生したときに「どの薬剤に帰属させるか」の難しさ、共有対照群を持つ試験で一部アームの結果が先行公開された場合の他アームへの影響——いずれも従来型試験ではあまり問題にならなかった課題です。グローバルな規制当局は中央IRB(中央倫理審査委員会)の利用と、独立データモニタリング委員会(IDMC)の設置を強く推奨しており、これらが事実上の必須要件となりつつあります。
6. 世界の規制動向|FDA・EMA・PMDAの最新ガイダンス
FDA(米国食品医薬品局)|2023年12月ドラフトガイダンス
FDAは2023年12月、より広範な疾患領域を対象とした改訂ドラフトガイダンス「Master Protocols for Drug and Biological Product Development」を公表しました。最大の特徴は、マスタープロトコルを単なるプロトコル集合体ではなく「それ自体を1つの新規IND(治験薬免除)申請」として提出することを求めている点です。複数の異なる製薬企業の薬剤が参加する場合でも、データ保護・安全性報告の責任所在が明確化され、審査プロセスが合理化されます。多重性については、作用機序が異なる独立した薬剤同士の比較に対しては、原則として薬剤間での多重性調整は求められない実務的な見解が示されています。
EMA(欧州医薬品庁)|プラットフォーム試験のリフレクションペーパー
EMAはプラットフォーム試験が販売承認申請(MAA)の根拠となるピボタル試験として用いられる事例の増加に強い関心を寄せ、専用のリフレクションペーパーの策定プロセスを進めています。特に厳しい姿勢を示しているのが「非同時対照データ」の利用と「結果の逐次公表」がもたらす交絡リスクです。試験の科学的厳密性と結果の解釈可能性を最重視する姿勢が貫かれています。
PMDA(医薬品医療機器総合機構)|2024年6月「留意事項」
日本の規制当局である厚生労働省およびPMDAは、AMEDの支援を受けた産学官の協働プロジェクトを経て、2024年6月に「医薬品開発等におけるマスタープロトコル試験の活用に関する留意事項」を正式に発出しました。バスケット・アンブレラ・プラットフォームの3形態が日本の法規制に則って定義され、中央IRBの導入・IDMCの設置・共通データ管理システムの利活用が明記されています。
PMDAが特に強調しているのは「事前相談」の重要性です。マスタープロトコル試験やその傘下にあるサブ試験の結果を利用して日本での新薬承認申請を目指す場合、試験計画の初期段階からPMDAの対面助言などを通じてマスタープロトコル自体の設計の妥当性を徹底的に議論することが推奨されます。日本独自の論点として、国際共同治験における民族的要因(ICH E5)への対応が挙げられ、確証的試験における主要評価項目の解析には「同時に登録された対照群のデータのみを使用すること」が強く推奨されています。
7. マスタープロトコル試験と遺伝医学の接点|「分子の言葉」で治療を選ぶ
マスタープロトコル試験は、一見すると「臨床試験の方法論」という統計・運用の話題に見えますが、その根底には遺伝医学・分子遺伝学の発展が深く流れ込んでいます。遺伝子診断・遺伝形式・遺伝カウンセリングの3つの観点から、その接点を整理してみましょう。
① 遺伝子診断との接点|NGS/CGPがすべての入口
マスタープロトコル試験のバスケット型・アンブレラ型は、患者さんを正しいサブ試験へ振り分けるために包括的ゲノムプロファイリング(CGP)や次世代シーケンサー(NGS)パネル検査を前提とします。BRAF V600・EGFR・ALK融合・MSI-H/dMMR・NTRK融合・HER2過剰発現などの分子マーカーが「どのバスケットに入るか」を決め、試験参加そのものを可能にします。NGSの精度・スループット・データ解釈の質が、マスタープロトコル試験の成否を直接左右する基盤と言って差し支えありません。
② 遺伝形式との接点|HBOC・リンチ症候群と試験参加
遺伝性腫瘍症候群、たとえばBRCA1・BRCA2変異による遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)や、ミスマッチ修復遺伝子の機能獲得(あるいは機能喪失)変異に由来するリンチ症候群を持つ方は、HRR(相同組換え修復)欠損やMSI-Hという特徴を共有します。これらの分子的特徴はPARP阻害剤バスケット試験やペムブロリズマブのMSI-H/dMMRバスケット試験などの直接の参加対象となり得ます。「遺伝性腫瘍であること」が「精密医療の試験参加機会」と結びつく時代に入っているのです。
