目次
- 1 1. TNFR2とは ── 免疫の「ブレーキ」を担う受容体
- 2 2. 分子のかたち ── デスドメインを持たない受容体
- 3 3. 細胞内での信号 ── TRAF2を軸にした生存シグナル
- 4 4. 逆向きの信号 ── mTNF-αを「受容体」に変える
- 5 5. 血管での働き ── Bmxを介した血管新生
- 6 6. 可溶性受容体(sTNFR2)── 血液中を流れる「おとり」と病気の予測
- 7 7. 制御性T細胞(Treg)を支える中心的な役割
- 8 8. 自己免疫と1型糖尿病 ── TNFR2を「刺激する」治療
- 9 9. がんと治療薬 ── TNFR2を「抑える」治療
- 10 10. 神経を守る働き ── 脳卒中と多発性硬化症
- 11 よくある誤解
- 12 TNFR2と遺伝医療とのつながり
- 13 よくある質問(FAQ)
- 14 参考文献
- 15 関連記事
免疫は、アクセルとブレーキの絶妙なバランスで成り立っています。今回とりあげるTNFR2(腫瘍壊死因子受容体2/遺伝子名TNFRSF1B)は、大まかに捉えると、そのうちの「ブレーキ」側を担う受容体です。体のほとんどの細胞にある兄弟分のTNFR1が炎症や細胞死を引き起こすのに対し、TNFR2はごく限られた細胞にしかなく、免疫のバランスを保ち、傷ついた組織を修復する方向に働きます。ところが、この「ブレーキ役」が、がんの中では免疫の攻撃をかわす味方になってしまう——。この記事では、TNFR2という一つの受容体が、自己免疫疾患・がん・糖尿病性腎症という一見バラバラな病気を結ぶ鍵になっていることを、遺伝専門医の視点でやさしく解説します。
Q. TNFR2とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. TNFR2は、炎症を起こすサイトカインであるTNF-αを受け取る2種類の受容体のうちの一つで、多くの場面で免疫調節や組織修復に関わる受容体です。体のほぼすべての細胞にあるTNFR1とは違い、制御性T細胞や血管、神経系など限られた細胞だけに強く出ています。免疫のバランス維持や組織修復に役立つ一方、がんの中では免疫の攻撃を弱める側にまわるため、自己免疫疾患では「刺激する薬」、がんでは「抑える薬」という正反対の治療が開発されています。
- ➤正体 → TNF-αを受け取る受容体の一つ。遺伝子名はTNFRSF1B(別名p75・CD120b)
- ➤TNFR1との違い → TNFR1は「細胞死のスイッチ」を持つが、TNFR2は持たず「生存・修復」に働く
- ➤主役の細胞 → 免疫を鎮める制御性T細胞(Treg)に強く出て、その抑制力を最大化する
- ➤がんでの顔 → 腫瘍の中でTregを増やし、免疫の攻撃を弱める。BI-1808などの「抑える薬」が開発中
- ➤自己免疫での顔 → 逆にTregを増やす「刺激する薬」が1型糖尿病などで研究されている
🧬 TNFR2の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 腫瘍壊死因子受容体2(TNF Receptor 2)。別名 p75、CD120b、TNFRSF1B |
| 遺伝子名 | TNFRSF1B(TNF receptor superfamily member 1B)。染色体1p36.22に位置する |
| タンパク質 | 約75kDaのI型膜貫通タンパク質。439アミノ酸からなる[1] |
| 主なリガンド | 膜結合型TNF-α(mTNF-α)、リンホトキシン-α。可溶性TNF-αへの反応は弱い |
| 出ている細胞 | 制御性T細胞(Treg)、CD8+T細胞、血管内皮、ミクログリア、オリゴデンドロサイト、一部の腫瘍細胞など[2] |
| 主な働き | 細胞の生存・増殖、組織修復、Tregの安定化と免疫抑制、血管新生 |
