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SETD3(セットディー・スリー)は、細胞の骨組みをつくるβ-アクチンというタンパク質の一点に「メチル基」という小さな目印を付ける酵素の設計図となる遺伝子です。この目印付けによって、筋肉の力強い収縮や、出産のときの子宮の収縮、細胞のエネルギー工場であるミトコンドリアの働きが支えられています。近年はさらに、かぜやウイルス性の病気を起こすエンテロウイルスがこの酵素を乗っ取って増えることや、がんの種類によってSETD3が「進める役」にも「抑える役」にもなることが分かってきました。この記事では、SETD3という一つの遺伝子が持つ多面的な顔を、遺伝専門医の視点からできるだけやさしく解説します。
Q. SETD3遺伝子とはどんな遺伝子ですか?まず結論だけ知りたいです
A. SETD3は、細胞の骨組みである「β-アクチン」というタンパク質の73番目のヒスチジン(His73)という一点に、メチル基という小さな目印を付ける酵素の設計図です。この目印によってアクチンの繊維が安定し、筋肉の収縮や出産時の子宮収縮、ミトコンドリアの維持が支えられます。さらにエンテロウイルスがこの酵素を増殖の足場として乗っ取ること、がんでは種類によって促進役にも抑制役にもなることが報告されています。ただしSETD3は生まれつきの遺伝病の原因遺伝子として確立しているわけではなく、現時点で臨床の遺伝子検査の対象にはなっていません。
- ➤本当の役割 → β-アクチンHis73のメチル化。もともとは「ヒストンの酵素」と誤解されていました
- ➤体での働き → 平滑筋・骨格筋の収縮、出産(難産の回避)、ミトコンドリアの維持
- ➤ウイルス → エンテロウイルスの必須宿主因子。メチル化の力は使わず「足場」として利用されます
- ➤がん → 肝臓がんでは促進、大腸がんでは抑制など、がん種によって役割が正反対になります
- ➤創薬 → 欠けても大きな害が出にくいため、副作用の少ない阻害薬の標的として研究されています
1. SETD3遺伝子の基本情報:どこにあり、何をつくるのか
SETD3は「SET domain-containing protein 3(セット・ドメインを含むタンパク質3)」の略で、ヒトでは14番染色体の長腕(14q32.2)に位置しています。ゲノム上ではおよそ85キロベース(塩基が8万5千個ほど)にわたる領域を占め、そこから複数の「読み方の違うコピー」がつくられます。この読み方の違いは代替スプライシングと呼ばれるしくみによるもので、同じ遺伝子から少しずつ性質の異なるタンパク質(アイソフォーム)が生まれ、組織ごとの細やかな使い分けを可能にしています。ヒトのSETD3タンパク質は594個ほどのアミノ酸からなり、分子の大きさはおよそ67キロダルトンです[1]。
SETD3のもう一つの特徴は、進化の過程で哺乳類から鳥類・爬虫類・両生類、さらには一部の単細胞生物に至るまで、非常によく似た形で保たれてきた点です。生き物が長い時間をかけて姿を変えても、このタンパク質の骨格がほとんど変わらずに受け継がれてきたということは、それだけ「代わりのきかない大切な仕事」を担ってきた証拠だと考えられています[2]。その大切な仕事とは、後で詳しく述べる「アクチンという細胞骨格タンパク質の手入れ」です。
SETD3が関わる4つの場面
SETD3を理解するうえで最初に押さえておきたいのは、「一つの遺伝子なのに、まったく違って見える4つの舞台で登場する」という点です。それぞれの詳しい話はこの記事の後半で解説しますが、まずは全体像を眺めておきましょう。
💪 筋肉と出産
アクチンを整えて筋肉の収縮力を支えます。とくに出産時の子宮の収縮に欠かせず、動物実験では欠損すると難産になります。
🔋 ミトコンドリア
細胞にかかる物理的な力を感じ取り、ミトコンドリア周囲のアクチンを整えて、エネルギー産生を助けることが分かってきました。
🦠 ウイルス感染
エンテロウイルスが増えるために必要な宿主側の因子です。ウイルスはSETD3のメチル化の力ではなく「形」を利用します。
🎗️ がん
がんの種類によって「増殖を進める役」にも「抑える役」にもなる、二面性のあるふるまいを見せます。
2. SETD3の本当の仕事:β-アクチンのヒスチジンにメチル基を付ける