③ 遺伝カウンセリングとの接点|二次的所見・VUS・家系内リスク
マスタープロトコル試験へ参加するためのNGS/CGPでは、当初の治療目的とは別に、遺伝性腫瘍症候群を示唆する病的バリアントが「二次的所見」として偶発的に同定されることが少なくありません。また、病的意義不明バリアント(VUS)の取り扱い、家系内へのリスク開示、保因者検査の選択肢など、心理社会的な配慮を伴う論点が次々と現れます。これらすべてに対応するのが臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングの役割です。マスタープロトコル試験は「分子で薬を選ぶ」装置であると同時に、「家族の中で情報をどう扱うか」を問う装置でもあるのです。
④ 出生前と出生後の文脈の違い
マスタープロトコル試験の多くは「成人がん」や「成人の希少疾患」を対象としますが、近年は小児がんを対象とするPediatric MATCHのような枠組みも登場しています。胎児・新生児領域では直接の試験参加は少ないものの、出生前に遺伝子検査でバイオマーカーが特定されれば、生後の治療選択肢としてマスタープロトコル試験が視野に入ることもあります。出生前と出生後の意思決定はそれぞれ独立した文脈で考えるべきで、出生前領域はNIPTと遺伝カウンセリングの領域として、出生後領域は遺伝子パネル検査や全ゲノムシークエンスの領域として、別個に整理されます。
8. よくある誤解
誤解①「マスタープロトコル試験=バスケット試験」
バスケット試験はマスタープロトコル試験の3つの設計分類の1つにすぎません。同じ枠組みの中にアンブレラ型・プラットフォーム型もあり、目的や対象によって最適な設計は変わります。「マスタープロトコル=1薬×多疾患」と理解してしまうと、I-SPY 2やRECOVERYのような重要な事例を見落としてしまいます。
誤解②「効率化のために統計の厳しさが緩む」
むしろ逆で、マスタープロトコル試験では通常の試験より高度な統計設計が要求されます。多重性制御、ベイズ階層モデルのキャリブレーション、非同時対照の扱いなど、規制当局の審査も慎重です。「効率化」は「ゆるさ」ではなく、ゼロから試験を立ち上げる作業の重複を省く意味です。
誤解③「日本ではまだ動いていない」
国立がん研究センター主導のMASTER KEY Projectは、希少がんを対象とした世界的にも先進的なプラットフォーム試験として既に稼働しています。2024年6月にはPMDA/厚生労働省から正式な留意事項が発出され、規制面でも整備が進んでいます。日本は「これから」ではなく「既に主要プレーヤーの1つ」と位置づけられます。
誤解④「希少がんの患者は試験参加が難しい」
かつては事実でしたが、マスタープロトコル試験の登場により希少がんの患者さんこそ最大の受益者となりつつあります。原発臓器を問わず、遺伝子変異というバイオマーカーを軸に集約することで、これまで「数が少なすぎて試験ができない」とされてきた集団に治療機会を届ける装置として機能しています。
9. 専門医からのメッセージ
よくある質問(FAQ)
🏥 遺伝子検査・遺伝カウンセリングのご相談
遺伝性腫瘍(HBOC・リンチ症候群など)の遺伝子検査、
マスタープロトコル試験参加に向けた事前評価、
家族の遺伝カウンセリングは、
臨床遺伝専門医・がん薬物療法専門医が在籍する
ミネルバクリニックにお気軽にご相談ください。
参考文献
- [1] U.S. Food and Drug Administration. Master Protocols for Drug and Biological Product Development — Draft Guidance for Industry. December 2023. [FDA Draft Guidance]
- [2] 厚生労働省・PMDA. 医薬品開発等におけるマスタープロトコル試験の活用に関する留意事項. 2024年6月. [PMDA PDF]
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