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カハール介在細胞(ICC)と過敏性腸症候群(IBS)─「機能性」から「神経筋・自己免疫・腸内細菌」疾患へ:遺伝専門医が解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

過敏性腸症候群(IBS)は、検査をしても異常が見つからないことから長く「気のせい」「ストレスのせい」とされてきました。しかし近年、腸の動きの「ペースメーカー細胞」であるカハール介在細胞(ICC)が、その病態を理解するうえで重要な要素の一つとして注目されるようになっています。ICCは、下痢・便秘・腹部膨満などの症状に関係する消化管運動を理解するうえで重要な細胞の一つです。ICCの機能を検討することは、IBSにみられる腸管運動異常の病態を理解する手がかりになります。本記事では、ICCとIBSの関係、感染後に起こる自己免疫、そして最新の血液検査や治療研究までを、遺伝専門医の視点からやさしく解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧬 ペースメーカー細胞・自己免疫・腸内細菌
臨床遺伝専門医監修

Q. カハール介在細胞(ICC)とは何ですか?IBSとどう関係するのか、まず結論だけ知りたいです

A. ICCは、腸の壁の中にある「腸の動きのリズムをつくるペースメーカー細胞」です。ICCが規則正しい電気信号(徐波)を出すことで、腸はぜん動運動を行います。IBSでは、このICCのネットワークが壊れたり働きが乱れたりすることが、下痢・便秘・腹痛・お腹の張りといった症状の背景にあると考えられるようになってきました。とくに食中毒のあとに始まるIBSでは、自分の免疫が腸管の構成要素に交差反応する自己免疫様の仕組みが関与し、その結果としてICCネットワークにも影響する可能性が示されています。

  • ICCの役割 → 腸の動きのリズム(徐波)をつくり、神経の信号を平滑筋へ伝えるペースメーカー細胞
  • 食中毒後のIBS → 細菌毒素CdtBへの抗体が、自分のビンキュリンと間違えて反応し、ICCを傷つける
  • 新しい血液検査 → 抗CdtB抗体・抗ビンキュリン抗体で、下痢型IBSと炎症性腸疾患を見分ける手がかりになる
  • セロトニン・腸内細菌 → どちらもICCの働きと数を左右し、下痢型と便秘型で正反対に傾く
  • 遺伝との関係 → IBSは単一の遺伝子病ではなく、ICCの働きは体質・年齢・腸内環境など多くの要因で変わる

1. カハール介在細胞(ICC)とは ─ 腸の壁にひそむ「特別な細胞」

カハール介在細胞は、腸の壁の筋肉層のあいだにネットワークをつくって存在する、特殊な細胞の集まりです。神経細胞でも筋肉細胞でもなく、その両者をつなぐ役割を担っています。これは、腸が自律的なリズムで動くための重要な仕組みです。心臓に洞結節というペースメーカーがあるのと同じように、腸にもリズムをつくる細胞があり、それがICCなのです。

この細胞は、1889年にスペインの神経解剖学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハールによって初めて記載されました。長いあいだその役割は謎でしたが、現在ではICCが消化管運動の根幹を担う細胞であることが確立しています。ICCには主に3つの役割があると提唱されており、それは、腸の動きのリズムをつくる「ペースメーカー機能」、神経の信号を筋肉へ伝える「神経伝達の仲介機能」、そして腸が引き伸ばされたことを感じ取る「機械受容器機能」です[1]

💡 用語解説:徐波(じょは/slow wave)

徐波とは、ICCがつくり出すゆっくりとした周期的な電気の波のことです。この波が腸の平滑筋に伝わることで、筋肉が一定のリズムで収縮し、食べたものを先へ送る「ぜん動運動」が生まれます。徐波は腸の動きの「メトロノーム」のようなもので、ここが乱れると動きが速すぎたり遅すぎたりします。

ICCを見分けるための目印(マーカー)として、細胞の表面にあるc-Kit(CD117)というタンパク質が使われます。c-Kitは、幹細胞因子(SCF)という物質を受け取ることで、ICCの発生・増殖・生存を支えています。つまりSCFとc-Kitのシグナルは、ICCが健康に育ち、生き続けるための「生命線」です。このSCF/c-Kitの仕組みは、他の細胞でも重要な働きをしており、当院ではSCF(幹細胞因子)とKITシグナルのページでも解説しています。近年はもう一つ、Ano1(TMEM16A)というカルシウムで動くチャネルも、ICCをより正確に見分ける目印として使われるようになっています。

