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知的障害や発達の遅れの原因は様々ですが、遺伝子の変異がその背景にあるケースも少なくありません。ASXL3遺伝子の変異は、Bainbridge-Ropers症候群という希少な発達障害を引き起こすことが知られています。この記事では、ASXL3遺伝子の機能や変異が引き起こす症状、診断方法、そして遺伝子検査の重要性について詳しく解説します。
ASXL3遺伝子とは
ASXL3遺伝子(Additional Sex Combs-Like 3)は、18番染色体の長腕(18q12.1)に位置する重要な遺伝子です。この遺伝子は、転写調節因子として機能し、DNAの読み取りを制御する重要な役割を担っています。
ASXL3遺伝子は、ショウジョウバエのAsx(Additional sex combs)遺伝子のヒトにおける相同体で、発生過程や細胞分化の制御に関与していると考えられています。特に、胚発生の初期段階で重要な役割を果たしていることが示唆されています。
ASXLファミリーは哺乳類において3つのメンバー(ASXL1、ASXL2、ASXL3)から構成されており、これらはすべて胚発生において重要な役割を果たしています。ASXL3タンパク質は、2,248アミノ酸からなる大型のタンパク質で、他のASXLファミリーメンバーと同様に特徴的なドメイン構造を持っています。
特筆すべきは、ASXL3遺伝子がポリコーム群(Polycomb group)およびトリソラックス群(Trithorax group)タンパク質と相互作用し、遺伝子発現の長期的な抑制や活性化を調節する点です。これらのタンパク質複合体はエピジェネティックな記憶を制御し、細胞のアイデンティティを維持する上で重要です。
ASXL3の発現パターンは組織特異的であり、成人の卵巣や脳、胎児の脳で中程度の発現が見られ、腎臓や精巣ではより低い発現レベルが観察されています。脳内ではほぼすべての領域と脊髄で低〜中程度の発現が確認されており、この発現パターンは神経発達における役割を示唆しています。
分子レベルでは、ASXL3遺伝子はBAP1(BRCA1関連タンパク質1)と複合体を形成し、PRDUBコンプレックス(Polycomb Repressive Deubiquitination complex)として機能します。このコンプレックスはヒストンH2AのK119残基からユビキチンを除去することで遺伝子発現を調節しており、この機能が正常な発生に不可欠であることが明らかになっています。
進化的に保存された遺伝子であるASXL3は、種を超えて重要な発生プロセスを制御する役割を担っており、その機能の喪失は深刻な発達障害につながります。
ASXL3遺伝子の基本情報
- 正式名称: ASXL Transcriptional Regulator 3
- 別名: Additional Sex Combs-Like 3, KIAA1713
- 染色体位置: 18q12.1
- ゲノム座標(GRCh38): 18:33,578,219-33,751,195
- 遺伝子構造: 12個のエクソンから構成
ASXL3遺伝子の機能
ASXL3遺伝子によってコードされるタンパク質は、エピジェネティック制御の中心的役割を果たしており、クロマチン構造の調節やヒストン修飾を通じて遺伝子発現パターンを精密に制御しています。この制御機能は胚発生や組織分化において非常に重要であり、正常な発生プログラムの実行に不可欠です。
ASXL3タンパク質はBAP1(BRCA1 Associated Protein 1)と複合体を形成し、PR-DUB(Polycomb Repressive Deubiquitination)複合体を構成します。この複合体はヒストンH2Aの119番目のリジン残基(H2AK119Ub1)からモノユビキチンを選択的に除去します。この脱ユビキチン化プロセスはクロマチン構造の変化を引き起こし、遺伝子発現の微調整を可能にします。研究によれば、この機能が障害されると、発生関連遺伝子の発現パターンが広範囲に変化し、発達障害を引き起こすことが示されています。
ASXL3遺伝子産物は複数の機能ドメインを持つ複雑なタンパク質であり、それぞれが特定の役割を担っています:
- N末端領域に存在する高度に保存されたASXNドメインは、DNAやクロマチン関連タンパク質との結合に関与し、標的遺伝子への局在化を助けています
- ASXMドメインは転写因子やコファクターとの相互作用を促進し、転写活性の調節に重要な役割を果たしています
- C末端に位置するPHD(Plant Homeodomain)亜鉛フィンガードメインは、特定のヒストン修飾(特にメチル化されたヒストン)を認識して結合する能力を持ち、クロマチン状態の「読み取り」に関与しています
