目次
- 1 1. 胸郭不全症候群(TIS)とVEPTRとは
- 2 2. なぜ胸郭を広げると肺が育つのか ─ 肺の成長のしくみ
- 3 3. TISの原因と遺伝 ─ 背景にある病気
- 4 4. 胸郭の変形のタイプ ─ VDD分類
- 5 5. 術前の評価と、放射線を使わない肺のMRI
- 6 6. VEPTR手術の実際 ─ どうやって胸郭を広げるのか
- 7 7. 治療でどこまで良くなるのか ─ 成績とパラドックス
- 8 8. 治療の代償 ─ 合併症と「骨の自然癒合」
- 9 9. 他の治療との比較 ─ MCGR・TGRとの違い
- 10 10. 遺伝診療との接点 ─ 診断・遺伝形式・家族計画
- 11 まとめ ─ 「胸郭を育てる」という発想
- 12 よくある質問(FAQ)
- 13 参考文献
- 14 関連記事
生まれつき肋骨(ろっこつ)や背骨に強い変形があると、胸のかご(胸郭〔きょうかく〕)が十分に育たず、その中にある肺も育つ場所を失ってしまうことがあります。この、胸郭が肺の成長や呼吸を支えられなくなった状態を胸郭不全症候群(Thoracic Insufficiency Syndrome:TIS〔ティー・アイ・エス〕)といいます。放置すれば命に関わるこの病態に対して開発されたのが、VEPTR(ヴェプター:垂直型進展式チタン製人工肋骨)という、胸郭そのものを少しずつ広げていく特殊な医療機器です。この記事では、TISとVEPTRとは何か、なぜ背骨を固めずに胸郭を広げるのか、どんな遺伝性の病気が背景にあるのか、そして治療でどこまで良くなるのかを、臨床遺伝学の観点も含めて解説します。
Q. VEPTRと胸郭不全症候群(TIS)とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. 胸郭不全症候群(TIS)とは、胸郭(胸のかご)が、正常な呼吸や肺の成長を支えられなくなった状態のことです。先天性の肋骨・背骨の変形や、脊髄性筋萎縮症などの病気で起こります。VEPTR(垂直型進展式チタン製人工肋骨)は、背骨を直接固定してしまわずに、胸郭の容積を広げて肺が育つスペースを確保し続けるための人工肋骨です。数か月ごとに小さな手術で少しずつ延長し、子どもの成長に合わせて胸郭を広げていきます。背景疾患の一部には遺伝性疾患が含まれるため、原因疾患に応じた正確な診断と遺伝カウンセリングが重要になります。
- ➤TISとは → 胸郭が肺の成長・呼吸を支えられない状態。放置すると命に関わる
- ➤VEPTRの考え方 → 背骨を固めず、胸郭を広げて肺の成長スペースを守る「成長温存」型の治療
- ➤背景の病気 → 先天性側弯症、脊椎肋骨異形成症、Jeune症候群、脊髄性筋萎縮症など、遺伝が関わるものが多い
- ➤治療の効果 → 胸郭・脊柱の成長や呼吸状態の改善が報告される一方、肺活量の割合(%FVC)は低下することがある
- ➤遺伝診療の役割 → 遺伝性疾患が疑われる場合には、原因疾患の診断・遺伝形式の理解・家族計画の相談が重要
🫁 VEPTR・胸郭不全症候群(TIS)の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| VEPTRの読み方・正式名 | ヴェプター。Vertical Expandable Prosthetic Titanium Rib(垂直型進展式チタン製人工肋骨) |
| 対象となる病態 | 胸郭不全症候群(TIS)。胸郭が正常な呼吸や肺の成長を支えられない状態[1] |
| 開発者・提唱 | Robert M. Campbell Jr.(ロバート・キャンベル)医師らが1980年代末に概念とデバイスを開発[3] |
| 治療の狙い | 背骨を固定せず、胸郭を広げて肺の成長スペースを確保する(成長温存・非固定) |
| 代表的な背景疾患 | 先天性側弯症(肋骨癒合を伴う)、脊椎肋骨異形成症(Jarcho-Levin〔ヤルコ・レビン〕症候群)、Jeune〔ジュヌ〕症候群、脊髄性筋萎縮症(SMA)など |