2. 腸のペースメーカー ─ ICCが動きのリズムをつくる仕組み

ICCは単独で働くのではなく、平滑筋細胞やPDGFRα陽性細胞という別の細胞と電気的に手をつなぎ、ひとつの大きなチームとして腸を動かしています。腸の運動は「筋肉だけの力」で生じるのではなく、複数の細胞が協調することで成り立っています。だからこそ、そのうちの一種類(ICC)が傷つくだけで、腸全体の動きが乱れてしまいます。

この細胞どうしをつなぐ「通路」の役割を果たすのが、コネキシン43(Cx43)などがつくるギャップ結合です。ギャップ結合は、隣り合う細胞のあいだに小さなトンネルを開け、電気信号やイオンを直接やり取りさせます。これによってICCが出したリズムが瞬時に筋肉全体へ広がるのです。ギャップ結合をつくるコネキシンについては、当院のGJA1(コネキシン43)のページで詳しく解説しています。

ICC・平滑筋・PDGFRα陽性細胞という3種類の細胞が電気的に一体となって働くこの仕組みは、専門的には「SIPシンシチウム(合胞体)」と呼ばれます。少し難しい言葉ですが、要点は単純です。この3つがギャップ結合で密につながっているため、どれか一つで起きた変化も瞬時に組織全体へ伝わり、腸の興奮性がまとめて調整されるのです。とくにPDGFRα陽性細胞は、腸の神経から届く「動きを抑える」信号(ATPなどを介するもの)の主要な受け手であり、ICCが担う「動きを強める/抑える」信号と協調して、腸の細やかな動きを指揮しています。この協調が崩れると、動きが速すぎたり遅すぎたりするだけでなく、リズムそのものが乱れてしまいます。

したがって、腸の運動異常は「一つの細胞の故障」だけではなく、複数の細胞からなるネットワーク全体の連携異常として生じる可能性があります。だからこそ、ICCを守り、そのネットワークを立て直すことが、腸の動きを整えるうえで重要な標的になると考えられています。

🔗 ICCから腸が動くまで(信号の流れ)

① ICC
徐波を発生
② ギャップ結合
信号を筋肉へ伝達
③ 平滑筋
リズムよく収縮
④ ぜん動運動
内容物を先へ送る

ICCはまた、腸の神経の末端とシナプスのような密接な構造をつくり、アセチルコリン(動きを強める信号)や一酸化窒素(動きを抑える信号)といった神経のメッセージを筋肉へ効率よく伝えています。IBSの患者さんでしばしばみられる腸のけいれん、動きの停滞、お腹の張りといった症状は、こうしたICCのネットワークが構造的にも機能的にも乱れることから生じると考えられています[1]。IBSでは心理的要因だけでなく、腸管神経筋系を含む生物学的機序が病態に関与すると考えられています。

3. 食中毒のあとに始まるIBS ─ 自分の免疫がICCを攻撃する

IBSのなかには、細菌性の食中毒(急性胃腸炎)をきっかけに始まるタイプがあり、これを感染後IBS(PI-IBS)と呼びます。ここで注目されている仕組みの一つが、細菌をやっつけるためにつくった抗体が、間違えて自分の腸の構成要素にも反応してしまう「自己免疫様」の反応です。つまり、一時的なはずの食あたりが、なぜ何年も続くお腹の不調に変わるのか、その謎の一部が細胞レベルで説明できるようになってきました。

カンピロバクターをはじめ、サルモネラ、赤痢菌、病原性大腸菌など細菌性胃腸炎に関わる一部の菌株では、細胞致死性膨張性毒素B(CdtB)という毒素が病態に関与します。体はこの毒素を退治するために抗CdtB抗体をつくります。ところが、CdtBの形が、私たちの腸の細胞にあるビンキュリンというタンパク質とよく似ているのです。このため抗体がビンキュリンを「敵」と勘違いして攻撃してしまいます。これを交差反応(分子模倣)と呼びます。ビンキュリンはICCや腸の神経の構造を支える大切な部品なので、これが攻撃されるとICCが傷つきます。ラットを使った研究では、血液中の抗CdtB抗体・抗ビンキュリン抗体が上がると、それに伴って腸の深い筋層のICCが実際に減ることが示されました[2]。ヒトの胃の組織を調べた研究でも、抗ビンキュリン抗体が高い人ほど筋層のICCが少ないという相関が確認されています[3]

