目次
- 1 1. RRBSOとは ─ 卵巣がんを「起こる前に防ぐ」いちばん確実な方法
- 2 2. 遺伝子別の手術時期 ─ 「いつ受けるか」は遺伝子で変わります
- 3 3. リンチ症候群での予防 ─ 卵巣だけでなく子宮も視野に入ります
- 4 4. 乳がんリスクの新しい考え方 ─ 「RRBSOで乳がんも半減」は再検討されています
- 5 5. 腹膜がんとSTIC ─ 「がんは卵管から始まる」という発見
- 6 6. 外科的閉経のケア ─ 手術の「もう一つの側面」に備える
- 7 7. ホルモン補充療法(HRT) ─ 「乳がんが心配」への最新の答え
- 8 8. 卵管先行手術(RRS/DO) ─ 若い閉経を避ける新しい戦略
- 9 9. 日本の保険適用 ─ 2020年に変わったこと、まだ残る課題
- 10 10. よくある誤解
- 11 よくある質問(FAQ)
- 12 参考文献
- 13 関連記事
📍 クイックナビゲーション
RRBSO(リスク低減卵管卵巣摘出術)は、BRCA遺伝子の変化などで卵巣がん・卵管がんのリスクが高い方が、症状が出る前に卵巣と卵管をあらかじめ取り除く予防のための手術です。まれな特殊手術に見えるかもしれませんが、その背景にある「がんは卵管から始まる」という考え方や、手術がもたらす早い閉経とのつき合い方は、女性の予防医療全体に共通する大切なテーマです。この記事では、どの遺伝子の方がいつ受けるべきか、近年大きく変わった乳がんリスクの考え方、術後のホルモン補充療法、そして日本の保険適用まで、遺伝専門医が最新のエビデンスにもとづいてやさしく解説します。
Q. RRBSOとは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. RRBSOは、遺伝的に卵巣がん・卵管がんのリスクが高い方に対して、発症前に両側の卵巣と卵管を取り除く予防手術です。BRCA1/BRCA2の病的バリアント(病気に関わる遺伝子の変化)を持つ方では、卵巣がんの発症リスクを大きく下げることが報告されています。一方で、手術によって閉経前の方は急に閉経状態になるため、ほてりや骨密度の低下といった影響への対策もセットで考える必要があります。受けるかどうか、いつ受けるかは、遺伝子の種類・年齢・出産の希望をふまえて、ご本人が納得して決めることが何より大切です。
- ➤推奨される時期は遺伝子で違う → BRCA1は35〜40歳、BRCA2は40〜45歳、BRIP1・RAD51C・RAD51Dは45〜50歳が目安
- ➤乳がんリスク低減効果は不確実 → 以前は約50%下がると考えられていましたが、バイアスを補正した研究では明確な低下が確認されず、現在は乳がん予防をRRBSOの主目的とはしません
- ➤がんは卵管から始まる → 高異型度漿液性がんの多くは卵管の先端(卵管采)が起点。STICという前駆病変が鍵
- ➤術後のケアが重要 → 自然閉経の年齢まではホルモン補充療法が選択肢。乳がん既往者には新しい非ホルモン薬も
- ➤日本の保険適用 → 2020年からがん既発症のHBOC患者に保険適用。未発症の血縁者は原則自費のまま
1. RRBSOとは ─ 卵巣がんを「起こる前に防ぐ」いちばん確実な方法
RRBSOは、卵巣がんや卵管がんを発症する前に、両側の卵巣と卵管を手術で取り除く予防的な処置です。がんが見つかってから治療するのではなく、リスクそのものを取り除いてしまうという考え方で、遺伝的にこれらのがんのリスクが高い方にとって、現時点で最も確実性の高い予防手段のひとつと位置づけられています。
名前が少し長いので分解してみましょう。「リスク低減(Risk-Reducing)」は発症の危険を下げること、「卵管(Salpingo-)」は卵管を、「卵巣摘出術(Oophorectomy)」は卵巣を取り除く手術を指します。頭文字をとってRRBSO、あるいはRRSOと呼ばれます。かつては卵巣だけを取る手術が想定されていましたが、後の章で述べるようにがんの多くが卵管から始まることが分かってきたため、現在は卵管も必ず一緒に取り除くのが標準です。
💡 用語解説:病的バリアントと高異型度漿液性がん
