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BAP1遺伝子と遺伝性腫瘍症候群:その機能と健康への影響

BAP1遺伝子(BRCA1関連タンパク質1)は、ヒト3番染色体短腕(3p21.1)に位置する重要な腫瘍抑制遺伝子です。この遺伝子に変異が生じると、様々な種類のがんリスクが高まることが研究で明らかになっています。本記事では、BAP1遺伝子の機能、関連する疾患、遺伝性BAP1腫瘍症候群について詳しく解説し、遺伝子検査の重要性についてご説明します。

BAP1遺伝子とは:その機能と重要性

BAP1遺伝子は、細胞のがん化を防ぐ重要な役割を担っています。この遺伝子はユビキチンC末端ヒドロラーゼ(UCH)というタンパク質をコードしており、細胞の正常な機能維持に不可欠な働きをしています。

BAP1遺伝子の主な機能

  • BRCA1(乳がん関連遺伝子1)およびBARD1との結合を通じた腫瘍抑制作用
  • HCFC1(Host Cell Factor 1)との相互作用による細胞分裂時のヒストン修飾の調節
  • ASXL1と結合したポリコーム群抑制性脱ユビキチン化酵素複合体(PR-DUB)の形成
  • 幹細胞の多能性および発生過程における重要な役割
  • 小胞体でのカルシウム放出調節によるアポトーシス(細胞死)の促進

BAP1とカルシウムシグナル伝達:細胞死の調節機構

BAP1遺伝子の重要な機能の一つに、小胞体からのカルシウム放出調節があります。2017年にBononiらによって発表された研究では、BAP1タンパク質が小胞体に局在し、IP3R3(3型イノシトール-1,4,5-三リン酸受容体)と結合することが明らかになりました。

このメカニズムでは、BAP1は以下の重要な役割を果たしています:

  • IP3R3の安定化:BAP1はIP3R3を脱ユビキチン化し、安定化させることで、このカルシウムチャネルタンパク質の分解を防ぎます
  • カルシウム放出の促進:安定化されたIP3R3を通じて、小胞体から細胞質およびミトコンドリアへのカルシウム放出が促進されます
  • アポトーシスの誘導:ミトコンドリアへのカルシウム流入は、細胞にダメージが蓄積した際にアポトーシス(プログラム細胞死)を誘導する重要なシグナルとなります

このプロセスは、DNA損傷などの遺伝的ストレスを受けた細胞を適切に排除するために不可欠です。BAP1の機能が低下すると、IP3R3レベルとカルシウム流入が減少し、DNA損傷を蓄積した細胞がアポトーシスを回避できるようになります。

BAP1変異と環境因子の相互作用

BAP1の片方のコピーが機能を失った(BAP1+/-)状態の細胞では、紫外線や放射線、アスベストなどの発がん物質に曝露された際、通常よりも高い割合で生存し、細胞形質転換(がん化)が起こりやすくなります。Bononiらの研究では、BAP1キャリアにおけるがんの高発生率は、BAP1の核内活性と細胞質活性の両方の低下から生じることが示唆されました。

この発見は、BAP1が遺伝子と環境の相互作用を調節する強力な能力を持ち、ヒトの発がん過程において重要な役割を果たしていることを示す機構的根拠を提供しています。これは、特にアスベスト関連の悪性中皮腫やUV関連の皮膚・眼メラノーマなど、BAP1症候群に関連するがんの発症メカニズムを理解する上で非常に重要です。

BAP1遺伝子の発見と研究の歴史

BAP1遺伝子は1996年にNagaseらによって初めて分離されました。1998年にはJensenらがBRCA1のRINGフィンガードメインと相互作用するタンパク質を同定する研究の中で「BRCA1関連タンパク質1」(BAP1)と名付けました。その後の研究で、BAP1はがん抑制経路において重要な役割を果たしていることが明らかになりました。