🔻 食中毒から慢性IBSへ ─ 悪循環の流れ

① 食中毒:原因菌が毒素CdtBを放出する
② 交差反応:抗CdtB抗体が自分のビンキュリンを攻撃する
③ ICCが減少:腸を掃除する強い収縮(MMC)が弱まる
④ SIBO(小腸内細菌増殖):小腸に細菌が増え、さらに炎症が起こる
⑤ 慢性化:残ったICCがさらに傷つき、下痢型IBSが続く

ICCのネットワークが壊れると、空腹時に小腸を掃除する強力な収縮運動(伝播性消化管強収縮:MMC)が弱まります。MMCは、食事と食事のあいだや夜間に周期的に起こり、小腸にたまった食べ物の残りかすや過剰な細菌を大腸へと押し流す、いわば「腸の掃除の時間」です。この掃除がICCの喪失によって止まると、大腸の細菌が小腸へ逆流して増える小腸内細菌増殖症(SIBO)が起こりやすくなります。動物モデルでは、循環する抗体のレベルとビンキュリンの発現低下が、細菌の増殖の程度と相関することが示されており、抗体による腸への作用がSIBOにつながることが裏づけられています[2]

やっかいなのは、SIBO自体がさらに腸の壁に軽い炎症を起こし、酸化ストレスや細菌毒素を通じて、残ったICCをさらに傷つけることです。こうして「ICCが減る→掃除が止まる→細菌が増える→炎症が起きる→さらにICCが減る」という悪循環ができあがります。一時的なはずの食あたりが、なぜ何年も続く難治性の不調に変わるのか——その長年の謎が、この「分子模倣によるICC破壊とSIBOの連鎖」によって、分子レベルで説明できるようになったのです。感染後IBSがこうした自己免疫疾患の側面を持つと分かってきたことは、ご自身の不調が食あたりのあとから始まったという方にとって、原因不明だった症状に一つの筋道を与えてくれます。

仲田洋美 医師

院長コラム:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

IBSはこれまで「異常が見つからないから機能性(=気のせいに近いもの)」と説明されがちでした。けれど、抗CdtB抗体とビンキュリンの交差反応が見つかったことで、少なくとも一部のIBSは「測ることのできる体の変化」を伴う病気だと考えられるようになってきています。私は、症状に名前と仕組みが与えられること自体が、患者さんの安心につながると考えています。ただし、後で述べるように、この血液検査はあくまで「見分ける手がかり」であって、IBSを100%言い当てる魔法の検査ではない点も、あわせてお伝えするようにしています。

4. 血液で分かる手がかり ─ IBSの新しいバイオマーカー

これまでIBSは、大腸内視鏡などで他の病気をすべて除外したうえで、症状から診断する「除外診断」でした。しかし自己免疫の仕組みが分かったことで、血液中の抗CdtB抗体・抗ビンキュリン抗体を測る検査が、下痢型IBSを見分ける手がかりとして研究・応用されるようになっています。このような血液バイオマーカーは、従来の症状評価や他疾患の除外に加えて、採血から得られる補助的な情報となる可能性があります。

この検査の性能は、下痢型IBS(IBS-D)の患者2,375名を対象とした大規模臨床試験(TARGET 3)のデータで検証されました。炎症性腸疾患(IBD)142名、セリアック病121名、健常者43名と比較した結果、下痢型IBSでは両方の抗体が有意に高いことが確認されています[4]。IBDと下痢型IBSを見分けるための最適なカットオフ値での性能は、次の表のとおりです。

バイオマーカー 特異度 感度 尤度比
抗CdtB抗体(OD≥2.80) 91.6% 43.7% 5.2
抗ビンキュリン抗体(OD≥1.68) 83.8% 32.6% 2.0

特異度が高いことは、この研究集団では検査が陽性の場合に「IBDよりIBS-Dらしい」と判断する手がかりになることを意味します。ただし、実際の陽性結果からIBSである確率を判断するには、症状や有病率などの事前確率も考慮する必要があります[4]。一方で感度は40%前後にとどまるため、陰性でもIBSを否定できない点には注意が必要です。つまりこの検査は「陽性ならIBS-Dを支持する材料の一つになる」と言える一方、「陰性だからIBSではない」とは言えません。また、陽性だけでIBSを確定診断できる検査ではありません。バイオマーカーという言葉の意味は、当院のバイオマーカーとはのページでも解説しています。