※ TNFRSF1B はヒトゲノム命名委員会(HGNC)が承認した正式な遺伝子シンボルです。医学文献では「TNFR2」「p75」の呼び名が広く使われます。
1. TNFR2とは ── 免疫の「ブレーキ」を担う受容体
TNF-α(腫瘍壊死因子アルファ)は、炎症や免疫応答の中心にいるサイトカイン(細胞どうしが情報をやりとりする物質)です。このTNF-αは、体の中で主に2種類の受容体を通じて働きます。ひとつがTNFR1(p55/TNFRSF1A)、もうひとつが今回の主役TNFR2(p75/TNFRSF1B)です[1]。
長いあいだ、TNFの研究の主役はTNFR1でした。TNFR1は体のほぼすべての細胞にあり、強い炎症反応や細胞死(アポトーシスやネクロプトーシス)に関与する、いわば「アクセル」として働く場面が多いからです。一方、TNFR2は最近になって、免疫のバランスを保ち、組織を修復し、そしてがんが免疫から逃れる仕組みに深く関わる、独自で不可欠な役割を果たすことがわかってきました[2]。
両者の最大の違いは、その「分布」にあります。TNFR1が事実上すべてのヒト組織にあるのに対し、TNFR2が強く出ているのは、免疫を鎮める制御性T細胞(Treg)、CD8+T細胞、骨髄由来抑制細胞、血管内皮細胞、脳のミクログリアやオリゴデンドロサイト、一部の神経細胞や心筋細胞、そして一部の腫瘍細胞など、ごく限られた細胞だけです[2]。この「特定の細胞だけを狙える」という性質こそが、TNFR2を精密な免疫調節の標的として魅力的にしている理由です。
💡 用語解説:制御性T細胞(Treg)とは
制御性T細胞(Regulatory T cell、略してTreg)は、免疫の「暴走」を抑えるブレーキ役の免疫細胞です。自分自身の体を攻撃してしまわないよう、他の免疫細胞の働きを鎮める役割を持っています。Tregが弱ると自己免疫疾患が起こりやすくなり、逆にがんの中でTregが増えすぎると、免疫ががんを攻撃できなくなります。TNFR2は、このTregの働きを最大限に引き出すスイッチとして注目されています。
| 特徴 | TNFR1(p55) | TNFR2(p75) |
|---|---|---|
| 出ている細胞 | ほぼすべての体細胞 | Treg・CD8+T細胞・血管・神経系・一部の腫瘍 |
| よく反応する相手 | 可溶性TNF-α、膜結合型TNF-α | 主に膜結合型TNF-α、リンホトキシン-α |
| 細胞死のスイッチ | あり(デスドメイン) | なし |
| 主な作用 | 炎症・アポトーシス・ネクロプトーシス | 細胞生存・組織修復・Tregの安定化・血管新生 |
2. 分子のかたち ── デスドメインを持たない受容体
TNFR2は、約75kDa(キロダルトン)の大きさを持つ膜貫通タンパク質で、439個のアミノ酸からできています。細胞の外に出ている部分(細胞外ドメイン)、細胞膜を貫く部分、そして細胞の中に入っている部分(細胞内ドメイン)の3つに分かれます[1]。細胞の外側には、システインという特殊なアミノ酸を多く含む4つの領域(CRD1〜CRD4)があり、ここがTNF-αと結合する「受け皿」になります。
TNFR1とTNFR2の最も決定的な違いは、細胞内ドメインにある「デスドメイン(死のドメイン)」の有無です。TNFR1はこれを持ち、細胞を死へ導く信号を出せます。一方、TNFR2はデスドメインを持ちません。その代わり、細胞内にはTRAF2というアダプター(仲介役)タンパク質がくっつくための、よく保存された配列があります[2]。この構造の違いが、TNFR2が「細胞死」ではなく「細胞の生存と修復」に働く根本的な理由です。
💡 用語解説:デスドメインとは
