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自己免疫性脳炎とは|症状・診断基準・最新治療をわかりやすく解説

仲田洋美 医師

この記事の監修:仲田洋美(臨床遺伝専門医)

のべ10万人以上の意思決定に伴走。国際医療誌『Medical Care Review APAC』『Global Woman Leader』の2誌で表紙を飾り、「Top Prenatal Testing Service in APAC 2025」に選出されるなど、世界基準の遺伝医療を提供。

自己免疫性脳炎(じこめんえきせいのうえん/Autoimmune Encephalitis)は、本来なら体を守るはずの免疫系が、まちがって自分の脳を標的にしてしまうことで起こる病気の総称です。多くのタイプでは、神経細胞表面やシナプスの分子に対する自己抗体が病態に関与します。数日から数週間という比較的短い期間で、記憶障害・精神症状・けいれん・意識障害などが進みます。かつて「原因不明の脳炎」とされていた症例の一部に、この病気が含まれていたことがわかってきました。重症になることがある一方で、早い段階で適切な免疫治療を始めれば、失われた機能が大きく回復する可能性があるのが、この病気の大きな特徴です。この記事では、自己免疫性脳炎とはどういう病気か、症状・診断・最新の治療、そして「遺伝するのか」という疑問まで解説します。

この記事でわかること
📖 読了時間:約18分
🧠 症状・診断基準・最新治療・遺伝との関係
臨床遺伝専門医監修

Q. 自己免疫性脳炎とは何ですか?まず結論だけ知りたいです

A. 自己免疫性脳炎とは、自分の免疫系が脳を誤って標的にして起こる脳炎の総称です。多くのタイプでは、神経細胞表面やシナプスの受容体などに対する自己抗体が病態に関与します。精神症状やけいれん、記憶障害などが亜急性(数日〜数週間)に進みます。統合失調症などの精神疾患と間違われやすい一方、早期に免疫治療を行うと回復が期待できる「治療できる脳炎」でもあります。多くは後天的に起こる病気で、生まれつきの単一遺伝子疾患ではありませんが、なりやすさに免疫の遺伝的背景が関わることがわかってきています。

  • 2つの抗体グループ:神経細胞の「表面」を狙う抗体(回復しやすい)と「内部」を狙う抗体(回復しにくい)で、治りやすさが大きく変わります。
  • 代表は抗NMDAR脳炎:若い女性に多く、精神症状で発症して精神科を最初に受診することが多いタイプです。
  • 抗体結果を待たずに診断:2016年のGraus基準により、抗体検査の結果が出る前でも治療を始められるようになりました。
  • 予後を予測するNEOSスコア:5つの項目で1年後の回復の見通しを立て、強い治療を早く入れる判断に使われます。
  • 治療は時間との勝負:ステロイド・免疫グロブリン・血漿交換から、リツキシマブ、さらにFcRn阻害薬やCAR-T療法まで進んでいます。

🔎 自己免疫性脳炎のキホン早わかり

どんな病気か 免疫系が脳を誤って標的にして炎症を起こす、自己免疫疾患の一種。多くのタイプでは自己抗体が関与する
主な症状 精神症状・記憶障害・けいれん・異常運動・意識障害が数日〜数週間で進む
代表的なタイプ 抗NMDAR脳炎(最多)、抗LGI1脳炎、抗CASPR2脳炎、抗GABABR脳炎 など
診断 症状+MRI・脳波・髄液検査+自己抗体検査。抗体結果を待たず治療開始できる基準がある
治療 ステロイド・免疫グロブリン・血漿交換(第一選択)→ リツキシマブ等(第二選択)
遺伝との関係 生まれつきの遺伝病ではないが、なりやすさにHLAなどの遺伝的背景が関わることがある

※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた用語解説です。特定の検査を勧めるものではありません。診断や治療は必ず担当の医師にご相談ください。

1. 自己免疫性脳炎とは ─ 「治療できる脳炎」という発見

脳炎とは、脳に炎症が起きる病気の総称です。原因はウイルスなどの感染症が代表的ですが、この10数年で神経学と免疫学の考え方を大きく変えたのが、自己免疫性脳炎という病気の発見でした。これは、体を守るはずの免疫系が、まちがって自分の脳を標的にして炎症を起こす自己免疫疾患の一種です。多くのタイプでは、神経細胞表面やシナプスの分子に対する自己抗体が病態に関与します[1]

