目次
- 1 1. SH2ドメインとは ─ 信号を読み取る「読み手」
- 2 2. SH2ドメインの構造としくみ
- 3 3. リン酸化チロシンを読み取る「2つのポケット」
- 4 4. 多様な結合様式と進化 ─ 例外が語るもの
- 5 5. SHP2(PTPN11)─ SH2ドメインが「鍵」を握る
- 6 6. STAT3 ─ がんを動かす転写因子とSH2ドメイン
- 7 7. SAP(SH2D1A)─ SH2ドメインの欠損とXLP1
- 8 8. SH2ドメインを狙う最新の治療薬
- 9 9. 遺伝診療との接点 ─ SH2ドメインをどう読み解くか
- 10 10. よくある誤解
- 11 まとめ ─ 「読み手」が支える細胞と医療
- 12 よくある質問(FAQ)
- 13 参考文献
- 14 関連記事
細胞の中では、いつも無数の「信号」がやり取りされています。その信号を書き込むのが酵素なら、書き込まれた信号を正しく読み取る「読み手」の代表格が、この記事のテーマであるSH2ドメイン(Src homology 2 ドメイン)です。SH2ドメインは、タンパク質に付いた「リン酸化チロシン」という目印を認識してくっつく、約100個のアミノ酸からなる小さな部品(モジュール)です。この小さな読み取り装置がうまく働かなくなると、がんや免疫の病気が引き起こされます。逆に、その仕組みを逆手に取った新しい治療薬も次々に生まれています。この記事では、SH2ドメインとは何か、どうやって信号を読み取るのか、そしてSHP2・STAT3・SAP(SH2D1A)といった、がん・免疫疾患とのつながりや最新の創薬までを、遺伝専門医の視点でやさしく解説します。
Q. SH2ドメインとは何ですか?まず結論だけ知りたいです
A. SH2ドメインとは、タンパク質に付いた「リン酸化チロシン(pTyr)」という目印を認識してくっつく、約100アミノ酸の小さなタンパク質の部品(モジュール)です。細胞の外から届いた信号は、酵素によってタンパク質のチロシンにリン酸という目印が付く形で伝わります。SH2ドメインはその目印を「読み取って」、信号を次の分子へ正確につなぐ「中継役」を果たします。ヒトでは111個のタンパク質に、合計121個のSH2ドメインが備わっています。この読み取りの乱れは、がんや免疫不全と深く関わっています。
- ➤正体 → リン酸化チロシンという目印を認識してくっつく、約100アミノ酸の読み取りモジュール
- ➤はたらき → 信号を書き込む酵素と、その信号を受け取る分子とを正確につなぐ「読み手(中継役)」
- ➤数 → ヒトでは111個のタンパク質に、合計121個のSH2ドメインが存在する
- ➤病気とのつながり → SHP2(PTPN11)の異常はヌーナン症候群や白血病、SAP(SH2D1A)の欠損はXLP1の原因になる
- ➤創薬の新標的 → STAT3を狙うPROTAC分解薬など、SH2ドメインを標的にした治療が臨床開発されている
🧬 SH2ドメインの基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方・略称 | エスエイチツー・ドメイン/Src homology 2 domain(Srcホモロジー2ドメイン)。1986年にがんウイルスの遺伝子産物から発見された |
| 正体 | 約100アミノ酸からなる、リン酸化チロシン(pTyr)を認識してくっつくタンパク質の部品(モジュール) |
| ヒトでの数 | 111個のタンパク質に、合計121個のSH2ドメインが存在する[1] |
| 主なはたらき | リン酸化された目印を「読み取り」、信号を次の分子へ正確につなぐ中継役。受容体から核まで情報を運ぶ |
| 代表的なSH2ドメイン | SHP2、STAT3、Src、Grb2、SAP(SH2D1A)など。酵素・アダプター・転写因子など多彩なタンパク質に含まれる |
| 医療との関わり | その乱れががんや免疫疾患の原因となる一方、STAT3などを狙う分子標的薬の重要なターゲットにもなっている |
