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歩いているうちに足がつっぱる、階段がのぼりにくい、つま先が引っかかる。そんな症状が年単位でゆっくり進むとき、その背景にSPAST遺伝子の変化が隠れていることがあります。SPAST遺伝子は、細胞の中で「線路」の役目をする微小管を切りそろえる酵素スパスチンの設計図です。この遺伝子に変化が起きると、脳から足まで伸びるとても長い神経が少しずつ傷み、遺伝性痙性対麻痺4型(SPG4)という病気が起こります。この記事では、SPAST遺伝子とスパスチンの働き、なぜ足から症状が出るのか、遺伝の仕方、そして血液バイオマーカーや遺伝子治療といった最新の話題までを、遺伝専門医の視点でやさしく解説します。
🧬 SPAST遺伝子の基本情報
各項目の根拠と詳しい解説は、本文の該当セクションをご覧ください。
1. SPAST遺伝子とは ─ 神経の「線路」を整える酵素の設計図
SPAST遺伝子は、第2染色体の短腕、くわしくは 2p22.3 という場所にある遺伝子です。この遺伝子は、細胞の中ではたらく酵素「スパスチン」の設計図になっています。スパスチンは、616個のアミノ酸がつながった約67 kDaのタンパク質で、ATP(細胞のエネルギー通貨)を分解しながらさまざまな仕事をこなすAAA型ATPaseと呼ばれるファミリーの一員です[3]。
スパスチンの一番大切な仕事は、細胞の中に張りめぐらされた微小管を切りそろえることです。微小管は、細胞の形をささえる骨組みであり、同時に、栄養や小さな袋(小胞)を運ぶための「線路」でもあります。とくに神経細胞では、細胞の本体から手足の先まで、とても長い軸索という一本道が伸びていて、その中を絶えず荷物が行き来しています。この線路を適切な長さに切りそろえ、本数を調整し、必要な場所へ配り直すのがスパスチンの役目です[3]。
💡 用語解説:微小管とはなにか
微小管は、チューブリンというタンパク質がストローのように積み重なってできた細い管です。細胞の骨組み(細胞骨格)であると同時に、モーターとなるタンパク質が荷物を積んで走る「レール」の役目もします。神経細胞では、この上をキネシンやダイニンといったモーターが荷物を運んでいます。レールが乱れると、遠くまで荷物が届かなくなります。
SPAST遺伝子は、体のさまざまな組織ではたらいていますが、とりわけ脳や脊髄などの中枢神経系で安定して使われています。マウスなどの動物でも似たような遺伝子(オルソログ)が保たれており、この酵素の基本的な役目が哺乳類全般で共通していることがわかっています[3]。長い進化の中で大切に守られてきたということは、それだけ生命の営みに欠かせないはたらきをしている証拠でもあります。
2. スパスチンの働き ─ 切るだけでなく「増やす」酵素
スパスチンには、はたらくために大切な3つの部品(ドメイン)があります。ひとつめは他のタンパク質とつながるMITドメイン、ふたつめは微小管にくっつくMTBDドメイン、みっつめはATPのエネルギーで力を生み出すAAAドメインです[3]。スパスチンは6個集まってドーナツのようなリング状の構造をつくり、その中心の穴にチューブリンの端をたぐり込んで、微小管を機械的に引きちぎるように切断します[3]。
長いあいだ、スパスチンによる微小管切断は「壊すこと」だと考えられてきました。ところが近年の研究で、この見方は大きく変わりました。スパスチンは微小管を短く切るだけでなく、切った断片を新しい微小管が育つ「種」として使えるようにすることで、結果的に細胞内の微小管の本数と総量を増やすはたらきを持つことがわかってきたのです。切ることで、かえって増える。この一見矛盾したはたらきが、神経突起の枝分かれや軸索の成長、荷物を運ぶ道すじづくりに重要な役割を果たしています[3]。
