目次
「触媒(しょくばい)」は化学の言葉ですが、実は私たちの体の中でも、酵素という「生体触媒」が休みなく働いています。ご飯を消化するのも、呼吸で得た栄養をエネルギーに変えるのも、遺伝子の情報からタンパク質をつくるのも、すべて酵素という触媒のはたらきです。この記事では、触媒とは何か、なぜ反応が速くなるのか、化学の触媒と酵素(生体触媒)は何が違うのか、そして酵素が遺伝子・遺伝性の病気とどうつながるのかまでを、臨床遺伝専門医の視点から解説します。
Q. 触媒とは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. 触媒とは、反応過程に関与しながら最終的には再生され、正味では消費されずに化学反応の速度を高める物質のことです。反応全体のエネルギー差(平衡)は変えず、反応が進むために必要な「活性化エネルギー」という山を低くすることで、反応を速く進めます。私たちの体の中では、酵素がこの触媒の役割を担っており、これを生体触媒と呼びます。酵素の多くは遺伝子にコードされたタンパク質であり、触媒という言葉は化学から遺伝医学までを一本につなぐキーワードでもあります。
- ➤定義 → 自身は変化せず、活性化エネルギーを下げて反応速度を高める物質(平衡・熱力学は変えない)
- ➤仕組み → 活性化エネルギーの低い代替経路を通し、反応中間体を経て触媒自身は再生される
- ➤種類 → 無機触媒・有機触媒・生体触媒(酵素)/均一系・不均一系
- ➤酵素との違い → 酵素は主にタンパク質からなる生体触媒。基質特異性が高く、温和な条件で働くものが多く、熱やpHの変化で失活することがある
- ➤遺伝とのつながり → 酵素は遺伝子の産物。遺伝子の変化で酵素が欠けると、先天代謝異常症などの遺伝性疾患につながることがある
🧪 触媒の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方・英語 | しょくばい/catalyst(キャタリスト)。触媒作用は catalysis(キャタリシス) |
| 定義 | それ自身は反応の前後で変化せず、反応速度を高める物質。反応全体のエネルギー差(ギブズエネルギー変化)は変えない[1] |
| 主な種類 | 無機触媒(例:二酸化マンガン)・有機触媒・生体触媒(酵素)。はたらく相で均一系・不均一系にも分けられる |
| 身近な例 | 過酸化水素(オキシドール)を分解する二酸化マンガンやカタラーゼ、消化を助ける唾液のアミラーゼなど |
| 生体触媒=酵素 | 生体内で働く触媒。多くはタンパク質で、体内の多様な化学反応(代謝)を担う[3] |
| 医学とのつながり | 酵素は遺伝子の産物。遺伝子変異で酵素が欠けると先天代謝異常症などの原因になる |
※本記事は「触媒」と生体触媒である酵素の基本を扱う用語解説です。特定の検査や治療を勧めるものではありません。

触媒は反応過程に関与しながら最終的に再生され、活性化エネルギーの低い反応経路を提供して反応速度を高めます。体内では主に酵素が生体触媒としてこの役割を担います。
1. 触媒とは? ─ 一言でわかる定義
触媒とは、反応過程に関与しながら最終的には再生され、正味では消費されずに化学反応の速度を高める物質のことです。国際純正・応用化学連合(IUPAC)の定義でも、触媒は反応全体の標準ギブズエネルギー変化(=反応の向かう先や平衡)を変えずに反応速度を増大させる物質であり、その働きを触媒作用(catalysis)と呼ぶとされています[1]。大切なのは、触媒は反応の「材料」でありながら最後には元に戻る「生成物」でもある、つまり使っても減らずに繰り返し働けるという点です。
触媒は、化学工業から私たちの体の中まで、あらゆる場面で活躍しています。プラスチックや医薬品の製造、自動車の排気ガスの浄化などは触媒なしには成り立ちません。そして私たちの体の中でも、酵素という天然の触媒(生体触媒)が、消化・吸収・代謝といった生命活動を支えています。本記事では、この「化学の触媒」と「体の中の触媒=酵素」を橋渡ししながら解説していきます。
もし触媒がまったくなかったら、私たちの体の中の化学反応はあまりに遅く、生命を維持できません。食べたものを消化してエネルギーに変えるのも、古くなった細胞をつくり替えるのも、遺伝情報を読み書きするのも、すべて酵素という触媒が反応を十分な速さまで引き上げているからこそ成り立っています。触媒は「あると便利」な脇役ではなく、生命が成り立つための前提だといえます。この視点を持っておくと、後半で説明する「酵素と遺伝子・遺伝性疾患のつながり」がぐっと理解しやすくなります。