興味深いことに、これらの抗体は下痢型で最も高く、便秘型IBS(IBS-C)では健常者と差がありません[4]。これは、便秘型IBSが感染後の自己免疫とは別の仕組み(加齢や腸内細菌の変化など)で起きていることを示唆します。なお、地域によっては炎症性腸疾患とIBSで抗体価に差が出なかったという報告もあり、世界共通の検査として使うにはさらなる検証が必要とされています。ご自身が「この検査を受けるべきか」を考えるときは、こうした限界を踏まえ、症状の経過とあわせて医師と相談することが大切です。

5. セロトニンとICC ─ 「幸せホルモン」は腸で何をしているか

セロトニンは脳の「幸せホルモン」として知られますが、実は体内のセロトニンの約9割は腸でつくられています。このセロトニンがICCに直接働きかけ、その活動と数を左右することが分かってきました。下痢型と便秘型ではセロトニン系の変化が異なる可能性があり、ICCを含む腸管神経筋系との相互作用が症状の違いに関与すると考えられています。

腸の粘膜にある腸クロム親和性細胞が刺激を感じ取ると、セロトニン(5-HT)を放出します。放出されたセロトニンは腸の神経を活性化するだけでなく、ICC自身にも直接作用します。マウスの回腸から取り出したICCを使った研究では、セロトニンが5-HT3受容体を通じて、ペースメーカー活動の基盤となる細胞内カルシウムの振動を強めることが確認されました。この作用は神経を遮断しても残るため、ICCへの直接的な作用だと考えられています[5]。神経伝達物質としてのセロトニンについては、セロトニン・ドーパミン(モノアミン)のページもご覧ください。

さらに、セロトニンはICCの「数」にも関わります。マウスの空腸のICCを使った研究では、セロトニンが5-HT2B受容体を通じてICCの増殖を促すことが示され、5-HTを加えるとICCの数が約66%増えたと報告されています[6]。つまりセロトニンは、ICCの「働き」を強めるだけでなく、その「生存と増殖」も支えているのです。

タイプ セロトニンの状態 起こりやすいこと
下痢型(IBS-D) 食後にセロトニンが過剰に増える傾向 腸が過敏に動きすぎ、下痢や腹痛が起こりやすい
便秘型(IBS-C) セロトニンが不足しやすい傾向 ICCへの刺激が減り、動きが遅くなって便秘になりやすい

セロトニンの量は、放出だけでなく、セロトニントランスポーター(SERT/SLC6A4)による回収の仕組みでも決まります。この回収がうまくいかないと、セロトニンが腸に過剰にとどまり、ICCや神経を刺激しすぎてしまいます。SLC6A4遺伝子については、当院のSLC6A4(セロトニン輸送体)のページで解説しています。ご自身の症状が下痢型か便秘型かによって、腸の中で起きていることが正反対だと知ることは、なぜ同じ「IBS」でも人によって対処が違うのかを理解する助けになります。

6. 腸内細菌とICCの修復 ─ 短鎖脂肪酸という「かけ橋」

腸内細菌のバランスの乱れは、単なる共生の崩れにとどまらず、腸の動きそのものを変えてしまいます。その橋渡しをするのが、細菌がつくる短鎖脂肪酸(SCFA)です。この経路については、ICCの機能や維持に関わる変化が可逆的である可能性も研究されています。

腸内細菌が食物繊維などを発酵させると、酢酸・プロピオン酸・酪酸といった短鎖脂肪酸ができます。これらは腸の細胞のエネルギー源になると同時に、セロトニンの合成を促し、ICCや神経の受容体を活性化して、正常なペースメーカー活動を保ちます。便秘型IBSや徐通過型便秘では、酪酸をつくる菌が減って短鎖脂肪酸が不足し、その結果ICCの生存に必須なSCF/c-Kitシグナルが抑えられて、ICCが減ってしまうことが観察されています。