BAP1遺伝子変異と関連疾患

BAP1遺伝子に変異が生じると、さまざまな種類のがんや腫瘍性疾患のリスクが高まることが分かっています。BAP1関連の疾患には、以下のようなものがあります。

BAP1遺伝子変異に関連する主な疾患

  • ぶどう膜メラノーマ(眼のがん):BAP1変異を持つ人は、眼の脈絡膜、虹彩、毛様体に発生するメラノーマのリスクが高まります
  • 悪性中皮腫:主に胸膜や腹膜に発生する、アスベスト曝露との関連が知られているがん
  • 皮膚メラノーマ:通常の皮膚メラノーマとは異なる特徴を持つことがあります
  • 腎細胞がん:特に明細胞腎細胞がんのリスク増加と関連しています
  • 肝内胆管がん:BAP1変異は肝臓内の胆管に発生するがんとの関連が報告されています
  • 髄膜腫:脳や脊髄を覆う膜に発生する腫瘍

BAP1遺伝子変異と多発性腫瘍リスク

BAP1遺伝子の生殖細胞系列変異(親から子へ受け継がれる変異)を持つ人は、生涯にわたって複数の異なる種類のがんを発症するリスクが高まります。このため、定期的な検診と適切な医療フォローアップが非常に重要です。

遺伝性BAP1腫瘍症候群(TPDS1)

BAP1遺伝子の生殖細胞系列変異により、腫瘍素因症候群1(Tumor Predisposition Syndrome 1、TPDS1)と呼ばれる遺伝性疾患が引き起こされます。この症候群は常染色体優性遺伝形式をとり、親から子へ50%の確率で遺伝します。

TPDS1の主な特徴

  • 複数の異なる種類のがんの発症リスク増加
  • 比較的若年での発症が多い
  • 一般的に55歳までに高い浸透率でがんが発症する
  • 家族内で多様ながん種が見られることがある
  • 特徴的な皮膚病変(BAP1不活性化黒子と呼ばれる)が現れることがある

事例:研究で報告されたBAP1関連腫瘍症候群の家族

Carboneらの2015年の研究では、BAP1遺伝子に変異(c.1717delC)を持つ大規模な多世代家系が報告されています。この家族では複数の世代にわたり、悪性中皮腫、ぶどう膜メラノーマ、基底細胞がん、平滑筋肉腫、腎細胞がん、皮膚メラノーマなど様々な種類のがんが発症していました。55歳までにがんを発症するケースが多く、高い浸透率を示していました。

Küry-Isidor症候群:BAP1の別の関連疾患

近年の研究では、BAP1遺伝子のミスセンス変異が、腫瘍リスクとは異なる発達障害を特徴とするKüry-Isidor症候群(KURIS)と関連していることが明らかになりました。この症候群は、BAP1遺伝子変異の種類によって、臨床的な表現型が大きく異なることを示しています。

  • 軽度から中程度の発達遅延
  • 言語発達の遅れ
  • 行動上の問題
  • 特徴的な顔貌
  • 骨格異常

興味深いことに、KURIS患者ではがんの発症は報告されていません。これは、腫瘍症候群を引き起こすBAP1変異が主に切断型または異常スプライシング変異であるのに対し、KURISに関連する変異はミスセンス変異(機能喪失型)であり、脱ユビキチン化酵素活性を阻害しますが、他のタンパク質との相互作用は変化させない可能性があるためと考えられています。

BAP1遺伝子変異のタイプとその影響

BAP1遺伝子変異には様々なタイプがあり、その種類によって臨床的な影響も異なります。

BAP1遺伝子変異の主なタイプ

  • フレームシフト変異:塩基の挿入や欠失によりタンパク質の読み枠がずれ、異常なタンパク質が生成される
  • ナンセンス変異:変異により終止コドンが導入され、タンパク質が途中で切断される
  • スプライシング変異:イントロンとエクソンの境界部分の変異により、正常なmRNAが形成されない
  • ミスセンス変異:アミノ酸1つが別のアミノ酸に置換される変異
  • 大規模欠失:遺伝子の一部または全体が欠失する変異