| 遺伝との関わり | 背景疾患は多様。脊椎肋骨異形成症、Jeune症候群、SMAなどには遺伝性疾患が含まれ、常染色体潜性(劣性)遺伝をとる代表疾患がある |
※本記事は医学用語・治療概念の解説です。特定の検査や治療を勧めるものではありません。治療に関する判断は必ず主治医とご相談ください。
1. 胸郭不全症候群(TIS)とVEPTRとは
胸郭(きょうかく)とは、背骨・肋骨・胸骨(きょうこつ)でつくられる「胸のかご」のことです。この中には心臓と肺が収まっていて、呼吸のたびに広がったり縮んだりして、肺のふいごの役目を果たしています。ところが、生まれつき肋骨や背骨に強い変形があると、この胸のかごが十分に育たず、中にある肺も育つ場所を失ってしまいます。こうして胸郭が正常な呼吸や肺の成長を支えられなくなった状態を、胸郭不全症候群(Thoracic Insufficiency Syndrome:TIS)といいます[1]。この病名と概念は、1980年代末にアメリカの整形外科医Robert M. Campbell Jr.(ロバート・キャンベル)医師らによって提唱されました[3]。
それまで、早い時期に発症する側弯症(そくわんしょう:背骨が左右に曲がる病気。早期発症型側弯症=EOS)の治療では、変形した背骨を金属で固定してまっすぐにする手術(脊椎固定術)が早くから行われることがありました。しかし、まだ骨が育っていない小さな子どもの背骨を早く固定してしまうと、胸郭の立体的な成長まで止まってしまい、かえって肺の育つ場所を奪う結果になることがわかってきました[1]。「変形を治すはずの手術が、肺の成長を止めてしまう」——この矛盾を乗り越えるために生まれたのがVEPTRです。
💡 用語解説:早期発症型側弯症(EOS)
早期発症型側弯症(Early-Onset Scoliosis:EOS〔イー・オー・エス〕)とは、おおむね10歳より前に見つかる背骨の側弯(左右への曲がり)のことです。思春期に多い側弯症とは区別され、まだ肺や胸郭が育つ大切な時期に起こるため、背骨だけでなく胸郭と肺の成長への影響が大きいのが特徴です。TISの多くはこのEOSに関連して起こります。
VEPTR(ヴェプター:Vertical Expandable Prosthetic Titanium Rib、垂直型進展式チタン製人工肋骨)は、その名の通りチタンでできた「人工の肋骨」です。狭くなった胸郭に取りつけ、背骨を直接固定することなく、胸のかごの容積を物理的に押し広げます[3]。そして子どもの成長に合わせて、数か月ごとに少しずつ延長していきます。背骨を固めるのではなく、胸郭を広げながら肺が育つスペースを確保し続ける——この「成長温存(せいちょうおんぞん)」という考え方が、VEPTRの最大の特徴です。VEPTRの物語は、肋骨が生まれつき欠けていて重い側弯症を持ち、人工呼吸器に頼っていた生後8か月の赤ちゃんに対し、金属ピンで人工的な胸壁をつくった初期の救命手術から始まったと、開発者自身が語っています[3]。

先天性の肋骨癒合を伴う胸郭不全症候群(TIS)では、胸郭の変形によって肺が成長するための空間が制限されます。開大式胸郭形成術で癒合した肋骨を開大し、VEPTR(垂直型進展式チタン製人工肋骨)で胸郭を支持・段階的に拡張することで、成長期の胸郭と肺のための空間を確保します。
2. なぜ胸郭を広げると肺が育つのか ─ 肺の成長のしくみ
VEPTRの働きを理解するには、子どもの肺がどう育つのかを知る必要があります。肺は、生まれた時点で完成しているわけではありません。ガス交換を担う小さな袋(肺胞〔はいほう〕)の大部分は、生後5〜8年ごろまでの間に急速に数を増やしていきます。この時期に体が大きくなり、それに伴って胸郭の容積が広がることが、肺胞の数とサイズが増えていくための大切な条件になります[1]。