デスドメイン(death domain)は、受容体の細胞内部分にある、細胞死(アポトーシス)の信号を伝えるための領域です。この領域を持つ受容体は、刺激を受けると細胞に「自殺プログラム」を作動させることができます。TNFR1はこれを持ちますが、TNFR2は持たないため、TNFR1とは異なり、細胞の生存・増殖や組織修復に関わるシグナルを伝えることができます。
リガンドが来る前から集まっている
昔は「受容体は普段バラバラで、リガンド(結合相手)が来て初めて集まって活性化する」と考えられていました。しかし今では、TNFR2は細胞の外側にあるPLAD(プラッド)と呼ばれる領域を通じて、リガンドが来る前から、ゆるく2〜3個ずつ集まって待機していることがわかっています。そこにTNF-αのかたまり(3個組)が結合すると、待機していた受容体どうしがさらに大きな集合体を作り、内部へ効率よく信号を送り出します[3]。
2010年には、日本の研究グループがTNF-αとTNFR2が結合した複合体の立体構造を、X線を使って3.0オングストローム(1オングストロームは1億分の1センチ)という細かさで解き明かしました(構造データベースの登録名「3ALQ」)[3]。この構造では、TNF-αの3個組を取り囲むように、3つのTNFR2が対称的に結合していました。TNFR1との微妙な違いも明らかになり、TNFR2だけを狙って調節する薬を設計するための貴重な土台になっています[3]。
3. 細胞内での信号 ── TRAF2を軸にした生存シグナル
TNFR2は、マクロファージや活性化したT細胞の表面にある膜結合型TNF-α(mTNF-α)によって、特に強く活性化されます。リガンドが結合すると、細胞内ドメインに先ほどのTRAF2が呼び寄せられます[1]。このTRAF2が、TNFR2の信号ネットワーク全体の「ハブ(中継点)」として働きます。
TRAF2はさらに仲間のタンパク質(TRAF1、TRAF3や、cIAP1/cIAP2と呼ばれる酵素)を集めて、大きな信号伝達の複合体をつくります[1]。ここから、細胞を生かし増やすためのいくつもの経路が動き出します。中心になるのがNF-κBという転写因子(遺伝子のスイッチを操作するタンパク質)です。
膜結合型TNF
受容体が集合
仲介役が集合
生存・増殖に関わる遺伝子の発現
TNFR2が動かすNF-κBには、大きく2つの流れがあります。ひとつは古くから知られる古典的経路で、細胞の生存を助ける遺伝子のスイッチを入れます。もうひとつは非古典的経路で、NIKというキナーゼ(リン酸をつける酵素)を安定させて働き、特にT細胞の生存に重要です[1]。このほか、ストレス応答や細胞の増殖にかかわるMAPK/JNK経路、そして神経細胞などで強力な保護作用を発揮するPI3K/Akt経路も動きます[2]。
TNFR2は、この生存シグナルを通じて制御性T細胞(Treg)の安定化を助けます。特に非古典的NF-κB経路は、Tregが免疫を抑える働きを支えるうえで欠かせないことが、複数の研究で示されています[4]。信号が過剰にならないよう、A20というブレーキ役のタンパク質がフィードバックをかける仕組みも備わっています[1]。
🩺 院長コラム【同じTNF-αが、正反対の指令になる不思議】
TNF-αという一つのサイトカインが、受け取る受容体によって「死ね」とも「生きろ」とも言う。これは分子の世界の面白さであり、同時に薬づくりの難しさでもあります。関節リウマチやクローン病で使われる抗TNF-α薬は、この両方の信号をまとめて止めてしまいます。だからよく効く一方で、副作用も出やすい。
「TNFを全部止める」のではなく「TNFR1だけ、あるいはTNFR2だけを狙う」。そんな精密な発想が、いまの創薬の潮流です。一つの分子を深く理解することが、まったく違う病気の治療につながっていく——遺伝医療にたずさわる者として、こうした基礎研究の積み重ねにいつも希望を感じています。
4. 逆向きの信号 ── mTNF-αを「受容体」に変える