注目すべきは、この流れが元に戻せる可能性があることです。マウスの実験では、柑橘類に含まれるフラボノイドであるナリンゲニンを与えると、胃・十二指腸・大腸でSCFとc-Kitの発現が有意に高まり、腸の動きが改善したと報告されています[7]。同じ研究では、腸内細菌のうち有益な菌の割合が増え、有害な菌が減ることも示されました。これは、腸内環境を整える介入が、ICCの機能を支えるSCF/c-Kit経路に影響し、便秘型IBSの病態改善につながりうる可能性を示す知見です。ただしこれは動物実験の段階であり、人間で同じ効果が確認されたわけではない点にはご注意ください。日々の食事や腸内環境が、細胞レベルで腸の動きに関わっていると知ることは、生活のなかでできる工夫を前向きに考えるきっかけになります。

仲田洋美 医師

院長コラム:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

「ICCが減る」と聞くと、取り返しのつかない話のように感じられるかもしれません。けれど、短鎖脂肪酸やSCF/c-Kitの経路を通じてICCの機能や維持に関わるSCF/c-Kit経路を再活性化できる可能性を示す研究が出てきていることは、私が特に希望を感じている部分です。もちろん、サプリメントや特定の食品で「治る」と断言できる段階ではありません。ただ、腸内環境を含めた体全体の仕組みのなかでIBSをとらえる視点は、対症療法だけに頼らない考え方につながると思っています。

7. 炎症・miRNA・加齢 ─ ICCが弱っていく3つの道すじ

ICCは、感染がおさまった後も続く軽い炎症、遺伝子の働きを細かく調整するマイクロRNA、そして加齢という時間の要因によって、じわじわと弱っていきます。IBSに関連する腸管運動異常は、ICCの数の減少だけでなく、周囲の炎症環境などによるICC機能の変化も関与する可能性があります。

まず炎症です。ICCは腸の筋層にいるマクロファージやマスト細胞のすぐそばにあります。炎症が起きるとこれらの免疫細胞がTNF-αなどの炎症性物質を出し、ICCを傷つけます。ヒトの病変やマウスを使った研究では、活性化したマクロファージが出すTNF-αがICCの中でNF-κBという経路を動かし、miR-221というマイクロRNAを増やして、その結果c-Kitの発現が抑えられ、ICCがペースメーカーとしての性質を失うことが示されました。しかもマクロファージを取り除いたりTNF-αを中和したりすると、ICCの性質が回復したのです[8]。なお、この機序は主としてHirschsprung病関連腸炎の研究で示されたものであり、IBSで同じ機序がどの程度働くかは今後の検証が必要です。マイクロRNAという小さな分子については、マイクロRNA(miRNA)のページで解説しています。

次に加齢です。健康なヒトの胃と大腸の組織を3次元で解析した研究では、ICCの数とネットワークの体積が10年ごとに約13%という一定のペースで減っていくことが分かりました[9]。つまり、年齢とともにICCの「予備」は自然に少なくなっていきます。この生理的な減少に、IBSの自己免疫や炎症による傷が重なると、腸の動きが閾値を下回り、便秘などの症状が表に出やすくなると考えられています。高齢の方に便秘が増える背景の一つが、このICCの自然減少です。ご自身やご家族の年齢による腸の変化を、こうした細胞の数の変化として理解しておくことは、過度に心配せず対処を考える助けになります。

🔻 ICCが弱る3つの道すじ

① 炎症
TNF-α → miR-221 → c-Kit低下でICCが性質を失う
② 自己免疫
抗ビンキュリン抗体がICCの構造を壊す
③ 加齢
10年で約13%ずつICCが自然に減る

8. 下痢型と便秘型の違い ─ 同じIBSでも仕組みが違う

同じIBSでも、下痢型と便秘型では、ICCをめぐって起きていることが大きく異なります。IBSは病型によって関与する病態機序が異なる可能性があり、下痢型と便秘型を同一の機序だけで説明することはできません。

項目 下痢型(IBS-D) 便秘型(IBS-C)
主な引き金 感染後の自己免疫・微小な炎症 加齢・腸内細菌の変化・短鎖脂肪酸の低下
血液の抗体 抗CdtB・抗ビンキュリンが高いことがある 健常者と同程度(差が出にくい)
セロトニン 過剰になりやすく腸が動きすぎる 不足しやすく動きが鈍る
ICCの変化 局所のICCが壊れ、神経が過剰に興奮 ICCが広く減り、動きが遅くなる