ここで鍵になるのが、肺と胸郭のあいだの「機械的なフィードバック」です。息を吸うときに胸郭が広がると、胸の中の圧力が下がり、肺の組織が物理的に引き伸ばされます。この周期的な引き伸ばし(機械的伸展)が、肺の細胞に「もっと育て」という信号を送り、肺胞の壁をつくって表面積を増やすことにつながると考えられています。つまり、胸郭がしっかり動いて広がることそのものが、肺の成長をうながすスイッチになっているのです。
TISの子どもでは、生まれつきの肋骨の癒合(ゆごう:くっついてしまうこと)や胸郭の育ちにくさによって、この引き伸ばしの信号が物理的にさえぎられてしまいます。すると肺の発育が制限され、進行性の呼吸障害につながることがあります。さらに進むと、血液中の酸素が足りなくなり、肺の血管の圧力が上がる肺高血圧(はいこうけつあつ)や、それに伴う心臓の負担(肺性心〔はいせいしん〕)に至り、幼い命を直接おびやかします[1]。VEPTRによる胸郭拡大は、胸郭内に肺が成長できる空間を確保し、呼吸力学を改善することを目指します。
🩺 院長コラム【「背骨の角度」ではなく「肺の未来」を見る治療】
側弯症というと、背骨がどれだけ曲がっているか(角度)に目が向きがちです。けれども小さなお子さんのTISでは、背骨の角度そのものよりも、その奥にある「肺がこれから育つ場所を確保できるか」のほうが、はるかに大切な問題になります。VEPTRという治療の発想がユニークなのは、背骨をまっすぐにすることを最優先にするのではなく、胸のかごを広げて肺の成長を守ることを主眼に置いた点にあります。
遺伝診療でも、「見えている変形」だけでなく、その背景にある原因疾患や今後起こりうることを見すえて選択肢を整理する視点が重要です。数字や角度だけでなく、その子の呼吸と成長という時間軸で考えることは、TISの治療方針を理解するうえでも大切です。
3. TISの原因と遺伝 ─ 背景にある病気
TISの原因はさまざまですが、大きく分けると、生まれつきの骨の変形によるもの(先天性)、特定の症候群に伴うもの(症候群性)、筋肉や神経の病気によるもの(神経筋性)、そして胸の手術のあとに生じるもの(胸郭原性)があります[9]。ここでは、遺伝が関わる代表的な背景疾患を見ていきます。遺伝性疾患が疑われる場合には、原因診断と遺伝形式の確認が遺伝カウンセリングの基礎になります。
先天性側弯症(半椎・椎体形成不全)
先天性側弯症は、おなかの中で背骨のもと(椎体〔ついたい〕)がつくられる過程の異常によって起こります。椎体の片側だけができる半椎(はんつい)や、椎体がうまく分かれない分節不全などがあり、これに肋骨の癒合が合わさると、胸郭が片側で短く縮んでしまいます。先天性側弯症は日本でも「肋骨異常を伴う先天性側弯症」として国の指定難病になっており、変形が重く進むとTISという命に関わる病態を引き起こすことが明記されています[12]。先天性心疾患を合併することも珍しくありません。
脊椎肋骨異形成症(Jarcho-Levin症候群)
脊椎肋骨異形成症(Jarcho-Levin〔ヤルコ・レビン〕症候群)は、背骨と肋骨の両方に多発する変形が生じ、胸郭全体が短く小さくなる、まれな骨系統疾患です。DLL3・MESP2・LFNG・HES7といった遺伝子の変異が原因となり、多くは常染色体潜性(劣性)遺伝の形をとります。胸郭が高さ方向に強く縮むため、重い呼吸不全をきたし、TISの代表的な原因の一つとして知られています[7]。
Jeune症候群(窒息性胸郭異形成症)
Jeune症候群(ジュヌしょうこうぐん:窒息性胸郭異形成症)は、胸郭が横方向に強く狭くなり、鐘(かね)のような細長い胸の形になる病気です。これは、細胞の「アンテナ」である線毛(せんもう)のつくりや働きに関わる遺伝子の異常で起こる、シリオパチー(線毛病)の一つです。狭い胸郭が肺を強くしめつけるため、重い呼吸障害をきたします。重症例では乳幼児期から生命を脅かす胸郭不全を生じることがあり、VEPTRによる胸郭拡大では胸郭幅や呼吸状態の改善が報告されています[6]。
