目次
- 1 1. 遺伝性デスモイド疾患(HDD)とは:疾患の定義と位置づけ
- 2 2. 分子病態:Wnt/β-カテニン経路とNotchシグナルの異常
- 3 3. 遺伝子型と表現型の関係:変異位置がリスクを決める
- 4 4. デスモイド発症を左右する複合的リスク因子
- 5 5. 画像診断と生検の指針
- 6 6. 病期分類:Church Staging Systemによる重症度評価
- 7 7. 2024-2025年最新治療:パラダイムシフトと部位別アルゴリズム
- 8 8. 画期的新薬ニロガセスタット(OGSIVEO)と全身療法
- 9 9. 遺伝カウンセリングと臨床遺伝専門医からのメッセージ
- 10 よくある質問(FAQ)
- 11 関連記事
- 12 参考文献
遺伝性デスモイド疾患(HDD)は、APC遺伝子のC末端側(コドン1860・1924・2570など)の特定変異によって引き起こされる極めて稀な遺伝性疾患です。大腸ポリープがほとんど目立たない一方で、全身に多発する難治性のデスモイド腫瘍が病気の主役となるという独特な臨床像を持ち、2023年に承認された分子標的薬ニロガセスタットの登場によって治療パラダイムが大きく変わりつつある注目の疾患です。
Q. 遺伝性デスモイド疾患(HDD)とはどのような病気ですか?まず結論だけ知りたいです
A. APC遺伝子のC末端側(3’末端)に特定の変異を持つ家系で発症し、デスモイド腫瘍が病気の主座となる稀な遺伝性疾患です。大腸ポリープの多発という典型的な家族性大腸腺腫症(FAP)の症状が極めて軽い、または全くない一方で、傍脊柱筋・乳房・後頭部・腹壁・腸間膜などに多発性かつ難治性の線維性腫瘍を生じます。
- ➤疾患の定義 → APC遺伝子3’末端変異による特異な臨床亜型、FAP全体の約10%
- ➤分子メカニズム → Wnt/β-カテニン経路の異常とNotchシグナルのクロストーク
- ➤遺伝子型と表現型 → コドン1400以降3’側変異で発症率37.1%・重症化率44%
- ➤画像診断 → MRI(T2強調)が第一選択、生検は原則回避
- ➤最新治療 → 2023年FDA承認のニロガセスタット(OGSIVEO)と2024年グローバルコンセンサス
1. 遺伝性デスモイド疾患(HDD)とは:疾患の定義と位置づけ
遺伝性デスモイド疾患(Hereditary Desmoid Disease:HDD)は、APC遺伝子の極端な3’末端(コドン1860・1924・2570など)に存在する特定のフレームシフトまたはナンセンス変異によって引き起こされる、家族性大腸腺腫症(FAP)の特異な臨床亜型です。一般的なFAPでは大腸全体に絨毯状に多発する数百〜数千個の腺腫性ポリープが疾患の主役となりますが、HDDでは大腸ポリープの表現型が極めて軽度であるか、ほとんど目立たない一方で、全身の多発性デスモイド腫瘍が疾患の中心となるという独特の臨床像を示します。
💡 用語解説:デスモイド腫瘍とは
深部の軟部組織から発生する筋線維芽細胞の腫瘍で、「デスモイド型線維腫症」とも呼ばれます。組織学的には悪性の特徴を持たず遠隔転移しない「良性」に分類されますが、周囲の筋肉・腱・血管・神経・内臓へと浸潤性に増殖し、局所再発を非常に起こしやすいため、臨床的にはがんに準ずる扱いを受けます。一般人口での発生は年間100万人に2〜5人程度と稀な疾患(オーファン疾患)です。
FAP全体ではデスモイド腫瘍を発症する患者が約10〜21%(メタアナリシスでは約12.5〜30%)いますが、HDDはそのなかでも最も極端な表現型を示す家系として位置づけられます。一般人口における発症リスクと比較すると、FAP患者では約850倍にまで跳ね上がると報告されており、この圧倒的なリスク差がデスモイド腫瘍を「FAPの致死的な大腸外病変の代表」として認識させる根拠となっています。