自己免疫性脳炎は、ふつう数日から数週間、遅くとも3か月以内という亜急性(あきゅうせい)の経過で進みます。記憶障害、認知機能の低下、さまざまな精神症状、治りにくいけいれん発作、意識の障害、そして手足や顔の複雑な異常運動など、神経と精神の両方にまたがる多彩で重い症状を示します[1]。放置すれば命に関わることもある一方で、早い段階で適切な免疫治療を行えば、失われた神経機能が大きく回復することが期待できる——この「治療で戻る可能性がある」という点が、自己免疫性脳炎の最も大切な特徴です。

💡 用語解説:抗体・自己抗体・受容体

抗体は、細菌やウイルスなどの異物を見つけて攻撃する、免疫の「武器」となるタンパク質です。この武器がまちがって自分自身の体を標的にしてしまったものを自己抗体と呼びます。受容体は、神経細胞の表面にあって、他の細胞からの信号を受け取る「アンテナ」のような部品です。自己免疫性脳炎では、この神経のアンテナが自己抗体に攻撃されることで、脳の情報のやりとりがうまくいかなくなります。

この病気の発見は、神経内科だけでなく精神科の診療にも大きな影響を与えました。初めての精神病エピソードとして精神科に入院した患者さんの中に、じつは自己免疫性脳炎という「体の病気(器質的疾患)」が隠れていることがある、と広く知られるようになったのです。原因不明とされていた難治性のけいれんや急性の精神症状の背景に、実は治療可能な脳炎が潜んでいた——そうした症例が数多く見直されてきました。

2. 2つの抗体グループ ─ 治りやすさを決める分かれ道

自己免疫性脳炎は、攻撃の標的となる抗原(こうげん=抗体が結合する相手)が神経細胞のどこにあるかによって、大きく2つのグループに分けられます。この分類は基礎的な区別にとどまらず、免疫治療がどれくらい効くか、回復がどれくらい見込めるかを左右する、とても重要な臨床的指標です。

グループ①:細胞の「表面・シナプス」を狙う抗体 ─ 回復しやすい

1つめは、神経細胞の表面やシナプス(神経どうしのつなぎ目)にある受容体を直接の標的にする抗体です。NMDA受容体やLGI1、GABAB受容体などがこれにあたります。これらの抗体は「直接的に病気を起こす力(病原性)」を持っています。抗体が受容体にくっつくと、受容体どうしが結び合わされて細胞の内側へ引きずり込まれ(内在化)、細胞表面で働ける受容体の数が物理的に減ってしまいます[2]

抗NMDAR脳炎などでは、主要な病態は神経細胞そのものの不可逆的な細胞死ではなく、受容体の内在化などによる機能障害で、少なくとも実験系では可逆性が示されています[2]。そのため、免疫治療によって病原性自己抗体の産生や作用を抑えると、受容体の表面発現やシナプス機能が回復し、臨床的な改善につながる可能性があります。代表格である抗NMDAR脳炎では、原因となる抗体は主にIgG1・IgG3というタイプで、受容体を結び合わせて内在化させる力を持っています[3]

グループ②:細胞の「内部」を狙う抗体 ─ 回復しにくい

2つめは、Hu・Yo・Ma2といった、神経細胞の内部(核や細胞質)にある抗原を標的にする抗体です。これらは歴史的に「腫瘍随伴性神経症候群(しゅようずいはんせいしんけいしょうこうぐん)」のしるしとして知られてきました。標的が細胞の内部にあるため、抗体そのものが細胞膜を通り抜けて直接悪さをするわけではありません。むしろこれらの抗体は、がん細胞の抗原と神経の抗原が似ていることをきっかけに、細胞傷害性T細胞という別の免疫細胞が神経を攻撃していることを示す「目印」と考えられています[2]

このT細胞による攻撃は神経細胞に不可逆的な死をもたらすため、これらの抗体に関連する脳炎は免疫治療への反応が乏しく、重い後遺症が残りやすいという特徴があります[2]。同じ「自己免疫性脳炎」でも、どちらのグループかによって、たどる経過が大きく違うのです。