※本記事は一般の方と遺伝診療に関わる方の両方に向けた用語解説です。特定の検査や治療を勧めるものではありません。
1. SH2ドメインとは ─ 信号を読み取る「読み手」
私たちの細胞は、外から届く成長やストレスの信号を受け取り、それを核まで正確に伝えることで、増殖・分化・移動・代謝といった働きを調節しています。このシグナル伝達の中で、最も基本的なしくみの一つが「タンパク質のリン酸化」です。タンパク質の特定のアミノ酸にリン酸という小さな目印を付けたり外したりすることで、細胞は信号を「オン・オフ」しているのです。
リン酸化される場所はいくつかありますが、なかでもチロシンというアミノ酸のリン酸化は、細胞の増殖や分化を左右する特に重要な信号です。ここで登場するのがSH2ドメインです。SH2ドメインは、リン酸化されたチロシン(リン酸化チロシン、pTyr)だけを狙って認識し、くっつく役割を持った、約100アミノ酸の小さな部品です。信号を書き込むのがリン酸化酵素(キナーゼ)、消すのが脱リン酸化酵素(ホスファターゼ)だとすれば、SH2ドメインはその目印を「読み取る」読み手にあたります[2]。
💡 用語解説:リン酸化チロシン(pTyr)とは
タンパク質はアミノ酸が数珠つなぎになってできています。その中の「チロシン」というアミノ酸に、酵素がリン酸(電気的にマイナスの目印)を付けた状態が「リン酸化チロシン(pTyr)」です。これは細胞が信号を伝えるときの「付箋(ふせん)」のようなもので、SH2ドメインはこの付箋を選んで読み取り、信号を次へと中継します。
SH2ドメインは、1986年にがんを引き起こすウイルス(ラウス肉腫ウイルス)の遺伝子産物v-Srcの中に、キナーゼ部分とは別の共通した領域として初めて見つかりました[2]。その後の研究で、ヒトのゲノムには111個のタンパク質にわたって、合計121個のSH2ドメインが備わっていることがわかっています[1]。SH2ドメインを持つタンパク質は、SrcやAblのようなチロシンキナーゼ、SHP2のようなホスファターゼ、Grb2のような「つなぎ役(アダプター)」、そしてSTAT3のような転写因子まで、極めて多彩です[1]。共通しているのは、いずれも「リン酸化チロシンを読み取って、信号を正確に受け渡す」という中核の役割です。
2. SH2ドメインの構造としくみ
SH2ドメインは、生き物のあいだで非常によく保存された、共通の立体構造を持っています。これまでに約70種類のSH2ドメインについて300以上の立体構造が解明されており、いずれも似た形をしていることがわかっています[3]。その中心には、複数のひも状の構造(βストランド)が並んだ「βシート」があり、それを2本のらせん(αヘリックス)が両側から挟み込んでいます[2]。この頑丈な足場が、リン酸化チロシンを含むペプチド(アミノ酸の短い鎖)をしっかり受け止めます。
SH2ドメインは、受容体に付いた「リン酸化チロシン(pTyr)」という目印を読み取り、信号を下流へ正確に受け渡す。深いポケット(pYポケット)でリン酸を、隣のポケット(特異性ポケット)で相手を見分ける。
SH2ドメインは球状のコンパクトな部品で、その折りたたみ方(フォールディング)と機能は密接に関わっています。研究により、SH2ドメインは種類によって少しずつ異なる経路で折りたたまれることがわかっています[4]。この折りたたみの理解は、単なる基礎研究にとどまりません。SH2ドメインの変異が、結合する場所を直接壊さなくても、タンパク質全体を不安定にして機能を失わせることがあるからです[4]。つまり「どこが壊れると病気になるのか」を理解する土台になっています。なお、こうした構造情報を整理するため、ヒトの全SH2ドメイン配列と立体構造をまとめた専用データベース「SH2db」も公開されており、研究者が異なるSH2ドメインを精密に比較できるようになっています[5]。