便秘型では、加齢や短鎖脂肪酸の低下によるSCF/c-Kitシグナルの抑制を通じて、ICCが広く減りペースメーカー機能が落ちることが主因と考えられます。一方、下痢型(とくに感染後のもの)は少し逆説的で、抗ビンキュリン抗体による局所のICC破壊がMMCの低下とSIBOを招き、そのSIBOがもたらす炎症とセロトニンの過剰が、残った神経や筋肉を無秩序に興奮させて、けいれん的な収縮(下痢)を引き起こします。つまり下痢型では「ICCが局所的に壊れた結果、かえって腸が過剰に暴れる」という一見矛盾した現象が起きているのです。同じ「IBS」であっても、病型によって関与する機序が異なる可能性があり、症状や経過に応じた評価が必要です。

こうしたタイプごとの違いは、これからの治療の方向性にもつながります。研究段階の話として、重症の感染後IBSでは自己抗体を減らす免疫的な介入という考え方も検討されていますが、標準治療として確立したものではありません。また、抗ビンキュリン抗体のレベルと症状の変化との関連も研究されています。便秘型では、腸内細菌を整えて短鎖脂肪酸を回復させ、SCF/c-Kitシグナルを立て直すことでICCネットワークの再構築を目指す考え方が研究されています。さらに、ICCの表面にある5-HT2Bや5-HT3受容体、Ano1チャネルなどを標的として、タイプに応じてペースメーカーの働きを細かく調整できないかという研究も進められています。いずれもまだ研究の途上ですが、IBSを「ICCという共通のハブ」から見直すことで、対症療法にとどまらない道すじが見えつつあります。

9. 遺伝と検査の考え方 ─ IBSは「遺伝子の病気」ではありません

IBSは、単一の遺伝子の異常で決まる病気ではありません。ICCの働きは、感染・免疫・腸内細菌・セロトニン・年齢など、多くの要因が重なって変わります。IBSは特定の遺伝子変異によって親から子へ単純に受け継がれる疾患ではなく、遺伝的素因とさまざまな環境要因が複雑に関与して発症すると考えられています。

たしかにICCやセロトニンに関わる遺伝子(SLC6A4など)の個人差が、腸の感じやすさに影響する可能性は研究されています。しかしこれは「発症を100%言い当てる遺伝子」ではなく、あくまで傾向を左右する一因です。IBSそのものを遺伝子検査で診断することはできません。遺伝形式という考え方については、当院の遺伝形式のページで解説しています。

検査という点では、前述の抗CdtB抗体・抗ビンキュリン抗体の血液検査が、下痢型IBSとIBDを見分ける手がかりになりますが、これも診断を確定する単独の検査ではありません。IBSの診断は、症状の経過をていねいに聞き取り、必要に応じて他の病気を除外したうえで、総合的に行われます。遺伝子検査の一般的な考え方については、遺伝子検査のページもご参照ください。「自分の症状が遺伝するのか」という不安に対しては、IBSが単一遺伝子病ではないという事実そのものが、一つの安心材料になると考えています。

10. よくある誤解 ─ 「気のせい」でも「不治」でもありません

IBSには、いくつかの根強い誤解があります。ここで整理しておくことは、必要以上に落ち込んだり、逆に軽く考えすぎたりせず、症状と向き合ううえで役立ちます。

💡 3つの誤解と、いまわかっていること

誤解①「IBSは気のせい」 → ICCの破壊や自己免疫、セロトニンの乱れなど、測ることのできる体の変化が背景にあると分かってきています。心理的ストレスは症状に影響しますが、原因のすべてではありません。

誤解②「血液検査が陰性ならIBSではない」 → 抗体検査の感度は40%前後なので、陰性でもIBSを否定できません。陽性のときに「IBSらしい」と言える検査です。

誤解③「一度なったら一生治らない」 → 動物実験の段階ですが、ICCが再び増えうる経路が見つかっており、対症療法だけでない治療研究が進んでいます。

IBSは病態の解明が進んでいる疾患であり、現在も複数の生物学的機序について研究が続けられています。症状が続くときは、自己判断で抱え込まず、消化器の専門医に相談することが大切です。

📌 このページを読んだあなたへ

この記事にたどり着いた方は、ご自身が長引くお腹の不調を抱えている、食中毒のあとから症状が始まった、あるいはご家族のIBSが気になっている、といった状況かもしれません。次に確認しておくとよい観点を挙げておきます。

自分は下痢型か便秘型か:タイプによって背景の仕組みも対処も変わります(本記事8章)。

セロトニンとの関わりセロトニン(モノアミン)SLC6A4

遺伝の考え方:IBSは単一遺伝子病ではありません(遺伝形式)。

よくある質問(FAQ)