自己免疫性脳炎における神経細胞表面抗原型と細胞内抗原型の違い。抗NMDAR脳炎では自己抗体によるNMDA受容体の内在化とシナプス機能低下、抗Hu・Yo・Ma2抗体関連では細胞傷害性T細胞による神経細胞障害が主体となる病態を比較した模式図

自己免疫性脳炎では、免疫反応の標的となる抗原の位置によって病態が異なります。抗NMDAR脳炎などの神経細胞表面抗原型では、自己抗体による受容体の内在化などによってシナプス機能が低下し、比較的可逆的な機能障害が主体となります。一方、Hu・Yo・Ma2などの細胞内抗原に対する免疫応答では、抗体は主に疾患のマーカーであり、細胞傷害性T細胞による神経細胞障害が主体となるため、回復しにくい傾向があります。

💡 細胞内にある抗原を、T細胞はどうやって見つけるの?

Hu・Yo・Ma2などの抗原は神経細胞の内部にあるため、細胞傷害性T細胞(CD8+T細胞)が細胞の中へ入り込んで抗原そのものを見つけるわけではありません。細胞内のタンパク質は日常的に分解され、その一部が短い抗原ペプチドとなり、MHCクラスI(ヒトではHLAクラスI)という分子に載せられて細胞表面に提示されます。CD8+T細胞はT細胞受容体(TCR)を使って、この「MHCクラスI+抗原ペプチド」を認識します。つまり、抗原そのものは細胞内にあっても、その「断片」が細胞表面に掲示されるため、T細胞は標的となる神経細胞を認識できるのです。炎症環境では神経細胞のMHCクラスI発現が増えることがあり、抗原特異的CD8+T細胞による神経細胞障害につながると考えられています。

💡 用語解説:IgG4という特別なタイプの抗体

抗体(IgG)にはいくつかのサブクラスがあります。LGI1やCASPR2、IgLON5に対する抗体は、主にIgG4というタイプでできています。IgG4は、受容体を内在化させる力や炎症を強く起こす力が弱い代わりに、タンパク質どうしの正常な結合を物理的に邪魔するのが特徴です。たとえば抗LGI1抗体は、LGI1が足場として結びつけているADAM22/ADAM23というタンパク質どうしの連結を切り離してしまいます。このため抗LGI1脳炎では、髄液に強い炎症所見(細胞数の増加など)が出にくい、という一見ふしぎな現象が説明できます。

仲田洋美院長

🩺 院長コラム【「抗体の居場所」を知ることが、見通しにつながる】

自己免疫性脳炎という一つの名称の中にも、病態機序の異なる疾患群が含まれます。神経細胞の表面・シナプス抗原に対する抗体が病原性をもつタイプと、細胞内抗原に対する免疫応答を背景に細胞傷害性T細胞が主に関与するタイプでは、免疫治療への反応性や予後が異なります。自己免疫性脳炎では、抗原が神経細胞の表面にあるのか内部にあるのかという違いが、病態と治療反応性を理解する重要な手がかりになります。

病名だけでなく、その背景にある分子機序まで理解することは、予後の見通しや治療方針を考えるうえで重要です。

3. 主な症状 ─ 精神症状から異常運動まで

自己免疫性脳炎の症状は、攻撃される抗体の種類によって幅がありますが、多くのタイプに共通してみられる中心的な症状があります。数日から数週間という短い期間で、以下のような変化が段階的に進んでいくのが典型的です[1]

前駆期発熱・頭痛など
かぜに似た症状
精神症状期妄想・幻覚
行動の変化
神経症状期けいれん・異常運動
意識障害
重症期自律神経の乱れ
呼吸の障害

とくに精神症状は初期に前面に出やすく、妄想や幻覚、気分の大きな波、強迫的な行動などが急に現れます。神経の異常が最初ははっきりしないため、統合失調症の急な悪化や急性精神病と間違われ、精神科に入院することが少なくありません[3]。その後、けいれん発作や、顔・口・あごの止まらない不随意運動(オーロフェイシャル・ジスキネジア)、血圧や脈拍の激しい変動(自律神経の乱れ)、呼吸の障害などへと進み、集中治療室での全身管理が必要になることもあります。

重要なのは、こうした精神症状が「心の病」ではなく「脳の炎症」という体の病気から来ている可能性がある、という視点です。とくに、それまで精神的に大きな問題のなかった人に、短期間で急激な精神症状とともに、けいれんや意識の変化、体の異常運動が加わってくる場合には、自己免疫性脳炎を疑うきっかけになります。

