目次
📍 クイックナビゲーション
CD96(別名:TACTILE)は、1992年にT細胞の後期活性化マーカーとして見つかりながら、長らく役割がよくわからないままだった遺伝子です[1]。ところが近年、CTLA-4・PD-1に続く「次世代の免疫チェックポイント候補」として一気に注目を集めています。CD96はNK細胞やCD8陽性T細胞(キラーT細胞)にあらわれ、共通の相手役CD155をめぐってTIGITやCD226と競合し、免疫応答を調節します。CD96は多くのマウス腫瘍モデルでは抑制性に働きますが、ヒトでは活性化作用を示す報告もあり、機能は文脈依存です[1]。いっぽう急性骨髄性白血病(AML)では、正常造血幹細胞では発現が低く、AMLの白血病幹細胞に高発現することが多い目印にもなる、二つの顔をもつ分子です[4]。この記事では、CD96のしくみから、がん免疫・白血病・自己免疫での役割、そして生まれる前の検査(NIPT)や遺伝子検査で何がわかるのかまでを、臨床遺伝専門医が医学的根拠に基づいて解説します。
🧬Q. CD96遺伝子とはどんな遺伝子ですか?
NK細胞やキラーT細胞の表面にある免疫調節受容体の設計図です。多くの前臨床研究では抑制性免疫チェックポイントとして働くことが示されていますが、ヒトでは活性化作用を示す報告もあり、機能は一様ではありません。いっぽうで急性骨髄性白血病(AML)では、白血病幹細胞を正常造血幹細胞から区別する候補マーカーにもなります。
💊Q. どんな治療につながりますか?
CD96を阻害して抗腫瘍免疫を高めることを目指すがん免疫療法と、AMLの白血病幹細胞だけをねらうCAR-T細胞療法の二方向で開発が進んでいます。TIGITとCD96を同時にねらう二重特異性抗体BMS-986442が臨床試験中です。
🌸Q. 生まれる前の検査(NIPT)で調べられますか?
CD96は、当院の単一遺伝子まで調べるNIPT(ダイヤモンドプラン・インペリアルプラン)の対象遺伝子リストに名前が含まれています。ただしCD96は主にがん免疫・白血病で研究されている遺伝子で、特定の生まれつきの病気の出生前スクリーニングとして案内できるかは、検査時点の対象バリアント・報告仕様の確認が必要です。詳しくは遺伝カウンセリングでご説明します。
1. CD96遺伝子とは:発見の歴史と基礎知識
CD96遺伝子は、1992年にT細胞が活性化したあと少し遅れてあらわれてくる抗原として見つかり、その特徴から「TACTILE(T cell activation, increased late expression)」と名づけられました[1]。当初から急性白血病のタイプを見分ける目印として注目されていたものの、その後10年以上、くわしい役割はほとんど研究されないまま置かれていました。分子生物学の世界では、名前はついているのに何をしているのかがわからない、という遺伝子は決して珍しくありません。CD96もそのような遺伝子の一つでした。
流れが変わったのは、もともとポリオウイルスの入り口(受容体)として知られていたCD155という分子が、CD96の結合相手(リガンド)だと判明したことがきっかけです[1]。これによって、CD96が細胞どうしのくっつき合い(接着)や免疫の調整で大事な役割を担っていることが見直され、「次世代の免疫チェックポイント」としての研究が一気に加速しました。臨床遺伝学・腫瘍学の文献を踏まえると、発見当初には機能が十分にわからなかった分子が、その後の研究によって治療標的候補として再評価されることがあります。CD96もその一例であり、ヒトとマウスで機能が必ずしも一致しない点を含め、継続的な検証が必要な分子です。
💡 用語解説:免疫チェックポイントとは
免疫チェックポイントとは、免疫細胞が働きすぎて自分の体を傷つけないように備わっている「ブレーキ」のしくみのことです。ふだんは大切な安全装置ですが、がん細胞はこのブレーキを悪用して、免疫の攻撃から逃げてしまいます。そこで、このブレーキを外して免疫の攻撃力を取り戻すのが、免疫チェックポイント阻害薬という新しいタイプのがん治療薬です。CD96は、すでに治療標的となっているPD-1・CTLA-4に続く免疫チェックポイント候補として研究されています。
💡 用語解説:NK細胞(ナチュラルキラー細胞)とは
NK細胞は、血液中のリンパ球の約15%を占める、生まれつき備わった免疫の担い手です。「事前の準備なしで、がん細胞やウイルスに感染した細胞をその場で見つけて壊せる」のが特長で、免疫の「初動部隊」のような存在です。CD96はこのNK細胞のほか、キラーT細胞(CD8陽性T細胞)にもあらわれています。
健康な状態では、CD96は主に血液からつくられる細胞にかぎってあらわれます。とくにNK細胞・キラーT細胞(CD8陽性T細胞)・ヘルパーT細胞(CD4陽性T細胞)の表面にあらわれ、活性化したT細胞やNK細胞が血管を通り抜けて炎症のある場所や病変組織へ移動し、標的の細胞にくっつくときのやりとりにも関わっていると考えられています[1]。この「くっつく」働きに関わる分子としては、インテグリンなどが有名ですが、CD96も接着に一役買っている点が、この分子のもう一つの顔です。