現代医学の進歩によってFAPの大腸癌死亡率は劇的に低下しましたが、その結果として結腸切除後のFAP患者における主要な死亡原因の第2位がデスモイド腫瘍となっています。HDDはこの致死的合併症が病気の最前面に出るタイプであり、診断・治療において特別な戦略が必要となる重要な疾患群です。
2. 分子病態:Wnt/β-カテニン経路とNotchシグナルの異常
HDDの病態を理解する鍵は、原因遺伝子であるAPCタンパク質が細胞内で果たすWnt/β-カテニン経路の制御役と、その異常がもたらすNotchシグナル経路への波及効果にあります。
💡 用語解説:Wnt/β-カテニン経路と「分解複合体」
細胞の増殖や分化を司る最も重要なシグナル伝達経路の一つです。正常な状態ではAPCタンパク質が、足場タンパク質Axin・キナーゼCK1・GSK3βとともに「分解複合体」を形成し、細胞内のβ-カテニンを連続的にリン酸化して分解しています。Wntシグナルが入るとこの分解複合体が解除され、β-カテニンが核内に移行してc-MycやCyclin D1などの増殖関連遺伝子を活性化します。APC変異があると、この「ブレーキ」が外れたままの状態となり、β-カテニンが恒常的に蓄積して細胞増殖が暴走します。
「ツーヒット理論」とデスモイド腫瘍の発生
FAP患者は生まれつきAPC遺伝子の片方のコピーに変異を持っていますが、デスモイド腫瘍が発生するためには、残った正常なAPCコピーにも体細胞レベルで二次的な変異が加わる必要があります。これがアルフレッド・クヌードソンが提唱した「ツーヒット理論(Two-hit hypothesis)」です。両方のAPCコピーが機能を失うと、Wnt/β-カテニン経路が恒常的に活性化された状態となり、間葉系幹細胞または前駆細胞からの単クローン性筋線維芽細胞の無秩序な増殖が始まります。
💡 用語解説:孤発性デスモイドとの違い
遺伝とは無関係に発生する「孤発性デスモイド腫瘍」では、APC遺伝子ではなくβ-カテニンそのものをコードするCTNNB1遺伝子の体細胞変異(特にエクソン3)が約85%に見られます。この変異は分解複合体によるリン酸化部位を失わせるため、結果として同じく恒常的なβ-カテニン活性化を引き起こします。HDD(遺伝性)と孤発性とでは出発点となる遺伝子は異なるものの、最終的な病態(Wntシグナルの暴走)は共通しているのです。
Notchシグナルとのクロストーク:新薬開発の科学的根拠
近年の研究で明らかになった画期的な発見が、デスモイド腫瘍の発生・維持にはWnt/β-カテニン経路だけでなく、もう一つの発生関連経路である「Notchシグナル」との複雑な相互作用(クロストーク)が深く関わっていることです。Wnt経路の異常によってNotch経路が二次的に過剰活性化され、これが腫瘍細胞の増殖と生存を維持しています。
💡 用語解説:γ-セクレターゼとNotchシグナル
Notch受容体は細胞膜を貫通するタンパク質で、リガンドと結合すると「γ-セクレターゼ」と呼ばれる膜結合型酵素複合体によって細胞内ドメインが切断されます。切り離された細胞内ドメイン(NICD)は核内に移行し、増殖関連遺伝子の転写を促進します。このγ-セクレターゼを薬で阻害すれば、Notchシグナルを遮断してデスモイド腫瘍の増殖を止められる——これがニロガセスタット(OGSIVEO)開発の科学的根拠となっています。
3. 遺伝子型と表現型の関係:変異位置がリスクを決める
FAPの臨床管理において最も重要な概念の一つが、APC遺伝子上の変異位置(遺伝子型)と症状の重症度(表現型)の強い関連性です。同じAPC変異であっても、遺伝子のどこに変異が生じているかによって、デスモイド腫瘍の発症リスク・解剖学的分布・重症度が劇的に異なります。
APC遺伝子上の機能領域とリスク
APC遺伝子は約2,843個のアミノ酸をコードする長大な遺伝子で、デスモイド発症リスクの観点からは以下の領域に分類されます:
領域B(コドン454〜1019):Armadilloリピート領域
領域C(コドン1020〜1249):β-カテニン結合領域