4. 代表的なタイプ ─ 抗体ごとの「顔つき」

見つかった自己抗体は、それぞれが独自の特徴的な症状や、特定のがんとの関連を持っています。ここでは代表的なタイプを紹介します。

抗NMDAR脳炎 ─ 最も多く、最も劇的

自己免疫性脳炎の中で最も頻度が高く、特徴的な経過をたどるのが抗NMDAR脳炎です[3]。主に若い女性に多くみられますが、乳児から高齢者まであらゆる年齢で起こり得ます。かぜに似た前駆症状のあと、短期間で強い精神症状へと移行し、やがて無動・無言の状態や、顔や口の不随意運動、自律神経の激しい乱れへと進みます[3]。若い女性では卵巣奇形腫(らんそうきけいしゅ)という腫瘍を合併することがあり、18歳以上の女性では最大で約58%に卵巣奇形腫がみられたとする報告もあります[4]。奇形腫の中にできた神経組織に対する免疫反応が脳に及ぶことが原因と考えられ、腫瘍の早期発見と摘出が、免疫治療と並ぶ治療の柱になります。

⚠️ ヘルペス脳炎のあとに起こる「二段構え」の悪化

近年、抗NMDAR脳炎の重要なきっかけとして「単純ヘルペス脳炎(HSE)のあとに続く自己免疫」が明らかになりました。ヘルペス脳炎の治療がうまくいって回復に向かっていた患者さんが、数週間後にふたたび異常運動や意識障害で悪化する——これは長らくウイルスの再活性化と考えられていましたが、実際には髄液のウイルス検査は陰性で、代わりに抗NMDAR抗体などが新たに出現していることが証明されました。抗体がつくられ始めるのは、ヘルペス脳炎から1〜4週間後とされています[5]。感染症の脳炎で二段構えの悪化がみられたときは、すぐに自己免疫性脳炎を疑うべき、という大切な教訓です。

抗LGI1脳炎 ─ 「顔と腕のピクつき」が特徴

抗NMDAR脳炎とは対照的に、抗LGI1脳炎は60歳前後の中高年男性に多くみられます。深刻な記憶障害などの症状に先立って、あるいは同時に、顔面上肢ジストニア発作(FBDS)と呼ばれる、数秒間の短いピクつくような動きが1日に何十回も現れるのが特徴です。これは抗LGI1脳炎にとても特徴的な所見です。腫瘍の合併はまれで、約6割の患者さんで治りにくい低ナトリウム血症を伴います[6]

その他のタイプと、がんとの関連

このほかにも、末梢神経の異常興奮などを合併する抗CASPR2脳炎(胸腺腫を伴うことがある)、激しいけいれん重積を起こし小細胞肺がんとの関連が高い抗GABABR脳炎、高齢で発症しがんの合併が多い抗AMPAR脳炎、消化管症状が先行する抗DPPX脳炎、進行性の睡眠障害を示す抗IgLON5疾患など、多彩なタイプが知られています[6]。当院のサイトでは、このうち抗AMPAR脳炎について個別に解説しています。

📋 代表的な自己免疫性脳炎と特徴

標的(自己抗体) 特徴的な症状 関連するがん(おおよその割合)
NMDAR 急性の精神症状、顔・口の不随意運動、自律神経の乱れ 卵巣奇形腫(18歳以上の女性で最大約58%)
LGI1 顔面上肢ジストニア発作(FBDS)、記憶障害、低ナトリウム血症 合併はまれ
CASPR2 辺縁系脳炎、筋のピクつき、自律神経障害 胸腺腫(約20%)
GABABR 治りにくいけいれん・けいれん重積、記憶障害 小細胞肺がん(約50%)
AMPAR 高齢発症の辺縁系脳炎、精神・認知障害 胸腺腫・小細胞肺がん(約70%)
IgLON5 進行性の睡眠障害、脳幹症状(神経変性との関連) 合併はほぼなし

※割合は報告により幅があります。値はディープリサーチおよび一次文献に基づく目安です[4][6]