2. CD96の分子構造とアイソフォームの多様性
🔍 関連用語:選択的スプライシングとは/アイソフォームとは/Ig様ドメインとは
CD96遺伝子がつくるタンパク質は、抗体(免疫グロブリン)とよく似た形をもつ「免疫グロブリンスーパーファミリー」に属する、細胞膜を1回貫く糖タンパク質です[14]。同じ設計図(遺伝子)から、切り貼り(選択的スプライシング)の違いによって、長さや配列がすこしずつ異なる複数のバリエーションがつくられます。NCBIでは選択的スプライシングによる複数の転写産物が登録されています。いっぽう、UniProtKBのレビュー済みエントリーP40200では2種類のアイソフォームが記載されています[13][14]。
💡 用語解説:アイソフォームとは
アイソフォームとは、同じ遺伝子からつくられるのに、mRNAの切り貼りの違いで生まれる、少しずつ形の違う複数のタンパク質のことです。同じ「CD96」でも、アイソフォームが違うと、相手役(リガンド)へのくっつきやすさや、細胞の中へ伝えるシグナルの強さが変わることがあります。CD96がヒトとマウスで少し違う性質を見せる一因も、このアイソフォームの違いにあると考えられています。
| エントリー名 | 長さ(アミノ酸) | 備考 |
|---|---|---|
| TACT_HUMAN(P40200) | 585 aa | 主要な長鎖アイソフォーム |
| Q8WUE2_HUMAN | 402 aa | UniProtKB/TrEMBLの未レビュー配列 |
| F8WDV3_HUMAN | 118 aa | UniProtKB/TrEMBLの未レビュー短鎖配列 |
| H7C4F0_HUMAN | 146 aa | UniProtKB/TrEMBLの未レビュー配列 |
| E9PEJ1_HUMAN | 568 aa | UniProtKB/TrEMBLの未レビュー配列 |
出典:UniProtKB(ヒトCD96関連エントリー。レビュー済みP40200は2アイソフォームを記載)[14]
💡 用語解説:ITIM(抑制のスイッチ配列)とは
ITIM(アイティム)とは、受容体の細胞内側にある特定のアミノ酸配列で、ここが化学的な目印(リン酸化)を受けると、免疫に「抑制(ブレーキ)」の信号が伝わります。TIGITなどの抑制性受容体ではITIMが重要な役割をもちます。CD96の細胞内領域にはITIM様モチーフがあり、さらにヒトCD96にはYXXMモチーフも存在します。このため、CD96は抑制性に働く報告が多い一方、ヒトでは活性化シグナルを伝える可能性も報告されており、細胞内シグナルの位置づけは完全には確立していません[16]。
構造の解析からは、CD96のいちばん外側にある第1のIg様ドメインが、相手役CD155とくっつく主要な部分だとわかっています[1]。また、くっつき方は単純な1対1ではなく、複数の分子が空間的にクラスター(かたまり)をつくることでシグナルが伝わる、動的で立体的なしくみだと考えられています。ここは受容体のシグナル伝達の奥深さを示す部分で、薬を設計するうえでも重要なポイントになります。
3. CD226・TIGIT・CD96:3つの受容体が相手役を取り合うしくみ
CD96の働きを理解するうえで欠かせないのが、共通の相手役CD155をめぐる「取り合い」です。CD96は、アクセル役(活性化)のCD226(DNAM-1)、ブレーキ役(抑制)のTIGIT、さらにCD112R(PVRIG)とともに、「CD226軸」と呼ばれるチームを組んでいます[5]。これは、すでに薬になっているCD28/CTLA-4の関係とよく似た「同じ相手役を、アクセルとブレーキで奪い合う」構図です[2]。
💡 用語解説:CD155(相手役の分子)とは
もともとポリオウイルスが細胞に入り込むときの入り口として見つかった分子です(正式名称:CD155)。抗原提示細胞などに広くあらわれているほか、頭頸部がん・メラノーマ・大腸がん・肺がん・脳腫瘍など、さまざまな固形がんの表面で強くあらわれます。がん細胞がCD155をたくさん出すことで、CD96やTIGITへの「ブレーキ信号」を強め、免疫細胞を疲れさせる——これが、がんが免疫から逃げる主要なしくみの一つです。
T細胞・NK細胞の上にあるCD226・CD96・TIGITは、がん細胞の上の共通の相手役CD155を、それぞれ違う「くっつきやすさ」で取り合う。TIGITとCD96は強くくっついてブレーキ信号を送るいっぽう、アクセル役のCD226はくっつく力が弱く、がんのまわりでは働きが押さえ込まれてしまう。
CD155への「くっつきやすさ」には序列がある
このチームでいちばん大切なのは、3つの受容体でCD155への「くっつきやすさ(親和性)」にはっきりした差があることです。TIGITがいちばん強く、次いでCD96が中くらい、アクセル役のCD226がいちばん弱いという序列です[2]。