💡 用語解説:活性化エネルギー
多くの化学反応は、材料を混ぜただけでは進みません。反応が始まるには、いったん不安定で高いエネルギーの状態(遷移状態)を乗り越える必要があり、そのために必要なエネルギーを活性化エネルギーといいます[2]。反応を進める道の途中にある「峠」のようなもので、触媒はこの峠を低くして反応を進みやすくします。
触媒の英語・語源
触媒は英語でcatalyst(キャタリスト)、その作用はcatalysis(キャタリシス)といいます。生き物がつくる生体触媒は biocatalyst、その代表である酵素は enzyme です。日本語の「触媒」は、明治期の化学者が英語の catalyser やドイツ語の Katalysator を訳した言葉とされています。ふだんの生活で意識することは少ないものの、触媒は「縁の下の力持ち」として、私たちの暮らしと体を静かに支えています。

2. 触媒はどのように反応を速めるのか
触媒が反応を速める仕組みは、「活性化エネルギーの低い、別の道(代替反応経路)を用意すること」にあります。触媒がないときの反応が高い峠を越えなければならないのに対し、触媒があると、より低い峠を通る近道ができます。峠が低ければ、それを越えられる分子の割合が増えるため、反応の速度が飛躍的に高まるのです[3]。
この近道では、触媒はまず反応物と結びついて一時的な反応中間体をつくり、その中間体が分解したり別の分子と反応したりして、安定な生成物へと変わります。そして重要なのは、このプロセスの最後で触媒がもとの状態に戻る(再生される)ことです。だからこそ触媒はごく少量でも、何度も繰り返し反応を助け続けられます。
この「少量で繰り返し働ける」という性質は、化学工業でも生命でも決定的に重要です。1個の触媒(酵素)が壊れるまでに何回反応を助けられるかは触媒回転数(ターンオーバー数)と呼ばれ、酵素の中にはこの値が非常に大きく、1秒間に膨大な数の分子を処理できるものもあります。一方で、触媒は永遠に無敵というわけではありません。表面に不純物が吸着したり、構造がこわれたりすると働きを失います(被毒・失活)。とくに酵素は、後で述べるように熱やpHの変化に弱く、条件が変わると簡単に触媒としての力を失う点が、丈夫な無機触媒との大きな違いです。
⚠️ よくある誤解に注意
触媒が変えるのは反応の「速度」だけです。反応がどこまで進むか(平衡の位置)や、反応の前後のエネルギー差(ΔG)そのものは触媒では変わりません[1]。「触媒を入れれば起こらない反応が無理やり起こる」わけではなく、「もともと起こりうる反応を、速く進める」のが触媒だと理解するのが正確です。
なぜ触媒は化学反応式に出てこないのか
中学・高校の理科でよく登場するのが、過酸化水素(オキシドール)が水と酸素に分解する反応です。ここに二酸化マンガンを少し加えると、酸素の泡が勢いよく発生します。ところが、この反応の化学反応式は次のように書かれ、二酸化マンガンは式のどこにも現れません。
2 H2O2 → 2 H2O + O2
これは、二酸化マンガンが触媒であり、反応の前後で変化せず消費されないからです。反応の途中では働いていますが、終わってみると元の量のまま残るため、材料(反応物)にも生成物にも数えられず、化学反応式では相殺されて表記されません。触媒の名前は、式の矢印の上や横に補助的に添えて書くのが一般的です。触媒は総括反応式では正味の反応物・生成物として現れず、通常は反応矢印の上や横などに補助的に記載されます。
見分けのポイントは、「反応の前後で、その物質自身が変化して減っていないか」です。たとえば塩酸に鉄を加えると水素が発生しますが、このとき鉄は塩化鉄へと変化して消費されてしまいます。そのため、鉄はこの反応の触媒ではありません。反応を助けているように見えても、自分自身が変化して減ってしまう物質は触媒とは呼ばないのです。二酸化マンガンが触媒と呼べるのは、反応が終わってももとの二酸化マンガンとして残るからです。この「自身は変わらない」という一点が、触媒を触媒たらしめている条件です。
3. 触媒の種類 ─ 無機・有機・生体触媒
