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VEGF-Dとは?──リンパ管を増やす増殖因子の役割と、LAM(リンパ脈管筋腫症)の血液診断・治療への応用を遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

血液を1本採るだけで、肺の希少難病を診断できる——そんな検査の主役がVEGF-D(血管内皮増殖因子D)というタンパク質です。VEGF-Dは、体の中にリンパ管を新しく増やすはたらきを持つ「増殖因子」の一つで、ふだんは組織の修復や免疫を静かに支えています。ところがリンパ脈管筋腫症(LAM)という病気では、このVEGF-Dが血液中に大量にあふれ出します。その性質を利用して、いまでは手術で肺の一部を採らなくても、採血だけでLAMを見分けられるようになりました。この記事では、VEGF-Dとは何か、なぜ血液検査でLAMがわかるのか、そしてその背景にある遺伝子(TSC)のしくみや最新の治療開発までを、解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約16分
🧬 増殖因子・リンパ管・LAM診断バイオマーカー
臨床遺伝専門医監修

Q. VEGF-Dとは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. VEGF-D(血管内皮増殖因子D)は、血管やとくにリンパ管を新しく増やすはたらきを持つ、分泌されるタンパク質(増殖因子)です。細胞の表面にある2種類の受け皿(VEGFR-2・VEGFR-3)にくっついてスイッチを入れ、リンパ管や血管を伸ばします。医学でとくに重要なのは、リンパ脈管筋腫症(LAM)という希少肺疾患で血液中のVEGF-Dが大きく上がることです。この性質を利用して、採血だけでLAMを診断できる指標(バイオマーカー)として国際的に確立しています。動物実験では神経細胞の樹状突起維持や記憶に関わる作用も報告されています。

  • 正体 → 血管とリンパ管を増やす「増殖因子」。受容体VEGFR-2/VEGFR-3を活性化する
  • 目覚め方 → 作られた直後は眠っており、2段階のタンパク質分解を経てはじめて完全に働く
  • 最大の臨床的意義 → 血液中のVEGF-DはLAMの診断・重症度・治療効果を映す指標になる
  • 背景の遺伝子 → LAMではTSC1・TSC2の機能喪失とmTORC1活性化が病態の中心にあり、血清VEGF-D高値を伴うことがある
  • 新しい顔 → 脳の神経細胞で記憶の維持を支えることがわかってきた

🧬 VEGF-Dの基本情報

項目 内容
読み方・別名 ブイイージーエフ・ディー。別名FIGF(c-fos誘導性増殖因子)。遺伝子名はVEGFD(旧名FIGF)
正体 細胞から分泌される増殖因子(分泌型の糖タンパク質)。血管とリンパ管の新生・リモデリングを促す
結合する受容体 VEGFR-2(KDR)とVEGFR-3(FLT4)を活性化する。VEGFR-1には結合しない[1]
主なはたらき リンパ管新生・血管新生、組織修復、免疫の調整。腫瘍のリンパ行性転移にも関与[2]
医療での最大の役割 LAM(リンパ脈管筋腫症)の血液診断バイオマーカー。血清800pg/mL以上が診断の目安[9]
発現する組織 心臓・肺・肝臓・骨格筋・皮膚など。動物実験では脳(とくに海馬)で樹状突起維持や記憶への関与が報告[5]

※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた用語解説です。特定の検査を勧めるものではありません。検査・治療の判断は必ず主治医とご相談ください。

1. VEGF-Dとは ─ リンパ管を増やす「増殖因子」

私たちの体には、血液を運ぶ血管と、余分な水分や免疫細胞を運ぶリンパ管という、2種類の「管(くだ)」が張りめぐらされています。これらの管は、体ができあがる過程でも、けがや病気からの修復の過程でも、必要に応じて新しく作られたり、太くなったりします。その工事を指示する「合図の分子」の一群が、VEGF(血管内皮増殖因子)ファミリーです。VEGF-Dは、このファミリーの一員で、とくにリンパ管を増やす(リンパ管新生)はたらきに優れた増殖因子です[1]