脊髄性筋萎縮症(SMA)など神経筋疾患
脊髄性筋萎縮症(SMA)は、運動神経細胞が変性して筋力が低下していく、常染色体潜性(劣性)遺伝の神経筋疾患です。体幹を支える筋肉が弱いため、重い側弯症を高い割合で合併し、TISの重要な原因となります。近年はヌシネルセンなどの新しい治療薬でSMAの子どもの生存期間が延び、それに伴って側弯症の管理が必要になる場面が増えています[9]。ほかに、重い脳性麻痺などの神経筋疾患や、横隔膜ヘルニアの手術・腫瘍の手術で胸を開けたあとに生じる胸郭原性の側弯症も、TISの背景になります[9]。
💡 用語解説:常染色体潜性(劣性)遺伝
TISの背景疾患には、常染色体潜性(劣性)遺伝の形をとるものが多くあります。これは、両親それぞれから変化した遺伝子を1つずつ受け継いだとき(2つそろったとき)に発症する遺伝の伝わり方です。ご両親は症状のない「保因者(ほいんしゃ)」であることが多く、次のお子さんに同じ病気が起こる確率(再発率)は、きょうだいで原則4分の1になります。こうした情報を整理し、ご家族の選択を支えるのが遺伝カウンセリングの役割です。「劣性」「潜性」はどちらも同じ意味で、遺伝子の優劣を表す言葉ではありません。
4. 胸郭の変形のタイプ ─ VDD分類
Campbell医師は、TISを引き起こす胸郭の立体的な変形を、容積減少変形(Volume Depletion Deformity:VDD〔ブイ・ディー・ディー〕)として4つのタイプに整理しました[2]。このタイプ分けは、VEPTRをどう使うかという手術の戦略を決める土台になります。まず全体像を図で見てみましょう。
🫁 容積減少変形(VDD)の4分類
| 分類 | 胸郭の変形 | 肺の容積が減るしくみ | 代表的な疾患 |
|---|---|---|---|
| Type I | 片側の肋骨が欠損し胸郭が育たない | 欠損部から肺がはみ出し、膨らむ力を失う | VACTERL連合、先天性肋骨欠損 |
| Type II | 肋骨が癒合し片側の胸郭が縮む | くっついた肋骨が患側の胸郭を短くしめつける | 先天性側弯症(肋骨癒合を伴う)、手術後 |
| Type IIIa | 胸郭の高さが失われる(短い胸郭) | 肺が縦方向に両側から押し縮められる | Jarcho-Levin症候群(脊椎肋骨異形成症) |
| Type IIIb | 胸郭が横に狭くなる(細い胸郭) | 胸郭全体が横方向に強く絞られる | Jeune症候群(窒息性胸郭異形成症) |
※出典:Campbell RM Jr. の分類[2]にもとづく。
Type IとType IIの変形は、主に変形した側の胸郭を広げる、片側のVEPTR胸郭形成術で対応します。一方、Type IIIのように胸郭全体が小さいものは、重い呼吸不全を伴い死亡率も高いため、両側にVEPTRを入れて段階的に広げる必要が出てくることが多くなります[2]。どのタイプにあたるかを見きわめることが、VEPTR治療の設計図になります。
5. 術前の評価と、放射線を使わない肺のMRI
TISの評価には、整形外科・呼吸器科・小児外科・麻酔科など、多くの科が連携するチーム医療が欠かせません。気道(空気の通り道)に異常があることも多いため、麻酔をかける前の綿密な計画が必要になります[9]。
呼吸の状態を診る ─ 母指可動域テストとAVRスコア
身体診察では、呼吸に伴って胸郭がどれだけ動くかを診る「母指可動域テスト(Thumb Excursion Test)」が使われます。患者さんの背中側から両方の親指を背骨から等しい距離に置き、息を吸ったときに親指がどれだけ動くかを4段階で評価する方法です[1]。また、呼吸不全の重さは、人工呼吸器や酸素をどれくらい必要とするかで分類する「補助換気評価(AVRスコア)」で客観的に表します。室内の空気で呼吸できる状態から、一日中人工呼吸器が必要な状態まで、段階的に評価します[9]。