- ASXL3に特徴的なプロリンリッチ領域は、他のASXLファミリータンパク質には見られない独自の構造で、タンパク質間相互作用の媒介や特異的なシグナル伝達経路への関与が示唆されています
さらに、ASXL3遺伝子はポリコーム抑制複合体2(PRC2)とも相互作用し、ヒストンH3の27番目のリジン残基のトリメチル化(H3K27me3)の調節にも間接的に関与していることが示唆されています。この二重の制御機構により、ASXL3は発生に関わる遺伝子の時空間的な発現パターンの精密な調節に貢献しています。
Bainbridge-Ropers症候群について
ASXL3遺伝子の病的バリアント(変異)は、Bainbridge-Ropers症候群(BRPS)という希少な神経発達障害を引き起こします。この症候群は2013年にBainbridgeらによって初めて報告されました。
Bainbridge-Ropers症候群は常染色体優性遺伝形式をとり、主にASXL3遺伝子の機能喪失型変異(ナンセンス変異やフレームシフト変異)によって引き起こされます。
Bainbridge-Ropers症候群の主な症状
この症候群では、以下のような多様な症状が見られます:
- 発達の遅れ:重度の知的障害や言語発達の遅れ
- 身体的特徴:特徴的な顔貌、低身長、筋緊張低下など
- 摂食障害:哺乳困難、嚥下障害、胃食道逆流など
- 睡眠障害:不規則な睡眠パターン
- 行動上の問題:自閉症スペクトラム障害の特徴を示すこともある
- 骨格の異常:関節の拘縮、側弯症など
症状の重症度は個人差が大きく、同じ家族内でも表現型(症状の現れ方)が異なることがあります。ASXL3遺伝子変異による影響は、変異の種類や位置によっても異なる可能性があります。
ASXL3遺伝子変異の特徴
Bainbridge-Ropers症候群の原因となるASXL3遺伝子の変異は、主に遺伝子の11番目のエクソンに集中しています。特に、404番目から659番目のコドン間(5’クラスター領域)と1045番目から1444番目のコドン間(3’クラスター領域)に変異が集中することが報告されています。
これらの変異の多くは、ASXL3遺伝子の機能を喪失させるナンセンス変異(終止コドンが生じる変異)やフレームシフト変異(読み枠がずれる変異)です。これらの変異により、正常なASXL3タンパク質が作られなくなり、その結果として発達や成長に影響が生じると考えられています。
ASXL3遺伝子変異の例
Bainbridge-Ropers症候群の患者で報告されている代表的なASXL3遺伝子変異には、以下のようなものがあります:
- Q404X(404番目のグルタミンが終止コドンに置換)
- Q466X(466番目のグルタミンが終止コドンに置換)
- 4塩基欠失(Thr659FsTer41)
- 1塩基挿入(Pro474FsTer0)
- 1塩基重複(c.1448dupT, Thr484AsnfsTer5)
- R1444X(1444番目のアルギニンが終止コドンに置換)
- Q1122X(1122番目のグルタミンが終止コドンに置換)
- Q1382X(1382番目のグルタミンが終止コドンに置換)
興味深いことに、ASXL3遺伝子の変異は主に新規発生(de novo)のものが多いですが、データベース検索により、疾患を引き起こす変異の5’側と3’側の両方に、表現型的に正常な個体での切断変異も報告されています。これは、変異が生じる正確な位置が疾患の発症に重要である可能性を示唆しています。
ASXL3遺伝子変異と疾患発症の位置特異性
遺伝子変異と疾患の関係は必ずしも単純ではありません。ASXL3遺伝子の場合、特に興味深い現象が観察されています:
- 位置特異的な影響:全く同じタイプの変異(例えば終止コドンを生じる変異)であっても、遺伝子上の特定の領域(11番目エクソンの特定の部分)に生じた場合にのみBainbridge-Ropers症候群を引き起こします。
- クラスター領域:Bainbridge-Ropers症候群を引き起こす変異は主に2つの領域(404-659コドン間の5’クラスター領域と1045-1444コドン間の3’クラスター領域)に集中しています。これらの領域は遺伝子の機能において特に重要な役割を担っていると考えられます。
- 無症状の切断変異:興味深いことに、症状を引き起こすクラスター領域の前後(5’側や3’側)に切断変異を持つ人々の中には、全く症状を示さない人々も存在します。これは、タンパク質のある特定の部分が失われたり変化したりしても、常に疾患を引き起こすわけではないことを示しています。