BAP1遺伝子バリアント(変異体)の臨床的意義

BAP1遺伝子のバリアント(遺伝子変異体)は、その影響度に応じて以下のように分類されます。

  • 病的バリアント:がんリスクを高める原因となる変異
  • おそらく病的バリアント:病的である可能性が高いが、確定的な証拠が不十分な変異
  • 意義不明バリアント(VUS):臨床的意義が不明な変異
  • おそらく良性バリアント:おそらく健康に影響しない変異
  • 良性バリアント:健康に影響しない変異

低頻度モザイクBAP1変異の重要性

一部の症例では、体の一部の細胞だけがBAP1変異を持つ「低頻度モザイク」の状態が報告されています。たとえ体の細胞の少数(5%程度)だけが変異を持っていても、その変異が生殖細胞(卵子や精子)に含まれれば、子どもに伝わる可能性があります。このため、家族歴のある場合は詳細な遺伝子検査が重要です。

BAP1遺伝子検査の重要性と方法

以下のような場合には、BAP1遺伝子検査を検討することが推奨されます。

BAP1遺伝子検査が推奨される場合

  • 若年でのぶどう膜メラノーマ診断(特に両側性の場合)
  • 悪性中皮腫の診断(特にアスベスト曝露が少ない場合)
  • 複数の関連腫瘍を発症した場合
  • 家族内に複数のBAP1関連腫瘍がある場合
  • BAP1不活性化黒子と呼ばれる特徴的な皮膚病変がある場合

ミネルバクリニックの遺伝性がんパネル検査

ミネルバクリニックでは、BAP1遺伝子を含む複数の遺伝性がん関連遺伝子を一度に調べることができる包括的なパネル検査を提供しています。臨床遺伝専門医による遺伝カウンセリングも行っており、検査前後のサポートも充実しています。

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BAP1遺伝子検査の方法

BAP1遺伝子検査は主に以下の方法で行われます。

  • 次世代シーケンシング(NGS):BAP1を含む複数の遺伝子を同時に解析できる方法
  • サンガーシーケンシング:特定の変異を確認するための方法
  • MLPA(Multiplex Ligation-dependent Probe Amplification):大規模な欠失や重複を検出する方法

検査結果の解釈には専門的な知識が必要であり、遺伝カウンセリングを受けることが強く推奨されます。

BAP1遺伝子変異キャリアのためのサーベイランス(定期検診)

BAP1遺伝子変異を持つことが分かった場合、早期発見と適切な治療のために定期的な検診が重要です。

推奨されるサーベイランス

  • 眼科検診:年1回の眼底検査を含む詳細な眼科検診
  • 皮膚科検診:6か月ごとの皮膚全体の検査
  • 腹部画像検査:年1回の腹部MRIまたは超音波検査(腎臓と肝臓のサーベイランス)
  • 胸部画像検査:悪性中皮腫のリスクがある場合は定期的な胸部CT検査の検討
  • その他の検査:家族歴に基づいたその他の適切な検査

早期発見の重要性

Carboneらの研究では、BAP1変異キャリアの家族において、早期発見と早期治療が効果的な治療につながることが強調されています。定期的な検診を通じて、がんを早期段階で発見することで、治療の成功率が大幅に向上します。

BAP1遺伝子変異キャリアの方へのメッセージ

BAP1遺伝子変異が見つかったとき、その結果を知って驚きやショックを感じられることは、とても自然なことです。

ミネルバクリニックの臨床遺伝専門医は、遺伝性疾患に関する豊富な知識と経験を持ち、あなたの気持ちに寄り添いながら、一緒に最善の道を考えていきます。

この検査によって遺伝的リスクをあらかじめ把握できたということは、あなたとご家族の健康管理のために役立つ大切な情報です。早期発見と予防的な対策によって、リスクを大幅に軽減できる可能性があります。