3. リン酸化チロシンを読み取る「2つのポケット」
では、SH2ドメインはどうやってリン酸化チロシンを正確に読み取るのでしょうか。そのしくみは、標的を2つの独立したポケット(くぼみ)で同時につかまえる「双頭プラグ(two-pronged plug)」と呼ばれる巧みな方式です[2]。2本のプラグをコンセントに差し込むように2か所で捉えることで、高い結合力と、相手を正しく選ぶ精度の両方を実現しています。
① pYポケットとFLVRモチーフ ─ リン酸を捉える
1つめの深いポケット(pYポケット)は、リン酸化されたチロシンそのものを、強く特異的につかまえます。このポケットの底には、SH2ファミリーで極めてよく保存された「FLVRモチーフ」という決まったアミノ酸の並びがあり、その中のアルギニンという残基が、リン酸のマイナス電荷と直接手を結びます(塩橋)[3]。この結びつきだけで、全体の結合力のおよそ半分をまかなう、いわば土台になっています[2]。
💡 用語解説:FLVRモチーフとは
「モチーフ」とは、多くのタンパク質に共通して現れる、決まったアミノ酸の並びのことです。FLVRモチーフは、フェニルアラニン(F)・ロイシン(L)・バリン(V)・アルギニン(R)の並びを指し、SH2ドメインの「合言葉」のような目印です。中でもアルギニン(R)がリン酸をつかむ主役で、ここが働かないとリン酸化チロシンを読み取れなくなります。
② 特異性ポケット ─ 相手を見分ける
しかし、リン酸化チロシンをつかむだけでは、細胞内にたくさんあるリン酸化タンパク質の中から「正しい相手」を選べません。そこで働くのが、もう一つのくぼみである「特異性ポケット」です[2]。リン酸化チロシンのすぐ隣(C末端側)に並ぶ数個のアミノ酸が、このポケットにはまり込むことで、SH2ドメインは「どの相手につくべきか」を見分けます。とくに3つ隣(+3位)のアミノ酸が、相手選びの決め手になることが知られています[4]。
この特異性ポケットの形の違いによって、SH2ドメインごとに好みの相手が決まります。たとえばGrb2、Src、PI3Kは、それぞれ異なる並びのリン酸化配列を選んで結合します[2]。SH2ドメインが「リン酸化チロシンを読む」だけでなく、「文脈まで読み分ける」ことで、細胞の複雑な信号ネットワークが混線せずに保たれているのです。
4. 多様な結合様式と進化 ─ 例外が語るもの
SH2ドメインの研究が進むにつれ、上記の基本モデルには当てはまらない、興味深い「例外」も次々と見つかっています。これらは、SH2ドメインが進化の過程で獲得した柔軟さを物語っています[3]。
たとえば、免疫の司令に関わるZAP-70やSykというキナーゼは、2つのSH2ドメインが協力して、免疫受容体上の2か所のリン酸化チロシンを同時に捉えます[3]。また、リン酸をつかむ主役だったはずのFLVRモチーフのアルギニンを失っているのに、別のしくみで結合を成立させるSH2ドメインもあります。驚くべきことに、サイトカインの信号に関わるTYK2のSH2ドメインは、リン酸化チロシンではなく、相手のグルタミン酸という別のアミノ酸を認識するように進化しています[4]。さらに、免疫に関わるSAPというタンパク質は、通常より広い範囲を読み取る特殊なポケットを持っています[4]。
こうした多様性は、SH2ドメインが単なる「決まりきった部品」ではなく、生き物の必要に応じて役割を微調整してきた、しなやかなモジュールであることを示しています。そして次の章から見るように、この読み取り装置に生じた「わずかな変化」が、ときに重い病気を引き起こします。
🩺 院長コラム【「読み間違い」が病気になる】
SH2ドメインは、細胞の中の「信号を読み取る担当者」です。私はよく、細胞を大きな会社にたとえて説明します。リン酸化という付箋(ふせん)が貼られた書類を、正しい部署へ届ける中継役——それがSH2ドメインです。担当者が付箋を読み間違えたり、書類を握りしめて離さなくなったりすると、会社全体の情報伝達が乱れてしまいます。