SETD3という名前には「SETドメイン」という言葉が含まれています。SETドメインは、DNAを巻き取るヒストンというタンパク質にメチル基を付ける酵素(ヒストンメチルトランスフェラーゼ)に多く見られる部品です。そのため発見された当初、SETD3もヒストン(H3の4番目・36番目のリシン)を修飾する酵素だと考えられていました。ところが、精密な結合実験や質量分析によって、SETD3はヒストンにはほとんど結合しないことが分かり、本当の相手は細胞骨格をつくるβ-アクチンの73番目のヒスチジン(His73)だったことが明らかになりました[2]。長年の常識をくつがえした、遺伝子研究における興味深い「配役ミスの訂正」だったといえます。
💡 用語解説:メチル化とメチルトランスフェラーゼ
メチル化とは、タンパク質やDNAの決まった場所に「メチル基(CH3という小さな部品)」を付ける化学的な目印付けです。付ける・付けないでタンパク質の性質やDNAの読まれ方が変わるため、細胞にとってはスイッチやラベルのような役割を果たします。この目印を付ける酵素をメチルトランスフェラーゼと呼びます。多くはDNAやヒストンのアミノ酸(リシンなど)を狙いますが、SETD3は珍しく「ヒスチジン」というアミノ酸を狙うタイプで、しかも相手をβ-アクチン1種類にほぼ絞り込んでいる点が特徴です。
「V字型の谷間」でアクチンをつかまえる構造
SETD3のタンパク質は、大きく2つの部品からできています。1つは、メチル基の運び屋であるSAM(S-アデノシルメチオニン)からメチル基を受け取って相手に渡す「触媒SETドメイン」、もう1つは相手のタンパク質をつかまえる「RSBドメイン」です。この2つが組み合わさると、分子のほぼ中央にV字型の深い谷間(クレフト)ができます。アクチンはこの谷間にすべり込むように結合し、His73がちょうど反応の中心に来るように位置決めされます[3]。この結合はきわめて強く、精密な測定ではおよそ0.17マイクロモルという高い親和性が報告されています。アクチン側の疎水性のアミノ酸(Ile71やTrp79)が、SETD3表面のくぼみにプラグのようにはまり込むことで、ずれのない位置合わせが実現しています。
SETD3はSETドメインとRSBドメインでV字型の谷間をつくり、β-アクチンを挟んでHis73にメチル基を付けます。メチル基はSAMから供給されます。エンテロウイルスの2Aプロテアーゼは、この同じ谷間を横取りしてウイルス複製の足場に利用します。
💡 用語解説:ヒスチジンとリシン(どちらもアミノ酸)
タンパク質は20種類のアミノ酸がつながってできています。そのうちリシンは長くのびた側鎖を持ち、多くのメチル化酵素が狙う「定番の的」です。一方ヒスチジンは、環状の小さな構造(イミダゾール環)を持つアミノ酸です。SETD3は、リシンを受け入れる浅くない穴ではなく、この小さなヒスチジンの環だけがぴったり収まる特別な形の穴を持っているため、ヒスチジンを選んでメチル化できます。
なぜSETD3はヒスチジンだけを選べるのでしょうか。ふつうのリシン用の酵素では、リシンの長い側鎖を受け入れるために芳香族のチロシンというアミノ酸が穴の内側に配置されています。ところがSETD3では、その位置が親水性のアスパラギン(Asn255)に置き換わっており、さらに近くのトリプトファン(Trp273)と協力して、穴がとても浅い形になっています。この浅い穴には、長いリシンは立体的につかえて入れず、側鎖の短いヒスチジンの環だけがちょうど収まります[3]。反応のときはヒスチジンの環の一方の窒素が水素を持つ形で安定し、反対側の窒素(N3、τ位と呼ばれる位置)が反応しやすくなって、SAMからメチル基を直接受け取ります[4]。実際、Asn255とTrp273を人工的に別のアミノ酸へ置き換えて穴を広げると、SETD3はヒスチジンをメチル化する力を失い、代わりにリシンをメチル化する酵素へと性質が変わることが示されています。まさに「穴の形が的の種類を決めている」わけです。
💡 用語解説:SAM(S-アデノシルメチオニン)
SAMは、体の中でメチル基を配って回る「メチル基の共通運び屋」です。メチルトランスフェラーゼはこのSAMからメチル基を1つ受け取り、狙った相手に付け替えます。役目を終えたSAMはSAH(S-アデノシルホモシステイン)という形に変わります。SETD3もこのSAMを使ってアクチンのHis73にメチル基を渡しています。
3. 筋肉・出産・ミトコンドリア:体の中でのSETD3の役割
🔍 関連記事:メカノトランスダクション(力の感知)/細胞外マトリックス(ECM)