どんな不安や疑問も一人で抱え込まずに、専門家に相談してください。ミネルバクリニックではあなたの気持ちに寄り添い、一緒に最善の道を考えていきます。

あなたは一人ではありません。私たちはあなたをサポートするために、いつでもここにいます。

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BAP1遺伝子研究の最新動向

BAP1遺伝子に関する研究は現在も活発に進められており、新たな知見が次々と報告されています。

最近の研究トピックス

  • BAP1の細胞内機能:Bononiらの研究(2017年)では、BAP1が小胞体に局在し、カルシウム放出を調節してアポトーシスを促進する役割が明らかになりました
  • 組織特異的な影響:Heらの研究(2019年)によると、BAP1の不活性化は組織によって異なる影響を及ぼします。例えば、胚性幹細胞や肝臓ではアポトーシスを引き起こすのに対し、メラノサイトや中皮細胞ではそのような影響が見られません
  • エピジェネティック調節:BAP1はヒストンの脱ユビキチン化を通じて遺伝子発現を調節しており、これががん抑制機能の重要なメカニズムであることが示されています
  • 治療標的としての可能性:BAP1機能低下腫瘍に対する特異的治療法の開発が進められています

これらの研究成果は、将来的にBAP1変異関連がんに対するより効果的な予防法や治療法の開発につながることが期待されています。

まとめ:BAP1遺伝子と健康管理

  • BAP1遺伝子は重要な腫瘍抑制遺伝子であり、変異によりさまざまながんリスクが高まります
  • BAP1関連腫瘍には、ぶどう膜メラノーマ、悪性中皮腫、皮膚メラノーマ、腎細胞がんなどがあります
  • 遺伝性BAP1腫瘍症候群(TPDS1)は常染色体優性遺伝形式をとり、親から子へ50%の確率で遺伝します
  • BAP1遺伝子変異の種類によって、腫瘍リスク(TPDS1)や発達障害(Küry-Isidor症候群)など異なる表現型が現れます
  • 家族歴や関連腫瘍の発症がある場合は、遺伝子検査と遺伝カウンセリングを検討することが推奨されます
  • BAP1変異キャリアには、定期的な検診による早期発見が重要です

遺伝子検査と専門的なサポートの重要性

BAP1遺伝子に関連するリスクを理解し、適切な予防策を講じるためには、専門的な遺伝子検査と医療専門家によるサポートが不可欠です。ミネルバクリニックでは、最新の知見に基づいた遺伝子検査と、臨床遺伝専門医による丁寧な遺伝カウンセリングを提供しています。

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仲田洋美 医師(臨床遺伝専門医)

この記事の監修・執筆者:仲田 洋美

(臨床遺伝専門医/がん薬物療法専門医/総合内科専門医)

ミネルバクリニック院長。1995年に医師免許を取得後、 臨床遺伝学・内科学・腫瘍学を軸に診療を続けてきました。 のべ10万人以上のご家族の意思決定と向き合ってきた臨床遺伝専門医です。

出生前診断(NIPT・確定検査・遺伝カウンセリング)においては、 検査結果の数値そのものだけでなく、 「結果をどう受け止め、どう生きるか」までを医療の責任と捉え、 一貫した遺伝カウンセリングと医学的支援を行っています。

ハイティーンの時期にベルギーで過ごし、 日本人として異文化の中で生活した経験があります。 価値観や宗教観、医療への向き合い方が国や文化によって異なることを体感しました。 この経験は現在の診療においても、 「医学的に正しいこと」と「その人にとって受け止められること」の両立を考える姿勢の基盤となっています。

また、初めての妊娠・出産で一卵性双生児を妊娠し、 36週6日で一人を死産した経験があります。 その出来事は、妊娠・出産が女性の心身に与える影響の大きさ、 そして「トラウマ」となり得る体験の重みを深く考える契機となりました。 現在は、女性を妊娠・出産のトラウマから守る医療を使命の一つとし、 出生前診断や遺伝カウンセリングに取り組んでいます。

出生前診断は単なる検査ではなく、 家族の未来に関わる重要な意思決定です。 年齢や統計だけで判断するのではなく、 医学的根拠と心理的支援の両面から、 ご家族が後悔の少ない選択をできるよう伴走することを大切にしています。

日本人類遺伝学会認定 臨床遺伝専門医/日本内科学会認定 総合内科専門医/ 日本臨床腫瘍学会認定 がん薬物療法専門医。 2025年には APAC地域における出生前検査分野のリーダーとして国際的評価を受け、 複数の海外メディア・専門誌で特集掲載されました。

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