病的バリアントとは、遺伝子の設計図に生じた変化のうち、病気の発症に関わることが分かっているものを指します。以前は「変異(mutation)」と呼ばれていましたが、現在は中立的な「バリアント(variant)」という言葉が使われます。生まれつき全身の細胞が持っているものを生殖細胞系列バリアントと呼び、これは血縁者にも受け継がれる可能性があります。
高異型度漿液性がん(HGSC)は、卵巣がん・卵管がん・腹膜がんのなかで最も多く、進行が速いタイプです。この3つは発生の起源がつながっていると考えられており、まとめて理解することが予防の出発点になります。
RRBSOがなぜこれほど重視されるかというと、卵巣がんには有効な早期発見の方法が確立していないという事情があるからです。子宮頸がんや乳がんのように、検診で早期に見つけて治すという戦略が卵巣がんでは取りにくく、見つかったときには進行していることが少なくありません。だからこそ、リスクの高い方では「見つける」よりも「起こさない」ほうへ重心が移ります。BRCA1/BRCA2の病的バリアントを持つ方では、RRBSOによって卵巣がんの発症リスクが大きく下がり、卵巣がんによる死亡や全体の死亡率の低下にもつながることが報告されています[1]。
ご本人やご家族にとって、この事実が持つ意味は小さくありません。「有効な検診がない」と聞くと不安になりますが、裏を返せば予防手術という明確な選択肢が用意されているということです。何もできないのではなく、時期を選んで能動的にリスクを下げられる。そのための判断材料を整理するのが、この記事の役割です。ただし手術には後で述べるデメリットもあり、「受けるべき/受けないべき」を一律に決められるものではありません。
2. 遺伝子別の手術時期 ─ 「いつ受けるか」は遺伝子で変わります
RRBSOをいつ受けるのがよいかは、原因となる遺伝子によって異なります。同じ「リスクが高い」といっても、生涯でがんになる確率も、発症しやすい年齢も遺伝子ごとに違うため、推奨される時期も細かく分かれているのです。国際的な指針であるNCCNガイドラインは、遺伝子ごとに推奨年齢を示しています。
BRCA1の病的バリアントを持つ方は、80歳までの卵巣がん発症リスクがおよそ39〜58%とされ、発症年齢も比較的若い傾向があります[2]。このためNCCNガイドラインは、出産を終えた35〜40歳でのRRBSOを推奨しています[1]。一方BRCA2では生涯リスクが13〜29%とやや低く、発症もBRCA1より平均して遅い傾向があるため、実施を40〜45歳まで遅らせることが妥当とされています[1]。この数年の差は小さく見えて、若い時期の閉経を避けられるかどうかに直結する、ご本人にとって非常に大きな違いです。
BRCA1/2以外の卵巣がんリスク遺伝子(BRIP1・RAD51C・RAD51D)
近年の遺伝子検査の普及で、BRCA1/2以外にも卵巣がんに関わる遺伝子が日常的に見つかるようになりました。DNAの傷を修復する仕組みに関わるBRIP1・RAD51C・RAD51Dの病的バリアントは、それぞれおよそ5〜11%程度の生涯卵巣がんリスクをもたらすと報告されています[3]。これらの遺伝子によるがんはBRCA1/2よりも発症年齢が遅く、多くが50歳以降に診断されることから、NCCNガイドラインはRRBSOの検討年齢を45〜50歳と設定しています[3]。発症が遅いぶん手術も遅らせられるため、不必要に早い閉経とその後の不調を避けられる可能性があります。
PALB2ではRRBSOを一律に推奨しない
PALB2は、上のBRIP1・RAD51C・RAD51Dとは扱いが異なります。卵巣がんリスクの上昇を示すデータが出てきていますが、現時点では一律にRRBSOを推奨するだけの十分な根拠はないとされ、強い家族歴などの個別の事情をふまえて判断することが求められています[3]。この「まだ確立していない」という段階を正確にお伝えすることも、遺伝カウンセリングの大切な役割です。曖昧なまま「リスクがある」とだけ伝わると、必要以上に不安を抱えてしまうことがあるからです。