スパスチンの仕事は微小管まわりだけにとどまりません。細胞分裂の最後、2つの細胞が切り離される場面や、分裂後に核を包む膜を作り直す場面では、スパスチンのMITドメインがESCRT-IIIのCHMP1BやIST1と結合し、膜と微小管のダイナミクスを連携させます。CHMP1BとIST1からなるESCRT-IIIは膜チューブをらせん状に覆って強くくびれさせ、スパスチンはMITドメインを介して同じ部位へ動員されます。ただし、スパスチン自身が膜を切断する力を生み出すわけではありません。再構成実験では、ESCRT-IIIによってくびれた膜チューブに外部から伸張力が加わることで、膜とESCRT-IIIの摩擦を利用した摩擦主導型膜切断(friction-driven scission)が起こり、この膜切断自体はスパスチンがなくても成立することが示されています[9]。

図は、ESCRT-IIIとスパスチンの役割を3段階に分けて示しています。まずCHMP1B・IST1からなるESCRT-IIIが膜チューブを取り囲んで強いくびれを形成します。次にスパスチンがMITドメインを介してESCRT-IIIに結合し、同じ部位へ集まります。そして外部から膜を引き伸ばす機械的な力が加わると、くびれた膜とESCRT-IIIとの摩擦が利用され、膜が切断されます。重要なのは、スパスチンはESCRT-IIIと結合して膜・微小管系を連携させますが、図の最終段階の膜切断そのものに必須ではない、という点です[9]。
💡 用語解説:AAA型ATPaseとカタニン
AAA型ATPaseは、ATPを分解して得たエネルギーを「機械的な力」に変える一群の酵素です。スパスチンはこの仲間で、力を使って微小管を引きちぎります。よく似た働きをする酵素にカタニンがあり、こちらも微小管切断酵素として知られています。スパスチンとカタニンは、細胞骨格のダイナミクス(動的なつくり変え)を分担していると考えられています。
さらにスパスチンは、細胞の中で膜の袋をつくる小胞体(ER)の形づくりにも関わります。同じく遺伝性痙性対麻痺の原因となるATL1遺伝子がつくるアトラスチン-1や、REEP1というタンパク質と協力して、小胞体の網目構造と微小管ネットワークを連動させ、細胞内の輸送インフラを組み立てています[8]。加えて、栄養が乏しいときには脂質を貯める脂質滴(LD)の分散にも関わり、脂質のバランスを保つ役目も担っています[10]。つまりスパスチンは、微小管と膜の両方を扱う「二役こなす」酵素なのです。
3. 2つのアイソフォーム ─ 長いM1型と短いM87型
SPAST遺伝子のいちばん興味深い特徴は、ひとつの遺伝子から2種類のスパスチンがつくられることです。翻訳(設計図からタンパク質をつくる作業)を始める場所が2か所あり、最初の場所から始めると長いM1型(68 kDa)が、2番目の場所から始めると短いM87型(60 kDa)ができます[3]。この2つは、同じ遺伝子から生まれる兄弟のような関係でありながら、性格がかなり違います。
💡 用語解説:アイソフォームとは
アイソフォームとは、同じ遺伝子から少しずつ違う形でつくられるタンパク質の「バリエーション」のことです。翻訳を始める場所が違ったり、途中の部品(エクソン)の使い方が違ったりすることで生まれます。M1型とM87型は、翻訳開始点が違うことで生まれるアイソフォームで、体の中での居場所や役割が使い分けられています。
短いM87型は、体のほぼすべての組織にたくさんあり、細胞質やエンドソーム膜のまわりで、強力な微小管切断酵素としてはたらきます[3]。いわば「日常の主力選手」です。一方、長いM1型は、M87型にはない先頭の86アミノ酸を持っています。この先頭部分には水になじみにくい(疎水性の)構造が含まれていて、これがアンカー(いかり)となって、M1型は小胞体の膜や脂質滴の膜に直接もぐり込みます[3][10]。