放射線を使わない ─ 定量的動的肺MRI(QdMRI)
VEPTR治療の効果を測るうえで、従来の肺機能検査(息を吹き込んで肺活量を測る検査)は、小さな子どもや重い変形のある患者さんでは正確に測るのが難しいという限界があります[4]。これに代わる評価法として研究されているのが、定量的動的肺MRI(QdMRI〔キューディー・エム・アール・アイ〕)です。これは、放射線を使わず、自然な呼吸(安静時の一回換気)のまま、左右の肺・横隔膜・胸壁の動きを立体的に数値化する画像評価法です[10]。呼気終末と吸気終末の画像を比較することで、胸壁と横隔膜が換気にどの程度寄与しているかを左右別に評価できます。TIS患者をVEPTR手術の前後で比較した研究では、左右の肺容積や一回換気量、胸壁・横隔膜の各成分が術後に増加し、QdMRIが局所的な呼吸動態の変化を捉えられることが示されています[10]。
6. VEPTR手術の実際 ─ どうやって胸郭を広げるのか
VEPTRは、上部の受け金具(クレードル)、下部の受け金具、伸縮する筒(リブスリーブ)、そして各種のロック機構からできています[3]。上は肋骨に、下は別の肋骨・腰椎・骨盤のいずれかに固定する形があり、患者さんの体の状態に合わせて組み合わせを選びます。
初回の手術 ─ 開大式胸郭形成術
肋骨が癒合しているType IIの変形では、「開大式胸郭形成術(かいだいしききょうかくけいせいじゅつ)」という方法が基本になります。くっついた肋骨のかたまりをV字型に切り離し(骨切り)、その切れ目をVEPTRで押し広げることで、縮んでいた側の胸郭の容積を増やします[2]。手術は、腕を支配する神経(腕神経叢〔わんしんけいそう〕)を傷つけないよう慎重に進められ、神経の損傷を避けるために手術中は神経の働きを常にモニターします[9]。
数か月ごとの延長術
初回手術のあとは、子どもの背骨の正常な成長(年間およそ2〜3cm)に合わせて、通常4〜6か月ごとに小さな切開でデバイスを延長していきます[3]。ロックをいったん外して伸縮する筒を伸ばし、システムの「たるみ」を取り除くことで、肺が育つために必要な胸郭のスペースを保ち続けます。この延長を何年にもわたって繰り返すのが、VEPTR治療の大きな特徴であり、同時に負担にもなります。
💡 用語解説:骨切り(こつきり/骨切り術)
骨切りとは、変形した骨を計画的に切って、位置や形を作り直す手術のことです。VEPTRでは、くっついてしまった肋骨のかたまりを切り離して、そこを押し広げることで胸郭の容積を増やします。骨がもろい患者さんでは、手術の前にビスフォスフォネートという骨を強くする薬を使い、骨折や金具の抜けを防ぐ工夫がとられることもあります[9]。
7. 治療でどこまで良くなるのか ─ 成績とパラドックス
VEPTRは、背骨と胸郭の形を整える力の強い治療です。しかし、長期的な呼吸機能の改善については、単純な肺活量の数字だけでは測れない、複雑な逆説(パラドックス)があります。
背骨と胸郭は着実に成長する
多施設の長期フォローアップのデータでは、VEPTRは背骨の左右の曲がり(Cobb角〔コブかく〕)をすぐに、そして持続的にコントロールします。ある報告では、治療前に平均56.4度あったCobb角が、手術直後に43.5度へと有意に改善し、平均5年後の最終評価時にも治療前より悪化させずに保たれていました[3]。さらに注目すべきは背骨と胸郭の成長を守る効果で、同じ研究で背骨の長さ(T1-S1)や胸郭の高さ(T1-T12)が治療期間中に大きく伸び、正常値との差を縮めたことが示されています[3]。
肺活量の「割合」はむしろ下がるという逆説