この表からご自身の遺伝子を確認すると、「自分はいつごろ考えればよいのか」というおおよその見通しが持てます。ただし数値はあくまで集団全体の傾向であり、家族歴やご本人の価値観によって最適な時期は前後します。表の年齢は出発点であって、ゴールではありません。実際の意思決定では、出産の希望や仕事・生活の状況を含めて、時間に余裕をもって相談していくことになります。
3. リンチ症候群での予防 ─ 卵巣だけでなく子宮も視野に入ります
リンチ症候群では、卵巣がんに加えて子宮内膜がんのリスクも高くなるため、RRBSOに予防的な子宮全摘術を組み合わせることが選択肢になります。原因となる遺伝子の種類によってリスクと発症年齢が異なるので、ここでも「どの遺伝子か」を確かめることが出発点です。
リンチ症候群は、DNAのミスマッチ修復(コピーミスを直す仕組み)に関わるMLH1・MSH2・MSH6・PMS2やEPCAMという遺伝子の病的バリアントで起こります。大腸がんのイメージが強いかもしれませんが、女性では子宮内膜がんが「最初に見つかるがん(センチネルがん)」になることが多いと知られています[4]。子宮内膜がんの生涯リスクは遺伝子型によって幅があり、卵巣がんのリスクとあわせて評価されます。
MLH1・MSH2の病的バリアントを持つ方は、子宮内膜がんの平均発症年齢が40歳代後半で、卵巣がんリスクも高いため、出産完了後、通常35〜40歳での予防手術が検討されます[4]。一方MSH6・PMS2では子宮内膜がん・卵巣がんのリスクが相対的に低く、発症年齢も遅いため、閉経後の手術を検討するなど、より慎重で個別性の高い判断が欧州などのガイドラインで提案されています[4]。同じ「リンチ症候群」でも対応が分かれる点は、ご自身の遺伝子型を正確に把握することの意味を物語っています。
4. 乳がんリスクの新しい考え方 ─ 「RRBSOで乳がんも半減」は再検討されています
かつて広く信じられていた「RRBSOを受けると乳がんのリスクも半分になる」という考え方は、近年の統計的な再評価によって大きく見直されています。バイアスを補正した研究では、以前考えられていたような明確な乳がんリスク低下が確認されなかったためです。現在では、RRBSOは卵巣がん・卵管がんを防ぐための手術であり、乳がん予防を主目的に選ぶものではないという理解に変わっています。ただし、乳がんへの効果がまったくないと完全に結論づけられたわけではなく、BRCA1かBRCA2か、年齢、閉経の前後などによって研究結果に不一致があり、不確実な部分が残っている点にも留意が必要です。
2000年代から2010年代前半にかけての研究では、卵巣を取り除くことで女性ホルモンの供給が絶たれ、ホルモンに反応するタイプの乳がんが抑えられると考えられ、RRBSOで乳がんリスクが最大50%下がると報告されていました。生物学的にも筋が通っていたため、長く予防の根拠として使われてきたのです。ところが2015年、この過去のデータに重大な統計的な偏り(バイアス)が潜んでいたことが指摘されました[5]。
💡 用語解説:不死身のバイアスとは
不死身のバイアス(immortal time bias)は、観察研究で結果が実際より良く見えてしまう、よく知られた落とし穴です。手術を受けた人は「検査を受けてから手術までのあいだ、乳がんにならずに生き延びていた」期間があります。この期間の扱い方を誤ると、手術を受けた群のリスクが実際より低く計算され、手術の効果が過大に評価されてしまいます。この偏りをきちんと取り除いて再解析したところ、乳がんリスクを下げる効果は統計的に確認できなくなったのです。
この再解析では、RRBSOを時間の経過とともに変化する要因として正しく扱い直した結果、乳がん発症のハザード比(リスクの比)は1.09(95%信頼区間0.67〜1.77)となり、リスクを下げる効果は消えました[5]。この所見は、その後のオランダの前向き研究でも大きな乳がんリスク低下は確認されませんでした[6]。研究によって結果に不一致が残るため効果は不確実ですが、少なくとも「RRBSOで乳がんも半減する」という以前の前提は成り立ちにくくなっています。ご本人にとって大切なのは、乳がん対策とRRBSOを切り離して考えるという点です。卵巣がんは卵巣・卵管の手術で、乳がんは別の方法で備える、と役割を分けて理解すると、判断の軸がはっきりします。