重要なのは、この2つの「居場所」の違いです。M87型が全身の神経・非神経組織に豊富に存在するのに対し、M1型はM87型より発現量が少なく、特に成人の中枢神経系、なかでも脊髄で検出されやすいことが知られています[3]。M1型の翻訳開始点まわりの配列(コザック配列)は弱く、そのため作られる量はもともと厳しく低く抑えられています[3]。この「中枢神経系に片寄った発現」が、後で説明するSPG4という病気で、なぜ皮質脊髄路という特定の神経が傷みやすいのかを考える重要な鍵になります。

図では、M1型とM87型の構造と細胞内での居場所の違いを示しています。両者はMIT、MTBD、AAAという主要な機能ドメインを共有していますが、M1型だけはN末端に約86アミノ酸の追加領域を持ち、その中の疎水性ヘアピン構造が膜アンカーとして働きます。このためM1型は小胞体膜や脂質滴の膜に挿入される一方、M87型は主に細胞質で微小管に作用します。この構造上の違いが、2つのアイソフォームの局在や病態への関与の違いにつながります[3][10]。
🧬 ひとつの遺伝子から2つのスパスチン
長いM1型スパスチン
MIT
MTBD
AAA
M87型より量が少なく、成人中枢神経系、とくに脊髄で検出されやすい。小胞体や脂質滴の膜にもぐり込む。一部の変異では蓄積しやすく強い毒性を示す。
短いM87型スパスチン
MTBD
AAA
神経・非神経組織に広く豊富に存在する主力の切断酵素。主に細胞質ではたらき、先頭の膜アンカー部分を持たない。
4. SPG4という病気 ─ 遺伝性痙性対麻痺のいちばん多い型
SPAST遺伝子に変化が起きると、遺伝性痙性対麻痺4型(SPG4、SPAST-HSP)という病気が起こります。遺伝性痙性対麻痺(HSP)は、脳から足へ信号を送る長い神経が少しずつ傷むことで、足のつっぱり(痙縮)と歩きにくさが年単位でゆっくり進む、遺伝性の病気のグループです。80をこえる原因遺伝子が知られていますが、そのなかでSPAST遺伝子の変化によるSPG4は、常染色体顕性(優性)の純粋型HSPの約40%を占め、最も多い型です[19]。
主な症状は、両足のつっぱりと、じわじわ進む歩行の障害です。半数以上の方に足の軽い筋力低下と、足首での振動を感じにくくなる感覚の変化がみられます。膀胱のはたらきの乱れ(尿が近い、我慢しにくいなど)を伴うこともよくあります[19]。多くは足の症状に限られる「純粋型」ですが、一部には知的な発達やその他の神経症状を伴う「複合型(複雑型)」もあります。
💡 用語解説:痙性対麻痺と純粋型・複合型
「痙性」とは、筋肉が意思とは関係なくつっぱってこわばる状態のこと。「対麻痺」は両足の運動が障害されることです。HSPは、足の症状だけの「純粋型」と、知的障害・てんかん・失調・末梢神経障害などを伴う「複合型(複雑型)」に分けられます。SPG4はもともと純粋型の代表とされてきましたが、後述のように複合型もあることがわかってきています。
発症する年齢はとても幅広く、1歳ごろから70歳代まで報告があります。同じ変異を持つ家族の中でも、発症年齢や症状の重さ、進み方が大きく異なることが知られています[19]。この「家族の中でのばらつき」は遺伝カウンセリングでも大切なポイントで、たとえ同じ遺伝子変化を受け継いでいても、症状の現れ方は一人ひとり違いうるということを意味します。
院長コラム:「診断名がつくまで」の長い道のり
SPG4は進行がゆっくりで、初期には「なんとなく歩きにくい」「疲れやすい」といった漠然とした訴えから始まることが少なくありません。他の病気と間違われて、正しい診断までに時間がかかることもあります。家族に似た歩き方の方がいる、あるいは若い頃から足のつっぱりを自覚していた、という手がかりが、診断への大切な糸口になることがあります。臨床遺伝専門医の立場からは、症状そのものだけでなく、ご家族の歩みも含めて全体像をていねいに拾い上げることを大切にしています。
5. なぜ足から悪くなるのか ─ 病態のしくみ