アクチンのHis73にメチル基が付くと、アクチン1個1個(モノマー)が持つエネルギー物質の交換速度がゆるやかになり、アクチンが繊維(F-アクチン)へと組み上がる過程が安定します。さらに、いったんできた繊維がほどけるのを防ぐため、繊維全体が力に対して強くしなやかになります[1]。この「強さ」がもっとも劇的に効いてくるのが、出産のときの子宮の収縮です。
出産と「一次性難産」:動物実験が示したこと
SETD3の働きをなくしたマウス(雌)は、成長や生存そのものには大きな異常を示しません。ところが出産の場面になると、子宮の平滑筋が力を伝えられず、「一次性難産」と呼ばれるお産の停滞を起こし、生まれてくる子の数が大きく減ってしまいます[1]。しかもこの難産は、子宮収縮を強く促すオキシトシンなどの薬を使っても、収縮がうまく再開しにくいという特徴を示しました。ヒトの子宮平滑筋の細胞を使った実験でも、SETD3を減らすと収縮する力が大きく低下しました。つまりSETD3が付けるアクチンの目印は、激しい力仕事に耐えて力を逃さず伝えるための「補強」のような役割を果たしていると考えられます。
💡 用語解説:ノックアウトマウスとは
特定の遺伝子の働きを人工的になくしたマウスのことです。ある遺伝子を「消した」ときに何が起こるかを観察することで、その遺伝子が本来どんな役割を担っているのかを推測できます。SETD3のノックアウトマウスで難産が起きたことは、この遺伝子が出産時の筋収縮に重要であることを示す有力な手がかりになりました。
力を感じ取ってミトコンドリアを支える「メカノセンサー」
近年の研究で、SETD3は細胞質だけでなくミトコンドリアの外側の膜にも局在し、ミトコンドリアの形と働きの維持に直接かかわっていることが分かってきました[5]。しかもSETD3は、細胞が置かれた足場(細胞外マトリックス)の硬さ、つまり細胞にかかる物理的な力を感じ取って、自らの量を変える「メカノセンサー(力の感知装置)」のようにふるまいます。力を受けたSETD3は、ミトコンドリアの周りにアクチンの鞘(さや)をつくり、ミトコンドリアの枝分かれやネットワークの広がり、細胞内での動きを活発にします。反対にSETD3の働きが失われると、ミトコンドリア周囲のアクチンが消え、ミトコンドリアが断片化して機能が落ち、エネルギーをつくる酸化的リン酸化(とくに電子伝達系の複合体I)の組み立てにも支障が出ると報告されています[5]。細胞の「骨組み」の手入れが、エネルギー工場の調子に直結しているという、興味深いつながりです。
4. エンテロウイルス感染とSETD3:ウイルスに乗っ取られる宿主因子
SETD3は、意外な場面でも主役として登場します。かぜの原因になるライノウイルスから、手足のまひを起こす急性弛緩性脊髄炎に関わるEV-D68、重い脳炎を起こしうるEV-A71、さらにコクサッキーウイルスやポリオウイルスまで、ほぼすべての「エンテロウイルス属」のウイルスが増えるために、宿主(感染された側)のSETD3を必要とすることが、網羅的な遺伝子スクリーニングで突き止められました[6]。ウイルスにとってSETD3は、増殖に欠かせない「借り物の部品」なのです。
💡 用語解説:プロテアーゼとは
プロテアーゼとは、タンパク質を切る「はさみ」の役割をする酵素です。エンテロウイルスは、自分の遺伝情報から最初に長い一本のタンパク質をつくり、それを自前のプロテアーゼで切り分けて部品にします。この切り分け役の一つが「2Aプロテアーゼ」で、宿主のタンパク質合成を止めるためにも使われます。
ウイルスの2Aプロテアーゼが「V字の谷間」を奪う
ウイルスの2Aプロテアーゼは、宿主の翻訳装置を壊す「はさみ」としての働きを持つと同時に、SETD3ともきわめて強く結合します。X線結晶構造解析やクライオ電子顕微鏡による観察から、EV-A71の2AプロテアーゼがSETD3の2つのドメインを貫くV字型の中央の谷間にすべり込み、そこを物理的に占領している様子が明らかになりました[7]。この結合はアクチンよりもはるかに強いため、2Aプロテアーゼは感染した細胞の中にあるSETD3とアクチンの複合体を、いわば力ずくで引き離してしまいます。
🔍 関連記事:アクチンフィラメントとは/ヒスチジンメチル化