Q. カハール介在細胞(ICC)とIBSはどう関係していますか?

ICCは腸の動きのリズムをつくるペースメーカー細胞です。IBSでは、このICCのネットワークが壊れたり働きが乱れたりすることが、下痢・便秘・腹痛・お腹の張りといった症状の背景にあると考えられています。とくに食中毒のあとに始まるIBSでは、自己免疫様の反応が関与し、ICCネットワークにも影響する可能性が示されています。

Q. 食中毒のあとにお腹の調子が悪くなったのですが、これもIBSですか?

細菌性の胃腸炎のあとに慢性的なお腹の不調が続くものは、感染後IBS(PI-IBS)と呼ばれます。細菌毒素CdtBに対してつくられた抗体が、腸のビンキュリンというタンパク質にも交差反応し、ICCネットワークに影響することが一因である可能性が考えられています。ただし診断は症状の経過や他の病気の除外を含めて総合的に行われますので、気になる場合は消化器の専門医にご相談ください。

Q. IBSの血液検査で陰性なら、IBSではないということですか?

いいえ、そうとは限りません。抗CdtB抗体・抗ビンキュリン抗体の検査は特異度が比較的高く、陽性なら「下痢型IBSを支持する材料の一つ」になる一方、感度は40%前後にとどまるため、陰性でもIBSを否定することはできません。この検査はあくまで見分けるための手がかりの一つです。

Q. IBSは遺伝する病気ですか?遺伝子検査でわかりますか?

IBSは単一の遺伝子で決まる病気ではありません。セロトニンやICCに関わる遺伝子の個人差が腸の感じやすさに影響する可能性は研究されていますが、発症を言い当てる遺伝子検査はなく、IBSそのものを遺伝子検査で診断することはできません。感染・腸内細菌・年齢など多くの要因が重なって症状が現れます。

Q. 減ってしまったICCは元に戻りますか?

動物実験の段階では、SCF/c-Kitという経路を再び活性化させることで、ICCの機能や維持に関わる変化とともに腸の動きが改善する可能性が示されています。ただし、これはまだ人間で確立した治療ではありません。現時点では、腸内環境を含めた体全体の仕組みのなかでIBSをとらえる研究が進んでいる、という段階です。

遺伝や体質のご不安は、臨床遺伝専門医にご相談ください

ミネルバクリニックでは、臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを通じて、遺伝や体質に関するご不安に向き合います。中立・非指示的な立場で、正確な情報をお伝えします。

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参考文献

  • [1] Interstitial cells of Cajal: a novel hypothesis for the pathophysiology of irritable bowel syndrome. Can J Gastroenterol. 2011. [PubMed 21647464]
  • [2] Autoimmunity Links Vinculin to the Pathophysiology of Chronic Functional Bowel Changes Following Campylobacter jejuni Infection in a Rat Model. Dig Dis Sci. 2015. [PubMed 25424202]
  • [3] Association between interstitial cells of Cajal and anti-vinculin antibody in human stomach. Korean J Physiol Pharmacol. 2020. [PMC7043993]
  • [4] Development and Validation of a Biomarker for Diarrhea-Predominant Irritable Bowel Syndrome in Human Subjects. PLoS One. 2015. [PMC4430499]
  • [5] Serotonin Augments Gut Pacemaker Activity via 5-HT3 Receptors. PLoS One. 2011. [PMC3174222]
  • [6] Exogenous Serotonin Regulates Proliferation of Interstitial Cells of Cajal in Mouse Jejunum Through 5-HT2B Receptors. Gastroenterology. 2007. [PubMed 17617159]
  • [7] Naringenin Promotes Gastrointestinal Motility in Mice by Impacting the SCF/c-Kit Pathway and Gut Microbiota. Foods. 2024. [PMC11353455]
  • [8] Intestinal proinflammatory macrophages induce a phenotypic switch in interstitial cells of Cajal. J Clin Invest. 2020. [PMC7685750]
  • [9] Changes in interstitial cells of cajal with age in the human stomach and colon. Neurogastroenterol Motil. 2011. [Wiley/Neurogastroenterol Motil]

本記事は一般的な医学情報の提供を目的としており、特定の検査・治療を推奨するものではありません。診断・治療については、必ず医療機関でご相談ください。記載内容は公開時点の情報にもとづきます。

仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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