TNFファミリーには、もう一つ変わった性質があります。細胞膜に出ている膜結合型TNF-α(mTNF-α)が、TNFR2や抗体などと結合したとき、mTNF-αを出している側の細胞に向かって、逆向きに信号が伝わるのです。これを「リバースシグナリング(逆行性シグナル伝達)」と呼びます。つまり、ふだんは「リガンド(信号を出す側)」であるmTNF-αが、このときは「受容体(信号を受け取る側)」として振る舞うわけです[2]。
マクロファージでは、この逆向きの信号がp38 MAPKやMKK4という経路を動かし、強力な免疫抑制物質であるTGF-βの産生を促します。実験では、この経路が働くと、細菌の成分(LPS)による炎症性サイトカインの産生が強く抑えられ、TGF-βを中和するとその抑制効果が消えることが確認されました[5]。逆向きの信号が、炎症を鎮める方向に働いているのです。
この仕組みは、実は身近な薬の効き方にも関係しています。インフリキシマブやアダリムマブといった抗TNF-α抗体は、単にTNF-αを「中和」するだけでなく、mTNF-αに結合して人工的にこの逆向きの信号を引き起こし、活性化したT細胞のアポトーシスやTGF-βの産生を促していると考えられています[5]。クローン病で見られる粘膜の治癒など、単なる中和以上の効果が得られる理由の一つとされています。こうした抗体医薬はモノクローナル抗体と呼ばれる種類の薬です。
5. 血管での働き ── Bmxを介した血管新生
TNFR2のもう一つの特筆すべき機能が、血管内皮細胞での働きです。血管の内側を覆う内皮細胞でTNFR2が活性化されると、Bmx(別名Etk)という酵素が活性化されます。おもしろいことに、この経路はTRAF2を介した通常の経路とは独立して動きます[6]。
血流が乏しくなる虚血などのストレスがかかると、活性化したBmxは、血管をつくる強力な受容体であるVEGFR2と複合体をつくり、VEGF(血管内皮増殖因子)が来ていなくてもこれを活性化させます。この「TNFR2→Bmx→VEGFR2」という流れが、内皮細胞の増殖や移動をうながし、虚血に応じた新しい血管づくり(血管新生)や側副血行路の形成に欠かせない役割を果たします[6]。マウスの実験では、血管内皮でTNFR2を強く発現させると、足の血流回復が改善することが示されています[6]。この働きは、傷ついた組織を立て直すTNFR2の「修復役」としての一面をよく表しています。
6. 可溶性受容体(sTNFR2)── 血液中を流れる「おとり」と病気の予測
TNFR2は、細胞膜にとどまっているだけではありません。細胞外の部分が酵素(ADAM17など)によって切り離されたり、遺伝子の読み取り方(スプライシング)が変わったりして、可溶性受容体(sTNFR2)として血液中に放出されます[7]。
血液中に出たsTNFR2は、遊離したTNF-αと結合する「おとり受容体(デコイ受容体)」として働きます。TNF-αが本来の受容体に結合するのを競合的に邪魔することで、過剰な炎症を鎮める自己制御のループをつくるのです[7]。制御性T細胞が放出する高濃度のsTNFR2は、Treg自身の免疫抑制の一部を担っているとも考えられています。
💡 用語解説:おとり受容体(デコイ受容体)とは
おとり受容体は、細胞に信号を伝えないのに、リガンド(この場合はTNF-α)と結合する受容体のことです。本物の受容体に届くはずだったリガンドを先取りして捕まえ、「おとり」として無力化します。血液中を流れるsTNFR2は、余分なTNF-αを吸着することで、炎症が広がりすぎないよう調整していると考えられています。
糖尿病性腎症を予測するバイオマーカー
臨床の現場で特に注目されているのが、血液中のsTNFR2の濃度が、糖尿病性腎症(糖尿病による腎臓の障害)の進行リスクと関連する、有望なバイオマーカーとして研究されている点です[7]。