SPG4では、脳の運動野から脊髄へと下っていく、体のなかでもとりわけ長い神経(皮質脊髄路、上位運動ニューロン)が、末端から手前へ向かってゆっくり傷んでいきます。これをダイバック変性と呼びます。脳から足の先まで届く神経は最も長いため、線路(微小管)や荷物運びに少しでも支障が出ると、まっ先に末端でトラブルが起きるのです[3]。これが「足から悪くなる」理由の基本です。
ハプロ不全 ─ 酵素が半分になる
SPAST遺伝子の変異の多くは、タンパク質を途中で終わらせてしまうタイプ(ナンセンス変異やフレームシフト変異)です。こうした変異では、できかけの異常なmRNAがナンセンス変異依存mRNA分解(NMD)というしくみで壊されたり、短くできたタンパク質が不安定で分解されたりします。その結果、はたらけるスパスチンの量がおよそ半分に減ります。これをハプロ不全と呼びます[3]。微小管を切る力が足りなくなることが、軸索の中の荷物運びや小器官の配置の乱れにつながる、基礎的な原因の一つです[2]。
💡 用語解説:ハプロ不全とNMD
遺伝子は父由来と母由来の2つのコピーを持っています。ハプロ不全とは、片方のコピーが働かなくなり、タンパク質が半分しか作られないために症状が出る状態です。NMD(ナンセンス変異依存mRNA分解)は、途中で切れた異常なmRNAを細胞が見つけて壊す品質管理のしくみです。壊すことで異常なタンパク質を防ぐ一方、結果として作られる量が半分に減ることになります。
優性阻害効果 ─ 1つの変異が全体の足を引っぱる
スパスチンは6個集まってリングをつくってはたらくため、たとえ半分が正常でも、変異したスパスチンが混じり込むとリング全体の機能が損なわれることがあります。これを優性阻害効果(ドミナントネガティブ効果)と呼びます。ある大家系の研究では、特定のスプライス部位変異によるスパスチンが、正常なスパスチンの微小管切断を強く邪魔し、微小管の上に異常にはりつくことが示されました[5]。これは、単なる量の不足(ハプロ不全)だけでは説明できない障害が起こりうることを意味します。
M1型の毒性 ─ 近年の大きな発見
SPG4の病態を理解するうえで重要になっているのが、「アイソフォームごとに異なる毒性」という考え方です。少なくとも一部のトランケーション変異では、対応する短いM87型よりも長いM1型変異タンパク質のほうが細胞内に蓄積しやすく、強い毒性を示すことが報告されています[2]。
通常、正常なM1型は翻訳効率が低く、細胞内に大量には蓄積しません。ところが、途中で切れるタイプの変異(たとえばN184XやS245Xなど)によって生じた変異M1型は、対応するM87型より分解を免れて高いレベルで蓄積することがあります[2]。また、変異スパスチンには微小管ダイナミクスを乱すものがあり[4]、さらに変異M1型はカゼインキナーゼ2(CK2)を異常に活性化し、急速軸索輸送(fast axonal transport)を障害することが示されています[7]。この「変異M1型の蓄積 → CK2活性化 → 軸索輸送障害」という経路は、長大な皮質脊髄路がSPG4でとくに傷みやすい理由を説明する重要な病態メカニズムの一つと考えられています。
🔬 SPG4で足が悪くなるまでの流れ
6. 変異のタイプと症状のつながり
SPG4は同じ遺伝子が原因でも、症状の現れ方に大きな幅があります。近年の大規模な自然歴研究によって、変異の「タイプ」と「場所」が、患者さんのその後の経過を予測する強い手がかりになることがわかってきました[12]。大きく分けると、次の2つの流れがあります。
ミスセンス変異 ─ 早期発症・進行が速い傾向
スパスチンの中心部、とくに力を生み出すAAAドメインの大切な場所に起きるミスセンス変異は、発症する年齢が低く(多くは10歳未満)、進行も速い傾向があります[12]。早い時期に運動の発達がゆっくりになったり、歩く力が急速に失われたりすることがあります。興味深いことに、こうした早期発症型のミスセンス変異の多くは親から受け継いだものではなく、新生突然変異(de novo)として本人に初めて起きたものであることが報告されています[12]。よく知られた例に、c.1496G>A(p.Arg499His)というAAAドメイン内の変異があり、早期発症の複合型と関連することが報告されています。