- ドメイン構造との関連:疾患を引き起こす変異のクラスター領域は、タンパク質の機能ドメイン間の「リンカー領域」に対応している可能性があります。この領域の変異は、タンパク質の立体構造や相互作用に特に大きな影響を与えるかもしれません。
この「位置効果」は、単に遺伝子の機能が失われるだけでなく、異常なタンパク質が産生されて有害な機能を獲得する(gain-of-function)可能性や、ドミナントネガティブ効果(正常なタンパク質の機能を阻害する効果)の可能性も示唆しています。
これらの知見は、ASXL3遺伝子変異の診断において、変異の種類だけでなく、変異が生じた正確な位置も考慮することの重要性を示しています。また、将来的な治療法開発においても、特定の機能ドメインや相互作用を標的とした戦略が有効である可能性を示唆しています。
ASXL3遺伝子変異のメカニズム
ASXL3遺伝子の変異がどのようにBainbridge-Ropers症候群を引き起こすのかについては、いくつかの研究が行われています。Srivastavaらの研究(2016年)によると、ASXL3遺伝子のフレームシフト変異を持つ患者由来の繊維芽細胞では、正常なASXL3 mRNAとタンパク質レベルが約50%減少していました。
これは、ASXL3遺伝子の変異がハプロ不全(haploinsufficiency)、つまり一方の遺伝子コピーが機能しないことで正常なタンパク質の量が不足し、それが症状を引き起こすメカニズムであることを示唆しています。
さらに、変異を持つ細胞ではH2AK119Ub1のレベルが有意に増加していました。これは、ASXL3遺伝子の変異によりPR-DUB複合体の正常な活性が阻害され、ヒストン脱ユビキチン化の過程が障害されることを示しています。この結果、転写制御や発生過程の調節に異常が生じると考えられています。
遺伝子発現への影響
トランスクリプトーム解析によると、ASXL3遺伝子変異を持つ細胞では、以下のような遺伝子の発現調節に異常が見られました:
- 転写調節に関与する遺伝子
- 発生に関与する遺伝子
- 細胞増殖に関与する遺伝子
- 消化管発生に関与する遺伝子
これらの知見は、H2Aユビキチン化の動的調節が発生過程や疾患において重要な役割を果たしていることを示しています。
ASXL3遺伝子検査の重要性
発達の遅れや知的障害を持つお子さんの場合、その原因を特定することは適切な支援やケアを提供するために非常に重要です。ASXL3遺伝子検査は、以下のような場合に特に重要となります:
- 原因不明の重度の知的障害や発達遅滞がある
- 特徴的な顔貌や身体的特徴を伴う
- 摂食障害や筋緊張低下などの症状を示す
- 自閉症スペクトラム障害の特徴を持つ
ASXL3遺伝子検査は、全エクソーム解析や知的障害遺伝子パネル検査などを通じて行うことができます。ミネルバクリニックでは、最新の遺伝子検査技術を用いた知的障害遺伝子検査を提供しており、ASXL3遺伝子を含む多くの知的障害関連遺伝子の変異を同時に調べることが可能です。
遺伝子検査前後のケア
遺伝子検査の前後には、適切な遺伝カウンセリングを受けることが重要です。ミネルバクリニックでは、臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを提供し、以下のようなサポートを行っています:
- 検査の目的や意義、限界についての説明
- 検査結果の解釈やその意味の説明
- 今後の医療管理や支援についての相談
- 家族への影響や遺伝様式についての説明
- 患者さんやご家族の心理的サポート
ASXL3遺伝子変異の遺伝形式と再発リスク
Bainbridge-Ropers症候群は常染色体優性遺伝形式をとりますが、多くの場合はASXL3遺伝子の新規変異(de novo変異)によって引き起こされます。つまり、両親は変異を持っていないにもかかわらず、子どもの発生過程で新たに変異が生じるケースが多いのです。
しかし、親にモザイク変異(体の一部の細胞だけに変異が存在する状態)がある場合は、次の子どもにも同じ変異が遺伝するリスクがあります。また、稀ですが、親が保因者である場合は、子どもに50%の確率で変異が遺伝します。
再発リスクの評価と予防
Bainbridge-Ropers症候群の家族では、以下のような遺伝学的検査が推奨されます:
- 両親の遺伝子検査:子どもの変異が新規発生なのか、親から遺伝したものなのかを確認
- 親のモザイク検査:生殖細胞系列モザイクの可能性を評価
- 出生前診断や着床前診断:次子の妊娠時に考慮される選択肢
これらの情報は、家族計画を考える上で重要な要素となります。適切な遺伝カウンセリングを受けることで、個々の家族に合った選択肢を検討することができます。
ASXL3遺伝子関連疾患の診療と支援