CD155への「くっつきやすさ」くらべ(強い → 弱い)
がんのまわりでCD155がたくさんあると、くっつきやすいTIGITとCD96が先に相手役をおさえてしまい、アクセル役のCD226は物理的にも機能的にもくっつけなくなる。結果として、免疫細胞への入力は「アクセル」から「ブレーキ」へ傾く。
💡 用語解説:TIGITとは
TIGIT(タイジット)は、NK細胞・キラーT細胞・制御性T細胞(Treg)にあらわれるブレーキ役の受容体です。CD96と同じくCD155を主な相手役とするため、がんのまわりでは両者が連携して免疫細胞を疲れさせます。TIGITはCD96より強くCD155にくっつき、さらにTregにも強くあらわれる点が、CD96との違いです。
| 受容体 | 主にあらわれる細胞 | 相手役 | CD155への強さ | 役割 |
|---|---|---|---|---|
| TIGIT | NK細胞・キラーT・Treg | CD155・CD112 | いちばん強い | ブレーキ(抑制) |
| CD96 | NK細胞・キラーT・Th9 | CD155(主) | 中くらい | ブレーキ(固有のしくみ) |
| CD226(DNAM-1) | NK細胞・T細胞・骨髄系 | CD155・CD112 | いちばん弱い | アクセル(活性化) |
がんのまわり(腫瘍微小環境)でCD155がたくさんあると、くっつきやすいTIGITやCD96が先に相手役を占領し、アクセル役のCD226がくっつけなくなります。CD226がアクセルの信号を送れず、TIGITとCD96のブレーキだけが二重・三重にかかることで、T細胞やNK細胞は「活性化」から「疲弊」へと傾いていくのです[2]。
4. 免疫細胞ごとに見せる、CD96の多面的な顔
CD96は、あらわれる免疫細胞の種類によって、また実験動物とヒトの系とで、少しずつ違う顔を見せます。この「文脈しだいで役割が変わる」ところが、CD96研究のいちばん難しく、いちばん面白い点です。
4-1. NK細胞での役割:活性化と抑制、二つの顔
NK細胞でのCD96の役割は、歴史的に議論が分かれてきました。ヒトCD96の初期研究では、CD96がCD155を介して標的細胞へのくっつきを助け、NK細胞の攻撃力を「後押しする」活性化役として報告されていました[16]。
ところが、その後のマウスの実験では、CD96が強力な「ブレーキ役」として働くことが数多く示されました。CD96を抗体でふさいだり遺伝子を働かなくしたりしたマウスでは、NK細胞のIFN-γ(免疫を強めるサイトカイン)の産生が高まり、メラノーマの肺への転移が大きく抑えられたのです[16]。
💡 用語解説:IFN-γ(免疫を強める物質)とは
T細胞やNK細胞がつくる、免疫の連携に欠かせないサイトカイン(細胞間のメッセージ物質)の一つで、抗がん免疫の中心的な役割を担います。IFN-γが出ると、免疫の攻撃や連携が強まります。がんのまわりでCD96のブレーキがかかりIFN-γが減ると、抗がん免疫全体が弱ってしまいます。IFN-γの量は、免疫療法の効きめの目安としても広く使われています。
ヒトでの「活性化」報告と、マウスでの強力な「抑制」報告——この食い違いは、アイソフォームの違いや、実験のしかた、CD226とのバランスの違いなどが関わっていると考えられます。近年、肝臓のがん(肝細胞がん)の患者さんの腫瘍内NK細胞を調べた研究では、CD96が多くあらわれているほどNK細胞が疲れており、IFN-γなどの産生が低く、再発しやすさ(予後の悪さ)と強く関係していたことが報告されました。ヒトのがんのなかでも、CD96はブレーキとして働くという見方を強く後押しする結果です。
4-2. キラーT細胞(CD8陽性T細胞):免疫チェックポイントとしての確立
がんのまわりでは、がんを攻撃するはずのキラーT細胞が、長い間くり返し刺激を受けつづけることで、攻撃力を失う「疲弊(Exhaustion)」という状態におちいります。CD96は、マウスでもヒトでも、腫瘍にしみ込んだT細胞(TIL)において、PD-1やTIGITといった有名なブレーキ役と一緒にあらわれていることが確認されています[3]。
💡 用語解説:T細胞疲弊(Exhaustion)とは
T細胞疲弊とは、がんの中や慢性感染の場で、長いあいだ刺激を受けつづけたT細胞が、増える力・攻撃する力・メッセージ物質を出す力を、だんだん失っていく状態です。PD-1・TIM-3・LAG-3・TIGITなどのブレーキ役が強くあらわれ、「疲れているサイン(疲弊マーカー)」として、機能が落ちていることの目印になります。CD96もこれらと一緒にあらわれて、疲弊に加担することが近年わかってきました。疲れたT細胞を元気に戻すことが、いまのがん免疫療法の中心的な課題です。