ここで最も重要な発見は、ウイルスが増えるときに必要なのはSETD3の「形(足場)」だけで、本来のメチル化する力はまったく必要ないという点です[6]。実際、メチル化の力を失わせた変異型のSETD3を細胞に入れても、ウイルスの複製効率は正常なSETD3を入れたときと同じように回復しました。つまり2Aプロテアーゼは、SETD3を「はさみ」としてではなく「複製の土台となる物理的な足場」として利用し、ウイルスRNAをつくる初期の関門を突破しているのです。この「メチル化に頼らない足場としての利用」という性質は、後で述べる創薬の考え方に大きなヒントを与えています。
5. がんとSETD3:促進役にも抑制役にもなる二面性
🔍 関連記事:アポトーシス(細胞死)/DNA損傷応答/ユビキチン・プロテアソーム系
がんとSETD3の関係は、「がんを進める遺伝子」か「がんを抑える遺伝子」かのどちらか一方には収まりません。がんの種類や分子のタイプによって、正反対の役割を切り替えるという多面性(プレオトロピー)を示します。以下では代表的な例を整理します。
💡 用語解説:アポトーシス(細胞死)
アポトーシスとは、体にとって不要になった細胞や、DNAが傷ついて危険な細胞が、自ら計画的に死んでいくしくみです。がん治療では、抗がん剤や放射線でがん細胞にダメージを与え、このアポトーシスへ追い込むことが一つの狙いになります。逆にがん細胞がアポトーシスを起こしにくくなると、治療が効きにくくなります。
大腸がんでは「抑える役」:アポトーシスを後押し
大腸がんでは、SETD3はがん細胞を計画的な死へ導く「腫瘍抑制」の役割を担うことが報告されています。抗がん剤ドキソルビシンなどでDNAに傷を与えたとき、SETD3はがん抑制の司令塔であるp53の下流ではたらき、アポトーシスを促す遺伝子群の活性化を後押しします[8]。SETD3を失わせた大腸がん細胞では、薬があってもアポトーシスの引き金が引かれにくくなり、強い耐性を示しました。患者さんのデータでも、大腸がんでSETD3の量が少ないことは、より不良な経過と結びつく傾向が報告されています[8]。
肝細胞がんでは「進める役」:分解をまぬがれて増殖を暴走させる
💡 用語解説:プロ癌遺伝子と癌抑制遺伝子
プロ癌遺伝子(がん遺伝子)は、はたらきすぎるとがんの増殖を促してしまう遺伝子です。反対にがん抑制遺伝子は、細胞の増えすぎを止めたり、危険な細胞を死なせたりしてがんを防ぐ遺伝子です。SETD3は、がん種によってこのどちらの顔も見せる珍しい存在で、状況しだいで役割が入れ替わります。
一方、肝細胞がん(HCC)では、SETD3の量が不自然に増え、腫瘍の増殖や大きさを後押しする「がんを進める」役割を示します[9]。健康な細胞では、SETD3のタンパク質は細胞周期のなかで役目を終えると、ユビキチン・プロテアソーム系という「不要タンパク質の処理システム」によってきちんと分解・除去されます。ところが肝細胞がんでは、この分解の合図がうまく働かず、SETD3が細胞内にたまり続けます。すると細胞分裂の号令をかけるPLK1(ポロ様キナーゼ1)というタンパク質が過剰につくられ、細胞分裂が無秩序に進んでしまうと報告されています[9]。同じ「たまる/減る」でも、大腸がんとは逆向きに働く点が、SETD3の二面性をよく表しています。
乳がん・肺がん・その他のがんでの多彩な顔
乳がんでは、SETD3の高発現が予後の「良い・悪い」を反転させる興味深い現象が報告されています。エストロゲン受容体(ER)陽性でおとなしいタイプ(ルミナルA型)の乳がんでは、SETD3が多いほど再発の少ない良好な経過と関連します。一方、トリプルネガティブ乳がんやp53変異を伴う悪性度の高い乳がんでは、SETD3が多いほど転移や浸潤が進み、経過が不良になる傾向が示されました[10]。トリプルネガティブ乳がんの細胞でSETD3を減らすと、細胞骨格の支えが弱まり、がん細胞の動きや浸潤する力が大きく落ちることも報告されています[10]。
がんの血管づくり(血管新生)との関わりも研究されています。SETD3は、血管をつくる合図となるVEGF(血管内皮増殖因子)に対して「ブレーキ役(負の制御因子)」として働くことが報告されています。通常の酸素があるときは、SETD3が転写因子FoxM1とともにVEGFの遺伝子の入口に居座り、VEGFがつくられ過ぎないよう抑えています。ところが酸素が乏しい(低酸素)環境になるとSETD3の量が減り、SETD3とFoxM1がVEGFの入口から離れてしまうため、抑えが外れてVEGFが増え、血管新生が進むと考えられています[11]。SETD3が血管づくりを「進める」のではなく、ふだんは「抑えている」という向きに注意が必要です。