VEPTRの評価で最も議論になるのが、肺機能検査の結果です。骨格の上では胸郭が広がっているのに、「予測される肺活量に対する割合(%FVC)」は時間とともに下がる傾向があります。ある長期研究では、実際の肺活量(FVC)は治療前の0.65Lから最終評価時に0.96Lへと絶対量としては有意に増えたにもかかわらず、同年代の予測値に対する割合(%FVC)は77%から58%へと下がりました[4]。これは、肺の成長が体全体の急速な成長に追いつかないことや、手術を繰り返すうちにチタンの金具や瘢痕(はんこん:傷あと)が胸壁を硬くしていくことが原因と考えられています[4]。
⚠️ 数字が下がる=悪化、ではありません
%FVCの数字が下がっても、それだけで臨床的な悪化を判断することはできません。Jeune症候群やJarcho-Levin症候群のVEPTR治療では、胸郭の拡大や臨床的な呼吸状態の改善が報告されています[6][7]。一方、長期肺機能では%FVCの低下や胸壁コンプライアンスの低下も報告されているため、評価には肺活量だけでなく、呼吸補助の必要度、胸郭成長、画像所見などを含めた総合的な判断が必要です[4]。
8. 治療の代償 ─ 合併症と「骨の自然癒合」
VEPTRは重症TISで重要な治療選択肢ですが、数か月ごとに切開を伴う延長術を繰り返すため、時間とともに合併症が積み重なっていきます。研究によって対象や定義は異なりますが、長期治療では合併症が高頻度にみられることが報告されています[11]。
積み重なる合併症
主な合併症には、金具のずれや移動、チタンロッドの金属疲労による破断といったハードウェアの問題、切開を繰り返すことによる傷の治りにくさや皮膚のトラブル、そして手術部位の感染などがあります[5]。20年にわたる単一施設の経験を報告した研究でも、合併症は63%の患者さんに生じ、金具の突出・移動・感染が最も多かったとされています[11]。
「固定しない治療」のはずが骨がくっつく ─ 骨自動癒合
VEPTRが長期治療で直面する最大の生物学的なジレンマは、「背骨を固定しない治療」を意図しているにもかかわらず、高い頻度で骨の自然な癒合(骨自動癒合〔こつじどうゆごう〕、autofusion)が起きてしまうことです[5]。金具が絶えず動くことによる刺激や、手術による出血・瘢痕組織の形成によって、本来くっつくべきでない背骨や肋骨のあいだに、余分な骨(異所性骨化〔いしょせいこっか〕)ができてしまう現象です。国際的な多施設研究では、4年以上VEPTR治療を受けた65人の患者さんのうち65%(42人)に骨化が認められました[5]。金具の伸縮部やロッドに沿って広がる骨化は、胸壁の柔らかさ(コンプライアンス)を著しく下げ、背骨のしなやかさを奪ってしまうため、特に問題になります[5]。
最終手術での「収穫逓減の法則」
長年にわたる延長を重ねると、1回ごとに得られる背骨の伸びや矯正の効果はだんだん小さくなっていく「収穫逓減(しゅうかくていげん)の法則」に直面します[9]。成長が終わって最終的な脊椎固定術に移る際には、背骨と胸郭が自然癒合と骨化でとても硬くなっているため、手術の難易度は極めて高くなります。ある報告では、最終固定術での背骨の矯正率は平均でわずか14%にとどまり、合併症率(41%)も高いことが示されています[3]。このため近年では、許容できる背骨のバランスが保たれていれば、無理に大きな最終固定術を行わず、金具の抜去だけ、あるいはそのまま留置するという方針が選ばれる傾向もあります[3]。
9. 他の治療との比較 ─ MCGR・TGRとの違い
近年、成長温存手術の考え方は、磁石で体の外から延長できる磁気制御型延長ロッド(MCGR〔エム・シー・ジー・アール〕)の普及によって大きく変わりました。VEPTR・従来型の延長ロッド(TGR)・MCGRなどを比べた最近のシステマティックレビューやメタアナリシスは、それぞれの長所と限界を明らかにしています。
67の研究・2021人の患者を集めた大規模なメタアナリシスによれば、背骨の曲がりを矯正する力では、VEPTRは他の方法よりも矯正率が低い傾向にあります[8]。これは、VEPTRが背骨を直接つかまず、肋骨を介して間接的に矯正するため、力の伝わり方が穏やかになることによります。背骨の長さを伸ばす効果ではTGRが優れる一方、TGRは延長のための手術回数が最も多く、患者さんの負担が大きくなります[8]。