💡 用語解説:増殖因子と受容体

増殖因子とは、細胞に「増えなさい」「伸びなさい」といった指示を届ける、合図役のタンパク質です。合図は、細胞の表面にある受容体という「受け皿(アンテナ)」で受け取られます。鍵(増殖因子)が鍵穴(受容体)にはまると、細胞の中にスイッチが入り、増殖や移動が始まります。VEGF-Dは、リンパ管や血管の内側をおおう細胞(内皮細胞)のアンテナに合図を届ける鍵の一つです。

VEGFファミリーには、おもに血管を作るVEGF-A・VEGF-B・PlGF(胎盤増殖因子)と、おもにリンパ管を作るVEGF-CとVEGF-Dが含まれます[1]。VEGF-Dは、リンパ管を増やすだけでなく、状況によっては血管を作る力も発揮する「二刀流」の性質を持つのが特徴です。別名をFIGF(c-fos誘導性増殖因子)といい、遺伝子はX染色体上にあります。心臓・肺・肝臓・骨格筋・皮膚など、多くの組織で作られています[1]

VEGF-Dが医学で大きく注目されるようになったのは、単に「管を作る因子」だからではありません。血液を採るだけで、ある肺の難病(LAM)を診断できるという臨床的な使い道が確立したからです。この記事では、まずVEGF-Dがどうやってはたらくのかを押さえ、そのうえでLAMの診断・治療、そして脳での新しい役割へと話を進めていきます。

2. 2つの受容体との関係 ─ VEGF-Dはどこにスイッチを入れるか

VEGF-Dが指示を届ける相手(受容体)は、細胞の表面に突き出た受容体チロシンキナーゼという種類のアンテナです。VEGFファミリーには受け皿が3種類(VEGFR-1・VEGFR-2・VEGFR-3)ありますが、VEGF-DがくっつくのはVEGFR-2(別名KDR)とVEGFR-3(別名FLT4)の2つで、VEGFR-1にはくっつきません[1]。この「くっつく相手の選び方」が、VEGF-Dのはたらきを決める土台になります。

ざっくり言うと、VEGFR-3(FLT4)はリンパ管の担当VEGFR-2(KDR)は血管の担当です。VEGF-DがVEGFR-3にくっつけばリンパ管が増え、VEGFR-2にくっつけば血管が増える方向にはたらきます。1つの分子が2種類のアンテナを使い分けることで、リンパ管新生と血管新生の両方を状況に応じて調整できるのです。

VEGF-D (増殖因子) VEGFR-2(KDR) 血管の担当アンテナ VEGFR-3(FLT4) リンパ管の担当アンテナ 血管新生 リンパ管新生

図:VEGF-Dは2種類のアンテナ(VEGFR-2=血管担当、VEGFR-3=リンパ管担当)にくっつき、血管新生とリンパ管新生の両方を調整する。VEGFR-1には結合しない。

💡 ヒトとマウスで少し違う ─ 研究の落とし穴

VEGF-Dには、種によって「くっつく相手」が違うという興味深い性質があります。ヒトのVEGF-DはVEGFR-2とVEGFR-3の両方にくっつきますが、マウスのVEGF-DはVEGFR-3にはくっつくものの、マウスのVEGFR-2にはくっつきません[1]。このため、マウスの実験結果をそのままヒトに当てはめる際には注意が必要で、基礎研究から臨床応用へつなぐうえで慎重な解釈が求められます。

3. 2段階で目覚める ─ VEGF-Dの巧妙な「安全装置」

VEGF-Dのはたらきで、もっとも独特なのが「作られた直後は眠っている」という点です。VEGF-Dは、はじめは受容体にほとんどくっつけない、いわば「安全装置がかかった状態」で作られます。そこから2段階のタンパク質分解(ハサミで切る工程)を経て、はじめて完全にはたらけるようになります[4]。この仕組みは、必要なときに必要な場所でだけVEGF-Dを目覚めさせる、精密なスイッチとして機能しています。

VEGF-Dの2段階活性化を示す図。上段は不活性な前駆体で、N末端・VHD(VEGF相同ドメイン)・C末端が一列に並ぶ。中段はフリン等によりC末端プロペプチドが切り離された状態。下段はプラスミンやトロンビン等によりN末端プロペプチドも切断され、成熟したVHDが受容体VEGFR-2とVEGFR-3に結合して活性化する様子を示す。