乳がんへの備えは「別の手立て」で考える
では乳がんにはどう備えるのでしょうか。BRCA1/2の病的バリアントを持つ方の乳がん予防では、造影MRIによる集中的な画像検診(サーベイランス)や、リスクを下げる乳房の手術(対側リスク低減乳房切除術=CRRM)が中心になります。特に片側の乳がんを経験した方は、反対側の乳房にも乳がんが生じるリスクが高いことが知られており、複数の研究をまとめた解析では、CRRMを含む二次的な予防の介入によって反対側乳がんの発生が抑えられ、全体の生存期間の改善につながることが報告されています[7]。
これらの選択は、乳腺外科・婦人科腫瘍・臨床遺伝など複数の専門が連携して、年齢や見通し、ご本人の価値観をふまえて決めていくものです。乳房の手術まで含めるかどうかは、非常に個人的な決断です。RRBSOとは別の判断であることを知っておくだけでも、情報の整理がしやすくなります。
5. 腹膜がんとSTIC ─ 「がんは卵管から始まる」という発見
RRBSOで卵巣と卵管を取り除いても、腹膜から生じる原発性腹膜がんのリスクはゼロにはなりません。ただしそのリスクは長期でみてもかなり低く、さらに「がんの多くは卵管の先端から始まる」という発見が、手術のやり方と術後のケアを大きく変えました。ここは近年の卵巣がん予防で最も重要な進展です。
大規模な追跡調査によると、RRBSO後の20年間で腹膜がんが生じる累積リスクは、BRCA1でおよそ2.7%、BRCA2で0.9%と推定されています[8]。注目すべきは、ガイドラインが推奨する若い年齢で予防手術を受けた群では、追跡期間中に腹膜がんの発生がみられなかったというデータで、これは推奨年齢内でのRRBSOの重要性を考えるうえで参考になる所見です[8]。「手術してもゼロにならない」と聞くと不安に感じるかもしれませんが、残るリスクはごくわずかというのが実際のところです。なお、ガイドラインが推奨する年齢内でRRBSOを受けた群では、追跡期間中の腹膜がんの発生が少なかったことも報告されています。ただし、これは手術を受ける年齢そのものが腹膜がんのリスクを下げると断定できるデータではありません。
💡 用語解説:STIC(漿液性卵管上皮内がん)とSEE-FIM
STIC(漿液性卵管上皮内がん)は、卵管の先端(卵管采)の上皮内にとどまる非浸潤性の腫瘍性病変で、高異型度漿液性がん(HGSC)の重要な前駆病変と考えられています。近年の研究で、高異型度漿液性がんの多くはこのSTICを起点に発生する可能性が高いことが分かってきました。見た目には正常に見える卵管でも、詳しく調べると数%の方にSTICが隠れていることがあります。
SEE-FIMは、取り出した卵管の先端を薄く切って隅々まで顕微鏡で調べる、専用の病理検査プロトコルです。この丁寧な検査を行うことで、隠れたSTICを見逃さずに見つけられます。RRBSOではこの検査を組み合わせることが重要とされています。
多数の症例を集めた解析では、RRBSOのときにSTICが見つかった方は、見つからなかった方に比べて、その後に腹膜がんを発症するリスクが大きく高くなることが示されました[9]。具体的には、STICが見つかった群では発症のハザード比が33.9(95%信頼区間15.6〜73.9)と非常に高く、5年で10.5%、10年で27.5%が腹膜がんを発症したのに対し、STICがなかった群ではそれぞれ0.3%、0.9%にとどまりました[9]。この違いは、手術のときの丁寧な病理検査が、その後のフォロー方針を左右することを意味します。実際、卵管の先端を隅々まで調べるSEE-FIMプロトコルは、リスク低減手術を行う際の標準的な病理検索方法として推奨されています[10]。
ご本人にとっての意味を整理すると、手術で卵管と卵巣を取り除いたあとも、病理検査の結果によっては経過観察の濃さが変わる、ということです。STICが見つかった場合には術後の慎重なフォローが検討され、見つからなければリスクはごく低いと考えられます。手術は「取って終わり」ではなく、取り出した組織をどう調べるかまで含めて予防が完成する、と理解しておくとよいでしょう。