MCGRは、外来で磁石を使って延長できるため、麻酔を伴う切開手術を繰り返す回数を減らせる利点があります。一方で、MCGRにはデバイス特有の機械的な問題もあり、VEPTR・TGR・MCGRにはそれぞれ異なる長所と限界があります[8]。67研究・2021人を対象とした2022年のメタアナリシスでは、VEPTRは他の成長温存手術と比べてCobb角の矯正率が低い傾向を示しましたが、治療法の選択は側弯の矯正だけでなく、胸郭そのものの変形と胸郭不全症候群の病態を含めて判断する必要があります[8]。特に、肋骨癒合などを伴う胸郭の容積減少変形に対して開大式胸郭形成術を行う場合、VEPTRの肋骨を軸にしたアプローチには、脊椎を軸とする延長ロッドとは異なる役割があります[2]。
💡 用語解説:MCGR(磁気制御型延長ロッド)
MCGR(Magnetically Controlled Growing Rod)は、体内に埋め込んだ延長ロッドを、体の外から磁石の力で少しずつ伸ばせる装置です。従来は延長のたびに麻酔をかけて切開する必要がありましたが、MCGRは外来で延長できるため、手術の回数を大きく減らせます。ただし、胸郭そのものを立体的に作り直す必要があるTIS(特にJeune症候群やJarcho-Levin症候群のような胸郭の病気)では、いまもVEPTRが選ばれます。
10. 遺伝診療との接点 ─ 診断・遺伝形式・家族計画
VEPTRは整形外科・呼吸器領域の治療ですが、TISの背景疾患の一部には遺伝性疾患が含まれます。TISを引き起こしうる病気のうち、脊椎肋骨異形成症(Jarcho-Levin症候群)、Jeune症候群、脊髄性筋萎縮症などでは、原因遺伝子や遺伝形式が明らかになっています。一方、先天性側弯症は病因が多様で、すべてが単一遺伝子疾患というわけではありません。原因疾患を正確に診断できれば、その疾患に応じた遺伝形式や再発リスクを具体的に整理できます。
脊椎肋骨異形成症の一部、Jeune症候群、5q型SMAなど、ここで挙げた代表的な遺伝性疾患には常染色体潜性(劣性)遺伝をとるものがあります。両親が同じ原因遺伝子の病的バリアントを1つずつ持つ保因者である場合、各妊娠で発症する確率は原則4分の1です。こうした情報を前提に、出生前診断や着床前診断(PGT)という選択肢を整理することも、遺伝カウンセリングの一部です。ただし、どの選択肢を選ぶか、そもそも検査を受けるかどうかを含めて、決めるのはご本人・ご家族です。遺伝カウンセリングでは、中立的な立場で医学的な判断材料を整理することが重要です。
当院では、遺伝子や染色体に関わる検査の前後で、臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行っています。話し合う内容は、検査で何が分かり何が分からないのか、見つかった変化がご本人やご家族にとってどういう意味を持つのか、どのような選択肢があるのか、といった点です。なお、VEPTRの手術そのものは小児の整形外科・脊椎外科で行われる治療であり、当院で実施するものではありません。この記事は、その背景にある遺伝性疾患をどう理解し、家族計画にどうつなげるかという観点から、TISとVEPTRを解説しています。正確な診断にもとづいて選択肢を検討できるよう、医学的な情報を整理します。
🩺 院長コラム【診断名がつくまでの時間をどう考えるか】
生まれつきの胸郭や背骨の病気では、原因がすぐには確定せず、複数の検査を重ねることがあります。原因が明確でない段階でも、呼吸状態や骨格変形への対応と並行して、遺伝性疾患の可能性を整理していくことが重要です。
同じような胸郭・脊椎の表現型でも、原因となる疾患や遺伝子によって遺伝形式や再発リスクは異なります。正確な原因診断は、治療方針だけでなく、再発リスクや家族計画を整理する土台になります。遺伝カウンセリングでは、検査で分かることと分からないことを区別しながら、医学的な判断材料を整理します。