マウスのがんモデルでは、CD96をふさぐ抗体を単独で、あるいは抗PD-1抗体と組み合わせて使うと、キラーT細胞のIFN-γ産生が増え、腫瘍の増殖が強く抑えられることが確認されています[3]。大事なのは、同じチームのTIGITが制御性T細胞(Treg)にも強くあらわれてTregを元気にしてしまうのに対し、CD96は主に疲れたキラーT細胞そのものにあり、Tregを介さない独自のブレーキ経路を担っている点です[3]。TIGITとは役割が重なりきらないため、両方を同時にねらう意味が出てきます。
さらに、PD-1治療が効きにくい患者さん由来の「CD96とPD-1の両方をもつ疲れたキラーT細胞」は、いちばん疲れきった状態(末期的な疲弊)を示すことがわかっており、CD96の発現がPD-1阻害薬への効きにくさの目印(バイオマーカー)になる可能性があります[6]。
4-3. Th9細胞での役割:炎症の強さを決めるスイッチ
キラーT細胞だけでなく、ヘルパーT細胞の一種であるTh9細胞でのCD96の役割も注目されています。1個ずつの細胞を調べる解析から、Th9細胞は、CD96が多い群(CD96高発現)と少ない群(CD96低発現)の2つにはっきり分かれることがわかりました[7]。
💡 用語解説:Th9細胞とは
ヘルパーT細胞(CD4陽性T細胞)が分化してできる仲間の一つで、IL-9というインターロイキンを主につくります。アレルギー・自己免疫・抗がん免疫のどちらにも関わることが知られています。CD96が少ないTh9細胞はIL-9をたくさんつくって強い炎症を起こす一方、CD96が多いTh9細胞は炎症を起こす力が抑えられていることが近年わかり、炎症性腸疾患などの新しい治療標的として注目されています。
解析の結果、CD96が少ないTh9細胞はIL-9をたくさんつくり、マウスに移すと重い大腸の炎症を起こすことが示されました[7]。逆にCD96が多いTh9細胞は炎症を起こす力が弱いこともわかりました。CD96を抗体でふさぐと、CD96が多いTh9細胞が増えて炎症を起こす性質を取り戻したことから、CD96はヘルパーT細胞でも「ブレーキ」として、サイトカイン産生や炎症の強さを調節していることがはっきり示されました[7]。
5. 腫瘍免疫での意味:ブレーキを二重・三重に外す
CD96は、NK細胞とキラーT細胞の働きを調節することで、抗がん免疫のかなめを握っています。多くの固形がんで、CD155が強くあらわれ、それにともなってCD96のブレーキ信号が入りすぎることで、T細胞が疲弊してしまうことがわかってきました[15]。
💡 用語解説:腫瘍微小環境(がんのまわりの環境)とは
腫瘍微小環境とは、がんを取り囲む免疫細胞・血管・さまざまな物質からなる「がんの縄張り」です。がんはこの縄張りを、自分に都合よく「免疫が働きにくい状態」につくり変えます。ここではCD155がたくさんあらわれ、CD96・TIGIT・PD-1といったブレーキ役が重なってかかることで、しみ込んだT細胞やNK細胞がすぐに疲れてしまうのです。
CD96による免疫の抑えが確認されているがんには、頭頸部がん・メラノーマ(悪性黒色腫)・大腸がん・肺がん・脳腫瘍・子宮頸がん・肝細胞がんなどがあります[15]。口腔がんの組織解析では、がん細胞が免疫の目印(MHCクラスI)を減らして逃げる古典的なしくみに加えて、CD96の経路が独立したブレーキとして働いていることも確認されています[15]。
前臨床での「組み合わせ治療」の手ごたえ
マウスを使った研究は、CD96をねらった組み合わせ治療の有効性を強く支持しています。大腸がんや線維肉腫のモデルでの主な結果を、概念図でご紹介します。
マウスの線維肉腫モデルでの腫瘍拒絶率(概念図)
3剤併用=抗CD96+抗TIGIT+抗PD-1。マウスの約半数で腫瘍が完全に消えたと報告されている。数値は文献報告からの概念的な表示。
ヒトでも、子宮頸がんの患者さんを対象にした研究で、PD-1をふさぐと、その代わりにCD96が増えてくる現象が確認されています[6]。これは、PD-1治療への「適応耐性(あとから効かなくなること)」のしくみの一つと考えられています。
💡 用語解説:適応耐性(あとから効かなくなる)とは
薬に対して、がんや免疫細胞がその場で反応し、別のブレーキを新たに強めることで、薬の効きめから逃げるしくみです。PD-1阻害薬でPD-1のブレーキがふさがれると、がんのまわりはCD96など別のブレーキ役を代わりに増やすことがあります。これが「PD-1阻害薬が効いていたのに途中から効かなくなる」原因の一つと考えられており、CD96をはじめとする次のブレーキを外すことが、解決策として期待されています。
6. 急性骨髄性白血病(AML)での意味:白血病幹細胞の目印
固形がんでの「免疫のブレーキ」という役割とはまったく別の文脈で、CD96は急性骨髄性白血病(AML)で、白血病細胞そのものの目印として大きな意味をもちます[4]。同じ遺伝子が、片方ではブレーキ役、もう片方では病気の目印になる——この二つの顔こそ、CD96のいちばんの特徴です。