この関連が最初に大きく注目されたのは、2型糖尿病の患者を追跡した2012年の研究で、血液中のTNF受容体の濃度が高い人ほど末期腎不全に進みやすいことが示されました[8]。その後の前向き研究でも、sTNFR2の濃度は、腎機能(eGFR)やアルブミン尿といった既存の指標で補正した後でも、将来の腎機能低下や末期腎不全への進行と強く関連することが確認されています[9]。血液中の可溶性受容体のプールが、体の各所で受けている「炎症・代謝ストレスの蓄積」を映し出しているためと考えられています[7]。採血だけで将来のリスクを見積もれる可能性があり、研究が進んでいる分野です。
7. 制御性T細胞(Treg)を支える中心的な役割
TNFR2の免疫学における最も重要な機能は、制御性T細胞(Treg)の維持・増殖・機能の最大化です。末梢の血液や腫瘍の中にいるTregのうち、TNFR2を強く出しているグループは、最も強力に免疫を抑える細胞集団であることが、マウスとヒトの両方で示されています[4]。TNF-αがTreg上のTNFR2に結合すると、NF-κB経路が活性化され、Tregの「司令塔」であるFoxp3という因子の発現と安定性が高まります[4]。
つまりTNFR2は、単にTregの表面にある目印であるだけでなく、Tregを「最も抑制力の高い状態」へと導くスイッチそのものだといえます。この性質は、病気によって「敵」にも「味方」にもなります。自己免疫疾患ではTregを増やしたいので味方に、がんではTregを減らしたいので敵になるのです。次の2つの章で、この正反対の顔を見ていきます。
8. 自己免疫と1型糖尿病 ── TNFR2を「刺激する」治療
1型糖尿病や多発性硬化症などの自己免疫疾患では、Tregの活性化・増殖の機能に不具合があり、自分の体を攻撃してしまう病的なT細胞を抑えきれない状態になっています[2]。そこで、TNFR2を刺激してTregを増やし、本来の免疫バランスを取り戻そうという治療アプローチが研究されています。
その代表が、結核予防に使われてきた古典的なワクチンBCGを反復接種する臨床試験です。BCGは体内でTNF-αの産生をゆるやかに促し、TNFR2を介して有益なTregを選択的に増やすと考えられています[10]。マサチューセッツ総合病院の研究グループは、発症から長期間(平均15.3年)が経過した1型糖尿病の成人を対象に、BCGを用いた無作為化比較試験を行いました[10]。
追跡研究では、BCGを接種した患者で、Tregの遺伝子発現が健常者のパターンに近づき、血糖コントロールの指標であるHbA1cが持続的に低下したことが報告されています[11]。ただし、ここは正確に理解しておく必要があります。8年間の追跡でHbA1cは平均で約6.65%まで下がりましたが、これは糖尿病の目安とされる6.5%をわずかに上回る水準であり、「正常化」ではなく「近い値までの改善」です[11]。効果が現れるまでに数年を要する点も特徴で、大規模な二重盲検試験でのさらなる検証が進められています。
⚠️ これは研究段階の治療です
BCGによる1型糖尿病治療は、あくまで臨床研究の段階にあります。現時点で確立した標準治療ではなく、日本で1型糖尿病の治療として承認されているものでもありません。既存のインスリン療法に置きかわるものではない点にご注意ください。ここで紹介したのは、TNFR2という分子を「刺激する」発想が、自己免疫疾患の新しい治療の切り口として研究されている、という科学の動向です。
9. がんと治療薬 ── TNFR2を「抑える」治療
自己免疫疾患ではTregを増やすTNFR2の働きは、がんの領域では「最大の敵」に変わります。がんの中でTNFR2は、腫瘍細胞そのものの生存を助け、同時に免疫を抑える環境をつくる、二重の意味で悪玉として働くのです[2]。