6. 外科的閉経のケア ─ 手術の「もう一つの側面」に備える
閉経前にRRBSOを受けると、両方の卵巣を一度に失うため、女性ホルモンが急激に低下します。この「外科的閉経」は、自然な閉経が数年かけてゆるやかに進むのとは違い、手術直後から一気に訪れるため、心身への影響が大きくなりがちです。だからこそ、リスクを下げる利益と、この影響へのケアを、はじめからセットで考えることが大切です。
🔍 関連記事:遺伝カウンセリングとは/妊孕性温存(卵子凍結・卵巣組織凍結)
急なホルモンの低下がもたらす影響は多方面にわたります。エストロゲンは血管の内側を保護し、脂質のバランスを整える働きを持つため、若い時期にこれを失うと心血管系への負担が増える可能性が指摘されています[1]。また、エストロゲンは骨を壊す細胞の働きを抑えているので、失われると骨密度が急速に低下し、骨粗しょう症や骨折のリスクが高まります。これに対しては、骨密度の評価、十分なカルシウム・ビタミンDの摂取、運動などによる骨の健康管理が重要です。骨密度の低下や骨折のリスクが高い場合には、必要に応じて骨粗しょう症の治療薬も検討されます。
💡 知っておきたい:外科的閉経で起こりうる変化
ほてり・発汗といった血管運動神経症状(VMS)は、自然閉経に比べて強く、長引きやすい傾向があります。睡眠の質の低下や疲れやすさにつながることもあります。加えて、腟の乾燥や性交痛を伴う閉経関連泌尿生殖器症候群(GSM)や、性欲の低下が生じることもあります。これらは我慢すべきものではなく、対処法がある症状です。つらさを抱え込まず、主治医に相談することが大切です。
こうした変化を並べると心配になるかもしれませんが、ご本人にとって大事なのは、これらの多くは対策のある「管理できる」課題だという点です。次の章で述べるホルモン補充療法をはじめ、骨の健康管理や必要に応じた骨粗しょう症治療、腟や性の症状へのケアなど、手立てが用意されています。手術を検討する段階から「術後をどう過ごすか」まで見通しておくことで、漠然とした不安を具体的な準備に変えていけます。
7. ホルモン補充療法(HRT) ─ 「乳がんが心配」への最新の答え
乳がんの既往がないBRCAバリアント保持者では、RRBSO後に自然閉経の年齢(おおむね50〜52歳)まで、ホルモン補充療法(HRT)を積極的に検討することが主要なガイドラインで推奨されています。「ホルモンを補うと乳がんが心配」という不安は自然なものですが、この点についてはデータの裏づけが積み重なっています。
乳がんの既往がないBRCAバリアント保持者では、RRBSO後の短期〜中期間のHRT使用が乳がんリスクを有意に上げないことが、複数の研究で確認されています[11]。若くして外科的閉経となった場合、自然閉経の年齢までのHRTは、ほてりなどの更年期症状をやわらげることに加えて、骨や心血管系など、早いエストロゲンの欠乏がもたらす長期的な健康への影響を軽くする目的でも検討されます[12]。若くして卵巣を失うことの影響を、HRTがある程度和らげてくれる、という理解です。
子宮があるかどうかで製剤が変わる
HRTの中身は、子宮が残っているかどうかで変わります。子宮がある場合は、子宮内膜を守るために黄体ホルモン(プロゲスチン)を併用します。子宮を一緒に摘出した場合は、エストロゲン単独の療法が可能になります。ある前向き研究では、エストロゲン単独療法を受けた方の乳がん発生率が、エストロゲンと合成プロゲスチンを併用した群より低い傾向が示され、エストロゲン単独にはむしろ乳がんに対して保護的に働く可能性すら示唆されています[11]。黄体ホルモンを使う場合の製剤選択については、一般の女性を対象とした研究でプロゲストーゲンの種類によって乳がんリスクが異なる可能性が示されていますが、BRCA1/2病的バリアント保持者における最適な製剤については、十分な比較データがまだ得られていません。