AMLは骨髄で血液のもとになる細胞ががん化して増える、再発しやすい血液のがんです。高い再発率が、治療のうえでいちばんの壁になっています。この再発と、抗がん剤が効きにくいことの主な原因が、自分自身を複製して増えつづける力をもつ「白血病幹細胞(LSC)」です[13]。
💡 用語解説:白血病幹細胞(LSC)とは
LSC(白血病幹細胞)とは、白血病のいちばん上流にいて、自分を複製する力・増える力・抗がん剤への強さをもつ細胞のかたまりです。ふつうの治療でいったん良くなっても、骨髄の中に生き残って再発の「種」になります。正常な造血幹細胞と見た目(表面の目印)が似ているため、正常な細胞を傷つけずにLSCだけを見分ける目印を見つけることが、AMLを根治する鍵とされてきました。がん幹細胞(CSC)という、より広い概念の血液がん版にあたります。
重要な発見は、CD96が、正常なHSC濃縮画分では発現細胞が少なく弱い一方、AML患者さんの白血病幹細胞濃縮画分では高発現する症例が多いという発見です[4]。正常HSC濃縮画分とAML-LSC濃縮画分の発現差が大きいことから、CD96は治療標的候補として研究されています。
| 目印 | 白血病幹細胞(LSC) | 正常な造血幹細胞 | 臨床的な意味 |
|---|---|---|---|
| CD34+/CD38−(基本の骨格) | 陽性 | 陽性 | 両方に共通で、見分けには不十分 |
| CD96(TACTILE)★ | 高発現(多くの患者で陽性) | 大部分で陰性〜弱発現 | 高発現→抗がん剤が効きにくい・予後不良と関連 |
| CD123 | 陽性 | 低い | 治療標的の候補の一つ |
| CD33 | 陽性 | 骨髄系の前駆細胞で陽性 | CD96と組み合わせる標的の候補 |
実際に、ヒトのAML細胞を免疫のはたらきを弱めたマウスに移植する実験では、CD96をもつ画分の細胞だけが強く生着して白血病を起こしました[4]。これが、CD96を白血病幹細胞の目印として確立する決め手になりました。臨床でも、診断時のCD96の発現が高いほど、導入化学療法への反応不良や不良な臨床転帰と関連する報告がありますが、研究間で評価法や対象集団が異なり、単独で確立した予後予測マーカーではありません[18]。正常HSCとの発現差が大きいことから、CD96はAMLの治療標的候補として研究されています。
7. 自己免疫疾患との関連:CD96のシーソーモデル
免疫のブレーキは、がんに対しては「外したい」標的になりますが、自己免疫疾患では逆に、その「ブレーキの故障」が病気の引き金になります。CD96も例外ではなく、いくつかの自己免疫疾患との関連が報告されています。
強直性脊椎炎(AS)でのCD96の機能低下
強直性脊椎炎(AS)は、HLA-B27などの遺伝的な要因が関わる慢性の炎症性疾患です。AS患者さんの血液を調べた研究で、健康な人と比べてCD96の発現がヘルパーT細胞で明らかに低下していることがわかりました[8]。
CD96が減ると、細胞の中のシグナル(ERKのリン酸化)が異常に高まり、TNF-α・IL-23・IL-17A・IFN-γといった炎症を起こす物質が出すぎてしまうことが示されました[8]。これは、CD96のブレーキがゆるむことが、自分の体を攻撃してしまうT細胞の活性化につながり、ASの発症に加担していることを示しています。同じように、Th9細胞のCD96が少ない状態は、潰瘍性大腸炎やクローン病などの炎症性腸疾患での組織の炎症を強めるドライバーになることも、動物モデルで示されています[7]。
大規模解析が示す「がんと自己免疫で正反対」のパターン
💡 用語解説:GWAS(ゲノムワイド関連解析)とは
GWASとは、ゲノム全体にわたって膨大な数のSNP(一塩基多型:個人差の目印)を一度に調べ、病気のかかりやすさと関連する遺伝子の個人差を洗い出す統計解析です。数万〜数十万人という大規模なデータが必要で、多くの要因が絡む病気の遺伝的背景を理解する強力な手法です。複数の病気をまたいだ大規模GWASでは、自己免疫・自己炎症性疾患リスクを高める一部のアレルが、特定のがんでは逆に防御的に働くという一般的なトレードオフが示されています[9]。ただし、この研究はCD96そのものを候補遺伝子として特定したものではありません。
乳がん・前立腺がん・卵巣がん・子宮内膜がんと、7つの自己免疫・自己炎症性疾患のGWASデータを統合した解析では、自己免疫・自己炎症性疾患のリスクを高めるアレルが、同時に特定のがんに対しては防御的に働く「正反対のパターン」が確認されました[9]。ただし、最終的に優先候補として示された遺伝子はIRF1、IKZF1、SPI1、SH2B3、LATであり、この論文をCD96の遺伝的シーソーの直接的根拠として扱うことはできません。CD96については、がんモデルでの抑制性作用と、AS・Th9細胞での炎症制御の研究を組み合わせた概念モデルとして理解する必要があります。
⚖️ CD96に関する研究知見をまとめた概念的シーソーモデル