大腸がん・乳がん・卵巣がんなど幅広い腫瘍細胞がTNFR2を出しており、周囲のTNF-αから生存シグナルを受け取ってアポトーシス(細胞死)に抵抗します。さらに深刻なのは、腫瘍に入り込んだTregや骨髄由来抑制細胞がTNFR2を非常に高密度に出していて、がんを攻撃するはずのキラーT細胞(CD8+T細胞、いわゆるエフェクターT細胞)を強力に抑え込む点です[12]。これは、既存の免疫チェックポイント阻害薬(抗PD-1抗体など)が効きにくくなる大きな原因になっています。
💡 用語解説:腫瘍微小環境(TME)とは
腫瘍微小環境(Tumor Microenvironment、略してTME)は、がん細胞のまわりに広がる「環境」全体を指す言葉です。がん細胞だけでなく、血管、免疫細胞、線維芽細胞などが含まれます。がんはこのTMEを巧みに作りかえ、制御性T細胞などの「免疫を抑える細胞」を呼び込んで、免疫の攻撃をかわします。TNFR2は、このTMEの中で免疫抑制を強める鍵になっています。
そこで、TNFR2を狙って「抑える」抗体(アンタゴニスト抗体)が期待されています。この抗体には2つの働きが期待されています。ひとつは、腫瘍細胞やTregへのTNF-α結合を邪魔して生存シグナルを断つこと。もうひとつは、抗体の一部(Fc領域)を介した仕組みで、TNFR2を高密度に出す腫瘍内のTregだけを選んで除去し、キラーT細胞を再び活性化させることです[12]。
最も開発が進む「BI-1808」
現在、臨床開発が最も先行しているのが、スウェーデンのバイオインベント社が開発するBI-1808という抗TNFR2抗体です。これはTNF-αとTNFR2の結合を邪魔し、同時に腫瘍内のTregを除去する、ファーストインクラス(初めてのタイプ)の薬です[13]。現在進行中のフェーズ1/2a試験(試験番号NCT04752826)では、単剤と、抗PD-1抗体ペムブロリズマブとの併用が調べられています[13]。
2026年に報告された有効性データのうち、白金製剤が効かなくなった進行卵巣がんでは、ペムブロリズマブとの併用で客観的奏効率(ORR)24%、病勢コントロール率(DCR)56%が示されました[14]。重い前治療を受けた予後の厳しい患者群での結果であり、この成績を受けて米国FDAは2026年8月、この併用療法に対してファストトラック指定(開発を後押しする優先的な審査制度)を付与しました[14]。
進行した皮膚T細胞リンパ腫(CTCL)でも、2026年に更新されたデータで、ペムブロリズマブ併用でORR 50%・DCR 75%が報告されています[15]。CTCLに対してはFDAのファストトラック指定と希少疾病用医薬品(オーファンドラッグ)指定も受けています[15]。治療初期に生じる皮膚の紅斑などの一過性の悪化(フレア)は、病気の進行ではなく、免疫が強く活性化してキラーT細胞が腫瘍に流れ込んでいる証拠だとされています[15]。
⚠️ いずれも臨床試験の段階です
BI-1808をはじめとするTNFR2標的薬は、まだ臨床試験の段階にあり、日本で承認された治療ではありません。ここで挙げた数値は、限られた人数を対象とした試験の中間的な結果であり、今後の検証で変わる可能性があります。ファストトラック指定は「開発を早める仕組み」であって、有効性や承認を保証するものではありません。当院はこれらの治験薬を提供しておらず、ここでは研究動向の解説として紹介しています。
次世代のアプローチ ── 「ふさがない」ナノボディ
さらに新しい発想として、Nanobody-161という小型の抗体(ナノボディ)が2025年に報告されました[16]。従来のアンタゴニストがTNF-αと受容体の結合を物理的にふさぐのに対し、このナノボディは「ふさがない(ノンブロッキング)」という戦略をとります。構造解析(2.9オングストローム)から、TNFR2のCRD2・CRD3という部位に結合することがわかっています[16]。