遺伝子の変化を読むときにも、この視点は大切です。ある遺伝子が「酵素として働くかどうか」だけでなく、「信号を正しく読み取れているか」という観点が、病気の理解には欠かせません。SH2ドメインの研究は、そのことを私たちに教えてくれます。
5. SHP2(PTPN11)─ SH2ドメインが「鍵」を握る
SH2ドメインが病気と深く関わることを、最もよく示す例がSHP2というタンパク質です。SHP2は、リン酸を外す酵素(プロテインチロシンホスファターゼ)で、2つのSH2ドメイン(N-SH2とC-SH2)と、酵素の本体である触媒ドメインを持っています[6]。SHP2をつくる遺伝子が、PTPN11遺伝子です。
SHP2の巧みなところは、SH2ドメインが酵素活性の「鍵」を握っている点です。ふだんSHP2は、N-SH2ドメインが自分の触媒部分にフタをして、酵素の働きを止めています(自己抑制)[6]。ところが、上流のリン酸化チロシンがSH2ドメインに結合すると、フタが外れて酵素が働き始めます。SH2ドメインが「読み取り」と「スイッチ」を兼ねているのです。
この鍵が壊れると、どうなるでしょうか。PTPN11遺伝子の変異には、フタを外れやすくしてSHP2を過剰に働かせてしまうタイプがあります[6]。すると、細胞の増殖を促すRAS/MAPK経路が働きすぎてしまいます。この過剰な活性化は、若年性骨髄単球性白血病(JMML)の重要な原因となるほか、ヌーナン症候群をはじめとする「RAS病(RASopathies)」の代表的な原因遺伝子でもあります[6]。また、PTPN11の別のタイプの変異は、レパード症候群(多発性黒子を伴うヌーナン症候群)とも関わります。SH2ドメインという小さな読み取り装置の乱れが、全身の発達に影響しうるのです。
6. STAT3 ─ がんを動かす転写因子とSH2ドメイン
もう一つ、がんと深く関わるSH2ドメインを持つタンパク質が、STAT3という転写因子です。STAT3は、サイトカインや成長因子の信号を受けて活性化し、細胞の増殖や生存に関わる遺伝子のスイッチを入れます。
ここでもSH2ドメインが主役を演じます。活性化したSTAT3は、自分のSH2ドメインで、別のSTAT3のリン酸化チロシン(Tyr705)を読み取り、2つがペアになって(二量体化して)核へ移動します[7]。SH2ドメイン同士が手をつなぐことで、はじめて転写因子として働けるのです。急性骨髄性白血病(AML)や多くの固形がんでは、このSTAT3が常に活性化しっぱなしになっており、がん細胞の増殖や、抗がん剤への抵抗、抗腫瘍免疫の抑制を後押ししていることが知られています[7]。
💡 用語解説:転写因子とSH2ドメインの二量体化
「転写因子」とは、遺伝子のスイッチを入れたり切ったりするタンパク質です。「二量体化」とは、同じタンパク質が2つ組んでペアになること。STAT3は、一方のSH2ドメインが、もう一方のリン酸化チロシンを読み取り合うことでペアを組みます。この「SH2ドメイン同士の握手」が、がんの信号を伝えるうえで重要な役割を果たしているため、薬の標的として注目されています。
7. SAP(SH2D1A)─ SH2ドメインの欠損とXLP1
SH2ドメインそのものが病気の主役になる、遺伝性疾患もあります。その代表が、X連鎖リンパ増殖症候群1型(XLP1)です。XLP1は、SH2D1A遺伝子の機能を失う変異によって起こる、まれで重い免疫不全症です[8]。この遺伝子は、T細胞やNK細胞に多く発現する「SAP(SLAM-associated protein)」という小さなアダプタータンパク質をつくります[8]。SAPは、その名のとおりほぼSH2ドメインだけでできた分子で、免疫細胞の受容体(SLAMファミリー)を読み取って信号を調整します。