図:VEGF-Dは、N末端・VHD(VEGF相同ドメイン)・C末端からなる不活性な前駆体として作られる(上段)。まず細胞内でフリンなどがC末端側を切り離し(中段)、次に細胞外でプラスミンやトロンビンなどがN末端側を切断することで(下段)、成熟したVHDが受容体VEGFR-2・VEGFR-3に結合して活性化する。2段階の切断が「安全装置」として働き、必要な場所でだけVEGF-Dを目覚めさせる。

下の図は、この2段階の流れを簡単にまとめたものです。

眠った前駆体受容体にくっつけない
1回目の切断細胞の中(フリンなど)
2回目の切断細胞の外(プラスミン等)
成熟型が完成受容体を強く活性化

1回目のハサミは、細胞の中で入ります。フリンなどの酵素が、VEGF-Dの本体(中央部分)とその両端の「おおい(プロペプチド)」の間を切ります[4]。ただしこの段階では、切ったおおいがまだ本体にくっついたままで、分泌はされますが十分にははたらけません。2回目のハサミは、細胞の外で入ります。細胞外の酵素が残りのおおいを切り離すことで、ようやく約21kDaの小さな「成熟型」が完成し、受容体を強く活性化できるようになります[4]

ここで重要なのが、2回目のハサミを担う酵素が状況によって変わるという点です。VEGF-Dによく似たVEGF-Cは、体ができる過程でリンパ管を作るとき「ADAMTS3」という決まった酵素で活性化されます。ところがADAMTS3はVEGF-Dをまったく切りません[4]。VEGF-Dを目覚めさせるのは、プラスミン・トロンビン・カテプシンD・PSA(前立腺特異抗原/KLK3)といった、けがや炎症、腫瘍の場面で活性化する酵素群です[3]

この違いは、VEGF-Dの役割を象徴しています。VEGF-Cが「体を作るときの標準装備のリンパ管製造係」だとすれば、VEGF-Dは「けがや病気など、いざというときにオンデマンドで呼び出される特殊部隊」のような存在です。組織が傷つくとプラスミンやトロンビンが活性化してVEGF-Dを局所で目覚めさせ、修復のためのリンパ管新生を後押しします[3]。また、どの酵素がどこを切るかによって、できあがる成熟型の「くっつく相手の好み(VEGFR-2寄りかVEGFR-3寄りか)」まで変わることが報告されています[3]

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4. LAMの血液診断 ─ VEGF-Dが変えた診断のかたち

VEGF-Dの医学史でもっとも大きな成功が、リンパ脈管筋腫症(LAM)の診断への応用です。LAMは、おもに妊娠可能年齢の女性に発症する希少な進行性の肺の病気で、肺に無数の嚢胞(のうほう=空洞)ができ、気胸(肺に穴があく)や乳び胸水、進行性の呼吸困難を引き起こします。長らく「原因不明のびまん性嚢胞性肺疾患」とされてきましたが、現在では緩やかに進行する低悪性度の腫瘍性疾患と理解されています。

LAM細胞は、リンパ管を増やすVEGF-C・VEGF-Dを強く作り出し、血液中に大量に放出します。その結果、LAM患者さんの血清VEGF-Dは、健康な人や他の肺疾患の人に比べて著しく高くなります[7]。この現象を利用したのが、VEGF-D血液検査です。

💡 かつては「肺の生検」が必要だった

以前は、画像所見だけで確定できず、ほかの確定所見もないLAM疑い例では、肺組織を採取する肺生検が必要になることがありました。気胸を起こしやすいLAMの患者さんにとって、これは負担とリスクの大きい検査です。血清VEGF-Dの測定によって、特徴的なHRCT所見を有する患者さんの一部では侵襲的な肺生検を回避して確定診断できるようになったことは、診断上の大きな進歩です。

プロスペクティブ(前向き)研究では、最終的に生検でLAMと診断された人の多くが血清VEGF-D 800pg/mL超を示した一方、他の原因の嚢胞性肺疾患と診断された人はいずれも低値でした。VEGF-DはLAMを高い精度で見分けられることが示されています[7]。この知見をもとに、米国胸部学会(ATS)と日本呼吸器学会(JRS)が共同で策定した2016年の国際診療ガイドラインで、VEGF-Dが正式な診断基準に組み込まれました[9]