💡 用語解説:変異のタイプと新生突然変異
ミスセンス変異はアミノ酸が1つ別のものに置き換わる変異、ナンセンス変異はタンパク質を途中で終わらせる変異、フレームシフト変異は読み枠がずれる変異です。新生突然変異(de novo)は、親には無く、その子に初めて生じた変異のこと。親が保因者でなくても、子に発症しうる点が遺伝カウンセリングで大切になります。
トランケーション変異 ─ 成人発症・純粋型が多い傾向
一方、タンパク質を途中で切ってしまうタイプの変異(ナンセンス変異・フレームシフト変異・スプライス部位変異)を家族性に受け継いだ場合は、発症が遅く(典型的には成人期以降)、進行もゆるやかな傾向があります。これらは主にハプロ不全のしくみで起こり、足のつっぱりを中心とした比較的「純粋」な型を示すことが多いとされます[11]。フランスを中心とした大規模研究では、女性の浸透率が男性よりやや低い一方、症状が出た場合には上肢の障害を含むより広い症状を示す傾向があることも報告されています[11]。
🔎 スプライス部位の変異にも注意
SPAST遺伝子では、遺伝子の設計図を切り貼りする「スプライシング」の部位に起きる変異も知られています。なかには本来使わないクリプティックスプライス部位(潜在的スプライス部位)が使われてしまい、異常なタンパク質ができるものもあります。こうした変異は、家系の中で症状のばらつき(不完全な浸透率)を生むことがあります。
複合型と神経発達 ─ 広がる症状のスペクトラム
古くはSPG4は純粋な運動障害と考えられてきましたが、一部の患者さんでは知的障害や認知機能の低下、末梢神経の障害などを伴う複合型を示すことが報告されています。さらに小児科領域の近年の報告では、早期の運動の遅れに加えて、自閉スペクトラム症(ASD)や重い全体的発達の遅れを伴う、新生突然変異によるSPASTミスセンス変異の症例が報告されています[13]。これは、スパスチンが皮質脊髄路の維持だけでなく、神経突起の伸びやシナプス形成といった、脳の初期の発達や神経回路づくりにも欠かせない役目を担っている可能性を示すものです[13]。
7. 診断と検査 ─ 遺伝学的検査の実際
SPG4の診断は、神経学的な診察、家族歴の聞き取り、MRIなどの画像検査、そして遺伝学的検査を組み合わせて進められます[19]。常染色体顕性の純粋型HSPを疑ったとき、SPASTは最も頻度が高いため、最初に、そして最も重点的に調べる遺伝子とされています[19]。
ここで大切なのが、検査の方法の使い分けです。SPAST遺伝子の変異には、1文字レベルの小さな変化だけでなく、エクソン単位の大きな欠失(大きく抜け落ちる変化)も少なくありません。こうした大きな欠失は、通常の塩基配列解析(シークエンス)だけでは見逃されることがあり、点変異が見つからない症例の相当な割合を占めることが報告されています。そのため、シークエンスに加えてMLPA(多重ライゲーション依存プローブ増幅法)などの、遺伝子のコピー数の増減を調べる検査を組み合わせることが重要とされています[19]。
💡 用語解説:MLPAとは
MLPA(多重ライゲーション依存プローブ増幅法)は、遺伝子の一部が「まるごと抜けている(欠失)」または「余分にある(重複)」といった、コピー数の増減を調べる検査です。1文字ずつ読むシークエンスでは見つけにくい、大きな欠失を捉えるのが得意です。SPAST遺伝子は大きな欠失が比較的多いため、シークエンスとMLPAを組み合わせることが診断の精度を高めます。