領域D(コドン1250〜1397):大腸癌多発に強く関連する変異クラスター領域(コドン1309を含む)
領域E(コドン1398〜1580):デスモイド疾患の「攻撃的領域(Aggressive region)」
領域F(コドン1581〜2843):C末端側の残余領域(HDD関連変異が含まれる)
変異位置別のデスモイド発症率と重症化リスク
大規模コホート研究(323人のFAP患者)によって明らかになったデータは衝撃的です。変異位置が3’側(下流)に進むにつれて、発症率と重症化リスクが急激に増加することが判明しています。
📊 APC遺伝子変異領域とデスモイド腫瘍リスク
コドン400より5’側(上流)
発症率 14.9%
重症化(Stage III/IV)0%
コドン401〜1400
発症率 23.2%
重症化 12.0%
コドン1400より3’側(下流・HDD関連領域)
発症率 37.1%
重症化 44.0%
変異位置が3’側に進むにつれて、デスモイド腫瘍の全体発症率が上昇するだけでなく、Stage III/IVへの重症化リスクも急激に増加する。コドン1444以降の変異では、致死的な腸間膜デスモイドの発症リスクが65%に達するとの報告もある。
遺伝性デスモイド疾患(HDD)の特殊性:C末端変異の意味
HDDが「特殊」と呼ばれる最大の理由は、原因変異が極端に3’側(コドン1860・1924・2570など)に位置することです。一般のFAPで5’側に変異がある場合はWnt/β-カテニン経路の制御喪失が病態の中心ですが、HDDを引き起こすC末端領域の変異は別の機能ドメインを破壊します。
💡 用語解説:APCタンパク質のC末端ドメイン
APCタンパク質のC末端領域には、細胞骨格(微小管)への結合能やEB1・DLGタンパク質との相互作用ドメインが含まれています。HDDで失われるのはこの領域の機能です。その結果、細胞極性の崩壊・分化の阻害・染色体不安定性が誘発され、腸管上皮細胞よりも筋線維芽細胞の異常増殖が特異的に駆動されると考えられています。これが「大腸ポリープは少ないのにデスモイドだけが多発する」というHDDの独特の臨床像を生む分子的根拠です。
HDDで多発するデスモイドの好発部位
HDDに罹患した患者は、以下のような全身の広範な部位に多発性かつ難治性の線維腫症(Multifocal fibromatosis)を呈します:
🦴 体幹・体表
- 傍脊柱筋
- 後頭部
- 下部肋骨
- 腹壁
🫁 体腔内(致死リスク高)
- 腸間膜(特に根部)
- 腹腔内・後腹膜
💪 四肢・その他
- 腕
- 乳房
特に腸間膜デスモイドは、増大すると腸閉塞・尿管閉塞・虚血性腸管壊死・腸管皮膚瘻といった致死的合併症を引き起こします。コドン1444を越えるAPC変異を持つ患者では、致死的な腸間膜デスモイドの発症リスクが65%に達するとの報告があります。
4. デスモイド発症を左右する複合的リスク因子
FAP患者におけるデスモイド腫瘍は、APC遺伝子変異という強力な「先天的素因」を基盤としつつ、複数の後天的・環境的トリガーが複雑に絡み合って発症します。臨床医はこれらのリスクプロファイルを統合的に評価し、患者ごとに個別化された管理戦略を組み立てる必要があります。
第1のリスク:外科的侵襲(手術)という最大のジレンマ
デスモイド腫瘍の発症を誘発する最も強力で直接的な環境因子は「外科的侵襲」です。皮肉なことに、大腸癌を予防するための結腸全摘術などの予防的手術自体が、治癒過程における線維芽細胞の異常な増殖応答を引き起こします。
・FAP関連デスモイド腫瘍の大多数は手術後5年以内に発症
・腹部開腹術後では、全デスモイド発症例の68〜83%が術後24ヶ月以内に集中
・術式の選択も影響:回腸嚢肛門吻合術(IPAA)は回直腸吻合術(IRA)よりデスモイド発生性が高い