SAPが欠けたり働かなくなったりすると、免疫細胞同士の連携が乱れます。その結果、エプスタイン・バーウイルス(EBV)感染をきっかけに、異常な免疫反応が暴走し、命に関わる血球貪食性リンパ組織球症(HLH)、抗体産生の異常(低ガンマグロブリン血症)、そしてBリンパ腫といった重い症状を招きます[8]。「SH2ドメインでできた読み取り装置」が1つ欠けるだけで、免疫全体が破綻しうる——XLP1は、そのことを鮮明に示す病気です。
💡 SH2ドメインと免疫のつながり
SAP(SH2D1A)は、免疫細胞が「敵と味方」を見分け、適切に反応するために欠かせない読み取り装置です。この1つのSH2ドメインの欠損が、EBVという身近なウイルスへの反応を致命的に変えてしまうことは、SH2ドメインが免疫の精密な制御にいかに深く関わっているかを教えてくれます。近年は、造血幹細胞を使った遺伝子治療の研究も進められています[8]。
8. SH2ドメインを狙う最新の治療薬
がんや免疫疾患に深く関わるSH2ドメインは、当然ながら「薬の標的」として狙われてきました。ただし、SH2ドメインのリン酸化チロシンを読み取るポケットはとても水になじみやすく(電気的に偏っており)、天然のリン酸化ペプチドは体内ですぐ分解されてしまうため、長らく「創薬が難しい標的」とされてきました[9]。しかし近年、いくつかの新しいアプローチがこの壁を突破しつつあります。
一つは、リン酸基を分解されにくい構造に置き換えたペプチド模倣薬(ペプチドミメティック)です。もう一つは、SHP2に対して開発されたアロステリック阻害剤で、SH2ドメインを含むタンパク質全体を「閉じたまま」に固定して、活性化を防ぎます[9]。そして今、最も注目されているのがPROTAC(標的タンパク質分解誘導キメラ)という新しいタイプの薬です。
💡 用語解説:PROTAC(プロタック)とは
従来の薬の多くは、標的タンパク質の働きを「ふさいで止める」ものでした。PROTACは発想が違い、標的タンパク質に目印を付けて、細胞にある「ゴミ処理システム」に丸ごと分解させてしまう薬です。標的を止めるのではなく「消す」ため、これまで薬にしにくかったタンパク質(STAT3のような転写因子)にも効果が期待されています。
STAT3を狙うPROTACの代表例がSD-36です。これは、STAT3のSH2ドメインに強く結合する小さな分子に、分解を促す部品を連結したものです。SD-36は、白血病やリンパ腫の細胞でSTAT3を素早く分解し、動物モデルでも腫瘍を退縮させました[10]。しかも、構造がよく似た他のSTATファミリー(STAT1やSTAT5など)には影響しない、高い選択性を示しました[10]。
同じくSTAT3を標的とするPROTACのKT-333は、再発・難治性のリンパ腫、白血病、固形がんなどを対象とした第1相試験で臨床評価され、STAT3分解作用や一部の患者での抗腫瘍活性が報告されています[11][12]。試験では、血液中のSTAT3を大きく減らし、皮膚T細胞リンパ腫やホジキンリンパ腫の一部の患者で腫瘍の縮小がみられたことが報告されています[11]。SH2ドメインという「読み取り装置」の理解が、新しいがん治療へと結びついているのです。
なお、これらの薬の効果や安全性、適応の範囲は、国や時期によって異なり、今後も更新されていきます。ここでは「SH2ドメインが薬の標的になる」という仕組みの一例として紹介しています。治療に関する判断は、必ず主治医とご相談ください。
9. 遺伝診療との接点 ─ SH2ドメインをどう読み解くか
SH2ドメインは、それ自体を日常の診療で直接検査する対象ではありません。しかし、SH2ドメインを持つ遺伝子(PTPN11、STAT3、SH2D1Aなど)は、いずれも遺伝性疾患と結びついており、その遺伝子の変化(バリアント)を読み解くうえで、SH2ドメインの理解は重要な土台になります。
💡 用語解説:バリアント(遺伝子の変化)
「変異」や「バリアント」とは、遺伝子の設計図(DNAの並び)が、多くの人と異なっている状態を指します。病気につながるものもあれば、体質の個性にとどまるものもあります。SH2ドメインの部分に生じたバリアントが、リン酸化チロシンの読み取りやタンパク質の安定性を損なうものであれば、病気の原因になりうる、という点が遺伝診療では大切になります。