CD96のブレーキが弱い・外す
- NK・キラーT細胞が強く働く
- IFN-γ・TNF-α・IL-9・IL-17が増える
- 強い抗がん免疫・転移を抑える
- AS・Th9関連炎症では炎症増強と関連する報告
CD96
CD96のブレーキが強い・効く
- 免疫細胞が疲れて働けない
- 炎症を起こす物質が減る
- がんが免疫から逃げ、増えやすい
- 一部の炎症モデルでは抑制方向に働く可能性
CD96阻害は一部の前臨床腫瘍モデルで抗腫瘍免疫を高め、CD96低下はASやTh9関連炎症で炎症増強と関連しています。ただし、CD96阻害がヒトで自己免疫疾患リスクを上げることは臨床的に確立しておらず、この図は研究知見を整理した概念モデルです。
💡 用語解説:irAE(免疫関連の副作用)とは
irAE(免疫関連有害事象)とは、免疫チェックポイント阻害薬で免疫が働きすぎた結果、正常な自分の組織を攻撃してしまう副作用のことです。大腸炎・肺炎・肝炎・皮膚炎・ホルモンの異常など、いろいろな臓器に起こり得ます。CD96阻害薬については、免疫活性化に伴うirAEの可能性を安全性評価の対象とする必要がありますが、ヒトでCD96阻害がAS・IBDなどを特異的に誘発することはまだ確立していません。逆にCD96作動による自己免疫疾患治療も、現時点では研究上の仮説・前臨床的な検討段階です。
8. CD96とNIPT・遺伝子検査:何がわかり、何がわからないか
「CD96という遺伝子を、生まれる前の検査(NIPT)で調べられますか?」というご質問をいただくことがあります。ここは誤解が生じやすいところなので、わかることと、まだ言い切れないことを、正確に切り分けてお伝えします。
まず前提として、ダウン症など「染色体の数」を調べる従来のNIPTでは、CD96のような一つの遺伝子の変化はわかりません。従来のNIPTと、一つの遺伝子の変化まで調べる単一遺伝子NIPTは、そもそも見ているものが違うからです。
💡 用語解説:単一遺伝子NIPTとCD96の位置づけ
当院のダイヤモンドプランやインペリアルプランは、単一遺伝子疾患まで対象を広げたNIPTで、その対象遺伝子リストにCD96の名前が含まれています。ただし、遺伝子名がリストに載っていることと、CD96に関するどんな変化でも一律に報告される、ということは同じではありません。CD96は主にがん免疫や白血病の分野で研究されている遺伝子であり、特定の生まれつきの病気の出生前スクリーニングとして案内できるかどうかは、検査時点での対象バリアント・報告仕様の確認が必要です。NIPTはあくまで「可能性を調べる」検査で、確定診断ではありません。
出生前スクリーニングでは、検査対象と解析法によって検出性能や偽陽性の要因が異なります。ターゲット法には対象を限定して深く解析できる利点がある一方、広い範囲を解析する方法には対象範囲が広い利点があります。いずれの方法でも胎盤モザイクなど生物学的要因による偽陽性は起こり得るため、検査範囲・性能・限界を確認して選択することが重要です。
(父親由来の遺伝子変異が子へ伝わるイメージ)
なお、父親の年齢が上がると、精子で新たに生じる変異(de novo変異)が全体として増えることが知られています。単一遺伝子NIPTは、こうした父親年齢に関連するde novo変異を早く知りたいご家族に向けた検査でもあります。ただしCD96については、父親年齢に応じた具体的な発症リスクが定量化されているわけではありません。どの検査が本当に必要か、受けるかどうかも含めて、まずは遺伝カウンセリングで検査の適応と限界を整理します。
当院は臨床遺伝専門医が運営し、カウンセリング・プラン選び・結果の説明・陽性後のケア・確定検査(羊水・絨毛検査:2025年6月〜院内実施)まで一貫して担う、稀有な体制をとっています。もし単一遺伝子NIPTが陽性となった場合には、羊水検査・絨毛検査による確認が選択肢になります。その際の羊水検査費用は、互助会(8,000円)によって全額補助されます。
9. 臨床開発の最前線と、専門医からのメッセージ
CD96の有望性を背景に、製薬各社はCD96をねらう抗体の開発に力を注いできました。しかし最新の動向は、創薬の難しさと、新しい技術の台頭の両方を映し出しています。
nelistotug(GSK)の開発中止
GSK社は、CD226/TIGIT/CD96軸を有望領域と位置づけ、CD96をねらうモノクローナル抗体 nelistotug(GSK6097608)を開発していました。進行固形がんに対する単独・併用の臨床試験が進められていましたが、2025年、GSK社はnelistotugの開発中止を決定しました[10]。これはnelistotug自体の安全性というより、同社が並行して開発していた関連薬(抗TIGIT抗体など)が後期試験で相次いで期待した効果を示せなかったことにともなう、CD226関連軸全体からの戦略的な撤退と分析されています[10]。