「大腸癌を予防するための手術が、皮肉にも致死的なデスモイド腫瘍を誘発する」——これがFAP管理における最大のジレンマと呼ばれる現象です。腹腔鏡下手術などの低侵襲手術がデスモイド発症に対して保護的かどうかは現在も検証中ですが、外科的侵襲の大きさが明確なリスク因子であることは間違いありません。
第2のリスク:内分泌環境(エストロゲン)の影響
デスモイド腫瘍は男性よりも女性で発生率が高く、特に妊娠適齢期の女性で急速な成長を示すことが観察されています。妊娠中のエストロゲン上昇や経口避妊薬(OCPs)の使用が腫瘍の急激な増大を引き起こす一方で、閉経後にはホルモンレベルの低下に伴い腫瘍が自然に退縮する現象も頻繁に観察されます。このホルモン感受性が、歴史的に抗エストロゲン療法が試みられてきた根拠となっています。
第3のリスク:家族集積性
第一度近親者(親・兄弟姉妹・子ども)にデスモイド腫瘍の既往を持つFAP患者は、そうでない患者と比較してデスモイド腫瘍の発症リスクが約25〜30%上昇します。これは遺伝子型-表現型相関に加えて、未知の修飾遺伝子(modifier genes)や共有された環境因子が発症閾値に影響を与えている可能性を示唆しています。
5. 画像診断と生検の指針
デスモイド腫瘍はその予測不能な臨床的挙動(急速な増大・休眠・自然退縮)から、高精度な画像診断による定期的なサーベイランスが患者管理の成否を分けます。
MRI(T2強調画像)が第一選択である理由
💡 用語解説:T2強調画像と腫瘍の「活動性」
MRIにはT1強調・T2強調などいくつかの撮像法があります。T2強調画像で強い高信号(白く光る)を示すデスモイド腫瘍は、内部の細胞密度が高く活動性が高い状態を意味します。逆に低信号(黒っぽく見える)の場合は線維化が進んで活動性が低下しています。T2信号の強さは、その後の腫瘍増大を予測する強力なバイオマーカーとして臨床的に確立されており、治療反応性の早期判定にも有用です。
MRIが推奨される理由は3つあります。第一に、CTと比較して周囲の軟部組織(筋肉・脂肪)に対する腫瘍のコントラスト分解能が圧倒的に優れており、四肢・胸壁・腹壁の病変境界を鮮明に描出できます。第二に、形態だけでなく細胞の活動性まで評価できる機能的画像であり、サイズ変化に先立って治療効果を判定できます。第三に、若年で発症し生涯にわたるモニタリングが必要なFAP患者にとって、放射線被曝を完全に回避できることは大きな利点です。
腹腔内・腸間膜デスモイドではCTが戦略的に選択される
一方で、FAP患者で最も致命的な腹腔内および腸間膜のデスモイド腫瘍の評価では、CTが第一選択になるケースが多いです。腹腔内MRIは小腸や大腸の蠕動運動によるアーティファクトが生じやすく、腫瘍辺縁が不明瞭になることがあります。一方、マルチディテクターCT(MDCT)は撮影時間が短く、腫瘍と腸管・尿管・主要血管との解剖学的関係を正確に把握できます。実際の臨床では、初期診断や術前評価には造影CT、長期フォローアップには被曝低減のためMRIというハイブリッド戦略が推奨されています。
生検(バイオプシー)は原則として回避する
💡 重要:生検そのものが腫瘍増殖のトリガーになる
通常、正体不明の軟部腫瘍では確定診断のために生検が行われます。しかしFAP患者の腹腔内・腸間膜腫瘤では話が違います。物理的組織損傷がデスモイド腫瘍の急激な増殖を引き起こすため、生検針の穿刺自体が休眠中の腫瘍を刺激し、攻撃的増大を誘発するリスクがあります。APC遺伝子変異が確定しているFAP患者で画像上典型的な線維性腫瘤がある場合、その大半はデスモイド腫瘍であるという高い事前確率が存在するため、フランス基準施設ネットワークや国際ガイドラインでは「ルーチンの生検は必須ではない」と明記されています。
6. 病期分類:Church Staging Systemによる重症度評価
FAP関連デスモイド疾患の治療方針を決定するために、世界的に最も広く参照されているのがクリーブランド・クリニックのChurchらが提唱したClinical Staging System(Church分類)です。腫瘍の最大径・症状の有無・成長速度を組み合わせて、Stage IからIVに分類します。