触媒は、いくつかの見方で分類できます。まず「何からできているか(由来)」で分けると、次の3つが基本です。
① 無機触媒:金属や金属酸化物など、無機物でできた触媒です。過酸化水素を分解する二酸化マンガン、自動車の排ガスを浄化する白金・パラジウム・ロジウムなどが代表例です。
② 有機触媒:金属を含まない有機分子が触媒として働くもので、医薬品などの合成に利用されます。
③ 生体触媒(酵素):生き物がつくり出す触媒で、その正体は主にタンパク質です。酵素は最も効果的な触媒の一群で、反応を何百万〜何兆倍にも速め、常温では進みにくい反応を体温で速やかに進めます[3]。
次に、「反応物とどのように混ざって働くか(相)」で分けると、均一系触媒と不均一系触媒に分かれます。均一系触媒は反応物と同じ相(たとえば水溶液の中のイオン)で働くもの、不均一系触媒は反応物と異なる相(たとえば固体の表面)で働くものです。先ほどの二酸化マンガンは固体として液体の過酸化水素に働く、不均一系の無機触媒にあたります。
身近な例で見ると、無機触媒では自動車の排ガスを浄化する三元触媒(白金・パラジウム・ロジウム)や、過酸化水素を分解する二酸化マンガンがあります。有機触媒は医薬品などの合成に使われる金属を含まない有機分子です。そして生体触媒(酵素)には、だ液に含まれてデンプンを分解するアミラーゼや、胃液に含まれてタンパク質を分解するペプシンなど、日々の消化を支える身近なものが数多くあります。とくに酵素は、特定の一つの反応に対しては無機触媒をはるかにしのぐ効率を発揮することが知られています[3]。同じ「反応を速める」役割でも、生き物は長い進化の時間をかけて、目的の反応に最適化された触媒=酵素をつくり上げてきたのです。
この中で、私たち人間の体にとって最も身近で重要なのが、生体触媒である酵素です。次の章では、この化学の触媒(とくに無機触媒)と、生体触媒である酵素の違いを、具体的に比べていきます。なお、光触媒や自動車の三元触媒など工業・環境分野の触媒は、それぞれ独立した大きなテーマのため、本記事では深入りしません。
4. 化学触媒と酵素(生体触媒)の違い
酵素とは、生体内で働く触媒で、その多くはタンパク質からなる生体触媒です。二酸化マンガンのような無機触媒(化学触媒)と同じく「自身は変化せず反応速度を高める」という触媒の本質は共通していますが、いくつかの大きな違いがあります[4]。まず全体像を表で整理します。
🧬 無機触媒と酵素(生体触媒)の比較
| 項目 | 無機触媒(化学触媒) | 酵素(生体触媒) |
|---|---|---|
| 構成成分 | 金属・金属酸化物などの無機物 | 主にタンパク質(一部には触媒活性をもつRNAもある) |
| 代表例 | 二酸化マンガン、白金 など | カタラーゼ、アミラーゼ など |
| 特異性 | 触媒によって異なるが、酵素ほど高い基質特異性を示さないものも多い | 基質特異性が高い(決まった相手にだけ働く) |
| はたらく条件 | 触媒の種類により、高温・高圧などの条件で利用できるものもある | 体温・中性付近のpHという温和な条件 |
| 熱・pHへの耐性 | 種類によって安定性は異なり、被毒・劣化・失活することもある | 熱やpHの変化で変性し失活しやすい |
| 調節 | 生体内の酵素のような調節機構は通常もたない | 体の状態に応じて活性が細かく調節される |
| 設計図 | なし | 遺伝子(DNA)に記されている |
※酵素そのものの詳しい解説は「酵素とは」をご覧ください。
酵素は、その立体構造の中にある活性部位という「くぼみ」で反応の相手(基質)をつかまえ、活性化エネルギーを下げて反応を進めます[4]。この活性部位は特定の相手にぴったり合う形をしているため、酵素は決まった基質・決まった反応だけを選んで触媒する(基質特異性)という、無機触媒にはない際立った性質を持ちます。一方で、酵素はタンパク質でできているため、高温や強い酸・アルカリにさらされると立体構造がこわれて(変性して)働きを失います[5]。私たちの体温がほぼ一定に保たれているのは、酵素が最もよく働く温和な環境を維持するためでもあるのです。
酵素の名前と、はたらきを助ける補因子・補酵素