次世代のBMS-986442(TIGIT×CD96 二重特異性抗体)
現在、CD96をねらう薬の先頭を走るのは、ブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)社がAgenus社から導入して開発中のBMS-986442(旧名:AGEN1777)です[11]。
💡 用語解説:二重特異性抗体とは
ふつうの抗体が1種類の標的にしかくっつかないのに対し、二重特異性抗体は、2つの異なる標的を1つの分子で同時にとらえて、両方のブレーキを一度に外せるよう設計された次世代の抗体です。BMS-986442はTIGITとCD96を同時にねらうことで、両者が組んでかける二重のブレーキを、一分子で断ち切ります。さらにFc領域が強化されており、がんに反応するT細胞の応答を高める設計になっています[11]。
AACR(米国がん研究会議)2024での発表では、BMS-986442が、従来の抗TIGIT単剤より優れた免疫活性化と抗腫瘍効果を示したことが報告されました[11]。現在、進行固形がん・非小細胞肺がんなどを対象に、ニボルマブ(抗PD-1)や化学療法との併用を評価する第1/2相試験(NCT05543629)が継続中ですが、新規登録は終了しています[12]。
AMLに対するCD96標的CAR-T細胞療法
固形がんとはまったく別のアプローチとして、AMLでのCD96のLSC特異的な発現を利用したCAR-T細胞療法の開発が進んでいます。
💡 用語解説:CAR-T細胞療法とは
患者さん自身のT細胞を取り出し、特定のがんの目印を見分けるように遺伝子を組み替えて(CAR=キメラ抗原受容体を搭載して)、体内に戻す細胞療法です。B細胞性の白血病・リンパ腫では大きな成果をあげています。AMLでは理想的な標的が乏しかったのですが、CD96がLSCだけに強くあらわれ正常造血幹・前駆細胞では発現が低いことから、正常造血への影響を抑えながらCD96陽性AML細胞・LSCをねらえる可能性が注目されています[17]。
前臨床研究では、CD96をねらうCAR-T細胞が正常造血幹・前駆細胞のコロニー形成を明らかに抑えず、CD96陽性AML細胞・LSCに抗腫瘍活性を示すことが2026年の前臨床研究で報告されています[17]。さらに、CD96低発現AMLへの対応として、CD96-CARにCD33を標的とするキメラ共刺激受容体(CCR)を組み合わせる方法も前臨床で検討されています[17]。
| 薬剤名 | 企業 | タイプ | 対象 | 状況 |
|---|---|---|---|---|
| Nelistotug (GSK6097608) |
GSK | 抗CD96モノクローナル抗体 | 固形がん・頭頸部がん | 開発中止 |
| BMS-986442 (AGEN1777) |
BMS(導入元:Agenus) | TIGIT/CD96 二重特異性抗体(Fc強化型) | 固形がん・肺がん・胃がん等 | 第1/2相・継続中(登録終了) |
| CD96標的CAR-T (CD33-CCR併用を含む) |
学術研究機関 | 細胞療法(CAR-T) | 急性骨髄性白血病(AML) | 前臨床段階 |
出典:Fierce Biotech・Agenus・BMS Clinical Trials・PubMed[10][11][12][17]
臨床遺伝専門医からのメッセージ
CD96は、同じ一つの遺伝子でありながら、固形がんでは「免疫のブレーキ」として、急性骨髄性白血病では「白血病幹細胞だけに顔を出す目印」として働く、二つの顔をもつ珍しい分子です。CD96は文脈によって機能の評価が変わる分子であり、とくにヒトでの活性化・抑制機能には未解明な点が残ります。そのため、確立した知見と研究段階の知見を分けて説明することが重要です。
遺伝子検査や遺伝カウンセリングは、難しい数字を一方的に伝える場ではありません。最新のエビデンスを正確にお伝えし、検査で確認できること・確認できないことを医学的に整理する場です。CD96のように研究が進行中の遺伝子については、「今わかっていること」と「まだ言い切れないこと」を区別して説明します。検査の適応や結果の解釈については、個別の状況に応じて遺伝カウンセリングで検討します。
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よくある質問(FAQ)
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参考文献
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- [2] Dougall WC, Kurtulus S, Smyth MJ, Anderson AC. TIGIT and CD96: New Checkpoint Receptor Targets for Cancer Immunotherapy. Immunol Rev. 2017;276(1):112-120. doi:10.1111/imr.12518. [Immunological Reviews]