遺伝診療の視点から見ると、SH2ドメインは「遺伝子の変化を、その場所と働きから丁寧に読み解く」ことの大切さを教えてくれます。同じ遺伝子でも、SH2ドメインのどこがどう変わるかによって、影響の大きさは変わります。たとえばPTPN11では、SH2ドメインの自己抑制を弱めるタイプの変異が、ヌーナン症候群やJMMLと関わります[6]。こうした知識は、遺伝子検査で見つかった変化が体にどう影響しうるかを考えるうえで、判断材料の一つになります。
当院では、遺伝子や染色体に関わる検査の前後で、臨床遺伝専門医が遺伝カウンセリングを行っています。話し合う内容は、検査で何が分かり何が分からないのか、見つかった変化がご本人やご家族にとってどういう意味を持つのか、そしてどのような選択肢があるのか、といった点です。とくにヌーナン症候群などのRAS病では、複数の原因遺伝子を一度に調べる遺伝子パネル検査が用いられることもあります。検査を受けるかどうかを含め、決めるのはご本人であり、私たちは中立の立場で判断材料を整理する役割を担います。
10. よくある誤解
誤解①「SH2ドメインは1種類だけ」
SH2ドメインは1つではありません。ヒトでは111個のタンパク質に、合計121個のSH2ドメインが存在します。それぞれ好みの相手が異なり、細胞の中で違う信号を読み分けています。
誤解②「SH2ドメインは酵素」
SH2ドメイン自体は、化学反応を起こす酵素ではありません。リン酸化チロシンを「読み取ってくっつく」部品です。酵素(キナーゼやホスファターゼ)の一部に組み込まれて、そのスイッチ役を担うことはあります。
誤解③「小さな部品だから病気に無関係」
約100アミノ酸の小さな部品ですが、その乱れは重い病気につながります。SHP2(PTPN11)の異常はヌーナン症候群や白血病、SAP(SH2D1A)の欠損はXLP1の原因になります。
誤解④「SH2ドメインは薬にできない」
かつては創薬が難しい標的とされましたが、いまは違います。STAT3を狙うPROTAC分解薬など、SH2ドメインを標的にした治療が臨床開発の段階に入っています。
まとめ ─ 「読み手」が支える細胞と医療
SH2ドメインは、リン酸化チロシンという目印を読み取り、細胞の信号を正確に中継する「読み手」です。約100アミノ酸の小さな部品でありながら、受容体から核まで情報を運ぶ要(かなめ)として、増殖・分化・免疫といった生命の基本を支えています[1]。その読み取りの精度は、FLVRモチーフを持つpYポケットと、相手を見分ける特異性ポケットという、2つのポケットの絶妙な連携によって保たれています[2]。
この読み取り装置に生じたわずかな乱れは、SHP2(PTPN11)を介したヌーナン症候群や白血病[6]、STAT3を介したがん[7]、SAP(SH2D1A)の欠損によるXLP1[8]といった、重い病気につながります。同時に、SH2ドメインの理解は、STAT3を狙うPROTACのような次世代の治療薬を生み出す土台にもなっています[10]。SH2ドメインの研究は、分子生物学と臨床医学を橋渡しする、いきいきとした最前線であり続けています。遺伝子の変化を「その場所と働きから丁寧に読み解く」姿勢の大切さを、SH2ドメインはあらためて教えてくれます。
よくある質問(FAQ)
Q1. SH2ドメインとは何ですか?
SH2ドメイン(Src homology 2 ドメイン)とは、タンパク質に付いた「リン酸化チロシン(pTyr)」という目印を認識してくっつく、約100アミノ酸の小さなタンパク質の部品(モジュール)です。細胞の信号を「読み取って」次の分子へ正確につなぐ中継役を果たします。ヒトでは111個のタンパク質に、合計121個のSH2ドメインが存在します。
Q2. SH2ドメインはどうやってリン酸化チロシンを見分けるのですか?