酵素の多くは、担当する反応にちなんで語尾に「〜アーゼ(-ase)」が付きます。デンプンを分解するアミラーゼ、脂質を分解するリパーゼ、過酸化水素を分解するカタラーゼなどが典型です。また、酵素はタンパク質だけで完結するとは限らず、補因子(金属イオンなど)や補酵素(ビタミン由来の低分子など)の助けを必要とするものが少なくありません。ビタミンが健康に欠かせないのは、その多くが酵素のはたらきを支える補酵素の材料になるからです。無機触媒には、こうした「助っ人」と組んで精密に働くという発想はありません。
酵素が基質をつかむようすは、しばしば「鍵と鍵穴」にたとえられます。ただし実際には、基質が近づくと活性部位の形がわずかに変化して、よりぴったりと適合します(誘導適合)。この精密なつくりがあるからこそ、酵素は体の中にあふれる無数の分子の中から目的の相手だけを選び出し、体温という穏やかな条件で狙った反応だけを速く進められます。「相手を選ぶ力」と「体の状態に応じて調節される柔軟さ」——これこそが、無機触媒にはない生体触媒の真価です。
同じ反応を触媒する ─ 過酸化水素の分解(二酸化マンガンとカタラーゼ)
無機触媒と酵素の関係を最もよく示すのが、先ほども登場した過酸化水素の分解(2 H2O2 → 2 H2O + O2)です。このまったく同じ反応を、無機触媒である二酸化マンガンと、生体触媒であるカタラーゼの両方が触媒できます。試験管で二酸化マンガンを使っても、切ったジャガイモや肝臓を使っても酸素の泡が出るのは、ジャガイモや肝臓に含まれるカタラーゼという酵素が同じ分解反応を進めるからです[6]。
カタラーゼは、鉄を含むヘムを持つタンパク質で、過酸化水素を水と酸素へ非常に効率よく分解する酵素です[6]。体の細胞では、活性酸素の一種である過酸化水素を速やかに無害化する「掃除役」として働き、主にペルオキシソームという小器官に存在します[7]。カタラーゼは知られている中でもきわめて反応が速い酵素の一つで、生体触媒の効率のよさを象徴する存在です。
💡 用語のちがい:カタラーゼとペルオキシダーゼ
過酸化水素を水と酸素に分解する(2 H2O2 → 2 H2O + O2)代表的な酵素はカタラーゼです[6]。よく似た名前の「ペルオキシダーゼ」は、過酸化水素を使って別の物質を酸化するという異なる反応を担う酵素で、両者は区別して理解するのが正確です。いずれも過酸化水素を扱う点は共通しますが、二酸化マンガンと同じ「分解して酸素を出す」反応の相棒はカタラーゼです。
同じ反応を無機物(二酸化マンガン)でも生体分子(カタラーゼ)でも進められるという事実は、「触媒」という原理が化学と生命に共通していることを、とても分かりやすく示しています。違いは、カタラーゼが体温・中性pHという体内の穏やかな条件で、必要な場所で選択的に働けるように「進化した触媒」である、という点にあります。
5. 生体触媒(酵素)と遺伝のつながり
ここからが、医学用語としての「触媒」を理解するうえで最も大切な部分です。多くの酵素はタンパク質であり、そのタンパク質の設計図は遺伝子(DNA)に記されています。細胞の中では、DNAの情報がRNAに写し取られ(転写)、その情報をもとにアミノ酸がつながってタンパク質がつくられます(翻訳)。この一連の流れはセントラルドグマと呼ばれ、生体触媒である酵素も、この流れによってつくられています。
つまり、多くの酵素は遺伝子の情報に基づいてつくられるタンパク質です。遺伝子→RNA→タンパク質→酵素→体内の化学反応(代謝)という一本の線でつながっています。この流れをたどりたい方は、遺伝子発現やDNAからタンパク質への解説もあわせてご覧ください。タンパク質の部品であるアミノ酸や、アミノ酸が短くつながったペプチドも、酵素の成り立ちを理解する土台になります。
「1つの遺伝子は、おおむね1つの酵素(タンパク質)の設計図になっている」という考え方は、遺伝学の歴史の中で早くから示されてきた基本的な発想です(一遺伝子一酵素説)。実際の対応はこれよりも複雑ですが、遺伝子と酵素が密接に結びついているという見方は、遺伝子の変化がなぜ特定の酵素の欠損として現れるのかを理解する出発点になります。医学の場でよく知られた酵素の例としては、RNAを鋳型にDNAを合成する逆転写酵素などがあり、いずれも遺伝情報の流れに深く関わっています。
💡 例外:すべての生体触媒がタンパク質とは限らない
「酵素=タンパク質」が原則ですが、例外もあります。1980年代に、RNAの中にも触媒として働くもの(リボザイム)があることが発見され、この業績はノーベル化学賞(1989年)に輝きました[8]。タンパク質を組み立てるリボソームの中心も、実はRNAが触媒として働いています。生体触媒の世界は、タンパク質だけにとどまらない奥行きを持っているのです。