遺伝性痙性対麻痺は原因遺伝子が非常に多いため、症状だけで型を見分けるのは簡単ではありません。近年は、複数の関連遺伝子を一度に調べる次世代シークエンス(NGS)のパネル検査も広く使われるようになっています。当院でも、遺伝性痙性対麻痺(HSP)遺伝子検査パネルを取り扱っており、SPASTを含む複数の原因遺伝子をまとめて調べることができます。
院長コラム:検査の前に、いっしょに整理すること
遺伝学的検査は、結果が本人やご家族にとって大きな意味を持つことがあります。だからこそ、検査を受ける前に、この検査で何がわかり何がわからないのか、結果が出たときにどんな選択肢があるのか、といった点をいっしょに整理しておくことを大切にしています。SPG4は常染色体顕性遺伝であり、お子さんへ受け継がれる可能性や、新生突然変異の場合の考え方など、家族計画に関わる情報も含まれます。当院では、こうした話し合い(遺伝カウンセリング)を臨床遺伝専門医が行います。決めるのはご本人であり、私たちは中立の立場で判断材料を整えるお手伝いをします。
8. バイオマーカーNfL ─ 神経の傷みを血液で測る
これから治療薬の開発を進めるうえで、大きな壁になっていたのが、客観的で信頼できる「体液バイオマーカー」がなかったことです。今、神経の軸索が傷んだときに血液中へ漏れ出るニューロフィラメント軽鎖(NfL)が、SPG4の有望なバイオマーカーとして研究されています[14]。
💡 用語解説:バイオマーカーとNfL
バイオマーカーとは、病気の状態を客観的に映し出す「目印」のこと。ニューロフィラメント軽鎖(NfL)は神経細胞の骨組みの部品で、神経が傷つくと血液や髄液に漏れ出ます。超高感度な測定法(Simoa)で少量でも測れるようになり、さまざまな神経の病気で軸索の傷みを反映する指標として注目されています。
複数の研究で、SPG4の患者さんの血清NfLは、年齢・性別をそろえた健康な人と比べて有意に高いことが一貫して確認されています[14]。とくに若い年代や病気の初期に、健康な人との差が最も大きくなり、年齢が上がるにつれてその差は縮まる傾向があることが示されました[14]。一方、1〜2年の追跡では、SPG4の患者さんのNfLはかなり安定していて、症状の重さや進行の度合いとは直接には相関しませんでした[14]。小児のSPG4を対象とした研究でも、発症からの期間が短い若い被験者ほど、血漿NfLが高い傾向が確認されています[16]。
この「安定しすぎている」という性質は、少し意外に思えるかもしれません。年単位のゆっくりした進行を追いかける指標としては、NfLは変化が乏しいのです。しかしそれは裏を返せば、治療によって軸索の傷みが抑えられたかどうかを見る「薬の効きめの指標」としては大きな価値を持つ、ということでもあります[14]。とくに、変化が起きやすい若い患者さんで早めに治療を始めた場合、NfLの低下は治療反応を捉える有望な手がかりになると期待されています[14]。なお、似た症状を示す一次進行型多発性硬化症(PPMS)との比較では、PPMSのほうがNfLが高い傾向がありますが、個人レベルでは値が重なり合うため、診断上の見分けには限界があります[15]。
9. 治療と遺伝子治療 ─ 対症療法から根本治療へ
これまでSPG4の治療は、症状をやわらげる対症療法が中心でした。足のつっぱりを抑える抗痙縮薬(バクロフェンなど)、局所へのボツリヌス毒素注射、アキレス腱の延長術、そして筋肉を伸ばして拘縮を防ぐ理学療法などです[19]。これらは大切な支えですが、病気の進行そのものを止めるものではありません。
近年、遺伝学的な基盤と分子レベルの病態が詳しくわかってきたことで、病気の根本原因にアプローチする疾患修飾療法の開発が、これまでにないスピードで進んでいます。
サイレンス・アンド・リプレイス遺伝子治療
SPG4の病態には、「タンパク質不足(ハプロ不全)」と「変異M1型の毒性のたまり込み」の両方が関わっています。そのため、ただ正常なSPAST遺伝子を足すだけでは、スパスチンが増えすぎてかえって毒になるおそれがあります。実際、スパスチンは微小管を切る酵素なので、増えすぎると微小管を壊して細胞を傷めてしまうのです[17]。