- [3] Mittal D, et al. CD96 Is an Immune Checkpoint That Regulates CD8+ T-cell Antitumor Function. Cancer Immunol Res. 2019;7(4):559-571. [Cancer Immunology Research]
- [4] Hosen N, et al. CD96 is a leukemic stem cell-specific marker in human acute myeloid leukemia. Proc Natl Acad Sci USA. 2007;104(26):11008-11013. [PNAS]
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- [7] Stanko K, et al. CD96 expression determines the inflammatory potential of IL-9–producing Th9 cells. Proc Natl Acad Sci USA. 2018;115(13):E2940-E2949. [PNAS]
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- [9] Chen J, Epstein MP, Schildkraut JM, Kar SP. Mapping Inherited Genetic Variation with Opposite Effects on Autoimmune Disease and Four Cancer Types Identifies Candidate Drug Targets Associated with the Anti-Tumor Immune Response. Genes (Basel). 2025;16(5):575. doi:10.3390/genes16050575. [MDPI Genes]
- [10] GSK abandons hopes for CD226 cancer therapies, dropping remaining phase 2 assets. Fierce Biotech. 2025. [Fierce Biotech]
- [11] Agenus Announces Preclinical Data on BMS-986442 (AGEN1777) at AACR 2024. Agenus Inc. 2024. [Agenus Press Release]
- [12] A Study of BMS-986442 With Nivolumab With or Without Chemotherapy in Solid Tumors and Non-small Cell Lung Cancer (NCT05543629). BMS Study Connect. [BMS Study Connect]
- [13] CD96 CD96 molecule [Homo sapiens (human)]. NCBI Gene. Gene ID: 10225. [NCBI Gene]
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- [17] Gao X, et al. CD96 as a therapeutic target for CAR T cell therapy in acute myeloid leukemia. Mol Ther. 2026;34(4):2201-2216. doi:10.1016/j.ymthe.2025.12.058. [PubMed]
- [18] Mohamed Soliman AS, Osman AA, Diaa El-Dine DA. Evaluation of CD96 Expression in Acute Myeloid Leukemia Patients: Relation to Prognosis and Induction Chemotherapy. QJM. 2024;117(Suppl 2):hcae175.180. doi:10.1093/qjmed/hcae175.180. [Oxford Academic]
※本記事は一般の方および遺伝診療・がん診療に関わる方に向けた情報提供を目的とするもので、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や検査・治療については、必ず主治医・専門医にご相談ください。CD96を標的とする薬剤は本記事の作成時点で研究・臨床試験段階のものを含み、一般診療で使用できる承認薬とは限りません。