このように、多くのタイプで特定のがんが背景に隠れていることがあるため、自己免疫性脳炎と診断されたら、胸部・腹部・骨盤のCTや、女性では卵巣の超音波検査など、全身の腫瘍を探す検査を並行して行うことが基本になります。

5. 診断の進め方 ─ 抗体結果を待たずに動く

自己免疫性脳炎の診断で最大の壁は、その症状が、命に関わる感染性の脳炎(単純ヘルペス脳炎など)や、中毒・代謝の病気、あるいは統合失調症などの精神疾患ととてもよく似ていることです[1]。特定の自己抗体を見つけることが確定診断の決め手ですが、抗体検査の結果が出るまでには専門機関への委託を含めて数週間かかることが少なくありません。結果を待ってから治療を始めていては、取り返しのつかない神経のダメージを招き、予後を大きく悪くしてしまいます。

この時間のジレンマを解決するために提唱されたのが、2016年にGrausらが発表した「自己免疫性脳炎の臨床的診断アプローチ」です[1]。これは抗体検査の結果に頼らず、ベッドサイドでの神経の診察と、MRI・脳波・髄液の一般検査だけで、早く免疫治療を始めるための考え方の道すじ(アルゴリズム)を示したものです。

💡 用語解説:辺縁系脳炎(へんえんけいのうえん)と髄液検査

辺縁系は、記憶や感情に深く関わる脳の内側の領域です。ここに炎症が起こるタイプを「辺縁系脳炎」と呼び、記憶障害や精神症状が中心になります。髄液(ずいえき)検査は、腰から針を刺して脳と脊髄を満たす液体を採り、炎症を示す細胞やタンパク質、抗体を調べる検査です。自己免疫性脳炎の診断で中心的な役割を果たします。

この基準では、まず「自己免疫性脳炎の疑い(possible AE)」という入り口を設けています。3か月以内に進む記憶障害・意識や人格の変化などがあり、そこに神経の新しい異常・原因不明の新規けいれん・髄液の細胞増加・MRIの異常のいずれかが加わり、他の病気(とくに感染症)が合理的に除外できる場合に、強く疑うというものです[1]。この入り口は見逃しを防ぐため、あえて幅広く(感度を高く)設定されています。実際の検証では、この「疑い」の基準は感度84%と高い一方、特異度は状況により低めで、多くの「よく似た別の病気」も拾ってしまうことがわかっています[7]

そこで、より特異的な条件を満たすと、抗体を待たずに確定的な治療に踏み込めるレベルへと格上げされます。たとえば「確実な自己免疫性辺縁系脳炎」は、MRIで両側の側頭葉内側に限った異常があり、かつ髄液の細胞増加か脳波の側頭葉異常を伴うことが条件で、特異度は96%に達します[7]。同様に「ほぼ確実な抗NMDAR脳炎」の基準も特異度が高く、こうした段階的な基準を使うことで、ステロイドや免疫グロブリンといった第一選択の治療を、自信をもって早く始められるようになりました。ただし、MRIの非特異的な変化を過大評価したり、血清の抗体が偽陽性だったりするリスクもあるため、治療を始めつつ、感染症の除外と腫瘍の検索を並行して続けることが原則です。

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6. 予後の予測 ─ NEOSスコアという物差し

自己免疫性脳炎は、人によって重症度や回復の過程が大きく異なります。完全に回復する人から、長い集中治療のあとに重い高次脳機能障害が残る人まで、経過はさまざまです。そこで、発症の早い段階で長期的な見通しを予測し、強い治療(第二選択薬)を早く入れるべきかを判断するための物差しが求められてきました。

その代表が、抗NMDAR脳炎の大規模なデータから開発されたNEOSスコア(NMDAR Encephalitis One-Year Functional Status score)です[8]。これは発症から1年後の機能的な予後を予測するもので、次の5つの項目それぞれに1点を割り当て、合計0〜5点で評価します[8]

💡 NEOSスコアの5項目(各1点)

① 集中治療室(ICU)への入室 ② 治療開始までの遅れが4週間以上 ③ 治療開始から4週間以内に改善がみられない ④ MRIに異常所見がある ⑤ 髄液の白血球数が20 /μL以上

このスコアの重要な点は、点数によって1年後の予後が大きく分かれることです。NEOSスコアが0点または1点の患者さんで1年後に予後不良となる確率はわずか3%であるのに対し、4点または5点に達した患者さんでは69%まで跳ね上がることが示されています[8]。同じ抗NMDAR脳炎でも、背景となる要因によって経過が大きく変わることを、この数字は物語っています。