5. 「800pg/mL」の意味 ─ 診断・重症度・治療効果を映す

2016年のATS/JRSガイドラインでは、高分解能CT(HRCT)でLAMに特徴的な薄壁の嚢胞が確認され、かつ血清VEGF-D濃度が800pg/mL以上であれば、侵襲的な生検を行わずにLAMと確定診断してよい、とされています[9]。下の表は、VEGF-Dの値をどう読むかの目安です。

🩺 血清VEGF-Dの読み方(目安)

VEGF-Dの値 臨床的な意味あい
800pg/mL以上 特徴的なCT所見があれば、生検なしでLAMと確定診断できる目安。この値を超えると特異度が高い[7][9]
800pg/mL未満 感度は完全ではなく、低くてもLAMを否定はできない。専門医への相談や追加検査を検討[9]
高値(大幅な上昇) 疾患の重症度や進行と関連し、治療効果の判定にも使える(MILES試験)[8]

※カットオフ値は研究によって幅があり(報告によりおよそ440〜1,239pg/mL)、800pg/mLはATSが示す代表的な基準です[11]。実際の判断は必ずCT所見や臨床経過とあわせて専門医が行います。

VEGF-Dは診断だけの指標ではありません。国際的なシロリムス治療試験(MILES試験)のデータを用いた解析では、血清VEGF-Dが病気の重症度と関連し、治療への反応も映し出すことが示されました[8]。つまりVEGF-Dは、診断・重症度評価・治療効果判定の3つを兼ねる、実用性の高いバイオマーカーなのです。

💡 検査を受けるときの注意

VEGF-Dの測定は専門的な検査で、実施できる施設や保険の扱いは国や時期によって異なります。日本国内での測定方法や費用については、呼吸器内科やLAMの診療に対応した医療機関にご確認ください。数値は必ずCT所見や症状とあわせて解釈する必要があり、値だけで自己判断はできません。

6. なぜVEGF-Dが増えるのか ─ TSC遺伝子とmTORの暴走

では、なぜLAMではVEGF-Dが大量に作られるのでしょうか。その答えは、遺伝子のスイッチが暴走していることにあります。LAMの病態の中心には、がん抑制遺伝子であるTSC1またはTSC2という遺伝子の機能喪失があります。この2つの遺伝子は、細胞の成長を司る司令塔「mTORC1」にブレーキをかける役目を持っています。

TSC1/TSC2にできた変異でこのブレーキが壊れると、mTOR経路が常にオンのまま暴走し、LAM細胞が異常に増えます。LAM病変ではVEGF-Dが発現し、血清VEGF-Dが高値となる患者さんが多いことが知られています。ただし、TSC1/TSC2機能喪失から血清VEGF-D上昇に至る細胞・分子機序は完全には解明されていません。あふれ出たVEGF-Dは周囲のリンパ管を増やし、LAM細胞が全身へと広がる(リンパ行性に播種する)経路を作ってしまいます。血液中のVEGF-Dが上がるのは、この一連のしくみの「表れ」なのです。

TSC1/TSC2の機能喪失ブレーキが壊れる
mTORC1が過活性化LAM細胞の増殖・生存に関与
LAM病変・リンパ系関与VEGF-D発現・リンパ管新生
血清VEGF-D高値診断バイオマーカー

💡 用語解説:病的バリアント・ツーヒット仮説

ミスセンス変異とは、遺伝子の設計図の1文字が変わり、タンパク質のアミノ酸が別のものに置き換わる変異です。TSCでは、生まれつき持つ変異(1つめのヒット)に加えて、特定の臓器の細胞でもう一方の正常な遺伝子にも後天的な変異(2つめのヒット)が起きることで、ブレーキ機能が完全に失われます。これをツーヒット仮説と呼びます。孤発性のLAMでも、LAM細胞にTSC2の変異が見つかると報告されています。

LAMには、他の症状を伴わない孤発性LAMと、遺伝性疾患である結節性硬化症(TSC)に伴うTSC-LAMがあります。TSCは常染色体顕性(優性)遺伝の病気で、成人女性のTSC患者では高い割合で肺にLAMの変化が見られます。TSCそのものの全体像や遺伝形式については、結節性硬化症(TSC)総論で詳しく解説しています。