また、非小細胞肺がんでは、SETD3の遺伝子座からつくられる環状のRNA「circSETD3」が話題になっています。これはSETD3タンパク質そのものではなく、同じ場所からつくられる輪っか状のRNAで、FXR1やECT2という分子を介して、分子標的薬ゲフィチニブに対する「後天的な効きにくさ(獲得耐性)」を強めることが報告されています[12]。このほか子宮頸がんでは、SETD3がキネシン軽鎖4(KLC4)という分子の発現を抑えることで、放射線治療への感受性を高める(治療が効きやすくなる)方向に働くことも報告されています。SETD3が一筋縄ではいかない分子であることが、これらの例からもよく分かります。
6. 創薬ターゲットとしてのSETD3
SETD3を失わせた個体が、雌の難産という問題を除けばおおむね正常に生きられるという事実は、この酵素をねらう薬が、副作用の少ない治療の候補になりうることを示しています[1]。現在、大きく2つの方向で研究が進んでいます。
アクチンをまねた「ペプチド阻害薬」
1つ目は、SETD3の本来の相手であるβ-アクチンの一部(His73を含む短い断片)をまねて設計した「ペプチド模倣体」を、SETD3の谷間に先回りしてはめ込み、はたらきを止める阻害薬です。とくに、His73の位置をセレンメチオニンという特殊なアミノ酸に置き換えた合成ペプチドは、SETD3の反応する穴にぴったり合い、IC50(効果が半分になる濃度)がおよそ161ナノモルという高い阻害力を示しました[13]。His73をメチオニンに置き換えたペプチドも、天然のアクチン断片よりずっと強くSETD3に結合することが報告されており、メチオニンやセレンメチオニンが持つ硫黄・セレン原子が、メチル基を受け取るための通り道を穴の奥でぴたりとふさぐことで、強力な「競争相手」として働くと考えられています[13]。
ウイルスに効く「メチル化に触れない」阻害薬という発想
2つ目は、エンテロウイルス対策としての阻害薬です。ここで思い出したいのは、ウイルスが増えるのに必要なのはSETD3の「形(足場)」であって、メチル化の力ではないという発見です[6]。そこで、SETD3本来のアクチンをメチル化する力(筋収縮やミトコンドリアの維持に必要なはたらき)はそのままにして、2Aプロテアーゼが結合する部分だけを立体的に覆い隠すような薬を設計できれば、正常な生理機能を邪魔せずにウイルスの増殖だけを止められる可能性があります。こうした「宿主のタンパク質をねらう治療(ホスト指向性治療)」は、ウイルスが変異しても効きにくくならないと期待されており、ライノウイルスからエンテロウイルスまで幅広く効く薬の候補として研究が続いています[6]。ただしこれらはいずれも研究段階の話であり、実際の治療薬として使えるようになるにはさらなる検証が必要です。
7. よくある誤解
誤解①「SETD3はヒストンをメチル化する酵素」
発見当初はそう考えられていましたが、その後の研究で本当の相手はβ-アクチンのHis73であることが分かりました。ヒストンへの結合はほとんど確認されていません。
誤解②「SETD3が多いほどがんが進む」
がんの種類しだいです。肝細胞がんでは進める役ですが、大腸がんでは抑える役で、低下がむしろ不良な経過と結びつきます。一律には言えません。
誤解③「ウイルスはSETD3のメチル化を利用する」
エンテロウイルスが使うのはSETD3の「形(足場)」だけで、メチル化の力は不要です。だからこそ、生理機能を残したままウイルスだけを止める薬が考えられます。
誤解④「SETD3は遺伝子検査で調べる病気の遺伝子」
SETD3は生まれつきの遺伝病の原因遺伝子として確立していません。現時点で臨床の遺伝子検査の対象ではなく、主に基礎研究・創薬研究の文脈で語られる遺伝子です。
8. SETD3の遺伝学的な位置づけと、遺伝医療との接点
ここまで見てきたように、SETD3は分子生物学・ウイルス学・がん研究にまたがる、基礎研究上とても重要な遺伝子です。一方で、SETD3の生殖細胞系列(親から子へ受け継がれる細胞系列)の変異が、特定の遺伝性疾患を引き起こすという関係は、現時点では確立していません。つまりSETD3は、いわゆる「メンデル遺伝病の原因遺伝子」としてのリストには載っておらず、遺伝カウンセリングで「この遺伝子を調べましょう」と提案するような検査対象にもなっていません。この記事も、あくまで研究段階の知見をわかりやすく共有することを目的としています。