こうしたスコアを使うことで、リスクの高い患者さんに対して、数か月待つことなく発症の早い時期からリツキシマブなどの強い治療を導入する、という判断の根拠が得られます。近年では、このモデルをさらに発展させ、診断された時点で得られる情報だけで長期的な見通しを立てる試みも進んでいます。

7. 新しいバイオマーカー ─ 脳のダメージを数値で見る

臨床スコアを補うものとして、脳の構造的なダメージや炎症の活動性を客観的な数値でとらえるバイオマーカーの研究が急速に進んでいます。

ニューロフィラメント軽鎖(NfL)─ 神経のダメージの指標

最も注目されているのが、神経の軸索(じくさく=神経細胞の長い突起)が壊れたときに漏れ出すニューロフィラメント軽鎖(NfL)です。自己免疫性脳炎の急性期には、髄液や血液のNfL濃度が健康な人より明らかに高くなり、その上昇の程度は、重症度や追跡時の後遺症の重さと強く関係します[9]。つまりNfLは、「神経がどれくらい壊れたか」を映し出す鏡のような指標であり、回復の見通しを立てる助けになります。

カッパ遊離軽鎖(KFLC)─ 早期診断を支える指標

早期診断を支える指標として注目されているのが、髄液中のカッパ遊離軽鎖(KFLC)です。中枢神経の中で抗体づくりが起きているかどうかを鋭敏にとらえる指標で、その髄腔内合成は抗NMDAR脳炎の94%、抗LGI1脳炎の50%、抗CASPR2脳炎の53%で検出され、従来の検査よりも高い診断感度を示しました[10]。非炎症性の神経疾患と区別するうえでは90%の特異度が報告されており、抗体検査の結果を待つ間の治療判断を後押しする指標として期待されています[10]

こうしたバイオマーカーが確立してきたことで、すべての患者さんに同じ治療を当てはめるのではなく、一人ひとりの重症度に応じて治療の強さを調整する精密医療(precision medicine)への流れが強まっています。

8. 治療 ─ 時間との勝負と、次世代の選択肢

自己免疫性脳炎の治療は、病気を起こしている抗体を減らし、シナプスの働きが元に戻せるうちに、不可逆的な神経のダメージを防ぐことを最優先にします。腫瘍が見つかった場合は、その摘出や化学療法による除去が、免疫治療の前提条件になります[1]

第一選択・第二選択の標準治療

急性期の第一選択治療は、ステロイドパルス療法(高用量のステロイド点滴)・免疫グロブリン大量療法(IVIG)・血漿交換(けっしょうこうかん)が柱です[11]。これらは脳の炎症や自己免疫反応を抑え、血漿交換では血液中の自己抗体を除去することを目的とします。第一選択への反応が不十分な場合や、重症化が予測される場合には、すみやかに第二選択治療へ移ります。ここでは、B細胞表面のCD20を標的とするモノクローナル抗体であるリツキシマブや、シクロホスファミドが用いられます[11]。NEOSスコアなどから予後不良が予測される場合には、発症早期からリツキシマブを先行して導入する考え方が広がりつつあります。

第一選択ステロイド
IVIG・血漿交換
第二選択リツキシマブ
シクロホスファミド
難治例トシリズマブ
ボルテゾミブ
新しい治療FcRn阻害薬
CAR-T療法

難治例に向かう新しい薬

標準的な治療を尽くしても効かない難治例に対しては、より特異的なしくみを狙った薬が使われ始めています。難治例の治療動向としては、IL-6という炎症物質の働きを抑えるトシリズマブや、抗体をつくる形質細胞(けいしつさいぼう)そのものを狙うボルテゾミブが挙げられます[11]

さらに注目されているのがFcRn阻害薬(エフガルチギモド)です。これは、血液中のIgG抗体を細胞内でリサイクルするしくみをブロックすることで、病原性自己抗体を含むIgG全体の濃度を低下させる薬です。もともと重症筋無力症で使われていますが、抗NMDAR抗体と抗LGI1抗体の両方が陽性で、第一・第二選択の治療に抵抗して人工呼吸器管理を要した重い難治例に対して投与したところ、症状の改善と抗体価の低下が得られた、という報告があります[12]