この「酵素=遺伝子の産物」という視点は、遺伝性の病気を理解するうえで欠かせません。遺伝子に変化(変異)が生じて酵素がうまくつくられなくなったり、働きが低下したりすると、その酵素が担っていた代謝の反応が滞り、病気につながることがあります。こうした病気を先天代謝異常症(inborn errors of metabolism)と呼びます[9]。多くは酵素の「機能を失う」タイプの変異によって起こり、常染色体潜性(劣性)という形で遺伝することが多いのが特徴です[9]。
酵素が欠けると体に不調が起きるのは、主に二つの理由からです。一つは、その酵素が処理するはずだった物質(基質)が分解されずに体内にたまってしまうこと。もう一つは、その酵素がつくるはずだった産物が不足してしまうことです。どちらが前面に出るかは病気によって異なりますが、いずれも「代謝という化学反応の流れが、触媒(酵素)を失って途中で止まる」ことが根本にあります。だからこそ、酵素という触媒の視点は、先天代謝異常症を理解するうえで欠かせないのです。こうした病気の一部は、生まれてすぐの新生児マススクリーニングで早期に見つけ、食事療法などで発症や重症化を防げる場合があります。
先天代謝異常症は、しばしばその原因となる酵素の名前で呼ばれます。たとえばシスタチオニンβ合成酵素という酵素が欠けるとホモシスチン尿症に、中鎖アシルCoA脱水素酵素が欠けるとMCAD欠損症になります[10]。治療では、たまってしまう物質を減らす特別な食事療法や、不足した酵素を外から補う酵素補充療法(ERT)などが行われます。触媒(酵素)という一つの視点が、化学の実験から遺伝性疾患の診療までを貫いていることが分かります。関連する病気の一覧は遺伝性疾患リストや遺伝性疾患とはもご参照ください。
⚠️ 解釈するときの注意
「ある酵素の遺伝子に変化がある=必ず発症する・重症になる」とは限りません。遺伝子の変化と実際の症状の関係(遺伝型と表現型の相関)には幅があり、変化の種類や体質、環境によっても異なります。相関と因果を混同せず、発症の確率や頻度といった数値は、個々の疾患・検査のページで最新の情報を確認することが大切です。
🩺 院長コラム【「触媒」という視点が、遺伝子の働きを読み解く土台になる】
医学的には、酵素を「生体触媒」としてとらえる見方は、遺伝子の働きを理解するための基礎になります。遺伝子はそれ自体が何かをするというより、酵素をはじめとするタンパク質という「道具」の設計図です。その道具の多くが触媒、つまり体の中の化学反応を進める役割を担っています。
遺伝医学では、ある遺伝子の変化が体にどう影響しうるかを考えるとき、「その遺伝子がつくる酵素は、どんな反応を触媒しているのか」「その反応が滞ると何が起きるのか」という順番で読み解きます。化学の授業で習う触媒の考え方が、遺伝性疾患を理解する入り口になっているのです。
🧬 遺伝子の働きや遺伝性の病気について
遺伝子や酵素、遺伝性の病気について詳しく知りたい方は、
臨床遺伝専門医による解説や遺伝カウンセリングをご活用ください。
検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人です。
まとめ ─ 化学と生命をつなぐ「触媒」
触媒とは、それ自身は変化せず、活性化エネルギーを下げて反応速度を高める物質です。反応の平衡やエネルギー差は変えず、あくまで反応を「速く」進めるのが役割で、反応の前後で消費されないため化学反応式には現れません。触媒には無機触媒・有機触媒・生体触媒があり、はたらく相で均一系・不均一系にも分けられます。
そして、私たちの体の中で触媒として働いているのが酵素(生体触媒)です。酵素の多くはタンパク質でできており、基質特異性が高く、温和な条件で働くという、無機触媒にはない性質を持ちます。過酸化水素の分解を二酸化マンガンとカタラーゼの両方が担うように、触媒という原理は化学と生命に共通しています。さらに酵素は遺伝子の産物であり、その遺伝子の変化は先天代謝異常症などの遺伝性疾患につながることがあります。「触媒」という一つの言葉が、理科の実験から遺伝医学までを一本につないでいるのです。
よくある質問(FAQ)
Q1. 触媒とは簡単に言うと何ですか?