ご本人にとっての意味は、「HRTは一律ではなく、自分の状況に合わせて選べる」ということです。子宮を残すか摘出するか、どの製剤を使うか。これらは主治医と相談しながら調整できる部分であり、「ホルモンは危ないから避ける」と決めつける前に、選択肢の幅を知っておくことが役に立ちます。
乳がんを経験した方の症状ケアと新しい薬
すでに乳がんを発症した方には、全身へのHRTは再発リスクの観点から用いられません。こうした方のほてりなどの症状には、これまで効果の限られた薬に頼らざるを得ませんでした。近年、この状況を変えるものとして登場したのが、ホルモンを使わないフェゾリネタントという薬です。これは脳の体温調節の中枢(ニューロキニン3受容体)に作用してほてりを抑えるもので、大規模な第3相試験(SKYLIGHT 1・2)でその有効性と安全性が示されました[13]。米国では2023年に承認され、海外での製品名はベオーザ(VEOZA)です。日本での承認・使用の状況は時期によって変わりますので、実際に使えるかどうかや適応については、必ず主治医や受診先の医療機関にご確認ください。
8. 卵管先行手術(RRS/DO) ─ 若い閉経を避ける新しい戦略
早い閉経というRRBSOの弱点を根本から解決しようという新しいアプローチが、世界的に注目されています。それが「早期に卵管だけを取り、卵巣は後で取る」という二段構えの方法です。まだ研究段階ですが、考え方を知っておくと、将来の選択肢の広がりが見えてきます。
この方法はRRS/DO(早期リスク低減卵管摘出術と遅延卵巣摘出術)と呼ばれます。第5章で見たとおり、高異型度漿液性がんの多くは卵管の先端から始まります。そこで、出産を終えた早い段階でまず両方の卵管だけを切除して発がんの主要なルートを断ち、卵巣は自然閉経に近い年齢まで残しておいて、あとから二段階目の手術で取り除く、という戦略です。卵巣を残すあいだはホルモンが自前で分泌され続けるため、若い閉経を避けられる可能性があります。
オランダで行われたTUBA試験では、この方法の受け入れられ方と生活の質(QoL)が検証されました[14]。参加したBRCA1/2バリアント保持者の多くが卵管先行の方法を選び、術後の追跡では、卵巣を残した群のほうが更年期関連の症状スコアの悪化が小さく、これはHRTを使ったRRBSO群と比べても優れていたと報告されています[15]。自分の卵巣でホルモンを保つことが、外から補うよりもQoLの維持に有利である可能性を示すデータです。
⚠️ 重要:まだ「安全性を検証中」の段階です
RRS/DOは有望なアプローチですが、卵巣を残すあいだに卵巣がんを十分に防げるか、つまり従来のRRBSOと同じくらい安全かどうかは、現在も国際的な大規模試験(TUBA-WISP II・PROTECTOR試験)で検証されている途中です[16]。腫瘍学的な安全性が確立すれば次世代の標準になる可能性を秘めていますが、現時点では確立した標準治療ではありません。関心がある場合は、最新の情報を主治医に確認してください。
ご本人にとっての意味は、「今すぐ全部を決めなくてもよい選択肢が研究されている」ということです。とはいえ現段階では未確立ですので、標準はあくまで卵管と卵巣を一緒に取るRRBSOです。将来こうした方法が確立していく可能性も含めて、時間に余裕をもって情報を追い、主治医と相談していくのがよいでしょう。妊娠の希望がある場合は、体外受精を前提に胚の段階で調べる着床前遺伝学的検査(PGT-M)や、妊孕性温存といった家族計画の選択肢とあわせて考えることになります。
9. 日本の保険適用 ─ 2020年に変わったこと、まだ残る課題
日本では2020年の診療報酬改定で、がんを発症したHBOC患者に対するRRBSOなどが保険適用となり、費用の壁が大きく下がりました。一方で、がんをまだ発症していない血縁者への予防手術は原則自費のままで、課題も残っています。費用は手術を受けるかどうかの現実的な要素なので、制度の現状を知っておくことは大切です。
🔍 関連記事:HBOC総論/コンパニオン診断(CDx)/カスケードスクリーニング