CAR-T療法と「神経変性のジレンマ」

最も先鋭的な試みとして研究が進むのがCAR-T細胞療法です。遺伝子改変したT細胞を用いてCD19陽性B細胞系を強力に除去する治療で、難治性自己免疫疾患への応用が研究されています。実際、極めて難治性の抗DAGLA抗体関連脳炎の患者さんに抗CD19 CAR-T療法が行われ、炎症が鎮まり自己抗体が持続的に抑えられた例が報告されました[13]

⚠️ 究極の治療でも越えられない「一線」

この症例報告からは、重要な課題も示されました。この患者さんは、CAR-T療法によってB細胞による炎症と抗体産生を完全に抑え込めたにもかかわらず、その後も神経の変性(構造的なダメージ)と認知機能の低下が進むのを止められなかったのです[13]。この1症例では、B細胞性炎症と自己抗体を抑制できても神経変性が進行し得ることが示されました。ただし、1例の報告から一般化はできません。自己免疫性脳炎では、不可逆的な神経障害が進む前に診断し、適切な治療を開始することが重要です。

9. 遺伝との関係 ─ 「遺伝する病気」ではないけれど

「自己免疫性脳炎は遺伝するの?」という疑問は、ご本人やご家族が最も気にされる点の一つです。結論から言えば、自己免疫性脳炎は生まれつきの単一遺伝子疾患ではなく、多くは後天的に起こる病気です。親から子へ決まった形で受け継がれる「遺伝病」ではありません。

ただし、「免疫のなりやすさ」という点では、遺伝的な背景がまったく無関係というわけではありません。とくに注目されているのがHLA(ヒト白血球抗原)です。HLAは、免疫が「自分」と「異物」を見分けるうえで中心的な役割を担う分子で、その型は人によって異なります。抗LGI1脳炎など一部のタイプでは、特定のHLA型を持つ人で発症しやすいという関連が報告されており、研究ではHLA型と発症感受性との関連が解析されています[14]。つまり「特定のHLA型が、この病気になりやすい体質の一因になっている可能性がある」ということです。これは「必ず発症する」という意味ではなく、あくまで「なりやすさ(感受性)」の話である点に注意が必要です。

💡 用語解説:HLA(ヒト白血球抗原)と「感受性遺伝子」

HLAは、免疫細胞に「これは自分の細胞ですよ/これは異物ですよ」と教える、いわば身分証明書のような分子です。その型は非常に多様で、特定の型を持つ人は、ある種の自己免疫疾患を発症しやすいことが知られています。こうした「病気そのものを起こす遺伝子」ではなく「なりやすさに関わる遺伝子」を感受性遺伝子と呼びます。感受性遺伝子を持っていても発症しない人が大多数で、環境や感染などの要因が組み合わさって初めて発症すると考えられています。

また、神経細胞の受容体そのものは遺伝子によって設計されています。たとえばNMDA受容体を構成する部品の設計図であるGRIN1遺伝子の生まれつきの変化は、自己免疫性脳炎とは別の「遺伝性の神経発達症」を引き起こすことが知られています。同じNMDA受容体に関わる病気でも、「後天的に抗体が受容体を攻撃する自己免疫性脳炎」と、「生まれつき受容体の設計図に変化がある遺伝性疾患」はまったく別のものです。この違いを理解しておくことは、遺伝性疾患の診療を考えるうえでも役立ちます。なお、初発の精神症状で発症する点では、鑑別として統合失調症との区別も重要になります。

当院では、遺伝子や染色体に関わる検査の前後で、臨床遺伝専門医遺伝カウンセリングを行っています。自己免疫性脳炎そのものは神経内科での診療が中心となる病気ですが、「免疫のなりやすさに遺伝的背景がどう関わるのか」「受容体の遺伝子とはどういうものか」といった、遺伝の観点からの疑問を整理することはできます。当院では中立の立場で、何がわかり何がわからないのかを整理する遺伝カウンセリングを行っています。

10. よくある誤解

誤解①「精神症状だから心の病気だ」

妄想や幻覚などの精神症状で始まっても、その背景に脳の炎症という体の病気が隠れていることがあります。とくに短期間に、けいれんや意識の変化、異常運動を伴って進む場合は、自己免疫性脳炎を疑う必要があります。