触媒とは、反応過程に関与しながら最終的には再生され、正味では消費されずに反応の速度を高める物質です。反応全体の平衡やエネルギー差(ΔG)は変えず、反応が進むために必要な活性化エネルギーを下げることで反応を速めます。私たちの体の中では、酵素がこの触媒の役割を担う生体触媒として働いています。
Q2. 酵素は触媒ですか?化学触媒との違いは何ですか?
酵素は、生体内で働く触媒で、その多くはタンパク質からなる生体触媒です。二酸化マンガンのような無機触媒と同じく反応を速めますが、①タンパク質でできている②決まった相手(基質)だけに働く基質特異性が高い③体温・中性付近のpHという温和な条件で働き、熱やpHの変化で失活する、といった点が化学触媒と異なります。
Q3. なぜ触媒は化学反応式に書かれないのですか?
触媒は反応の途中で一時的に働きますが、反応の前後では元の状態に戻り、消費されずに残るためです。たとえば過酸化水素が水と酸素に分解する反応(2H2O2→2H2O+O2)では、二酸化マンガンは反応を速めますが自身は変化しないため、全体の化学反応式には現れません。
Q4. 触媒にはどんな種類がありますか?
由来で分けると、二酸化マンガンなどの無機触媒、有機分子でできた有機触媒、そして生き物がつくる生体触媒(酵素)があります。はたらき方で分けると、反応物と同じ相で働く均一系触媒と、固体などとして異なる相で働く不均一系触媒に分けられます。
Q5. 触媒を英語で何といいますか?
触媒は英語でcatalyst(キャタリスト)、その働き(触媒作用)はcatalysis(キャタリシス)といいます。生き物がつくる生体触媒はbiocatalyst、その代表である酵素はenzymeです。
参考文献
- [1] IUPAC. Compendium of Chemical Terminology (Gold Book), “catalyst”. [DOI:10.1351/goldbook.C00876]
- [2] IUPAC. Compendium of Chemical Terminology (Gold Book), “activation energy”. [DOI:10.1351/goldbook.A00102]
- [3] Alberts B, et al. Catalysis and the Use of Energy by Cells. Molecular Biology of the Cell. NCBI Bookshelf. [NBK26838]
- [4] Biochemistry, Proteins Enzymes. StatPearls. NCBI Bookshelf. [NBK554481]
- [5] Enzymes: Active Site and Substrate Specificity(酵素の温度・pHによる変性と基質特異性). Biology LibreTexts. [LibreTexts]
- [6] Alfonso-Prieto M, et al. The Molecular Mechanism of the Catalase Reaction. J Am Chem Soc. 2009;131(33):11751. [DOI:10.1021/ja9018572]
- [7] Murakami K, et al. VCP Is an Integral Component of a Novel Feedback Mechanism that Controls Intracellular Localization of Catalase and H2O2 Levels. PLoS ONE. 2013. [PMC3573100]
- [8] The Nobel Prize in Chemistry 1989(Sidney Altman・Thomas R. Cech:触媒活性を持つRNA=リボザイムの発見). [NobelPrize.org]
- [9] Chaturvedi S, et al. Human Metabolic Enzymes Deficiency: A Genetic Mutation Based Approach. Biochem Res Int. 2016. [PMC4804091 / DOI:10.1155/2016/9828672]
- [10] National Human Genome Research Institute. About Inborn Errors of Metabolism. [genome.gov]