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7. 治療とモニタリング ─ シロリムスとVEGF-D

LAMの原因が「mTORの暴走」だとわかったことで、治療も大きく前進しました。mTORを直接おさえる薬シロリムス(ラパマイシン)が、LAMの治療薬として使われています。国際的なMILES試験では、シロリムスによって肺機能(1秒量=FEV1)の低下が安定化することが示され、この結果をもとにシロリムスはLAMの治療薬として承認されました[10]

ここでもVEGF-Dが活躍します。シロリムスでmTOR経路がおさえられると、血清VEGF-Dの値も下がります[8]。つまりVEGF-Dは、薬がきちんと効いているかを血液で確かめる「治療反応を反映するバイオマーカー」として役立ちます。治療開始前のVEGF-Dが高い患者さんほど、肺機能の改善幅が大きい傾向も報告されており、治療方針を考えるうえでの参考になります[8]

💡 治療は必ず専門医と

シロリムスは免疫をおさえる作用のある処方薬で、口内炎・感染・脂質異常などの副作用が知られています。使うかどうか、どのくらいの量を使うかは、肺機能や症状、全身の状態をみて専門の診療科が判断します。VEGF-Dの値も、単独ではなく総合的に評価されます。薬に関する判断は必ず主治医とご相談ください。

8. 眼科の新薬と挫折 ─ VEGF-Dを狙った挑戦

VEGF-Dを「治療の標的」として直接狙う研究も進められてきました。舞台は眼科の滲出型加齢黄斑変性(wet AMD)という、視力を失いうる病気です。現在の標準治療は、VEGF-Aだけを狙う抗VEGF-A薬(アフリベルセプト、ラニビズマブなど)の注射です。これらは視力を大きく改善しましたが、一部の患者さんでは効果が頭打ちになったり、網膜下の水がひかなかったりする課題がありました。

その一因として注目されたのが、「逃げ道(エスケープ経路)」です。抗VEGF-A薬でVEGF-Aを長く抑え込むと、体は代わりにVEGF-CやVEGF-Dを増やして、抜け道からシグナルを送り続けてしまいます。この逃げ道までふさごうと開発されたのが、VEGF-CとVEGF-Dを捕まえて働けなくする「おとりの受容体」ソジニベルセプト(OPT-302)という薬でした。第2b相試験の一部の解析では有望な結果が出て、大きな期待が寄せられました。

⚠️ 第3相試験は主要評価項目を達成できなかった

しかし、より大規模な2つの第3相試験(アフリベルセプト併用のCOAST試験、ラニビズマブ併用のShORe試験)では、ソジニベルセプト併用群は単独療法群に対して主要評価項目(視力改善)で統計的な優越性を示せませんでした。COAST試験では併用群のBCVA改善が単独群と同等にとどまりました。2025年3月、開発元は両試験の中止と、wet AMDでのソジニベルセプト開発の中止を発表しました[12]

この結果は、「標的の理屈が正しくても、大規模試験での有効性の証明は別問題」という創薬の難しさを改めて示しました。既存の抗VEGF-A薬がすでに高い効果(天井効果)を発揮しているため、VEGF-C/Dの追加阻害による「上乗せ」を統計的に証明する余地が狭かったことなどが要因として考えられています。VEGF-Dを狙う治療の挑戦は、ここでいったん大きな壁にぶつかったといえます。ただし、VEGF-Dがさまざまな病態に関わることは変わらず、今後も研究の重要な対象であり続けます[1]

9. 脳での新しい役割 ─ 記憶を支えるVEGF-D

従来、VEGF-Dは血管やリンパ管の因子として研究されてきましたが、動物実験では神経細胞の樹状突起維持や記憶に関わる作用も報告されています。マウス海馬では、VEGF-Dが神経細胞の樹状突起の長さと複雑さの維持に関与することが示されています[5]

マウスの研究では、VEGF-Dが海馬の神経細胞の樹状突起(じゅじょうとっき=神経細胞が信号を受け取る枝)の長さと複雑さを保っていることが示されました。VEGF-Dのはたらきをおさえると樹状突起が縮み、記憶に障害が出ます[5]。さらに、マウスを用いた研究では、神経活動に応じた「核カルシウム–VEGFD」というシグナルが、恐怖記憶の固定化や消去に必要であることも報告されています[6]。これらは、VEGF-Dが神経系でも機能しうることを示す基礎研究上の知見です。