Stage I(軽度)
定義:無症状、最大径10cm未満、成長ほぼなし
→ 積極的経過観察
Stage II(軽症)
定義:軽度症状あり、最大径10cm未満、成長ほぼなし
→ 経過観察+対症療法
Stage III(中等症)
定義:中等度症状(腸閉塞・尿管閉塞など)、10〜20cm、緩徐な成長
→ 内科的全身療法
Stage IV(重症)
定義:致死的合併症(瘻孔・出血など)、20cm超または急速成長
→ 強力な化学療法・緩和手術・小腸移植
FAP患者における致死的な転帰の大部分は、病変がStage IIIおよびIVへ進行することに起因します。腸間膜根部に発生した腫瘍が増大すると、小腸を巻き込みながら腸管を閉塞させ、上腸間膜動脈・静脈を圧迫することで広範な虚血性腸管壊死を引き起こします。Church分類は、経過観察が可能な安定病変(Stage I/II)と、緊急介入が必要な重症病変(Stage III/IV)を論理的に峻別するための重要なクリニカルパスを提供しています。
7. 2024-2025年最新治療:パラダイムシフトと部位別アルゴリズム
デスモイド腫瘍の管理は、過去10年間で世界の腫瘍学のなかでも稀に見る劇的なパラダイムシフトを経験した領域です。かつては「肉腫」に準ずる疾患として扱われ、可及的速やかに広範な外科的切除を行うのが標準治療でした。しかし大規模な後方視的データにより、外科的切除後の局所再発率が高く(FAP関連では約44%)、手術自体が新たな腫瘍を生む悪循環が明らかになりました。
これを受けて、Desmoid Tumor Working GroupとESMO・NCCNなどの主要ガイドラインが2020年に最初のGlobal Consensus Paperを発表し、2024年6月にその改訂版が公表されました。現在のアルゴリズムでは、外科的切除の役割は大幅に限定され、無症候性病変への「積極的経過観察」と進行病変への「内科的全身療法」が治療の二大支柱となっています。
第一段階:すべての部位で「積極的経過観察」が原則
💡 用語解説:積極的経過観察(Active Surveillance)
「何もしない」という意味ではなく、定期的なMRI/CTモニタリングで腫瘍の挙動を綿密に追跡しつつ、進行が確認された時点で初めて治療介入を検討する戦略です。デスモイド腫瘍の約20〜30%は無治療でも成長を停止し、一部は自然退縮することが知られているため、治療による医原性の不利益を回避するための「Wait and See」アプローチが推奨されます。
第二段階:進行が認められた場合の部位別アプローチ
経過観察中に持続的な進行(増大)が確認された場合、腫瘍の解剖学的部位によって治療方針が明確に分岐します。
🔵 腹壁デスモイド
腹壁は深部臓器への影響が少なく、外科的に十分な切除マージンを確保しやすい部位です。
→ 進行例には外科的切除が第一線
🔴 腹腔内・後腹膜・骨盤デスモイド
FAP患者で最も致命的となる部位。手術による腸管・血管損傷のリスクが極めて高い領域です。
→ 内科的全身療法が第一選択(外科は厳格回避)
🟣 四肢・胸壁・頭頸部デスモイド
手術による神経損傷や四肢の機能的・整容的喪失のリスクが大きい領域です。
→ 内科的全身療法が第一選択
8. 画期的新薬ニロガセスタット(OGSIVEO)と全身療法
デスモイド腫瘍治療の歴史において最も画期的なマイルストーンとなったのが、γ-セクレターゼ阻害薬(GSI)の「ニロガセスタット(Nirogacestat、商品名:OGSIVEO)」の登場です。2023年11月27日に米国FDAで承認され、最新のNCCNガイドラインでもカテゴリー1の推奨治療として位置づけられた、進行性デスモイド腫瘍に対する史上初の専用治療薬です。
ニロガセスタットの作用機序