この結合はTNF-αの結合自体は邪魔しませんが、TNFR2どうしが集まる「多量体化」を妨げ、下流の信号を止めます。マウスの実験では従来型よりも高い阻害力を示し、しかも末梢の正常なTregの増殖は妨げなかったと報告されています[16]。全身の正常な免疫バランスを崩さずに、腫瘍内のTNFR2陽性Tregだけを狙える可能性があり、安全性と有効性の両立をめざす次世代のアプローチとして注目されています。
10. 神経を守る働き ── 脳卒中と多発性硬化症
TNFR2の「守り・修復」の顔は、脳神経の病気でも重要です。虚血性脳卒中の急性期には、ミクログリアから大量に出るTNF-αが、TNFR1を介して血液脳関門の破綻や神経細胞の死を引き起こし、二次的な脳損傷を悪化させます[17]。ところが、その少しあとの時期には、役割が逆転します。
オリゴデンドロサイト前駆細胞やアストロサイト、ミクログリアの上のTNFR2が活性化されると、PI3K/Akt経路を通じた神経保護作用が発揮されます。多発性硬化症のモデルでは、TNFR2の活性化が免疫抑制・オリゴデンドロサイト前駆細胞の分化・神経保護という3つの働きを同時にもたらすことが示されており、失われた髄鞘(神経を包む鞘)を修復する再髄鞘化を促す標的として期待されています[17]。実験モデルでは、オリゴデンドロサイトのTNFR2が、膜結合型TNFによる保護と再髄鞘化の鍵を握ることが直接示されています[18]。
こうした二面性から、脳卒中の治療では「TNFを全部止める」のではなく、急性期にはTNFR1を抑え、慢性期にはTNFR2を刺激するという、時期と受容体を見きわめた介入が求められています[17]。ここでもまた、TNFR2の「守る顔」をうまく引き出せるかどうかが鍵になっています。
よくある誤解
誤解①「TNF受容体はどれも同じ働き」
同じTNF-αを受け取っても、TNFR1とTNFR2は正反対に働くことがあります。TNFR1は炎症や細胞死を、TNFR2は細胞の生存や組織修復を担います。ただし、TNFR1とTNFR2の作用は細胞種や病態によって変わるため、「アクセル」と「ブレーキ」は理解を助けるための大まかな比喩です。
誤解②「TNFR2はいつも体に良い」
TNFR2は免疫バランスや組織修復に役立つ一方、がんの中では免疫の攻撃を弱める側にまわります。良い・悪いは、どの病気の、どの場面で働くかによって変わります。文脈しだいで顔を変える分子です。
誤解③「TNFR2の薬はもう使える」
BI-1808などのTNFR2標的薬や、BCGによる1型糖尿病治療は、いずれも臨床試験・研究の段階です。日本で承認された標準治療ではなく、当院でも提供していません。ここでは研究動向として紹介しています。
誤解④「TNFR2は遺伝病の原因遺伝子」
TNFRSF1B(TNFR2)は、特定の遺伝病を単独で引き起こす遺伝子というより、免疫の調節や創薬の標的として重要な分子です。多型が自己免疫・炎症疾患の起こりやすさに関わりうる、という研究の文脈で語られます。
TNFR2と遺伝医療とのつながり
TNFR2(TNFRSF1B)は、いまのところ特定の遺伝性疾患を単独で引き起こす原因遺伝子というより、免疫の調節や次世代の治療の標的として重要な分子です。ただし、TNFRSF1B遺伝子の個人差(多型)が、自己免疫疾患や炎症性疾患の起こりやすさと関わる可能性が研究されており、免疫の仕組みを理解するうえで欠かせない基礎知識です。
体質や免疫、あるいはご家族の病歴に関連した遺伝的な背景が気になる場合には、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングで、何が分かり何が分からないのか、その結果がご本人やご家族にとってどんな意味を持つのかを、中立の立場で整理することができます。検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人です。私たちは判断材料をわかりやすくお示しする役割を担います。
よくある質問(FAQ)
Q1. TNFR2とは何ですか?