まとめ ─ 「胸郭を育てる」という発想
VEPTRという治療は、「変形した背骨をまっすぐにする」という従来の発想を、「胸郭を育てて肺の成長を守る」という発想へと大きく転換させました。背骨を早く固定してしまうと胸郭の成長まで止まってしまう——その矛盾を乗り越えるために、背骨を固めずに胸のかごを少しずつ広げ続けるという道を切り開いたのです[1]。
その一方で、%FVCの低下、反復手術に伴う合併症、骨自動癒合といった長期治療上の課題も明らかになってきました[4][5]。近年はMCGRなど、切開を伴う延長手術の回数を減らせる方法も広がり、VEPTRの適応はより選択的になっています。それでも、Jeune症候群やJarcho-Levin症候群のように胸郭そのものの拡大・再建が必要な病態では、VEPTRは重要な治療選択肢です[8]。背景に遺伝性疾患がある場合には、正確な原因診断と遺伝カウンセリングが、遺伝形式や再発リスクを整理する土台になります。
よくある質問(FAQ)
Q1. 胸郭不全症候群(TIS)とは何ですか?
胸郭不全症候群(Thoracic Insufficiency Syndrome:TIS)とは、胸郭(背骨・肋骨・胸骨でつくる胸のかご)が、正常な呼吸や肺の成長を支えられなくなった状態のことです。生まれつきの肋骨・背骨の変形や、脊髄性筋萎縮症などの病気によって起こります。放置すると進行性の呼吸障害や肺高血圧に至り、幼い命に関わることがあります。1980年代末にCampbell医師らが提唱した概念です。
Q2. VEPTRとはどんな治療ですか?
VEPTR(ヴェプター:垂直型進展式チタン製人工肋骨)は、狭くなった胸郭に取りつけて胸のかごを少しずつ広げる、チタン製の人工肋骨です。背骨を直接固定せずに胸郭の容積を確保し、肺が育つスペースを守ります。子どもの成長に合わせて、通常4〜6か月ごとに小さな手術で延長していきます。背骨を固めるのではなく胸郭を広げる「成長温存」という考え方が特徴です。
Q3. VEPTRで肺活量は正常になりますか?
実際の肺活量(FVC)は治療期間中に増えることが報告されていますが、同年代の予測値に対する割合(%FVC)は低下することがあります。ある研究ではFVCが0.65Lから0.96Lに増えた一方、%FVCは77%から58%に下がりました。これは肺容量の増加が身体成長に追いつかず、胸壁コンプライアンスも低下したことと関連します。したがって、VEPTRの評価は%FVCだけでなく、呼吸補助の必要度、胸郭・脊柱の成長、画像所見などを含めて行います。
Q4. TISの背景にはどんな遺伝性の病気がありますか?
先天性側弯症(半椎・肋骨癒合を伴うもの)、脊椎肋骨異形成症(Jarcho-Levin症候群)、Jeune症候群(窒息性胸郭異形成症)、脊髄性筋萎縮症(SMA)などが代表的です。このうち脊椎肋骨異形成症の一部、Jeune症候群、5q型SMAなどには常染色体潜性(劣性)遺伝をとる疾患があります。先天性側弯症の原因は多様で、すべてが単一遺伝子疾患ではありません。正確な診断がつけば、その疾患に応じた遺伝の伝わり方や再発リスクを整理できます。
Q5. VEPTRとMCGR(磁気制御型延長ロッド)はどう違いますか?
MCGRは体の外から磁石の力で延長できるため、麻酔を伴う切開手術を繰り返さずにすみ、傷の合併症や感染のリスクを下げられます。背骨の矯正力もVEPTRより高い傾向があります。一方、VEPTRは胸郭そのものを立体的に作り直せる点が特徴で、Jeune症候群やJarcho-Levin症候群のような胸郭の病気ではいまもVEPTRが選ばれます。どちらが良いかは背景の病気や胸郭の状態によって変わります。
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