誤解②「原因不明の脳炎は治らない」

自己免疫性脳炎は「治療できる脳炎」です。とくに神経細胞の表面を狙う抗体によるタイプは、免疫治療で抗体を減らせば、受容体の働きが立て直され、大きな回復が期待できます。早期の診断と治療が鍵です。

誤解③「遺伝する病気だ」

自己免疫性脳炎は、決まった形で親から子へ受け継がれる遺伝病ではありません。ただし、HLAなどの遺伝的な「なりやすさ」が関わることはあります。「なりやすさ」と「必ず発症する」はまったく別です。

誤解④「抗体検査の結果が出るまで治療できない」

2016年の診断基準により、抗体の結果を待たずに治療を始められるようになりました。結果を待つ間に神経のダメージが進むのを防ぐため、症状と一般検査から早く判断することが重視されています。

まとめ ─ 「治療で戻る脳炎」を見逃さないために

自己免疫性脳炎の研究は、急性・亜急性の精神症状や難治性けいれんの背景に免疫学的機序が関与する病態を明らかにし、適切な免疫治療によって改善し得る一群を確立しました。神経細胞の表面を狙う抗体の発見が病態の理解を深め、2016年のGraus基準が抗体を待たずに治療へ進む道を開き、NEOSスコアやNfL・KFLCといったバイオマーカーが一人ひとりに合わせた精密な医療を後押ししています[1][8][10]

FcRn阻害薬やCAR-T療法といった新しい治療は、病原性IgGの低下やB細胞系の除去を狙う研究段階・症例報告段階のアプローチです[12][13]。重要な課題は、不可逆的な神経障害が生じる前に疑い、診断し、適切な治療を早期に開始できるかという点です。神経内科・精神科・小児科・腫瘍内科などの連携が必要になる場合があります。症状が疑われる場合は、専門の医療機関にご相談ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. 自己免疫性脳炎とは何ですか?

自己免疫性脳炎とは、自分の免疫系が脳を誤って標的にして起こる脳炎の総称です。多くのタイプでは神経細胞表面やシナプスの分子に対する自己抗体が病態に関与します。精神症状・記憶障害・けいれん・意識障害などが数日〜数週間で進みます。統合失調症などの精神疾患と間違われやすい一方、早期に免疫治療を行えば回復が期待できる「治療できる脳炎」でもあります。

Q2. 自己免疫性脳炎は遺伝しますか?

決まった形で親から子へ受け継がれる遺伝病ではありません。多くは後天的に起こる病気です。ただし、HLA(ヒト白血球抗原)という免疫に関わる遺伝的な型など、「発症のなりやすさ(感受性)」に遺伝的背景が関わることは報告されています。感受性を持っていても発症しない人が大多数で、感染などの要因が組み合わさって発症すると考えられています。

Q3. どんな症状が出ますか?精神科の病気と何が違うのですか?

妄想・幻覚・行動の変化などの精神症状に加えて、けいれん発作、顔や口の不随意運動、記憶障害、意識の変化、自律神経の乱れ(血圧・脈拍の変動)などが、短期間に段階的に進むのが特徴です。精神症状だけの精神疾患と違い、神経の症状や体の異常運動を伴って急速に進む点が、自己免疫性脳炎を疑うきっかけになります。

Q4. 治療で治りますか?

タイプによりますが、とくに神経細胞の表面を狙う抗体によるタイプ(抗NMDAR脳炎など)は、免疫治療で抗体を減らすことで受容体の働きが立て直され、大きな回復が期待できます。治療はステロイド・免疫グロブリン・血漿交換を第一選択とし、効果が不十分ならリツキシマブなどに進みます。回復のためには、できるだけ早く診断し治療を始めることが重要です。治療の判断は必ず担当の医師にご相談ください。

Q5. 抗体検査の結果が出る前に治療を始めても大丈夫なのですか?

はい。抗体検査には数週間かかることが多く、結果を待つ間に神経のダメージが進んでしまうため、2016年に提唱された診断基準では、症状とMRI・脳波・髄液の一般検査から早期に判断し、治療を始められるようになっています。もちろん、感染性の脳炎など他の病気の除外や、腫瘍の検索は並行して続けられます。

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参考文献

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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