TNFR2(腫瘍壊死因子受容体2、遺伝子名TNFRSF1B)は、炎症を起こすサイトカインであるTNF-αを受け取る2種類の受容体のうちの一つです。もう一方のTNFR1が炎症や細胞死を引き起こす「アクセル」だとすれば、TNFR2は免疫のバランスを保ち、組織を修復する「ブレーキ」に近い働きをします。制御性T細胞や血管、神経系など限られた細胞に強く出ているのが特徴です。
Q2. TNFR1とTNFR2はどう違うのですか?
最大の違いは、細胞内に「デスドメイン(死の信号を出す領域)」があるかどうかです。TNFR1はこれを持ち、炎症やアポトーシス(細胞死)を引き起こします。TNFR2はこれを持たず、代わりにTRAF2という仲介役を介して、細胞の生存や増殖、組織修復に働きます。また、TNFR1がほぼ全身の細胞にあるのに対し、TNFR2は制御性T細胞や血管、神経系など限られた細胞にしかありません。
Q3. なぜTNFR2はがん治療で注目されているのですか?
がんの中では、免疫を抑える制御性T細胞(Treg)がTNFR2を高密度に出しており、がんを攻撃するキラーT細胞の働きを抑え込んでいます。これが免疫チェックポイント阻害薬が効きにくくなる一因です。そこで、TNFR2を抑える抗体で腫瘍内のTregを減らし、キラーT細胞を再び活性化させる治療が開発されています。BI-1808などがその代表で、現在臨床試験が進んでいます。
Q4. TNFR2の薬はもう使えるのですか?
いいえ。がんに対するTNFR2標的薬(BI-1808など)や、自己免疫疾患に対するBCGを用いた治療は、いずれもまだ臨床試験・研究の段階にあります。日本で承認された標準治療ではなく、ミネルバクリニックでも提供していません。この記事は、TNFR2をめぐる研究動向の解説としてお読みください。
Q5. 自己免疫疾患とがんで、なぜ正反対の薬が作られているのですか?
TNFR2は制御性T細胞(Treg)を増やし、その抑制力を高めます。この働きは、自己免疫疾患では「免疫の暴走を鎮めたい」ので味方になり、がんでは「免疫にがんを攻撃させたい」ので邪魔になります。そのため、自己免疫疾患ではTNFR2を刺激してTregを増やす薬、がんではTNFR2を抑えてTregを減らす薬という、正反対のアプローチが研究されているのです。
Q6. 血液検査のsTNFR2で何が分かるのですか?
sTNFR2は、細胞膜のTNFR2が切り離されて血液中に流れ出た「可溶性」の受容体です。その濃度は、糖尿病性腎症の進行リスクと関連する有望なバイオマーカーとして、複数の研究で検討されています。腎機能やアルブミン尿で補正した後でも将来の腎機能低下と関連するとされ、体が受けている炎症・代謝ストレスの蓄積を映していると考えられています。ただし、これは主に研究で用いられる指標で、一般の診療で広く測定されるものではありません。
Q7. TNFR2は遺伝する病気の原因になりますか?
TNFRSF1B(TNFR2)は、特定の遺伝病を単独で引き起こす原因遺伝子というより、免疫の調節や治療の標的として重要な分子です。ただし、この遺伝子の個人差(多型)が、自己免疫疾患や炎症性疾患の起こりやすさと関わる可能性が研究されています。体質やご家族の病歴に関する遺伝的な背景が気になる場合は、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングでご相談いただけます。
🏥 免疫・体質に関わる遺伝的な背景のご相談
ご自身やご家族の体質・免疫・病歴に関わる遺伝的な背景について、
臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングを行っています。
気になることがあれば、ミネルバクリニックにご相談ください。
参考文献
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