💡 用語解説:樹状突起と記憶

神経細胞は、木の枝のように広がった樹状突起で、ほかの神経細胞からの信号を受け取ります。この枝ぶりが豊かで整っているほど、情報を効率よく処理でき、記憶の形成・保持に役立ちます。VEGF-Dは、この枝を維持する「植木職人」のような役割を果たしていると考えると分かりやすいです。枝が縮むと記憶がうまく働かなくなる、というのが動物実験で示されています。

ヒトでVEGF-Dと認知機能との関連を検討した報告もありますが、現時点では限定的であり、VEGF-Dを標的として認知機能を改善できることは確立していません。神経系でのVEGF-Dの役割は、主として基礎研究の段階にあります。

10. よくある誤解

誤解①「VEGF-Dは血管だけの因子」

VEGF-Dは、とくにリンパ管を増やす力に優れ、状況によって血管も作る「二刀流」です。さらに動物実験では、神経細胞の樹状突起維持や記憶に関わる作用も報告されており、はたらきは血管の枠にとどまりません。

誤解②「VEGF-Dが高い=必ずLAM」

VEGF-Dの高値はLAMの強い手がかりですが、単独では確定できません。必ずCT所見や臨床経過とあわせて専門医が判断します。まれに他の病気でも上がることがあります。

誤解③「値が800未満ならLAMではない」

検査の感度は完全ではなく、800pg/mL未満でもLAMを否定はできません。低値でも症状やCT所見でLAMが疑われる場合は、専門医への相談や追加の検討が必要です。

誤解④「VEGF-Dを狙う薬はもう完成している」

VEGF-C/Dを狙う眼科の新薬(ソジニベルセプト)は、第3相試験で有効性を示せず2025年に開発中止となりました。標的の理屈が正しくても、実用化には高い壁があることを示す例です。

まとめ ─ 「リンパ管を増やす因子」から「診断の主役」へ

VEGF-Dは、血管とリンパ管を増やす増殖因子でありながら、作られた直後は眠っていて、けがや病気の場面でオンデマンドに目覚めるという、精巧なしくみを持つタンパク質です[3][4]。そして医学において、VEGF-DはLAMの診断を「侵襲的な生検」から「1本の採血」へと変えた立役者であり、いまも診断・重症度・治療効果を映す実用的なバイオマーカーとして不動の地位を保っています[7][9]

一方で、VEGF-Dを直接狙う眼科の新薬は第3相試験で挫折し[12]、代償的に増えるシグナル経路を安全かつ効果的に抑えることの難しさを示しました。しかし、動物実験で示された神経系での作用[5][6]や、がん・創傷治癒・認知機能との関わりなど、VEGF-Dの探求はいまも広がり続けています。血液1本から見えてくるこの小さなタンパク質は、遺伝子の異常と体の変化がどうつながるかを教えてくれる、遺伝医療にとっても示唆に富む存在です。

よくある質問(FAQ)

Q1. VEGF-Dとは何ですか?

VEGF-D(血管内皮増殖因子D)は、細胞から分泌される増殖因子(合図役のタンパク質)の一つで、とくにリンパ管を新しく増やすはたらきを持ちます。細胞表面の受容体VEGFR-2(KDR)とVEGFR-3(FLT4)にくっついてスイッチを入れ、リンパ管や血管を伸ばします。別名をFIGFといいます。医学ではとくに、リンパ脈管筋腫症(LAM)という肺の希少疾患を血液検査で診断するための指標として重要です。

Q2. なぜVEGF-Dの血液検査でLAMがわかるのですか?

LAMの細胞は、リンパ管を増やすVEGF-C・VEGF-Dを強く作り、血液中に大量に放出します。そのため、LAMの患者さんでは血清VEGF-Dが健康な人や他の肺疾患の人より著しく高くなります。この性質を利用し、特徴的なCT所見に加えて血清VEGF-Dが800pg/mL以上であれば、手術で肺を採る生検をせずにLAMと確定診断できる、と国際ガイドライン(ATS/JRS 2016)で定められています。実際の判断は必ずCT所見や症状とあわせて専門医が行います。

Q3. VEGF-Dが800pg/mL未満ならLAMではないのですか?