2つのポケット(くぼみ)で標的を同時につかまえる「双頭プラグ」というしくみを使います。1つめの深いポケット(pYポケット)は、FLVRモチーフのアルギニンでリン酸をつかみます。2つめの特異性ポケットは、リン酸化チロシンの隣に並ぶアミノ酸を読み取り、「正しい相手」かどうかを見分けます。この二段構えで、高い結合力と精度の両方を実現しています。
Q3. SH2ドメインはどんな病気と関係がありますか?
SH2ドメインを持つタンパク質の異常は、さまざまな病気と関わります。代表例として、SHP2(PTPN11遺伝子)の活性化変異はヌーナン症候群や若年性骨髄単球性白血病(JMML)と、STAT3の過剰活性化は多くのがんと、SAP(SH2D1A遺伝子)の欠損はX連鎖リンパ増殖症候群1型(XLP1)と関わります。小さな部品ですが、その乱れは全身に影響しうるのです。
Q4. SH2ドメインは薬の標的になりますか?
なります。かつては創薬が難しい標的とされていましたが、現在ではペプチド模倣薬、SHP2を狙うアロステリック阻害剤、そしてSTAT3を分解するPROTAC(SD-36やKT-333など)といった新しい薬が開発され、臨床試験で評価されてきました。SH2ドメインの構造を精密に理解することが、これらの創薬の土台になっています。治療の判断は必ず主治医とご相談ください。
Q5. SH2ドメインとSH3ドメインは何が違うのですか?
どちらもSrcタンパク質で見つかった「タンパク質同士をつなぐ部品」ですが、読み取る相手が異なります。SH2ドメインは「リン酸化チロシン(pTyr)」を認識するのに対し、SH3ドメインはプロリンに富む別の配列(PxxPモチーフ)を認識します。役割分担をしながら、細胞の信号伝達を支えています。
🏥 遺伝子や染色体に関わる検査のご相談
遺伝子の働きや遺伝性の病気、遺伝子検査の結果の意味について
お悩みの方は、臨床遺伝専門医が在籍する
ミネルバクリニックにご相談ください。
参考文献
- [1] The language of SH2 domain interactions defines phosphotyrosine-mediated signal transduction. FEBS Lett. 2012. [FEBS Letters]
- [2] SH2 Domain Binding: Diverse FLVRs of Partnership. Front Endocrinol (Lausanne). 2020. [PMC7530234]
- [3] SH2 Domain Binding: Diverse FLVRs of Partnership. Front Endocrinol (Lausanne). 2020. [Front Endocrinol]
- [4] SH2 Domains: Folding, Binding and Therapeutical Approaches. Int J Mol Sci. 2022. [PMID 36555586]
- [5] SH2db, an information system for the SH2 domain. Nucleic Acids Res. 2023. [PMC10320075]
- [6] SH2 Domains: Folding, Binding and Therapeutical Approaches. Int J Mol Sci. 2022. [PMID 36555586]
- [7] A Potent and Selective Small-Molecule Degrader of STAT3 Achieves Complete Tumor Regression In Vivo. Cancer Cell. 2019. [PMID 31715132]
- [8] X-linked lymphoproliferative disease type 1: a clinical and genetic update. [PMC12198186]
- [9] SH2 Domains: Folding, Binding and Therapeutical Approaches. Int J Mol Sci. 2022. [PMID 36555586]
- [10] Structure-Based Discovery of SD-36 as a Potent, Selective, and Efficacious PROTAC Degrader of STAT3 Protein. J Med Chem. 2019. [J Med Chem]
- [11] Safety, Pharmacokinetics, Pharmacodynamics and Clinical Activity of KT-333, a Targeted Protein Degrader of STAT3, in Patients with Relapsed or Refractory Lymphomas, Leukemia, and Solid Tumors. Blood. 2024. [Blood 2024]
- [12] Phase 1 study of KT-333, a targeted protein degrader, in patients with relapsed or refractory lymphomas, large granular lymphocytic leukemia, and solid tumors. J Clin Oncol. 2022. [JCO 2022]