2020年4月の診療報酬改定によって、乳がんまたは卵巣がんをすでに発症しているHBOC患者に対するBRCA遺伝学的検査、サーベイランス、そしてRRBSOやCRRMといったリスク低減手術が、公的医療保険の対象となりました[17]。この変更は臨床の現場に大きな影響を与えました。全国データを用いた調査では、保険適用の前後で遺伝子検査後のRRBSO実施率が有意に上昇したことが示されており、費用の壁が取り除かれたことが手術を受けやすくした主な要因と分析されています[17]。ある単一施設の報告でも、保険適用によって患者さんの自己負担割合が大きく下がったことが、手術の受容率向上につながったとされています[18]。
ただし、現行の制度には重要な課題が残されています。現在の保険は「すでにがんを発症した方の二次的ながん予防」を対象としており、がんをまだ発症していない未発症の病的バリアント保持者(血縁者など)への遺伝学的検査やRRBSOは、原則として保険適用外(自費)のままです[19]。がんを発症する前に介入することこそ最大の予防効果を発揮するという医学的な観点からすると、この制度上のギャップは、経済的な事情による医療アクセスの不平等につながりうる点として指摘されています[19]。
ご本人やご家族にとって切実なのは、「自分はどちらに当てはまるのか」という点でしょう。すでにがんの診断を受けた方と、血縁者に病的バリアントが見つかって検査を考えている方とでは、費用の扱いが変わります。血縁者へ検査を広げていくカスケードスクリーニング(カスケード検査)を考える際にも、この制度の枠組みを理解しておくと、次に何を確認すべきかが見えてきます。
💡 当院で遺伝子検査を受ける方へ:互助会について
当院で遺伝子検査を受けられる方は、互助会(8,000円)にご加入いただきます。これは検査を受けるすべての方が対象となる仕組みです。詳細は互助会のご案内をご確認ください。
10. よくある誤解
誤解①「RRBSOをすれば乳がんも防げる」
かつてはそう考えられていましたが、統計的な偏りを取り除いた再解析で、乳がんを下げる効果は確認できなくなりました。RRBSOは卵巣がん・卵管がんのための手術です。乳がんには造影MRIや乳房の手術など、別の手立てで備えます。
誤解②「卵巣と卵管を取ればがんの心配はゼロ」
腹膜から生じるがんのリスクはわずかに残ります。ただしその割合は長期でみても低く、推奨される若い年齢で受けるほどリスクは小さくなります。ゼロではないが、非常に低く抑えられる、というのが正確な理解です。
誤解③「術後のホルモン補充は乳がんを増やす」
乳がんの既往がない方では、RRBSO後に自然閉経の年齢まで行うHRTは乳がんリスクを有意に上げないと報告されています。子宮を摘出した場合のエストロゲン単独療法など、状況に応じた選び方があります。
誤解④「日本では誰でも保険で受けられる」
保険適用は原則、すでに乳がん・卵巣がんを発症したHBOC患者が対象です。がん未発症の血縁者への検査やRRBSOは原則自費のままで、この点は今後の課題として議論されています。
📌 このページを読んだあなたへ
この記事にたどり着いた方には、いくつかの状況が考えられます。遺伝子検査でBRCAなどの病的バリアントが見つかり、これから手術を考え始めた方。ご家族にHBOCやリンチ症候群が見つかり、ご自身の検査を迷っている方。あるいはすでに手術を受け、術後のケアやホルモン補充について確かめたい方。それぞれ、次に確認するとよい観点が違います。
手術の時期を考える段階なら、まずご自身のHBOCや原因遺伝子(BRCA1・BRCA2)ごとの推奨年齢を確認しましょう。ご家族に病的バリアントが見つかった方は、血縁者へ検査を広げるカスケード検査や、判断を整理するための遺伝カウンセリングが出発点になります。妊娠の希望がある方は妊孕性温存もあわせてご検討ください。
よくある質問(FAQ)
🏥 遺伝性のがんリスクと予防のご相談
HBOC・リンチ症候群などの遺伝性腫瘍に関する
遺伝学的検査と遺伝カウンセリングは
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにご相談ください。
参考文献
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