ニロガセスタットは、Notch受容体の活性化に不可欠な膜結合酵素であるγ-セクレターゼを特異的に阻害します。これによりNotch細胞内ドメイン(NICD)の切断と核内移行が阻止され、Wnt経路の異常で引き起こされる腫瘍増殖シグナルが上流で遮断されます。
DeFi試験の結果:強力な疾患制御効果
📊 第3相国際共同無作為化比較試験(DeFi試験)の主要結果
- 無増悪生存期間(PFS)中央値:未到達(プラセボと比較して劇的に延長)
- 客観的奏効率(ORR):約45.7%(70例中32例)
- 長期治療継続(最長4年)で完全奏効(CR)例も増加
- 疾患関連疼痛の有意な軽減・身体機能とQOLの大幅改善
注意すべき副作用プロファイル
ニロガセスタットの処方では、GSIクラスに特有の副作用管理が必須です。
消化器症状
- 下痢:84%(うちGrade 3が16%)
- 悪心、口内炎、頭痛
電解質異常
- 低リン血症:65%(うち重症2mg/dL未満が20%)
- 低カリウム血症:22%
- 定期的な血中電解質モニタリングと積極的補充が必須
特殊な毒性
- 卵巣機能不全・早発閉経:妊娠適齢期女性の約75%
- 多くは投与中止後に可逆的
- 皮疹、疲労感、脱毛
⚠️ 重要:妊娠を希望する女性への配慮
Notchシグナルは卵胞の成熟や卵巣の生理機能にも深く関与しているため、ニロガセスタットでは妊娠適齢期女性の約75%に卵巣機能低下が観察されます。多くは投与中止後に回復しますが、長期的な生殖能力への影響は完全には解明されていません。2024年グローバルコンセンサスでは、治療開始前に不妊リスクと卵子凍結など妊孕性温存の選択肢について十分なカウンセリングを実施することが強く勧告されています。
その他の全身療法選択肢
ニロガセスタット以外にも、以下の選択肢が状況に応じて使い分けられます:
- ➤チロシンキナーゼ阻害薬(TKIs):ソラフェニブ・パゾパニブ・イマチニブなど。血管新生阻害を介した腫瘍縮小(奏効率約20〜30%)。経口投与可能だが高血圧・手足症候群・疲労感などの慢性毒性管理が必要。
- ➤細胞障害性化学療法:リポソーム化ドキソルビシン・従来型ドキソルビシン・ダカルバジン・メトトレキサート+ビンブラスチン併用など。Stage IVや「臓器危機」状況での即効性に期待。アントラサイクリン系の心毒性に注意。
- ➤抗エストロゲン薬・NSAIDs:タモキシフェン、ラロキシフェン、スリンダク、セレコキシブなど。歴史的に長く使われたが、現在は積極的腫瘍縮小治療というより、対症療法や強力薬への「橋渡し」としての補助的役割に。
- ➤局所療法:ドキソルビシン溶出性塞栓術(DEE)・凍結療法(Cryoablation)・高密度焦点式超音波(HIFU)など。全身療法不応例や巨大腫瘍に対する低侵襲な選択肢。なお放射線療法は二次発癌リスクがあるためFAP患者では原則禁忌です。
最終救済オプション:小腸移植
すべての治療が奏効せず、進行Stage IVの巨大腸間膜デスモイドが上腸間膜動静脈や小腸全体を広範に巻き込み、外科的切除が完全に不可能(unresectable)となった末期症例には、究極の救済オプションとして小腸移植または腹腔内多臓器移植が検討されることがあります。永久的な経静脈栄養(TPN)依存からの脱却と長期生存の機会を与える唯一の手段ですが、移植委員会による厳格な適応判断と、生涯にわたる免疫抑制管理が必要です。
9. 遺伝カウンセリングと臨床遺伝専門医からのメッセージ
HDDの確定診断後、家族への丁寧な遺伝カウンセリングが必要です。常染色体顕性遺伝の疾患であり、患者本人が子どもを持つ場合の遺伝確率は理論上50%です。次子の出生前診断については、単一遺伝子疾患の出生前診断の選択肢も含めて、臨床遺伝専門医との相談が推奨されます。
よくある質問(FAQ)
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関連記事
参考文献
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