いいえ、否定はできません。VEGF-D検査の感度は完全ではなく、LAMであっても800pg/mLを超えないことがあります。カットオフ値は研究によって幅があり、800pg/mLはあくまで代表的な基準です。値が低くても、症状やCT所見からLAMが疑われる場合は、LAMの診療に詳しい専門医への相談や、追加の検査の要否の検討が必要です。数値だけで自己判断しないことが大切です。

Q4. VEGF-Dが高いのはLAM以外の理由もありますか?

VEGF-Dの高値はLAMの強い手がかりですが、まれに他の状態でも上がることがあり、単独では確定診断になりません。だからこそ、CT所見や臨床経過とあわせた総合的な判断が必要です。また、VEGF-Dは体の修復や炎症、腫瘍など、リンパ管や血管が関わるさまざまな場面で変化します。気になる数値が出た場合は、自己判断せず、結果の意味を主治医に確認してください。

Q5. VEGF-DはLAMの治療にも使われますか?

治療そのものの薬ではありませんが、治療の効果を確かめる「ものさし」として役立ちます。LAMの治療薬シロリムス(mTOR阻害薬)でmTOR経路がおさえられると、血清VEGF-Dの値も下がります。そのため、薬がきちんと効いているかを血液で確認する指標として使われます。治療開始前のVEGF-Dが高い患者さんほど肺機能の改善幅が大きい傾向も報告されています。治療の判断は必ず専門医とご相談ください。

Q6. VEGF-Dは遺伝子検査や遺伝カウンセリングと関係しますか?

関係します。LAMの背景には、TSC1・TSC2という遺伝子の異常でmTOR経路が暴走し、VEGF-Dが過剰に作られるしくみがあります。とくに結節性硬化症(TSC)に伴うLAM(TSC-LAM)では、TSCが常染色体顕性(優性)遺伝の病気であるため、家族への影響や再発リスクの整理に遺伝カウンセリングが役立ちます。VEGF-Dの値は「遺伝子の異常が体にどう表れているか」を映す一つの窓ともいえます。ミネルバクリニックでは臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングに対応しています。

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参考文献

  • [1] Emerging Roles for VEGF-D in Human Disease. Biomolecules. 2018. [PMC5871970]
  • [2] VEGF-D promotes the metastatic spread of tumor cells via the lymphatics. Nat Med. 2001. [PubMed 11175849]
  • [3] KLK3/PSA and cathepsin D activate VEGF-C and VEGF-D. eLife. 2019. [PMC6588350]
  • [4] Proteolytic Cleavages in the VEGF Family: Generating Diversity among Angiogenic VEGFs, Essential for the Activation of Lymphangiogenic VEGFs. Biology (Basel). 2021. [PMC7926383]
  • [5] Nuclear Calcium-VEGFD Signaling Controls Maintenance of Dendrite Arborization Necessary for Memory Formation. Neuron. 2011. [PubMed 21745642]
  • [6] Reciprocal Interaction of Dendrite Geometry and Nuclear Calcium-VEGFD Signaling Gates Memory Consolidation and Extinction. J Neurosci. 2017. [PMC6705723]
  • [7] Serum vascular endothelial growth factor-D prospectively distinguishes lymphangioleiomyomatosis from other diseases. Chest. 2010. [PubMed 20382711]
  • [8] Serum VEGF-D concentration as a biomarker of lymphangioleiomyomatosis severity and treatment response: a prospective analysis of the MILES trial. Lancet Respir Med. 2013. [PubMed 24159565]
  • [9] Official American Thoracic Society/Japanese Respiratory Society Clinical Practice Guidelines: Lymphangioleiomyomatosis Diagnosis and Management. Am J Respir Crit Care Med. 2016. [PubMed 27628078]
  • [10] Efficacy and safety of sirolimus in lymphangioleiomyomatosis. N Engl J Med. 2011. [PubMed 21410393]
  • [11] Diagnostic performance of VEGF-D for lymphangioleiomyomatosis: a meta-analysis. J Bras Pneumol. 2022. [PMC8964149]
  • [12] Opthea Announces Decision to Discontinue Wet AMD Trials(COAST・ShORe第3相試験の中止発表). 2025. [GlobeNewswire 2025-03-31]

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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