Bainbridge-Ropers症候群の患者さんの診療は、症状に合わせた多角的なアプローチが必要です。ASXL3遺伝子変異による症状は多岐にわたるため、様々な専門家によるチーム医療が重要となります。
- 発達支援:理学療法、作業療法、言語療法など
- 摂食障害への対応:摂食・嚥下指導、場合によっては経管栄養
- てんかん管理:抗てんかん薬による治療
- 睡眠障害への対応:睡眠衛生指導や薬物療法
- 骨格異常の管理:整形外科的介入
- 心理社会的支援:家族支援、特別支援教育など
また、ASXL3遺伝子変異に関する最新の研究や治療法の開発も進んでいます。特定の症状に対する薬物療法や、将来的には遺伝子治療の可能性も研究されています。
患者家族の会
Bainbridge-Ropers症候群の患者さんやご家族のための国内外の患者会や支援団体があります。これらの団体を通じて、同じ障害を持つ家族とのつながりや、最新の情報を得ることができます。
まとめ:ASXL3遺伝子と知的障害
ASXL3遺伝子の変異は、Bainbridge-Ropers症候群という希少な発達障害を引き起こします。この症候群は、重度の知的障害、特徴的な顔貌、摂食障害、筋緊張低下などの症状を特徴としています。
ASXL3遺伝子は転写調節因子としてクロマチン構造の制御に関わっており、その機能喪失型変異がハプロ不全を引き起こすことで症状が現れると考えられています。
原因不明の知的障害や発達遅滞を持つお子さんの場合、ASXL3遺伝子を含む遺伝子検査を行うことで、正確な診断と適切な支援につながる可能性があります。
ミネルバクリニックでは、最新の遺伝子検査技術を用いた知的障害遺伝子検査を提供しており、臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングも合わせて行っています。お子さんやご家族に最適なケアを提供するために、ぜひご相談ください。
関連する遺伝子パネル検査
ミネルバクリニックでは、ASXL3遺伝子を含む様々な遺伝子を検査できる包括的な遺伝子パネル検査を提供しています。お子さんの症状や特徴に合わせて、適切な検査をご案内いたします。
ミネルバクリニックで提供している関連検査
- 知的障害遺伝子検査パネル – ASXL3遺伝子を含む知的障害関連遺伝子を網羅的に検査
- 自閉症遺伝子検査パネル – 自閉症スペクトラム障害関連遺伝子を検査
- 発達障害・自閉症・知的障害染色体シーケンス解析 – より広範囲な染色体異常を検出
参考文献
- Bainbridge MN, et al. (2013). De novo truncating mutations in ASXL3 are associated with a novel clinical phenotype with similarities to Bohring-Opitz syndrome. Genome Med. 5(2):11.
- Srivastava A, et al. (2016). De novo dominant ASXL3 mutations alter H2A deubiquitination and transcription in Bainbridge-Ropers syndrome. Hum Mol Genet. 25(3):597-608.
- Balasubramanian M, et al. (2017). Delineating the phenotypic spectrum of Bainbridge-Ropers syndrome: 12 new patients with de novo, heterozygous, loss-of-function mutations in ASXL3 and review of published literature. J Med Genet. 54(8):537-543.
- Katoh M, et al. (2004). Identification and characterization of human ASXL3 gene in silico. Int J Oncol. 24(6):1617-22.
- Nagase T, et al. (2000). Prediction of the coding sequences of unidentified human genes. XVII. The complete sequences of 100 new cDNA clones from brain which code for large proteins in vitro. DNA Res. 7(2):143-50.