では、SETD3のような遺伝子の話は、遺伝医療とまったく無関係かというと、そうではありません。アクチンのメチル化やヒスチジン修飾、タンパク質分解のしくみといった分子レベルの基礎知識は、実際の遺伝性疾患やがんゲノム医療を理解するうえでの土台になります。たとえば「一つの分子が文脈によって正反対に働く」というSETD3の性質は、遺伝子の変化を『善玉/悪玉』と単純に割り切れないことを教えてくれます。私たちは、こうした基礎的な知識を、患者さんやご家族にとって意味のある情報へと橋渡しすることを大切にしています。
よくある質問(FAQ)
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参考文献
- [1] SETD3 is an actin histidine methyltransferase that prevents primary dystocia. Nature. 2019. [PMC6511263]
- [2] SETD3 protein is the actin-specific histidine N-methyltransferase. eLife. 2018. [eLife 37921]
- [3] Structural insights into SETD3-mediated histidine methylation on β-actin. eLife. 2019. [eLife 43676]
- [4] The Structure, Activity, and Function of the SETD3 Protein Histidine Methyltransferase. Life (Basel). 2021. [PMC8537074]
- [5] SETD3 is a mechanosensitive enzyme that methylates actin on His73 to regulate mitochondrial dynamics and function. J Cell Sci. 2024. [PubMed 38896010]
- [6] Enterovirus pathogenesis requires the host methyltransferase SETD3. Nat Microbiol. 2019. [PMC6879830]
- [7] The EV71 2A protease occupies the central cleft of SETD3 and disrupts SETD3-actin interaction. Nat Commun. 2024. [PubMed 38755176]
- [8] SETD3 is a positive regulator of DNA-damage-induced apoptosis. Cell Death Dis. 2019. [PMC6347638]
- [9] SETD3 Methyltransferase Regulates PLK1 Expression to Promote In Situ Hepatic Carcinogenesis. Front Oncol. 2022. [Frontiers in Oncology]
- [10] SETD3 acts as a prognostic marker in breast cancer patients and modulates the viability and invasion of breast cancer cells. Sci Rep. 2020. [PMC7010743]
- [11] Chromatin associated SETD3 negatively regulates VEGF expression. Sci Rep. 2016. [Scientific Reports 37115]
- [12] CircSETD3 mediates acquired resistance to gefitinib in non-small lung cancer cells by FXR1/ECT2 pathway. Int J Biochem Cell Biol. 2023. [ScienceDirect]
- [13] β-Actin Peptide-Based Inhibitors of Histidine Methyltransferase SETD3. ChemMedChem. 2021. [PubMed 34032009]