このジレンマを解くために考え出されたのが「サイレンス・アンド・リプレイス(消して、置き換える)」という戦略です。まず、内因性の変異SPAST遺伝子の発現をマイクロRNAで抑えて毒性を取り除き、同時に、健康な正常SPAST遺伝子を適切な量だけ補って置き換える、というものです[17]。この方法はAAVベクターという運び屋を使ってSPG4のマウスモデルに届けられ、皮質脊髄路の変性と歩行の異常の進行を防いだことが報告されています[17]。ただし、ヒトで確立した治療ではなく、適切な発現量や送達方法を含めて前臨床での検証が続けられています。
💡 用語解説:遺伝子治療とAAVベクター
遺伝子治療は、症状ではなく遺伝子そのものにはたらきかけて病気を治そうとする治療です。AAVベクターは、病原性を取り除いたウイルスを「運び屋」として使い、治療用の遺伝子を細胞に届ける道具です。近年、脳や神経への届けやすさを高めた改良型のカプシド(外殻)が開発されており、より体への負担が少ない投与法が模索されています。
ASOと低分子化合物という別の道
遺伝子治療と並行して、他の精密なアプローチも進んでいます。ひとつはアンチセンスオリゴヌクレオチド(ASO)です。ASOは、標的RNAに相補的に結合し、その分解やスプライシングなどを制御できる技術です。SPG4では変異SPAST RNAや病的経路を標的とする治療戦略として研究されていますが、現時点では前臨床開発の段階です。
もうひとつが低分子化合物です。SPG4の患者さん由来のiPS細胞から作った皮質運動ニューロンを多く含む脳オルガノイドを使った研究で、SPG4ではHDAC6に関連する微小管脱アセチル化の異常と軸索病理が示されました[18]。HDAC6を阻害すると微小管のアセチル化や軸索病理が改善することが、患者由来オルガノイドおよび動物モデルで示されており、HDAC6は治療標的候補として注目されています[18]。
これらの治療はいずれも研究・開発の段階にあり、現時点で確立した治療として一般に使えるものではありません。しかし、基礎的な分子生物学の解明が、対症療法から根本原因にせまる精密な治療へと、着実に道を開きつつあります。体質や神経の症状に遺伝的な背景が気になる方は、遺伝性痙性対麻痺(HSP)遺伝子検査パネルや遺伝カウンセリングについて、臨床遺伝専門医にご相談いただけます。
10. よくある誤解
誤解①「原因は酵素不足だけ」
SPG4は長らくハプロ不全(酵素が半分になること)で説明されてきましたが、それだけでは説明しきれません。変異したタンパク質そのものの毒性や、正常なものの足を引っぱる優性阻害効果も重要な役割を果たします。
誤解②「必ず親から遺伝している」
多くは家族性に受け継がれますが、とくに早期発症の重い型では、親には無く本人に初めて生じた新生突然変異(de novo)のことがあります。家族歴が無くても発症しうる点が大切です。
誤解③「純粋に足だけの病気」
SPG4は純粋型が多いものの、一部には認知機能の低下や、小児では自閉スペクトラム症・発達の遅れを伴う複合型もあります。症状の幅は思われていたより広いことがわかってきています。
誤解④「遺伝子治療がもう受けられる」
サイレンス・アンド・リプレイスやASOは有望ですが、得られているのは主に動物モデルや細胞・オルガノイドでの成果です。ヒトで確立した治療として使える段階ではなく、研究・開発の途上にあります。
よくある質問(FAQ)
🏥 遺伝性痙性対麻痺・SPG4のご相談
足のつっぱりや歩きにくさの遺伝的な背景についての
遺伝子検査と遺伝カウンセリングは
臨床遺伝専門医が在籍するミネルバクリニックにご相談ください。
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